ナイトメアがやってくる!
BGM:「想いの眠るゆりかご」 (3rd サントラ1・15)
……僕は心が弱いだけの人間だった。
生きているだけで他者を巻き込んでいく、みっともなくも救いようもない人間だったんだ。
それはレンを巻き込んだという事に限った事じゃない。
僕は……姉を犠牲にして生き延びた。壊れた心をワイスマンを頼って繋ぎ、そしてレーヴェに守られながらも、他者を虐げ生きてきた。
そしてまた、壊れかけた心をエステルに繋いで貰った。そうした事で僕がここにいる。繰り返し繰り返し、壊れては繋ぎ、自身というものを保っている。
フルーレの言うとおりだ。
僕は他者を犠牲にしなければ生きていけない。他者を巻き込みながら生きているじゃないか?
生きているだけで、みんなを不幸へと追いこんでいるじゃないか。
そのツケが返ってきただけなんだ。
僕が犯した数々の罪は消えず、生きている事で害される人達がいる。巻き込んでいく。
命を継続させる事そのものが罪として痕を残すなら、禍根を残すだけだというのなら───
僕という存在は、報われぬ魂がため、死をもって瞑する事が最良なのかもしれない。
だから僕は手を伸ばす。
暖かな姉へと。
僕が誰かを傷つける事もなく、巻き込む事もなく、どんな悲しみさえもない、
永遠の平穏と幸せが待つ世界へと逝くために────。
「ねえ、ヨシュア……。最後に一つだけ聞かせてくれない?」
どこか悲しみを含んだような微笑を浮かべながら、カリン姉さんは僕へと語りかけた。
僕はそれが何かも考えずにただ耳を傾ける。
「もう、思い遺す事はない? 貴方は後悔を残してはいないの?」
その瞬間、僕の心に強く浮かぶ人達がいた。
いつも明るく、僕を照らしてくれる彼女。共に生きてくれる、支えてくれる彼女。
エステルの笑顔が思い起こされた。
そして、一人で道を迷い、救い出される事を望んでいる少女がいた。
僕が巻き込んだはずだというのに、僕やエステルをただ待っている小さく細い彼女が、レンが居た。
そして、多くの人々が脳裏に浮かぶ。
父さん、シェラさん、クローゼ、アガットさん、ティータ、オリビエさん、ケビンさん、リースさん、ジンさん、ティオ、エリッサ、エドガーおじさん、ステラおばさん、ジョゼット、キールさん、ドルンさん、ラッセル博士、女王陛下、リシャール大佐、ユリアさん、ミュラーさん、アネラスさん、クルツさん、グラッツさん、カルナさん、ジル、ハンス、キリカさん、アイナさん…………。
まるで洪水のように次々と、様々な人達の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく……。
「……………………………………。」
カリン姉さんの問いに答えられない。永遠の安息の誘惑よりも強く、激しく、心に残した人達が浮かぶ。僕の命がいまここで潰えたとしたら、みんなはどう思うだろう? そして彼女達はどうなるのだろう? このまま……死を受け入れていいのか? 僕はこのまま何もかも捨てて逃げていいのか?
「僕はこのまま…………、姉さんの手をとって………いいのか…?」
この期に及んで浅ましいと思うかもしれない。だけど僕には、どうしても忘れられない人が居た。この魂を姉と共にする以上に、僕の中でもっとも心配するエステル、そしてレンという「家族」への想いが声をあげていた。
僕の魂が望むものは平穏であるはずなのに、その魂さえも超越した”想い”が僕の中に内包されていた。けして無視できず、けして忘れる事ができない大切な人達。それは溢れんばかりに僕の弱い心を責めたてる。
僕は自身の死を納得できるのか? 彼女達を遺す事に後悔の念を抱いていないのか?
そんな僕を見て、物憂げな瞳を向けるカリン姉さんは、目を瞑りながら、静かに……言う。
「ねえ、ヨシュア…。貴方は思い違いをしていると思う。」
「思い……違い?」
「ええ、思い違いよ。……人が人の中で生きる以上、関わりを持つ事は当然の事。貴方に関わった事で死を迎えた者も確かにいる。……でもそれは貴方に巻きこまれて不幸になったわけじゃない。わたしも、レーヴェも、エステルさんも……みな、貴方を助けたいと思ったから手を差し伸べた。貴方のせいじゃなく、そうしたかったから、そうしただけなのよ。」
「貴方も、エステルさん達が心配だから力を貸したいと思っているんじゃないの? 誰でもない、貴方自身がそうしたいから、死ぬことを思い留まっているんじゃないの?」
「…………………。」
「きっと、ヨシュアはもう答えを知っているはずよ。貴方は心に残した想いを、このまま捨てるような事はできない。それは私がよく知っているから……。」
「……姉さん……。」
「貴方は答えを知っている。そして私もそれを知っているの。……だって私は……カリンであってカリンではないから。」
カリン姉さんは差し伸べた手を戻して立ち上がる。両手を胸の前で、手の甲を組み合わせて僕の横に立っている。まるで、僕が立つのを待っているかのようだった。
「姉さんであって、姉さんじゃ……ない?」
「ごめんね、ヨシュア。……私は本物のカリンじゃないの。私は貴方のイメージしたままの…思い出のままのカリン。貴方の心に宿るカリンという名の記憶であり、………貴方自身の”優しさ”を司る者。様々な心の一つなの。」
「貴方がカリンという姉から受け継いだのは”優しさ”という心。レーヴェから受け継いだのは”心の強さ”……。そしてエステルさんからは”希望”をもらった。……貴方はいま、色々な人から想いをもらって、ヨシュアとして成り立っている。」
「いまの私は貴方自身の心なの。貴方はワイスマンの呪縛から逃れた時、もう自分のためだけに死ねないと知った。その気持ちを思い起こすために私は現れたのよ。」
僕の心の……一部? 心の一部が思い出の人となって姿を現した。まるで影の国と同じような法則の元に具現化し、今ここにカリン姉さんの姿をとっているという。”優しさ”のままに僕の願いを聞き届け、来てくれた…。
「……貴方は、確かに様々な罪を背負っている。人の道に乗ることができず、正しく歩いて来る事が出来なかったのかもしれない。…だけど、今の貴方は自分一人のために生きてはいないでしょう? 遊撃士として人と関わって生き、多くの人を救ってもいる……。」
「精一杯の努力をしているから、誰からも信頼されている。……仲間達が貴方の過去を知りつつも信頼を寄せてくれるのは、他人事だからじゃなく、いまのそういう貴方を見てくれているからではないの?」
「その貴方が、軽々しく諦めたら、貴方を信頼してくれている彼らはきっと哀しむわ…。」
「……それになによりも、今の貴方には絆を深め合い、共に生きる事を誓った二人がいるでしょう?」
「今の貴方には、彼女達を置いて逃げる事なんて出来ないはず。……もう、捨てることのできない”責任”を残しているのだから。ここで朽ちてはいけない。立ち上がらなければならない理由がある。」
僕に宿っている様々な想いがある。
人と人とが結ぶ絆が、いまの自分を作り上げている。
ワイスマン教授の手により組み上げられた人格はもうどこにもなく、僕はどんな道でも選ぶことができた。自らで命を絶つこともできた。諦めて逃げる事ができた。……だけど、人と人との間で生きる事で生まれた絆というものがあった。それはいつしか、逃れる事のできない責任として……存在していたんだ。
「僕は……諦めたら……いけないという事か……。そんな無責任な選択は選べない…。」
「そうね。少なくとも、いま貴方以上に苦しんでいる二人を遺してはおけない。彼女達よりも先に諦めてはいけないはずね。」
頭のどこかで理解はしていた。レンにした事を悔いているなら、怯えて迷う彼女をこのままにして僕は死んではいけない。僕には命ある限り、行った事への責任を果たす義務がある。………目の前のカリン姉さんが言うように、僕はそれを知っていたはずだ。
それなのに、逃げてしまおうとした。きっとそれが一番楽で、簡単な事だったから………。
僕はどこまで弱いのだろう? こういう弱さを捨てなければならなかったというのに、どこまで甘えていたというのだろう?
僕はもう逃げないと、誓ったはずだというのに………。
「ねぇ、ヨシュア。貴方には見えるはずよ。彼女達が苦しんでいるその様相が。」
「……エステルさんは自らの浅薄さという弱点を責められ、レンさんは自分自身の心の弱さをつかれている。貴方がそうであったように、彼女達もまた弱い心に杭を打たれているの。」
なぜ、僕がエステル達の姿を見る事ができるのかはわからない。しかし、僕には彼女達の悩み苦しむ姿が見えていた。それぞれが一人で悩み、苦しんでいる姿が、手に取るように見渡せた。
僕自身も過去への断罪を、そして隠行戦闘を得意とする事で生じる戦術的な弱点をつかれた。フルーレは心を見通し、それぞれの弱い部分を攻めているんだ。だから二人とも苦しんでいる。助けを待っているはずだ…。
だけど……………。
「カリン姉さん……、僕は………どうしたら……いい? 僕には諦めるという選択肢はなく、逃れることの叶わない責任を抱いているのかもしれない。……だけど、フルーレには僕を責める十分な理由がある。僕は彼女に死ぬことを望まれているんだ。」
「そして僕は…………………、彼女に………………何一つ、言葉を返せない……。」
僕はエステルもレンも救いたい。心の底から救いたいと願う、切望する。だけど、フルーレはそれを許さない。僕を恨み続け、仇を討とうとしている。
彼女は望んでいるんだ。ヨシュアと名乗る化け物が死ぬ事を。
それは家族を奪った僕に対する、当然の想いなのだから……。
「ねえ、ヨシュア…。これも貴方自身が可能性として考えている事なのだけれど……、彼女が貴方を殺したいのなら、なぜいま貴方はここにいるの? 彼女の能力なら、なんとでも出来たはずよ? きっと、今この場に存在することも許されず、あの場で命を奪われていたはず。だって、彼女はこの世界の《支配者》、貴方をこの世界に招いた時点で、全てを自由にできたはずなのだから……。」
「それなのに、────なぜ貴方は死んでいないの? いいえ、生かされているの?」
思考が止まった。カリン姉さんの言葉が、僕を貫いた。
彼女は全てを《支配》できる。
彼女は全てを決定できる。
では、なぜ僕を殺さない?
苦しめて最後に殺そうというのなら、カリン姉さんという心の出現さえ許さなかったはずだ。
僕が自分を取り戻すような思考さえ許さなかったはずだ。切り裂いて復讐だけを果たせばよかった。
彼女はいつでも僕を殺す事ができた。
……なのに、なんで僕を殺さないんだ?
そうだ、この状況そのものが有り得ないはずなんだ。
…………最初から状況を整理してみる。何かがおかしい。
レンの手がかりを求め、フルーレに会うためにオルサ村へ。その途中で遭った事……。
そして、オルサ村で誰に出会った?
宿で夕食を取り、エステルに何を話そうとした? 直後に駆け込んできたのは?
土砂崩れに巻き込まれたのは誰? その時、僕はどう思った? そして何をし、どうなった?
エステルを宿に任せ、村長に報告をしに行こうとした時、現れたフルーレはなんと言った?
一体、これらの……どこからが彼女の支配下だった?
彼女は今、僕達に何をしている? なぜこんな事をする?
エステル、そしてレンが自らの弱点を突かれる中、その苦悩する姿を僕が見渡せるのはなぜ?
恨んでいるはずの僕を生かしておくその理由は?
これまでの全てを繋ぎ合わせ、矛盾と筋道を改めて構築した時、
僕は、その”答え”にたどり着いた。
「………………フルーレ………、……それがキミの……………………………。」
僕がその言葉を発した時、暗い闇の遥かな奥に、小さく光る輝きが見えた。確証はなかったけれど、あれは出口だという事がわかった。出口でしか有り得なかったからだ。
曙光の先を見据え、立ち上がる。僕の中にはもう、ここで朽ちるという選択肢はどこにもなかった。
「行くのね、ヨシュア。」
カリン姉さんの問い。でもそれは、全てを了承した上での問いだ。
「………うん。どうやら僕は諦めてはいけないらしい。だから誓うよ、二度と自分のために命を捨てない、と。……彼女達を救わなければならないから。」
「そう……。なら、頑張らなくては……ね。」
「僕自身の心なのかもしれないけれど、カリン姉さんに会えてよかった。本当に、良かった。」
姉さんは昔のように温かく微笑みで答える。そして、胸の前で両手のひらを受け止めるようにすると……そこに、一振りの黄金に輝く剣が顕れた。
それは、レーヴェが持っていた剣。ハーメル村の墓標に捧げてきたあの剣だった。
「この世界は影の国と同様に想いが具現化する。だから私もここにこうして存在する事ができた。……そしてこの剣もレーヴェからの受け継がれた”強さ”の象徴として今ここにあるの。……戦う意志の証として、貴方の心に宿る力の一部として形創られた剣よ。」
これは僕の心に宿るレーヴェの強さ。受け継いだ強い意志を示すものだ。
だけど僕は、それを受け取らなかった。受け取るわけにはいかなかった。
「……カリン姉さん。…これは僕には使えない。いや、使っちゃいけないと思うんだ。僕の中にある力かもしれない。戦うことを決めたなら、携えていくべきなのかもしれない。」
「だけどね、姉さん。……これはレーヴェから受け継いだものなんだ。最初から僕自身が持っていたものじゃない。僕は僕としての心と力を示さなければならないから。」
姉さんはまた微笑むと、そう……と小さく答えて、剣を消した。
いまの僕は、右手は折れて使えないし剣もない。だけど、まだ左手が動く。落としたはずの双剣も一本だけ残っていた。
しかし、大きく切り裂かれたはずの胸の傷はもうどこにもない。まるで心が前を向いた事で傷を埋めたかのように。……だとすれば、戦うには十分だ。僕自身が持つ”全て”を投じて戦わなければならない。
「もう行くよ。カリン姉さん……。」
「……やっぱり、ヨシュアは変わったのかな?」
「え…………?」
「ううん、なんでもない。…さあ、行きましょう。私はいつも貴方と共にある。」
カリン姉さんが光の雫となって僕の中に戻っていく。それは僕の思い出の中の姉さんだったかもしれない。だけど確かに、あの時となに一つ変わず、僕を支え続けてくれた姉であり、また、僕の心を救ってくれた”優しさ”でもあった……。
カリン姉さん、僕は誓うよ。……命ある限り、ただ前へ、ひたすらに前へと駆けていくと。
二度と道を違わず、二度と歩みを止めずに、責任を果たすと。
僕は咎人だ。そして他者の運命さえも狂わせる悪意。それは変わらない事実。
だけど、僕には責任があった。捨てられない、果たさなくてはならない責任があった。
だから、今はただ、全力でその責任を果たす。それが今の僕にできる事───。
フルーレの目的、それが僕の予想のままだとすれば、
もう時間はないはずだ。
エステル、レン………いま、僕が行く────。
終焉を願う全ての者達に問おう。この事件の真相とは何なのか?
その心を理解したとき、真の結末へと至る道を見出すものなり。