水竜クーと虹のかけら

第一部・06−04 「水竜クーさん、怒られる」
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「このバカクーめがぁぁぁ!!」
「ふんぎゃああっ!」
 ランバルトの右ストレートがクーの顔面に炸裂! ヌイグルミとは思えぬ豪腕が、あの短い腕がめり込んだ。クーはとてつもないダメージにふらついている!(特に痛くないが精神的に大ダメージ) …が、即座に持ち直し不満げにほおふくらませ、両腕を振り上げて大抗議した。

「失敬ですよ! クー悪いことなーんにもしてないですよー!」
「バカモノ!」
「ぶごっ!」
 ランバルトは手元ににぎった長ネギを振り回し、クーのほおを恐ろしい勢いでペシペシと叩き付ける。

「あれほど…、あれほど一人で動くなと、何度も何度も何度も何度も何度も言っていたではないかっ! それを守らないから刺客などに狙われるのだ! 愚か者めがっ!」
「一人じゃないですよ〜! マリアもいたですよ?!」
「こんなザコなど計算外だ!」
「……うう…、けいさんがいですか…。そうですよね…。ごもっともです。」
 クーの横で直立し、一緒になって怒られているマリアはへこたれた。

「別にいいじゃーん、弱っちいのを一人倒したくらいですよー。」
 一方でまったく悪びれないクー。その態度を見たランバルトの怒りは臨界に達していた! 火をかけたヤカンに例えれば、お湯が沸騰ふっとうしまくり、お湯飛び散りまくり!のような顔で次なる攻撃にでる! 今度は左手に持った玉ネギだ! それは半分こに綺麗に分割されており、そこからネギの汁が流れている!!

 なんと、それをクーの目に押し付けた!

「ふむぎゃはあああああ! 目がああああああっ! しみるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「泣け、叫べ! のたうち回れ!! 己が未熟をいて、罪の重さに苦悩し、そして絶望の海へ沈め!」
 なんと残酷ざんこくな攻撃だろうか? これではさすがの水竜もただでは済まない! 太刀打たちうちできるはずもない!

「食べ物で遊ぶんじゃないよ! このバカたれども!」
「いでーーー!!」
「ぐぁ!」
 一本だけ、ぴよんと逆立つアホ毛のあるクーの頭と、やわこいヌイグルミの頭をダブルで襲う猛烈な威力の拳固げんこ。あまりの痛みで涙ぐんだ二人が、恐そる恐そる見上げると、そこには怒りの形相をしたこの店の支配者、女将ダクレーヌがそびえ立っていた。

 …あれから、クー達はこの店『グラン・ママン』へと戻ってきていた。そしてもはや指定席ともなったカウンターにて、このようないつもの漫才が繰り広げられていたわけだ。目の前でこんな馬鹿騒ぎをしていれば怒られて当然である。

「ダクレーヌは横暴ですよ! 横暴が服着て暴れてるですよ!」
「おのれ! ヒドイじゃあないかダクレーヌっ! キサマには私の怒りがわからんのか!」
「食べ物を粗末に扱うな!ってのさ。怒りたければ飯屋で騒ぐんじゃないよ。」

「ぬ…、もっともな意見ですよ。」
「もっとも──、じゃないよ? クー。」
 そこで口をはさんだのはユニスである。クーが出掛けたまま戻らないため、ランバルトと共に方々を探していた彼は、見つかるまでの間、随分ずいぶんと心配していた。彼女の強さは誰よりも承知しているし、暗殺者が相手でも一度も負けた事がないのも承知しているのだが、…では、クーが一人で常勝無敗かと問われると実はそうとも言い切れない。いかに強者とはいえ絶対に負けない理屈などない。竜の紋様を持っていても、だ。

 彼はクーがどれだけ【うっかり者】か心得ているので、一人にはさせないよう常に気を配っているのだ。

「ユニス王子、申し訳ありません。私がついていながら…、クー様を危険に巻き込んでしまいました。」
 隣でへこたれているマリアは改めて頭を下げる。先ほどから何度目かになるの謝罪。ガクリフから任されたというのに、国の宝でもあるクーを危険に巻き込んでしまった。成り行きとはいえ司祭という役目を果たせなかった。仕方がないとはいえ、情けない事でもある。

「うん、お姉さん役に立たなかったねー。」
 そこで白い学生服のファリアが笑顔で相槌を打つ。その無邪気ながら容赦ない口調がマリアの胸に突き刺さった。

「あ、立たなかったね、じゃなくて、…役に立たないようでした、だね!」
 敬語で言い直す必要はないはずなのだが、ファリアにはそういう気づかいはないらしく、しかも悪気などまったくない様子。嬉しそうに果汁ドリンクを飲んでいるだけだ。その横で2回も言われたマリアは、さらに凹んでいた。

「ところで…なあ、ユニス。この白服のお嬢ちゃんは誰なんだ?」
 一人カウンター席ではなく、すぐ近くのテーブルにて、我関せずとばかりに果汁酒を飲んでいるバスターク。すでに一般人のような服装に変装しており、カツラも着用していて自慢の白髪は見えない。マリアがテーブルの上に足を乗せるなんて行儀が悪い!と注意するが、まったく相手にしていない。

 実はユニスもこの子についてくわしく知っているわけではなかった。クー達が連れて来ただけだったし、そのクーは怒られていたから、聞くひまもなかった。ちょうどクーへの説教も落ち着いた頃合だと思い、ユニスはバスタークの問いに乗るように、ファリアへと問いかけてみる。

「そういえばファリア…だったね。君はさっき到着した船でエンジェランドから来たんだって? それはいいんだけど…、ここに一人で居るのには、保護者の方に許可を貰ってる?」
「ううん、勝手に出てきちゃった。…じゃなくて出てきました。大丈夫ですー。」

「お、お嬢さん、それは良くはないですよ? 保護者の方も探しておられるでしょうから一度戻りましょう。ね?」
「大丈夫でーす。」
 そして軽くスルーされるマリア。これでも摂理せつりを説く司祭だというのに、さっきから色々とスルーされ続けた事もあり、さらに凹んでいる。しかも彼女自身、子供には好かれる方だと自負していただけに、ショックも大きい。今日のマリアは駄目らしい。

「あ〜、まあ、本人が大丈夫って言うんだからダイジョーブですよ〜。」
「その通りだ! 若いうちに苦労しておけば将来は大物になれるぞ。よいか小娘っ! このラファイナを存分に、尚且なおかつつ縦横無尽に闊歩かっぽするがいい! それが貴様の未来に貢献こうけんするのだからな!」

 そして心配どころか我が道しか行かないダメコンビがテキトーな事を言う。ユニスはコメカミを押さえながらも、ファリアへとうながす。

「うん、それじゃとにかく一度、港へ行こうか。それほど時間は掛からないし、道すがら街も案内できるから。」
「えーとえーと…、じゃあそうしますー。」
 ファリア自身よくわかっていない様子ではあるが、ひとまずOKを貰うことができた。
 しかし、マリアは思う。自分と王子の言葉には大差なかったように思えるのだが、ユニスの説得は至極簡単に済んだ。

「あれ? あっさりOKって……、この差はなんなのでしょう…?」
 マリアは引き続きブルーな気分を継続していた。

 そこにちょうど、慌てた様子で珍しい客が入ってきた。それは大柄の男で、体の各所をおおうだけの簡素な白い軽鎧を身に着けた、まるで岩のような筋骨たくましい体躯たいくをしている。

 その男は店内に入るでもなく戸口で店内を見渡すと、ハッとして、こちらを見つけたかのようにしてから、早足で歩み寄ってきた。鎧に刻まれている紋章はエンジェランドのもののようだ。

「お探ししましたぞ、ファリア様! お一人で出歩かれては困ると申し上げたではありませんか。」
「あ、ハロルドもドリンク飲みに来たの? これ美味しいよー?」
 男は深く嘆息すると、周囲のクー達へと深くこうべれた。

「皆様、連れが大変お世話になりました。私はエンジェランドの騎士でハロルド=ビビイと申します。こちらのお嬢様の世話係をしております。」
 ユニスは代表として立ち上がり騎士の礼に答えるように軽い会釈えしゃくをした。その時ちょうど頭を下げる男の頭の天辺てっぺんが見えたのだが、その髪は薄く、白髪も混じっている。…どうやらこの男、顔つきは精悍せいかんだが相応の年齢であり、前線から退いた歴戦の騎士といったところだろうと推測できた。

 彼全体からかもし出される雰囲気は、戦い慣れた戦士の貫禄とでも言うべきか、ただ立っているだけでもただよう風格のようなものが伝わってくる。かなりの腕を持っているのだろう。しかし、その表情はとても柔和にゅうわであり、人好きするもので、無骨な風体のわりに優しい性格でもあるようだった。


「なんだこの半端ハンパハゲのおっちゃん。」
「ちょ、ちょっとクー!」
 そしてまたクーがいらん事を言う。ユニスが慌ててそれを止めるが…、彼女にとっては相手が騎士だろうがなんだろうが、まっっったく気にしない。まあ、クー自身は人間世界の身分など関係ないのだから当然と言えば当然ではある。

 …だからと言って、いきなりハゲ呼ばわりは、いくらなんでも失礼だろう。
 3年も人間世界にいるというのに、こればかっりは直らない。素直で正直者のクーは、素直で正直者すぎるのであった。

「すいません、失礼な事を…。」
「はっははははは…、いやはや、お嬢さんの言う通りです。そろそろ50ともなりますので、髪の方が先に根性が尽きたようでしてな。」

「へぇ…、”岩鉄がんてつのハロルド”っていやあ、エンジェランドのエルモア騎士団、第一師団の副長じゃあねえか。こりゃまた有名人が出てきたもんだなぁ。」
 テーブルに足を乗せたまま酒を飲んでいるバスタークが言う。皆の注目が集まる中、バスタークはハロルドへと視線を向け、面白そうにニヤけている。

「だろ? おっさん。」
「…なるほど、貴方がバスターク司祭ですか。お噂は聞き及んでおります。それにラファイナ王子・ユニス殿。そちらのヌイグルミがランバルト殿ですな。いやはや、そちらも有名人が勢ぞろいですなぁ。お会いできるとは思いませんでしたよ。」

「ぬ、クーの事は知らないですか??」
 驚き半分、しかめっ面の半分のクーに、ハロルドは気のいい笑顔で答えて見せる。

「はっはっはっはっ、私はウチの団長を鼻血まみれにしたのを目の前で見ておりますからな。そちらのマリア司祭と一緒のところを拝見させていただきましたよ。いやはや、司祭は立派な乳房ちぶさをお持ちのようですな。」
「は、早く忘れてください!…お願いですからっ!」
 涙目で忘却を求めるマリアの顔は真っ赤である。

「そっかー、この半端ハゲのおっちゃんはさっきの見てたですか。」
「それだけではありませんよ、お嬢さん。…いや、クー殿と申すべきでしょうかな。貴方の噂は我らがエンジェランドでも有名なんです。武勇伝には事欠かないお人だと聞き及んでおりますよ。」
「ぬう、武勇伝かー。そいつはテレるですよ〜。」

「あれー? ハロルドはこの人達と知り合いだったのー?」
「いえ、話に聞いていただけですよ。こうして顔を合わせるのは初めてです。」
 そういうと、彼はファリアの頭を撫でる。えへへ、と嬉しそうな顔をするファリアは、とても可愛らしい。
 するとランバルトはまだ持っていた玉ねぎを皿に置き、手元のドリンクを飲みながら言う。

「ふむ、悪い男ではなさそうだな。それに年寄りのくせに実力は相応らしい。」
「いやはや…、戦場を離れてもう10年の私ごときを、そのように見ていただけるとは戦人として誉れ高い。」

 椅子を勧められたハロルドは改めて礼をした後、腰掛けた。基本が信用第一のクーはさておき、騎士という割りには砕けた人物のようだ。ユニスもランバルトも好印象を持ったようである。そして話を振ったバスタークだけは、相変わらず素知らぬ顔で酒をちびりちびりと飲んでいる。

「はいよ! お待ちどう。みんなちゃんと飯食ってないんだろ? 食べていきな。」
 カウンター向かいのダクレーヌが次々と料理を並べていく。立ち上る湯気と漂う香りが空いた腹に響き、食欲をそそる。そうして、ハロルドを含めた総勢7名が和やかな雰囲気での食事を始めた…。

「なんと! これから兄上を探す旅にクー殿と、ですか?!」
「うん。手伝ってくれるんだってー。」
 驚くハロルドにただ嬉しそうに答えるファリア。それに相槌あいづちを打つクーだったが、ランバルトは山ほどパスタを巻いたフォークを取り落として絶句していた。そして溜息をつくユニスとマリアだが、これはまたひと悶着もんちゃくありそうな予感だ。

「クー…、キサマぁ…。またもや勝手に決めおって〜…。」
 怒りがぶり返してきたランバルトは、素早く近くの皿に手を伸ばし、最終兵器たる玉ネギを手にした。…いや違う! 半分に割ったもう一つをも片方に掴んだ。その手に一つづつ、まさかのダブル玉ねぎである! これで目潰しなどされてはいかに水竜も瞬殺に等しい。

 だが、それを察知したクーは、早くもフォークと皿という剣と盾を装備し、徹底抗戦の構えだ。このまま戦えば、店はパニックにおちいるだろう。(そうなる前にダクレーヌの拳固が炸裂するだろうが…)


「申し訳ありません!!!」
 その不毛な戦いが勃発ぼっぱつする前に、ハロルドの巨体がバッタのように飛び跳ねたかと思うと、地面に這いつくばり、土下座をした。

「おいおい、オッサン。騎士団ナンバー2がそう簡単に土下座なんてするもんじゃねえぞ。」
「そ、そうです! 顔を上げてくださいませ!」
 バスタークがそれとなく、そしてマリアは慌てたものの、クーにはなぜ土下座なのかさっぱり分かっていない。

「いいえ、そういうわけにはいきませぬ! ラファイナの神とも言える水竜殿を、我が国の一市民の手をわずらわせるわけには参りません! どうかお忘れ願いますように!」
 いくらなんでも誤りすぎだ、と誰もが思う程の、見事な土下座っぷり。だが、ユニスには彼が慌てる理由が理解できていた。

 クーはこれからすぐファリアの兄を探す旅に出ると言っているが、仮にそれをするならば、クーはあっさり式典を欠席するだろう。そしてそれはどんな理由があろうとも、世間からはエンジェランドの一市民のために国の守り神を利用したという見方をされてしまう。ラファイナの最大行事に水竜が出ないなどという事になれば、築きあげた同盟など簡単に吹き飛んでしまうだろう。
 エンジェランドは所詮、小国である。いま何事もなく繁栄を続けられているのは、ラファイナの女王たるイメルザの理解と恩恵によるものだ。それをまさか、このような事で崩すような真似など出来るはずも無い。

「ねえ、クー。そういうのを僕らに相談なく決めるのはよくないよ。それに返還の儀はお父さんとの約束の日なんでしょ? だったら出なくちゃ駄目だよ。クーは自分一人だけの都合で動いたらいけないよ。」
 ユニスにしては珍しく少し強目の口調でクーをさとす。だが、当の本人は納得いかないのか、両手の人差し指で耳に栓をしている。まったく取り合う気がないようだ。

「当り前だバカモノめがっ! キサマの父バオスクーレが託した太陽の宝珠だぞ!? それを後回しなどと、よくもそんな口が聞けるな! 父のためにこの日を待っていたはずではないのか!!」
「え〜、1年や2年もいないんじゃないだし、少しくらい遅くなっても父ちゃんは怒らないですよー。」

 クーは形としてラファイナで世話になっているのだから、それに従う義務があった。…ただ、そういう義務や責任というものは、ラファイナ側が勝手に押し付け、強要しているものでもあるのだから、クーの意見だけが勝手だと言い切るには十分でもない。
 …とはいえ、働きもせず、こうやって好き勝手に飯を食っている時点でクーは労働の義務があるわけで。

 どちらにしろ、出たほうがいいに決まっているのは確かだ。国がうんぬんではなく、その式典というお祭りを楽しみにしている人だって沢山いるのだから。


「ファリア様、兄上の探索ならすでにラファイナに協力をあおいでおります。今回はおひかえください。」
 そんなクーを余所よそに、ハロルドはファリアを説得しようと試みている。一方で、クーもマリアやランバルトに説得されている。

「あの…、クー様、せっかくのお祝いの日を皆で祝おうというのですから、捜索はその後という事ではいけませんか?」
「そうだぞバカクーよ! キサマは水竜という自覚が足りんのだ!」
 珍しく集中砲火を浴びるクーは、どんどん不機嫌になる。しかしここは、どうあっても式典に参加してもらわなければ丸く収まらない事は誰の目にも明らかであった。和やかな雰囲気は吹き飛び、やけに険悪な空気が流れていた。すでにランバルトは交戦も覚悟している。その手には、またもや玉ねぎを装備…。

「ぐぬぬぬぬ! まるでクーが悪いみたいな事になってるですよ。失敬ですよ!」
「お前が悪いのだ半人前めが! 今日という今日は、その我侭わがまま体質を根底からくつがえしてやろうぞ!」

「二人ともそこまでにしておこう。話せばわかるんだから。」
「いやはや、申し訳ない。…しかし、なにも喧嘩などなさらなくとも。…さて、困ったな。」

「お、こりゃあ面白れえな。いいぞ、好きなだけやってくれや。」
「司祭は不謹慎です!」
 一発触発…。クーとランバルトはいままさに戦闘を開始しようと闘志を燃やしていた…。


「あれ? 兄様探すのそれの後でもいいよー…じゃなくて、いいです。」
「「「…え?」」」
 一同が揃って声を上げる。もちろんその声の主はファリアだ。幼い少女は、甘いフルーツをもふもふとかじっており笑顔満面。至極ご満悦のようで、いまの会話にもまったく参加していないようだった。

「ありゃ? すぐじゃなくてもいいですか?」
「うん。兄様も探したいけど、お祭りも見たいもん。…じゃなくて見たいです。」

 考えてみれば、強行に旅に出るなどと意気込んでいたのはクーだけであり、当の本人の話をさっぱり聞いてもいなかった。ファリアにしてみれば、確かに兄には会いたいけれど、急いでいたわけではないので、なぜハロルドが必死に頭を下げているのかの方が不明だった。

 それよりも何よりも、目の前の食事がおいしかったので、あんまり話を聞いていなかった、というのもある。

「ん〜、ファリアがいいって言うなら〜…。」
 本人がいいというのにまだ悩んでるクー。本人的には約束した事へのコダワリがあるらしい。
 しかし、そこへバスタークがトドメの言葉を付け加えた。

「おい、クーの嬢ちゃんよ。そんな事言ってると女王陛下と会えなくなるぜ? 楽しみにしてたんだろ?」
「あっ! そ、そっかっ!! ユニスの母ちゃんと会える日なんだっけ?! あーーーーー、忘れてたぁぁぁぁ…! それは困るですよ〜。あーーうーー、それじゃあ仕方ないですよ〜。」
 急に苦悩し、態度が軟化するクーをまたも不思議な顔で眺めるマリアを余所に、バスタークはさらに付け加える。

「約束を破るわけじゃなくて後にするってんだからよ。順番が変わるだけの話だ。大きな差はねーよ。」
「うんうん。それならOKですよ! は〜、バス公は小物のくせにたまには役に立つですよー。」
「うるっさい。小物を馬鹿にすんじゃねー。」

 そんなやりとりに、無きに等しい首を傾げるランバルトはマリアの耳を引っ張り、いまの不思議を聞いてみる。
「これ、小娘。…なんでクーはイメルザの話になると素直になるのだ?」
「いたたた、痛いですよランバルト様。…私もさっきから気になってたんです。でも理由は知りません。いたたた…。」

「母親がいないからじゃないのかな?」
 ユニスは小さな声で二人に答えた。クーがバスタークやファリアと話している隙に、引き続き小声で話す。

「前に言ってたんだ。クーがまだ赤子の頃に母親は死んでしまったから、僕の母には会ってみたいって。それでだと思う。」
「ふん。母親などおらずとも私がおるではないか! それどころか、あんな凶暴クソ婆のどこがいいのだ? さっぱりわからん!!」
「そういうものなんでしょうか…。」
 まったく理解できないランバルトと、神殿と信徒全体が親であったマリアには、そういう感覚が掴めないようで、互いに首を傾げている。しかし、ユニスにはクーが母を想う気持ちが分かっていた。憧れる気持ちもなんとなく理解できていた。二人は仲良くなって欲しいと切に願う。

 ただ、母イメルザがこの3年間一度もクーと会わなかった事から、彼女のその心情を察してもいる。だからこそユニスは、式典が避けられないものであるのが分かってはいても、クーが旅に出るという選択も間違ってはいないのかもしれない…などと心の片隅で考えてもいた。

「よーし! まずは式典ですよ! ユニスの母ちゃんに会って、太陽ちゃん返してもらったら、そしたらファリアの兄貴とやらを探すですよ!」
「えへへ、ありがとう…じゃなくて、ありがとうです。」
「ファリア様、ありがとうには、です…はいりません。そのままでいいんですよ。」

 結局、ファリアは当日までハロルド付きという条件付きながら、クー達と共に過ごす事となる。



 ───こうして、もう当たり前となった日常の一幕は、終わりを告げる事となる。
 これから巻き起こる大きな嵐の前の最後の団欒だんらんであったという事を、彼らはまだ知らない。





◆ 








 最初の異変は、その日の夜、…とある宿から始まっていた。

「どういう事だ?! なぜそのような決断を!? いくらファリア様がご病気だとはいえ、王はあれほど可愛がっておいでだったではないか!?」
 戸惑いと衝撃に突き動かされ、岩鉄のハロルドは固い椅子から腰を浮かせた。目の前で沈痛な面持ちをしているのはエンジェランドの騎士団長ファウスト。彼は椅子に座りながら上体を前に倒すようにし、手で顔を覆いながら言葉を続けた。

「…しかし、これは我が主の決定なんです。王はそのようにせよと…。」
「なぜだ!? 最近は発作も無く、ゆるやかな体質改善の兆候ちょうこうも見られた。それを今になって……なぜだ!?」

 ハルロドは、目の前のファウストの言葉を未だに信じられなかった。自身の気が狂ったのではないかとさえ思った。  君主クリストが、まさか自身の孫を殺せなどと、どうして信じられるというのか?

 ショックを隠せないハロルドに、ファウストが言葉を重ねる。

「ハロルドさんにはラファイナ入りするまで話すなと口止めされていたのですが…、実はちょうど1月前、貴方がクリムト査察に出掛けていた間に発作は起こったんんです。…それで侍従が一人、ミスマスが殺されました。」
「…なぜ私に知らせなかった!? そんな事があったなら───、…くそっ、それでミスマスは突然の退職などと…。孫が出来たのだという話も虚言だったのか。」

「今回はたまたま被害がそれで済んだからいいようなものの…、危うく”あの事件”の再来を引き起こすところでした。」
「…………。」
 前線を退いたとはいえ、他国にさえ知られるような武人、岩鉄のハロルドがわざわざ護衛と世話係をしていたのには理由がある。それはもちろん王の血族たるファリア=ロイエルという要人の警護という意味合いもあったが、それ以上に、ファリアに問題が起こった場合、即座に取り押さえるための措置でもあった。

「そして、騎士の中には憶測が広まりつつあります。今回、ファリア様の発作を見た騎士は、あの事件と結びつけて考える者も増えてきた。だから事実が露見する前に、ファリア様を亡き者とする必要があるのです。王はそう決断されました。」
「だからといって……。」
 ハロルドは倦怠感けんたいかんを伴うような、ゆっくりとした動きで再び腰を下ろし、そして”あの事件”について思い出していた。それは秘匿ひとくされてはいるが、今のエンジェランドそのものに影を落とす凄惨せいさんなものであった。彼も多くの部下を失っている。

「今回の式典では、ラファイナの隷属れいぞく状態にある今の位置から、少しでも上へ登るチャンスでもあります。だから、王はこの式典でファリア様を使うようにと。」
「………………。」
 ハロルドは目を閉じたまま歯噛みすると、無念の感情を浮かべて苦しんでいた。

「王はあの男の妄言を信じたという事か。」
「はい。ナトゥスの情報によるならば、奴隷達の一斉蜂起はほぼ確定との事です。ですから王は、その混乱を利用し、式典中にファリア様を殺された事にすればよい、と。そうすれば責任はラファイナ側のものとなる…と。」

 ハロルドは王家へと情報を流す”ナトゥス”という男を信用していなかった。確かに奴のもたらす情報は正確で、盗賊など問題にもなならい程の精度、そしてなにより行動が早かった。どのような情報網を持っているのかは不明だが、情報戦を制する事が出来るという点において、これほど役に立つ者はいない。その分、依頼料金も馬鹿にならないものだが、それは大きな問題ではなかった。

 だが、戦場でつちかった戦士としての本能が、あの男は危険だという事を知らせていた。きっとファウストも王も同じ考えであるだろうが、それでも重要な情報を手放せないでいる。

 今回の水竜の式典【返還の儀】に大規模な襲撃があるという情報。王はそれを利用する事を考えたのだ。

「私は今でこそ騎士団長にはなりましたが…、今でも貴方から受けた恩を忘れたわけではありません。戦場での技や騎士の心得を教わり、そして過酷な戦場を生き抜いて来た。やっと独立を勝ち取り平和が訪れた。今ここにファウストという私が存在するのも貴方のおかげです。…ですが、これは王の決断なのです。これがクリスト陛下の───」

「もういい。分かった…。王のお心は私が誰よりも知っている。」
 ハロルドは昔、傭兵王たるクリストに率いられて戦場を駆けていた。旧エイレア島、今はエンジェランドと呼ばれる島の開放戦線にも行動を共にした。だから彼の考えは手に取るようにわかる。これが苦渋の決断だという事もわかる。

「私が殺ろう。だが、それ以外の者が手を出すならば容赦はしないと伝えてくれ。」
「…すいません。このような役目を負わせて…。」
 王の決断を受け入れたくはないが、あのような事件が再び起こる事を危惧きぐするなら、早く手を打つしかない。そしてその死がエンジェランドの今後に繋がるというのなら、人の道から外れた悪事だろうとも達成しなければならない。

 どちらにしろ、ファリアという娘は長くは生きられない。
 ならば、取り返しのつかなくなる前に、殺してやるしか救いがないのである。

 …ハロルドはファウストの部屋を後にし、眠るファリアの部屋へと向かった。
 音を立てないように扉を開くと、そこには何のうれいもなく心地よさそうに眠る幼子の姿がある。

「……………。」
 歳を取ったとはいえ、この岩のような手でなら首を折るのは容易たやすい。過去の戦いでは何人もの傭兵と剣をまじえ、命を奪ってきた手だ。人がどうすれば死ぬのかは熟知している。だが、ハロルドの本心はそれをこばんでいる。長年の友であり、君主となった王の命令が絶対であろうとも、それを実行するには、これまで以上の覚悟と苦悩が必要である事もわかっていた。

 ファリアの部屋を後にしたハロルドは自室へと向かう。喧騒けんそうも遠い静かな部屋は、窓から差し込む月明かりに照らされている。魔法による照明を点灯させず、ゆっくりと冷たいベッドへと腰を下ろした。その疲れた表情は、彼が50にも届く年齢の者だという事実を物語っているようである。

「ルシア様…、貴方の妹君は苦しんでおられます。なぜお戻りにならないのですか? 貴方はいま何処どこにいるのですか?」
 つぶやいたのはファリアの兄の名だ。いまは行方不明となっているあの幼子の兄。彼がもし居てくれたならば、王もこのような決断はしなかったのではないか?…そんな考えをめぐらせるハロルド。しかし、現実問題として居ない者を宛てにしても詮無せんなき事でしかない。結局はハロルドが答えを見出すしかないのだ。

 ファリアの命を奪うための決行は【返還の儀】当日。
 それまでに覚悟を決めなければならないと、彼はただ苦悩するしかなかった。







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