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「先輩、もうすっかり歩けるようになりましたね」 「およ…、本当だ。いま気がついた。あんまし考えてなかったけど平気だな〜。うん、なかなか快適じゃないか」 髪の毛のあとで、俺はアオイに身体を覆う布…、”服”というやつを別のモノに取替えさせられた。そういう行いを”着替える”と言うそうだ。 おふとんで寝てた時、すでに”ぱじゃま”というのを着ていたと気づいたのだが、どうやらアレは俺様が寝ている間にアオイが着替えさせたらしい。渋谷で着てたのは泥とか血とかで汚れたので洗浄?するのだとか。 その代わりでいま着ているのは、じゃーじという上下の赤い服でやたらと動き易い。さっきまで着てた”ぱじゃま”は寝やすいけど、身体の割りに大きくてダボダボで動くのには向いてなさそうだった。けどいまのこれは軽やかで心地いいのだ。 アオイに聞いたところによると、人間は必ずこの服というのを着ているそうだ。 ぬう…、思い出してみればそうだな。俺様が戦った相手は全部こういうの着てた。服を着ていない、つまり全裸というので向かって来たヤツはいなかった。なんでだ?? ん? あれ? ガトウはどうだったっけ? あいつ服着てたっけな? 俺様は記憶力はスバラシイから間違いないぞ。ガトウは全裸だったはずだ! 絶対そう! …んむ? そうだったっけ?? ガトウ服着てた気もするし、全裸な気もする…。 どっちだ? 俺様の記憶力を持ってしても思い出せないとは…。 まあそんなのはどうでもいいや。 で、これには髪の毛と同じような効果として、髪で防御できない頭部以外の部分を補う意味もあるそうだ。しかも、メスとしての価値を上げるモノでもあるらしい。 うう…、でも俺様、発情期来てほしくないから価値上がって欲しくない…。 ところで、この服というのはナゼ何度も変える必要があるのだろうな?? 時と場合によって色々と変えるとはなぁ…、人間って、すげー面倒な生き物だな。なんで最初から全身に余さず髪の毛が生えてないんだ? 全部から生えてればこんな苦労はなかっただろうに。なんとも不憫な劣等種だなー。 「さすがに先輩は学生さんなだけあって、ジャージ着ていると快活そうに見えますよね。年齢相応で似合ってます」 「うん。俺様これ、けっこう好きだな。かろやかだ」 俺様”じゃーじ”気に入った。 特にメスの価値がまったく上がらなそうなのがよい。 …そんな感じで話ながら、俺とアオイはこのトチョー探検のため1Fにやってきた。壁が勝手に開く部屋”えれべーたー”という動く巣穴に乗ったらすぐ到着した。昨日も乗ったけど、小さいくせに便利な部屋だと思う。俺の元居た山岳の巣穴にもあれば良かったのになー。 「はい、到着です。まずここが1Fのエントランスですね」 「俺様ここ知ってる。昨日通った」 「先輩は何度か通ってるでしょうけど、私は昨日の夜中に到着したのが初めてでしたからね。全部が見渡せたわけじゃありませんし…。日中に見るのはやっぱり新鮮です」 「うぬー。なんかゴチャゴチャしたトコロだな。こんなトコだったか? …俺様、記憶力いいけど、何にも覚えてないな」 「まあ、出入り口ですからね。こうしてじっくり見学する余裕はなかったでしょうし…」 いや、別に余裕がなかったわけじゃないんだ。俺もマトモに見たのはシブヤに出掛けた時だけだから、ほぼ知らない場所なのだ。それ以前に、俺がこの身体で目覚めたのが一昨日の夜の事だし。 確かに昨日も通ったけど、歩くのに必死で見るどころじゃなかったしなー…。 周囲を興味深く見回すと、この”えんとらんす”では多くの人間が色々と作業をしているようだ。広さはいまの俺の部屋の5個分か10個分か20個分くらいあって、とにかくすげー広い。そして壁際には銀色とか茶色の大きい箱がたくさんいっぱい置かれていた。その多くが段々になって積み上げられて、高い天井に届きそうな程だ。俺様知ってるぞ、これが物資とかいうヤツだな。 ここで作業しているのはジエータイらしい。あいつらは服が同じだから見分け易いな。でも、ジエータイだけじゃなくて、色々な服のヤツも混ざって忙しなく動き回ってるみたいだけど、そいつらはよくワカラン。 「さすがに物凄い量ですねー。都庁には多くの人達が非難してますから、相応に物資も増えて当然なんでしょうけど、…足りると言うには程遠いみたいですね」 「ふ〜ん…、けっこーすごい量だけど、これで少ないのか?」 「世界がこういう状態ですからね。物資はどれだけあっても困りませんよ」 「ふむ…、なぁアオイ。物資というのはそもそも何なのだ?」 そういえば昨日もスイカどもが物資を盗んだとかで取り返す命令だったわけだが、そもそも物資というのは何なのだろう? 今まで中身とか深く考えてなかった。 …んーーーー、やっぱり食い物か?? あ、そうか! ハチミツかもしれないな! もしかしたら全部ハチミツか!? うおおお…夢みたい…。 「そう…ですねぇ、まあ食べ物だったり生活必需品だったり、武器やお薬、お布団に作業道具とかの、私達が使う様々な品の事ですね。それをこのエントランスで一旦まとめて、必要な場所へ仕分けて届けるんですよ」 「なんだ、全部ハチミツじゃないのか。…でも、ハチミツもあるよな?」 「入ってると思いますよ。お菓子なんかもね」 「合格だ!」 動き回っているヤツらは咆哮とはまた違った声を出し合ってる。物資を運ぶための合図みたいなものかな? それにそれらを運ぶのでも機械の音や物資を動かすとかでデカイ音が鳴っているせいで、ここはやけに五月蠅(うるさ)い。 …前の俺なら五月蠅いヤツは容赦なくブチのめしてたけど…、なんていうかなー、ココのヤツらは大変そうな気はした。だから五月蠅くてもいいやと思った。ふふん、俺様も甘くなったもんだな。(ハチミツあるかもしれないから邪魔したらダメだもんな…) 「あ、先輩、…あれを見てください。各階の案内板みたいですよ?」 アオイが指し示した先には、文字が羅列された大き目の板が壁にくっついていた。トチョーという巣穴の”見取り図”というやつだな。各階ごとに違う名前が書かれているからそうなのだろう。 「えーと、2Fが医務室、3Fが自衛隊駐屯区、4Fが私達の部屋があるムラクモ居住区、5Fは本部で…6Fが研究室、7Fは会議室、8〜12Fが居住区、13F工業開発区と…大浴場…? あ、お風呂あるじゃないですか!!」 どうやら色々な役割の階があるようだが、その違いが俺様にはさっぱり理解できん。そもそも”えんとらんす”っていうのは何なのだ? 素直に入り口部屋と書けばいいのに、なぜ”えんとらんす”なのだ? 「なあ、アオイ。”えんとらんす”ってなんだ? 入り口部屋なら入り口部屋って書けばいいのに、なんで分りにくく書くんだ?」 「……さあ?」 「え? 分らないのか? アオイでも?」 「はい。残念ながらこのアオイちゃんでも理解できない謎が世界には沢山あるのです」 答えられなかったくせに、やけに偉そうな顔をして胸を張る。ちっとも偉くないと思うのは俺様の知識不足のせいか? それとも世界はやけに難しいのか? 俺様はヒジョーにガクジュツテキな問題だと思った。 「先輩、私ちょっと大浴場を見てきます。使わせて貰えるか聞いてきますので、ここで少しだけ待ってていただけますか?」 「んむ? どこ行くって?」 「お風呂ですよ、もしかしたら入れるかもしれないじゃないですか。確認してきますから」 「ふんむー、よくワカランが別にいいぞ」 そう言うと、アオイはやけに嬉しそうな顔で、えれべーたーにピューって走って消えていった。なんでアイツあんなに嬉しそうなんだ? だいたい、オフロっていうのは何なんだろうな? チョコとかハチミツより嬉しいモノなのかな?? そんな事を考えていると、俺は周りが急に静かになった事に気がつく。 …アオイがいたから気にならなかったけど、一人でこんなところにいるのは初めてだった。えんとらんすの各所では、相変わらずジエータイらが忙(せわ)しなく動き回っており、スゴイ音が鳴っているにも関わらず、俺だけが特に何かをするわけでもなくポツネンとこの場に立ち尽くしていた。 「なんか、ヒマになっちまったな…」 俺様は立っているのも何か変かと思って、近くの椅子に座ってみた。 こうして改めて眺めていると、えんとらんすには、なにやらせかせかと行き交う人間達が本当にたくさんいる。えーと〜、いちにーさん…じゅう…よんひゃく…にせん…、あれ? 動くから分かんないなー。とにかくいっぱいだ。 ヤツらは声を出して指示を出していたり、荷物を運び込んだり移動させたり…。人間というのは群体で生きる性質があるものだと知っていたが、いま目の前のコイツらを見ていると、やはりそうなんだなと改めて思う。 俺には”群れる”という行動自体が非常に不思議なものだと映るからだ。 そもそも、竜は集団で何かをする事がない。 竜という生物は、基本的に自分の事しか考えてないのだ。自分のために敵と戦い、縄張りを定め、保身を考える。自分のために食料を探し、自分のために繁殖をする。…どこまでも自分の事しか考えてない生物なのである。 食い物があったら早い者勝ち。殺したいヤツは殺せば終わり。それが正しい竜のあり方。 もしも竜が二匹で一つの獲物を狙っているとしたら、それは協力ではなく、互いに獲物を早く奪おうとしているだけなのだ。竜の頭には協力なんて考えは微塵(みじん)もない。 だから、真竜ニアラが部下という概念を俺達に与えるまでは群れるなんて事さえなかった。ある程度の力の差はあったし、縄張りのボスはいたけど、それでも弱いヤツのために戦ってたわけじゃない。 俺だってもちろん、俺のためにしか戦ってなかった。俺が竜王を名乗っているのは、ただ単に最強だったからで、支配するつもりなどカケラもない。一番強いから王なのだ。グハハハハハ! …そんな中で、俺はクソニアラの命令のまま指揮官竜として部下を持つ事になった事で、人間と竜の違いというものに気づいていたわけだが、下級竜どもはいまでも自分の事しか考えてないはずだ。ニアラに逆らえずに従っているだけだろう。 シブヤで俺は叫んだ。自分のために戦っている、と。 だけど、アオイが他者を考える事を教えてくれたから、俺は話し合うことを覚えたのだ。 でもやっぱり、俺は俺のために、アオイの言う事を聞いているのかもしれないな。 よく分んないけど、アオイじゃなかったら、俺は俺のために敵を殺して終わってたような気がする…。 とりとめもなく、そんな事を考えている俺様だけど…、肝心のアオイはなかなか帰ってこない。 ちょっとって言ったのに、ちょっとじゃなかった。 何やってんだろうな。遅いな…。 アオイがいないだけですごく静かで、不安で、ちょっと寂しい。一昨日までの俺なら、竜の俺ならそんな事は考えなかった。周囲は全部部下であり、俺の命令で何でもやらせる事ができた。 でも…、いまの俺はユカリで、人間だから、そういうのが違うんだって教えてもらったから、こういう時にどうしたら不安でなくなるのかよく分らない。どうしよう…? アオイのヤツ、まだ帰ってこないのかな? まだかな? もう戻ってきてもいいのにな。 あと、どれくらいがちょっとなんだ? …ちょうどその時、俺に気づいたらしいメスが嬉しそうに手を振って近づいてきた。 陽気な雰囲気を周囲に振りまきながらやってくるのは、体皮が小麦色をした白い髪の若いメスだ。そいつはやけに布の少ない服を着ており、特に乳房の辺りは横線みたいな白布でしか隠されてない。んむ? 服って体皮を防御するために必要なんだろ? あんなに体皮を出してていいのか? しかも、やたら乳房がデカイな。きっとボス格の地位があるヤツなのだと思う。ナツメというメスボスよりは小さいので、ヤツの下だろうけど。髪があんまり長くないしな。 なんて事を考えていたら、そいつが話し掛けてきた。 しかし俺様の耳に届くのは、普通の言葉のようで違う解読不能な言語であったのだ。 「ヤッホーヒーロー! オトトイぶりネ! オヒサシぶりだネ! ムラクモのサーティーン部隊は大活躍の絶好調だネ! 2ndテーリュー討伐オメデトー! あっぱれワンダフォー! ついでにビューティフォーもオマケしとくよ!」 「…………は?」 「これで安心じゃん? シブヤは安眠じゃん?! トチョーのみんなも大喜びだよヤッタネ! おっとバッド、ヒーローは間違いだったよ! プリティガールはヒーローじゃなくてヒロインだネ!」 「い、いや…、おい…、なんだお前、何を言ってるんだ?」 「これでクエストもバッチリこなせるネ! タップリあるよ? スッゲーあるよ? 沢山どっさり残してあるよ! お待ちかねだよヒロイン! 早速色々こなしてGOだよ! 出発OK! 行くよ? 行けるよ? どんと来いだよ!」 「はわわわわ…、ちょ、ちょっと…待て…お前…落ち着け…」 「どうしたヒロイン? 元気が足りない?! ブレックファーストいわゆる朝飯食ったか? たんと食ったか? 疲れてるか? そりゃあヒーローだから疲労もありかも? アハッ! チェロンってば冗談うまいネ! 自分ながら最高だネ! アンビリーバボまたまた間違い! ヒロインだったよ! テヘペロ許してチョーダイな!」 「ひー! アオイ助けろっ! コイツをなんとかしろー!」 …と思ったら、アオイはいないんだった! 「あわわわわ…、人間っぽいのに言葉通じない! ひとまず逃げるー!」 俺様はその未知の言語を使うその正体不明が恐ろしくなって一目散でピューって逃げ出し、”えれべーたー”の方へ走るのだが、さっきアオイがやったように”すいっち”を押してもまったく扉が開かない! なんでだ!? やり方が間違ってるのか?! 「おーいヒロイン! どうしてエスケープ? なにゆえ逃走?」 「わぁぁ! やだーーーー!」 正体不明が追ってくる! ここで待っていたら逃げられないので、俺は近くにある階段という段差へと駆け込んだ。これなら俺の脚力で駆け上がればヤツも追ってはこれないハズだ! あれは本当に人間と同じ生物なのか? 体皮の色が違うから人間のような別の生命体という可能性もある。どちらにしろ、あそこにいたら、俺は食われていたかもしれない。そう思うと怖気が走る。 階段を全力で駆け上がる。途中で人間とぶつかったような気がしたが、それどころじゃなかった。とにかく怖かったから逃げることで頭が一杯だった。 必死に逃げながら、あれこれと思考を巡らせつつも振り返ると、さすがの正体不明も追っては来ていないようで、俺はひとまず安心する。とにかく、えんとらんすは危険なので気をつけよう。次回も無事だという保障はないのだ。 「あ、そういえばアオイとはぐれちまった。アイツどこに行くって言ってたっけ?」 俺様は当然ながらこの中を歩いた事はない。昨日はシブヤに行くのに俺の部屋から1Fを通って外に出ただけで、中がどうなっているかまでは知らないんだよな。 無闇に動き回っても見つからないかもしれないし…、でも、1Fに戻るとあの正体不明がいるし…。どうしよう? 俺様の部屋に戻ればいいのか? うん、それがいい! そういう経緯で、俺様は自分の部屋に戻るために歩き始めたのだが…。 あれからずっと…、一時間か二時間か三時間か十時間くらい階段から出れないままだった。 だって、階段から出ても全部似たような場所で、どこが部屋だか分らないんだ! 階段の数字は違うけど、出たトコみんな景色が同じで、いったい俺様の巣穴はどこにあるのか検討もつかない。何階とか言ってた気がするけど覚えてない。 それに下手に出ると、あの正体不明が追いかけて来ててヤバイかもしれない。食べられるかもしれない。 「うう…、ここはドコなんだ?」 1F”えんとらんす”というところから上に来たけど、階段に駆け込んだ時、確か階段は上にも下にもあった。えれべーたーという箱に乗った時はたぶん下に動いてた気がするんだが、最初はどこの階だったのかを覚えてなかった。 くそっ! 俺様ずっとおふとんで寝ていればこんな事にはならなかった。出なければこんな誰もこない場所で一人でいなくても良かった。…でもハチミツじゃむパンおいしかった。出なかったら喰えなかったし…。んむぅ〜! そういえば、さっき部屋にいたときは楽しかったな。1Fでも普通に楽しかった。 アオイがいたから安心だったのに、ちょっとって言うから待ってようと思ったのに、アオイのヤツが俺の部下なのに…、俺様ぜんぜん悪くないのに…。 ひっく…、ちくしょう。アオイどこ行ったんだよ? 俺様ひとりにして何してんだよー。あうう…。 なんか知らないけど涙目になってきた。 さっき発情期の事を聞いたときとはまた違った悲しい感情だ。こういうのを心細いというのかな? 俺はそういうの初めてだったけど、これはあんまり好きじゃない。 「そうだ! アオイは”だいよくじょう”というのに行ったんだった! 俺も行けばいいんだ!」 考えてみれば、ヤツはそこにいるんだ。追いかければ問題ないはずではないか。 へへ…、そうしよう。それがいい。 奇跡的な名案が浮かんだ俺様は、急いで階段を駆け上がって行く。だいよくじょう、というのは上にあるはずだぞ。本当は1Fで案内の板を確認すれば確実なんだろうけど、1Fは正体不明がいるから無理だ。でも、上に行けばそういうのがあるのは分ってるんだから、とりあえず上に行けばいいはずだ。 必死に駆け上がる俺は、階段に書かれた数字が増えていくのを確認しながら走り続ける。4Fから5Fへ、7Fから10Fへと、白い壁だけの変わらない光景を目にしながら駆ける。そしてようやく13Fへとやってきた。 ハァ…ハァ…、さすがの俺様も息が切れている。なんせ…、一気に登ったからな。はふー。 少し呼吸を整えてから階段を出る。ここも他の階と同じで似たような景色の場所だ。でも、ここが”だいよくじょう”で”おふろ”なんだろうか? それ自体がなんなのか俺様には理解できないが、アオイは何か喜んだ顔をしてたから、いい場所なんだろう。 しかしやけに暗いな。それに他の人間の気配も一切なく、1Fの忙しなさが嘘のような静けさだ。 「アオイー! どこだー!?」 俺様がその階へと足を踏み入れると、そこは薄暗くて様々な道具が置かれている場所だった。俺の寝床のおふとんが乗っている”ベッド”とかいうヤツや、椅子という座る道具や、荷物を乗せる棚?とかいうのとか、その他にも様々な道具類が無秩序に置かれただけの部屋だ。しかもそのどれもが使われている様子がない。ここが、だいよくじょう…なのか? でも、肝心なのはアオイがいるかどうかだ。アオイが居ないんじゃ意味がない。 「アオイ〜…、どこー?」 静寂の中で声を出す。しかし、雑然と置かれた品々が何かを答えてくれる事はなく、俺はここでも一人きりで取り残されたままだった。そしてアオイはここに居ないという事だけはハッキリと分かった。薄汚れ、埃の臭いがするここにアイツは居ない。 ドコにもいない。外にも出られない。部屋にも戻れない。 …俺様は呆然としたままそこに座り込んで、そして膝を抱えた。 どうしよう? アオイ居なくなっちゃった。 もうきっと五十時間経ってるだろう。いや、百時間かもしれない。俺様アオイがいなくちゃ、ハチミツじゃむパン食べられないし、チョコも食べられない。おふとんにも行けないし、1Fは怖いから降りられない。俺様きっとここで干からびて死んじゃうんだ。ひっく…。 どうしていいか分らなかった。 アオイが居ないと俺様はどうしていいのか分らない。 ちくしょう! なんだよ! なんでアオイいないんだよー! 部屋は暗いし、目の前が真っ暗で怖いし、寒いし、ドコにもいけない。 絶望の淵に立たされた俺は、一生懸命に涙目を堪えて膝に顔をうずめるだけだった。 涙目だったのが、どんどん垂れてきて、ぽたぽたと床に落ちる。なんか知らないけど悲しい。 そんな時、部屋の上のほうから声が聞こえてきた。 『”ピンポンパンポーン。…お呼び出しを申し上げます。”』 『”ムラクモの多村ユカリさん、多村ユカリさん。4Fのエレベーター前までお越しください。繰り返します───、多村ユカリさん、4Fのエレベーター前までお越しください。”』 あっ! アオイの声だ! どこからか聞こえたその声は、絶対の絶対にアオイの声! 絶対間違いない! でも、声はするけど姿は見えず。…あ、そうか! ”つうしんきがたうでどけい”と同じ機械だな! あそこの壁にくっついてるのがそうか! なるほど…、4Fの”えれべーたー”前に行けばアオイがいるって事だな! そうと分れば、こうしちゃいられない! 俺様はとっても嬉しくなって全速力で階段を駆け下りる! しかし慣れてないせいか、降りるのは登るよりも足を小刻みに動かす必要があって難解だ。それに加えてまだ足が微妙に動かないため速度を御(ぎょ)しきれない。そして速度を出せば身体が浮いてしまい、これも加速が難しい。うまく止まれないし曲がれない。 「あわっ! 止ま───むぎゅ!!」 無理に加速すれば、このように勢い余って壁に激突したりして非常に痛い。いまも手酷(ひど)く鼻を打ちつけて鼻血が出てきたばかりだ。…でも、でもでも! 急がなきゃいけない! 早くアオイのところに行かなきゃ! くそっ! こうなったら!! 全身の力を抜いて、一気にエネルギーを開放する! 虫野郎と戦った時のように、赤い靄(もや)を身体から沸き立たせる! この時は瞳が黄金になっているそうだが、俺自身には見えない。 …だが、これなら壁に当たろうと、なんだろうと全てを破壊し、無茶をしてでも降りられるはずだ! いまは手段を選んでられないのだからな! 階段から飛ぶと簡単に側面の壁へと着地、そしてそのまま下階層へと跳躍し、また壁を蹴ってナナメ下へ跳ぶ! その衝撃で壁が砕け、壁に備え付けられた電灯が破裂する! しかしそんな事は知った事ではない。急いで降りると身体が浮いてしまうのなら、壁を蹴って降りればいいのだ。そうすれば余計な浮力などなく、加速だけができる! 「どけどけーー!」 「うおっ?! 女の子が壁を───うひゃあああああああ!!」 10F〜8F、下から登ってきた人間は高速で跳んでくる俺に驚くが、それも身体を回転させて寸前で避け、壁へと着地する。凄まじい衝撃波で人間が吹き飛んでいるが、死んでないのだから些細(ささい)な問題だろう。 俺が体勢を整えようと床に着地すると、足元は陥没(かんぼつ)しながらも足場としてもってくれた。轟音が鳴り響く中、悲鳴と怒号が飛び交う中を、俺は4Fへと急ぐ! 「な、何事だ! うわああああー!!」 「おい、しっかりしろ! しっかり───うはあああああ!!」 「こ、こっちに来たぁ──いやああああ!」 次々と人が飛ばされていくが、それも無視する。俺様は急いでいるのだ! そして、階段の壁に書かれた4Fという文字が目に入ってきた。 来た、ここが目的地! アオイが待ってる場所だ!! 俺は赤い靄を消して床へと降り立った。 階段から出て周囲を見回す。えれべーたー、えれべーたーは…?! 見つけた! そしてその前に誰か立っている。 俺様は全身全霊の力を込めて突撃した! なんだかすげー嬉しくて、アオイの胸へと飛び込んでいく! 「アオイ〜!!」 「あらぁ? 竜ちゃんじゃな……、ぐぶぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 えれべーた前に居た人間をすっかりアオイだと思って飛び込んだ俺様だが、…そういえば背中から突撃したので誰かは確認してなかった。もしかしたら違うヤツか? 「りゅ、竜ちゃん…ちょっと…情熱すぎ…───ぐふっ!」 「…んむ? あ、やっぱし間違えか。じゃあ誰だ?」 俺の下に敷かれていたのは、どうも見たことがあるメスで、完全に白目を向いて、口から妙(みょう)な汁を吐き出し昏倒(こんとう)している。うーむ…、アオイじゃないけど、どっかで見たような…。ドコだったっけ?? 「ああーーーーー! 先輩!! やっと見つけましたよ。もぅ、どこ行ってたんですか〜?」 「わぁ、アオイだーー!」 今度こそ本当にアオイだ。階段から降りてくるその服、髪の色、太陽みたいな笑顔はどこをどう見てもアオイだ。俺様とても嬉しくて、今度こそアオイの胸に飛び込む。助走つけてなかったから、あんまり力入れられなかった。でもそれがちょうどよい具合だったらしく、ぽふり、という音を立て、俺様は羽毛のようにアオイに抱きとめられた。 「なんだよーアオイ〜! 居なくなるとかナマイキだぞ! ぐす…」 「そうですね、ごめんなさい。一緒に行けば良かったですよね」 「でも、心配しましたよ〜。戻ったら居ないし、部屋にも戻ってないし。30分探してもいないから放送使わせてもらったんです。ドコに行ってたんですか?」 「…うん、俺様アオイいなくなったから、いろいろ探しててな、それでなー……」 アオイは俺の話を一つ一つ聞いてくれて、ちゃんと頷(うなづ)いてくれている。 やっぱりアオイがいるのはいいな! さっきまで寂しかったのに、もう元気戻ったぞ。へへ〜。 「…あの、ちょっと? 大変、お楽しみのところ非常に申し訳ないけど、アチキを忘却の彼方(ぼうきゃくのかなた)に置いとかないでくれる? マジひどくない?」 「わわっ! 人が倒れてるじゃないですか! す、すいません気がつきませんでした! 大丈夫ですか!?」 アオイは俺を引き離すと、慌てて倒れているヤツへと駆け寄った。 …ちぇ! せっかくアオイに話とか聞いてもらってたのに、なんで邪魔すんだ。ヤなヤツだな! 「イッターイじゃないのさっ! そこらの人間なら即死してたわよ?! 血みどろよ?血みどろ! 分る? アンダスタン?」 「あの、いきなり起き上がらない方が…って、あれ? あなた確か…昨日の…」 アオイがそのような困惑した表情を浮かべると、そいつは姿勢よく立ち上がり、両手を大きく上に開いてみせた。 「昨日ぶりねぇ〜、子猫ちゃーん! このアチキがSKYから物資のお届けに来ちゃったわよーん」 「………む?」 なんだか妙な口調のヤツだが、乳房がデカイからメスだな。しかし、物資のお届けっていうのはナンだ? 「あっ! そうだ、あなた昨日の痴漢のオカマさん!」 「誰がオカマじゃボケがぁ! …コホン。あらいやだわ、それって差別用語よ。Newハーフって呼ぶべきじゃなぁい?」 喋るごとにクネクネとポーズを変える変なヤツ。しかしコイツ、顔面血みどろなのに元気そうだな。 それにしても俺様の事を知ってるっていうのは何者だ? こんなヤツ知らないぞ? 「竜ちゃんってばぁ、もう忘れちゃったの? おバカさん! 相変わらずのおバカさん! マジバカちゃん!」 「…んむぅ…、なんか俺、こういう喋り方のヤツに見覚えが……、あっ!」 思 い 出 し た ! 「お前、虫野郎か! そうだ! 思い出したぞチクショー!」 「相変わらず記憶力弱いのね。ほんと変わらないわね〜」 「おい、そんなに褒めるな。褒めても何も出さないぞ」 「褒めてないわよ!」 何でコイツがここに居るんだ? 昨日確かにシブヤで蹴っ飛ばしたハズなのに。俺様が腕を組んで難しそうな顔で思案していると、ヤツは正方形の薄い布で顔の血をふき取り、さらに言葉を続けた。 「だから〜、SKYで使用した残りの物資をお届けに来たんだってば。…そこのバスト79の子が提案した話でしょ?」 「ちょ! ちょっと! な、な、なんて事を言うんですかっ! しかもなんでサイズまでピッタリ!?」 「なー、アオイ。バストってなんだ?」 「いやだわ竜ちゃん! このドスケベ! バ・ス・トっていうのはね、おっぱ───」 「言わなくていいですっ!!」 うぬ、アオイがやけに怖いので聞くのはやめておこう。アオイはたまに怖いからな。 それよりも…。 「…おい、虫野郎。なんでお前ここにいるのだ? 物資を届けに来たってのは分らんでもない理由だが、物資を動かしているのは1Fのジエータイ達だろ? お前は4Fに用はないはずだ」 「あら、以外に鋭いツッコミだわね。お馬鹿さんのくせに」 「馬鹿は余計だ!」 すると虫野郎はまたも腰を突き出すような無駄なポーズを取りながら答える。 「アチキってばぁ〜、今日からムラクモでお世話になるんでーす! これでお仲間ね! ヨッロシク〜!」 「あら〜、そうでしたか」 「は?」 俺様の目が点になった。こいつが? 仲間? 虫野郎が俺達の仲間…だと? 「ちなみにアチキの名前は、牧 シンイチロウよ! シンちゃんでいいわ! ベッドの中まで仲良くしてね! かっこ笑いかっこ閉じ☆」 「よろしく、シンイチロウさん。でも半径20メートル以内には近寄らないでくださいね。人を呼びますよ☆」 「待て…、待てーーーーー! 俺様は認めてないぞ! なんでお前がトチョーに───」 「ヨロシクねぇ〜〜〜ん!」 こいつ、聞いちゃいねぇ…。 …俺が矢継ぎ早に文句を叩き込もうと思ったら、虫野郎は急にその場でパッタリと倒れた。 「それでさぁ、…わ、悪いんだけど医務室まで連れてってくれない? もう死にそう…」 俺と激突した時のダメージが残っていたらしい。やせ我慢していたようだ。そこまで我慢してポーズを取る必要があったのか? あれこそ無駄じゃねーのか?? あー、なんか…もう考えるのも面倒だ。コイツはこういうヤツだからニガテなんだよな。 ……ちなみにこれは余談だが、 俺が階段をボコボコに壊した件で、クソ緑が弱った顔をしながら文句を言ってきた。 緑のくせにナマイキだと無視してやったら、今度はチビに怒られた。 俺様、すごく反省した。
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