嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ
「ジョセフィーヌちゃーん、どこですかー? 出てらっしゃーい!」
アネラスはエルベ離宮内を歩きながら、ジョセフィーヌちゃんの失踪手がかりを探す。……探すといっても犬なわけで、痕跡が残っているというのは考えにくいのではあるが、ともかく調査は必要である。
話によると、ジョセフィーヌはとあるエレボニア貴族より「友好の証」として寄贈された由緒正しい血統の犬で、非常に珍しい種類との事。アネラスはもちろんその姿を見たことはないが、デュナンいわく「ワシの子供の頃に良く似ている」という話なので、あまり姿を想像しないようにしている。
ペットは飼い主によく似る、という話をよく聞くから……恐ろしい人面犬しか想像が及ばない。アネラスはそれを思う度に身震いしてしまう。可愛くないのだけは許して欲しい。
フィリップさんが言うには、実はそのジョセフィーヌを飼う事はアリシア女王も賛成したという話で、家族が増えたようで嬉しいと喜んでいるそうだ。
しかし、住まいとしているグランセル城で飼うには緑が少ない。城内には一応、空中庭園という広い場所もあるにはあるが、基本的には石材のフロアだし、階段も多いため、犬を遊ばせるには向いていない。犬だって、どこがいいかと選ばせれば、広くて緑が多いこのエルベ離宮以上に喜ぶ事はないだろう。
そのため、世話役を買って出たデュナン公爵が、毎日ここまで散歩に連れてきているという事だった。……ヒマな王族もいたものである。
ガサゴソ……
「ジョセフィーヌちゃーん 出ておいで〜。」
アネラスは別の場所へと行き、庭園の繁みを探ってみるがそれらしき犬はいない。近くには家族連れがおり、楽しそうな声が聞こえるだけで、犬の吠える声すら届かない。
ザザザ…… と両手で草木を掻き分け、手探りで犬が寝ていそうな場所を見当つけて探し続ける。しかしどこにも犬は影も形もない。芝生の生い茂る庭園に足跡など残っているわけもなく、どこへ行ったかも皆目見当がつかなかった。
探し始めて1時間も経過した頃……。
アネラスはいまだガサゴソと繁みを探っていた。一生懸命やっていたのだが、敷地の1/5の面積も探せていない…。そもそもここは広すぎるのである。いったい、どれだけ探せば見つかるというのだろう? しかもジョセフィーヌは動かないわけじゃない。あちこち動き回られればお手上げである。
「ああ〜ん、いないよう……、ジョセフィ〜ヌちゃん〜、お願いだからそろそろ出てきて〜」
途方にくれるアネラスは溜息交じりで呟く。そんな彼女の脇を男女二人…、カップルは幸せそうに身を寄せて通り過ぎていく。とても幸せそうだ。羨しい。
「まだか! まだジョセフィーヌは見つからんのか! どうなっておる!」
「閣下、落ちつきなさいませ。アネラス様がこのように探されているのです。今しばらくお待ちを…。」
「ええい! 今こうしている間にも愛しのジョセフィーヌは腹を空かして泣いているのかもしれん。そう思うとワシの心は張り裂けそうなのじゃ! フィリップよ、お前は違うというのか?!」
「は、私も同じように心痛めております。…ですが……。」
ガサガサ…… 真後ろでそんなやり取りを聞きながら、果てしなく終りの見えない犬探しは続く。
手はいつのまにか泥だらけで、頭は折れた小枝と枯れ葉まみれ、お気に入りのニーソックスは枝でひっかけてボロボロ…。しかも頭に巻いたお気に入りの黄色いリボンはとっくにしおれて、工事のおじさんが頭に巻いた手ぬぐいのように汗を吸っている。
これがお仕事とはいえ、こういうのはグラッツさん辺りに任せておきたい。ボース支部のメルツ君辺りでもいい。乙女としてはご遠慮願いたいお仕事である。
うう〜ん…ここにも居ない…、とアネラスは探していた繁みから抜け出そうと来た道を戻る。
「わわっ! く、くものす〜〜!! うえ〜〜ん、やだぁ〜〜〜〜。」
少し注意を反らすと、すぐにこのような仕打ちが容赦なく襲い掛かる。何度となく訪れる災難に、彼女らしい乙女パワーはすっかり影を潜めてしまった。
なんとも散々な姿になったアネラスがやっとの思いで這い出てくると、その前方では緑の芝生の上で戯れる子供達が目に入った。楽しそうに笑いあって遊んでいる姿がなんとも幸せそうである。
周囲はそれ以外静かで、時折、小鳥の囀りが耳に届いている。小さな動物さえも、この平穏な午後を喜んでいるように思えた。
そんな、とても穏やかな午後がゆっくりと流れていく。
ここを訪れた者達はなんて素敵な時間を送っているのだろうか?
なのに、
なのに……
なんで私はそんな中を、
こんなおっさんと一緒に犬を探しているんだろう?
頭をクモの巣だらけにして、汗にまみれて、なんで公爵似の人面犬など探さなくてはいけないんだろう?
周りはあんなに幸せそうなのに、数分ごとに繰り返されるデュナン公爵の囀りにさらされながら、黙々と繁みを探る私……。
なんだか妙にわびしくなってきた。
我が家で帰りを待つお気に入りのヌイグルミ「クマ吉」はさぞかし寂しい思いをしている事だろう。
ごめんよクマ吉。私、とうぶん帰れそうにないかも……。
ほろり、と涙が零れ落ちそうになる。か弱い乙女心は今にもしおれてしまいそう……とは言いつつも、口で言うほど萎れてもいないのがアネラスという娘さんである。
さきほど見た部屋の豪華さを思い出し、ちゃんと見つけたらナイショで特別ボーナスなんて貰えないかな〜……などとヨコシマな心があることも否定できない。しかもそのボーナスで新しいヌイグルミを買う事まで計画済みである。
なんとも逞しい根性の持ち主でもあった…。
「あら、小父様。こんなところで何をやっておられるんですか?」
ちょうどその時、デュナン公爵に声をかける女性の声が聞こえた。それに振り返るデュナンとフィリップ。次の繁みを探そうとしていたアネラスも振りかえり、そちらへ向く。
「ふん、小娘か。なんじゃ、公務でこのエルベに用でもあったのか?」
「はい。先日決まったルーアン市長との会談がここで行われる事になりましたので。その打ち合わせです。」
そこにいたのは、「清楚可憐」をそのままにしたような少女だった。スティールブルーの鮮やかな色彩を放つ瞳。そして同色の流れる水のようなサラサラの髪はショートカットにされている。
着ている服装はジェニス王立学園のもの。さすがにこの可愛い制服を忘れるわけがない。なにせ昨年、制服が着たいためだけに本気で遊撃士をやめるべきかと考えたくらいだ。そんな憧れの制服を着た可憐な少女が目の前に立っている。なんだかそれだけで卒倒してしまうほどカワイイ。
しかし、アネラスはそれよりもその娘を見て、おや?…と気がつく。どこかで会った事があったような気がしたからだ。
「あ、こんにちわ。あなたは確か……アネラスさんですね?」
少女はこちらに気がつくと、穏やかな笑顔で話しかけてきた。
「え…っと…うん、そうなんだけど…、ごめん。どこかで会ったのは覚えてるんだけど……どこだったかな?」
「はい。2度ほどお会いしましたよ。最初はツァイスのガルデア随道で。エステルさん達と一緒にいました。……あの時、ティータちゃんを抱きしめてましたよね。可愛いからお持ち帰りしたいって。」
「え〜と、そういえば……あ、あの時だっけ? あ〜なんか思い出してきた……。」
アネラスは額に手を当てると、少し前の事件へと思考を巡らせていく。
たしかあの時はシェラ先輩と一緒に行動してて、ガルデア随道でエステルちゃんとアガット先輩達と───
あ〜〜〜〜〜〜〜、そうだ! あのぷにぷにだった小さな女の子の感触を思い出してきた。あの子、とっても可愛いかったなー。今度こそお持ち帰り決定だよ〜。
あの時はそれだけで頭が一杯で、周りがまったく見えてなかったような気がするけど、そう言われてみれば会っていたように思う。なにより、エステルちゃん達とジェニスの学生さんが一緒に居たのが妙な組み合わせかな〜…なんて感じで印象に残っていた。
ああ、そうだそうだ。あの時の娘だ。
「うん、思い出したよ。それに情報部の再騒動と時にもあったよね! そうだった。あ、でも自己紹介してなかったっけ。私はアネラス・エルフィード。よろしくね!」
「はい。私はクローゼ・リンツと申します。よろしくお願いします。」
二人して微笑む。互いに、こんな場所での思いもしなかった再会が少し嬉かった。
「なんじゃお前達、知り合いなのか?」
そこへ少し不機嫌そうなデュナン公爵が声を掛けてくる。
「ええ。小父様も知っているでしょう? 遊撃士のエステルさんのお友達です。」
「エステル? ああ、あの娘か! あいつはどうも好かん。」
「へぇ〜、公爵さんはエステルちゃん知ってるんだ。」
「むむ…、そなたも知り合いか。まあ確かに遊撃士なら知り合いという事もあるか。」
なぜか知らないが、デュナン公爵は機嫌が悪くなってしまう。それをなだめるフィリップさん。なんでエステルちゃんの名前が出ただけでが、そんなにふてくされるのかイマイチわからない。
不思議に思っているとクローゼがそっと耳打ちしてくれる。
「小父様はエステルさんに弱いんです。いつも言い負かされているようなので。」
「へぇ〜…」
アネラスは、エステルがデュナン公爵を言い負かす姿を想像した。…すると、とっても具体的に言い負かされている公爵の姿が目に浮かぶ。
「ぷっ、あはは、なんだか想像するとわかりやすいね。」
「でしょう?」
思わず、二人でクスクスと笑いあってしまう。まったくその通りだ。なんてわかりやすい図なんだろう。
「なんじゃ? 何を笑っておるのだ。まったく若い女子というのは姦しいものだ。」
「よいではありませんか。ご友人と出会えば話もはずみましょう。」
そうフィリップが付け加えると、デュナンは鼻をならして、そっぽを向いてしまった。
◆
「そういう事でしたら私もお手伝いさせていただきます。」
事情を聞いたクローゼは、さも当然のように手伝いを申し出た。その申し出に三者三様に驚きをみせる。まず声を上げたのはフィリップだった。
「しかし、クローディ……クローゼ様。そのようにお手間を取らせては申し訳がなく……。」
「いいんです。私も小父様がお困りになっているのを見過ごせませんから。」
「で、ですが……。」
ハンカチで額の汗をぬぐい、消え入りそうな声で反論するフィリップだが、クローゼは穏やかな笑みでさらりと返すだけ。彼はもうそれ以上の追求が出来なさそうに困った顔をしていた。
それに驚いていたのはアネラスだった。彼女を見る限り、淑やかで物静かだし、あまり主張しないタイプに見えていたのだけれど、一度決断するとまったく引く様子がない。大げさかもしれないけど、揺るぎ無い意志みたいなものを感じ取れる。でも、そこに強引さはなくて、本当に協力したいという気持ちが真摯に伝わってきていた。
も、もしかして私よりしっかりしてる…?
どうみても学生で、自分より年下に見える彼女に、アネラスはちょっとだけジェラシーを感じた。
こういうちょっと可愛い年下の娘に「先輩!」とか呼ばれてみたかったなぁ……などというヨコシマな妄想が頭をよぎっている事はもちろん秘密である。
「こ、こら! 勝手に決めるでない。ジョセフィーヌ捜索隊のリーダーはわしなのだ。誰もお前を加えるなどと許可はしておらんぞ。それに公務で来たのだろう? 時間がないのではないか?」
そして最後に驚いていたのがデュナン公爵だ。どうにか理由をつけて彼女の協力を拒んでいるようにも見える。声ばかり張上げているその姿は、フィリップ以上に慌てているのがわかる。……っていうか、わかりやすすぎる人だ。
「公務でしたら今日はもう終りました。あとは明日の朝、学園に戻るだけなんです。それにジョセフィーヌちゃんなら私も散歩させた事がありますから、お役に立てると思います」
クローゼがまったく変わらない穏やかさで答える。
するとデュナンは反撃の理由をなくして口ごもってしまう。どうも彼女に言われると弱いようだ。
「ジョセフィーヌちゃんは私にとっても家族ですから…、小父様、どうか私にも探させてください。お願いします」
「ぐぬ、ま、まあ……たしかにジョセフィーヌはそなたに懐いておったが…。」
真っ直ぐな瞳で見つめるクローゼに、もはや抵抗すら難しいデュナン公爵。どうしても手伝わせたくなくないようだけど、なんでまた彼はこんなに強情なんだろう?? ……でもまあ、そういう事なら。
「じゃあ、私がお願いするよ! ジョセフィーヌちゃんの事をよく知ってる人がいれば見つかりやすいと思うし。せっかく手伝ってくれるっていうなら断ったら申し訳ないもん。」
アネラスはいつまでも決まりそうもない話をまとめようと、進んでクローゼの申し出を受けた。せっかく手伝ってくれるというのだし、いつまでもデュナン公爵に後ろで騒がれていたら、進む調査も進まない。アネラスとしては願ってもない申し出だった。
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね、アネラスさん。」
「うん、よろしく! クローゼさん。」
「クローゼでいいですよ。そう呼んでください。」
これまでの、とってもわびしい捜査に強力な味方がついてくれた。これは素直に嬉しい。けれど、アネラスにとってはそれ以上に彼女が居てくれる事が幸せだった。
仕事仕事で友人を作る機会がない彼女にとって、同年代の娘と知り合える機会はあまりにも少ないからだ。
”エステルちゃんとも知り合いみたいだし、クローゼちゃんとも仲良くなれるといいな”
そんな期待が思わず笑顔を作り出してしまう。するとクローゼも微笑んでくれて、なにやら嬉しかったりする。
「待て! 待てというに! 決定権はリーダーであるワシにあ───」
「ジョセフィーヌちゃんのお散歩コースはもう歩きましたか?」
「え? あ、聞いてない。そんなのあったんだ。」
「はい。私も何度か回った事がありますから、まずはそちらを辿ってみましょう。」
「そうだね。なにか手がかりがあるかもしれない」
二人は公爵をその場に残し歩き出していく。二人はもうすっかり仲良し、といった風で、楽しそうに歩いていく。すでにデュナンの言葉など届いていないようであった。
「ま、待たぬか! ジョセフィーヌを探すのはこのワシだと……。」
「閣下、ここはお嬢様方にお任せしたほうがよろしいのではないかと存じますが…。」
「ならん! それではワシがオマケのようではないか! そんな立場ではジョセフィーヌの真の主としての示しがつかん。なんとかワシが見つけ出す事こそ飼い主の義務。それが愛情というものではないか?」
……まるで子供に諭すように丁寧な、そして頼りがいのある言葉。
フィリップはその言葉に衝撃を受ける。
「か、閣下! そこまで…、そこまでジョセフィーヌ様に愛情を注いでおられたとは……。このフィリップ、これまでお仕えした事を今日ほど誇りにした事はございません。探しましょう! 閣下の御心のままに!」
「うむ。そなたのような理解ある部下を持って、余は幸せだ。」
意気揚揚と、そして爽やかな気持ちで、アネラス達とは反対方向に歩き出す二人。
彼らの目指す先には希望の道が続いている。まっすぐ見据えられた双眸には、どんな困難にも負けない信念を感じさせる。
……これまでさんざん探して見つからなかった、という事実は彼らの心には些細な問題でしかない。そんな事は問題ではないのだ。今、彼らが必要とし、心に唯一在るのはまさしく愛、そして希望だったからだ。
王者の風格を漂わせ、一歩一歩を踏みしめるデュナン。希望の光りを携えた瞳は、しっかりと前を向き、その足取りは深く強く大地を踏みしめていく。
そしてフィリップは、主の斜め後ろを歩く。自身が主と信じた者に付いていく。その心には微塵の影もない。
愛と希望の前には、どのような障害も障害にな成り得ない。彼らの瞳はそう語っていた。
………まあ、その愛と希望だけでは探せないから遊撃士を呼んだ、という事実がすっかり忘れ去られていた事は、当の本人達もしばらく気がつかなかったわけだが。
◆
───とある場所、彼は一人笑みを浮かべていた。
「フフフ……。思ったより早く見つかったな。まさかこんな身近に隠されていたとは。灯台元暗し、とはよく言ったものだ」
にたり、と嫌な笑みを浮かべる彼は、目の前にそびえる古代ゼムリア文明の遺物を見上げる。その顔にはこれから起こる災厄と混乱、そしてそれを指揮する自分の未来を感じ取り、恍惚としていた。
「これさえあれば昇進は間違いない。今、王都グランセルは《輝く環》の事件によって戦力を立て直し中。城門も依然修理中で防御が浅くなっている。いまコイツを使ってグランセル城を叩けば…、それだけの功績を挙げれば…、もしかしたら執行者ナンバーの一員として数えられるかもしれないな…。」
青い髪をした青年は、未来の地位を約束された事を確信し、黙々と作業を続ける。
秘密を保持すべき秘密結社《身喰う蛇》の一員としては単独行動などあってはならない事だが、そんな事は承知の上である。これまでの失態続きで小隊長の地位も危うい。
エリートの中のエリートであるこの僕が、こんな所でつまづいている場合じゃない。僕はもっともっと上に居るべき人間なのだ。そのためにはこのトロイメライが必要不可欠!
青年は目の前に鎮座する巨体を今一度眺める。
あの人形兵器【トロイメライ】とはまったく違うフォルムを持った機体、【トロイメライ=カプトゲイエン】はただ静かに眠りについていた。
「欠番となった《漆黒の牙》、僕がその座につくのももうすぐだ……。この新・ギルバートの実力、思い知らせてくれる……フフフ…ハハハハハハハ!」
暗闇に響く不吉な笑い声。それが身近に迫った脅威だという事は誰もまだ知る由もない。
その青年自身でさえも…。