セブンスドラゴン2020・ノベル

チャプターEX03 『俺様がメスボスがボスだと思った理由』
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BGM:セブンスドラゴン2020「都庁の夜明け」(サントラDisk:1・09)




 午前11:07─── 医務室

「はー、まったく死んだかと思ったわよ。竜ちゃんってば猪突猛進は相変わらずだわね」
「うるさいヤツだな。全然元気じゃねーかよ。それに、どうせすぐ再生するんだろ?」

「…アンタねぇ、人間の身体は竜と違って繊細なのよ。治療が必要なの。ほんと偏った知識ばっかり持ってるんだから」
 アオイとはぐれた時に出てきた虫野郎は、俺様の勘違いの体当たりで枯葉のように吹き飛ばされたわけだが、なんとも情けない事に、そのまんま血を出してブッ倒れた。
 …まあ、根性が足りないから倒れたというのは多分にあるが、なにしろ俺様の全身全霊をかけた突撃だったからな。倒れるのも当然かもしれん。ふふん、俺様強いからな。


 あっ! でも考えてみれば、同じ威力でアオイとぶつかってたらダメって事になるよな。その後でアオイが来た時の加速できずに抱きついた羽毛程度がいいらしいと判明したわけだし。そういう情報が得られただけでも僥倖(ぎょうこう)だ。
 それだけでも虫野郎は俺様の役に立ったといえよう。これで用はないな。もう死んでいいぞ。


 しかしだ、コイツはナマイキにも”イムシツ”というのに運べと言い出したのだ。イムシツというのは人間が傷を治療する場所らしい。俺様としては別にコイツが死んだって構わないので、すでに放置を決め込んでいたのだが…、アオイがどうしても言うから仕方なくコイツを肩に乗せて運搬してやった。

 でもなー、

 虫野郎は元々が竜であって、それもその中でも屈強な指揮官竜なのだから、あれくらい…どうという事はない気がするんだが…。人間の身体になったって、俺様はすぐ再生したしな。ユカリの技の”れんきてあて”というので全部治っちまった。虫野郎もそれ使えばいいだけだと思うんだけどな。


 ともかくそういう流れで俺様はいまイムシツという部屋の一角にいる。

 虫野郎はベッドという寝床に敷いてある”おふとん”に寝そべり、”かけぶーとん”を腹まで掛けて寝ていた。俺はそのすぐ横にある小さい丸椅子に腰掛けている。アオイがここで待っていてくれと言うから、仕方なく虫野郎の側で、大人しくして座っているのだ。
 もちろんアオイは近くにいるぞ。この白くて広い部屋の入口辺りで、白い服のメスとなにやら話している。いなくなったらヤダけど、近くにいるので俺様も慌てないのだ。

 …しかし、虫野郎も特に気にしていないようだが、コイツも腹を上にして寝てるんだよな。やっぱり人間は弱点である腹を上にして眠るものなのか? まあ、鱗が身体に一つもないから、どの方向で寝たって弱点だらけなんだがな。
 人間っていうのは、つくづく不思議な生き物だと思わされる。


「あのお嬢ちゃんは…手続き中だわね。5分くらいは平気かしら」
 俺がそんな事を考えていると、虫野郎は周囲を見回してから俺に話しかけてきた。

「ねえ、ちょっと竜ちゃん。いまのうちに聞いておきたいんだけど、いいかしら?」
「んむ? 何だ?」

「何って…、状況確認よ」
「じょーきょーかくにん?」
 そういうと、”おふとん”に寝そべっていた虫野郎は半身を起して身を乗り出して顔を近づけてきた。変な花の甘い匂いがして不快極まりない。

「なんだよー、お前くせーよ、顔を近づけるな」
「乙女に向かって臭いは失敬だわね。香水よ香水」
「こーずいよこーずい?」
「ああ、もう! 些細な事はどうでもいいのよ。それより竜ちゃんさ、どういう経緯で、いつ人間になったの?」

「経緯? けいいって敬意か?」
 俺様は自分で鼻を摘まんで臭気を防ぎながら答える。敬意じゃない経緯ってなんだ?

「経緯は経緯よ。アンタがその人間になった理由と、…ついでに昨日、アチキの敵になってた理由。その辺りを詳しく教えてくれない? なんで竜ちゃんは人間になれて、そしてアチキと戦ったの? これ、結構大切な事よ」
「うぬ…、そんなにいっぺんに聞かれても…」
 たった二日前の事だが、俺様はあの時から人になった。数日前の事だというのに、今の俺様はやけに人間というものに馴染んでいる気がするが…、とにかく俺は竜である。人間はウォークライと呼んでいた最強の力を持つ竜であるのは間違いない。

「ぬ…、俺は二日前にこのシンジクトチョーの屋上でガトウと戦ってだな、いや、戦ったの自体は三日くらい前かもしれんが…、とにかくそれで、完全勝利というのは気が引けるが、とにかく辛勝みたいな状況になったのだ」

「その、ガトウっていうのは誰?」
「ここの、ムラクモって戦士の一人だ。えらい強かった。…いや、それがだな、本当に泣くほど強かったんだ」
「なんでそこで、じんわり涙目になってんのよ…」


「それで? 人間になった事は?」
「急かすなよ。その後にこの身体のユカリというメスが出てきてだな。こいつがまた異常に強くてだな…ぐすっ…」

「竜ちゃん…、あんた、そんなに涙もろい性質(たち)だっけ? はいティッシュ、これで鼻拭いて」
「おお、そうかスマン…ぐしっ…」
 なんだか知らんが、俺様このところすぐ涙目になるのだ。ぐすっ…うう、なんか鼻も出そうだ。しかし、今渡されたこのチッシュというのは鼻拭くのにちょうどいい。俺は虫野郎から渡されたチッシュを受け取り、鼻をちーんってした。とてもすっきりした。

「ふー、チッシュ返す」
「いらないわよ! 使ったらゴミ箱に入れるの!」

 虫のヤツがベッドの足元にある小さな容器を持ち上げたので、チッシュをその中に投げる。ふーむ、これがゴミ箱というヤツなのか。もしかしたら、俺の部屋にある中身が空洞の筒状金属も、こういうゴミというのを入れる箱なのかもしれんなぁ。試しにかぶって見たけど、あの用法は正しくなかったのかもしれんな。


「…で? それからどうしたの?」
「あー、うむ。…それでこのユカリに苦戦してだな、最後は相打ち…だったかな? 俺はユカリに傷を与えたが、残念ながら力尽きて、そのまんま気を失ってしまったのだ」

「この目のところが、俺様の最後の一撃んトコだ」
 俺はホータイという布が巻かれている右目を指差した。ごくたまに痛みが走るものの、激痛という感覚は特にない。だが、これこそが俺が竜であった証であり、戦いが現実であったと物語るに違いのない痕跡(こんせき)である。

「それで起きたらその子になっていた?」
「そうそう。それだ」
「なるほどねぇ…」
 虫野郎は深く呼吸をして息を吐くと、腕を組んで、難しい顔をして考え込む。

「気を失った時、死にそうだったりした? 力尽きたんだもんね」
「んむ。完全にボロボロだったな。羽も切り落とされてたし。本気で死んだんだろうと思ってた」

「う〜〜ん」
 俺がそう答えると虫野郎はまた唸りながら考え込んでいる。俺様には何が何やらサッパリ不明だ。
 少しして虫のヤツが呟(つぶや)く。

「アチキと…似てはいるわね。状況は」
「ふぬ?」
「いやなにね、アチキと似たような死に際だと思ってさ」
 コイツと戦ったのは昨日だ。俺様がコイツをぶっ叩いている時にタケまで出てきて一緒に倒してやったのだ。でも最後は逃げられたよな。トドメ刺せなかった。

「アチキもさ、竜ちゃん達に攻撃されてから逃げて…、死にそうで墜落した時に、目の前にちょうどよく人間がいたのよ。…この身体のシンイチロウって男なんだけど」

「へ? お前メスだろ? 乳房あるじゃねーか」

 俺様は目をひんむいて、よ〜く観察してみるものの、…どう見てもメスにしか見えないぞ? メスのような細身の顔立ちに蒼白くて腰部分まで伸びる長い髪。乳房はかなりデカくて身体は細身…。
 確かに俺様は人間のオスとメスの区別はあんまりつかないが、間違ったことはなかったハズだ。っていうか、乳房があるからメスでいいハズなのだ。俺様も今朝になって自分がメスなのだと確信してしまったくらいだからな。うう…。

「また涙目になってるわ…、なんなのこの子? いやだわ」
「なってない!!」
 あれ? そういえば思い出したぞ。チビのヤツは乳房がなかったな。ぺったんこだった。あまりに可愛いので気にすらしていなかったが、あいつもしかしてオス…なのか? まさか、あいつがオス…だと!? そんな馬鹿な!

「竜ちゃん、声に出てるわよ」
「むっ! さっきから五月蝿(うるさ)いぞ! 俺様はいまヒジョーにガキジュツテキな思案を実行中の必要が着実なのだ」
「…まあ、どうでもいいんだけど」
 虫野郎はそういうと姿勢を楽にするように、背をベッドに預けて再び話を始める。


「アチキが死ぬ寸前に目の前にいたのがこのシンイチロウってヤツなんだけど」
 虫野郎はそこで一旦区切り、自分の身体を抱きしめ、再び言葉を続ける。

「原因はわからないけど知らない間に彼の中に入り込んで、…いえ、融合というべきかしら? それで分ったんだけど、この人間、アチキ同様に心が渇いたヤツだったのよ」
「んむ? こころのかわいたやつ?」

「あ〜、なんていうのかしらね。欲情する対象を失くして渇望していた、って感じ?」
「…ぬぬぬ」

「要するに、アチキと中身が似すぎてたって感じかしら」
「解読に時間を要する。しばし待て」
「…もういいわよ」

「だからさ、竜ちゃんの場合も、もしかしたらその身体のユカリって子と似たような性格だったんじゃないかって、そう思ったわけ」
「俺様とユカリが、似たようなヤツ…だと?」

 ユカリと同じ?? 俺様が? そうなのか? 孤高で誇り高く、強靭な肉体と精神を有する竜王たる俺様が、こんなひ弱な人間のメスなんぞと似たような部分があった…だと? どこに似た部分があるってんだ?! カケラも似てなんかないだろうが!

「ケッ! ふざけやがって。馬鹿も休み休み言え! この俺様がたかが人間ごときと───」

「二人ともお待たせしました〜。シンイチロウさんは今日ここに泊って貰えればOKですって。でも、たぶん大丈夫だろうって先生が」
 そこに帰ってきたのはシンサツのテツヅキとかいうので部屋の奥にいたアオイだった。俺様はアオイが帰ってきて、とても喜ばしい。

「わー! アオイだー! おかえりー!」
「ただいま戻りました、先輩。これ看護師さんからいただいてきましたよ? 飴ですって」

「おお…、飴ちゃんか! カンゴシ偉いヤツだな!」
「あとでお礼言っておきましょうね」
「うん!」
 …この時、花竜でありシンイチロウでもある、スリーピーホロウは思った。


 やっぱり似たモノ同士で融合するんじゃないかしらねー…。

 ユカリって子が実際どうなのかは知らないけど、竜ちゃんも妙にかまってちゃんだったりしたし、食べる物もスライムなんて特殊な食感を好んでた面があったしね。今の姿をみるとそんな事が重なる気がするわ。

 見た目でのオスとメスの違いはあるけど、竜ちゃんのこの姿、あんまり…というか全然違和感を感じないのよね。もちろん全部仮定での話だけど、どこかで似通ってたから融合できた、という線は捨て切れない可能性ね。

 …ま、結局それは大した問題じゃないか。
 アチキにとっては、”竜ちゃんがアチキの目的において使えるか否か”のみ。

 なんにせよ、時間はまだある。
 戦ってる理由は…また聞けばいいっか。















「シンイチロウさん、あんなに血が出ていた割には軽傷なようですね。安心しました」
「あいつ、スゲーしぶといから気にしなくていいぞ。殺しても生きてるようなヤツだしな」
 俺様はアオイと一緒にイムシツを出た。口の中でコロコロ転がしているイチゴという味の飴ちゃんは素晴らしい味覚であり、俺様の生涯で忘れられない程の感動を植えつけた。イチゴはえらい。

「じゃあ先輩、さっきの続きで都庁の中を探検するというのでいいですか?」
「んむ、構わないぞ。でも居なくなるのはダメだからな」

「そうですね、今度は一緒に行きましょう」
「おー!」
 俺様はアオイに手を繋いでもらって歩く事にした。こうすればイキナリ離れる事はないし、1Fの正体不明も恐れるに足らない。このトチョーにおいて俺様に敵はいなくなるのだ! グハハハハハッ!


「ところでアオイ、だいよくじょう…というのはどうなったのだ?」
「はい。それが…まだ使えないそうなんです。都庁の奪回したのが一昨日の話なので、とてもそこまで復旧していないようでして」
 結局”だいよくじょう”が何なのかは不明だが、使えないのは残念な事のようだ。アオイの顔を見れば分る。なんかそれを見ていると、俺様まで残念な気になるな。

「でも、水の供給は問題ないそうですから、少し身体を拭くくらいは出来ますよ」
「拭く? ああ、さっきのチッシュみたいな事か。じゃあ、虫野郎のトコにあったチッシュ使うのか?」

「うう、チッシュ…って、ティッシュですか? う〜ん、さすがに拭くくらいはタオルがいいですね〜」
「そうか、チッシュ問題があるのか」

「うーん、吸水性は抜群なんですが、耐久性にやや問題がありますね〜」
「キビシイな」
「厳しいですねぇ」
 なんだか知らないが、いまの話でアオイが機嫌良くなってた。なんだか俺様を見る目が楽しいそうな気がする…。なんだ?? 俺なんか楽しい事言ったか??

 まあいいや。それよりも気になってた事があるんだ。聞いておこう。


「なー、ところでアオイ。教えて欲しいんだが…」
「なんです? なんでも答えますよ〜。…あ、でも発情期とかはダメです。あれはナシです」

「いや、それじゃないんだ。それ以前にそもそも”だいよくじょう”…って、なんだ?」
「え、そこからっ?!」
 ちょうどそんな話をしていた時、俺達が待っていた”えれべーたー”がピンポーンという音をして扉が開いた。そこから一人出てきたのは、トチョーのメスボスであるナツメだった。


「あら、ユカリ。ちょうど良かったわ」
「お、おう…」
 俺は昨日に引き続き、乳房の巨大さに圧倒されて言葉も出ない。

「あ、ナツメさん。さきほどはどうも」
「ええ。…貴方も一緒で手間が省けたわ。ちょうどこれからそちらに向かおうと思ってたところだったのよ」

「んむ? 俺様に何か用か?」
「何って…、もちろん帝竜討伐の件よ。連日での帝竜の討伐、お疲れ様だったわね。本当に驚いた。まさかここまでやってくれるなんて…」
 そう微笑んで言葉を返すナツメ。元々は俺様の都合のついでにやった事ではあったが、こう喜ばれると悪い気はしない。

「ふん、まあな。俺様の実力にしてみれば、あんな虫野郎は雑魚みたいなもんだ」
「次にも期待しているわ。貴方の活躍」
「グハハハハハ! 俺様に任せておけー! ………ん、次??」

「それとSKY討伐の件だけど、アレは一時保留になったわ。あちらのメンバーが強奪された物資を届けてきたのよ」
「それって、シンイチロウさんの事ですか?」
 アオイがそう問うと、ナツメは少しだけ意外そうな顔で答える。

「雨瀬さんはもう彼と会ったのかしら?」
「アオイで結構です。牧シンイチロウさんでしたら、4Fで話しました。彼もムラクモ配属だと聞きまして」
「それなら話は早いわね。まだ正式にではないけれど、彼も十三班としてユカリと行動して貰います。発表は明日の作戦会議になるけれど」

「え? 先輩と同じ…帝竜討伐実行部隊の十三班? そんなに…強いんですか? あの人…」
「そうね。ユカリの次くらいにはね。じゃあ二人とも、明日の会議には遅れないように」
 そう言い残してナツメは去っていく。アオイはその姿を見送ると、さあ、行きましょうと俺を促すが…。俺には一つだけ、引っかかる事が生まれていた。

 …なんだろう、この喉にひっかかったような違和感は。


「先輩は、ナツメさんと仲が良さそうですね。私は昨日の夜と…それに今朝に少し話ただけで、まだ少し緊張します」
「うん、まあ。別に問題はないな」
 俺はアオイに手を引かれながら、ぼんやりと答える。

「私は去年のムラクモ試験でナツメさんとお会いしたのが最初なんです。その時から雲の上の存在でしたからね。魔物討伐機関ムラクモって、この国の重要どころでしたし、その総長ともなれば会話するなんて恐れ多くて…」

「でも、こうなってしまった事で、その雲の上の人と話せるなんて思いませんでした。…複雑ではありますけど」
 アオイは苦笑いのような顔で前を向いている。俺は…アオイのような事情はないが、あのナツメをメスボスとして認めている。それは昨日、シブヤに出掛ける事になった時の話だ。

 軽く思い出してみよう。俺は昨日、あのナツメをなんて思ったんだっけかな?















 それは昨日の事…。
 渋谷に出掛ける前の、───そう、昨日の正午という時間だった。


「すぴー…、すぴー…、くそ〜! ガトウめー、むにゃむにゃ…」

 この身体になったという事実に驚愕し、ガトウに立ち向かおうとした俺は、見事に転んで床という地面に転がり、数時間に及ぶ激しい抵抗の末に結局立ち上がれず…そのまま寝ていたんだった。
 やけに背中が固いなとは思ったが、ともかく眠かったので寝ていた。ちょっと寒かったのも記憶している。しかし安眠していたようで、それなりに心地良かった。いま思い出すと”おふとん”には数段劣るわけだが。

 すると、だ…。

「ユカリ…? まだ寝てるの? 怪我は平気?」
 この時はまだ巣穴と呼んでいた部屋の入口からチビの声がした。チビは扉をコンコンと二度ほど叩いてから、話しかけてきたようだ。俺様もちょうど目を覚ましかけていた時だったので、この辺りの事はやけに鮮明に覚えている。

「んむ〜、チビかー。ふあぁぁ…」
 暗がりの中で眠気眼(ねむけまなこ)をこすり、あくびをする俺は、腹時計の具合からして昼間ではないかと思ったのだが、巣穴が暗いのでまだ夜かと思っていた。

「電灯…、明かりつけるけど、…いい?」
「はふう…ぬ〜、よく分らんが、チビが言うなら勘弁してやる〜」
「ユカリ、寝ぼけてる? 点けるよ?」
 チビがそう言った途端、俺様の世界が激しく変わった! いきなり昼間になったのだ!!

「うわぁぁぁ! なんだこれっ! どどど、どうなってるん───うがっ、いってぇ…」

 突然の状況変化に恐慌を強いられた俺様は、左右にゴロゴロと激しい回転を行ったため、ベッドの足の金属に額をゴチッ!…とぶつけて戦闘不能に陥っていた。目から星が飛び出したのが見えたと同時に、痛くて痛くて涙目になる。
「ユカリ、どうしたの? ベッドから落ちたの? 大丈夫!?」
「あううう…、ち、チビぃ! 捕まえたぁ!!」
「ひゃあ!」
 しかし俺様の凄まじい欲求は激痛に打ち勝ち、うかつにも近寄ってきたチビを即座に捕縛する。ヤツは驚きの声を上げる間もなく、俺の両腕に捕えられ、完全に動きを封じられていた。こうなれば、あとは俺様の思うがままだ。

「お前は本当に可愛いなぁ…どうなってんだろうなぁ…、うう、額が痛い。でも、可愛いなぁ…」
「はわっ! やめてユカリっ! なんで額を噛むの〜?!」
 仕方がないのだ。このように可愛らしい生物が目の前にいる以上、俺様はこうする以外に手はない。
 小さくて細い身体、小さな手、くりくりとした瞳に、柔らかい若草色の髪。この声も可愛さに大きく貢献している。

 これを目の前にして抱きつかないなどと、そんなもの竜の風上にも置けない。


「…おーい、取り込み中すまないんだが、少し…いいかな?」
「むむ!」
 そこへ気に喰わないオスの声が聞こえた。髪の毛が汚い緑で、ヒョロっとした体つきで間の抜けた腹の立つ顔。同じヒョロいのでも、チビとは大違いだ。巣穴の入り口から顔を出したのは、キリノとかいう俺様がクソ緑と呼んでいるオスだった。

「なんだキサマ! チビは俺のだ! お前には渡さんぞ!!」
「うわぁ〜ん! キリノー! 助けて〜」
 チビは俺に抱き寄せられて救出要請を出しているようだが、俺様よりもヤツの方に救いを求めるとはナニゴトだ! いや、チビは悪くない。何も悪くない。全部クソ緑が悪いのだ。チビはただちょっと可愛いだけだ。

「僕は…、ユカリ君の体調はどうかと様子を見に来たんだけど、…随分、元気そうで何よりかなって思うよ」
「助けて〜! キリノ〜」
「やい、クソ緑! チビが救出を求めているぞ!? お前のせいだな!?」
「ははは…はぁ、これはもうどうしたらいいんだろうねぇ…?」

 食事という食料を持ってきたクソ緑のヤツは、俺様の目がそちらへと向いている間にうまくすり抜けて逃げてしまったチビと一緒に帰ってしまった。今日は一日休んで欲しいとか言ってたが…、ふざけるな! 俺様は元気爆発だ! むしろ暴れ足りないくらいなんだ! がるるるるる!!

 クソッ! 自由に動けたらあの場でナマイキなクソ緑の首をもぎ取ってやれたのに…っ!

 …そう言ったものの、寝る前に動けなかったのと変わらず、俺様はちっとも動けなかった。一応、獣のように四足歩行は出来ない事もないのだが、そもそも四足などという行為は、野山に生息するような下等生物の行動であり、誇り高い俺様がやる動作ではない。指揮官竜たるもの二足で立って尾でバランスを取る。これこそ正しい竜というものである。

 しかし、残念ながら今の俺様には尻尾がない。それがこれほどまでに移動を制限するものだとは想定外にも程がある。


 とにかくだ、

 俺様はまず空腹を満たすべく、食料といわれた物体に手を出す。いま思えば袋に入った菓子パンだったのだが…、最初は周囲を覆っていた透明の袋も食い物の一部かとそのまま食いついていた。当然ながら非常に喰いづらくてマズかったし、人間はあんなモノまで食うのかと驚いたものだ。…今朝、アオイに教えてもらってようやく真相にたどり着いたんだがな。

 何にせよ、この巣穴から出なければガトウは殺せないと思い、なんとか壁に前足(手)をついて移動する俺だったが、その労力は尋常ではなかった。たった少し移動しただけで足が震え、体が揺れまくって少しも態勢が保てない。こんな事ならチビに歩き方を聞いておけば良かったかもしれん。

 俺様は血を吐く思いで巣穴(部屋)から這い出て、その先の道(通路)へと到達した。

 ちょうど目に付いたのが、部屋を出てすぐ左側に置かれた横に長いの椅子というモノだった。人間どもが休息するために必要な椅子という道具の一種であろう。俺様は苦労しながらもそこに腰を下ろす。途端に出る大きな溜息…。
「ぐぬ〜、これは弱った。どーしたものか…」

 こんな有様では人間どもを殺すどころの話ではない。あのガトウと戦うにしたって、こんな動きでは逆に殺されるのは目に見えている。ヤツも負傷しているとはいえ、それが修復再生されたら、いまの俺では勝負にすらならないだろう。


「ちっ、俺様ともあろう者が、なぜこんな姿に…」
 なぜ人間ごときに身をやつさねばならないのか。生きていたのは歓迎するが、それ以外は最悪だ。
 いや、チビはちょっと…特例扱いだけどな。

「多村さん? 多村ユカリ。思っていたよりも元気そうね。昨日の今日だというのに、なかなかの回復力だわ」

 そこへ現れたのがあのメス、…ナツメだった。
 俺様はヤツの姿を見て硬直した。同時に度肝を抜かれたのである!!


 なんだ…あれは!?
 このメスの胸部には、頭部にも匹敵するほど巨大な乳房があったからだ!


「…どうしたの? 目の傷が痛むのかしら?」
「い、いや…、その…」
 人間も竜と同じくオスとメスがいるのは知っている。ならば、子を育てるのはメスの役割なのだろう。俺達は幼年期というものが他の生物に比べて短いようで、孵化してより短期間で完全体になるのだが、そこで強い竜になるかは母体の資質にも拠(よ)る。乳房より摂取する乳液の質と量が竜の個体をより強くするのだ。そしてその役目は、大きな乳房を持つメスが担うことが多い。

 だとすれば、コイツの乳房は巨大と言うにふさわしい物だ。

 それに、俺様がいままで見た人間のメスでここまで巨大な乳房を持つ者などいなかった。
 あまりにも違う。桁が違う!


 コイツの乳液で育てた人間がどれほど恐ろしい存在になるだろうか?

 はっ! まさか、ガトウを生み出し乳液を与えたのはコイツなのか!?
 これ程までの質量を持つのだから、考えられない事ではない。



 なんという事だ…。まさにメスのボスと言っても過言ではない。



 竜はもちろん身体が大きいため乳房もそれなりの大きさだが、比率としてはそれほど大きくはない。
 しかし人間のサイズからその割合を比較すれば、明らかにコイツの乳房は超越しすぎている!

「ああ…う…、この俺が…怯える…だと?」
 俺はあまりのショックで言葉が出ず、呆然とするしかなかった。

「ユカリ、もし貴方の体調がいいようなら、少し運動をしてきてくれないかしら?」
「あ、ああ。なんだ?」
 俺は最強の竜であり王ではあるが、竜であろうとも非戦闘員であるメスの親玉には敬意を払っている。そのため、このナツメというメスの前では萎縮(いしゅく)してしまったのだ。だが、ここまでの乳房の持ち主なら致し方ない事だろう。
 それからクスリが盗まれたとか色々な事を話された気がするが…、イマイチ聞いていなかった俺は、生返事していた自分に気がつく。一応は中身も聞いていたのだが、衝撃の大きさに、それどころではなかったのだ。

「…それで、もしSKYが抵抗するようなら、残念だけど殲滅して欲しいの」
「ん…? せんめつ…?」
 俺はその人間にしては珍しい言葉に気を取り戻して聞きなおした。するとナツメは躊躇いもなく再び答える。

「そう、殲滅よ。彼らは私達にとって害でしかないわ。だから始末するしかない。仕方がないのだけどね」

 俺はこの時、このメスにさらなる好感を持った。人間のくせに竜のような思考で敵を殺せと言うからだ。人間というのがどういう生物であり、思考を持っているかは知らなかったが、こういう部分が竜のそれに似通っていると感じたのである。さすがはメスの親玉だ。まさにメスボス!

「ふーん。とりあえず、殺しまくればいいんだな? ハッキリそう言えばいいだろ」
「あら、ユカリ。貴方って意外と話が分っているのね」
 俺の返答を聞いたナツメは笑顔でそう告げる。それは俺にとって実に心地よい物言いだったのだ。人間の非戦闘員のくせに戦闘というものを理解しており、しかも圧倒的質量の乳房まで持っている。これほどのヤツならば俺様もメスボスと認めなくてはならない。

 そういうわけで、俺様はメスボスのいう事を聞いてシブヤに行ったんだ。
 俺が唯一、人間で関心した相手だった、というわけだな。















「先輩、せーんぱい、どうしました?」
「…ん? なんだ?」
 昨日の件を思い出していたせいで、すっかりアオイの話を聞き逃していたようだ。しまった、俺様ともあろう者が…。
 俺は慌ててアオイの方へと向き直る。

「大丈夫ですか? 少し疲れてるのかもしれませんね。昨日の今日ですし」
「あー、いや、そんな事はないんだが…」
 しかしアオイは怒ってる風でもなく、もう一度説明しますね、と優しい笑顔で繰り返した。

「しゃわーしつ?」
「はい。さっき行った医務室のある階に、職員用のシャワー室があるそうなんですよ。飴をくれた看護師さんから、そこを使ってもらっていい、という許可をいただいたんです」

 なんでも、このシンジクトチョーには水を洗浄する機械があって、水だけは豊富にあるらしい。それで”おゆ”も使えるから身体を洗える、との話だった。ふぬー、”おゆ”とはなんだろうな? 何がなにやら理解に苦しむところだが…、とにかく、その”しゃわー”というのがある部屋で身体を洗えるのだろうだ。

 水を使って洗浄? えーと、つまり…。

「ああ、水浴びの事か」
「ピンポーン! その通りです」
 そして俺様はアオイに連れられて、しゃわーしつ、という部屋に行く事になるわけだが、俺がナツメと話したときに感じたあの違和感さえも、すっかり忘れてしまっていた。


 よく考えれば…、それはとてもとても重要な事。

 だってそれは、”俺が竜を相手に戦う理由が何もない”…という事実を示していたのだから。








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