水竜クーと虹のかけら

第一部・03−03 「それぞれの戦いB 女王と魔神の戦い」
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「釣った魚はリリースするですよ!」
「……そうだね。まだ小さい魚は湖に戻してあげないとね。」
 水竜クーのありがたきお言葉に、なんとなく返事をするユニスは、現在とても複雑ふくざつな心境である。

「むぅ、でもこれ焼いちゃったですけど、ダメですかね?」
「う〜ん…、やっぱり焼いたらダメだと思うよ。」

 そりゃあそうだ。生きたまま戻すからキャッチ&リリースなのであって、焼いて河に戻してもダメに決まっている。むしろ湖にも魚にも失礼である。ぶっちゃけ、クーは食べる気まんまんなのであって、戻す気など最初からない。せっかく釣上げた獲物が大きかろうが小さかろうが、全て胃袋の中へと直行するのは決定事項なのである。

 …っていうか、すでに焼いてあるので聞くまでもない。
 クーにしてみれば、”食べていいよね?”のいいわけなのである。

「このバカモノめがっ! よいかクーよ! 水竜ともあろう者が弱者ともいうべき小魚にまで手を出すとは、いったい何事だ! はじを知るがいいぞ!」
「…あの、ランバルトさん。そこまでキツい言い方をしなくとも…。」
 などと怒りつつも、自身も焼き魚をむさぼり食っているペンギン姿のヌイグルミ、魔神ランバルトは、クーの横暴に腹を立ててしかりつける。はたから見ると、その容姿ようしからして笑ってしまうのだが、この人はこう見えていつでも真剣なので、これでも真面目に怒っているのだろう。

 しかし肝心かんじんのクーはといえば、まったく聞いてもいない。こういう時のクーは、だいたい話を聞いていないのである。

「ランちゃんもこの小魚を食うですよ〜。こいつ卵いっぱい抱えててウマイですよ! 子持ち小魚ですよ!」
「む、魚が一生懸命に産んだ卵までもが犠牲になったというのかっ! 水竜ともあろう者が、実に、実になげかわしい! お前には海類の王という慈悲じひや自覚が───」

「つべこべ言わずに食うですよ!」
「ふがっ───。」
 無理矢理に口へと突っ込まれる焼いた子持ち魚。あろうことか、ランバルトは不覚にもなげいたはずの魚を食すはめになってしまったのである。

 もぐもぐもぐ……。

「ぬ! …なるほど、これはウマイな。クーよ、いまの言葉は撤回てっかいだ。これはゆるすぞ。これほどに美味びみな魚を発見するとは、さすがはクーだ! さすがは水竜というところか。ハッハッハッ!」
「さすがはランちゃんですよ〜。」

「……いいんですか…それで……。」
 ランバルトの悪いところは、クーに対する教育的指導にポリシーがないところだ。
 クーに対して、とにかく甘い。

 そんなやり取りが、さっぱり状況不明なユニスであったが、別にキャッチ&リリース推進派すいしんはでもないし、それくらい問題ないと考えているので気にしてはいない。ただ、会話の運びがめちゃくちゃだなぁ…、と思った程度である。

 …しかし相変わらずみょうな二人だと思う。

 ユニスから見ると、彼女達は友達同士のように見えるのだけど、基本的にはランバルトがクーに礼儀のようなものを教える場面をよく見かける。クー本人がそれを承知しているのかどうかはさておき、仲の良い友達のようでありつつ、親子のような関係だと思っている。
 なぜ二人は一緒に居るのだろう? いつから一緒なのだろう? …混み入った事情があるのかもしれないので、えて聞く事はしないけれど、好奇心こうきしんとして少々気にはなる。…そんなユニスであった。

 さて、いつものような一時を過ごしているクー達より、時間は少しさかのぼる。

 それは3時間前の事。
 ここより右前方に見えるイスガルド城での話だ………。











「───その”蒼髪あおがみの娘”は殺しなさい。…ユニスに近寄る下賎げせんな羽虫は全て抹殺まっさつするのです。」

 女王イメルザはいつも通り、冷徹れいてつな眼差しのまま、当り前のようにそう告げた。

 あの処刑の日以来、ユニスが勉強をして、王城敷地内の森を散策さんさくしているという報告は耳にしていたのだが、相応のショックを抱えているのだろうと思い、えて接触せっしょくはせずに放置しておいた。無理に声を掛けるよりも、気持ちを切りえる時間が必要だと考えたからだ。

 それに、王城の敷地しきちは森と湖が入るほどに広大とはいえ、取りかこむ城壁は鉄壁である。24時間の監視体制は当然としても、城壁自体に魔法反射の呪封印じゅふういんほどこされているし、視覚以外にも魔法探知までもがふくまれる完全な警備網で守られている。

 外部よりの進入は、例え猫の子一匹通り抜ける事もかなわない。

 いかにユニスが一人で敷地内を出歩いたとて、外敵がない以上は心配ない。
 イメルザはそう考えていた。

 しかしその予測は大きく裏切られた。
 どこからともなく現れた”蒼髪の娘”が、敷地内しきちないに入りこんでいるという報告を受けたのだ!

 どのような手合いの者かは分らないが、あの厳重げんじゅうな警備網を反応さえさせずに突破とっぱし、毎日のように湖畔こはんに現れるという。そして、あろう事かユニスはその娘と会うために出掛でかけているらしい。
 国の威信いしんを掛けた防御網がこうもあっさり破られたどころか、ユニスにまで手を出す。女王イメルザにとって、かつてないおどろきと屈辱くつじょくであった。

 ───そして今、王座の間に集まる一同には、すさまじい緊迫感でめつけられていた。

「…いえ、ただ殺しては正体がつかめませんね…。どこの手合いの者かを吐かせなくては…。」
 苛立いらだつイメルザは冷酷れいこくでありつつ、どこまでも冷静な思考で考えを口にする。その残忍ざんにんな女王の正面で、蒼髪の娘の抹殺まっさつ命令を受けたバスタークは、めずらしい事に、いつもの軽口をひそめて大人しくしている。その姿は首をすくめる亀であるかのようだ。

「(やっべぇ……、この女、マジこええよ…。早く帰りてぇなぁ…。)」
 女王の怒りを買う。それは最も恐ろしい事だ。こうなってしまっては、その蒼髪の娘とやらは無事ではいられないだろう。いいや、この世で最も恐ろしい死を迎える事だろう。

 バスタークは知っているのだ。この雷帝の本性というものを。
 息子が関わってしまうと、人を殺す事など息をするより容易たやすい、とでも言うように実行する。

 溺愛できあいにも程がある。
 くるっているとはまでは言わないが、明らかに限度を超えたものだ。

 まったく、この女ほど恐ろしいやつはいない、とバスタークは思う。恐怖で勝てる奴がいるなら、見てみたいものだ。

 …それは女王の両脇にひかえているバスタークの父スラクロードや、女王警備隊の隊長ミザルク老も同意見のようである。いつもの会議ならば、女王にあらゆる方向性を進言する2人であろうとも、この場に限っては顔を伏せ、もくしたままである。
 どんな屈強くっきょうの者であろうとも、イメルザの怒りの前には、だまってうなづく以外にないのだ。逆らってはならないのである。

「ふふ…、ではこうしましょう。…バスターク、盗賊ギルドを使ってその小娘をとららえなさい。ただし殺してはなりません。私がじかに尋問じんもんします。」
「あ、ああ…。了解した。」
 わざわざ盗賊ギルドを使うという事は、女王親衛隊や軍の人間に知られたくないという事だろう。つまり公開処刑ではなく、蒼髪の娘とやらをくびり殺し、そのまま闇にほうむるつもりなのだ。そのために、盗賊などという下賎げせんやからを王城敷地内に入りこませようとしている。

 イメルザはそれだけ本気だ、という事だ。死を与えて当然だと思っている。



 ……かくして、

 蒼髪の娘、つまり水竜クーは、女王イメルザの逆鱗げきりんれることとなったのである……。






 そして、時間は今に戻る。
 湖のある敷地近くには、十数名からなる団体が近づいていた。

 そこには、いつものように白髪を隠し変装したバスタークと、盗賊ギルド団長バフキー、そして長年ギルドに身を置く熟練の者を10名もひかえさせていた。彼らは暗殺、探査、捕縛ほばくなど、あらゆる能力に長けたギルド最高の人員である。そして先導役せんどうやくに、女王の息のかかった女王親衛隊の兵士が立っている。

「おい、バスよ。…もう一度確認するが、その小娘ってのはただの小娘なんだな?」
「…ああ、俺もまだ見ちゃいねえけどな。そうらしいぜ。」
 バフキーはさきほど聞いたような事を再度口にした。バスタークは彼のそんな小物ぶりに少々辟易へきえきしている。彼はそれなりのカリスマと、商才には恵まれているのだが、少しばかり胆力たんりょくに欠ける部分があるのだ。仕事をする前に何かと確認するクセがある。仕事に間違いがないのは結構けっこうな事だが、いつまでたっても同じ事を聞いてくるのは非常にうっとおいしい。…これさえなければ、いい悪党なのだが。

 そんな事よりも、バスタークはユニスの方が心配であった。彼は前回の公開処刑のおりも、テレポートの魔法での長距離移動をしている。たとえ、まぐれだったとしても、今回も同じようにあばれた上にばれ、またも行方知れずにでもなれば非常にマズイ。あの女王の憤怒ふんぬは計り知れないものとなるだろう。
 いかに楽天的な態度を取るバスタークではあっても、今回ばかりは胃がしぼられるように痛い。…それに加え、若い娘が拷問ごうもんの末に殺される場面など、できれば見たくはないという気持ちもある。

 自分を狙う、どこぞの暗殺者を殺すのはどうでもいい。それはただの日常における刺激のようなものだ。相手が勝手に仕掛けてくるのだから、殺されたって文句はいえまい。
 しかし、関係ない人間まで殺したいとは思わない。そこまでちたつもりもないのだ。…だからこそバスタークは、あの…息子に対する異常な溺愛できあいぶりを見せるイメルザに仕える事にウンザリしている。…まあ、今に始まった事ではないのだが。

「見えてきました。」
 先導の兵士が身を屈める。一団の進む先に湖があるからだ。ここをさらに数百メールも進めば、ユニス達のいる場所に辿たどり着く事となる。一団はしげみに身を隠し、様子をうかがう事にした。

「おい、スコープを出せ。」
 バスキーは手下にそう伝えると、まるで最初から用意していたかのようにそれが差し出された。これは遠くを見る事ができる携帯式望遠鏡である。小さなコップ程の大きさだというのに、2キロメール先まで見る事ができるという品だ。盗賊道具の一つである。
 そして今、バフキーの視線の先には、そうとは知らずに食事しているクーの姿が鮮明せんめいに映っていた。

「………あのガキか。確かにあんな蒼い髪色は見た事ねえが……それにしたって、まだ王子と同じような歳じゃねえか。可哀想になぁ…。」
 バフキーはその様子を眺め、そんな事をしみじみと言う。悪党のくせに似合わない事を言うヤツだ、とバスタークは巨漢の男へと視線を移した。

 そして呆気あっけに取られる。なんとバフキーは目尻めじりに涙を貯めていたのだ。早くもあの娘に同情しているのである。

 …きっと、彼は先月に生まれた赤子の……娘の将来を想像して泣いているのだろう。あの娘を見て、自分の娘がそうなったらと想像してしまったのだ。
 敵対する相手には容赦しないくせに、身内や仲間の事となると涙もろくて親身になる。そんな人情派の盗賊でもあるのだ、こいつは。…やれやれ、とばかりに小さく嘆息たんそくするバスターク。

「どうでもいいけどよ、俺にも貸してくんねぇ?」
 そう、確かにそれはどうでもいい話だ。バスタークは勝手に涙ぐんでいるバフキーからそれをもぎ取ると、レンズを覗いてみた。その命短い蒼髪の娘とやらを連行前に確認しておく必要がある。

 何せ、彼にはその娘の姿以上のものが”視える”からだ。どちらかといえば、そっちがメインとも言えるか。

「さぁて、その可哀想な娘さんとやらの命運はあと何時間で尽きるのかねぇ。いや、何十分後か…。」
 間違い無くイメルザに殺されると運命づけられたその娘を見るため、バスタークはその”魔眼”でスコープを覗く。その特殊な眼光は、相手の死の運命を視る事ができる。

 ……だが、彼はそこで不思議なモノを見た。

 その視線の先には、確かに見た事もない蒼く長い髪をした娘がいた。普通の人間では有り得ない光を帯びるかのような美しい蒼の髪。だが、それならば自分も同じようなもの。珍しい髪色には変わりないが、彼が不思議を感じたのはそれではない。
 その瞳がとらえたのは、いつも通り、魔眼が見せる相手の寿命と死因であった。しかし……。

「おいおい…、なんだよあのお嬢ちゃんはよ。こんな事あるもんなのか?」
 彼の目に映った蒼い髪の娘、その寿命は……なんと『不明』であった。彼の目にすらもボヤけて映り、死期がまったく見えないのだ。当然その死因さえもわからない。こんな事は始めてだった。

 しかし、娘の隣にいるユニスはちゃんと4年後の死が見える。相変わらず死因は不明だが、見えてはいるのでバスタークの魔眼が狂っているというわけではないようだ。

 そしてなによりも、その娘より感じるのは強大な魔力である。娘自身が持つ魔力も信じられないほどのもので、女王イメルザすら足元にすら及ばない強大なものだとわかった。…だが、そこが重要ではない。問題は娘の右足。その太腿ふとももの部分にある奇妙な紋様より、何者をも超越した”何か”を感じるのである。

 バスタークには、直感的にあれが人ではない事がわかった。魔眼もそう告げている。あれは人では有り得ない。彼の魔眼だからこそ理解し得る現実がその先に在ったのだ。


 ───言葉を失う。

 あれは間違いなく人ではない何かだ。
 だが、人ではない人型の何かなど、それ以上をどうやって説明すればいいというのか?

「まったく…どうなってやがんだよ…。」
 予想もしなかった状況に、さしものバスタークでさえ困惑こんわくする。あれが普通でないのは分るが、だからと言って女王が敷いた警戒網を突破するような凄腕すごうでにも見えない。ではどうしてあそこに居るのか? 何がなんかさっぱりだ。

「…お頭、準備は整ってますぜ。いつでも行けまさぁ。」
 後ろにひかえている盗賊達の古株が、ボスであるバフキーへと準備完了をつげる。命令を完全に遂行すいこうできるという意思を示した。

「お、おう…。仕方ねえな。これも仕事だ。やるしかねえな。」
 少々の気後れをしたものの、バフキーもすでに仕事の顔となっている。さすがに裏社会において盗賊ギルドに君臨くんりんする男だ。このくさった目付きでなら、躊躇ためらう事無くなんでもする事だろう。
 いかにあの娘が特別であろうとも、盗賊の捕獲術に対抗できるとは思えない。数十秒後には完全に身動き取れないよう、捕獲が完了している事だろう。



「さて、野郎ども……行く────」

 バフキーがそう言いかけたその時、それは現れた。




 彼らの前に、史上最悪の相手が登場したのである。









「よう、人間ども。キサマらここで何をしようとしているのだ? 私に教えてくれまいか。」

 突然、何もない中空より声がし、彼らの目の前にペンギンのヌイグルミが出現した! そして、そのまされた剣のごとく鋭利えいりな視線が、彼らを射抜くかのように向けられている。

「な、なんだコイツ───っ! うわあああああ!!」
 熟練盗賊の一人が声を上げた途端とたん、その男が転がった。そして誰もが男へと視線を移し、驚愕きょうがくにその目を見開いた!


 なんと、男の右半身が消失していたのである!



「わああああ! なんだ! どうしたんだぁぁ!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
 周囲の盗賊達が一斉に奇声を上げて恐怖する! ただの奇襲ならば、1人が死んだところであわてる事はない程に場数をんだ熟練の盗賊であろうとも、おおよそ予想できる範疇はんちゅうを、理解を超えた事態にはあらがう術などない。

 無残にも縦から右側が完全に消えうせた盗賊…。その断面はどんな刃物でも有り得ない程になめらかで、一切の凹凸おうとつさえも存在しなかった。まるでするどいナイフでハムを切った後のようである。

 …だが、驚くべき部分はそこではない。男は生きているのだ!

 バスタークの魔眼には死など映されていなかった! 間違いなく彼の半身は確実に消失しているというのに、彼には今も男が死んでいないという事がわかるのだ! 失神して泡を吹いてはいるものの、体そのものは健康なまま。呼吸をし、血の一滴すら流れていない。

 なぜ半身が消失してもなお生きているのか? まったくもってワケがわからない!



「この程度でさわぐなよ、人間ども。…私は質問を許可していない。何をしているのかと聞いているのだ。」
 目の前に冗談じょうだんのような光景がある。しかしヌイグルミからの声は脅しではなかった。確かに風体ふうていは奇妙な事この上ないが、その眼力に込められた明確な意思は、あざけりと、強烈な殺意以外の感情が存在しない。

 死ととなりり合わせで生きてきた彼だからこそ分るのだ。
 絶対的な死のにおいが。本能からの警告が!


 あの姿にまどわされてはならない。
 この言動げんどうに戸惑ってもならない。

 逃げろ、今すぐ逃げろ!…と。



 こいつには絶対に手を出してはならない!……と。



 だが致命的な事に、誰一人として例外なく体がふるえて動けない!



「たかが人間ごときが、私のクーに殺意を向けた事、どう弁解するつもりだ?」
 短い腕を組んでにらみつけているペンギンのヌイグルミ。それが腕を無造作に横に振った! すると今度は、その場の全ての男達の足が消滅した! ももから下、その全てが消失! 全員がまとめて地面へと転がる!!

 バスタークも、バフキーさえもが例外無く、同じように地面へと転がりどろへと顔を埋める。右半身が消えた男と同様に、断面はあるのに血は出ず痛みもない。なのに完全に消失している!
 これは魔法でも奇術ではない。幻で見えなくなったのではなく、本当に消えたのだ。こんな事が有り得るというのだろうか? いや、現実として自身が消えているのだから有り得るという事なのだろう。

 これでは、いかに熟練の盗賊が幾人いくにんそろおうが意味はない。
 だが、こんな事は当たり前の結果である。

 彼らはまさか想像さえしてはいないだろう。目の前のヌイグルミが、伝説上において世界崩壊をもたらした魔神の一人、ランバルト本人であろうなどとは。


「ま、まあ落ちついてくれよペンギンさんよ。」
 誰もが発狂しそうな状況下において、唯一、バスタークだけがその状況に対処しようとしていた。さすがの彼もかなり混乱してはいたが、相手がまだ殺す気がないという事だけは分っていた。殺すつもりならば、さっさと殺しているはずだからだ。
 いつでも殺せる。力の差を見せつけているのが現状だと判断する。きっと……だが、ここであのペンギンの問う”答え”を間違えなければ、死ぬことなく元に戻れるはずだ。
 バスタークはこれほどの危機的状況においても、心の片隅かたすみでそれを楽しんでいる自分に気がつく……。

「ここまでされちゃ、普通はビクついて話せないもんなんだぜ。」
 なんとか平静を装いつつも会話をしようと軽口をきく。…だが、問題はここでペンギン姿がこちらに興味を持ってくれなければならない。ヘタにしゃべれない以上、どう興味を引くべきか…。
 そう思案しあんするバスタークではあったが、そのキッカケは相手から作ってくれた。


「……ふん。キサマその白髪、それにその魔眼は…、魔神『 I 』の……イスファンテの眷属けんぞくか? まさか私の復活より出会った2匹目の魔人がヤツの眷属だとはな。」


「…………………?」
「よかろう。許可してやるからキサマが説明しろ。」
 バスタークにはその言葉の意味するモノがなんであるのかがわからない。だが、幸運にもマトモな話ができるようだ。正直ありがたい。

 さあ、ここからが交渉だ。相手が話を聞いてくれるとはいえ、答えを間違えてはいけない。たった一つのあやまりも許されない。機嫌をそこねず優位な状況へ持っていく。…これは命を賭けた交渉である。

「俺達はよ、この先にいる蒼髪のお嬢ちゃんを捕らえに来たんだよ。」
 ここは正直に話しておく。バスタークは回答の順序を間違えないようにヌイグルミへと説明する。

「ほう……。それはどういう理由でだ? ではなぜ、そこに殺気が混じっていたというのだ?」
「その殺気とやらが誰のモノかは知らねーよ。まあ、俺個人でない事は確かだ。その辺に転がってる盗賊どもの誰かだろ? どちらにしろ、命令でお嬢ちゃんを捕らえに来たのは事実だわな。…ここはラファイナ王家の所有地なんだよ。あんたらの不法侵入ってやつだ。」

 これも真実。女王の目論見もくろみはさておき、確かにそういう名目ではある。王城敷地内へと断りもなく部外者が入りこんだ事については、蒼髪の娘に非があるというのが表向きの命令だ。

「不法侵入とは身勝手な回答だな。……では、こちらが質問してやる。その命令を出したやから、というのは───あそこにある城の中央部から発せられている意思によるものか?」
 ランバルトが指した方向には、この湖より見えるイスガルド城。そしてその上方には女王イメルザが居る。

「いっ! ……さ、さすがペンギンさん。アンタすげえな。ビンゴだ。」
「当然だ。姉や妹達からすれば劣るが、私とてこの程度ならば容易たやすい。」
 さすがに、ここまで簡単に居場所を特定されるとは思わなかったが、まあそれはどうでもいい。ここでおどろいておく方が無難な反応だろう。…次に用意する言葉は、自分達が受けるイメルザからの圧力と、立場の弱さを提示ていじする事だ。

「じゃあ話が早いこった。見れば分かると思うが、俺達は所詮しょせん、したっぱだよ。あそこでふんぞり返ってる女王陛下の命令には逆らえない。なんたってこのラファイナ国の最高責任者だからな。そういうのに言われりゃ、やらなきゃならんのよ。」
 バスタークからすれば、いまは相手の指示で話を進めているが、実際にはこちらが教えている状況だ。相手がどのような強さだろうと、情報をにぎっているのはこちらである以上、口の上手さで丸め込めると考えていた。そして上手く誘導ゆうどうし、全部をイメルザに押し付けてしまえば、自分達が蒼髪の娘を捕らえようとしていた事は不問にされるとんだのである。
 見ればこのペンギンかなり憤慨ふんがいしている。こういう冷静さを欠く相手の誘導は付け入りやすい。


「もちろんアンタみたいなトンデモナイ強さでも持っりゃ逆らえるんだろうけどなー。そうもいかんのよ。なにせ女王イメルザはこのラファイナの頂点だ。俺らはコキ使われるしか選択肢がねえ。そうなりゃ毎日大変なわけさ。」
「…………ふむ。」
 バスタークの思惑おもわく通り、ペンギン姿が思案している。バスタークはもう一押しだ、と心の中でほくそえむと、相手の集中が途切れるのを待って、次の言葉を投げかけようとする。ここで、”じゃあ俺が案内する”と言えば、その時点で怒りの対象者ではなくなるはずである。



「ぺちゃくちゃとうるさい男だな、キサマは。」
「…………は…?」
 バスタークが思いもよらぬその言葉に気を取られたその刹那せつな! ペンギンが腕を振るったと同時にバスタークの口部分が、ごっそりとえぐり取られた!

「───!! ……っ!……」
 足と同様、顔の下半分が一瞬で消えたのである! 確かに痛みはないのだが、実に奇妙な感覚だ。手で触れようとしても本当にその部分がない! それに口そのものが消失したためにしゃべれない! さすがのバスタークも半身をけずられた男と同様、この異常さに混乱する。

「私は説明しろとは言ったが、お前の考えを聞くつもりなどない。ヤツの眷属けんぞくにしてはさわがしい小僧だ。それどころか私の前で調子に乗る。実に不愉快ふゆかいだな。」
 そもそもバスタークの憶測おくそくは見当違いであった。ランバルトは交渉などしているつもりはない。人間そのものが不快な生物だという考えを変えたつもりもないのである。
 彼女には目の前のバスタークという男など、ただ虫でしかない。それが意見を述べるなど不愉快ふゆかいとしか写らなかった。そもそも、交渉というのは対等な条件下で行うものだ。相手を見下すランバルトに対し、交渉などと考えたバスタークが浅はかだっただけ。…まさしく図に乗った結果なわけだ。

 そしてランバルトにとって事情は知れた。この小僧には用もない。
 彼女にとっては人間など、あっさり細切れにしてもかまわなかったのだ。


 …だが、ランバルトはクーと共に生きると決めた。だから今だけは人間を殺すつもりはなかった。


 彼女自身は人間が嫌いでもクーはそうではない。だから無闇に人を殺すことは、クーと同等の目線でなくなってしまうと考えているのだ。…まあ、それでも小煩こうるさい小僧一匹くらい殺しても良かったのだが、一応はやめておいた。

 クーと共に生きてきた事で、多少は寛容かんようになったとは思うが、それでも彼女の中での人間の地位など、未だその程度なのである。もしも、クーと知り合っていなかったら、容赦ようしゃなく手当たり次第に殺戮さつりくしていただろう。




「小僧。…お前のその魔眼、大した力もないようだが、そこから大人しく見ておくのだな。今から私の力を見せてやる。お前とお前の上司とやらを黙らせてやる。」







「───空間断絶。我が力ここに開く。」


 ランバルトはその言葉と共に、短い腕を空へとかかげた。





 そして、


 空 間 を  じ 曲 げ る 。





 その瞬間、イスガルド城の王座の間で会議を開いていた女王イメルザとその両脇にひかえるスラクロード、ミザルク老はその目を驚愕きょうがくに見開いた。

 なんと、眼前に林と平原が広がり、バスターク、それにバフキー達が転がっていたのだ! ここは2階の高さにあるはずの場所だというのに、目の前には敷地内の森林がそのままつながっていたのである。しかも全てに者に足がなく、縦に裂かれた半身しかない男がいる! それにバスタークは顔の下半分が削られたように消失していた。

「なっ!────…。」
 あまりの異常いじょうさに誰もが唖然あぜんとして思考が停止し、何が起こっているのかさえ理解できない。当然ながらイメルザさえも言葉を失っていた。当然の反応だろう。これを見ておどろき戸惑わない人間などいない。





 そしてその中心に、背 の 高 い 女 が 立 っ て い た 。


 右手にはペンギンのヌイグルミを鷲掴わしづかみにした、美しく輝く銅色の髪の…、長身の女だ。
 女は、尋常じんじょうならざる殺意を込めた瞳で、イメルザを一点に居抜くかのようににらみつけていた。


「…………キサマが女王というやつだな。」
「な、何者……?! こ、ここがラファイナの支配者たる女王イメルザの前と知っての狼藉ろうぜきか!」
 イメルザにそう言わせたのは、女王としての矜持きょうじだけであった。彼女自身としては恐怖で満ちている。目の前の女より発せられる激烈げきれつなる殺気は、まさに人知を超えたモノであったからだ。彼女が誰にも負けぬと自負している雷の魔法ですら、毛ほどちりほどにも満たないと知れたからである!

 これは間違い無く想像のはるか先を行く”化物”である。
 人の姿すがたをした、何か途方とほうもない化物なのだ、と知れた。



「私は魔神ランバルト。はるか遠い過去に文明を崩壊させた魔神の一人だ。伝わっているのだろう? 御伽噺おとぎばなしで登場する”海原うなばらと境界の魔神”というやつだ。100年程前に復活した。」

「……ま、魔神……ですっ…て…?」
 冗談じょうだんとは思えない光景を前に、さすがのイメルザも鸚鵡おうむ返しに聞くだけだ。しかしこれを集団催眠しゅうだんさいみんだとは思わなかった。催眠だとすれば、目の前の女が化物である説明がつかない。幻術ならば、異常いじょうさえも超越ちょうえつした魔力など感じられるわけがない!

 バスタークはすでに考える事もやめていた。なめらかなはずの口は消えているが、きっと残っていたとしても一言さえも出せなかっただろう。さきほどのペンギン姿でさえおびえていたというのに、女の姿が現れた途端とたん、その力がさらに爆発的にね上がった!!
 あまりに膨大ぼうだいな力が魔眼に叩きつけられ、意識が飛ぶ寸前すんぜんであった。…いや、正直言うと失神さえできなかったのだ。すでに常識の範疇はんちゅうなど消し飛んでいた。想像を絶する、とはまさしくこの事を言うのだと感じる。

 そして彼は初めて、心の底から死の恐怖以上を感じた。彼の魔眼がありえないモノを視せていたのだ。



 彼の魔眼がとらえている女には、なんと『寿命じゅみょうがない』のである!


 どんな生物にも必ずあるはずの生命というものに終焉しゅうえんがないのだ!
 よって死因しいんもない。

 さきほどの蒼髪の娘は不明であったのは何かしらの理由があるのだろう。考えられる要因よういんる。…だが、このペンギンは完全に不死、永遠不滅えいえんふめつなのである! 間違いではない、魔眼は不死を告げているのだ!

 自分が今、相手にしているのはそういう化物。恐ろしくないわけがない!

 さっきまで、あんなモノと対等に話そうとしていたのかと思うと、心臓が凍りつくほどの戦慄せんりつを覚えた。  イメルザ相手に感じた悪意など、大したモノではなかったとあらためて思い直す。
 ……だが、そんな朦朧もうろうとした意識の中でも、バスタークはそのまばいほど光輝く美しい女に見惚れた。
 あざやかな飴色あめいろの髪、その死を感じさせる強い瞳に、全身にまとう気高さ…。


 司祭として生きる中で様々な人間を見た。そしてなにより、多くの女性を見てきた。
 そんな彼ではあったが、こんな女は見た事がなかった───。

「キサマがクーを、蒼色の髪の娘をとららえろと命じたやからか。その殺意からすれば殺す気だったのだろうな。……人間ごときゴミが、大それた事を考える…。」
 たったそれだけの言葉だというのに、怒りの波動が力となって室内を駆けめぐる! 調度品は爆散ばくさんしたかのように弾け飛び、壁には刃物で切りかれたような亀裂きれつが走り、空気は周囲の全てを切り裂くかのように渦巻く! しかも周囲の空間がゆがんで見えるのだ。ただ怒気をはらんだだけでこの始末なのだ、攻撃でもされれば跡形もなく消し飛ぶだろう事は容易よういに想像できる。
 常に冷静さをくずさないはずのイメルザが、いまや完全におびえ、うろたえながらも、それでも女王であるという矜持きょうじだけで口を動かす。

「な…、何者か……は知りませんが……、我が王城の敷地内に無断進入をする…など許されるモノ…ではありません…。それに…。」
 気おされているイメルザであったが、そこにユニスにも危機がおよぶと考えると、どこからか強い意思が湧き上がってくる。彼女は女王たる威厳いげんを取り戻し、改めて目の前の魔神を名乗る女をにらんだ。

「それに! 蒼髪の娘とやらが関わっているのは私の息子ユニスです! ならばその身を案じて相応の行動に出るのは当然の事! お前が何者だろうが、こちらに非などない!」
 周囲の…、まだ気を失っていない者は、その女王の言葉にまた驚く。そんな口を聞いたら間違いなく殺される!…誰もがそう思っているからだ。だが、その反論を聞いて、ランバルトは面白そうに口の端を釣上げた。

「……ほう、この力におくせず命乞いのちごいをしないとは面白いな。それにユニスを息子と呼ぶか。…なるほど、それで嫉妬しっといだいたというわけだな、このババアは。」
「バ、 バ……。」

「ふん、いいだろう。教えてやる。……お前の息子と一緒にいる、あの蒼髪の娘は水竜だ。名前はクー。この国を救った水竜バオスクーレの娘。しめされた予言の者だ。」
「なん……ですって……?」

「真意ならばそこの白髪の男に聞けばいい。コイツの魔眼は正確だ。それにそこの……白髪の中年も同じで眷属けんぞくらしいな。まあどちらだろうと見ればわかるだろう。」
「…ど、どういう事ですか? バスターク!! スラクロード!」
 唐突とうとつに告げられた真実にイメルザがうろたえる。その視線をバスターク、そしてその父であり同様の魔眼を持つスラクロードへと向ける。だが、スラクロードは完全に気を失っていた。魔眼への当てつけられた膨大ぼうだいな魔力に意識をたもてなかったのだろう。

 そして、ようやく意識を保っているバスタークさえも、呆けた顔でその女を見ていた…。
 それに当然ながら、彼は口が消失していて話す事ができない。


 それを見たランバルトは、次の一瞬で彼の口を元に戻した。ちゃんと話して女王をおどろかせろ、とでも言うように。

「あ……、あ、ああ………。はぁ…元に戻ってやがる。おっと、また無駄話してるとヤベえな。…さっき俺らが見た蒼髪のお嬢ちゃんだろ? 水竜かはどうかわかんねぇが間違いなく人間じゃあねぇと思ったぜ。……さすがに今回はマジだ。」 
 ランバルトは腕を組み、見下し、あざけるような邪悪なみを浮かべた。

「私は50年前の戦いで、水竜に借りを作ってな。あの子を見守る事にしたのだ。それゆえに、この世界を再びほろぼす事も中断している。感謝するのだな。」
 迫力はくりょくに飲まれ、思うように話せないイメルザではあったが、確かに、語り告がれた「神託の書」には、これより3年後に水竜の娘が現れるという記述きじゅつしるされている。だが、いくらおどされようと、それを水竜だとする確証はない。

「……その……娘が、本物だという証拠は…あるのですか?」
 大量の汗を噴出させながらも、魔神を名乗る女に食い下がろうとするイメルザに、気絶さえできなかった小心者のバフキーは、もうやめてくれ、とばかりに涙を流していた。彼自身、こんなに恐ろしいのなら、早く発狂して欲しいと願ってやまない。

証拠しょうこ…か。中々にさかしいババアだな。では、会わせてやるか。」
 ランバルトはいつのまにかペンギン姿に戻ると、軽く腕を振り上げた。すると、次の瞬間しゅんかんには、真横には別の空間がつながり、そこには機嫌良く歌うクーと、食事の片付けをするユニスがいた。こちらには気付いていないようである。またも空間をゆがめてこの場に接続せつぞくしたのだ。




「ハイホ〜 ハイホ〜 しご〜とが好き〜♪ らららーらーらーら〜 はいほーはいほ〜♪」
「ねえ、クー。歌もいいけど手を動かそうよ。食事の後片付け終らないからさ。」


「クーは水竜なので、そいつはちょっと難しいのですよ。」
「それ、ちっとも答えてないよ。…まったく、仕方な───……えっ!?」

 先に気付いたのはユニスだった。後ろを振り返り、唖然あぜんとする。

「は、母上……? それにミザルク老に……、司祭も…、ランバルトさんも!?」
 彼らの後ろ、その空間がゆがんで見えた。そこには少しはなれた場所らしい林で倒れている男達とバスターク司祭。その先には、どういうわけか女王の間があり、母イメルザと、気絶したスラクロードきょう、親衛隊のミザルク爺さんまでもが一同にかいしていた。
 その中心に立っているのが、ヌイグルミのランバルトである。

「……どうして……。」
 まったく状況が飲み込めないユニスであったが、この奇妙きみょうな光景はランバルトが仕組んだのではないか、と薄々うすうす感じていた。ユニスはこのメンバーの中で、一番長くクーやランバルトとせっしている。彼女らが特別である事など気付いていたし、クーがやっていないのなら、ランバルトしかいない、と思ったまでである。

「…母上。お久しぶりです…。」
「ユニス……。」
 あの処刑しょけい以来、母とは顔を合わせず、食事も一緒に取らなくなった。それだけに久しぶりの対面となったわけだが…、ユニスとイメルザの関係は複雑ふくざつである。二人の親子の間には、これまでにない緊張感きんちょうかんが生まれていた。


「ハイホー♪ ハイホー♪ こぶ〜茶が好き〜 らららーら……ずず…。く〜、やっぱり食後のお茶は最高ですよー。」
「………い、いや…、あのね、クー。ちょっと後ろ見て、後ろ。」
 まったくどこまでにぶいのか。本気で気がついてないクーを指でつっついて、気付かせようとするユニス。

「なんですよユニス〜。クーはいま猛烈もうれつにシアワセを感じてるですよー。」
 などと、とんでもないマイペースを見せつけたクーではあるが、ようやく気がつき、びっくりした。

「おおおおおお〜、なんですよ! これはスバラシイですよ! クーはこんなに沢山の人間に会ったの始めてですよ! 世界は広いですよー。」
「い、いや、そうなんだろうけどね、おどろくべき部分はそこじゃないから。」

「お客様が来たらモケナスのが礼儀ですよ! えーとえーと、こぶ茶入れるですよ!」
「クー、それを言うなら”もてなす”…じゃない?」
 その光景に、別の意味で呆気あっけに取られる一同。いまの今まで殺気に満ち満ちていた場とは思えない、なんとも珍妙ちんみょうな空気が流れていた。
 ……その中で一人、バスタークだけは”コイツは間違い無く大物だ”思っていた。

 いつの間にか、自分をふくめた盗賊達の体が元に戻っているのに気づいたのは、もう少し後の事である。


「ええい、クーよ! 今はお茶はよい!」
 殺気のかたまりと化していたはずのランバルトではあったが、いきなり毒気を抜かれたようにいつも通りだ。すでにヌイグルミ姿に戻っているというのに、クーの妙ちくりんな行動を前にし、ひたいに汗を浮かべていた。彼女としては水竜の威厳いげんを見せつけてやれ、と期待したのだが、やっぱりクーはクーであった。竜の威厳いげんなど、これっぽっちも持ってない。

「む、なんですよランちゃん。せっかくのお客様ですよ。」
「まずは挨拶あいさつしておけ、このババ……いや、女はユニスの母親で女王だ。3年後のにじ欠片かけら返還式へんかんしきではそれなりに世話になるからな。」
 くりくりとした純粋じゅんすいひとみをしたクーは、大きく目を開いてイメルザを見た。そして次第にほおめ、高揚こうようした様子で彼女を見た。

「おお〜! 母ちゃんですか!? ユニスは母ちゃんいるですか!? わあああ〜、いいなぁ! 母ちゃんいいなぁ……。」
 短い尻尾しっぽをふりふりと動かし、初めて見た母親というものに感動しているようである。場の空気などまったく関係無く、一人興奮こうふんするクーであった。

「は、ハジメマシテですよ! クーは生まれて本日まで147年ほど水竜やってるですよ。まだまだ若輩者じゃくはいものですけど、どうか勘弁かんべんしろですよ、ユニスの母ちゃん!」
「……………は、はあ……。」
 さすがのイメルザも、どう対応していいのかわからず、溜息ためいきにも似た返事をする。しかし、目の前の娘が自分とはまったく次元の違う強大な魔力を持っているという事はわかった。比類ひるいなき雷の王と呼ばれた自分が足元にも及ばない。それだけでも十分に人間でない理由にもなる。そしてあの普通では有り得ない蒼髪と……尻尾しっぽもだ。

 これは信じるしかなさそうだ。
 なぜなら、全ての状況が作り物でだまされているにしては、出来過ぎている。

 ここまでくつがえしようのない力を見せ付けられて、これでまだうたがほどにイメルザはおろかではない。


 そんな中、ランバルトはいつもの調子でクーへと話しかけた。

「これ、クーよ。私はまだ、こいつらと話があるのでな。ユニスに迷惑をかけぬように、とっとと片付けておくのだぞ。」
「えー! クーも母ちゃんと話したいですよー!」

「バカモノ! こぶ茶と仕事が好きだとハイホー歌いながら、こぶ茶だけすすって後片付けをしない馬鹿者は許さん!」
「ぎゃーーー! なんてこったですよ!」
 そこで、またも空間がぐにゃりと曲がり、クーとユニスがいた場所は消えた。そして盗賊達、バスタークのいた平原も消えている。もう必要がないとランバルトが消したのだろう。


 ……そして残されたのはイメルザ達だけとなった。




「さて、ババア。…お前も状況が飲み込めたはずだ。キサマらには水竜の娘の登場は願ってもないハズ。とららえるなどというバカげた考えは消えたはずだ。」
「…………。」

「それに、お前の息子ユニスとクーは友人となっている。これも好都合ではないのか?」
 ランバルトが言う事はもっともであった。これが真実なら、昨今さっこん増え続ける「水竜の娘を自称する偽者」には頭をなやませなくて済むし、3年後にひかえた"返還へんかん"という式典への準備じゅんびあわてる事もない。国家として見れば、これほど安泰あんたいな事はないだろう。

「ならば話は簡単だ。クーと、それにユニスにも関わるな。それが守られないようなら、私もこの国の…いいや、世界の安全を保障しない。いいな?」
 ランバルトはあらためて殺気を宿して告げる。イメルザはこれを本心だと受け取った。眼前の魔神を名乗る者は、小賢こざかしい知恵など回さない。そうしなくとも、それだけの力を持ち合わせているのだから。

「…………わかりました。」
 意外な事に、イメルザは少しも反論する事なく、それを了承りょうしょうする。

「いいでしょう。我々はその娘を水竜とみとめ、敷地内での自由行動に支障ししょうを与えない事を約束致します。ユニスにはあの娘に付きうよう伝えましょう。」
 イメルザはなんとか顔を上げ、視線にはどんな意思も込めずに、ランバルトへと伝えた。

「ふん。やっと承服しょうふくしたか、クソババア。」
「…貴方に我が国土を蹂躙じゅうりんされてはたまりません。それに貴方の言うとおり、水竜の出現は願ってもない事なのです。」
 急に従順じゅうじゅんになった女王イメルザに些細ささいな引っかかりを覚えたランバルトではあったが、どうせ何もできない、と鼻で笑って答えてみせる。


「頭の悪いキサマら人間にねんを押しておく。」
 その途端とたん、またもあの背の高い女の姿になった。これが自分の真の姿と力だ、と見せ付けるかのように…。


「───私の大切なモノに傷一つつけてみろ、大陸ごと沈めてやる! 選択肢があると思うな、人間どもが!」
 その言葉を残し、ランバルトは消えた。
 たった数分程度ではあるが、気の遠くなるような長い時間であるかのような交渉…。


 いいや、一方的な命令。


 それが今、終わった…。














 ───静寂せいじゃくの戻った元の部屋。

 取り残されたのは、女王イメルザと、女王親衛隊の隊長ミザルク老、そして気を失っているスラクロード卿。それにランバルトの怒気で破壊された室内であった。高価な壷などの調度品は、もはや原型をとどめておらず、壁の一部はくずれ落ちている箇所さえある。まるで台風でも巻き起こったかのようなあとだ。

 …長年、イメルザの側でその成長を見守ってきたミザルク老ではあったが、こんな事は当然初めてだったし、うろたえもした。だが、それ以上にイメルザの態度が気になっていた。
 そして今、そのイメルザは脱力だつりょくしたかのように下を向いている。

「イメルザ様…、大丈夫でございますか? イメルザ様?!」
「…………。」
 ミザルクの知っているイメルザは気性がはげしい面はあるものの、その内面は常に冷静で聡明そうめいであった。どれだけ外的圧力をかけられようと自分をたもつ事ができる。だからこそ、これまでの利権にからみ合う争いの中で頂点ちょうてんに立ち続けていられたのだ。
 …そして今も、あれほど強大な魔神を相手に真正面から交渉こうしょうした。イメルザだからこそ出来た事だろう。


 だが今、そこにいるのは、彼の知るイメルザではなかった。
 これまで以上の狂気を内包ないほうした、恐るべき女王であった!


「ク……クククククク……アハハハハハハ………っ!」

「イ、イメルザ様、どうされましたか!?」
 突然の哄笑こうしょうにうろたえるミザルク老。それはれ果てた室内へとひびき渡り、明確な憤怒ふんぬ律動りつどうとなって発せられていた。



「魔神? 水竜? ………ゲテモノがごときがそろって私を侮辱ぶじょくするか。コケにするというか…。」
「…イメルザ様…?」

「それどころか、私の……私のユニスを渡せだと? フフフフフフ……。これを笑わずにいられようかっ!」
 イメルザは狂ってなどいない。冷徹れいてつ状況じょうきょう把握はあくしただけだ。
 予想もつかない形での水竜登場はかまわない。あんな小娘など、いつでも始末しまつできる。

 だが、これほど屈辱的くつじょくてきな事はない。
 得体の知れない圧倒的な力で屈服くっぷくさせられ、最愛の息子をうばわれる。どちらもゆるがたい事だ……。


 いいや、違う! 息子をうばわれる以上の屈辱くつじょくなどない!


「ミザルク、お前はこれより全精力をそそぎ、魔神について調べなさい。いかに魔神とはいえ、古代世界で封印されたのには相応そうおうの理由があったはず。力を封じる手があるかもしれない。」
「い、いや、しかしそれでは政策せいさくが……。我が国がかかげる奴隷解放どれいかいほうへの道は、今が微妙びみょうな時期です。解決には多くの問題が山積さんせきしており……。」

「奴隷? あのような棄民きみんどもなど捨てておけばよい。所詮しょせんは表向きのものです。…それよりも、お前はユニスをこのまま見捨てておけというのか?」
「ひっ! い、いえ……そういうわけでは……。」
 その時、ミザルクの目にうつったのは彼の知る聡明そうめいなイメルザではなかった。憎悪ぞうおと邪念が渦巻く執念しゅうねん権化ごんげである! その悪魔のような眼光がミザルクをつらぬいたのだ。


「それにスラクロード。」
 イメルザはもう一人の側近、魔眼を持つバスタークの父親、スラクロードへと目を向けた。しかし彼はあまりに強大な魔力を当てられ、いまだ気を失ったままである。

「フフ……、まだ気を失っているのですか? 仕方ありませんね。」
 その言葉と共に、イメルザの口元が残虐ざんぎゃくゆがむ。



「───うなれ、サンダーボルト!」
 声にしたのはイメルザが得意とくいとする雷属性の攻撃魔法! 宙空より発生した怒りの鉄槌てっついがスラクロードをおそう!!


「ぐぎゃああああああああ!!」
 悲鳴と共に、無理矢理に意識を取り戻させられたスラクロードが、全身の激痛にうめき声を上げ、横たわる…。

「役立たずめがっ! 死んでいないなら早く水竜神殿へ向かいなさい。バスタークをユニス達の守役もりやくえ、後始末は全てお前が引き受けるのです。いいですね?!」
「うが……あああ……。うう……。」
 なんとか、うように動くスラクロード卿。しかしミザルクは恐怖で固まり、手を貸す事さえできない。これが自分の知る強くきびしく、そして優しいイメルザ様なのか、と困惑こんわくするしかなかった。

「見ていなさい。あの魔神…、必ずや水竜の小娘とまとめて始末してくれる……。フフフフフフ………。」




















「ユニス! 母ちゃんいたですか。いいなーいいなー。」
「あ〜、いや……、うん。だまっていたわけではないんでけど、少し話づらくて……。」
 イメルザよりのおそるべき憎悪ぞうおなど露知つゆしらず、クーは母親というものに興味深々きょうみしんしんの様子でユニスをこまらせている。ユニスにも話づらい状況ではあったのだから、それも仕方がない事だ。

 だが、彼はもうただの子供ではない。先ほどの対面とランバルトの態度でさっしてしまった。長い間、貴族の子息らと関わり、その本音を見透みすかすすべを持っていたユニスには、あのやり取りと状況じょうきょうから、それをさっしてしまったのだ。

「(きっと母上は、クーになんらかの不信感を抱いている…。)」
 自分が現在置かれた立場から推察すいさつすれば、母が何を思うかは想像がつく。母は、自分とクーが仲良くなる事を好ましく思っていない。だとすれば、母が取るべき行動は一つだ。

 ユニスは自分の母が、いかに冷静で、そして冷徹れいてつであるかを知っている。それは自分の事を愛してくれているからとも理解している。だけど、それゆえにクーがきずつく事があってはならない。もう二度と、大切な人の命が失われてはならない。


「ユニス〜! クーも母ちゃん欲しい! 母ちゃん半分ちょうだいですよー!」
「い、いや半分っていうのはどうかと思うけど……。」
 しかしクーはなぜこんなにも母親を欲しがるのだろう? ユニスにはそれがよくわからない。あの雷の女王と呼ばれる母上が、そんなにもクーをきつけたのだろうか?

「ふむ、今帰ったぞ。クーよ。」
 そんな事を考えていたユニス達の下へ、ランバルトが帰ってきた。なんとなくつかれた様子に見えるのは気のせいだろうか?

「あー! オカエリですよランちゃん! 聞くですよ! ユニスはユニスの母ちゃん半分くれって言っても納得なっとくしないですよ。すげえケチですよー。ランちゃんからも説得せっとくするですよ!」

「バカモノ! よく考えてもみろ。半分にしたら母ちゃんが、母、ちゃん、の二つに分かれて”母ちゃん”ではなくなるではないか! お前はそのように半分にして、どう呼ぶというのだ?」
「がーーーーん! そうですよ! クーはなんという間違いを……。」
 クーは頭を抱えて非常にこまっていた。こんな時まで、まったくどこまで面白可笑おもしろおかしい2人なのだろう?

「それよりもクーよ、今夜の食事を今のうちに確保しておこう。ちょっと大物を一匹捕まえて来てくれんか? せっかくだから湖ではなく、久しぶりに海のさちがよいな。…帰ってきたら、母ちゃんのスバラシイ分割方法ぶんかつほうほうを教えてくれるぞ。」
「おお! それなら仕方しかたないですよ。さっさと行ってくるですよ〜!」
 そう言うと、クーは元気にみずうみへと飛び込んで行った。ここから通じる地下水脈を抜けて海に出るのだろう。

 …市街と王城敷地をへだてる城壁は、確かに完璧な防御により守られている。だが、地下深い水脈から抜けて来ているのだから、地上の防衛網が反応しないのも当然とうぜん。城壁の防御など役に立つはずがない。…もちろん、こんな事はクーにしかできないわけだが。


「さて、ユニス。クーが帰ってくる間に、お前に確認しておきたい事がある。」
「……なんでしょう?」
 クーがったのを確認したランバルトは、待っていたとばかりにユニスへと問う。


「お前は、味方か?」


 ランバルトの言葉の意味をユニスは理解していた。母が突然とつぜんあらわれたクーを簡単に受け入れるとは思えない。あの場を順序じゅんじょ立てて考えてみれば、ランバルトが出掛でかけけた意味もある程度ていどは想像できた。

 だからユニスは、答える。
 …いや、言葉など必要ない。言葉にはならずとも、明確な意思を持ってうなずく事がそのあかしとなる。



「ならば、ここより先を聞き逃すな。」
「はい。」
 ランバルトはそれを見ると、その場にしゃがみこんだ。それもかなりの疲労ひろうであるようだ。
 しかし彼女はそれでも休もうとせず、話を始める……。

「見ての通り、私はかなり力を使ってしまった。お前の母親は強情ごうじょうのようだからな、おどすのにも相応そうおうの力を使った。本来の私ならば大した事がないのだが、生憎あいにくといまは制限されているのでな、さすがにもう限界げんかいだ。」
「…………。」
 この先、ランバルトが何を言うのかはわからない。しかし、ここから先はクーがその場に居ては話せない事なのだと理解できた。

「ユニス、先ほどの場でお前は気づいたか? 異様いようめた空気と殺意を。」
「ええ。」

「クーがそれを感じ取れていなかった事にもか?」
「え……?」
 ───そう、クーはあの場において、複雑ふくざつに交差する思惑おもわくを感じ取る事ができなかった。緊迫きんぱくしたあの場の空気を読む事さえできなかったのだ。いきなり出くわしたとはいえ、常人なら何か変だと感じる気配けはいを、クーはまったく感じていなかった。
 それも当然である。クーは人間とせっした時間がないにひとしい。だからこそ、他者の感情、それも殺意にるいするものへの感覚がにぶいのだ。無条件に相手を信用するにぶさえある。つまり、世間を知らなすぎるのだ。


「クーはハーフとはいえ竜だ。もし、人間と戦ったとしても負ける事はないだろう。相手が武器を持っていたとしてもな。…しかし、人間の世界は戦闘だけでは片付かたづかないものだ。だが、クーは純粋じゅんすいすぎる。」
「……そうで ね…。」
 これまで、ユニスはクーと接して、彼女が頭のいい子だという事を知っている。教えた事はすぐに学ぶし応用おうようも早い。それにユニスも知らない知識や言語を習得しゅうとくしている。人間以上の頭脳を持っているのだろう。…しかしそれでも、あの性格と、天真爛漫てんしんらんまんさとは別の問題だ。

「私は、クーを守らねばならない。そしてそれは一人では無理なのだ。」
 クーが水竜の娘であるのは事実。そして、人であるのも事実だ。そうである以上、クー自らがのぞむように、彼女は人間の世界で生きなければならない。だからこそ、ランバルトはいまこの場でたよることができるユニスへと協力をあおいでいる。いかにランバルトが魔神であっても、万能ばんのうではないのだから。

「ランバルトさん、僕は───。」




















「たーだーいーま〜ですよ。なかなか大物がれたですよー。」
「あ、おかえりクー。……ナニソ ?」
 クーは体長が人間の背丈せたけほどもある巨大魚を軽々と持ち上げニンマリと笑う。それは新鮮しんせんな銀の光沢と、肌色はだいろの腕を持つ魚であった。その腕はまるで本当に人間のようで…。

「コイツはね〜、メガ手長てながフィッシュですよ。腕がなげえですよ。」
「そのまんまだね…。」


「泳ぐ時にバタフライで泳ぐですよ。」
「やけにシュールだね…。」
 見た目がかなりグロテスクで、正直言うとキモチワルイ。腕の部分だけ焼いて食べるのは遠慮えんりょしたいものだ。

「それがねー、けっこうウマイですよ。……で、ランちゃんどこですか?」
「あ、ああ。ランバルトさんなら、用事があるから2週間くらい出かけてくるとか…。」
「なんですとー!」
 ランバルトは使える魔力に限界がある。それは封印がかれた日より、ほとんど変わりがなく、根本的な解決にもいたっていない。だから現状では、力を行使こうししすぎた時、長い眠りを必要とするのである。だがランバルトはそれをクーにはげたくなかった。心配させたくなかったのだ。

 そしてユニスを信じた。
 クーにとって本当に友人だと信じてくれた。……だから、協力をあおぐ事を躊躇ためらわなかった。

 1人ではどうしても守り切れないとさとったのだ。
 人間などさげすむべき対象でしかないと口にしたランバルトは、クーのためにとはいえ、1人の少年を信じたのである。


「うきー! 半分の約束忘れたですかー! けしからんですよ! けしからんですよ!」
「そんなに怒らないでよ、クー。その代わり、ランバルトさんが帰ってきたら街を案内するからさ。」

「えーーーー!! マジですか? マジマジですか?!」
 何も知らないままのクーはいつもの通りだ。明るくて楽しくて、破天荒はてんこうでやんちゃである。

 しかし、ランバルトは真実をかくした。それは、クーにこのままでいてほしいから。
 彼女はもう二度と、クーが苦しんだり、泣いていたりする姿すがたは見たくないのだ。

 これを知ったらクーはおこるかもしれない。
 しかし、人の世界に入った途端とたんに、誰が敵かを理解しろなどとランバルトには言えなかった。


 だから、少しづつれていけばいい。
 クーが人として生きていく事が出来ると感じるまで守りたい。それだけなのだ。


 人間の感情、それも欲望よくぼうや敵意という得体えたいの知れないモノから、クーを守る事は大変だろう。
 しかし、クーの笑顔は周囲しゅういの者を元気にする。だからこそ、ランバルトは頑張がんばれるのだと思う。









 彼女にとって、もうクーは姉や妹と同じほど、大切な存在なのだから……。








 そしてユニスも一つの決意を持っていた。
 この無邪気によろこぶクーという友人を前に、さきほど自身で口にした言葉を、自身の内で反芻はんすうする───。






「ランバルトさん。僕は───ほんとにさびしがり屋です。いつも一人で生きてきました。周囲には人が居ても、それが友人ではない事が当然だった。」





「…ですけど、そんな僕にも友人が出来ました。クーという面白い子です。その子と一緒だと、僕はいま生きているんだと実感できるんです。それが楽しいって事なんじゃないかと思うんです。」





「僕は自分自身のためにクーと一緒にいたいのだと思います。だけど、それでクーも共に楽しいと思ってくれるのなら、僕はどんな覚悟かくごもできると思います。」





「僕がクーを守ります。僕はもう、何もうしないたくない。……ただ、それだけです。」
 ユニスはよどみない言葉と意思で、そう答えた。きっとこれからの現実という世界では様々な困難こんなんが待ち受けているのだろう。しかし彼にとって、クーはかけがえのない友達なのだ。なやむ必要などあるわけがない。絶対にもう何もうしなわないと決めたのだから。


 そして、それを応援おうえんするかのように、彼の首には首飾くびかざりが下げられていた。

 それはユニスが、現実と戦うために、勇気をもらう為に、大切な人から受けいだ「幸福のコイン」だ。それを首飾りにしたもの。今はき師のためにも、彼は絶対にクーを守るという決意を固めたのである。



 ローテン師、見ていてください。
 そして、どうかクーやランバルトさんに幸運を……。





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