水竜クーと虹のかけら |
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王都イスガルドの膝元、城下町ガルドの一画フィガロ港は、ラファイナに数ある観光名所のひとつである。 サファイア鉱石よりも美しいとされる深く鮮やかに煌めく海と、この地特有の白砂が広がる砂浜は、日の光に照らされる事で金色へと染まり輝きを放つ。この地を訪れた者達の全てが、至宝と賛美する程の光景である。 その中で自然との調和を実現した港は、小さいながらも整備が行き届いており、風景に文化という花を添えて美観を更に引き立たせてもいる。まさにラファイナが誇る世界随一の観光スポットと言っても過言ではないだろう。 しかし、フィガロ港はこのように風光明媚とされながらも関係者以外には立入禁止とされている。一般へは遠目から見る以外を許されているのだ。国外からの客人はもちろん、ガルドの一般市民の立入りも難く禁じられており、王家の許可がある者、神殿関係者、もしくは許可を得たごく一部の土地の者以外は出入りはできない。 確かにフィガロ自体は宣伝に違わぬ美観を兼ね備えてはいるが、実際には城下町の整備に伴う「無茶の全てを請け負わされた地区」であり、ほんの少し人目に遠い南側の丘を越えれば、そこは資材置き場、いわゆるゴミ置き場になっていた。 集積された塵や壊れた船、建築物やその廃材、その他様々の残骸が所狭しと、まるで墓標のようにうず高く積み上げられて巨大な壁が形成されている。城下町ガルドに匹敵するほど広大な敷地の全てがゴミの壁で形成されているおかげで、そこはまさに迷路のようになっており、初めて訪れる者にとっては迷いの森に等しい様相である。 先日、水竜クーも勝手に入り込んでさんざん迷ったわけだが、それでも抜け出られただけ大したモノだ。なにせ、迷ったまま朽ち果ててもおかしくない程の規模なのだから…。 そういう分かりやすい理由を隠すために立入禁止となっているわけだが、少なくとも観光客にお見せできる場所ではないというのは理由の大半かというと、それだけでもない。 人目に付かぬゴミ山の迷路を抜けた先、更に奥地へと入りこめば、質素ながらも昔ながらの漁を営む人々が暮らす漁村がいくつか残っている。昔からこの土地に住む漁師達だ。彼らこそが唯一ここに出入りできる許可を持つ一般市民である。立入禁止措置は彼らの為の配慮でもあるのだ。 粗末な漁師の服を羽織った村人達と、潮に侵された古い家屋が立ち並ぶ村々は、王都の喧騒とはまるで別世界、平穏そのもの。 使い込まれた投網、しなやかな釣り竿、天日干しの魚…。磯の香りと白い砂浜だけが広がるその村にだけ、独特の時間が流れているかのようであった。 漁師にしてみれば魚を取るのに陸路は必要がないわけだし、商業輸送は海路で行なえば構わないので、彼らがゴミ迷路で困る事はない。むしろ、周囲から隔絶された事で、許可も無くこの地を訪れる観光客が途絶え、静けさを取り戻せたともいえる。急激に増加し続ける観光客には頭を抱えるしかなかったからだ。 そもそも漁村にとって、観光客というのは迷惑な事この上ない存在なのだ。海を騒がせ魚を散らす、勝手の仕事道具に触れる、危険な浅瀬に入り込む、そして当然ながら、迷ってまで来た為に帰り道も分からず泣きついてくる。迷惑どころか邪魔以外の何物でもない。 …そういう常識の埒外(らちがい)を引き起こす者達がイメルザの知恵でいなくなったのだから、漁師にしてみれば万々歳というわけである。立入禁止もゴミ迷路も彼らにとっては実に有難い境界として機能しているからだ。 ───そんな漁村の数多ある一つにトウォルという村があった。 ここは5年前に出来た比較的新しい漁村である。他の村の者達とは協力も競合せず、己のペースでの漁業を営んでいる。 村民は約10名程とかなり小さな村なのだが、その全員が男性であり働き手である。漁に出ない年老いた者も中にいるが、知恵役というわけでもなく、全ての者達が談笑する事もなく黙々とそれぞれの仕事をこなしている。まるで会話すらない村というのは不気味なものだ。 他の漁村とも連携が無い事で、それらの者達からは不思議以上に不気味に思われている。漁師というのは村という領分を問わず協力するのが普通であるが、このトウォル村に関してはそれがない。かといって他の村と競合する事もない。彼らは村を養えているのか疑問に思うほど少量の漁しか行わない。まるで、収入すら考えに無いかのようだ。 そういう事もあって、漁村にしては珍しく、孤立を目的とした変わり者が集まる村なのだと、漁をする者達には知られていた。不思議には思えど、それについて質問を投げるほど酔狂な漁師もいなかった。ただでさえ不気味が漂う村になど、好き好んで質問を投げかける者などいるはずもない。 …そんなトウォルに、その日は珍しく観光客らしき人影が訪れていた。 日の光に伸びる影はひとつ。姿は小柄で背は高くない。いや、体つきは子供そのものだ。白を基調とした学生服とお揃いの帽子。時折強く吹きつける海風にスカートの端を抑える事もなく、ただ楽しそうな笑顔を浮かべている。 それは先日、水竜クーと出会った幼き少女ファリアであった。 そこにお付きの老戦士ハロルドの姿は無い。たった一人ながらも怯えた様子は微塵(みじん)もなく、むしろ好奇心旺盛な風で、子供らしくキョロキョロと周囲を眺めては物珍しそうにしている。 しかし、そんな子供であっても漁村にとっては邪魔者に変わりない。 「うーん、やっぱりここで間違いないかな〜」 幼い少女は楽しげな雰囲気で独り言を呟(つぶや)いた。そして村の方へと近づいてくる。そのちょこちょこと走る姿はまるでヒヨコのようで実に危なっかしい。途中で砂に足を滑らせて転びそうになったが、すぐに体勢を取り戻し、足取り軽く駆けてくる。 立入禁止となってから滅多に来る事のなかった観光客。よくもまああの大迷路を抜けて来たものだが、だとしても、彼らは村人から胡散臭(うさんくさ)い余所者(よそもの)であると思われているとも知らず、この村になんの用なのかをいぶかしむ村人達という構図は変わる事が無い。今まさに近づいてくるファリアに対してもその表情を隠そうとはしなかった。 そしてファリアは唐突に足を止めると、機嫌の良さそうな笑顔のまま近くの村人に話しかけた。 「ねえ、おじさん。ちょっと聞いていい? …じゃなくていいですか?」 「…なんだいお嬢ちゃん」 優しげに見える年寄りの返答に、ファリアは可愛らしく無邪気な笑顔を浮かべたまま言葉を続ける。 「あっちの小屋で網の作業してる人達って道具作りのプロみたいだけど、漁業用の網かと思ったら対人用なんだね。網に鋼のトゲと鑢(やすり)付きって、えげつないねー。捕まったら血まみれになっちゃうよ〜」 「おじさんの役目は作業の監督及び周囲の警戒。そうだよね、盗賊ギルドのbR…ヘズイルさん?」 感心したようなファリアがそれを言い終わった時、そのか細い首筋には今話していた男の手が添えられていた。その岩のようにしわがれた手の内側には、とても小さな、しかし異様に鋭い黒刃。男は変わらぬ穏やかな表情のままで、しかし、その体の奥に異常な程の殺気だけを煮えたぎらせている。その濁(にご)った瞳の最奥には底知れない深い闇が渦巻いているようにも見えた。 この男にとって子供を殺すのは簡単だった。彼は今まで両手両足の指で数えても足りないほどの数を手に掛けてきた。老若男女を問わず命じられれば全て殺した。いまさら子供の一人を始末したところで何とも思わない。今この瞬間にも少女のか細い首を切り裂いて、金の砂を血で穢しても良かったのだ。どうせこの村にはギルド関係者しかいない。目撃者もいないのだから殺すのは構わなかった。 この少女の言う通りだ。男の名はヘズイル。…盗賊ギルドのbRという要職に付く大幹部である。 …だが、どうしてこんな子供が自分達の正体まで的確に当てたのか、それについては驚きを禁じ得ない。このような子供から何故その情報が出たのかを聞きだす為に、今はまだ殺すわけにはいかない。 このトウォルという漁村そのものを隠れ蓑(みの)にしたこのアジトは、本拠地としては申し分のない立地条件である。土地勘のない者には探る事もできず、立入禁止の先のゴミ山の迷路。そしてこの迷路には盗賊ギルドだけが持つ移動ルートがある。その要所は監視されているので、警戒がしやすく、急襲を受ける事もないのだ。加えて盗賊ギルドでも一部の者にしか正規ルートを知らされていないため、身内にすら穴は無い。 それだけの条件が揃ったこのアジトが、このような少女に看破されているなど、その理由を問わなければ情報の穴は修正できない。きっとその手口はまともな方法ではないはずだ。もしくは裏切り者の可能性もある。 そして、ヘズイル達はこの娘を知っている。エンジェランドの要人である事、そして水竜クーと関わりがある者だという事も調べがついている。だが、そんなヤツがどういう理由でこの場にいるのかが分からない。エンジェランドよりの間者だとしても、わざわざ王位継承権のある娘を使い捨ての駒に使うとは思えない。 そういった思惑の裏側に潜む強く黒い悪意と疑念を肌で感じ取っているだろうファリアは、それでもなお表情を崩さず、何の不安もなく実に嬉しそうなままである。それは殺意を感じ取り、この瞬間にも殺されそうになっている者にしては、あまりに場違いな笑顔だ。 刃を握るヘズイルも、柔らかくも鋭い殺意と威圧を押し込めながら、表層上の笑顔だけを変えないまま言葉を口にする。 「お嬢ちゃん、色々と聞かせてもらいたいな。折角だからワタシの家に来ないかい? なぁに、遠慮はいらないさ。」 あくまで漁村の村人のまま、優しげで親しい客人を迎えるかのような口調のヘズイル。彼の瞳は純朴な村人然としながら、少し手の刃に力を込めて移動を促(うなが)した。捕縛した人間は恐怖のあまり暴れることがある。こういう場合は力づくで抵抗されると厄介であるため、誘導は穏やかに行うのが基本だ。 これからこの子供には死んだ方がマシだと思えるほどの拷問を味わってもらう。彼の思考と行動は完璧に暗殺者の持つそれである。無暗に裏社会へと深入りした者には、相応の報いを受けて貰わねばならない。相手が子供だろうが関係ない。口があるのだから、全てを吐き出すまでは生かさず殺さず扱う。それが我らの方針だ。 もちろん要人だからとて容赦はしない。我らがアジトでなら痕跡さえ残さず処分もできる。たまたま街の暗部に迷い込んだ人間がいなるなる。よくある事だ。 「うーんとぉ、勘違いされちゃうと困るんだけど、私ね、今回はそちら様と同盟を結びに来たんだよ?」 相変わらず表情を少しも崩さず、天使の笑みを浮かべて異様な発言をするファリア。しかし、ヘズイルはその言葉に少なからず動揺した。こんな子供が、我らと同盟? 何を馬鹿な! 国ですら動かす我らが、このような餓鬼を相手にするだと?! 先ほどよりも濃度を増した殺意を、濁りきった瞳に映してファリアを射抜くヘズイル。だが、少女はそれですらも眉ひとつ動かそうとしない。この状況下で、ここまで表情を変えないというのは、ただの豪胆ではない。明らかに異常だ。 いや、いくらなんでも態度が異常すぎる。 状況を理解していない事はあり得ない。あり得ないはずだ。こちらの正体を掴んで単身乗り込んできている以上、相応の知力を有しているはずだ。自分の感覚に間違いなどない。 次の瞬間に殺されてもおかしくない現状で、何の不安も無く、敵の真っ只中で笑顔を絶やさない少女。 あまりの異常に、困惑したのはヘズイルの方であった。 「今日はギルドマスターのバフキーさんがいるんだよね? 確かあの家の土間の左の壁に…」 ファリアはその言葉と共に歩き出そうとする。───刹那、ヘズイルは目を見開いた! こ、この…っ! この餓鬼! なぜアジトの場所まで把握している!? それどころか私を無視して行こうというのかっ!! いかに同盟を騙(かた)ろうと、例えそれが真実であったとしても、この盗賊ギルドbRのヘズイルが監視している中で、自分の許可も無く直接ギルドマスターに話を通そうなどとあってはならない。監視を任されたこの自分を差し置いて、それでバフキー殿に会おうというのは許されない行為だ。 私はヘズイルだぞ!? bRのヘズイルだぞ!! ヘズイル様だぞ!!!! そうだ、何を呆けているのだ! 殺してしまえ! この大幹部にしてbRのヘズイルに失態などない! 通すわけには断じていかない! その気になれば情報はあとでも取れる。今は躊躇(ためら)う必要などない! とっとと殺せばそれで済む。 しわがれた手は異様な程にしなやかで、それでいて一瞬。 掌の内側に持つ黒い刃が、一番効果的な箇所をすみやかに刺突する! ───が、刺したと思った自分の手は少しも動いていなかった。 正確には動かせていなかったのである。自身の置かれた状況を理解して冷静さを失いかける。 「なっ、…なんだ…、なんだ、これは…?」 いつの間にか腕に何かが巻きついていた。ロープのようなモノ。それは異様に強固であり、まるで金属製の縄であるかのようにビクともしない。腕が完全に固められ、強く締めあげられている! そして彼は気がついた。目の前にそれがいる事を。 「アカンがな! 女の子にそないな物騒なモン向けたらアカン! オッチャンッ!! アカンでー!」 少女の背中の皮製バッグから、金属らしき異様な何かが飛び出していた。そしてそれは何かおかしな方言まじりで文句を言いながらも、頭部らしき場所をこちらに向けて威圧していた。こちらの殺意に反応し、一瞬で、このヘズイルに気づかせもせずに! 一瞬、思考が飛んで真っ白にはなったものの、そこは歴戦の殺し屋である。即座に意識を取り戻してそれを注視する。腕を固められて動けない以上、次の手を練る前に、まずは敵を正確に視認しなければならない。 だが、その姿はヘズイル自身が想像にも及ばない、実におかしなモノであった。 バッグから伸びる長い縄のようなモノの先には、三角形の顔のような部分があり、そこには丸い二対の目玉が備わっていた。その部分だけを見ればペリカンという鳥類に見えなくもない。まるで玩具のようなそれは、確かに顎(あご)のような部分を動かし、ぺらぺらと喋っている。 「やい、オッチャーン! 刺すで? その目ん玉ごっつり刺してくり抜いてまうで。ファリアはんに指一本でも触れてみぃ、目玉どころか腕もねじ切って、ついでに首から先まで無くなるでぇ? おんや! もうとっくに手が触れてるがな! ファリアはんの首に手が触れとるがな! アイヤー! すんまへん! おおきに! ごっつぁん! サンクスな! ケケケケケケケケケッ!」 金属の三角形、その鳥顔がカタカタと金属の結合部を揺らして、けたたましく笑った。出来損ないの人形劇でも見ているかのような不自然さと、無機質のはずの金属から発せられたと思えない豊かで不気味な表情。そして殺意ですらない攻撃宣言。ヘズイルは盗賊としての知識を十分に持ち合わせていたが、このようなモノは初めて目にした。 だが、それ以上に驚いたのは、その後である。 「おい、ペリカング。誰が出てきていいって言ったんだ? ああ? 単にテメーが外に出たかっただけだろが」 一瞬、誰が発した言葉か分からなかった。 「ヘズイルさんよ、その反応は急ぎすぎだな。仮にも同盟を口にし、しかも単身でやってきた相手だ。外見はどうあれ、それなりの準備があると踏んで、ここはボスに引き合わせて指示を仰ぐのがベストだろ? 少々煽ったのはすまないと思うがな」 男は動く事ができないままだった。もちろん腕は固められたままではあったが、それだけではない。 目の前の少女から発せられた声色に驚いたのもある。こんな子供の正論に戸惑ったのもある。 しかし、それ以上に動くことが出来なかったのだ。三角形の金属が自分を狙っていたからではない。 恐怖に体が硬直していた。彼はそれを見ていた。 ファリアの真後ろ、その足元、…地中にそれはいた。 なにか…得体の知れない巨大な影。それは少女の影が巨大化したかのように膨れ上がったものだった。 黒い影のバケモノ、少なくとも小型船よりもデカイその何かが、少女の足元から離れ、地中を踊るように駆け回り、海中を泳ぐ魚であるかのように跳ねる。そして時折、地上へとその巨体を浮かび上がらせては、血のように赤い牙を自分へと向けている。影は巨大な魔獣となって漆黒の爪を振り上げ、幾度となくヘズイルへと襲いかかろうとしていた。 まったく見た事もない巨大生物。しかも地中を自在に泳ぐなどと、そんなモノはこの地上の何処にも存在しない。加えて自分へと向ける禍々しい殺意は明確な意思によるもの、捕食という獣の衝動を感じる。 しなやかな豹(ヒョウ)のような体躯に、真っ赤な瞳…四対の、合計8つの奇怪な眼光を爛々(らんらん)と滾(たぎら)せたその魔獣は、確かに地中にいるというのに、地面を動き回るようにヘズイルの周囲を徘徊(はいかい)している。 遅れて気付いた周囲の部下達も、ヘズイルを守ろうとして動いたが、すでに手を出せないでいた。ある者は獣を見ただけで怯え、ある者は金属片のペリカンに威嚇されて動けず、またある者はファリアという少女の異様に気圧されている。獣の跳ね回る中で一人囚われたヘズイルはその身を竦(すく)ませ立ち尽くすしかなかったのだ。 その悪意の劇場と化した場で、主役として君臨するファリアの表情には、先ほどまでの幼さはどこにもない。 腕を前で組み合わせた横柄な態度と不敵な笑み、さらにそれまでは茶色だったはずの瞳が鮮血のような紅へと変貌し、ヘズイルを貫いている。まるで地中に潜む生物以上の威圧で、まさにヘズイルを愚かな下等生物だと蔑(さげす)んでいるかのようだ。 彼は理解した。 自分が刃を向けるこの少女は、児童などという容易(たやす)いモノではない事を。 この女が浮かべるその表情は、幼子のそれなどではない。断じてない! 世間の悪意を知り尽くした才ある者だけが持つものであった。 自分は盗賊ギルドbRという地位にこそいるが、そんな子供騙しの名前ではまったく手に負えない相手だという事を悟るのに時間は掛からなかった。…まさに魔獣と赤子、それほどの力の差が今ここに存在していた。 ヘズイルが恐怖と絶望に駆られて抵抗すら願わなくなった頃、ファリアは声を発した。 「騙したようで悪かったな。表向きにはさっきの、ああいう餓鬼を演じた方が楽な事が多くてね。」 そう述べたファリアは、周囲で最大限の警戒をしているだろう盗賊ギルドの面々へと目配せして手を振り、黒い獣を下がらせる。それは状況を把握できず、襲撃しようとする者を抑えるためでもある。これ以上は争いを望まないという意思表示である。 「ケケケケケケケッ! 猫かぶりでっか!? おネコかぶってまっか? ファリアはん悪女やわ! 悪女でんがな! ウッヒョー! 悪女っぷり猛々しいデスワ!」 「うるせーぞ! お前はもう下がってろ。出番は終わりだ。」 「オーノー! プリーズウェイトアモーメント! もうチョイ喋らせて! もうチョイお話トゥーミー!」 「…ブチ殺すぞ?」 「オーライ! イエッサー! ノープロブレム! ノーでプロブレムゥ!」 まるで喜劇でも見ているかのように、金属のよく喋る鳥顔がけたたましく、狂った人形のように喋っていた。だが、少女に下がるよう命令されると、まるで海中の魚が逃げ去る姿を見ているかのように、ヘズイルの腕への巻き付きを解いてスルリとバッグの中に消え去った。 そんな事よりも、ヘズイルには足元にいた魔獣が自分から離れた事を安堵するばかりであった。獣がその形を小さな円形のようになってファリアの足元に向かうと、それは元から彼女の影であったかのように消え去ったのだ。 彼に理解できたのは、この女が明らかに普通の人間とは別のモノであるという事くらいだ。魔法はいくつも目にしているが、殺気を伴う生物の幻術など存在しない事を知っているからだ。あれは本物の地中を這う獣だった。 「そろそろ話を戻すとしよう。同盟の件だ。」 ファリアはそう言いながら、再び周囲を仰ぐように呼び掛ける。それはもちろん、荒事はここまでだと周囲に知らせる為、そして何よりギルドマスターであるバフキーが聞いているという前提での言葉であった。彼女はそれを聞いていると確信し、言葉を続ける。 「俺様は交渉をしに来た。だから手を組もうという相手にこれ以上の横暴を働く気もない。出てきてくれると助かるな。ギルドマスターさん?」 その可愛らしい容姿は何も変わっていないというのに、取り巻く空気は異様に重い…。口調と態度が完全に変わり、そして力を誇示した事で、周囲は無言の圧力に包まれている。子供の姿でありながら、どこか気高く、そして圧倒的な畏怖を覚える彼女には、高貴な気をも感じ取る事ができた。 しかし、あの走っているだけで危なっかしいヒヨコのような子供の姿の全てが演技だというなら大したものだ。変装や騙し合いの術を使いこなす盗賊ギルドの誰ひとりもが正体を見破れずにいたのだから。 「…すまんな客人、部下が粗相(そそう)をした。頭を下げさせてもらう。それに試すような真似をした事にも謝罪しよう。」 先ほどファリアが示した家屋の扉から、恰幅のいい鷲鼻(わしばな)の男が姿を現した。四十前の働き盛りの男である。ギルドマスターのバフキーである。その姿を見たヘズイルは、急に力が抜けて座り込んだ。自分より二回りも若い男ではあるが、実力と統率力がずば抜けている。信頼に値する男だと知っているからだ。 「みんな、引いてくれ。ここからは俺が交渉を引き継ごう。」 彼の口調は争いという場にしてみれば柔らかなものではあったが、しかし、彼の言葉とは裏腹に誰一人として警戒は解いておらず、周囲の男達も皆が次のファリアの動向に注視している。当然だろう、それだけファリアという相手に脅威を感じているのだ。しかも、ギルドマスターが目に前にいる。自分達の頭目が危険に晒されようとしているのに、どうして警戒が解けようか。 そんな中で、バフキーは頭を掻きながら再び声を上げた。 「長年こういう商売をやっていると、それなりに不思議は目にする機会が増えるってもんだが、俺もあんたみたいなのは初めてだ。だから当然、警戒はする。盗賊ギルドとしては真っ当な反応だったろ?」 「ああ、想像の範疇(はんちゅう)だ。問題ないぜ。」 バフキーは表情を変えずに、この女の中身を探っていた。こいつはこれまで交渉してきた相手とはまったく違う。そして荒々しい言葉の中にも筋が入っている事。こちらがこうして探りを入れている事も当然分かっている事だろう。現時点では信用に足りる相手という判断は出来ないが、それなりにまともな交渉はできそうだと踏んでいた。 そうした反応を見ているだけのファリアは、先ほどまでの幼い少女が無邪気に微笑んだ、といった風である。この女の中身がああいうものだと理解していると、この無邪気な笑みは人を謀(たばか)り小馬鹿にでもしているのかと思えなくもない。 「ヘズイル、ここは俺に任せておけ。…お前達は作業に戻れ。大丈夫だ、ここからは交渉事だけだ。危険はない。」 バフキーはヘズイルに部下を任せて下がらせる。交渉とはいえ、危険があれば部下まで巻き込んでしまう。交渉を失敗させる気は無いが、もしもの時の犠牲は少ない方がいい。 さあ、ここからが本題となる。お互いが一言を間違えたらそれで終わり。殺し合いに発展してもおかしくは無い。いや、実際に戦えば、先ほどの術を見る限り一方的に虐殺されるだろうが…、それでもこの状況は、同盟を組みたいと頼みに来たのは女の方であるわけだから、主導権はこちらにあると考えられる。ならば、この女を利用する事もできない話ではない。 言葉一つ、態度一つで全てが決まる。それがいまから始まる交渉と言うもの。 そんな緊張が漂う空気の中で、話の口火を切ったのはファリアである。彼女は変わらぬ態度で述べた。 「シンプルに行こうか。俺様はお前らを力で従えるつもりはない。あくまで希望は同盟だ。」 「ふん…、同盟ねぇ…。しかしあれだけの芸で威嚇(いかく)されちゃ、警戒を解けという方が無理だ。俺達は善良な市民に毛の生えたような存在だからな。」 「まあ、悪いとは思ったが、俺様から言わせれば、先ほどのパフォーマンスは戦力公開みたいなもんだ。つまり、同盟となればアンタらにもあれらを扱う機会が得られると考えて貰いたいがね。」 バフキーは考える。確かにこちらが話に乗るには、それなりの事前情報を得ていなければ門前払いしていただろう。ああいう流れでなければ、いまこの場での交渉には至らなかった。 「分かった。忘れよう。あんたがここで言う同盟とは、つまりは相互協力、相互利益共有という認識でいいのか?」 「ああ、そういう事だ。こちらはアンタらが喉から手が出る程ほしい情報を新鮮なまま届けるぜ」 「喉から手が出る、…か。それは聞きたいね、一体どんな情報だ?」 「今後当分の間の、水竜クーの位置情報と行動だ。イメルザから監視を任されているだろ? 正確な情報を得るために相応の労力を費やしているはずだ。」 ファリアは組んでいた腕の右だけを上げ、思い出すように顎へ指を当て視線を上へと向ける。 「あのお嬢ちゃんの竜の紋様のハチャメチャさ、それに加えてユニス王子の慧眼(けいがん)。ついでにあのヌイグルミもかなりの曲者だからな。これだけの相手に悟られないための監視の苦労を思うと同情するぜ。お前らよくもあんなのに付き合ってられるな」 「………。」 まったくもってその通りである。盗賊ギルドはあの水竜達の監視を請け負っているが、なにせ普通ではない相手であり、その行動も予測の範囲を超えているため、あの3人の監視だけで常時70名以上を配置している。それはかなりの負担になっているが、それですら気が抜けない相手に困り果てているのが現状だ。水竜だけならまだしも、ユニス王子やヌイグルミも生半可な相手ではない。 だが、苦労は承知で引き受けている。そんな事は分かりきっているのだ。 ここでバフキーは当然の質問を投げた。 「水竜の行動をねぇ、確かにその申し出は喉から手が出る程ありがたい。だが、どうやってそれを知る? あんたが水竜の知り合いになったのは、こちらも把握しているが?」 要はそこだ。知り合いになったからといって、常に動向を調べられるわけではない。用事もないのに周囲を見回っていれば不審に思われる。それに水竜が気づかなくとも、あのユニス王子に誤魔化しは利かない。それはこの3年間で十分に思い知らされた。盗賊ギルドで一番楽な相手だと思っていて煮え湯を飲まされたのは彼であり、最も厄介だと思っているのは他でもないユニス王子なのである。こちらの安直な手は全て読まれては潰される。気配ですら難なく察知される。さすがは女王イメルザの息子、といったところだ。…感心している場合でもないのだが。 ファリアは、その質問を想定していたようで、余裕を持って答えた。 「明後日の返還の儀で”ハプニング”が起こる事はおたくらも承知しているだろう? その後、水竜クーは旅に出るぜ。あいつを中心として色々と問題が起こる事は予想つくが、少なくともヤツが俺様…、いいや、”ファリアの兄貴”を探すという約束を違える事はしない。あの性格ならな。」 「はは…、そのハプニングとやらの情報はどこから仕入れてくるのか。…まあいい。では、水竜が本当に旅に出るのだとすれば、今の状況把握なんざ吹き飛ぶほど難易度は跳ね上がるだろうな。寒気がするぜ!」 「だがなぁ、水竜の探す”アンタの兄貴”はどこにいらっしゃって、どれくらいの期間の旅になるのかは結構な問題だと思うがね。」 バフキーが言いたいのは期間の事だ。仮に水竜クーが旅に出たとしても、期間がごく僅(わず)かであれば、情報を貰うにしても同盟の価値に見合うほどの利益にならないかもしれない、という事だ。たった数日の旅なのに、同盟という名でこちらの利益を差し出されてはたまらない。いわゆる不公平だ、という事である。 それを聞いたファリアは、心底意地悪そうに答えた。 「ククッ…、トボケるなよ。ハプニングの先導役は月食の一味だろ? ”ファリアの兄貴”がそこにいるのは把握している。だとすれば俺様と兄貴殿が簡単に出会えるわけないだろ。あっちは水竜を警戒してるんだぜ?」 「俺様の読みじゃ相応の期間、少なくとも3カ月は旅の空だろうな。月食の敵はあくまで北ラファイナの連中だ。水竜クーにちょっかいを出している間はないはず。兄貴殿もそれを無視はできないはずだ。」 「もちろん俺様は兄貴殿の居所自体を知っているわけではないし、仮に知っていたとしても水竜クーらに教えるつもりもない。知っていたら不自然だしな。」 一気に喋り尽くしたファリアの言葉に、バフキーは心の底から驚愕を隠せない。 あまりにも知りすぎている。どうなっているのか? 「…はあ、色々と御存じなようで。関心するぜ」 バフキーは舌を巻いていた。そして同時に、この女がどういう組織に組しているのかに興味が沸いた。これだけの情報収集能力を持っているなら、相当の規模を持つ相手だろう。しかも、我ら盗賊ギルドがイメルザの部下だと知っているだろう事を予想して、それでもなお同盟を組みに来る相手である。どれだけデカイ相手なのかと想像に絶えない。 それがつい、口に出た。 「こいつは俺個人の興味本位だ。ひとつ聞きたい。」 「ああ、答えよう。可能ならな。」 「あんたは何処に所属しているんだ? もし同盟だというのなら、あんたが俺達の事だけを全部知っていて、あんたの組織について俺達が知らないのは不公平だとは思えないか?」 「ごもっとも。」 「なら聞きたいね。円滑な同盟関係を結ぶためにも、相応の情報は互いで握っておくべきだと思うがね。」 バフキーの言う通り、同盟というのは相互協力である。片方が嘘を用意し騙せば、もう片方も嘘で返す。正確でなければ成り立たない情報はそこで信憑性を欠き意味を為さなくなる。同盟など簡単に折れて砕けるガラスの糸のようなものだ。信頼の置けない相手に信頼では返せない。それが同盟だ。 「いいだろう。話は簡単だ。俺様に後ろ盾はない。部下が一人いるだけだ。まあ、この背中に居座る金属片のペットをカウントしなけりゃの話だが。」 「ひとりっ! 一人だと?!」 誰もが耳を疑うような返答。あの女王イメルザに喧嘩を売れるような巨大な組織であると踏んでいたというのに、それが計2人の相手だというのか。しかも部下という事は、この女がリーダーだと? 「ついでに部下も紹介しておこう。…もういいぞ。出てこい。」 胸の前で腕を組んだファリアが口の端を釣り上げ、またも意地が悪そうにニヤリと嗤(わら)う。それと同時にその背後で、再びファリアの影が再びせり上がって巨大な山と化した! 先ほどの影の化物! バフキーら盗賊は皆、戦闘態勢を取って構える。ファリアに殺意がないのは体感していたが、この影の方は油断ならない脅威を持っている! 巨大な影は、大人の三倍以上の大きさまで地面から伸びると、ぐにゃぐにゃと折れ曲がってから、今度は急に不自然に歪んで収束し、やがて縮んで人型へと姿を変える。大きさは大人と同程度だ。 「おい、遊びがすぎるぞ。…仮にも同盟を組む相手だからな。」 「ハァイ! 御主人がそう言うのであれば! ワタシも笑顔で営業イタシますです、ハァイ!」 漆黒の影が徐々に色づき、その男は現れた。恰幅のいい、緑色のタキシード姿の中年。短めの杖をくるくると振り回し、いかにも陽気そうな表情である。ひと目見たら忘れない、そういう濃さを持った男であった。 「ワタシの名前は、ナトゥス、と申します。以後お見知りおきを、盗賊ギルドの皆様。あ、これ名刺でス」 噂には聞いていた謎の情報屋…。ガクリフ大神官ともエンジェランドを含む各国とも繋がっていると耳にはするが、一向に情報が掴めなかった男。これだけ派手な服装だというのに、盗賊ギルドの誰もその正体、消息を把握さえできない人物である。それが…、その男が今、目に前にいる。しかも、このファリアという女の部下として、だ。 そんな思考に支配されていたバフキーに、ファリアは言葉を重ねた。 「組織と考えれば何処よりも比較にはならない。しかし、情報提供と信憑性を考慮するなら実績は折り紙つきだと思うぜ。」 「ハァイ! すこっち、ほんのすこっちお時間頂ければ、御納得の情報を新鮮なままお届けいたしますハァイ!」 コイツら…、この二人、何者なんだ…。 誰もがその二人に釘づけとなり、思考を停止する中で、バフキーだけはその次の事を考えていた。 「(同盟とやらがどこまで本気なのかは分からない。…が、利用価値は高い。こいつらは使える)」 ヘズイルらがあまりの異常事態に思考停止に追い込まれている中で、バフキーには勝算があった。戦闘能力では及ばないだろうが、それでも事を優位に進める自身があった。こいつらの弱みを握ったからである。 それは”ファリアの本性が今の横柄な悪女だという事実”。 こいつはそれを周囲に隠している。水竜クーどころか、あのエンジェランドの老戦士ですら知らないであろう事実を、我々は今握っているのだ。それがアドバンテージとなっている。 ならば、相応に同盟として利用しよう。切るのは後でもできるからな…。 この聡明なギルドマスターが、その考えの絶対的な誤りに気づくのは、実に30年後の話であった…。 「それで、ファリア…だったな。あんたはそれだけの力を持っていて、情報を蓄積しておいて、俺達みたいなのと同盟を組む必要性はどこにあるんだ? 何を欲している?」 バフキーのそんな問いに、ファリアは作らない笑顔でこう答えた。 「女王イメルザについてのこれまでの軌跡と戦略。今後についての行動も分かるだけ全部だ。俺様はそれが知りたい。」
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