ティータ と アガット

F 一筋の涙は紅い炎を焦がし
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「アガットさん! もういいです! 逃げてください! アガットさん!!」
 ティータの必死の声。一心不乱に戦う彼には聞こえていないか、戦いはどこまでも、果てしなく続いている。見守るしかできない自分が歯がゆく、彼がナイフで傷つけられるその姿を見るたびに、ティータの心もまた傷ついていく気がした。
 しかしそのティータにも危険は迫っている。
 彼女の方には、恰幅かっぷくのいい男がのっそりとした歩調で向かってきていた。目に輝きはなく焦点を失い、荒い呼吸を繰り返し、顔や腕などに血管が浮き出た異様な風体ふうていの男。ボナパルドに命令された通りにゆっくりと、ティータを殺すために向かってきていた。

「は、早く…逃げないと……」
 縛られてはいるものの、なんとか動く事ができるティータは足を動かし、無人となっている入口へと走ろうと力を込める。
「──痛っ!」
 力を込めた瞬間、覚えの無い強い痛みが走った。
 …右足首。それも、全体がかなり痛い。
 どうやら捻挫ねんざをしていたらしい。昨日からここで座らされていたので気が付かなかった。きっと草原で捕まった時にひねったのだろう。最初は大したことのない痛みだったし、なによりそんな事を気にしていられる状況でもなかった。だから、ここまでれ上がるまで気がつかなかったのだ。

 力をいれて立ち上がろうとすると、また鋭い痛みが走る。
 しかし危険は待ってはくれず、容赦なく近づいてくる。のっそりと迫る男はさらに距離を縮めていた。ゆっくりと両手を振り上げ、生けるしかばねのように足を引きずってくる。走れていれば十分に逃げられるような遅さだったが、この足では逃げ切る事も難しいかもしれない。

 ……ティータはあの後、捕まって、敵のアジトに押し込められたその夜に、自分なりに考えた事があった。

 前におじいちゃんが捕まったあの時、初めてアガットさんとやってきたこの紅蓮の塔。
 屋上に出た私達はおじいちゃんが連れ去られる場面に遭遇した。私はどうしていいかわからず、とにかく助けようと導力砲を撃ってしまった。そして救出は失敗……。

 自分が迂闊うかつな事をしないでいれば、全てうまくいって、おじいちゃんは無事に救出できていたんだと思う。あの時はおじいちゃんが居なくなってしまう事で頭がいっぱいで、自分をおさえていられなかった。
 小さい頃からずっと一緒で、お父さんとお母さんがいない私を育ててくれたおじいちゃんが居なくなってしまう。私は一人になってしまうと思い、どうしても我慢していられなかった。私が頑張れば、きっとおじいちゃんは帰ってきてくれると信じていた。

 …でも、そうじゃなかった。
 誰が見ても、悪いのは私だった。
 私だけが何もわかっていなくて、私だけが迷惑をかけていた……。

 アガットさんやエステルおねえちゃん、ヨシュアおにいちゃん、そして街の人達も皆、私の事を考えてくれて、みんな笑顔で助けてくれるのに、私はいつも勝手をして助けてもらうばかり。昨日の朝だって、アガットさんに勝手を言ったのは私だし、今だって人質になって困らせている。
 私は役立たずで、迷惑しかかけられない。

 少しくらいさびしくても、悲しくても、我慢しなきゃだめだと思う。
 みんなの役に立つために、もっと努力どりょくしなくちゃいけないと思う。
 そうしなくちゃ、いつまでもお荷物で、守られているばかりの子になってしまうし、なにより、アガットさんにきらわれてしまう。それはとてもつらい事だから。

 ───目の前に男が迫ってくる。
 せめて、アガットさんが安心して戦えるように自分の身は自分で守らないと…。

 ティータは胴を縛られている。動くのは足だけだったが、その足も捻挫で思うように動けない。どう考えても助かる見込みはないと思う。状況からみれば絶望的なものだった。しかし、ティータはそれでも頑張ろうとしていた。今ここで諦めてしまう事はできないと思った。

 ゆっくりでも立ち上がり、痛む足を無理矢理に動かして男から逃げる。このままなんとか自分が逃れられれば、後はきっとアガットさんが悪い人をなんとかしてくれる。アガットさんはもっともっと、ずっと強いから、あんな怖い人なんかには負けないはずだ。
 足が痛むけど、とてもとても痛くて泣きそうだけど、こんな事で弱音を吐いたら、またアガットさんに迷惑がかかってしまう。もう少し、あと少し努力しよう。逃げ切れなくてもいい。このおじさんを引き離せば、アガットさんが安心して戦える。そしてツァイスの街のみんなを助けに行ってくれる。
 私は殺されてしまっても、アガットさんが無事で、街のみんなも無事ならそれでもいいと思う。
 ……だから、
 今は頑張ろう。せめて、今だけでも役に立ちたいから。

 ティータは激痛に涙をにじませながらも足を動かした。一歩、また一歩と短い距離を移動する。
 それが自分に出来ること。それしか出来ないのだから、やらなくちゃいけない。

 また足を引っ張って、アガットさんに嫌われてしまったら……。
 私はもう、どうしたらいいかわからない……。だから、諦めたくなかった。



 アガットはボナパルドとの戦闘に手を焼いていた。敵を倒すつもりで攻撃しろ、と頭ではわかっているのだが、本心ではティータの姿を探し、追ってしまっている。
 その小さな姿はボナパルドの向こう側、奴の背中の向こうに見て取れる。ティータがつらそうに歩いているのが見えた。どうやら足を捻挫しているらしく、かなりの無茶をして歩いているようだ。
 足を引きずり、それでも前へと歩く。必死でここを離れようとしている。しかし、操られた悪徳商人がその後をじりじりと追っていく。
 ティータの歩みはあまりにも遅く、捕まるのは時間の問題だった。
 このままではティータが殺されてしまう。それだけが彼の心を支配し、まともな攻撃を出しているのかさえ、怪しいものだった。

 ボナパルドに翻弄ほんろうされている自分が腹立たしい。ティータを助けられない自分がもどかしい。
 アガットは腹の底に溜め込んだ全てを解放するように眼前の敵を怒鳴りつける。
「俺の……、俺の邪魔をするなぁ!」
「どけませんねぇ! これが楽しいんじゃないですかっ」
 戦況は変わらない。一刻も早くティータの元へと行こうとしても、ボナパルドがそれをさせない。そんな事はお見通しだ、とでもいうように進路をふさいでくる。
 どうあっても合流させない気だ。アガットは渾身こんしんの力で剣を振るう。しかし気ばかりがあせり、決定打を与える事ができない。情けない話だが、目の前の敵を出し抜く事ができなかった。

 ティータは歩いた。
 1歩が重く、痛く、そしてつらい。それだけで涙が落ちそうになる。

 アガット達のいる戦場を迂回うかいして、屋上出入口へと向かう。それだけの事が遥か先、果てしなく続くにあるものだと感じる。視界が揺らぎ、意識さえもうつろぐ。
 しかし、ゆっくりと後を追ってきていた悪徳商人は、もうすぐ後ろにまで距離を詰めていた。ティータが腕を広げるよりも短い場所に男の腕が迫りつつあった。このままでは数分しないうちに捕まってしまうだろう。

 その時だった。

「ウ…フグ……、グオオ…アアアアアア!!!」
 追いかけきていた悪徳商人がうめき声を上げた。口から泡を吐き出しながら、苦しそうにのどる…。その場にいる全員が注目し、何が起ったのかと商人に視線をそそいだ。
 悪徳商人の顔は恐怖にいろどられていた。まるで地獄に落された亡者もうじゃが前世での罪をつぐなわされるため、溶岩の池に落されているかのような形相ぎょうそうで苦しみ続ける。しかしそれでも、その足はティータへと向かっていた。苦しみながらも命令を遂行すいこうしようとしているのだ。

「ちぃ! 薬の分量を間違えたか! あの役立たずめが!」
 ボナパルドの舌打ち、アガットはそれを見逃さない! 次の行動はまさに稲妻のような速度であった。
「どけぇぇぇぇーー!!」
 その一瞬、注意を逸らしたボナパルドへ向かって全力で突進する! 全身全霊をかけた突撃! 注意を逸らしていたボナパルドはその攻撃にひるみ、体ごと大きく飛びのいて避けた。
 ───しかしこれは攻撃が目的ではない。
「くっ、しまった!」
 ボナパルドが再度舌打ちするがもう遅い。そのまま疾風のような速度で駆け抜け、その突進力を利用して悪徳商人に強烈な一撃を加える! 苦しみで反応しきれなかった男の腹部に渾身の一撃を与えた。
 もちろん…殺しはしない。刃のついていない重剣の背で殴りつけてやっただけだ。
 いくら強靭な肉体を持っていたとしても、人間である以上、身体の弱点は皆同じ。急所というものは必ず存在する。どんな人間でも同じ場所が弱点なのだ。いくら強化していても、あれだけ遅い動きなら、昏倒こんとうさせることなど造作も無いことだった。

「…オオオ……ウ……ガハァ……」
 苦しみから解放されたように、商人はその体をゆっくりと崩していく。そして、そのまま倒れて動かなくなった。…これでしばらくは起き上がる事もないだろう。

「アガットさん…」
 すでに力を失い、膝から崩れ落ちようとしていたティータを支えてやる。だいぶ無理をしたせいだろう。額に浮かんだ汗が玉を作って流れ落ちていく。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ! ティータ!!」
 アガットはすぐに彼女の体を締め上げていた縄を解いて楽にしてやる。かなり消耗しているらしく、そのまま力を失い倒れるように力を失うティータ。アガットは柔らかい羽毛を包み込むように大切に腕で支えてやる。

「ティータ! 意識はあるな? すまねぇ、俺が───」
「…アガットさん、ごめんなさい。私、わがままばっかりで……迷惑ばかりかけて……」
 まるで夢にうなされているようにティータがつぶやく。熱を出して寝込んだ子供が、意識なく親に、安心できる存在にすがりつくように、ティータもまた、同じようにアガットへと思いを込めてつぶやく。
「アガットさん……ごめんなさい……」
「何言ってんだ、そんな事はどうでもいい! 足は平気か? 他に痛むところはないのか?!」
 しかしティータは、アガットの言葉が聞こえてないかのように、夢の中で苦しむかのように言葉を続けた。
 いつのまにか、彼の服を掴んでいた小さな手には力が込められている。


「私、いい子にしてます。わがままも言いません。もう何もいりません。
 …だから…、だから……嫌わないでください。私を……嫌わないで……」


 とてもか細く、ほおを滑り落ちる一筋の涙。
 ティータの瞳からあふれるその悲しみの証が、彼女を支えた腕へと流れ落ちる。

 …ティータはそのまま静かに目を閉じて、小さな呼吸を繰り返す。どうやら、力尽きて眠ったようだった。



「……ティータ…お前…」
 アガットはその小さな体を支えながらつぶやいた。
 そして、いまやっとわかった事を自身に確認するため、心の中で何度も反芻はんすうする。自分が何をし、何を悩んでいたかを理解した。

 苦しめていた。あんなになるまでティータを苦しめていた。
 危険に巻き込まないため、と決意した言葉が彼女を遠ざけ、逆に負担を与え追い詰めていたのだ。
 囚われて命の危険にさらされてさえ、ティータを締め付けていたのは体をきつく縛る縄ではなかった。あの時言った俺の言葉に縛られていたままだったのだ。

 よく思い出せ。ここまでティータを苦しめた理由を。
 巻き込まないため、ミーシャを忘れないため、とティータを遠ざけたのはなぜだ?
 ティータが心配だからか? ミーシャの思い出が薄らいでいくと思ったからか?

 いや、そうじゃない。本心は違ったはずだ。そんな事は些細ささいな事だったはずだ。
 正直に言え、何をそんなにおびえている?

 もうわかっている。それはつまり、
 自分が傷つきたくないから、悩みたくないからだ。

 ティータが傷ついてしまう事が怖い。ミーシャを忘れてしまう事が怖い。
 それは全部、自分の情けなさから始まった事だったんじゃないのか?




 思い出せ、アガット・クロスナー!
 お前の……俺の誓いは、こうして大切なものを傷つけるためのものだったのか? 10年かけて身につけたものは、守るための力じゃなかったのか?

 なぜ逃げる? なぜ悩む!?
 そんなに大切なものが傷つくのが怖いのか?
 ミーシャのように失くしてしまう事が怖いのか?

 だったら、大切なもの全て守ってやればいい。全て認めてやればいい!
 そうしたからといって、ミーシャが大切である事はけして消えない。消す必要も無い。

 心を強く持て! 自信を持てばいい。
 それが今の俺だ。それを邪魔する奴は、徹底的にブチのめせ!





 アガットは気を失ったティータを抱きかかえ、ホワイトタイガーのいる屋上の隅の方へと移動させる。そして自分のベストを脱いで枕にし、静かに寝かせた。
 事態を見守っていたボナパルドは露骨ろこつに不満そうな顔をしながらも、アガットが戻るまで動かないでいた。
 しかし、再び目の前に立ったアガットを見て、何か満足したような顔になる。

「ホッホホホ……、感動のシーンは終わりですか? しかし──、これはこれで待ってみて成功だったようですね。貴方の今の顔には、これまで以上の闘志を感じます」
「黙れよ、白タイツ。お前のおしゃべりにはもう飽きた」
 強引に話を打ち切るように、重剣を構える。アガットにとって、これ以上、こんな馬鹿と付き合っているひまはなかった。
 自分をからを捨てるため、先へ進むためには、こんな奴にかまっている暇はどこにもないのだ───。










 ツァイスは魔獣の咆哮と、導力砲からの轟音で包まれていた。
 発射された砲弾は光の帯を残して敵へと飛んでいく。数十名を超える大人数での同時砲撃による凄まじい破壊の光は、遥か遠い夜空の流星であるかのようにもみえた。
 迫り来る魔獣はその数十倍という圧倒的な数で攻めているにも関わらず、思うようにバリケードの内側へと近づけないでいる。

 導力砲が着弾すると広範囲へと爆発が起る。集団攻撃による相乗効果で爆発力が上がり、通常よりも多くの敵を巻き込んで、近づいた不運な魔獣達をまとめて吹き飛ばす。
 ───が、それでもまれに、その砲撃を抜けて何匹もの魔獣が砲撃手を喰い殺そうと襲い来る!
「は、は、離れるっス! この! このぉ!」
「ギィィィ!」
 メルツの剣が研究者にとりついた魔獣を叩き落とした。しかしそれだけでは終わらない。その次の敵がまた別の人を襲う。
「こ、今度はそっちっスか!? こいつ! こいつ〜!」
 決死の攻撃がまたも魔獣を叩き伏せた。このトラット平原道側バリケードを守備する者で、マトモに接近戦ができるのは彼しかいない。準遊撃士だろうが見習いだろうが、根性で全てを倒さなければならなかった。
 現在の彼ではサシで戦うのが厳しい相手でも、砲撃によって弱っているおかげか、どうにか対処できている。しかし、それも今だけだ。こちらの被害が増えれば、それだけ砲撃が減る事となる。抜けてくる敵が増えれば、メルツ一人では抑えきれなくなるだろう。

「くっ! くそ…、私とした事が!」
 砲撃をしていた研究者が倒れた。それは工房実験室で温室を研究しているレイという男だ。
「す、すいません! 倒すのが遅くなったッス! レイさん大丈夫っスか?」
「すまない、メルツ君。この私が魔獣ごときに不覚をとるなんて…」
 レイの腰の辺りの白衣が赤く染まっている。今の魔獣にやられたのだろう。額に脂汗あぶらあせを研究者レイは苦しそうにしていた。
「うわ、大変ッス! 血が出てるッス! 早く止血しないといけないっす! 今、ミリアム先生の所に運び……」
 メルツが肩を貸そうとすると、レイはそれをやんわりと拒否した。代わりにポケットに手をつっこみ、”それ”を取り出した。
「何かの役に立つだろうと持ってきたのだ。にがトマトだよ。残念ながらその一つが潰れてしまったようだ。…良かったら栄養補給に食べるかい?」
「…い、いらないッス」
 彼の腰から流れ出たのは研究中のトマトだった。怪我して血が出たわけではなく、単純にトマトが潰れただけだった。……こんな時にトマトを持ってくるなんて人騒がせな人である。
「いや、ちゃんと聞いてくれ。これは新開発の”プチ・にがトマト”で…」
「……結構ッス。うわっ! 魔、魔獣が! こいつめ〜! せりゃぁ!」
 振り向きざまに剣撃を与えて魔獣を迎撃するメルツ。会話しつつも、背後の敵意に反応できていたようだ。
 しかし2匹目! 別方向からの敵には完全に不意を突かれる形となった。鋭い爪は、がら空きとなったメルツの背中を襲う。それは街道で一番危険な敵、装攻ウサギだ!
「───あっ!!」
 ときすでに遅し、もう攻撃を防ぐ手立てはない。メルツは瞬時に、襲ってくるであろう一撃をこらえるように目を閉じた。
「私の新作トマト、そこの魔獣君もどうだねっ!?」
「ギャぴぃ!」
 装攻ウサギが真っ赤な目の周囲をも赤くし、目に入ったソレを落そうと苦しんでいた。レイがプチ・にがトマトを投げつけたのである。
「ふぅ、さすがはツァイス近郊の魔獣。おいしいと大好評のようだ。そこでメルツ君、もう一度聞こう。………食べるかい?」
怪我けが人じゃないなら、とっとと戦うっス!」
 まったく、工房の研究者というのは変人ばかりだ。
 メルツは辟易へきえきしながらも、まだ皆が魔獣達に押される事なく戦っている姿を見て自身も奮起する。このまま全部の魔獣を追い返したら、みんな一緒に腹いっぱいご飯を食べよう!…と心の中で力強く誓った。

 …背後で、先ほどプチ・にがトマトを食らった装攻ウサギが痙攣けいれんしていた。
 どれだけお腹がすいても、あれだけは食べるのをやめようとも心に誓うメルツだった───。



 一方、キリカとラッセル博士も奮闘していた。的確な指示と、その物量を最大限に生かした波状攻撃が魔獣を撃退する。そしてラッセル博士の持つ[トールハンマー]の威力もケタ外れの威力でそれを支え、現状はなんとか持ちこたえている。

「2階グループは左翼へ砲撃! 5階グループは1階の援護に回って!」
 キリカの声は混戦したこの場でも良く通り、戦闘指揮も的確だった。キリカは中央工房の人々を階ごとにグループ分けし、数人単位で行動させていた。
 いくら導力砲に威力があろうとも、統率の取れていない集団は烏合うごうしゅうにすぎない。元々、ただの研究者であり兵士ではない者達だ。キリカの指揮がなければ、たちまち押し切られていただろう。
 今この指揮と、研究者達の必死の攻撃によって、正遊撃士のいないこちら側は意外にも優勢であった。このままならば撃退もできるだろう。
 しかしメルツもかなり疲れてきている。口では元気を装っていても、たった一人で近接戦闘をしているのだから疲れないわけがない。彼がいなければ全滅も早まるであろう事はキリカも承知している。

「このままだと1時間が限度ね…。それまでに…」
 工房船ライプニッツを使って、市民達を脱出させている。それに時間的に間に合うであろう範囲であるルーアン、グランセルにも遊撃士を手配してある。さらに国境警備兵にも連絡した。
 …そして”一番の頼み”さえ到着すれば……。”あれ”が到着するまで、今は耐える事が必要だった。

 しかし、向こうのリッター街道出口では、こちらよりも先にバリケードが突破されたとの情報が届いている。あちらは余計な戦力をけなかったため、ベテラン遊撃士グンドルフの提案で、彼と正遊撃士成り立てのウォンだけでバリケードを守る事を決めた。
 なぜ2人だけかというと、下手に弱い者を連れて行くよりも、ある程度の強さを持った2人だけで対抗することが動きやすいという結論がでたからである。

 グンドルフはかなりの実力者だ。こういった緊急事態にも場慣れしているので易々やすやすと突破される事はないとは思うが、それでも数に押されて苦戦していることは間違いない。
 キリカもこれほどの事態に直面した事は数えるほどである。それまでの事件ではなんとかなったものの、今回もうまく行くとは限らない。顔には一切出すことはないが、心の底では気力と不安が戦っていた。

「3匹が抜けた! そっちへ行ったぞ!」
 ラッセル博士の声がキリカへと届く。だが、接近戦闘の要であるメルツは他の相手で手一杯だ。やはり徐々に砲撃を抜けてくる敵が増え始めた。せめてもう一人、壁となる近接要員が欲しい!
「っ! ──目の前に!」
 いつの間にか、キリカの目の前に魔獣が現れていた。しかもそれは戦線を抜けた3匹ではなく、あまりに巨大な、激しい火炎をまとった怪鳥だった。
 それは最悪の敵、ツァイス近郊でもっとも被害を出している手配魔獣。大型フレイムベルグである!
 紅蓮の塔に生息する炎の鳥の中でも、その群を抜いて巨大な体を持つフレイムベルグのボス。そいつが激しい炎を全身から噴出しながらキリカの目の前に降り立った。まるで殺された仲間の魔獣のカタキでも見るかのような鋭い視線をキリカへと向ける。
 盲点だった。平原の魔獣だけが攻めてきていたと思い込み、砲撃は前にだけしか向けていなかった。空から飛来する敵という想定をしていなかったのだ。

 無傷の、しかもこれほどの手配魔獣が現れてはメルツでは勝つことができない。勝負にもならないだろう。……それどころか、この1匹のために全滅する恐れさえある。このフレイムベルグという魔獣の本当の恐ろしさは、その全方位攻撃にあるからだ。
 フレイムシャワーと呼ばれる炎の羽を周囲に撒き散らす事で、見える範囲の全てを焼き尽くす攻撃。これが炸裂すれば、自分達は簡単に全滅するだろう。

 だが、ここでやられるわけにはいかない。なんとしても敵は倒さなければならない。
 ……さいわい、自分とフレイムベルグの周囲には人がいない。それならば計算は簡単だ。

「5階グループ! 4階グループはフレイムベルグに集中砲火! 私の事は構わず攻撃を!」
「ば、馬鹿な! キリカさんを巻き込んで撃てるわけが…」
 研究者の誰かが言う。周囲の者も同じ意見だというように、たじろいでいた。しかしキリカは戦場を見極めている。これを倒さねば全滅だという事が理解できるから、自分だけの犠牲で済むならそれは安い代償だと覚悟を決めているのだ。

 遊撃士が迷っても、自分は常に冷静に事態を受け止めて指示を与えなければならない。それがその支部を統括する者の役割である。現場へ向かう遊撃士以上の覚悟を持たなければ、その仕事は勤まらない。

 そういう覚悟ができる者、それがキリカという女性であった。

「ラッセル博士!」
 目だけで合図を送るキリカ。ラッセルはその意図、覚悟を飲み込み、すぐにこちらへと駆けつけてきた。トールハンマーの威力であれば、手配魔獣であろうとも大打撃を与える事ができるだろう。

 ラッセルには、その状況と彼女の目を見た瞬間に、キリカの考え、そして決定が的確だという事がわかっていた。戦況からみて、このフレイムベルグはどうしても倒さなければならない敵だという事も承知している。
 だからこそ、何も言う事ができない。ただただ、その覚悟に驚くだけしかできないでいる。

「……わかった。お前さん、すごい奴じゃな。ワシなんかより何倍も…」
 本当に覚悟を決めた人間を目の前にすれば、その瞳から絶対に揺らがない意思というものを感じ取る事が出来る。長い間生きてきた事で、そういう目をした人物を何人か目にしてしまった。
 だから、こちらもそれに答えるべきではある。理屈では…。

「ギャオウウウウウウ!!」
 フレイムベルグが咆哮ほうこうを上げる。これはフレイムシャワーへの予備動作。あと何十秒としないうちに攻撃を行うつもりだ。

ゴウンッ!
 その時、ラッセル博士から何かが発射された。しかしその弾は、導力砲のような大型ではなかった。
 導力銃──。小型で携帯に向いた銃式のものだ。威力は小さいが範囲的な攻撃をする武器ではない。
「アギャギャオウゥゥッ!」
 フレイムベルグがその痛みに悲鳴を上げた。ラッセル博士はニカッと笑い、キリカへと言う。

「キリカよ、お前さん凄い奴じゃがまだまだじゃな。この導力銃には【妨害】のクオーツが仕込まれておる。フレイムシャワーなんぞキャンセルじゃ」
 フレイムベルグが放とうとしていた地獄の火炎ともいう攻撃、発動直前のフレイムシャワーが消えた。武器に付ける事で特殊能力を発揮するオーブメント技術である「クオーツ」。その中で敵の攻撃を妨げる効果がある【妨害】が仕込まれた銃弾が命中した事で、フレイムベルグは不本意ながらもその攻撃を消されてしまったのだ。
 せっかくの攻撃を邪魔される。それは炎の気性を持ち、彼らのボスとして君臨してきたフレイムベルグにとって大きな屈辱だった。
 明確な殺意を含んだ眼光がラッセル博士をにらみつける。自身の攻撃を邪魔したどころか、傷まで負わせた事で、標的を博士へと移した。もう何をしようと、ラッセル博士を殺さない限り怒りを収めることはないだろう。

「こいつはワシが引き付ける! お前さん達は魔獣を進入させんようにな!」
 博士が走り出す。それを炎の羽根を広げたフレイムベルグが怒りの雄たけびを上げて宙空へと身をおどらせる。空から追いかけるつもりだ!

「いけません! 博士! お戻りください──!」
 キリカの叫びが後ろに流れ、ラッセル博士は一人戦場から離れる。時折、上空のフレイムベルグへと発砲し、挑発を続けながら中央工房方面へと向かう! 
「はぁ…ひぃ……、やれやれ…この歳で全力疾走なんぞするとは思わなかったわい」
 ひとまず戦場から敵を引き離す事には成功したが、なんとか奴を倒さなければならない。それには一つ方法がしかなかった。

 中央工房へと逃げ込んでトールハンマーで撃退する。

 広く、誰もいない工房1階ならば被害を広げる事も無い。それに空がない分、フレイムベルグは飛ぶ事ができない。敵の特性を使わせない事で、こちらに勝機を生み出す。それしかなかった。

「よぉし、いい子じゃ! ついて来い! この焼き鳥めが。その名を轟かすこのラッセル博士が目にモノ見せてくれるわい!」
 まだ街の中間までしか走っていないにもかかわらず、すでに足がガクガクのラッセル博士は、それでも諦めずに工房へと走るのだった。










 荒れ狂う暴風のように重剣を振るうアガット。紅い炎のような髪がさらに激しく燃え上がるかのように揺れ動く。
「ヌグっ! 剣閃けんせんが鋭さを増したようですね。さきほどの打ち込みはやはり遊んでいた、という事でしたか」
「黙れぇ!!」
 猛攻もうこうと呼ぶに相応ふさわしい怒涛どとうの攻め。どれだけの重量があるのか想像もつかないこの重剣を、本当に枝のように振るうその膂力りょりょく。右かと思えば次の瞬間には上から、上かと思えば左右同時に剣戟けんげきが飛んでくる。
 実はボナパルドは口で笑っていても、心の中はおだやかではなかった。アガットに対する最初の印象がガラリと変わり、一切の弱さが無い。まったくすきを見つける事ができなかった。圧倒的な差を見せ付けた速度でさえも、今はアガットが自分の上を行っている。
 さきほどひざ蹴りを決めたときのような攻撃を試みれば、今度は100%首が飛ぶであろう事が容易たやすく予想できた。恐るべき底力である。

 ボナパルドの苦戦の正体は「間合い」にあった。
 戦いにおいて、自身が得意とする間合いに相手を引き込めば優位に戦える事はいうまでもない。槍と剣で戦ったとき、槍で遠くから攻撃すれば剣は届かないので不利、というのと同じ事だ。
 アガットの扱う重剣は間合いが広く、ボナパルドのナイフとはまったく違う距離間での戦闘を要求される。
 ナイフの間合いは超近距離、格闘に近い距離での攻撃だ。それこそがボナパルドの間合いであるのだが、今は大人の身長2人分程もある広い距離での攻防が展開されている。しかも今のアガットは完全に自身の間合いを獲得しており、踏み込むことさえも難しい状況だったのだ。

「俺の大事なモノに手を出すんじゃねぇ! この下衆野郎がぁ!」
 アガットの燃えるような髪が揺らぐと同時に、火竜の爪のごとき破壊の剣が暴風と共にボナパルドを焦がす。その凄まじい攻撃は、余波だけで体が吹き飛ばされそうな威力を持っていた。
「お、おのれ……っ、なんという斬撃かっ!」
 危なかった。もう少しで腹部の肉をごっそり持っていかれるところだった。これがアガット・クロスナーだという事か? ロランス様を楽しませた相手という敵なのか。

 ボナパルドは完全に押されていた。最初のように全力を出してもいなかった相手に、今は逃げる事さえ難しい有様だ。しかし、その顔に焦りはなかった。それどころか、これまで味わった事のないような高揚こうようを感じ始めていたのである。

「あああああァァ………! ロランス様! ロランス様ぁ! これが貴方の認めた戦士の力でしょうか? そうなのですね? そうなのでしょうか? そうだという事になります!!」
 ロランスが認めた真の力に触れる。それはボナパルドにとって紛れも無い「愛」であり、求め続けていた瞬間でもあった。そして目的達成への準備が整った事を意味する。

「今ここでぇ! この愛を成就じょうじゅさせましょう!!」
 恍惚こうこつとした表情になったボナパルドは、猛攻を避けるように大きく距離を取る。
 両腕を交差させ、まるでコウモリが羽根を縮めて体を覆うかのような仕草しぐさ。しかしそこに、莫大ぼうだいなエネルギーをめ込んでいるのを感じる。
「アガット・クロスナー! これが最後の勝負です!」
「なんだ……この異常な力は…!?」
 アガットはこれまでに感じたことのない異様な力に足を止める。ボナパルドから放たれる、まさしく邪気と言えるような力の胎動たいどうが体を震撼しんかんさせる。

「私には2つの奥義があります! 一つは【殲滅せんめつ陣】、周囲の全てを惨殺する奥義です。そしてもう一つこそがこの【鬼炎斬・愛】! かつてロランス様が一度だけ、私の前で披露ひろうされた事があるあの技、それを私なりに進化させたものです!」

「やべぇ…! こいつSブレイクまで使えるのかよ!」
 Sブレイク。個人技の中でも最強威力を誇る技の事を言う。破壊目的の攻撃を主とするものがほとんどで、通常攻撃の何倍もの威力を発揮する一撃必殺技。
 相手との間にレベルの差があったとしても、とてつもなく優勢であったとしても、その一撃だけで戦況をひっくり返す事が可能な秘技。達人と呼ばれる領域の者だけが使いこなせる戦闘手段である。

「さあ、アガット・クロスナー! これが私の愛です。愛は一点集中! 愛は全ての障害を取り除きます!」
 邪気のうずが周囲を包んでいく。その悪意はまるで大気さえも振動しんどうさせているような、凄まじい気迫がビリビリと伝わってくる!
「愛あい愛あい五月蠅うるさい奴だ…。だがよ、一つ言わせてもらうぜ…」



「そんなもん俺の知った事かぁぁ!」
 その腹の底から、心の底からの咆哮ほうこうは猛牛さえも震え上がるような破壊意思。その凄まじさは彼自身の体力を激しく削る。…だが、それは逆に、彼の気力を最高までます手段と化した。

 相手がSブレイクならば、こちらもSブレイクしかない!
 【ファイナルブレイク】。それこそが最大最強の奥義だ。奴のSブレイクに正面からぶつけてブチ破る。これ以外に対抗手段はない。

 俺には大切なものがある。
 俺の大切なものを奪う奴は許さない。何があっても徹底的にブチのめす!


「愛は全てを乗り越えるのです! 痛みを感じる間もなく死になさい! アガットォォォォ!!」
 コウモリが羽根をはばたかせるかのように、両手を広げるボナパルド! 取り巻く邪気が悪魔の牙となって襲い来る! 肉を削ぎ、骨を砕く戦慄が放たれた!

「テメーは死んでろぉぉぉぉぉ!!」

 アガットもまた、自身の象徴たる重剣を媒体に、光り輝く魂の波動を解き放つ! 確固たる意思の力が、信念の炎が燃え上がり、目の前の全てにある敵を撃ち滅ぼす!


 紅い炎は猛り───
 意思はぶつかり合い、突き抜ける。

 それぞれが目指す未来のために……。






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