嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

G エルベ激震
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午後13:53  エルベ離宮───

 震源である周遊道沿いに建つここはエルベ離宮。アネラス達が感じた振動は、ここでも同様の揺れとなって襲っていた。

「ま、まだ揺れは納まらんのか! フィリップよ、地震とはこの様に長く続もので──うお!」
 揺れに絶えきれずすっ転んでしまい、したたかに尻を打ち付けるデュナン。しかし彼を笑う者など一人もいない。振動は離宮にいる全ての者を襲い、悲鳴と動揺を生み出し続けている。
 振れが始ってからすでに5分。この場にいる誰もが、このように長時間の地震を体験した事はなく、終らない事への不安感を募らせている。

「く、くぅ〜…、なんとかならんのか! いつまで揺れれば気が済むというのじゃ!」
「閣下、今しばらくご辛抱を。私もこのように長い時間の揺れを経験した事はございませんが、必ず収まるものですので…。さあ、こちらの木に掴まるとよいでしょう。」
 そう言うフィリップは、上手にバランスをとって主へと手を伸ばした。周囲を見渡せば、観光客達も皆いつくばっているし、衛兵達でさえ体勢を崩して動けないでいた。もう数分にもなる地震は未だにおとろえる事を知らない。

「うぬぅ。いや、ワシはいい。それよりもジョセフィーヌが心配じゃ。きっとこの地震に怯え、震えているに違いない。一体どこへ行ったのか……。」
「左様でございますな。あのような子犬となれば、さぞ心細いで思いをしているしょう。この揺れが収ま──」

 …四方へと視線を巡らせたフィリップが視線を一方向で止めた。そしてそのまま凝視する。それに気がついたデュナンは怪訝けげんに思う。

「フィリップよ、どうしたのだ?」
 そんな彼が珍しかったのか、デュナンもふとそちらへと首を回す。そこにはいつもと同じ、離宮から見える林道がある。みやびな春雪の花舞う和やかな道がある。それは見慣れた風景。変らないはずの景色。穏やかな日常があるはずだった。


 ───だが、デュナンの目に映ったのはそうではなかった。
 本来ならば居るはずもないモノがそこに居たのだ。


 轟音を唸らせ、大地揺るがす振動を吹き上げるそれは、次第にその影を大きくする。木々達を大きく越えるその身の丈、異様いようなパーツをつけた4本の腕は別個の生物のようにうごめき、そして下半身のキャタピラ駆動は規則的な回転をしながら、行く先の全てを巻き込み押しつぶす。
 頭部に光る3つの赤点が、まるでデュナンをにらみ付けるかのような眼差しで向いている。まだ距離も離れているとわかるのに、それがとてつもなく巨大なモノだとわかる。巨大人形兵器、いや、大きいなどという言葉では片付かない巨体がそこにあった。

「な──っ?! なん───じゃと?!」
 デュナンだけではなかった。そこに居た全ての者が次々とそれに気がつき、注視する。そして誰もが声を失った。その異様なモノを目にした人々は、あまりに現実離れしたそれに呆然とするしかなかった。

 トロイメライ=カプトゲイエン。未だその名は知られてはいなかったが、今まで人形兵器などまともに見たこともない市民達にとって、それは想像し得ない異形のモノと映った。その威圧感は彼らを恐慌に陥れるに十分の威力を持っていたのだ。
 増していく不安は判断力を失わせ、伝わってくる振動がこれによるものだと気がつき恐怖する。自分らに振りかかる災厄を感じ取っていく。大きな唸りと振動をき散らし近づいてくるのだ、このエルベ離宮に。いや、自分達の所へ!

 得体の知れない破壊兵器。その巨体が目の前まで迫れば、冷静に判断するなど出来るはずもない。
 危険だ。とてつもない脅威を肌に感じる。それを言葉でなく本能が理解した時、誰かが叫んだ。心の底からしぼり出すように感情をあらわにした。


「に、逃げろぉぉぉぉーー!!」
 誰が言ったかはわからない。だが、その一言が離宮全体をパニックに陥れる。押さえ様のない恐怖は暴発し、誰もがその場から何処どことも判らないままに駆け出す。
 置き去りにされた荷物、親とはぐれ泣き叫ぶ子供、足がもつれて倒れる老婆、その体に足を引っ掛け転ぶ男……。誰もが助かるという確証もないままに宮殿の中へと逃げていく。

 悲鳴は恐怖を呼び連鎖する。
 恐怖は混乱を招き波紋を広げる。
 衛兵達の指示や召集は怒号となり、迫り来る脅威に押しつぶされないための叫び声が離宮こだまする。

 平穏であった午後は、文字通り一変した。
 リベール全土に恐怖を撒き散らす”第三の災厄”は、この瞬間より始ったのだ。











「閣下! 早く非難されませ! あの巨大人形兵器は鈍足なれど、どのような被害をもたらすか想像もできません。さあ、こちらに!」

 その脅威を誰よりも感じていたフィリップは、すぐさまデュナンを連れて離宮の奥へと避難を急がせる。観光客、市民達ももちろん大切ではあるが、今は何よりも主君を守る事が先決だ。
 しかし、デュナンは腰が抜けてしまったかのように座り込み、何かを言おうとしているが声にならない。体は小刻みに震え、顔は青ざめていく。彼の心も人々と同様に、恐怖という抑止できない感情が支配していた。

「か、閣下! 呆けている場合ではございません。早く逃げるのです! あれは閣下を狙っているやも知れないのですぞ!」
「い、いやじゃ…。ワシはもうあのような機械は嫌じゃ……。」

 フィリップが立たせようとしても、体全体が弛緩しかんしきったようでその場より動かず、声さえも届いていないようだ。フィリップはこんな状態の主を見たことがない。これまで何度となく怯える姿を目にしては来たが、今回のような怯え方は初めてだった。
 しかし、それは当然の事と言えた。今、デュナンの心は誰よりも怯え、誰よりも悲鳴を上げていたからだ。

 それは、”恐怖”というものを知らずに育ってきたから。

 そう、彼はこれまでの人生において命の危険を伴う真の恐怖というものを感じた事がない。リベール王家という庇護ひごの下、護衛という者達に囲まれ、誰よりも安全に、誰よりも裕福に暮らしてきたのである。

 あの時もそうだ。あの百日戦役でさえ、彼は絶対的な”王族”という権力の元に守られていただけなのだ。あの戦争と同時期を生きながら、戦争で人が死ぬという事を話でしか知らず、目で見たわけではない。話で聞くだけの、悪く言えば他人事としか感じずにいたのだ。年端もいかない子供達が泣き叫んでいた頃、彼だけは最も安全な場所で災害を逃れていた。
 だから、怖いという事は知っていても、恐怖というものを感じる事無かった。我侭わがまま放題に成長してしまった一因はこういう生立ちの問題もあったのである。

 そんな彼が、本当に恐怖を感じたのは実は最近の事。カノーネが起こしたクーデター再起事件からだ。彼は巻きこまれたあの時、悪魔のような人形兵器を目にした。港に出現した赤の巨体。身喰らう蛇の巨大人形兵器「パテル=マテル」を目にした時、彼は心の底から震えたのである。破壊を目的にした人形兵器というのはあのような威圧感を持つものなのか、という漠然ばくぜんとした、それでいてぬぐいようのない不安に襲われた。

 そしてその後、リベール全土を身喰らう蛇が襲った。そこで使われたのも様々な人形兵器だ。


 奴らがグランセル城を包囲した時、親衛隊員の多くが倒れた。仲が良かったわけではないが、それは皆顔を覚えている者達…。その時、彼自身が安全だと思える保証が切れた。身近に居た者が次々と傷つき倒れたことで、自分には関係ないと思っていた脅威というものが、特別でない当たり前の現実だと知ったのである。自分の身がけして安全ではない、という事を認識してしまったのである。
 港で見た「パテル=マテル」で感じた威圧感、それが恐怖という抑え切れない感情に変わったのだった。


 彼にとって、人形兵器は命を奪うものであるという現実と同意…。
 災厄の火種である事と同意であった。
 庶民にさえ広がっている機械兵器への不信。それはデュナンには殊更ことさらだったのだ。


「閣下! 早くお立ちください! 立って逃げるのです!」
 放心したまま一向に動かない主にフィリップの焦りは増す。その一方では、すでに警備兵達が一般人の非難誘導を的確にこなしていた。また一方では、隊列を組み、銃での攻撃を仕掛けている。目の前まで迫った人形兵器を撃退すべく、兵士達は迅速に動いていた。

 これほど早く、混乱もせずに対応できる軍隊というのは軍事色の際立つ大国エレボニアでさえ出来ない芸当だろう。他に類を見ない完璧な精錬度である。それは不幸にも幾度となく危機にさらされたリベールの兵士達だからこそ為し得たものだ。


「閣下、さあ早く非難を! お急ぎを!」
「あああああ…。助けてくれ! イヤじゃ! 誰かあれを退かしてくれぃ!」
 我を忘れたようにうずくまり、頭を抱えてしまう。こうなってしまっては、体重過多のデュナンを引きずる事はできない。フィリップの説得はもう耳に届いてくれなかった。

「後生でございます! 何卒お聞き下さい! 少しだけでよいのです、宮殿まで御下がり願います! 閣下!」
「助けてくれ! 助けてくれいっ!」

「フィリップさんっ! どうしたんですか!?」
 ちょうどその時、民間人を誘導していた兵士の一人が駆けつけてきた。まだ肌寒さの残る季節だというのに全身汗だくになっている。非難誘導の途中でこちらを見つけてくれたのだろう。
「ああ、助かりました。殿下が恐慌されて避難できないのです。御手数ですがそちらの腕を! ……引きずって参りますので。」
「わ、わかりました。デュナン閣下、失礼します。」


 そうしている間に、トロイメライ=カプトゲイエンはとうとう離宮へと辿りついた。これまで何の障害もなかったとばかりに正門前へ到着。侵入者を防ぐための正門、そして周囲を取り巻くへい容易たやすく崩し、踏み潰しながら入り込もうとしていた。なにせ塀の高さよりもキャタピラ部分の方が大きいのだ。そして腕部に装備されたハンマーやパワーショベルが破壊を加速させる。戦車の砲弾ですら数発持ちこたえるだろうこの壁でさえ、大した障害にもならない。突破されるのも時間の問題である。

 ──兵士達には知る由もない事だが、さすがはカプトゲイエンほるためのと名付けられた機体というべきだろう。掘削作業用トロイメライの名は伊達ではない。


「全隊に告ぐ、攻撃開始だ! 少しでも敷地内には入れさせるな!! ここで食い止めるんだ!」

 指揮隊長の号令と同時に始る一斉砲撃。エルベ離宮始って以来、最大の攻防戦が幕を開けた。
 塀を簡単に崩したカプトゲイエンへ、兵士達の弾幕という洗礼が加えられた。その移動用キャタピラの振動音をもかき消す銃撃音は凄まじく、少し離れていたデュナン達でさえ、そのかつてない炸裂音に耳を塞がずにはいられなかった。
 これほどの銃撃戦は、先のクーデターにおいても行われなかった。ここまで攻撃が集中させなければならない相手など居なかったのである。並の相手ならば1分と持たずに粉砕されているだろう。
 弾幕の厚さだけならば、あの古竜レグナートを迎撃した時以上である。


 ───だが、

「ふふふふ……、それで攻撃しているのか? カプトゲイエンにとっては蚊が刺した程にも感じない。」
 一人、操縦席で笑う青年ギルバート。その予想以上の防御力能力に喜び震えていた。これほどの、かつてない大規模攻撃においても、まったくのノーダメージ。それどころか、まったくと言っていい程、カスリ傷さえなかったのである。
 硝煙しょうえんで視界が閉ざされる程の弾幕の中、カプトゲイエンはまるで気にした様子もなく防衛線を無視し、キャラピラを前進させていく…。この異常なまでの鉄壁は、まさしく鎧を着たトロイメライの特徴と言えよう。

「ハッハッハッ! 無駄だ無駄だ! そんなマメ鉄砲、このギルバート様には通じない。邪魔をするならいてしまうぞ!」
 離宮の中庭へと到達したギルバートはカプトゲイエンの前進を止めた。機体の周囲は警備兵が取り囲み、なおも銃撃を続けている。

「A班は後方よりの銃撃! B班は前面に回れ! ここが最終防衛ラインだ!」
 エルベ警備隊長の号令が響き、各隊は銃撃を続けながらカプトゲイエンを包囲していく。着弾した火花が閃光を散らし、それに伴う轟音が広場を埋め尽くした。

 だが、次第にその攻撃も散漫になっていく。連射に続く連射で銃身が焼けつき、残弾さえも底をついていたのだ。それでも巨体はまったくの無傷。衝撃ですら与える事ができなかったのである。
 警備隊長はこの事実に歯噛みするしかなかった。

「なんという装甲だ…、新型銃がまったく効いていないとは……。」
 要人を警備する事も多いこの離宮の兵士は、グランセル城を守護する兵と同等かそれ以上の能力と装備を持つことが許されている。この銃も、リベルアーク出現以降に実戦装備された新式である。これまでの銃よりも連射が利き、一撃の破壊力もあがっているはずだった。

「隊長! こちらも残弾切れです!」
「わかっている! くそ、どういう事なんだっ!」
 新式であるはずの銃が、あの人形兵器にはまったく効き目が無い。こんな事ありえない。このエルベ離宮を長年守ってきた警備隊長は百日戦役でさえ最前線で戦った経験があるのだ。戦場の声を知る彼の豊富な経験を持ってしても、こんな事はありえないはずだった。

 ───しかし、これが現実だ。どうしようもなく事実なのである。

 「やるしかない! ここを通すわけにはいかんのだ。全体砲撃中止、砲撃中止だ! これより剣による近接戦闘に切り変える!」
 もはや銃弾もなく、しかもその攻撃も通用しないと判断した警備隊長は、玉砕覚悟での突撃を選択するしかなかった。いかに無謀であるかは誰の目にも明らか。自殺行為に等しい愚行である。

「全体、剣へ持ち替えろ! これより突撃を開始する!!」
 だが、何があったとしてもここを通すわけにはいかない。この先には守るべき人々がいる。自分達がどうなろうと進撃を食い止めねばならない。


「絶対に通すな! ここより後はないのだぞ!」
「「「イエス・サー!」」」
 全警備兵は躊躇ちゅうちょなく銃を捨てた。そして腰に下げたサーベルを天高く掲げる。兵士達もそれは理解している。だからこそ揺ぎ無い覚悟を抱く。戦う以外、どんな選択肢があるというのか? それが無駄な行いだとしても、どうしてやめる事ができようか? だとすれば、躊躇する理由がどこにあるのだ。

「いくぞ! 全体、突撃!」
「「「おおおおおおっ!」」」
 兵士達は一撃に全力を注ぎ、文字通りに肉弾と化して突撃を開始した。

 結果は見えていたとはいえ、やはりカプトゲイエンはビクともしない。わずかながら、装甲として身を覆う金属がかなでる衝突音を鈍く発する程度である。しかし、それでも攻撃は終らない。
 渾身こんしんの一撃目が通用しなくとも、二撃目を一点集中、三撃目は一心不乱に。体重を乗せて最大限の一撃を加える攻撃、助走と共に一点集中を試みる鋭い突き、防御をまったく考えない連撃……兵士達は全ての力を集約し、全ての攻撃が必殺の一撃とも言える攻撃を繰り出していく。

 リベルアークの災厄以降、兵士達はこれまで以上の鍛錬を積んできた。災害において、いかなる苦境も跳ね返せるように、誰も傷付くことがないように、と人々を守る兵士としての力を上げていたのだ。
 にも関わらず、それでも傷一つつける事ができない。繰り出す攻撃は、すべて渾身の一撃であるにも関わらず、この人形兵器にはかすり傷さえつく事がないのだ。

 装甲は硬度の高い物質ではあれど金属には変わりない。剣や銃弾も金属であり、そこに大きな差があったとしても同じ金属という物質であれば、傷を残せないという事はないはずだ。加えて「叩き付ける」という付加が加われば、傷くらいは残せるはずなのである。
 しかし、あの銃撃にも、渾身の剣撃でさえも一筋の傷すら加えることすらできずにいる。常識で考えても、物理的にも傷一つつかないというのはありえない現象だった。


「こ、こんな馬鹿な…。これほど猛攻で傷すら付かないのか!? ただの金属ではないというのか……。」
 封印区画に配備された人形兵器にしろ、リベールを襲った身食らう蛇の人形兵器にしろ、ここまで異常な硬度を持っていたという話は耳にした事がない。

 この硬さは異常である。明かに常識の遥か上を行くものだ。

 兵士達がそのように感じ始めたその時、カプトゲイエンより、離宮すべてに響き渡る程の音量で若い男の声が響き渡った。その主はもちろんギルバートである。


『リベールの兵士は真面目だなぁ。でも頭が悪い。効かないと承知でなぜ攻撃をするんだ? フフフ…、僕が強過ぎるのが罪なのか。』
 その天にとどろく声に兵士達は耳を疑った。まさか人が乗っているとは思わなかったからだ。人が乗る人形兵器、そんな報告は一度も聞いた事がない。

『物語を彩る【やられ役】の諸君! 僕こそは身食らう蛇の大幹部にして、聡明そうめいなる指導者”カンパネルラ様”の右腕と誰もが認めうなずくと思う影の実力者、新・ギルバート様だ。ジェニス学園を見舞った恐怖は記憶に新しいだろう…。』
 兵士達は攻撃を体勢を整えるために一度後退、構えを取りつつも、その名を聞いて首をひねった。


 ギルバート……? そんな名前は気いた事がない。


 身食らう蛇にジェニス学園が襲われたという話は聞いたが、遊撃士達がすぐに解決して、ヤツらは逃げていったという報告は耳にした。
 隊長はつぶやくように、兵士達を代表して思った事を口にする…。

「すまんが、聞いた事がない。誰なんだ?」
 そんな答えをまったく予想していなかったギルバートは、あまりのショックで口をパクパクとさせる。しばしの放心…。

『し、知らないはずはないだろう!? ほら! あそこで大部隊を指揮していた有能な司令官だ! 名前くらいは聞いた事あるだろうに』
 コクピットから身を乗り出すように兵士へと問いただすギルバート。しかし、兵士達の誰一人として思い出したような顔をしない。

「そういえば……。」
 兵士の一人が、悩んだような顔でつぶやいた。
『おお! なんだ? 僕の話か!?』

「先日、エレボニアにいる友達に息子が生まれたんだが、その名前がギルバートだったような……。」
『ああ、それはおめでとう……って、違う!! 僕はそんな赤ん坊じゃない! 先日、ジェニス学園を大混乱に陥れた超エリートといったら一人しかないだろう!』
 わざわざジェニス学園で活躍と教えてあげているのに、なぜ思い出せないのか。ギルバートはあまりに不満だった。
 学園に名を残すほどの成績を持ち、次期ルーアン市長の呼び名を欲しいままにした稀代の人物、そんな僕がそのジェニスを襲うなんて悲劇にリベール中が涙しておかしくないというのに。(確かにクローディア姫の拉致には失敗したけど)

「ああ、そういえば……。」
 今度は別の兵士が声を上げた。ギルバートは今度こそ来たか!と安堵し、シートに腰を下ろした。
「私が警備でルーアン市周辺の地区巡回をしていた頃…、6年くらい前か」
『ふふふ…、やっと来たか』

 6年前であれば学生時代。フフフ…、きっと輝かしい日々の記憶が語られるのだろう。ギルバートはコクピットでうっとりした。

「あの頃、警備の通報であった事なんだが……ルーアン市内で有名な不良グループのレイヴンに金を巻き上げられていた学生がいたっけ? 青い髪の少年で…、たしかその名前がギルバートとか……。」
『うわあああああっ! それはぁぁぁぁぁ!!』

 ……それは誰にも知られたくない、思い出したくもないエピソードだった。


 彼がまだ学生の頃、今と同じく春という季節…。
 新学期の新しいクラスで知り合った、少しおしゃべりだけど元気で可愛い女の子とのデート中に訪れた最悪のシチュエーションである。

 初デートに気分を良くしたギルバートは、彼女にいいところをみせようと、不良グループ・レイヴンがたむろする倉庫街へと足を踏み入れた。
 普段のレイヴン達は倉庫の中にいるだけで、アジトに近寄らなければ平気だと言う話を調べていた僕だったが、なぜかその日はたまたま出歩いており、なぜかたまたま見つかっててしまった。

 あとはもう坂を転がり落ちる雪玉のようで、当然の様に絡まれ、有り金は全部カツアゲ。女の子をかばう勇気を見せるどころか、僕は怖くて泣いて謝って……そのあげくに女の子には完全にフラれてしまった。
 それだけならまだしも、さらに翌日にはクラスどころか学園全体に噂が広まり…、以後、僕の武勇伝はジェニス学園での伝説となってしまった。
 嗚呼、なんて悲しいあの頃。苦々しい青春。今でもトラウマになっている思い出したくない過去…。

『違うんだ…、あれは違うんだぁ……。』
 外部スピーカーがONになったままだったので、彼の苦悩とすすり泣く声が周囲に響いた。
「なんだ? 中の奴が泣いているのか?」
「た、隊長……今がチャンスなんじゃないでしょうか?」
「…ぬ……あ、ああ。うむ。なんだか判らないが確かにそうだな、よし、今のうちだ──」

 中でギルバートが鼻をすすっている間に、包囲網はどんどん狭められていく。この隙に、体をよじ登って攻撃を仕掛けようと、兵士達は無言でその体へと手をかけていく。次々とよじ登ろうと集まる兵士に気がつかず、ギルバートは嗚咽おえつを漏らすばかり…。


『もういいっ!!』
 その叫びと共に、カプトゲイエンの4本の腕が周囲へと群がる兵士達をなぎ倒した! 不意をつかれた兵士達は、声を上げる間もなく四方へと弾き飛ばされていく。

 警備兵達は孤を描いて中空を舞う。ある者は壁に叩きつけられ、樹木に激突し、地面にくぼみを作るほどの勢いで激突。そしてある者は剣で防御したものの、剣ごと腕の骨を叩き折られて悶絶もんぜつする。
 その多くが意識を失い、苦痛を感じる前に言葉を失っていた。あまりにも一方的な防衛戦はあっけなく、傷を付ける事すらできずに終了した。

「こ、こんな……、こんな馬鹿な…。」
 かろうじて意識を残していた警備隊長も、この事実に打ちのめされた。結局、あれだけ攻撃して傷すら与えられず、こちらは一撃で全滅したのである。


『ふん、僕を怒らせるからそうなるんだ。やられ役は大人しくしていればいいのに…。余計な事を言うから悪い。』
 ギルバートは倒れる兵士達を残して先へと進む。そして、とうとう眼前に宮殿の全体が納まった。カプトゲイエンが腕を振るえば、全てが瓦礫がれきと化すだろう。

『ふふ…。アウスレーゼ反応最高値88%! 近くにいるな…。出て来い! 周辺に隠れているのはわかっているぞ』
 例え建築物に隠れたとしても、反応感知装置がその所在を明らかにする……ハズなのだが、実はギルバートが言った事は半分くらいテキトーだった。

 実は、このカプトゲイエンに装備されたこの感知装置の性能はさっぱりダメな装備で、アウスレーゼの因子を持つ者が半径300アージュに居る事くらいしかわからないし、解析自体にもやたら時間もかかってしまう。もし、足元に居たとしても反応圏内としか判別できない。そんな「あるだけマシ」程度の装置なのである。
 だから、わざわざ出て来いと言うしかなかった。そもそも掘削機なのだから、その仕様も仕方ない事なのだろう。


『さあ、出てくるんだ! クローディア王女! 隠れている事はわかっているんだぞ。』
 沈黙した宮殿に響く強要。いくらギルバートでも、これで出てくるとは考えていない。感知装置の性能の事もあるのだが、一応は警告するというのが正しい悪党だと思う。なにやら支配者っぽくてよい。

 だが、その呼びかけに応える様に、建物の影から何者かが出てきた。
 アウスレーゼではない者。見たことがない白髪の老紳士である。 

「クローディア様、そして閣下のお命を狙う貴殿は、身喰らう蛇の刺客と御見受けします。」
『なんだ? このジジイは?』
 そこへ現れたのはフィリップである。デュナンが呆然自失となり、あのまま動けなくなったため遠くへ逃げる事ができなかった。実はまだ出てきた物陰で震えている。
 だから、フィリップにとってはこれ以外に選択肢は残されていなかった。戦う以外、主を守る術がなかったのである。

「よもや再び、この老体に鞭打つ時が訪れようとは……。」
 フィリップは腰から細身の剣を抜き、その巨体を見上げ構える。彼は今、過去に培った戦士としての経験を思い出し、敵の分析をしていた。

 先ほどの戦闘を見た限りでは、この人形兵器の攻撃自体は大した事がない。主な武器となる4本の腕は大振りで、気をつければ避ける事もできる。移動もキャタピラである事から考えれば機敏とは言い難い。……どちらかというと、あまり戦闘に適しているとはいえない相手だ。
 しかし、最大の問題はあの装甲である。あれだけの攻撃ですら傷をつけられないとなれば、何か特別な処置が為されていると考えるべきだ。

 また、こちらの武装自体の攻撃力も原因だろう。あの新式銃でさえ、機体に傷をつけるだけの威力がなかった。単純な意見を言えば一撃の威力が足りなかったのだ。力の満たない攻撃を繰り返しても傷付かないのは道理である。


 フィリップは手にした剣へと視線を送る。我が愛刀なれど、身喰らう蛇の執行者との戦い、この剣自身も傷を負っている。かつての持っていた破砕力ならば傷をつける事もできたかもしれないが…。


『さあ、ジジイ! さっさとクローディア姫を差し出すんだ。そうすれば痛い思いをする事はないぞ。僕も老人をいたぶる趣味はない。』
 フィリップは目を閉じ、かつて戦士として、親衛隊の鬼の大隊長と呼ばれた頃の力を再び呼び起こす。この身が老躯ろうくと化したとて、閣下の身を守る事ができればそれでよい。

「残念ながら貴殿の進軍もここまでです。」
『なに?』



「フィリップ=ルナール…。参ります──」


 その姿が消えたかと思うと、次の瞬間にはカプトゲイエンに大きな衝撃が走った。巨大な岩石がぶつけられたかと思うような一撃。樹木よりも、家よりも遥かに巨体な胴体が、とてつもない一撃を受けて機体ごと揺らいだ!
『な、なな、なんだって!』
 ギルバートは予想もしなかった事態に驚愕きょうがくする。目の前にいた老人が剣を振るったのだ。たった一人の、それも何の変哲もないただの老人の振るう一撃が、このカプトゲイエンを振るわせたのだ。

 大気さえも震撼させる衝撃は一撃に終らない。跳躍からの二撃目、真下からの切り上げる三撃目が連続して繰り出され、その度に機体を大きく揺るがす。

『そんなバカな! そんなバカな事があるか! このカプトゲイエンがっ』
 慌ててカプトゲイエンのドリル腕を作動させてフィリップを狙うが、狙った時にはもうその姿がない。

「我が身、朽ち果てようとも、ここは通しませぬ!」
 攻撃のため伸び切ったドリル腕に四撃目、その腕を引く前に、真後からの五撃目が炸裂する!
 その異常とも言える速度に、ギルバートにはもう目で追う事すらできない。それは常人と達人の差というものであった。グランセル城を襲った4人の執行者を相手にし、達人と言わしめた者の実力。それが炸裂したのである。

 そして、瞬く間に真正面へと回り込んだフィリップから渾身の六撃目が放たれた! これまでで最大の威力を有した一閃。その凄まじい破壊力に、鉄壁を誇る装甲にとうとう傷ができた。真正面のちょうど中心、そこにわずかではあるが、小さな傷がついたのだ!
 それはこの衝撃に比較すれば微々たるものではあったが、この時点で、フィリップの一撃が警備兵達のどの攻撃をも上回っている事を意味する。


 ──デュナンを運ぼうとしていた兵士は、未だ頭を抱えるデュナン公爵の腕を引く事も忘れて、その光景に見とれていた。そして目の前で戦う老人に畏怖いふの念を抱いた。

 自分は新米で、過去の親衛隊に鬼の大隊長という人物が居たというのを話でしか聞いた事がなかった。その人物がこのフィリップという老紳士だという事を聞いてはいたが、本人を見る限り、ただの作り話だと思っていた。親切で礼節を重んじる人物だとは思っていたが、強いなどと思いもしなかった。

 リベール軍部での伝説的な人物が目の前で戦っている。しかもこの圧倒的な巨大人形兵器をさらに上回る攻撃で押している。この鬼神のごとき戦いを最後まで見ていたい。この二度と目にする事ができないであろう戦いを心行くまで眺めていたい。それは戦いにたずさわる武人としての本心であった。
 だが、今の老紳士が望んでいる事は、デュナン閣下を安全な場所まで逃がす事だ。そのために彼は戦っているのである。
 兵士は気を引き締め、未だ怯えたままのデュナン公爵へと向き直る。

「デュナン閣下、フィリップさんが戦っています。貴方を逃がすために戦っているんです! 私は彼のためにも、なんとしても貴方を安全な場所までお運びしなければなりません。」
「人形兵器はもうイヤじゃ…、人形兵器は……。」
 フィリップさんが身を削って戦っているというのに、なんでこの人は……。

 兵士は考える事よりもまず、運ぶ事を優先する。無理矢理に肩に手を回し、半ば背負うようにして強引に引っ張る。自分よりも体重が重い事など、フィリップの事を考えれば大した問題ではなかった。
 彼が命を賭けているように、自分もいま出来る事に命を賭けるのだ。


 この攻撃が続けば、あるいは倒せていたかもしれない。彼がかつての鬼神のままであれば、この戦いはここで終っていたかもしれない。

「ハア…ハア…、なんという事だ、全力で3分も持たないか。ハアハア…。」
 尽きつつある体力に鞭打つフィリップ。すでに限界近くまで疲労している事は隠しようもない現実だった…。











「巨大人形兵器なんて…、まるで計算外でしたわ。」
 王都グランセルの入口近くまで警備巡回を進めていたカノーネ達は、その異変を察知して引き返している最中だった。
 彼女もこの振動が自然によるものではなく、とてつもなく大型の機動兵器だという事は見抜いていた。このエルベ周遊道の周辺に原因があるのだと気が付いてはいたのだが、この周遊道は思いのほか広い。だから、各方面に分隊を派遣し調査していたのである。

 エルベ離宮方面に巨大人形兵器を発見。現在低速にて移動中────

 周遊道を駆け抜けるカノーネと兵士達。目指す離宮へはまだ到着しそうにない。先ほどから遠くに銃撃音が聞こえてくるが、それがエルベ離宮の警備隊からである事は想像できた。
 そして、継続しているという事は敵が健在であるという事も示唆しさしている。一刻も早く駆けつけ、敵を殲滅せんめつしなければならない。


「まさか周遊道から敵が出現するとは思いませんでしたわね。」
 警戒していたつもりで失念していた。自らの甘さと愚かしさに歯噛みしながらも、彼女の頭脳は2つの問題を巡らせる。

 一つは敵の数。あの巨大人形兵器以外の伏兵がいないか? あれ自体が陽動で本隊がどこかへ潜んでいるのではないか、という問題だ。
 戦争というのはいくら個体の戦力が高くとも、それが少量ならば数の前には無力である。百日戦役で勝てたのも、リベールにそれ相応の飛空艇を用意できたからである。1機、2機で勝てるほど甘くはない。
 伏兵調査のために何人かを周囲に派遣させ、また王都への通達にも向かわせた。これ以上、網を抜けさせるつもりはない。あの巨大人形兵器に気を奪われすぎてはいけない、という事である。

 もう一つ気にかかっているのは「何を狙っているのか?」である。
 破壊が目的であれば、なぜエルベ離宮へと向かうのだろう? 重要施設の破壊を優先とするならそれも納得できるが、今の離宮には何もない。ただの観光にしか使われていないからだ。
 間違いなくこの時期に離宮を襲う価値がない。混乱を招くためなら直接グランセルを襲う方が効率がいいはず…。
 他に伏兵のような部隊が隠れるような場所は周遊道にはない。人形兵器が単体での陽動だとしても、王都を警戒しているのはリシャール様だ。彼がその程度の作戦に乗せられる人物でない事は誰よりも自分が知っている。

 もしリシャール様が敵の作戦を感知しているならば、とっくに哨戒しょうかいの飛空艇が周遊道の上空を回っているはず。しかしそれもない…。
 結論を出すにはまだ早い。しかし、カノーネはある程度の予想をしていた。戦闘においての型が通用しない相手、それは身喰らう蛇の仕業に間違いない。そして彼らならば、何を考えるのか───。


 そこで彼女は気がつく。エルベ離宮を襲った理由、単体で攻めた理由。リシャール様が行動を起こさない理由…。確証はないが、これが正しいのではないか、という確信を得ていた。

 エルベ離宮には王族いる。それも2名。デュナン=フォン=アウスレーゼ、クローディア=フォン=アウスレーゼ。その二人が離宮にいるならば、奇襲をかけるという意味でも、強力な単体兵器での強襲は理由として十分だ。身喰らう蛇は一度、王族の拉致を仕掛けているのだから、再度の襲来があっても当然である。
 リベルアークの事件が終ったとて、リベール襲撃が終ったと誰が決めた? そう、決めつけるのは早いのだ。終ってなどいなかったのである。











「くっ───!」
 フィリップは膝をついて息を切らせた。老体に鞭打った代償は高く、体力は限界を超えている。彼が戦士として戦えた時代は遥か過去の事。もはや歩く事はおろか、逃げる力さえ残されてはいなかった。

『は、はは…、なんだ、もう終りか。あははははは! ちょっと傷が付いただけじゃないか。さすがはカプトゲイエンだ。』
 再びキャタピラを始動させ、フィリップへと迫る。彼の身にこれから何が起こるかは想像に固くない。きっとあの鈍器のような腕で押しつぶされるのだろう。そしてたぶん、死ぬのだろう。
 …しかし彼は多少なりとも満足していた。主を逃がす事ができた。先ほどの兵士がデュナン閣下を安全な場所へと避難させてくれたのだ。


 ───思い起こせばあの時、閣下がまだ十代からの世話役付きだった。


 我侭で苦労はさせられたが、それでも健やかにお育ちになった。王族としての器は小さいのかもしれない、政務に関わるには性分が合わないのかもしれない。
 しかし閣下には閣下のいい所がある。それに最近は随分と前向きになった。女王様やクローディア様達と比較され、いつくもの陰口を叩かれているのは知っている。しかし最近はそうではないのだ。閣下は皆が知らないところで、裏方をこなしておられるのだ。

 王族としては面倒な対応、苦情などはどんな時も消える事が無い。王族だからこそ避けて通れない雑務もある。そんな仕事を女王様やクローディア様へ行く前に処理しているのは他ならぬ閣下なのだ。誰に誇るわけでもなく誰に褒められる事を望むでもなく、王族の責務をまっとうしている。いつも変わらないようで、本当に頑張っておられる。

 私はそれを一番よく知っている。頑張っているあの姿を知っている。
 ああ、知っているのだ…。


『僕の出世は目の前なんだ。すまないがトドメを刺させてもらう……。』
 ギルバートの慈悲なき宣告に、フィリップは目を閉じた。
 悔いはない。精一杯に生きてきた。どうせ逃げる事もできそうにないのだから、ここで幕を閉じよう。願わくば閣下がこのまま平穏に暮らせる事を願う…。

「───リップさん! 逃げて!」
 遠くからの声、それは誰でもないクローゼのものであった。巨神を追い、必死で駆けてくるアネラスとクローゼではあったが、それでも阻止できる距離ではない。距離にして17アージュ、離宮4つ分という距離だ。これではあまりに遠すぎる。

 振り上げられた破壊する意志は空高く掲げられ、その先には慈悲のない金属の球体が在った。ギルバートに躊躇はない。
 僕は生まれ変った。いつも失敗していた庶民のギルバートから、新・ギルバートを名乗り、生まれ変ったのだ。…だから容赦しない。機械のように操作するだけだ。


「お願い、届いて───!」
 クローゼは意志の力を集約させた。通常であればとても届くわけもない超長距離での詠唱。しかも目を閉じて集中する事も許されない悪条件。…だが今は自分がやらなければならない。なんとしてもフィリップさんを助けるのだ!

「クローゼちゃん! お願いっ!」
「はい! 任せてください!」
 隣を走るアネラスには手が出ない。この瞬間、フィリップの命運の全てはクローゼに託された。
 彼女は今、持てる全ての想いと、ことわりを操る力を集約させた。彼女が放つ事ができる最大の”力”をいまここに発現させるために詠唱する。


「万物の根源たる七耀を司るエイドスよ…、そのたえなる輝きを持って我らの脅威を退きたまえ───」


『僕の出世のために! さあ、砕けろっ!』
 ギルバートの決意と共に振り下ろされる鉄球。確実にその命を奪う一撃は放たれる。

「我に集いて魔を討つ陣となれ──、 光よ! サンクタスノヴァ!」
 理力の集結から生み出されたクローゼ最大最強の一撃。悪意より魔を退ける聖なる光サンクタスノヴァ。
 その力有る言葉が解き放たれると共に炸裂する破壊の閃光、光輝く波紋は空の女神の加護を得て爆発的な衝撃を生み出す。白の螺旋らせんが宙空に生じ、神秘なる模様を描き彩る。

 空の女神に祝福されし破壊の旋律はその距離さえも超越し、空間さえも超えてカプトゲイエンへ襲いかかる! 殲滅する対象へと炸裂した!

 巨体が放ったはずの鉄球はその衝撃に揺らぎ、命を奪う標的から大きく逸れた。


『くっ! なんだこの衝撃、駆動魔法じゃないのか!?』
 幾度となく炸裂する光の衝撃に耐えるギルバート。これほどの重量を有した巨体に乗っているにも関わらず、激しい爆発がコクピットを揺らす。シートベルトをしていなければ、体が叩きつけられていた事だろう。

「引いてください! これ以上人々を傷つけるなら容赦しません!」
 その隙にクローゼが間に合う! 彼女はフィリップの元へとたどり着き、巨体の間へと立ちはだかり、抵抗する意志を発した。
 絶対に許せない。許すわけにはいかない。大切な人達を傷付けようとする者には全力で立ち向かう。クローゼは強く心に刻まれた信念を持ってカプトゲイエンに相対する。


『くそっ! なんだったんだ今のは! なにっ?!』
 邪魔されたギルバートはその相手をにらむ。そして相手がクローゼである事を知った。王太子クローディアと、そして確か…ジェニス学園で邪魔した遊撃士だ。こんな所まで、またしても僕の道を妨害しに来たのか。ギルバートは大きく舌打ちした。
 今までのギルバートならば、慌てふためく事もあったかもしれない。しかし今の彼は自信に満ちていた。このカプトゲイエンさえあれば怖い物など無い。誰が来ようと問題ではないのだ。逆に、クロ−ディアが目の前に現れた事こそ神が与えたチャンスである。
 青年は少し前に覚えた、あの悪役らしい笑みを浮かべて見せる。

「執事さん、大丈夫ですか?」
「こ、これは遊撃士の…、なんとか…立てると……っ!」
 一方で、アネラスは消耗しきり膝をづくフィリップに手を貸す。

 今のうちに彼を安全な場所へ逃がさなければならない。しかし、彼は動けないので連れて行かねばらない。安心できる距離まで逃がすとしたら、今度はクローゼを一人にしてしまう。それはできない。…かといって、近くに残せば戦いの余波で傷ついてしまいかもしれない。

「わ、私に構う事はありません。お二人の足を引っ張るような事は……、、ごほっごほっ!」
「なんとか…、なんとかしなくちゃ…!」
 助けたいのに、離れられない…。どうすればいいのか? 敵はもう臨戦態勢だ。もう選択する時間さえ残されていなかった。


「遊撃士の方! こっちです! 私がお連れします!」
 そこで声がした。汗だくになりながら走ってくる兵士。カプトゲイエンが居るのに恐れもせずに全力で駆けつける。
「あ、ありがとう! 助かりました!」
「ええ、任せてください。フィリップさんは必ず安全な所へ、デュナン閣下の元へ送り届けます!」
 かなり疲労しているように見える兵士だったが、それを表に出す事も無く笑顔でフィリップさんを背中に担いだ。そして一気に駆けていく。気持ちいい逃げっぷりだ。…これならばもう彼は安心だろう。

 十分にその後ろ姿をみる事もなく、アネラスは腰から剣を抜いた。そしてクローゼの横で構えをとる。クローゼもすでに細身の剣を手にし、いつでも動けるよう体制を整えている。


「アネラスさん、ありがとうございます。」
「お礼はあとであの兵士さんにね。それよりも……。」
「はい。これは……一筋縄ではいかないかもしれません。」
 二人が注視する先に居るのは巨大人形兵器。そしてそれが異常な相手だとすぐに悟った。今のサンクタスノヴァを食らっているにもかかわらず破損している個所が見つからないのだ。

 クローゼが放った攻撃、「Sブレイク」は武術、魔術などを極めた者だけが使いこなせる一撃必殺の技である。遠距離での使用だったとはいえ、幾度にも渡る激しい爆発と衝撃を与えるあの技でそれらしい破損が見当たらない。あるのは少量の刀傷のみ。

 つまり──、恐ろしく固い。

 これまでの戦闘を経て、この程度の損傷である事を見ればそれは容易に想像できる事だった。たぶん、尋常じんじょうならざる強度を有しているのだろう。

「……う〜ん、勝てるかなぁ。ここにエステルちゃんかヨシュア君でも居たら心強いんだけどねー。」
「ふふ…、それは賛成ですね。でも、私達だけでもやらなくちゃ。力を合わせればきっと勝てます。」
「そうだね! じゃあ───、行こうか!」
「はい! 必ず止めてみせます!」











 戦闘開始より、すでに10分以上が経過していた。

 けして迅速ではないカプトゲイエンから繰り出される攻撃を避け、着実な一撃を与えていく二人。しかし通常の攻撃では傷を負わせる事ができない。思った以上の防御力に驚くばかりだった。

「じゃあこれならっ、八葉── 滅殺っ!」
 大きく跳躍したアネラスは、巨体の頭部、その頂点に位置するコクピットへと攻撃を叩き込む。それは連続攻撃、刃の乱舞は目にも止らぬ速度で繰り出された。
 並の人形兵器ならば避けるどころか、それだけでバラバラに崩れるであろう怒涛どとうの連撃。しかしそれでも、コクピットを守る半透明キョノピーを傷をつけることができない。一見してガラスのようなのに、硬度の高い宝石であるかのように固い。


「やっぱり──、傷も付かない───。」
『あ、危ないじゃないか! なんて事をするんだ!』
 アネラスはギルバートの小市民的な反論など聞いてはいない。もう人が乗っている事などで剣を引く事はできない。確かに最初は驚いたが、これだけの被害を出しているのだから、もう、ごめんなさいでは許すわけにはいかないのだ。
 自分は遊撃士として、なんとしてもこの犯人を逮捕しなくてはならない。

 宙空での体勢を立て直すべく、アネラスは近くの大木を蹴ってさらに上へと跳躍ちょうやくした! しなやかな獣のような運動能力を十二分に発揮し、先ほどよりも上、カプトゲイエンの頭部よりもさらに上の高さへを得る。
 「八葉滅殺」という技は確かに強力な打撃を与える。しかし、あくまで対人技としての範囲だ。これほどの硬度を持つ相手に効果があるとは思えない。
 ──だから、通常は跳躍後に繰り出すはずの最大の一撃をキャンセルする。さらに上の技を直前でぶつけなければダメージは与えられない事は明白だからだ。

 ならば、今ここで使う技は一つ、
 自身の扱う事のできる最強奥義、Sブレイク「真・光破斬」しかありえない。

「これで───っ」
 闘志という心の力を刃へと伝え圧縮し、さらに限界を超える力を集約させる。
 莫大な破砕力を持つ衝撃、触れる全ての敵を消滅させる最大級奥義、光破斬。そしてその威力を二乗と変える光刃の十字剣「真・光破斬」、これで倒せない相手はまずいない!

「決まりだよ!」
 全身全霊を賭けた一撃、使った本人でさえ大きな反動を受けてしまう最大攻撃が闘志の波動となって放たれた。絶対破砕の刃、光速さえも切り裂き破る必殺の一撃がその巨体へと激突する。

 一瞬前、アネラスの八葉滅殺が放たれる直前にクローゼもまた行動を起こしていた。

「こちらも行きます!」
 クローゼの胸に下げられているのは最新式の戦術オーブメント。そこから細く放たれる蒼の光は”水”を示す輝きである。複数に連結された球体…、クオーツは術者の力をめて術を発現する。


「氷結の烈風、大地編み止める凍土、は瞬きの刹那せつなさえ制止する! ──駆動魔法【コキュートス】!」

 クローゼを中心とした蒼光は柱となって空へと登る。その傘が開くように、凍結の力が周囲を巻き込んでいく。アネラスが叩き込んだ光破斬の爆裂、さらに追い討ちの最上級駆動魔法コキュートスがカプトゲイエンを包み込んだ。
 光破斬での破砕の力が衝撃となって押し寄せると同時に、巨体を含む周囲の全てに絶対零度を与えるコキュートス。周囲は瞬く間に凍りつき、大地から生じた凍える槍が巨体を襲う。宮殿ほどもある大きさの人形兵器が一瞬にして凍れる彫像と化した。この恐ろしい規模の連携攻撃が完璧に敵を捕らえた瞬間だった。

 攻撃の連携は、敵の隙をつく事ができる有効な手段だ。それを通常の肉弾戦ではなく技や魔法自体で行う。口で言うのは簡単だが、発動のタイミング、激突速度の調整、その他多くの不確定要素を超える事の難しさ…。とてもじゃないが、そんな妙技みょうぎをできる者は数える程だろう。しかし彼女達はそれを簡単にやってのけた。誰もが容易たやすくできるのではないかと思えるほどスムーズに決めてしまったのだ。


 ほどなく、コキュートスの力は呪縛を解かれ、氷結した力が霧となって舞う。肌寒い朝霧のようなもやが周囲に広がった。

「この連携攻撃なら───」
 倒せてはいないかもしれない。しかし、無傷ではないとクローゼは読んだ。リベルアークでの戦いを潜り抜けた事による自信が彼女にそう確信を持たせる。

「ただじゃすまないハズだよ!」
 近くの木を利用して地面へと着地したアネラス。彼女もまた戦闘のプロである。クローゼと同じように効果的なダメージを与えたと踏んでいた。どんな相手でさえ、これほどの威力を同時に受ければタダでは済まないだろう。この後、あの人形兵器がどう出てくるか、が問題である。


【 ──対術式絶対防御システム、Ver,0、作動中…─── 】
 ギルバートが切り忘れた外部スピーカーから漏れる声…。彼女達がその機械的な声を耳にしていたならば、これから起る事を回避できていたかもしれない。いや、聞いたとしてもそれを理解できなければ意味が無い。これは予測されうる最大の危機だった。

「──! くっ!」
 煙の中、クローゼの苦しむような声が響いた。
「クローぜちゃん!」
 アネラスは濃霧で見えないクローゼの姿を必死に探した。だが、この時点で反応してももう遅い! もやが晴れると共に視界が開ける。アネラスが見たのはが、宙に浮いているのはカプトゲイエンの腕、4本のうちの1本が浮遊し、クローゼの体を捉えていたのだ。


「そんなっ!」
 声を上げるアネラス。まさか敵がこういう行動に出るとは思わなかった。腕だけが独立して動くなんて、それに彼女が捕まるだなんて想像もしていなかった…。

『フフフ……、このトロイメライ=カプトゲイエンの恐ろしさをまだ理解していないようだな。この対術式・絶対防御システムは全ての駆動魔法を無効化するのだ。』
「魔法を…無効…化…?」
 ギルバートの高揚した声、アネラスはただその言葉を反芻はんすうした。本当にそうなら、クローゼの放ったコキュートスはまったく効果がなかった事になる。コキュートスは駆動魔法の中でも最上位。それを完全に防ぐなんて…。

「放して! 放してください! あぁっ───!」
『クローディア王女、お静かに…。そうでないと握りつぶしてしまいますよ』

 彼女を掴んだ腕はその細身に圧力をかけた。苦悶の表情をみせるクローゼに、 アネラスはどうする事もできない。
 しかし、”魔法を無効化する能力”など聞いた事がない。聞いた事はないが、現にそれは真実なのだというのは、敵の健在を確認すれば一目瞭然だ。それは認めるしかない。
 ……じゃあ自分の放った光破斬は効いてはいなかったのだろうか? 自分で言うのもなんだが、あれだって普通の威力ではなかったはずだ。なのに、効果があったようにも思えない。炸裂させたはずのコクピット。そこには何のダメージを負った形跡すら残されていないのである。

『ふふん、ついでに教えてあげようか。キミは琥耀珠こようじゅというクオーツを知っているかい? 知っているだろう? 防御能力を上昇させるクオーツでの最高位、リベルアークに残された古代のクオーツだ。……このカプトゲイエンの核は、その琥耀珠をさらに巨大にしたものが使われているのさ』

 琥耀珠が核? あの稀少なクオーツは自分も使った事がある。通常の琥耀珠でさえ多大な恩恵を受けるというのに、あれ以上に大きなものが中心となっている…? じゃあ、一体どれだけの防御加護を得ているというのだろう? なるほど、これでは並の攻撃が通用するわけがない。

 最上位の防御クオーツ、その強化版で限界以上にまで引き上げた完全防御、
 さらにクローゼ程の使い手が繰り出す駆動魔法さえも無効とする完璧な魔法防御……。


 鉄壁どころの話じゃなかった。これではダメージなんて当るわけがない!


 あまりの事実に声をなくしたアネラス、そしてクローゼ。こんな化物をどうやって倒せというのだろう?
 今この場にいる自分達だけでは勝てる気がしない。いや、勝てないのが道理である。

 それに…、アネラスは自身が手にした愛剣「青龍剣」に目をやる。その刃先はすでにボロボロに欠けていた。東方伝来の名刀としてクルツ先輩に貰った剣だったのだが、あの防御力に耐える事ができなかったらしい。もうこの剣は使い物にならないだろう。

 彼女達は失敗した。まず敵の能力を把握する事が先だったのだ。猛進して攻撃を仕掛ける前に、相手の強さを見極められなかった。見極めていればこんな状況にはならなかったはずだから。


『はっははは! 僕の力に手も足も出ないようだな! 先日のジェニス学園での借りは返してもらったぞ! ──んん?』
 コクピットに飛翔する水の帯、駆動魔法アクアブリードだ。初歩の下級魔法ではあるが、速さと連射による連続攻撃を加えれば、それは多大な脅威となる。しかも使い手はクローゼ。他に追随を許さない理の使い手が放てば、初歩魔法だろうと必殺の威力へと化す。

「まだ終わりじゃありません! 魔法防御壁であろうと、この至近距離で打ち込めば!」
 まるで豪雨、クローゼから放たれる水の魔法は怒涛の勢いでコクピットを襲った。だが──、その全てがことごとく霧散する。まるで見えない壁にでも阻まれるように散っていった。

『おやおや、次期女王陛下ともあろうお方が、聞こえませんでしたか? 効かないんですよ!』
「くぅう……あああああっ!」
 さらに力を込めた巨神の指は、それまで以上に彼女を締め付けた。骨が砕けてしまわないのが不思議なくらいの圧力にクローゼは意識を失ってしまう。

『ふん……。抵抗するからこうなる。姫様にはまだ役に立ってもらいますよ。だから殺しはしません』

「私…、どうしたら……」
 かつてない程に絶体絶命。アネラスは打つ手を失い、それを見ている事しかできない。そして自身の無力さを痛感していた。

 どうしようもない。どうすればいいのかさえわからない。
 これまで自分の歩く道の前には、いつも先輩や手本となるべき人達がいた。彼らに付き従い、全力で前に進むだけで様々な苦難は乗り越えてきた。だけど、今は自分だけ。教えてくれる人も、助けてくれる人もいない。

 こんな時、思い出すのはあの笑顔。お互いにライバルと認めた、あの太陽みたいな彼女だった。彼女ならば、あの年下だけどいつも迷う事のない彼女ならば、どうしていただろう?


「エステルちゃん……教えて? エステルちゃんならどうするの? 私はどうしたらいい?」

 その瞬間、大きな壁のようなものが当って、体が宙を舞った気がした。
 真後ろから、もう一本の浮遊する腕が、巨大鉄球をつけた腕がアネラスの背中を直撃したのである。

「あ………。」
 まるで自分じゃないような感覚、近くでそれを他人事のように見るような、そんな不思議な感覚と共に空を舞い、そして地面へと落ちていく。受身を取る事もなく、自由落下のままで背中から落ちたアネラス。とても遠くに感じる痛みを他所よそに、目の前が真っ赤に染まる世界をなんとなく見ている気持ちだった。


 あれ、おかしいな。体に力が入らない。それに……なんだろう? やけに周りが静かだ。
 顔にかかった生ぬるい液体。赤の液体を感じて、なぜか先ほどのジョセフィーヌ探しを思い出した。あれは大変だった。すっかり汗をかいてしまった。

 早く家に帰りたい。……家に帰ったらまず、ぬいぐるみ達一人づつに挨拶して、

 ……ああ、その前にお風呂入ってキレイにならないと…、この嫌な液体を…、拭って……。

 あれ……、私……その前に………、やらな…………きゃ………いけな…い事…が………。
………………………。


 アネラスはいつのまにか、目を閉じていた。
 とても大切な事をやり残したはずだった。まだ眠るには早いはずだった。

 しかし、それを思い出す前にその意識は途切れて、──消えた。



『ふふふふふ……、あっはははは! どうだ! 僕の力は! 僕はエリートなんだ! 誰よりも! 誰よりも優れた、認められた人間なんだ!! あははははは!!』
 まるで壊れた人形のようにけたたましく笑うギルバート。抑圧されたエリートへの渇望が解放された笑いは、外部スピーカーから下品に流れていた。






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