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「魔物討伐機関」通称ムラクモ。それは今現在ドラゴン災害の矢面に立って戦闘の一切を仕切る組織を言う。 ムラクモ本来の姿は、原生生物らの異常発達系と分類される生命体、その総称「魔物」を討伐するために国家より承認を受けた機関であったが、魔物の攻撃は散発的、且つ組織立っての行動をしてこなかったため、人類にとって打撃となる程の脅威ではなかった。 しかし、群体としての組織力と、魔物以上の破壊力を備えた「ドラゴン」の出現により、人類は滅亡の危機を迎え今日に至る。戦闘を受け持つムラクモの行う魔物討伐という軸が、ドラゴンを含むものとなり、その先導役となっていくのも自然な流れといえよう。 そしてこの壊滅的状況の窮地において、生存の要となったムラクモという大組織は「総長」と呼ばれるたった一人によって指揮されていた。その最上級職を務めているのは、なんと妙齢の女性である。 日暈ナツメ。要職にありながらまだ三十台と若く、その抜きん出た才能は常人の比ではない。 紅(くれない)に染められた艶やかな長い髪は頭の上部で纏め上げられ、パーツの整った顔立ちは凛々しくも美しい。女性にしては長身ながら、女神の石像のような均整の取れた四肢。美貌を際立たせる女性特有の体躯は同性ですらも羨む程、息を飲む程…。 容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備…。そういった小説の中でしか使わないような褒め言葉を、彼女、日暈ナツメを示す常套句(じょうとうく)として用いたとしても、万人がそれを納得してしまうだろう優れた美貌と才覚の持ち主である。 ナツメは幼少時代より、その天賦の才を遺憾なく発揮し、いついかなる時と場所においても眩いばかりの賞賛と羨望を浴びてきた。どのような種の学問を修めても一流の成績を残し、戦闘機関の長として申し分ない一流の身体能力、武術をも修めている。それに加えて人を御するカリスマ性も一流、政治的話術に加え、金銭感覚も一流、美的感覚さえも一流と、まさに非の打ち所のない人物といえる。 それほどの大人物であるというのに、ナツメ自身はそれでも足りないと思っている節があるのだから、驚きを隠す事ができない。いまのこの優れた才能さえもただの通過点だと認識しているのだろう。人並みはずれた才能の持ち主が、それ以上を望み渇望する姿は凡人には計り知れない領域、高みとして映る。そのせいか、ナツメは凡俗、凡人との安易な接触を好まない。それは自身と同等の能力を持つ相手でなければ、彼女の天秤は吊り合わないからである。 午前8:55───東京都庁 早朝の、7階の廊下を静かに、そしてたおやかに歩くのはムラクモの長、日暈ナツメである。 彼女は鈴の鳴るような凛とした声で、振り返る事無く後ろへと言葉を投げる。 「…桐野、詳細を」 「はい。渋谷帝竜討伐の現場に居合わせた一般人として証言ができる方は一名のみでした。そして今回の招聘(しょうへい)に応じてくれた雨瀬さんには九時に会議室へ来るよう伝えてあります。さいわい怪我もないようで快諾してくれました」 「帝竜討伐現場に一人でも目撃者がいた幸運には感謝すべきね。」 「ええ。討伐に立ち会った一般人は初めてですからね。…部外者の視点というのは大きな情報源ですし。」 歩みを進めるナツメの右斜め後ろから付き従う男が一人。 孤高の彼女を少しでも理解し、純粋に尊敬の念を抱いているのがこの桐野 礼文である。 身長はやや高めながらも肉付きに欠けた貧相な身体。特徴的な緑色の髪は彼の心根の優しさを体現しているかのようであり、どことなく頼りなさげにも見える。 その風貌を目にした者の十人中全員が、「彼は研究者だ」と言うであろう頭脳明晰そうなモヤシ男。それが桐野という青年なのである。 桐野はナツメの個人研究を支えるアシスタントのような立場として古くからの部下として活躍していた。このムラクモにおいても同様の立場として様々な業務に顔を出している。ナツメが小事に囚われず、組織の舵取りを行えるのも、この桐野がバックアップをこなしているから、という面も大きい。もちろん、ナツメ自身もそういった事を理解した上で彼を部下として側に置いているのだ。 つまるところ、このイマイチ頼りない青年も、なかなかどうして優秀な人材なのである。 頼り甲斐があるなどと言われた事がないのも事実だが、それを本人に言うと凹(へこ)むので追求する者はいない。 ともあれ、 ナツメと桐野。この二人がここ東京という地に生き残った者達の中で、災害対策の舵取りをしているというのは、まさしく奇跡的とも言える程に恵まれた状況であるともいえる。それだけ有能な人材なのだ。 …彼女らはいま、その目撃者が待つであろう会議室へと向かっている。それはもちろん、昨日、渋谷での帝竜戦においての目撃者である彼女に状況の聴取を行うためだ。帝竜スリーピー・ホロウとの激突、そして勝利という想定外の大金星について、その経緯を尋ねようというのだ。 もちろん、実際に帝竜と戦った当事者である多村ユカリに聞くのが一番なのだが、昨晩、桐野が渋谷から戻った彼女を訪ねたところ、極度の疲労からか熟睡していたため、無理に起すわけにもいかなかった。 それは当然だろう。なにせ彼女は帝竜と戦った後なのである。大きな怪我こそなかったが、体調を鑑みても事情聴取を後回しにするのもやぶさかではなかった。むしろ、思わぬ勝利に高揚して、無理を強いて声を掛けようとした自分が愚かなのは言うまでもない。 彼女への聴取は今日以降で体調の良い時に、とは考えている桐野だが…、今後のためにも情報の収集は早い方がいい。そこで次なる情報源として注目したのが、多村ユカリと一緒に行動していたという「雨瀬(うのせ)アオイ」という女性だった。 多村ユカリと途中で合流したという彼女は、一緒に行動していた事から、ほぼ一部始終を知っているのだという。敵遭遇から戦闘、勝利までの流れを知っている唯一の存在。その目撃証言が貴重だと理解している彼女は、自分が代わりに報告すると持ちかけてきた。一般人である彼女への事情聴取をどう持ちかけようかと悩んでいたところへの渡りに船であった。 ナツメは珍しく顎に指で触れて思い出すように呟く…。 「雨瀬…アオイ、か。…確か第74期ムラクモ採用試験で候補に挙がった子よね? 一度話した事があるわ。珍しく臥藤が注目していた候補だったから覚えてるのよ。クラスは…トリックスターだったかしら?」 「さすがナツメさん、よくご存知ですね。当時の資料を確認したところ、彼女自身の実力は評価されていたんですが、試験日当日は欠席。指定時間までに現れなかったために失格という記録が残っています。」 ナツメは後ろ手で桐野から渡された書類に目をやると、ざっと読み流してから桐野へと戻す。それはムラクモ仕様の履歴書のようなもので、経歴に加えて戦闘技術や危機感知能力などの仔細が書き込まれている。 だが、この崩壊した世界で、そんな表面的な経歴など大した役には立たない。いま現在も生き残れている事実だけが運と実力を兼ね備えた者の証明である。だから参考程度に読んでおけばいい。 そうしている間に、二人は会議室へと到着する。 午前09:03─── 大会議室 「あ、こんにち…じゃなかった、おはようございます! 雨瀬アオイです!」 室内の椅子に座っていた女性はこちらの姿を認めると、いそいそと立ち上がって声を上げ、勢いよく90度に頭を下げた。年齢は二十歳くらい。桃色の髪を右側で纏め、ラフで動き易い格好をしている風もあり実に快活そうな印象を受ける。 そんな彼女を目にして、ナツメは先ほどの履歴と記憶の片隅に埋もれている雨瀬像を確認する。…とはいえ、面識そのものはゼロに等しい。彼女がどれだけ有能な人間であっても、たった一度の会話をしただけの相手の中身までを推察できるわけもない。ただ、雨瀬という女性の人となり、イメージは固まってきていた。 ナツメはセオリー通りに、着席を伝えて自分もその近くに腰を下ろす。桐野はその後ろに立ったままで、聴取のフォローに徹するようだ。早速ナツメが切り出す。 「まずは協力ありがとう。こちらも迅速な情報収集が必須だったから、貴方の申し出はとても助かるわ。」 「いえ、私の知っている事でお役に立てるなら、と思っただけですから。」 雨瀬アオイは溌剌(はつらつ)とした声で答えた。帝竜との激戦を経ているというのに、その表情には翳(かげ)りは微塵もなく、懸念されていた精神的ダメージは見られない。体調もすこぶる良いようだ。 「…それにしても分らないものね。すでにムラクモとは縁がないはずの貴方と、こうして話し合いの場を持つ事になるなんて。」 「そうですね。ここまで生き残れた奇跡には驚かされます。」 雨瀬アオイは少々緊張した面持ちながらも、萎縮する事無く会話ができている。物怖じしない性質なのだろう。いまのやりとりでそれを確認したナツメは、前置きはこれ以上不要と判断し、本題に入る事にした。 「さて、早速だけど本題に入らせてもらうわ。昨日の、貴方が多村ユカリさんと合流するまでの経緯を簡略的でいいから話して貰えるかしら?」 「は、はい。…私がドラゴン襲撃の際に避難したのは、渋谷駅の付設シェルターでした。たまたま駅で襲撃を知った私は、近くにいた人達とシェルターに隠れたんです。残念ながら…、その時点で収容できたのは百四十二名でしたが」 「シェルターに居たのは約三ヶ月間。少数ながら諍(いさか)いもなく避難生活を送れていたんですけど、備蓄の食料が底を付いてしまった為、危険と知りながら外に出るしかなかったんです。私ともう一人の女性は、くじ引きで二十六番手に出る事になりまして。…外に出てからは、ちょうど一週間が経過していました。」 「なるほど。やはり雨瀬さんは渋谷シェルターの方だったのね。渋谷の繁華街で救助された方が何名かいるから、時期から推測してそうだとは思っていたけど…」 そこでようやく桐野が口を挟む。 「救助に行けなくてすまなかった。渋谷駅のシェルターに要救助者がいた事はこちらにも予測が付いていたんだけど、帝竜の徘徊を始め、こちらの戦力不足も相俟(あいま)って、救助に向かえなかったんだ。地上の対応で手一杯だった…、いや、これは言い訳だね。すまない…。」 実質的には、完全に救助にいけない状態ではなかった。戦力不足も理由の一つではあったのだが、どちらかというとナツメが渋谷を根城に活動する不良グループ・SKYらを警戒していたからに他ならない。 ムラクモ最大戦力である臥藤が戦線を離れている今、彼らを刺激し、いたずらにSKYと戦闘を繰り広げて、戦力を消耗するのは避けたかった。それ以上にドラゴンから身を守る事を最優先としたのだ。 だから今後の偵察も兼ねて、自由に動かせる唯一の手駒であった多村ユカリを渋谷に向かわせた。ヘタに大人数で動くよりも、少数での視察の方が動き易いと思ったからだ。もちろん、ナツメにはそれ以上の目論見があったのは言うまでもない。 それがまさか、帝竜スリーピーホロウ討伐という大金星になるとは予想だにしなかったわけだが…。 桐野はそういう事情を頭に思い浮かべて苦虫を潰したような顔になる。 本来なら、人命が脅かされている状況なのだから、状況と場所を問わず優先して救助に向かいたかった。 だが、ナツメの決定は絶対のものだ。 ムラクモにおいて、その最大意思決定権は総長たる彼女が持っているのだから。 彼女にどんな思惑があろうとも、組織というものは長(おさ)の命令を守らなければ、その仕組みは瓦解する。 そしてナツメという人物はそれと同時に、最高の頭脳と知性、そして決断力を兼ね備えている。 例え彼女の思惑がムラクモの私物化に値したとしても、そんな些細な問題など遥かに上回る知略が彼女により生み出され、人々を生存に導いている以上、桐野が口を挟む事はできない。自分がそれを批判したところで、では、自分がいま以上の理想的状況を実現できるかといえば確実にNOだ。長年付添ってきたからこそ分る。ナツメという人物の凄まじさが。 そんな思考を巡らせていた桐野の耳に、不意に雨瀬の声が届いて、意識は現実に引き戻される。 「…あの、お聞きしたいのですが…、」 「渋谷シェルターの……、………いえ、やっぱりいいです。」 問いかけて、急にそれを打ち切る雨瀬。目を伏せ、頭を振ってその問いを打ち消す。 桐野は雰囲気でそれを察した。 ああ、そうか。…もちろん気になるだろう。 きっと彼女は自分が出た後の渋谷シェルターの人々がどうなったかを聞きたかったに違いない。しかし、聞いたところで何になるのか? 何人が死んで何人が助かったと耳にして、それでどうなる? 確かに生き延びた者もいるだろう。だが、いま現在の都庁にいない者は死んだ。それが全てなのだ。 そんな事は明白なのだから聞く必要もない。それに気づいたから問うのをやめたのだろう。 ナツメはそうしたやり取りを聞いていなかった、と言わんばかりに次の質問へと移る。 (聞かなかった振りをするのもある種の礼儀のうち) 「では続けましょう。雨瀬さんがシェルターから出て一週間後に偶然、多村さんに会った。…その後、SKYという集団と共闘した、という話は聞いているけれど、貴方はどのようにSKYと接触したの?」 手始めにナツメが聞きたいのはこの部分だ。実験用モルモットであった個体のうちで、処分対象でありながら逃亡した数十名の実験体達。いまはSKYと名乗る彼らが、生き残っている者に対して恐喝をしている事実あるのかどうかを問いたい。 渋谷繁華街及び、その近辺で救助された一般人が、SKYを名乗る強盗に遭遇したと証言しているからだ。 今はまだ情報が少なく確証には至らないが、もしそれが確実となれば自衛隊を動かす事ができる。とはいえ、まずはドラゴン討伐が最優先されるこの状況下で、恐喝強盗の容疑だけで彼らを殲滅へと追い込むのはかなり難しい。常識的に考えれば後回しだ。 しかし、実際にその行動が容疑でなく事実で、被害者が増えつつあるというなら話は別だ。要救助者の生命が脅かされている事実さえあれば、ムラクモのみならず、自衛隊の対ドラゴン部隊を借りて一気に壊滅させられる。だからナツメとしては、雨瀬アオイからそういう答えを期待していた。証言を積み上げる為の一言が欲しい。そうする事で、自身が取り逃がした過去の汚点を駆除する口実が得られるからだ。 「SKYは徒党を組んで避難者から食料を強奪しているというわ。貴方も食料を狙われたのではなくて?」 そんなナツメの問いに、アオイは少し悩んだそぶりを見せた後キッパリと言い放つ。 「いえ、そういう事はありませんでした。たまたまサブリーダーとかいう…お二人とお会いまして、話を聞こうとした時にあの帝竜が現れたんです。そのまま成り行きで共闘する事になりました」 「恐喝はされていない、という事ね?」 「はい、特には。すぐに帝竜も現れましたし…、正直それどころではなかったといった感じでした。」 ナツメはその答えに多少の違和感を感じながらも話を続ける事にした。少々残念ではあるが、そこはキッパリ諦める。小事に構っていても意味は無い。極論からすれば最終的に処分さえできればいいのだ。残念ではあるが、今は忘れよう。機会など、これから如何様(いかよう)にもできる。今は好きに遊ばせておけばいい。どうせ何も出来はしないのだから。 それはさておき、帝竜討についての情報はそれ以上の重要案件である。気持ちを切り替えて情報を集めたい。 「では、本題に行きましょう。帝竜スリーピー・ホロウが現れてから、多村さんはどう戦ったの? それに貴方とSKYはどう動いたのかしら?」 「帝竜…は、ビルの高さまでしか舞い上がらない、という習性があったようなので、先輩…、いえ、多村さんは大木を足場として利用しながら跳躍して斬りつけていました。私は彼女のフォロー、SKYの皆さんは帝竜の気を引く役目です。あ、でも私は途中で気を失っちゃったんですけどね」 「そう。…しかし、帝竜スリーピー・ホロウには幻覚を見せる燐粉を散布するという情報があるわ。それが事実なら多村さんだけでなく、その場の全員に影響が出たのではなくて?」 「気絶した私には影響ありませんでしたし、戦闘後に聞いた話によると大きな被害もなかったようです。多村さんは一撃離脱の戦法が良かったんじゃないでしょうか? SKYの皆さんも敵の気を引く事を優先していたため距離を取っていて、直接の交戦は避けていたようです。」 雨瀬の言う作戦であれば、気を引く役目の者は距離を保ちながらでも実行できるから幻覚に苦しむ事は避けられる。そして多村の攻撃であれば燐粉の影響も少ないと推測できる。そういった敵を相手にする戦術としてはベストのものだろう。 多村ユカリは頭部に傷を負ったせいか、性格が激変したという話は耳にしているが…、戦闘能力はむしろ向上しているのかもしれない。帝竜ウォークライを倒したのはマグレはないようだ。臥藤(ガトウ)に次ぐ戦力として申し分ない。良い駒が手に入ったものだ。 「戦闘について、もう少し具体的な説明も頼めるかしら?」 「はい。…私は多村さんの着地などのフォローと足場の確保を受け持ちまして、攻撃自体には加わってません。SKYの方々は…、サブリーダーの女性の方がサイキックによる氷攻撃で目くらまし中心に。体格のいい黒肌の男性が浅く殴りつけて注意を引き続けたのちに後退、という感じでした。他にも何人かメンバーがいましたけど、私達三人の行動に合わせて動いてました。」 「つまり、主軸となって攻撃していたのは多村さん一人で、他の者は注意を引き受ける役をしていた、というわけね」 「そうです。身軽に動いてダメージを与えられるのが彼女しかいませんでしたから」 「その戦闘でSKYのリーダー、…タケハヤはいたかしら? 病気を抱えている様子の青年よ」 「えーと…、いたかもしれませんけど、なにしろ必死でしたから、個人ごとに記憶はしてないですね。そもそもそのタケハヤという方の顔も知りませんし」 「…そうね」 ナツメは様々な事に思考を巡らせながらも、先程と同じ違和感を受けていた。今の質問はアオイからの違和感を探るためにさせたものだ。具体的に話させる事で、会話に穴を見つけようとしたのである。 しかし、雨瀬アオイは自然体で喋っているし、嘘を付いている様子もない。しかしそれが逆に違和感として耳に残る。ありにも淀(よど)みがなさ過ぎるのだ。まるで、そう言おうと決めていたかのように言葉に思考を挟まない。 事前に質問は分っていたのだから、それを想定して内容をまとめていた、という事も考えられるが…。 「ありがとう。参考になったわ。協力に感謝します。」 「はい、お役に立てて光栄です」 ナツメは外向きに使う愛想のよい微笑を雨瀬に向ける。それに答える雨瀬は、ほっと一息ついた様子だ。 「それと雨瀬さん。今はあまりにも人材が乏しく、一人でも多くの力を必要としているわ。貴方がよければ、このままムラクモの一員として復興に力を貸してもらえないかしら? 貴方にはその素質があると思うのよ」 「本当ですか!? はい、よろしくお願いします! 頑張ります!」 「助かるわ。では、さし当たって多村ユカリさんのサポートを頼みたいの。帝竜を二匹も仕留めたムラクモのエースにサポートを付けたいと考えていたところだし、共闘を経て知らない仲でもないのでしょう? もちろんだけど女性には女性の気遣いが必要だし。…お願いできるかしら?」 雨瀬アオイは再び快諾。上機嫌で退出していった。 …退出後、桐野と二人きりになったナツメが、しばらく思案してから彼の方を振り向かずに問う。 「雨瀬アオイ…ね。桐野はどう感じた?」 「はい。実に聡明だと思います。いまの会話のみの印象ではありますが、状況把握能力は申し分ないし、適応能力も高い。もちろん初対面で多村君やSKYとの協調、共同戦線を張れるあたりも優秀ではないかと。正直、喉から手が出る程ほしい人材です。昨年のムラクモ試験で彼女の採用を逃していたのが良かったのか悪かったのか…」 「そうね…」 優秀という点にはナツメも同意したい。微妙な違和感はさておき、彼女は帝竜という恐怖を身近に感じながらも前に出て戦う勇気があり、また状況を把握する事ができる。それは簡単なようで非常に難しい事だ。誰にでも出来る事ではない。 もちろんいまの証言のどこかが嘘である可能性はあるが、そんな安易な嘘を付く意味がそもそも存在しない。 倒した本人である多村ユカリに聞けばすぐに証明できてしまうような事実を、あれだけの器量を持った娘が安直に捻じ曲げたりするだろうか? かといって、それを責め立て問いただすのは逆に事実を覆い隠すだけの愚かな行為であるし、信用問題にも関わる。有用な駒なら上手く飼いならさなければならない。彼女には、こちらへの悪意はないように思われるが、何かに蓋(ふた)をしている可能性は捨てきれない。 結局、言及しようにも材料が足らなすぎる。 ナツメにはそれら違和感を拭い去るだけの理由さえ見つからないのだ。 一方で、雨瀬アオイはそれなりに考えて経緯を話していた。別に嘘をついたつもりはない。 自分がドラゴンと戦って多村ユカリのフォローをしたのは事実だし、彼女が木から木へ、壁から壁へと空中移動しながら攻撃していたのも事実だ。自分達はあの大型のドラゴンに協力して立ち向かった。 ただ、あの時点でのアオイには、 ”戦っていた敵が帝竜かどうかなど判断できる材料がなかった”…わけだ。 何も情報がない状態で、巨大な竜が襲ってきたら、それを帝竜だと思ってしまっても無理はない。ほとんど見たこともない、見分けなど付くはずもないドラゴンなどという生物が、帝竜か普通の竜かなど判断できるわけない。 分らなかったとしても仕方がない事。 だから、その認識が間違えていても、それは故意にではない。 それにSKYとも共闘はした。先輩が。 自分は先に気を失っていた。だから、戦闘には加わっていない。説明の順序は違えど間違って答えてはいない。 SKYのメンバーに襲撃された件についても、そういう事があったかもしれないが、その後すぐにSKYのサブリーダーと会って帝竜と戦う事になったのもまた事実である。 しかしながら、アオイ自身がナツメの言う恐喝を受けた覚えはないと思えば、それは恐喝ではない。だから恐喝を受けていないと報告しても間違いない。 また、報告しなかった件として、SKYと多村ユカリが戦ったという事実もあったかもしれないが、たまたま話すのを忘れていただけで、故意に話さなかったわけではない。 アオイは説明に嘘を付いていない。話すのを忘れていてただけだ。 そして都合よく思い出した後には報告は終わっていたのだから仕方がない。 そしてそれが故意に話さなかったのか、忘れていたかなどは、結局、本人以外に判断できるはずがないのだ。 もちろん自分がムラクモの一員ならば、そういった事は話さなければならない事柄だろう。 しかし、それを説明していた時点では、アオイはムラクモ所属ではない。 ムラクモに加わったのは会話の後である。 加わる前はただの一般人であり協力者。罪を問われる理由もない。 日暈ナツメの読み取った微妙な違和感は、こういったカラクリがその正体ではあるが、さすがのナツメでもそれらを読み取って追求できるほど超人でもないし、確証もない事では責める事も出来ない。当事者達がそれを明かさない限り、事実は闇の中なのだから。 …もちろん、アオイには悪意があったわけではないし、ナツメに対して敵意などこれっぽっちもない。ムラクモには当然ながら協力したいと思っている。 ただ、 無意味な処罰や争いを報告してプラスになるとは思えないから、波風を立てないようにしただけなのだ。 彼女には、わざわざSKYと敵対して良い事があるとは思えなかった。ユカリの暴走も話して得になるとも思えなかった。だから割愛した。それだけの話なのである。 丸く収まって困る者など誰もいない。それがベストだと判断したのである。 これが賢しい、と言われればそうかもしれないが、きっと大した問題ではないと彼女は思ったのだ。 午前09:48─── 大会議室 雨瀬アオイが退出し、その後に現場へ赴いた自衛隊のメンバーらの報告書を確認する。面倒なもので、個人個別の聞き取りというのは、ムラクモとは別組織である彼らには強制が出来ない。だから書面による確認しかできなかった。もちろんナツメ自身もユカリにSKY掃討を指示した事を自衛隊に話す気は無いのだからお互い様だろう。 そして、最初にアオイと共にいた一般女性にも話を聞き終えた。特に何の情報も得られなかったが、まあそんなもだのろう。これで、こちらで揃えられる関係者は、多村ユカリ以外は全員聞き取りを終えたという事になる。 「…これで全員ね。あまり有益な情報はなかったか。しかしSKYが帝竜討伐に協力的だというのは全員の一致した印象のようね。自衛隊も彼らは協力的だったと言っているし。」 ナツメは現状結果を口にしながら、情報を整理集約しているようだった。それに対して桐野は言葉を添える。 「SKYのメンバーが渋谷を拠点にしている以上、彼らが渋谷の脅威を取り除くのは当然なんでしょう。その目的が多村君達と重なったと見るべきでしょうね」 「逆に言えば、彼らは渋谷を重要視しているのだから、渋谷にさえ手を出さなければ問題は起きないと思います。」 だが、その発言はナツメの気分を害しただけだった。 彼女は機嫌を損ねたとは思えぬ妖艶な笑みを浮かべて、楽しそうに桐野へと語りかける。 「フフ…、面白い事を言うのね…桐野。貴方はそんな口上を立て並べてまでSKYを庇いたい、と。私の顔に泥を塗るのが楽しいというのね?」 「い、いえ! そんな事は…」 ナツメはククッと喉を鳴らして、妖しい笑みを薄く浮かべながら言葉を続ける。 「私が知らないとでも思っているの? SKYの子達が逃げられた理由。その一切を把握してないとでも?」 「…………」 身寄りのない、もしくは行方不明になっても構わないなどの多々理由を持つ少年少女達を引き受け、ナツメの個人研究”人体改造による強化手段の模索”に利用し、使い潰していたモルモット達…。 SKYとは、そうした過酷な実験の過程で生き残った彼らが逃げ延び、結成された共同体である。 ナツメと共に研究を続けながらも、人道を踏み外し切れなかった桐野は彼らに情を向け、逃走の手助けをした。 彼は今でも、あの時の事を鮮明に覚えている。 自分はうまく手引きできたと思っていたのだが、彼女には全て把握さえていたのだと思い知らされる。 「今までどれだけの個体を屠殺(とさつ)してきたと思ってるの? 貴方自身が散々生命を嬲(なぶ)っておいて、今更自分には出来ませんが通ると勘違いだなんて…。一握りの実験体を逃がして自己満悦に浸っているそれは、貴方自身が吐き気を催す偽善だと理解はしているのでしょう?」 「私の顔に泥を塗る…は表現的に間違っているわね。泥ではないわ。血に濡れているのだから。」 「でもそれは貴方も同じ。とっくに血に染まって鮮やかな赤に染め上げられているのよ。それが分らない貴方じゃないと思ったからこそ、私のところに残っているのだと思ったのだけれど?」 桐野は思い悩む。 ナツメさんを尊敬はしている。彼女の才能の全てを敬っている。 そして彼女の研究は必ずしも悪意に満ちたものでない事も理解している。 その研究は人の未来へ続くものだ。人類が長く繁栄し、健やかに生きていくための素晴らしい研究であると思う。それにより消費された命は、必ずより以上、より多くの人命を救うと約束されている。 だから研究者として禁忌を犯してまで彼女に付き従い、共に歩んできたのだ。 自分でも研究のためと人道から外れた事をやっていたという自覚はある。それを覚悟して取り組んできた。しかし、SKYの子らを見ていた自分は、心の片隅で基本的な事を、当たり前の事を思い出してしまった。人が本来尊重しなければならない生命への慈恵(じけい)を心に浮かべてしまった。 研究者としての自分と、人間としての自分が葛藤し───、 気がついたら彼らを逃がしていた…。 「いい? 桐野。…あの子達は長くない。強い力を持っている事でその寿命を加速度的に消費している。特にタケハヤは飛びぬけて強い力を持った反面、いまでさえもう身体はボロボロのはずよ? 薬の投与もなしに苦しむだけの開放に何の意味があるというの?」 「………僕は…」 彼女の言葉に戸惑う。研究そのものに後悔しているわけではない。 しかし自分の心は、SKYの子らを逃がした事を間違いだと否定する事ができない。 例えそれが自己満悦の類(たぐい)なのだとしても、それで彼らが取り戻せた笑顔がある事も事実なのだ。研究者という自分を肯定しながら、人間としての自分を捨てきれない。彼女のように割り切れない。 「どちらにせよ、渋谷の帝竜が討伐された今、彼らにもう防波堤さえの価値もないの。あとは苦しみながら惨めに死んでいくだけの道しか残されてない。…だったら、私達が直接手を下す。なんなら慈悲の心で薬による安楽死にはしてあげてもいいわ。痛みを知らずに処分される方が幾分かは救いがあると思わない?」 僕の…、桐野礼文の脳裏に響くナツメさんの声。明確に偏(かたよ)る事のできない僕の心は、その正論に揺り動かされていた。更ながら悩んでしまっていた。 責任も取れずに逃がしただけで、結局それは自分の為でしかない最大限の現実逃避だ。事実から目を反らしただけの事。そんな事は分かっているのだけれど…。 しかしながらこの時、ナツメさんの瞳が今まさに輝いている事も僕は承知している。 彼女は事実を突き付ける事で僕を弄(もてあそ)んでいるのだろう。そうやって僕を試しているし、遊んでも居る。 きっと彼女はここで僕の答えを望んではいない。こうやって狼狽している様を見たいだけなのだ。僕を覗き込むようにして、見つめる彼女の目が笑っている。それを見て、僕はまた鼓動が跳ね上がった。 …本当に、悪い女(ひと)だ。 ありとあらゆる角度から僕の思考を奪い尽くす。心さえも奪ってしまう。 そしてそれに翻弄(ほんろう)されるだけの僕は、本当に、本当に、…最低の男だ。 「邪魔するわよーーーん!」 そんな時、会議室の大扉がノックもなしに豪快な音を立てて威勢よく開かれた。突然の事に、僕もナツメさんもそのままで固まってしまった。そして僕達はゆっくりと顔を扉へと向ける。 そこに立っていたのは、やけに長身の女性。ナツメさん以上のプロポーションを持った、整った容姿の女性だった。しかも薄手のジャケットの下はビキニトップのみ。下はジーンズという、一見すると露出狂かと思うほどのファッションである。 しかし、美しい女性だと思った。蒼に染め上げられた長い髪とアクアマリンに輝く瞳。露出された乳房は誇るほど豊かではあるし、彼女はそれを自身の魅力として周知し誇らしげに扱っている。この女性の露出には嫌味がない。それは確かだろう。 女性はモデルのごとく気取った歩き方でこちらへと歩み寄る。その表情には自信に満ち溢れていた。 「都庁では見かけない方ね。新しい避難民とは思えないのだけれど?」 虚を突かれたナツメさんが絞り出したのはそれだった。確かに避難民には見えない。しかし、女性はそれ以上の何かを持っている雰囲気を醸(かも)し出している。彼女がそれを隠そうともしないのだから、何らかの意図があってこの場に現れたのだろうという推測はついた。 そしてそれを体現するかのように、女性は演説でもするかのように両手を広げて雄々しく語りだす。 「アチキの名前は牧シンイチロウ! 歌舞伎町きっての魅惑のダンサー。今は転職してSKYの一員でもあるわ。」 その言葉でナツメさんの目がつり上がる。彼女が嫌悪の対象としている名が飛び出たからだ。しかし、長身の女性はそれを気にする事もなく…。 え? いまこの人、なんて名乗った? シンイチ…ロウ?? いや、そんなはずは…。 僕はその事実を確認するためにその重要な部分を繰返した。 「あの…、失礼ですが今、名前を聞きそびれてしまいまして…、もう一度教えていただけますか?」 明らかに余裕たっぷりな風の女性は、やけに色気を振り撒きつつ、体をくねらせながら答えた。 「あらぁ〜ん、アチキが気になるの? ボクちゃん。」 「い、いえ、そうでは…」 女性は僕に近づくと、その…、大きな乳房を僕へと向けて挑発する。こういうのは…いや、困るなぁ。 「いいのよん! 美女が気になるのは男の性(さが)だものね。この魅惑の巨乳と腰使いがタマラナイのねぇん!」 「え…、あの…、はぁ?」 腰を振りながら踊る、妙にテンションが高いその女性は、都合のいい解釈をしているかのように話を進めていく。それに口を挟んだのはナツメさんだ。僕と女性との間に割り込むように切り込んでくる。 「あら、渋谷の盗賊団の方ですの? 卑しさが体に滲み出てらしたから納得ですわね。それでその下品な方が何の御用かしら?」 なんと珍しい…。あのナツメさんは相当腹を立てているらしい。初対面の相手に、こんなにも無礼な態度を取るなんて初めて見たのかもしれない。こんな事もあるんだな。 確かに女性は失礼な入り方ではあったし、急に入ってきて話を遮ったりもしたけれど、そこまで気に食わなかったというんだろうか? …ああ、SKYの名が出たからか。それなら分かるけど、それにしても度が過ぎている。 「もう一度自己紹介よ。アチキの名は牧シンイチロウ。今日SKYに入った新人だけど、いい取引を持って来たわ。あんたが日暈ナツメよね?」 シンイチロウ!? やはり聞き間違いじゃないのか? 商売用の源氏名でないのなら、つまるところこの人は…。 「あらぁ、ボクちゃんってば、こんなに綺麗な同性を見てドキドキしちゃったの? アチキはもちろんオ・ト・コの子。愛してくれちゃったりするのかしら? 嗚呼、アチキってば罪なオカマ。」 あからさまに気分を害したと言わんばかりのナツメさんが、彼女…ではなく、彼の発言を遮って言う。 「元踊り子さんは芸も達者でいらっしゃるのね。悪いけれど、気色悪い漫談は結構なの。…それで? わざわざ会議を中断させたのだから、それなりの要件があるのでしょう?」 「ご挨拶ねぇ。アチキの美が羨ましいなら、素直にそう言えばいいのよ。プロポーションの良さでその気色悪いと御好評のアチキに負けているお姉様は、自分の男にチョッカイ出されて気に食わないってトコロかしらぁん?」 「…礼を尽くせない相手に飾る言葉はないと言っているのだけれど、そういう一般常識が理解できないのに、いい取引なんて、どの口が言うのかしら?」 僕が女性の…、いや、実は男性というその人の事実を聞いて驚き戸惑っている間に、まるで最初から喧嘩でも始めるかのようにお互いの間の空気が険悪になっていく。まるでナツメさんと彼女との間に、見えない火花が飛び散っているかのようだ。 これはあくまで僕の推測。確証なんて何もないのだけれど、…もしかしてこの二人、心底ウマが合わない同士なのかもしれない。いくらなんでも初対面同士でこれはない。双方とも売る気、買う気が満々だ。 しかし、笑顔で睨み合う彼女達だったが、牧シンイチロウの提案で風向きが変わる。 「アチキは喧嘩を売りにきたんじゃないわ。さっきも言った通り、取引よん。」 牧はナツメさんからの視線をするりとかわして、砕けた態度で話を進めた。 「昨日、渋谷で帝竜とかいうのが倒されたそうね。でも、竜を倒した時に採取できる稀少素材Dzは手に入らなかった。そうよね? ムラクモの日暈ナツメさん?」 「…よく知っているわね。それもSKYから仕入れた情報かしら?」 彼はそれを聞くと、ニンマリと微笑んでから大股で扉の外に戻る。そして物陰から登山用の大きなリュックを引っ張り出して来た。中の品が擦れ合っているのか、じゃらじゃらと音を立てている。 「アチキはね、帝竜討伐では手に入らなかったDzを、それ以外の竜を全て狩り尽くして手に入れて来たわ。アチキの十八番、電撃のサイキック能力を使ってね!」 それと共に彼は大型リュックを地面へと置いた。ファスナーの口からこぼれて落ちてきたのは、ゴルフボール大の美しい結晶。稀少素材のDzだった。しかもそれは大型のリュックに入りきらないほどの量。当然ながら、僕もナツメさんも目を剥いた。 竜の魂が結晶化したとも言われるDzとは稀少素材として最上級のものである。それは単純な熱量として使えるだけでなく、加工次第で強力な武器となり、防具となり、強固な建築資材ともなる。もちろん、僕達がいま取組んでいる研究にも絶大の貢献度を及ぼす品なのだ。一つ一つはゴルフボール程度の大きさだというのに、他の素材、たとえば金属に少量を混ぜ合わせるだけでも対竜兵器として十二分の威力を持つ武器を生み出す事も出来てしまう。 現金に換算するのはナンセンスかもしれないけれど、敢えて価値を現金として問うならば、たった一つで三億円くらいになるだろうか。それだけ利用価値があるという事だ。 …牧シンイチロウはそれを大型リュックに入りきらないほど、おおよそ五十個以上は手に入れて来たのだ。 驚かないはずがない。 「提案っていうのは簡単な話よん。SKYは戦力こそ揃い踏みしてるけど、薬や物資が足りてないわ。圧倒的にね。だから、アチキがアルバイトしようと思ってね。」 腰に手を当てて悪戯顔で取引を持ちかける牧シンイチロウ。僕にも彼の言わんとしている事が読めて来た。 「アチキは十分な戦力を持っている。単体で竜を狩り尽くせる破壊力がある。それをムラクモで生かしてあげるわ。その代わりにお給料として物資をいただく。…正直、安い取引だと思うわ。」 これだけのDzを手に入れられる戦闘能力を持つ人間を味方につけられる。その代償がSKYへの物資供給。いかに物資が心もとない現状だとしても、安い取引には違いない。それだけDzは稀少価値が高いのだ。 しかし、ナツメさんも僕も引っ掛かっているのは一つの疑問だ。 僕に先んじてナツメさんがそれを口にする。 「確かに安い取引ね。しかし、SKYの新入りを名乗る貴女が、どうしてそこまで彼らに肩入れをするの? 理由を教えていただきたいわ。」 「クキキキ…、そんなの決まっているじゃなーい。」 牧シンイチロウは両手で顔を抑えつつ、ナツメさんとはまた違った危険な妖艶さでうっとりしながら答えた。 「タケハヤに惚れたからよ。それ以上、理由がいるの?」 呆気に取られた。僕も、ナツメさんも。 確かに簡潔な答えで分かりやすいが、それだけの事なのか? 本当にそれだけでタケハヤの元を離れて出稼ぎに来たというのか? 彼のためになるなら、彼の元を離れてでも尽くすというのか? しかし、彼の目は真剣そのものだった。それまでのふざけた態度を崩してはいないものの、それでも、その瞳だけはギラギラとした熱量と共に真正面から僕達を見据えている。 しばしの沈黙が流れる中で、ナツメさんが再び声を出す。 「質問をいいかしら?」 「どうぞ、なんでも聞いて頂戴。」 「もし、私がその提案を断ったら、貴女はどうするの?」 「あらぁ〜ん! そんなの決まってるじゃなぁ〜い!!」 その発言と共に、一瞬で空気が変わる。 牧シンイチロウの瞳に正気の光が消え去り、空虚な笑顔が浮かび上がった。 そしてその一言を、簡潔に述べる。 「お 前 ら 全 員 ブ チ 殺 し て、 あ り っ た け の 物 資 を 奪 い 取 る 。」 その言葉に息を呑む。彼は…本気だ。 激しい狂気と愛情が渦巻く深くどす黒い瞳には、有無を言わさぬ圧倒的な力が宿っている。 彼はそう、対等の立場で会話等していない。 下手に出てやっている。 交渉したのはタケハヤのためであって、最初からこちらをせん滅したって構わない。そんな意志が読み取れた。そして、彼はそれをするだけの力を持っている。嘘でもハッタリでもない。今感じているプレッシャーがそれを証明していた。 躊躇(ためら)いなど微塵もないのだろう。本当に彼一人でこの都庁を完膚なきまでに破壊し尽くせる。脅威というのならば、まさに帝竜クラスではないだろうか? なんせたった一人で渋谷中の竜を狩り尽くせる実力者なのだから。 しかし、しかしだ。 「…だけど、取引に応じて用心棒を依頼すれば、貴女のその戦力が我々のプラスになってくれる、と。」 「ボクちゃんったら、分かってるわね。そーいう事よん!」 「その、ボクちゃんはやめてください…。」 「もぉう、嬉しいくせに〜。」 あとはナツメさんの一言で決まる。いかにSKYが嫌悪の対象だろうとも、これだけの好条件を蹴るわけがない。もちろん、彼女の答えはOK。加えてSKYへの敵対行動も解除しようと持ちかけた。 「牧さん、味方になっていただけるなら、その働きに応じた報酬をお支払いするわ。それで良くて?」 「ええ、モチのロンよ。じゃあ、取引成立ね。クキキキキキキ…。」 お互いが手を差しだし、握手を交わす。交渉は穏やかに成立した。 この時のナツメさんが何を思って笑顔の握手をしたのか、また、同時に牧シンイチロウが何を考え笑顔の握手をしたのか、それについて僕はあまりに恐ろしくて想像は出来ない。女性の罵り合いというのは、笑顔で刃物を持ち合う事も珍しくないと聞く。いや、偏見は良くないのだろうけど。 僕はただ、この不穏な取引が、人類にとって穏便であってくれるように願うばかりだった。
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