嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

K 闇に消えぬ灯火達
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BGM:FC「レイストン要塞」(FCサントラ2・06)


 午後16:24 東地区 グランセル港───

 カノーネの反攻作戦が開始してから数分後、デュナンはグランセルの全市民が避難する港へとやって来ていた。ここで彼は、王族として作戦の一部を遂行しなくてはならない。この作戦を完遂するには、どうしても市民の助けが必要なのだ。だから、いま残っている唯一の王族であるデュナンは、この場での演説を行い、市民へと呼びかける役目を負っていた。

 急こしらえの演説用土台を樽で、…というわけにもいかず、手頃な木箱を移動させてそれとする。とても演説に適しているとは思えないが、この際仕方がない。もちろん気にしている余裕もないと承知しているデュナンは、文句一つ言わずにその台へと乗った。
 周囲には親衛隊副隊長ユリア以下5名が控え、かたわらには遊撃士としてアネラス、そして同じく遊撃士であり、グランセル支部の受付係を勤めるエルナンが取り巻きとして同伴した。


 何が始るのか、と不安を覚える市民達は、演説を行おうとしているデュナンに複雑な視線を送った。なにせ、王家の者と親衛隊、それに遊撃士までが揃っての演説だというのだから、何か良くない事が起こったのではないか、という不安を覚える者も少なくない。  しかも現在、彼らは先の《身食らう蛇》の王都襲撃以上の避難を強いられている。また、戦闘開始以後、公式の説明もなかったために市民は情報を求めていた。


 避難してからすでに2時間強が経過している。戦闘が終了したというのであれば、避難の解除を告げられるだけのはずだが……。この仰々ぎょうぎょうしさはそうではない、やはり何かがあったのだと察した市民からは、大きな不安という感情に包まれていた。
 肩を寄せ合い支え合う老夫婦や、乳飲ちのみ子を抱える女性、工事途中で避難を余儀なくされた男達、釣り道具を磨いていた男爵、店の受付をしていた職人、喫茶店でレポートを書いていた青年、街の噴水近くで遊んでいた少年達…。



 そんなグランセルに住まう、全ての者達が見守る中、複雑な想いが入り混じる港で、
 ───演説は始まった。



「あー、あー、コホン。グランセルの市民達よ! ワシはデュナン公爵である。こんな場所に押し込めておいて説明もなしだったのは許して欲しい。あ〜、つまりだな、色々とあって大変であったのだ。」

 気合があるんだか、どこか抜けているんだか不明なデュナンの声。工業都市ツァイスで開発された新型の導力式拡声器による演説が響いた。市民が集まるこの通路は道幅が広く、それを挟むように両側に倉庫が両側に連なっている。両側に壁の様に立ち並んでいる事もあって音が反響しやすい。だから、拡声器を使ったデュナンの声も隅々までよく通っている。


「大変というのはだな、えーと、……いや、敵がだな……、《身喰らう蛇》が再び攻めてきたのだ。そして、事もあろうに女王───、ああ! いや…いやいや、なんでもない! なんでもないぞ!」


 言うべき事と、伏せておくべき事を頭の中で選びつつ、しどろもどろに答えるデュナンに、直立を保っているユリア、そしてアネラス、親衛隊兵士はいささかの不安を覚え始めていた。さすがに女王陛下やクローディア姫のような円滑なスピーチは無理だと思ってはいたが、最初からつまづいているのを見ると、心配と不安が押し寄せてくる。
 開始前、演説内容の確認をしようと申し出たユリアに、デュナンは大丈夫だと笑って答えた。彼女は一抹いちまつの不安覚えつつもも、そこまで自信を持っているというのなら立場的にも追求するわけにもいかず、承諾した形となったが、……いきなり最初からこれだ。流れる空気は失敗の様相である。



「閣下、その説明は結構ですので、早く要請を───」
「わ、わかっておる! わかっておるからお前は黙っておれ。」
 演説台の下から急き立てるユリアを邪険に扱うデュナン。口ではそう言うが、その姿を見れば、うろたえているのは一目瞭然いつもくりょうぜんだ。とても大丈夫とは言いがたい。


 デュナンも最初から考えなしに演説をしようと思っていたわけではない。むしろ、話し出す直前まで彼は完璧に内容を把握していた。彼には珍しく、内容を完璧に、順序立てて話せると確信していた。失敗はできないが、絶対に大丈夫だという絶対の自信があった。
 しかしこれまで、このように余談を許さない状況での対応は全て女王陛下が行っていたので、自分に番が回ってきたと自覚すればする程、あせってしまったのだ。

 演説台から見渡せば、全市民相手の視線が自分に向けられている。何千という視線を受け、そこに様々な感情と不安や願いを一心に向けているとわかれば、誰だってたじろいで当然というものだろう。



「よ、世の中には口で説明が…しにくい……事もあるにはあるのだしなぁ……。ええと、つまりじゃ、グランセルにだな、《身喰らう蛇》の…。ああ、それもマズイか、…どういえばいいのかのぅ…」

 そして続く、まったく要領を得ない無意味なスピーチ。


 そんな事をしていれば、市民の顔にもいきどおりの表情が浮かんでくる。

 それはそうだ。待っていた公式発表が彼らの待ち望む女王陛下でも、クローディア姫からでもなく、イマイチ信頼性に欠けるデュナンなのだし、それでいて彼の演説は何を言いたいのかわからない。しかも女王が……と何かを言い掛けてやめれば、気になるのは当然だ。

 最近は、デュナンも市民の苦情などを受け付ける事が多くなったため、それなりに信頼もされてきてはいるのだが……、やはり人気度と信頼度は女王のそれに及ばない。しかもこの有様なのだから、なおさらだ。


「おかっぱ──、じゃなかったデュナン公爵さん、落ちつきましょう! 深呼吸ですよ、深呼吸!」
「う、うむ。そうだな。すー……はー……、す〜……はー…」

 さすがのアネラスも少々ヤバいと感じて、ささやかなアドバイスを送る。彼女だって今彼が受けているプレッシャーくらいはわかる。今の港に漂う異様な空気は、遊撃士でなくたってこの場の誰もが感じているだろう。……自分は演説などした事はないけれど、もしここで代りをやれと言われたってまず無理。
 もうここは応援以外は何もできないので、頑張ってもらうしかない。



 カノーネが導き出した反攻作戦。それを完遂するには、軍関係者だけではどうしても人手が足りなかった。準備にはそれ以上の人員を確保する必要があったのだ。だから、誰かが演説して、人々に協力を得なければならなかった。
 最初その案を耳にした時、誰もが少なからずの抵抗を覚えた。いくら守るための戦いとはいえ、民間人に協力を仰ぐなど承諾できるものではない、と。
 特にモルガン将軍はかなりの難色を示していた。しかし任せると言った手前、取り消すわけにもいかず、さりとて別案が出せるわけでもなかったため、渋々ながら承諾をした。……それだけ切羽詰まった状況でもあったからだ。


「なにやってんだー! 真面目にやれ!」
「いつまで待たせるんだ! 早く説明しろ!」
「女王陛下がどうしたっていうんだ! 陛下はどちらにいらっしゃるんだ?!」
「そうだ! デュナン公爵じゃ話にならない! 陛下をお呼びしてくれ!」

 不満の声がどんどん高鳴り、沈黙に絶え切れなくなった民衆が所々で声を荒立てる。
 一人が声に出して不満を漏らせば、それに釣られて次の者も声を出す。それは波紋となり、次第に大きく荒くなっていく。


「ひっこめー! このおかっぱ!」
「陛下を出せー! おかっぱ公爵ー!」
「あんたみたいな道楽男になんて用はない! おかっぱはどっかいけ!!」
「帰れー!」
「そうだそうだ! 帰れ! おかっぱ!」

 彼らの憤りは、デュナン個人へと向けられる。どうでもいいヘアースタイルの事まで馬鹿にする対象となり、野次や暴言が次々と合唱されていく。
 さすがのユリアも、これは行き過ぎだと感じたし、なにより王族への暴言は許せるものではなかった。彼女は王室親衛隊だ。だから当然、デュナンも王族として守る立場にある。それにこの演説は絶対に必要なもの。失敗するわけにはいかないのだ。
 それに、いまここで食いとめなければ、鬱積うっせきした感情が爆発し、暴動へと発展してしまうかもしれない。どちらにしても、収集がつけられなくなる前に鎮圧しなければならなかった。



「閣下、ここは私が……。」
 意を決した彼女は、急ぎ演説台へと上がろうとする。
 ───が、デュナンは無言でそれを制した。


 港へ押し込められた行き場のない市民達の怒りは、罵声ばせいに近いものとなってデュナンへと注がれ続けている。市民は恐れていたのだ。《身喰らう蛇》の強襲というものに恐れを抱いている。


 あの忌まわしき【百日戦役】のような災厄へと発展してしまうのではないか、と恐怖していたのだ。

 リベールという国に住む者達は皆、10年前の惨禍さんかを忘れてはいない。忘れようとしても忘れられない体験であった。国民の全てが例がなく誰もがそういう感情を心に留めて暮らしている。
 そして再び訪れた《身喰らう蛇》による襲撃。その戦争状況に等しい行いにより、このような避難を強いられれば、あの光景が容赦なく鮮明せんめいな様となってよみがえってくるのは当然の事だった。


 そして誰もが思うのだ。
 もしかしたら、あの時のようになってしまうのではないか? ───と。


 不安は誰の心にもあり、どんなに努力しても刻まれた傷跡を捨て去る事などできはしない。しかも彼らは軍人ですらない。感情に抑制よくせいなどできるはずがないのだ。
 それをどこかに叩きつけなければ押しつぶされてしまう。だから、市民は声を荒立てるのである。不安で仕方がないから。不安に潰されそうで仕方がないからだ。

 ……そんな事はデュナンだってわかっている。敵が襲ってくるという不安はどうしようもないという事を。彼自身もそうだったから。ついさきほどまで、布団で怯えていた自分がそうだったのだから───。


 罵倒の中心に身を置くデュナンは、何かを決意したように瞳に力を込めると、拡声器を下に置いて、両手の平を思い切り顔へと叩き付けた。二度、三度とべちべちと大きく音を立てて顔を叩く。どう見ても気合を入れなおしたようにしか見えない。
 そしてすぐに拡声器を持ち直した。ユリアの目に映ったのは、彼の手に握られる導力拡声器の出力が最大に上げられていく様。彼がこれから何をするのかを一瞬で理解し、親衛隊、そしてアネラス達に慌てて叫ぶ。

「みんな! 耳を塞げっ!」
「え??」
 ユリアの声にきょとんとするアネラス。











「うるさい! 静かにせんか!」

「ぐあ!」
「っ!!」
「うぎゃっ!」
 市民が一斉に苦しみ出した。最大ボリュームによる破壊的なデュナンのだみ声が、港全体を襲ったのだ。


 ついでに、ユリアの言葉の意味を理解する前に、その意味を考えてしまったアネラスも大音量の犠牲となって苦しんだ。(一番近くにいたので、効果は抜群だった)

「な、な、な、…なんで…私まで……。」
 あっさりブチ切れたデュナンの容赦ない大音量攻撃に、野次を飛ばす市民達が全滅する。デュナンは市民達に色々と気を使おうと考えて話すのが面倒になっていた。しかも我がヘアースタイルまでも侮辱するなどと……まったく失敬な!
 それに、回りくどい話をすると頭から煙が出そうだったので、考えるのもやめた。



「者ども! 単刀直入にいうぞ。グランセルがピンチじゃ! しかも女王陛下が石にさてしまった!! 助けるには敵を倒さねばならん。それで反攻作戦をしようにも、軍だけでは手に負えん。」

「は……………?」
 大音量攻撃に苦しんでいた市民達、その場の全員が固まった。いきなり語られた内容と事態の把握が重ならず、頭の中が真っ白になる。

 女王陛下ではなく、クローディア王女でもなく、デュナンの登場に不満を持っていた市民は言葉を失い、その意味を反芻はんすうする。グランセルがピンチ? 女王陛下が石にされた??
 市民の思考からはもうすでにデュナンがどうとか、大音量攻撃がなんだとか、そういう事は頭から抜けていた。あまりにも突飛な、それでいて語られたその内容に罵声を叫ぶどころではない。


「どういう事なんだ!? 陛下が石にって!」
「た、大変だ! 女王陛下をお助けしなくちゃ!!」
「デュナン公爵! 俺達にできる事は……」


「いいから聞け! ワシだって好きでこんな事などしておらん。面倒な事はクローディアに任せておきたいのは山々だが…、今はここにはおらん! しかも来れん! でも陛下をお助けしたい! だからお前達の手も貸してくれ!」


 ───沈黙。今までの騒ぎが嘘のような、グランセルの市民全てが集まっているとは思えない程に音一つ聞こえない。ありえない程の静寂が訪れていた。
 デュナンの真剣な眼差しがそれを嘘ではない事だと語っている。だから、誰もが理屈抜きでわかっていた。何も言わずとも、市民の心はすでに決まっていた。グランセルの危機、そして女王陛下の危機だと知れば力を合わせるのは当然。これまでの不満などすべてが吹き飛んでいる。

 彼らにとって女王陛下は王であると同じに、親愛なる母であり、信仰する空の女神エイドスとはまた違う、…とうとき存在であった。それが敵によって危機にさらさされているとなれば、黙っていられるわけがない!

 そしてグランセルは、自分達が住むリベールは、かけがえのない故郷なのだ。他のどこにもない、たった一つの愛すべき故郷なのである! あの【百日戦役】で、自分達がもっと力を合わせていれば結末は違うものだったかもしれない。今また、ここで努力しなければ、同じような結果になるかもしれない。


 だったら、協力しない理由が必要だろうか? 考える必要があるというのか?
 二度と悲劇を起さないために皆で協力する事に、どんな逡巡しゅんじゅんがなければならないというのか?

 人々は立ち向かう意志を表にした。もちろんまだ怖いし、恐ろしい。だけど、それ以上にやらなければならない事があるとわかったから、もう怯えているだけではいけないのだ。


「デュナン公爵! すまなかった、俺達も手伝わせてくれ!」
「《身喰らう蛇》がなんだってんだ! みんなで追い返してやろう!」
「戦おう! 軍の人達ばかりに戦わせて、俺達が力をあわせなくても言いなんて事ない!」
「あんたのおかっぱ、バカにして悪かった!」



 演説台からでなくともわかる。人々の想いはいま集結し、一つの大きな力となった。紆余曲折うよきょくせつあったが、ここでの演説は大成功といえるだろう。
 その成功に、さすがのユリアも驚いていた。

 ……普通、演説というのは前置きと過程を説明した上で本題に入るのが常だが……なんとまあ型破りで、核心だけを述べる演説だというのか。同時に、この方らしい、と苦笑する。最初はたたらを踏んでいたデュナンではあったが、やはり彼も王族なのだな、と改めて感じた。

 ユリアは正直なところ、デュナンという人物を過小評価していた。昔から道楽癖はあったし、王族としては頼りない人という認識はあった。クローゼという主が近くにいたという事もあり、どうしても対比してしまう部分もあった。……親衛隊として、そういう考えを持つ事自体あるまじき問題ではあるが、世間一般的にそう思わせる人物であったのも周知の事実である。
 しかし、今の彼はそうではなかった。他の誰にもできない事をやってみせたのだ。そうであればこそ、我々は王室親衛隊として、女王だけでなく彼を守る事に十分誇りを持てるというものだ。


「閣下、では私が引き継ぎます。お疲れ様で───」
「何を言っておるのだ? ここはワシが引き受ける。そこの親衛隊員を借りるぞ」
「は? いえ、しかし、そこまでさせるわけには……。」
 守るべき者の一人として、デュナンには避難してもらおうと決めていたユリアは、その彼の意思にまた驚く。王族が演説するべきだという事で避難を待ってもらっただけなのだ。守るべき者をこれ以上の危険に関わらせるわけにもいかない。


「当然だろう。ワシも陛下をお助けすると決めておる。それに我らがリベールを守るのをやめろなどと…どの口が言うのだ。それよりも、お前はアルセイユの整備、オルグイユの整備、他にも色々忙しいのだろう。ここでの作業はワイヤーとロープの搬送だ。ワシでも指示できる。」
「はあ、確かにそうなのですが──」
 珍しく言い淀むユリアに、デュナンはニヤリと笑い、そして続ける。


「ならば行け。ここは…そうじゃな、そこのエルナンとかいう遊撃士もおるから心配ない。時間がないぞ。」
 デュナンの意思は曲がるどころか揺らぎそうにもない。ユリアは大きな勘違いをしていたのだと気がついた。

 リベールを守る。彼のその気持ちを無視して避難させる事など、どうして出来ようか? 自分自身にそれが出来るかといえば、まず無理だろう。きっと、いまの彼も同じ気持ちなのだ。

「はっ! 閣下、よろしくお願い致します! …勝ちましょう、我々の力で。」
「うむ。《身喰らう蛇》撃退の祝賀会が楽しみじゃわい。」
 ユリアは彼の好意を受け、王家の者であると共に【戦うための同士】として敬礼する。今の彼ならば仕事を完遂してくれる。そう確信した。




「市民達よ。そなた達に頼むのはこの港、そして王都にあるワイヤー、ロープの搬送だ。小さなモノはいらん。飛行船を牽引けんいんする時に使うような長くて強いモノだけを南区へ搬送するぞ。その辺の事情に詳しい者は、親衛隊と協力して作業してくれい」



 デュナンが再び市民へと声を掛ける。それに答える市民の返事は、先ほどの、拡声器の最大音量以上に港をとどろかせた。一つの意志となって動く群集は、一斉に仕事へと取り掛かる。

 さあ、こうなればモタモタしているヒマはない。ユリアはグランセル各地区の代表者を集めて、ワイヤーが保管されている倉庫と、船舶に保管されている予備、空港、そして街中にもあるだろう在庫を手分けして運ぶように指示する。
 彼女は大まかに指示を終えると、連れ立った親衛隊員へとその場を託す事にする。彼女もここだけを受け持っているわけにはいかなかった。もう一つの重要な問題を片付けなくてはならない。


「さて、後は任せ───っ! ぅ…くっ……。」
 左肩に走った激痛に顔を曇らせるユリア。
「……やはりまだ…、痛むな…。」
 さきほど打ち抜いた左肩。その傷がじくじくと、身体をむしばむように痛んで悲鳴を上げている。彼女の強固な意志とは裏腹に、傷口が熱を持ち始めていた。弾丸は抜けているとはいえ、止血しけつと消毒だけの応急処置のみしか受けていない事が痛みを増す結果となっていた。
 あの場を押さえるにはこれしか方法がなかったとはいえ、今だけは痛みと熱をえるしかない。

 ここで身をくずすことなどできないのだ。周囲に気取られないように、一瞬だけ曇らせた表情を平時と同じに保ってみせる。そしていつものよう装い、部下の一人を呼び出して、この場を離れる事を言付けた。


「ここは我々にお任せください。なんとしても間に合わせます!」
「ああ、頼んだぞ。これはもう我々軍の人間だけの戦いではないのだ。勝たなければならない。」
「はっ! 必ず!!」
 デュナンだけではない。部下も、市民も皆が全力を尽くしてくれている。ならば、自分も精一杯に尽くそう。リベールに住む我々が、英雄に頼らなくとも困難を越えていけると証明してみせなければならない。……こんな痛みなど、なんだというのだ。
 再度の決意を得た彼女は痛みを振り払った。



 そして、作業を進める人々の中から───、アネラスの姿を探した。

 デュナンはユリアだけでなく、アネラスも不要だ、と言っていた。もちろんそれは彼女が反攻作戦の重要なオフェンスの役割を担っているからだ。カノーネの立案した作戦に彼女は欠かせない。だから、彼女をここで手伝わせて、疲れさせてはいけないと判断する。……それに、彼女がオフェンス役をこなす上で、どうしても必要な事を済ませなければならない。


「アネラス君、ここに居たか。───少し付き合ってくれまいか。作戦の事だ。」
「あ、はーい。いま行きますー。」
 倉庫の一角でワイヤー運びの手伝いをしていた彼女がユリアの呼びかけに応じる。その通りかかりに、たまたま近くで指示を出していたデュナンとぶつかりそうになるのを身軽に避けると……。

「はい、これあげます!」
「ぬ! なんだこれは?」
 かぶっていた作業用ヘルメットをついでで預けて、元気な足取りでこちらへと向かってくる。

「待たぬか! ワシがこんなもの装備したら、ヘアースタイルが隠れてハゲに見えるではないか! もっと美しい作業用ヘルメットはないのか!?」
「かーわいいじゃないですかー。もうバッチリです!」
「そ、そうか? ふふん、似合っているか。やはりワシもまだまだ───」


 アネラスは後ろでぶつぶつと騒ぐおかっぱ親父を無視してやって来た。
「あ、え〜と……ユリア…中〜じゃなくて大尉! どうしたんですか?」
「ああ、呼び捨てにしてくれて構わない。それよりも、君がオフェンス役だったな。」
「え、はい。そうです。正直言うと、大丈夫かなーってヒヤヒヤするんですけどね。でも任せちゃってください! 今度は負けませんから!」

 気合たっぷりの笑顔を見せるアネラス。彼女は作戦の中でも重要な役割を任せてもらえたのが嬉しかった。本当はヒヤヒヤはしてたが、同時にワクワクもしている。今度こそ負けないつもりだったから、オフェンスという立場でリベンジを挑めるのは願ってもない事だった。

「さっそくで申し訳ないが、……君の剣を見せてくれ。」
「え、剣を……ですか? いえ、私の剣なんて…たいしたものじゃあ……。」
 唐突にそう述べるユリアへと笑って誤魔化そうとするアネラスだが…、ユリアは微笑を消して真剣な眼差しを向けていた。冗談はやめよう、という意味が込められているとわかる。

 さすがに見抜かれたか、と苦笑しながらも、アネラスは素直に腰に下げられた「青龍剣」を抜いた。柄を逆手に握り、刀身を下に、刃を自分側に向けて手渡す。
 ユリアは無言でそれを受け取ると、鋭い目付きでその剣を探るように全体を眺めた。

「……やはりな。まともな戦いどころか、全力で仕掛けて2発。それがこの剣の限界だろう。」
「あ…………、そうですか…。やっぱりダメでしたか…。」

 あの鉄壁の防御力を誇る巨大人形兵器トロイメライ=カプトゲイエン。それと実際に打ち合った者だからこそ理解できるあの強度は、通常の武器ではまったく歯が立たないという事を教えてくれた。いかな名剣、名刀、その他数ある優れた武器であれ、何度も攻撃すれば刀身が持たずに刃毀はこぼれし、そして折れてしまうだろう。

 ユリアの使っていた細剣「カレードウルフ」は間違いなく業物わざものだった。並みの相手ならば容易たやすく打ち抜ける武器である。しかし岩をも砕くとわれる名剣であっても、岩以上の硬さを持つ相手には通用しない。だから砕けてしまった。

 今、手にしているアネラスの「青龍剣」も中々の名刀だと思えた。しかし、切れ味を優先する武器であるようで、刀身としては幅が薄く、刃としての鋭さが重視されている。そういう種類の武器であるようだ。そのためだろう、剣としての強度はカレードウルフと大差ない。いや、それ以下かもしれない。あれと同様に、普通の相手なら何の問題がないはずだが……、カプトゲイエンと戦うには役不足である事は明白、金属としては貧弱なのである。だから、このまま戦っても折れるのは時間の問題だ。

 もし、折れてしまえば……それでもう戦えない。それは直接攻撃を行うオフェンス役が脱落するという事。これはアネラスが考えている以上に重要で、作戦の失敗につながる大きな問題であった。


「……私も、なんとなく…ですけど、そんな気はしてたんですよ。もう傷だらけだし、折れちゃうんじゃないかなって。…でも、グランセルにこれ以上の武器があるとは思えないし…、これで頑張るしかないかって……。」
 作戦が失敗したかもしれない、という失態に、なんとも申し訳なさそうにするアネラス。だが、ユリアはそれを責めたりはしない。自分とて剣が折れていなければ、武器の強度などに注意を向けなかっただろう。あの時、折れていたのは結果的にはよかったのかもしれない。


「そんな顔をしないでくれ。私には心当たりがあるんだ。これ以上の剣を、あれと対等に戦えるかもしれない剣を手に入れられるかもしれない。」
「──え?」

「西区に行こう。あそこにあるコーヒーハウス《バラル》になら、きっと良い答えがあるはずだ。」
「こ、こーひーはうす……????」





◆ BGM:FC「地方都市ロレント」(FCサントラ1・04)






 午後16:57 グランセル西区───

「うわ、本当に喫茶店だぁ……。」
 アネラスはユリアに連れられて西区へ、その中心街にあるコーヒーの専門店、コーヒーハウス《バラル》へと足を運んでいた。確かここは、種類豊富なコーヒーと共に、絶品のカレーが人気の店だ。


 彼女自身はボース所属の遊撃士だし、グランセルにくればアイスばっかり食べていたので、この店の話は聞いてはいたけど、実際に来た事はなかった。
 お勧めの逸品《匠ライスカレー》は、王都より離れた地元のボース市でも美味しいという噂を聞いた事があるものの、彼女は出先でカレーを食べた事はない。もちろん自分だってカレーは好きだけど、匂いが染み付くから、出先の仕事中では食べられないのである。…だから自宅以外では食べないようにしていた。よって、ここにも来れなかったのである。(そもそもグランセルといえば、アイス…だったし)

 店の敷地には年期を感じさせるコーヒーカップの描かれた立て札、そして外でくつろぐためのイスとテーブルが一組用意されている。そして店の入り口、軒先のきさきには、大き目の真新しい看板が下げられていた。木の板に唐辛子とうがらしのような赤いものが真横になっていて、そこに「おいしいカレー」と書かれている。

 ユリアはその看板をちらりと視線をやると、気にした様子もなく入り口に歩み寄っていく。


「ここの店主バラル氏はね、元々はリベール王国・外交使節団で務めていたんだ。すでに引退しておられるのだが、私はモルガン将軍を通して紹介されてね。」
「へぇ……。」
 相槌あいずちを打つアネラスではあったが、それがどうして「こーひーはうす」につながるのか理解できていない。確か〜打ち合える剣がないという話をしていたと思ったのだけれど…。勘違い?

「失礼───」
 カギが掛けられていない入り口を躊躇ちゅうちょなく開くユリア。戸締りもされていない扉からは下げられた鐘がカラカラという音を奏でて来客を知らせる。市民は皆、港へと避難しているはずなのに、この店には今もコーヒーの美味しそうな匂いが充満していた。


「ああ、いらっしゃい。ユリア中尉、いえ、大尉になられたそうですね。お祝い申し上げます。」
 広くはないけれど、小奇麗で整頓された店内は明るく、平時と変わらないようにカウンターで作業している初老の男性が、にこやかに出迎える。きっとこの人がお店のマスターでもあるバラルさんなのだろう。

「いえ、貴方にそのような敬語を使われるほど成長はしていませんよ。」
 ユリアは親しみを込めた会釈えしゃくをすると、すぐに真顔になってバラルさんへと話しかける。旧知の者との再会を喜んでいる暇がないというのは、彼も承知している事らしかった。バラル氏は食器を洗う手を休めると、カウンター越しに言う。


「───さて、どうしたものですかなぁ。まさか、親衛隊副隊長殿のお眼鏡に叶う武器が……私のコレクションがリベールに必要とされるなどとはねぇ。」
「本当に申し訳ありません。知人の依頼とはいえ、形としては軍が個人資産を強制接収しに来たのですから、どれだけ頭を下げても足りない程です。」

 ユリアが深々と頭を下げると、バラルさんは慌てて頭を上げさせた。しかし、はたで見ているアネラスには、何がなんだかさっぱりわからない。こーひーはうすで個人資産が接収とか言われても、こんがらがるだけで意味不明である。しかも剣の話がどうなったのかも謎だ。
 ……話を中断するのもなんだけど、思い切って聞いてみる事にする。

「す、すいません、ちょっとストップです! 私、あんまりインテリジェンス高くないので説明が欲しい気がします。むしろください!」
 アネラスは本当に申し訳なさそうに口をはさんだ。だって、連れてこられたのに、わかんないんだから仕方ない。ユリアとバラルはそんな彼女を見て微笑ほほえむと、分るようにと説明してくれる。


「ははは…、お嬢さんに分らないのも当然でしたな。順立てて説明しましょう。……私がまだ城に勤めていた頃、外交使節団の特使として大陸各地を訪問していたのですよ。その折に、様々な名剣を始めとする素晴らしい武器と出会いましてね。コレンクションをしていたのです。」

「武器を、ですか?」
「左様です。あくまで趣味として収集していたものですよ。…他にも珍しい本を集めたりもしているのですが、これはまた別の話ですねぇ。」
 そこにユリアが言葉を添えた。


「私は彼がそういった収集をしている話は聞いてはいたが、剣が目的ではなかったのでね、よく親衛隊の部下と共にこの店を訪れていたんだ。馴染みの店、というわけだ。」
「ははぁ…なるほど……。」
 アネラスはようやく合点がいった。つまり、このバラルさんが収集しているコレクションの中に、あのカプトゲイエンに対抗できるかもしれない、私の剣を探しに来てくれたのだ。


「え? え? それってつまり、スゴイ剣を貸してくれる、って事ですか? なんかモノすごい伝説の武器を授けてくれるって事になりますか?」
 まがりなりにも、アネラスは剣の道を志す者である。剣の技を極める事も大切ではあるが、それと同等に名剣への憧れも忘れてはいない。可愛いヌイグルミも好きだけど、それとは別に名剣が扱えるとわかれば、気分だって高揚こうようする。

「わ、それは期待しちゃいますよ! あの憎きカプトなんとか〜をスッパ切るような名剣を使えるかもしれないと思うと、それだけでワクワクします。」
「いやいや、遊撃士のお嬢さん。残念ですがそんなに都合のいい品はありませんよ。私は切れ味を求めて収集していたというより、珍しかったり、こしらえが美しかったりと、……そういった逸品いっぴんを主に集めていたのでね、それなりに切れ味はいい品もありますが、伝説とまで言えるような品まではねぇ。」
 バラルは苦笑しながらも、期待を裏切るような気分になって申し訳ない、という顔をした。

 ああ、そういえば……彼はふと思い出した。
 たしか…先日も彼女と同世代くらいの若き遊撃士に、探していた本のシリーズモノ全巻と交換で武器を渡した事があったが……まさか、リベールでこんなにも強い武器が必要とされるなど考えてもなかった。

 コーヒーショップを営む私が、ただの趣味で集めていた武器コレクションだというのに…。これほど重要な局面で運命を左右するべき武器を選別する役目を持つとは…。そんな奇妙な運命のめぐり合わせに、バラルは少しだけ運命を感じる。避難勧告に従わず、なんとなく店に留まりたかったという気分も、もしかしたら【空の女神エイドス】の啓示けいじなのかもしれない、と思った。


 ユリアはやり取りにひと段落着いたと見計らうと、バラルへと本題を切り出す。


「それで…、まずこの剣をみてください。」
 アネラスより再び「青龍剣」を借り、バラルへと手渡す。そして、これまでの戦いと、敵がいかに強固な防御能力を持っているかを手短に話した。その言葉ごとにバラルはうなずき、真意を呑み込んでいく。自身のコレクションにそれと戦う事の出来る武器が存在したか、と確認するように聞き入っていた。


 彼女の要求に答えられる最高の品を手渡したい。バラルはそう考えている。ただ、残念な事に、彼は武器屋ではない。あくまで、趣味の範囲で集めていたにすぎない。個人収集レベルの武器しか手元にはないのは当然の事と言えた。それでも、かなり目利きだったがゆえに、ユリアの依頼を受ける事となったのではあるが……、強大な敵との戦いに打ち勝つ程の武器があるかというと、……正直、自信がなかった。


「なるほど…。それは難儀な相手ですな。そしてお嬢さんが扱える剣がよい、と……。」
 難しい顔をするバラルに、ユリアは神妙な顔で答えを待つ。アネラスもさきほどの浮かれた様子を消して、彼の言葉を待った。その答え如何では作戦が成り行かない可能性も出てくる。
 ……作戦を立てたカノーネも、まさか剣の強度までは考慮こうりょに入れていなかったであろう。だから、そういう部分はユリアが補ってやりたかった。完璧な作戦は一人で成しえるモノではないのだから、せめてこの件は自分が受け持とうと意を決している。


「対抗できそうな品は───ありますか?」

 ユリアはアルセイユの指揮を執らなければならない。本当は自分がオフェンス役を受け持ちたいところではあったが、クリティカル役という重要なポジションを担っている。これは絶対に自分でなくてはこなせない仕事なのだ。自分でなくては果たせない役割なのである。
 だから、あのカプトゲイエンと真正面から戦う事になるアネラスにもうれいのないようにしてやりたい。


 たかが、1本の剣かもしれない。しかし、その1本でリベールが戦えないなんて事がないよう願いたかった。



「ふむ。この剣ほどの業物がこれでは……。するともう、あれしか選択の余地はないようですな。」
「あるんですか!?」

 身を乗り出すアネラス、そして少しだけ安心しながらもバラルの言葉を待つユリア。彼は青龍剣をアネラスに返すと、カウンターから出て、なんと店の外へと向かった。店の中にあるとばかり思っていた二人は、顔を見合わせてその後を追う。
 しかし、行き先はすぐそこだった。店の扉、その入り口に掛けられていた真新しい看板のところで足を止める。彼は、その大き目の看板をあっさり外すと、テラスのテーブルに置いて二人に声を掛けた。

「これです。」
 簡潔に述べられた言葉。その瞳は、どう見ても看板に注がれている。それは真新しい木製の板に赤い唐辛子のようなものが貼り付けられており、その唐辛子の腹の部分には”おいしいカレー”という金属板による文字が打ち付けられていた。
 バラルは鎖で止められていたそれを、唐辛子…のようなものを丁寧ていねいに取り外している。


 本当に最近取り付けられたらしい、クーデター事件前までは頻繁ひんぱんに訪れていたユリアでさえ見覚えのないカレーの宣伝用看板。そこについた唐辛子?を外しているバラルにユリアは頭をひねった。まるで先ほどのアネラスのように、理解できずに困惑の表情を浮かべる。
 なぜ看板の装飾を外しているのか……と当惑するユリアの隣で、アネラスがそれに気がついた。


「あ、あれ? この唐辛子みたいなのって……もしかしなくても…剣…ですか?」
 それはよく見れば確かに剣だった。青龍剣と同じ程度の大きさの円月刀シミター。刀身が真っ赤で、柄の部分が緑色になっている。その形はどう見ても唐辛子だ。刃はないが潰されたようでもなく、代わりにへこんだ細いみぞが出来ている。……これは紛れも無く剣。それは間違いないが……。

「なんで……看板なんです?」
 なんとも言えない苦い顔をしたアネラスがバラルへとたずねる。すると、高らかに笑い声を上げて嬉しそうに答えた。


「いやぁ〜はははは…、これは最近手に入れたものなんですが…、形がね、唐辛子にソックリでしょう? いやいや、うちの店もカレーが人気になって来ましたからねぇ、趣味も兼ねてこういう看板も面白いと思ったんですよ。まさか看板に剣がついている、だなんて誰も気がつかないでしょう?」

 それで看板にした、と……。なんとも嬉しそうに話すバラルだが、それなりの剣を探していた彼女達にしてみれば、面白いだけでは困る話ではある。
「ご老体、それは…いいのですが…。」
「まあまあ、話は最後まで聞いてください。」
 心底弱った顔のユリアを制したバラルは、看板から剣を外しながら、この剣についての話を始めた。

「実はこの剣はカルバードの奥地で発見されたものでね、これでも古代文明の遺物、アーティファクトらしいんですよ。」
「これがですか?」
「ええ。しかしカルバードでの研究の結果、使い道が何もないアーティファクトだというんですよ。その研究者は私の知人なのですが、いくら調べても何もない、と。…残念そうに言ってましたねぇ。」
 バラルは看板の板から外した赤い剣を刃を上にして見せると、刃の部分がない事を再確認させた。


「ほらね? 刃がないでしょう? それだけに切れ味などはありません。剣として扱うしても鈍器とそう変わらない。攻撃力なんて微々たるものでしょう。それこそ練習用武器になればいい程度ですよ。…まあ、だからこそ看板に下げていても危険もなかったわけですがね。」

 彼はアネラスにそれを渡す。手にした感触を確かめるアネラスではあるが、特に何か違和感を感じるわけでもなく、それでいて切れ味がスゴイわけでもない。何度か振ってみるものの……まあ、一応は軽いかな? ……そんな程度にしか思えなかった。
 それよりも、刀身の中心に堂々とつけられている”おいしいカレー”という金属板が気になって仕方が無い。もし使うにしても、これはちょっと恥ずかしすぎる。


「……でも、その彼がね、一つだけ自慢して言うんですよ。何も使い道がないが、これだけは誇れるぞ、と。───どうしようもなく硬いのだってね。」

「硬い……ですか?」
「そうです。硬いのだと言ってました。」

 アネラスはその剣を傾いていく太陽へとかざしてみた。しかし、漠然ばくぜんと硬い、などと言われても、固さなど実感できるものでもない。…っていうか、”おいしいカレー”の文字がやたら目立って、また渋い顔をする。


「しかしご老体、固いというならカルバードの軍関係者が黙っていないのではないですか? 固い金属というだけで、軍事転用できる要素は大きいはずです。」
 ユリアの考えは当然の事だ。しかもアーティファクトなのだから、その研究者の権限でどうこうできる品ではないのではないか、と推測する。
「ええ、私もこれを頂戴ちょうだいした時はそう思ったんですけどねぇ……。話によりますと、この剣を構成する金属は、かつての古代文明でのみ存在する事を許された硬度を持っている、という事です。現在はこれを形作る金属を精製する技術もなければ材料さえも存在しない。ついでに言えば、これ自体を加工する事もできないそうです。固すぎて、ね。」


 つまりは八方ふさがり。何も出来ないからこそ”使えない”のだ。いくら固くてもそれだけでは意味がない。


「ご存知の通り、このゼムリア大陸には多種多様なアーティファクトが無数に存在します。ですので、これ一つに時間を費やすよりも、別の品に取り掛かった方が効率がいいのだそうですよ。でも、存在していれば研究を続けなければならない、……だから、いらない、と。」

 バラルの友人という研究者は、それなりに地位がある人物なのだろう。そして、この使い道のない唐辛子のような剣は、彼のコレクションにした方がよほど役立つ、と考えて渡したのかもしれない。あっても困るのなら、物好きにくれてやる方がいいと。


「そりゃあ私は試した事はありませんけどね、彼が言うには飛空挺を乗せても大丈夫だったとか…。まあ、いいかげんな奴ですが、研究熱心でしたので事実なんでしょう。」
「う〜ん、だからってあげちゃうっていうのは……どーなんでしょうね…。」

 アネラスもその見たこともないバラルの友人が、とてつもなくいい加減だと首を縦に振る。一度会ってみたい気がしないでもない。……しかしそれだけ固いと言われても、やっぱり漠然とした話なものだから、なんとも素直にその凄さが実感できないのが正直なところだ。


「なるほど…。そういう事でしたか。しかし固い事だけは証明されている、という事ですね。」
 ユリアはそれを確認するように問う。固いだけで、攻撃力がほとんどない。これがこの剣の力の全てである。確かに今まで見た事がないような金属だ。強いて言うなら軽い宝石とでもいおうか? 金属よりも、手触りが柔らかい感じがする。


「───これだ。アネラス君、これをお借りしよう。君が使うべき剣はこれ以外にない。」
 その笑顔は、これまでの不安を吹き飛ばしたかのような清々しさだ。やっと不安要素を取り除く事ができたのだ、という自信があらわれている。

「えーと、ユリアさん。でも、この剣って固いのかもしれませんけど……攻撃力があんまりないんでしょ? 青龍剣でさえダメージを与えられなかったのに、これじゃあ無理だと思うんですけ───、あーーーーー! そっか! そうだった!」

「そういう事だ。ご老体、これをお借りしてよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞどうぞ、お使いください。リベールのために使われるのでしたら、喜んで。」

 この作戦において、アネラスが受け持つ役割はオフェンス。それは、カプトゲイエンと正面から戦うというものだが、その真意は注意を彼女へ向ける役割にある。注意を向けるだけなのだから、ダメージを与える必要がない。衝撃を与えて攻撃目標にされればいい。折れる心配がなければ、それで構わないのだから。
 もしかしたら、この剣がいまこの手に握られているのは、空の女神エイドスのちょっとした心使いなのかもしれない。



 皆が納得したところで、不意にアネラスは頭をかしげた。



「あれ? ところでバラルさん。聞き忘れてたんですけど、この剣って名前なんて言うんですか?」
 使うと決めた剣。この戦いの間だけ借りているだけだけど、力を注ぎ、共に戦うパートナーとなるのだから名前くらいは確認しておきたい。

「ああ、名前ですか。……そういえば名前は聞いてませんでしたねぇ。確か友人はコードナンバーいくつとか言ってましたが…。なにしろ適当な奴ですからなんでもいいと言って……ああ、そうだそうだ。」
 バラルは何かを思いついたように呟いた。

「おお、そうそう、これがいい。……刀身に”おいしいカレー”と書かれているでしょう? ですから、そのまんま、おいしいカレー剣というので───。その方がウチも宣伝になりますし。」


「そ、そんなのいやぁぁぁ〜〜! せめてその名前はカンベンしてください〜!! それにですね! このカレーの文字取れないんですか? びったりくっ付いて取れないんです! ひっぱっても何しても取れないんです! 恥ずかしいですよぉ〜!」

 刀身に貼り付けられた”おいしいカレー”の文字は金属板。しかも溶接されているのか、ちょっとやそっとの力では取れそうもない。
 しかも、夕暮れ近くなってきたというのに、何もしなくともカレーの文字だけ輝いて目立つ。…まあ、そもそも目立つように看板にされていたのだから、それも当然といえば当然だろう。

 笑っては失礼だと思ったのか、無理に笑いを堪えたユリアが、アネラスを励ます。

「戦いの間だけだ。ここからの借用品なのだし、ここは我慢して使わせていただこう。その、おいしいカレー剣……くっ…くく…、す、すまない…。」
「笑われたー!」



 彼女達には時間はなかった。しかし、心を休める時間というのも大切なものである。ユリアはそれを知っているし、アネラスもそうだと感じていた。だから、今は素直に笑ってみるのもいいかと思う。

 戦いはもうすぐ始まる。だから……、今この一瞬の間だけは、いつものように笑顔でいたいと思った。





◆ BGM:SC「陰謀」(SCサントラ1・09)






 午後17:32 グランセル城 空中庭園───

 緑ある屋上と称するべき庭は、女王の暮らす女王宮への通路でもあり、別名では”女王の庭”とも呼ばれている。地上4階程の高さに位置するここは、催し物などで女王が人々に姿を見せる際にも使われる事がある重要な場所だ。少し前に行われた女王誕生際でも、ここから女王が手を振り、民衆の祝福を受けたばかりである。

 グランセルのどこよりも高い位置にあるここからの景色は、広い王都の全てを俯瞰ふかんできる場所としても役に立っている。そして城に従事する者へは、緑生い茂る空間として安らぎを与えるという役割も担っていた。

 しかし、いまのこの広場は、安らぎを与える主はいない。主たる女王は不在。他の誰かが通る事もなく、静まりかえっていた。
 さきほどの、トロイメライ=カプトゲイエンよりの攻撃により沈黙した王城。……いや、実際にはそれ以前から沈黙を守っている王城。そこに一人の少年の姿があった。



「……まったく、本当に嫌な女王だね。」
 紫のスーツに緑の髪をした奇抜なファッションの少年……。もちろん他の誰でもない、執行者カンパネルラの姿だった。彼はモルガン達に語るところの”用事”とやらを済ませて、たった今、グランセルへと戻ってきたところである。
 その口元には相変わらずの薄い笑みを浮かべ、どこか楽しそうに、そして意地悪そうに景色を眺めている。


 事実、彼は楽しかった。これから始る物語の、最も盛り上がる”フィナーレ”に胸踊らせている。まるで、お祭りへと出かけていく無邪気な少年のように、隠し切れない期待感を味わっている。
 そんな気分でいれば、グランセル城へのレーザー・カノンでの砲撃がほとんど無駄に終った事くらいは笑って許せるというものだ。
 死傷者0、怪我人0、…つまり人的被害はまったくなかったという結果があったとしても、それはどうでもいい些細ささいな事だと思えた。



「気に食わないなぁ…。何も知らなかったくせに、最初から見通してるみたいだよ。まるでカシウス=ブライトを相手にしたみたいだね。」
 彼の言う通り、砲撃をした時点ですでに王城はもぬけの空だった。その中で従事する者全員がすでに退避を終えていたのだ。絶対有利であるはずの城を最初から捨てていたのである。

 グランセル城の食料倉庫からは地下水道へと通じる道がある。女王アリシア二世は、自身が外へと出かける際、そこから城内に残る者を脱出させていた。
 リシャールの他に女王の身辺警護を任されていた親衛隊員へと指示し、従者達を安全な場所まで逃がしていたのだ。まず先に敵に目標とされるだろう王城を捨てた事で、城そのものをおとりに使ったのだ。


 もちろん、カンパネルラにしてみれば、城を放棄するとまでは考えていなかったし、それなりに死人が出たほうが後々必死に抵抗してくれるだろうと思って砲撃を行ったのだが……。

「まあ、どうでもいいんだけど。」
 裏をかかれた格好にはなったが、もうあの厄介な女王は石と化している。それに、それ以上に厄介な相手は思惑通り退場してくれたようだ

 リベルアークでの戦いにおいて、少年が”最も危険だ”と見ていたあの少女が退場したのだから、これで万が一つも戦況をくつがえす要素は消えたと言っていいだろう。


 クーデターより数々の事件で中心となって動いたエステル=ブライトよりも、漆黒の牙以上に実力を上げたヨシュア=アストレイよりも、もっと警戒しなければならない者が居る。
 誰よりも”もっとも警戒すべき英雄”である、クローディア=フォン=アウスレーゼさえ居なければ後は烏合うごうしゅう。それでこそ念入りに叩いた甲斐かいがあるというものだ。

 普段は大人しそうにしてるというのに、実はまったく隙のないのがクローディア姫だ。正直なところ、カンパネルラは「本気になった彼女」を相手にしたくはないと考えている。

 彼女よりもエステル=ブライトの方が対処は楽である。一見すると厄介やっかいな相手ではあるが、飛行戦艦グロリアスでもそうだったように、孤立させればほうむる事は容易たやすい。彼女は仲間がいる事で危険度を増す面が強く、また、短所を補ってもらわなければ実力を発揮できない面があるからだ。
 そしてヨシュアも同じ。エステルとのきずなを逆に利用すれば、容易くはないが始末はできる。(もちろん僕のヨシュアきゅんにそんな事しないけどね)

 しかし、覚悟を決めてしまったクローディアの実力はあなどっていいものではない。戦闘において本気にさせてしまったとしたら、彼女ほど弱点がない者もいないだろう。
 感情をどれだけ熱しても、心は常に冷静に、氷のような視点と固さで状況を見極める知性は侮っていいものではない。リベルアークを勝ちに浮いたあの英雄達の勝利の一旦は、間違いなく彼女にあると断言できる。


 カンパネルラは今更ながらに思う。


 もし……砲撃後の演説で、彼女が唯一の弱点である”心の弱さ”を突いたあれらの言葉で揺さぶれなかったとしたら…、彼女へ向けた言葉で逆に奮起でもされたら……、戦況は変わっていたかもしれない。

 過大評価のつもりはない。戦いとは戦力だけで勝ち抜けるものではない。人に希望を持たせる人物、リーダーたるべき存在こそ危険なのだ。カシウス=ブライトというリーダーが百日戦役を跳ね返したように、エステル=ブライトが仲間を導き災厄を収めたように、強い象徴は何よりも恐ろしいのである。

 少年はあのワイスマンのように、いかなる相手であろうと、取るに足らない相手とさげすむだけの愚者ではない。侮って負けてる馬鹿とは違う。危険だからこそ、クローディア姫を徹底的に叩いておいたのだ。

 ──まあいい。結果的に彼女は脱落した。エルベ離宮に逃げたようだから、ほっておけばいいだろう。どうせもう間に合わない。戦闘再開まで残り30分を切っている。”今回の作戦”はそれほど重要でもないが、面倒な仕事を押し付けられた見返り程度には楽しみたい。少なくとも、手の内の全てを展開させるまでは邪魔をされたくなかった。

 そうでなければ、面白くないから。




「さて──、その烏合の衆はどうしているのかな?」
 一通りの思考を終えたカンパネルラは、女王アリシア、そしてクローディアを欠いた者達が、一体どうしているのか、と庭園より顔を覗かせた。各地各所を睥睨へいげいする視線は、楽しげではあったが、同時に何者をも逃さない執拗しつようさを秘めている。
 最初に目を留めたのは、変わらずに停止しているトロイメライ=カプトゲイエン。その周辺には多くの兵士達が行き交い、なにかの作業をしている。彼らが最も集まっているのはその先、グランセルの玄関口とも言える大広場、そこに集結し──。



「穴を……掘っている……?」
 200人以上の兵士達。彼らは穴を掘っていた。
 服も顔も泥だらけになりながら、全員が必死で巨大な穴を掘っている。

 グランセルの玄関口に位置する大広場は、軍隊の駐留さえ可能な広さを持つ空間だ。一般的な家なら軽く横並びで10軒は建てられるだろう広さがある。……先日の《身食らう蛇》襲撃事件でも、彼らがそこに部隊を集結させるのに利用した場所だった。
 その敷地全体に広がるその穴は、まるで隕石でも落ちたかのように広く深くなっている。その中心はすでに人の身長の3倍程も堀り進めているようだ。まだ堀っている最中ではあるようだが……よくもまあ、この短時間でこれだけの穴を掘ったものだ。

 グランセルの通路は石畳が敷かれているが、その下には意外にも柔らかい土壌となっていた。国を支えるような土台となる固い岩盤もあるにはあるが、それはグランセル城の遥か地下に位置する封印区画と共に、さらに下方にのみ存在している。それゆえに、地表の表面に穴を掘るという作業は案外簡単で、石畳さえ外してしまえば容易い作業ではある。

 だからとて、広場全体を占める程の巨大な穴を掘るのは人の手だけでは不可能だ。今その中心となって動いているのは様々な掘削機械。その全てフル稼働し、中には関係ない空港の荷運び用運搬車までも投入されている。
 そして足りない分はバケツリレーのように人を伝って土を運び出していた。一心不乱に作業を進める軍人達。そこで……モルガン将軍が指示を飛ばしている。

 カンパネルラは笑みを忘れてまゆひそめる。彼らがなぜ穴など掘っているのか理解できない。そんなもの、何に使うというのだろう?
 まあいい。物事は一つの面だけで本質を捉える事などできないのだし、あれが彼らの反攻作戦の一環である事は間違いない。他の場所に解答を求めよう。


 カンパネルラが次に視線を送ったのは、グランセルの人々が避難している港だった。

 実際には、この位置からだと視線は障害物に妨げられる。倉庫街となっている港の一角が、細部まで見渡す事を拒んでいるからだ。しかし、彼にとってそんなものは関係ない。障害物、そして距離さえも無視して、まるで全てが見えているかのように、作業の中心を捉えていた。

 ……するとそこに居たのはデュナン公爵、それに遊撃士協会受付の男エルナン、そして幾人かの親衛隊隊員達だ。彼らは港で震えていたはずの避難民達を指揮していた。そこで行われている作業は──。


「ロープ? ワイヤーを集めているだって??」
 彼らは協力して、何本ものロープやワイヤーを集めて運んでいた。港の倉庫に残る在庫や備蓄品、船に積まれた予備のものまで全てを集めて、順々に運び出している。カンパネルラはこれも何を意味する事なのか、とその用途を計り兼ねた。
 しかもそれだけではなく、細い物は束ねて太くし、短い物は長くまとめている。それは巨大な蛇のように太く、長いものへとなっていた。それが十数本…うねるように置かれている。……どうやら運び出し作業も終盤を迎えつつあるようだ。

 面白いのはその作業の全てを一般人が行っている点。軍の戦いに一般人を参加させているというのは考えが及ばなかったが、この状況下では彼らの手を借りざるを得なかったのだろう。

「へぇ…、それにしてもあの堅物のモルガン将軍がこんな事を許可するとはねぇ。それとも……別の誰かが作戦を考えたのかな?」
 カンパネルラはモルガン将軍をそれほど怖い相手だと思っていない。彼の統率力は邪魔だったが、先ほど彼らに投げた言葉は本心、本音であり、反攻するような作戦を練りだせる人物ではないと考えていた。それに、戦いは軍のものとして民間人の介入を拒む堅物である事もわかっている。…まあ、柔軟に考えられないからこそ、【百日戦役】でも手が出なかったんだろうし。

 はて、それが……どうした事だろう? 一人の例外なく一般人を巻き込むような事を承諾しているのだから、少なくとも彼が練った策ではないのだろうと思う。使える力は余さず使う。国としては決断しにくいだろうが、柔軟な考え方だ。


「リシャール元大佐はリタイヤしたっけ。……じゃあ誰だろうねぇ。」
 クスクスと、呟くような笑い。カンパネルラは先ほどより愉快な気分になっている。穴を掘って、ワイヤーを集めて、……と自分の想像枠を超えた事を考えている相手には興味を引かれた。そして、最大限の抵抗する意思を見せているグランセルの者達に感謝する。


 もう一箇所、騒がしく作業をしている場所があった。それは空港……。
 そこにはユリア大尉と親衛隊が居た。



「───アルセイユを……使う?」
 あろうことか、彼らはアルセイユを整備している。なぜ今になってアルセイユなのか?
 彼らだってあれがこの戦いで無力だという事は解っているはずだし、使うにしても火気類は全て導力兵器のはず。カプトゲイエンには導力砲の類は一切効果がないのは立証済みのはずだ。……なのに、どうしてアルセイユを持ち出す?

 考えてみれば当然なのだが、地を這う敵に対して最高のスピードを持つアルセイユは無力だ。速く飛行する事に意味が無いし、空中からの爆薬投下して敵を倒そうにも、そういう攻撃は、完全なピンポイントでは行えない。グランセルを無差別に破壊するのに等しい事だろう。

 そうではなく、空中でホバリングを保ち位置を固定、そしてカプトゲイエンを攻撃するとしても……それは自殺行為だ。空中停止中という状態は、機敏な行動を封じられていると同意。それで攻撃できたとしても、反撃を避けられずに墜落するのは必至である。つまり、それを考えれば最速を誇るアルセイユで行う必要もないし、無駄死ににしかならないのだ。
 ……そういう観点からすれば、どちらにしてもアルセイユの出番はないはずだった。


 おかしな事はそれだけではなかった。
 現在行方不明となっている執行者、殲滅天使レンがクーデター残党一派を焚きつけた時に使用したリベールの最新式戦車オルグイユが動いていた。
 一見すると、アルセイユよりも状況に適しているように思えるが、あれもアルセイユと同様に導力兵器以外を搭載していないのだ。効かない兵器しかなければ、なんの意味もない。だからこちらも使えない。


 ───だが、それ以上にカンパネルラを驚かせた事がある。




「なん…だって…? 砲身を外す? 武器を全て外している!?」


 そうなのだ。そのどちらも最大攻撃力であるはずの砲撃用カノン砲、その砲身を外しているのである。戦闘には欠かせないはずのメイン武器。それを外すとは……一体何を考えているのか?
 確かに、導力を利用した兵器はカプトゲイエンに通用しない。しかし、使い道がないかと言えば、牽制けんせいくらいの役には立つだろう。そもそも、効果がないからといって、砲身まで外す事になんの意味がある?

 これらが反攻作戦のための準備だとはわかるのだが、その用途が皆目かいもく見当がつかない。それどころか戦闘準備は一切しておらず、武器を集めてさえいないのだ。



 穴を掘る。
 巨大なロープやワイヤーを準備する。
 装備を外したアルセイユ、オルグイユを使う。


 この共通点から導かれるものはなんだ?
 武器を使わず、それらを活用して行われる作戦とはなんだというのか? さすがのカンパネルラも、この反攻作戦らしき行動にまったくが予想できない。予想できない事への不満と、腹立たしさが不快である。



「……………………なんだ…? ………あの木箱は…………?」
 そこで、空港の倉庫の一角に目が止った。木箱だ。いくつもの木箱が集められ、そこで運び出しをしている空港の整備士達と親衛隊の面々。彼らはそれを集め、あの巨大な穴を掘っている場所へと運んでいく。
 カンパネルラはそれが重要な品ではないかと見定め、彼らが何を企んでいるのかを確かめる事にした。


 耳を澄ます。
 ──意識を集中させて、そこでやり取りされる会話を聞き取ろうと耳だけに力を集めた。

 普通の人間ならば聞こえるはずがない距離。しかし、カンパネルラはそれだけの事で聞き取る能力を持っている。もちろん意識を集中させなければならないので、滅多に使わない能力なのだが。


───っとしろよ。落としたら最後だぞ
わかってるさ。俺だって死にたくねぇよ
これだけの量だ。きっと物凄い爆発だろうぜ
「ああ。確かにこれだけを一気に使った事はないが、山でも吹き飛びそうな量だな」


 爆発? 吹き飛ぶ? ……なら、これの中身は………。


「まさかグランセル中の爆薬を集めて、それでも効かないなんて事ないだろうな?」
「そんなわけないだろ。それより集中しろ、これを落としたら誘爆して俺達どころか空港なんか軽く吹き飛ぶぞ。」
 中身は爆薬。しかもグランセル中の爆薬、爆薬の全てが次々と木箱に納められているようだ。それを運んで、巨大穴の場所に集めていく。



 穴、 ロープ、 アルセイユ、 爆薬───……。




 何をしている? 一体何をしようとしている?




 この僕に想像もできない行動を考える奴がいる? あれらを使って絶対的防御力を持つカプトゲイエンとどう戦うというのか? カンパネルラは珍しく真剣な顔で思考を回転させた。いつも全てを見通した上で行動しているつもりだというのに、カシウス=ブライト、リシャール元大佐、女王アリシアU世、とはまた違うやりにくさに困惑する。こんな品々で何を仕掛けようというのか?


「アルセイユとオルグイユ、あれらの装備を外しているという事は戦闘では使わないという意味。……では、何に使う? ──いや、違うな。あれらに何が使われている?

 ………そう、そうだ。新型エンジンだ。
 あの2機には同じ、世界最高の出力を持つ最新式エンジンが搭載されている。




 ……では、それを何に活用する? 穴、ワイヤー、爆薬……っ!





 カンパネルラは気がついた。彼らが何をしようとして、あれらを集めていたのか。
 そのあまりにも突飛な答えを導き出してしまった。








「く……くくく……くくく…はははは……、あはははははははっ!! あははははははははははははははははははは!」
 その途端、その場に転げて笑う。今まで笑ったどれよりも容赦なく、腹をよじって大笑いをする。彼らのやろうとしている事の意味を知り、狂ったように盛大に笑い転げた。

 こんなバカな話は聞いたことがない。どうしてこんな馬鹿馬鹿しい事を思いつくのか、そしてやろうとしているのか。これが笑わずにいられようか? きっとあの冷静なレーヴェやワイスマンでさえ笑い転げただろう。なんて面白い事を実行しようとしているんだろう?

 笑い過ぎて涙を浮かべたカンパネルラは、まだ笑いが止まらない。止るはずがない。

 確かにトロイメライ=カプトゲイエンは導力を完全防御し、物理攻撃しか受け付けない。しかしその防御力は異常に高いため、生半可な威力ではダメージは与えられないだろう。もちろん、それ以上の物理的ばエネルギーを与えればダメージを負わせる事が出来る。グランセルにある全ての爆薬の威力を持ってすれば、いくら鉄壁のカプトゲイエンでもタダでは済まないはずだ。

 しかし、それは机上の空論だ。そんなに上手く行くわけがないし、それだけの爆発なら、グランセルへの被害は途方もないはず。それを最小の被害で留め、しかも最大限の破壊力を得る。それを実現させるために、彼らは考え、そして答えを導き出した。あまりにも馬鹿馬鹿しい答えを。







 ─── 落とし穴だ。





 彼らは、落とし穴に爆薬を敷き詰め、アルセイユとオルグイユでカプトゲイエンを引っ張り、落す気なのだ。

 深い穴で爆薬を爆発させれば被害は拡大せず、しかも閉鎖空間での爆裂は破壊の連鎖を生み、最大限の効果を期待できる。あのカプトゲイエンの防御力を上回るだろう。
 落とし穴に落す。その威力を最大限に生かした爆裂を受ければ、いかに絶対的な防御力を有していても、タダでは済まない。少なくとも移動手段としているキャタピラは吹き飛ぶだろうから、それ以上の進撃はない。その巨体がアダとなり、満足に動くどころか、体制も整える事ができずに敗北を余儀なくされるだろう。

 なんて馬鹿な事を考えるのか? なんて面白くて愚かしい事を考えるというのだろうか?
 それが絵空事でないとどうして思えるのか?


 あれだけの巨体を、2階建ての家が2軒分くらいはあるだろう金属の塊を、引っ張るなどと……どう考えても無理に決まっている。他の導力運搬車を使ったとしても、動かす事など不可能だ。
 ……いや、違う。
 
 世界最高のエンジンが2つ、その他無数の導力駆動車、それだけのパワーならばカプトゲイエンが前進する事で力が拮抗するかもしれない。カプトゲイエンのパワーを使えば一方的に引くこと等できないだろう。

 ……だが、もしも、カプトイゲイエンが前進できない状況に置かれたとしたら? 前進ができず、後退以外の行動が取れない状況に置かれたとしたら…?



 咄嗟とっさにカプトゲイエンを見る。
 しかし何も変わらないその巨体だけが騒ぎにとり残されている。何かを細工されてはいないらしい、停止した時と変わらない人形兵器。そのたもとを通り抜ける兵士や一般人は見向きもせずに通り抜けていく……だが、その中にしかし、カンパネルラは見つけた。女が二人。彼女らは忙しく動く人々とは別に、何かを準備している。


「いっちにーさんしー ごーろくしちはち…。」
 屈伸運動と、アキレス腱を伸ばして準備体操をするのは、栗色の髪を持ち、大き目の黄色いリボンをつけた娘。さきほどカプトゲイエンに敗れた物語の「エキストラ」……アネラスという遊撃士だった。

 そして、その隣で自分のオーブメントを操作しながら、アネラスへと注意をうながしているのは、あの女狐と呼んでいた女だ。カンパネルラが気にも止めていなかったエキストラ以下の敗者、カノーネであった。



「いいですわね? 私達の目的は勝つことではないのだから無理はしない事。……ちょっと、体操もいいけれど、ちゃんとお聞きなさい。」
「おっけいです! わかってますよ〜。叩いて逃げる! 叩いて叩いて逃げる逃げる! それで無理もしない! 前進させなければいいんですもんね。承知させていただいております! もうっ、カノーネさんってば悩みすぎるとしわが増えますよ?」

「へぇ…あらそう…。後ろから銃で狙撃されるのがお望みのようね…。眉間みけんとこめかみ、好きなほうを選ばせて差し上げますわ……。」
「う、後ろからじゃ、眉間とこめかみは狙えないような……あうう〜、人形兵器よりカノーネさんの方が怖いですよ〜…。」

 カプトゲイエンの注意を前方に引き付ける役目。それが彼女達の役割だ。
 引っ張るアルセイユ達の邪魔をさせないために、レーザーカノンを撃たせる間を与えないために、彼女らは正面から戦いを挑むのである。もちろん勝つ必要はない。注意を向けるだけでいいのだ。

 そうなれば、カプトゲイエンの自律プログラムも判断に困るだろう。敵が迫ってくる以上、前進よりも敵の対処に追われる事になる。エルベ離宮でもそうだったように前進できないわけではないだろうが、……敵との交戦中に新型エンジン2機による最大出力で引かれていてはその限りではない。



 この作戦は、とてつもなくでたらめだ。

 ワイヤーが準備できなくても成功しない。
 落とし穴が完成しなくとも成功しない。
 新型エンジンが力負けしても成功しない。
 アネラスらの攻撃が途切れても成功しない。

 そして、作戦に参加する全ての人々が気持ちを一つにできなければ成功しない。

 これがカノーネが敷いた作戦の全貌ぜんぼうであった。
 グランセルの全てを、いや、リベールの全てを敵にぶつける戦いであるのだ。




「なるほど、なるほどね。…この馬鹿馬鹿しい発想力には頭がさがるよ。」
 カンパネルラは期待している。その滅茶苦茶な作戦がどれだけ楽しめるものなのか、と気分を高揚させていた。だが、それはリベールにとって悪い方へと働く。

「…じゃあ、ここでイベントを入れよう。作戦は順調に行かないのが常だからね。物語は意外性があってしかるべきだ。きっと喜んでもらえると思うよ。」
 カンパネルラはふところから小さな黒いモノを取り出した。先ほどナイアル達の前で取り出した機械、通信機のようなものである。彼はそれに向かってなにやら操作すると、耳元へと当てた。



「───ああ、もしもし。僕だけど、準備はできてるよね? じゃあそっちは始めていいよ。弾薬の在庫は全部使い果たして構わないからね。じゃあ、よろしく。」

 崩さない笑顔。しかし何かを企んでいる笑顔。
 そしてこの宣言より、再び戦いが始まるという事を彼は知っていた。

「さあ、始めよう。この盛大なる物語──。その終わりの……始まりだ───。」

 夕日という天より注がれし黄金の光が大地に没し、全てが闇に包まれていく。これまでの明るさが嘘のような昼夜の逆転。それは文字通り、全ての終りであり、始まりでもある。




 刻が来たのだ。





◆ BGM:FC「Ancient Makes」(FCサントラ・16)






 午後18:00 王都グランセル───


 日没。それは神の息吹が途切れる時、暗闇の世界へとつながる一瞬。
 それと同時に、黒が支配するその世界に、一つ、また一つとおぼろげな光が浮かんでいく。

 それは人の作りあげた導く力による灯り。半壊した通りに面する家屋、その各所に取り付けられた灯火が周囲を照らしている様は、どんな絶望においても闇に塗りつぶされはしないという人々の気迫であるかのように煌々こうこうと輝きを放っていく。

 輝きを合図としたように、モルガンは声を張り上げた。拡声器など使わず、なのに王都全てにその声が轟くがごとく、全ての者へとその意志が伝わる。



「いくぞ! ここが正念場だ! 我々は絶対やり遂げる!!」

 彼が立つのは最新式戦車オルグイユ。その後尾に据え付けられた超硬質ワイヤーはカプトゲイエンに接続され、新型エンジンが持つ最大出力で引き始める! そして、その周囲には数々の導力車。そのすべてにもワイヤーが取り付けられており、出力の限り前進を試みる。しかもそれだけではない。さらにその隙間には、全ての兵士達がロープを手にしていた。

 さすがに、ここにまで民間人を使うことはなかったが、彼らの協力のおかげでとどこおりなく準備を済ませる事ができた。兵士達はその協力を感謝し、噛み締め、今はただ、全力で巨体を引く! 力の全てを注ぎ、強引にでも爆薬入りの落とし穴へと導くのである。

 彼らの握るそれはただのロープなどではなく、グランセル、そしてリベールの命運を握るものである。
 それを引く兵士達はすでに疲労困憊ひろうこんぱいではあった。全力で戦い、休む間もなく再起を賭けて準備しつづけた。それに傷付いていないものなど誰一人としていない。今すぐ倒れてもおかしくないような者達ばかりなのだ。

 ……しかしそんな事は関係がない! 彼らの表情には疲れも痛みもまるでなく、ただ、全力を尽くすだけの覇気しか浮かんでいない。全ての想いをこの綱に託し全力を尽くすしかないのである。

 ここからが本番なのだ!




「親衛隊が培った操縦技術! それが試される時だ。勝利のために全力を尽くせ!」

 ユリアの号令と共に飛行船アルセイユが浮上し、同様にワイヤーを引く! オルグイユと同じく搭載された、世界最高のエンジンによる最大推力は瞬く間に全開に、ほとばしるエネルギーの限りに吹き上がった!
 アルセイユは飛行以外の全ての装備を解除してあるため、これまでになく軽量となっている。余分な装備がないこの状態であれば、間違いなく最高出力を完全に出し切れるだろう。


 搭乗しているのは、指揮官のユリア、そして操舵士ルクス、観測士エコー、通信士リオンの4名。このチームが操るアルセイユは、まさに天空を自由に舞い踊るジークと同じようなもの。幾度とないフライトにより、空を独断場とできる能力を持っている。
 確かに、今回のミッションはかつてない程の難易度。超低空飛行な上に、全力での牽引けんいんをするというのは前代未聞ぜんだいみもん、まったくもって未知の領域である。そんな無茶は愚行と言い換えてもいいだろう。
 しかし、彼らはやらなくてはならない。いや、彼らならやり遂げるはずだ。


 ───そう、自らの力と仲間達を信じているのだから。


 オルグイユ、アルセイユ共に、作戦中はその役割をクリティカルと名称されている。敵を牽引し、落とし穴に落す。それは最重要であり、最大の一撃を与える。だからこそのクリティカルである。




「さあ、私達も行きますわよ!」
「はい! やっちゃいましょう! さあ〜、いくよ! おいしいカレー剣……。 ……誰か、この名前なんとかして…。


 そして、彼女達の役割はオフェンス。表面上での攻撃を与えて、敵の注意を向ける役割を持つ。カプトゲイエンは落とし穴に落ちるその直前まで、攻めて攻めて、攻めまくるのだ!
 攻め役は当然アネラス、敵の注意をひきつけるように、一心不乱に攻撃する事が役割だ。そして援護はカノーネが受け持ち、状況に応じてサポート魔法をアネラスへと付与する。

 全ての攻撃を一瞬だけ耐える効果を持つ駆動魔法アースガード、そして能力の上限を一時的にアップさせる魔法、破壊力を増すフォルテ、敏捷を得るクロックアップを順番にかけていく。これで通常以上の力を出す事ができるだろう。
 そうなのだ。敵に魔法が効かなくとも、味方にかからないわけではないのである。だから、魔法による攻撃は一切行わず、サポート魔法のみで援護する。しかも、防御能力はわざと上げず、全ての攻撃をアースガードのみで防ぐ! それが効率よく力を発揮する手段なのである。



「アネラス! 思い切りいきなさい! 骨は拾って差し上げますわ!」
「それはひたすら結構です! でも、全力で行きます! …私達は絶対、越えていけるから!」


 先ほどエルベ離宮で戦った以上に力がみなぎるアネラスは、そのありったけのパワーを最初からぶちかます!




「はぁぁぁっ! 奥義───、真・光破────斬っ!!」
 剣の切っ先に集まる闘志の力、真横に一閃、縦に一閃、その2つの刃が十字に交差し輝き、カプトゲイエンへと飛翔する! アネラス最大の、最強の破壊の閃光が炸裂した!!



【───トロイメライ=カプトゲイエン再起動。防御システムにより衝撃軽微。敵攻撃対象多数により、前方の敵より優先して排除を行います───】


 とうとう巨神が動き出した。敵はまず先にアネラス達へと攻撃を仕掛けるようである。これは、ユリアがカプトゲイエンとの戦いから導いた答えだった。けして機敏でない敵が行動を取る場合、まず、最大の脅威に対処するであろうという推測を立てていただけの事である。それが当っていたという事だろう。


【───当機体に異常発生。後方より原因不明のベクトル。機体推力を上回る力により時速4セルジュにて強制後退中。これより当機体は右方向に旋回、原因を取り除きます───】


「ふふん。そうはさせませんわ!」
 アネラスへの魔法をかけていたカノーネは、腰のベルトより銃を取り出すと、そのまま斜め左上へと撃った。それは当てるためのものではなく、青色のついた煙の尾を引く信号弾である。

 右への旋回を行おうとしていたカプトゲイエンは、アルセイユとオルグイユの圧倒的パワーにより、その回るはずの方向とは逆へと引っ張られる。結果、機体はそのまま、回る事も出来ずに牽引されるがまま、となった。

 カノーネの立てたこの作戦では、今のようにアネラス達を優先しなかった場合も想定されていた。後ろ向きのまま、強引に引いていく事しか考えてなかったのである。


 牽引しているアルセイユ、オルグイユは、それぞれカプトゲイエンの左右の肩に取り付けられたワイヤーで引けるようになっている。右に回ろうとしたら左側ワイヤーを全力で引く。左に回ろうとすれば、右を重点的に引けばいいのだ。それで一方向の回転はうまくいかないはず。しかも巨体であるという事はその重量も凄まじいという事。だから、重さで軸がずれずに道から外れる事もない。
 加えて、無数の導力車や兵士達が調整、そして正面から攻めるアネラスの攻撃による衝撃で角度の微調整を行う。敵はいつの間にかまた正位置に戻り、キャラピラを強引に逆回転させる事となるというわけだ。


 まるで城のごとくそびええる巨体のカプトゲイエンが、徐々に、じわじわと下がり始める。最大出力で引かれ、しかも正面から攻められているため、後退する以外に選択肢がないのだ。いくら強固であろうと、それだけの要素で攻め立てられれば対処が間に合わない!
 それでも無理に回ろうとするカプトゲイエンに、アネラスは強化された渾身こんしんの一撃をお見舞いした。金属と金属がぶつかり合う火花が暗闇を彩り、それと同時に機体が揺らぎ、元の位置へと戻されていく。



「こんな可愛い乙女から顔を背けるなんて失礼だよ! 私のこの剣、”おいしいカレー剣”っていうくらいだから、スパイスはたっぷり! ……甘くはないんだから──っ、ね!!!」
 さらに強大な一撃がカプトゲイエンを完全に元の正面へと向かせた。
 アネラスはその勢いを落さず、追加で幾度とない攻撃を加えていく。旋回しようとする巨体の逆方向を攻め、回転を阻止して正位置に戻すよう、何度も仕掛けていく。


 カプトゲイエンには一度として後ろを振り向く事が許されない。逆に振り向かれてワイヤーを引きちぎられれば、それでこの作戦は失敗である。もちろん、そんな事をさせてやるつもりなど毛頭ない!



【─── 攻撃目標を再設定。前方よりの脅威排除を行います。左右ハンドアーム分離、個別判断により殲滅せんめつ行動を開始します───。】



 回転を諦め、改めて眼前のアネラスを狙うカプトゲイエン。左右2本づつあるうちの腕部1本づつを分離させた。エルベ離宮にてアネラスを倒したあの攻撃、腕が独自に動いて攻撃するあれである。しかも、前回のような不意打ちや手加減ではなく、独自に飛び回り攻撃を加える腕が2本、さらに本体に残された腕がさらに2本、合計4本が不規則に襲ってくるのだ。

 これまでの、人を殺さない程度で戦っていたギルバートの攻撃とはまったく違う、比較にもならない苛烈かれつな攻めである。しかも、本来の機能である掘削くっさく作業は岩盤がんばんを砕く程のパワーを必要とするものだ。単純な戦闘能力がオリジナル・トロイメライに劣っていたとしても、その膂力りょりょくだけを見たならば、圧倒的な差を持っているのである! 敵が全力排除を求めている以上、生身で触れれば、それだけで身体がひしゃげてもおかしくない!


「左っ! …右に、真上からもっ!?」
 巨大な腕は避けるだけでも大きな動きを要する。ジャンプで避ければ空中で捕まってしまうから、大きくステップして避けるしかない! とにかく走って転がって、それでやっと全てを回避する。カノーネから絶えずかけられている能力アップのサポート魔法がなければ、とっくに倒されているだろう。


「……クローゼちゃん、待ってて! すぐに片付けて、迎えにいくからね!」
 そして間髪入れずに駆け出し、カプトゲイエンへの一撃を加えるアネラス。もう負けない。その想いは誰よりも高く、誰よりも強い響きとなって巨神の体を打ち据えた───。





◆ BGM:SC「ハーメル」(SCサントラ・20)






 午後18:10 エルベ周遊道───

「始まりやがったな…。」
 ナイアルは腕時計に視線を向けて時刻を確認する。ちょうど18:10。グランセル、そしてリベールの命運を賭けた決戦が再開されたという事を改めて知る。

 今、彼らがいるのは、グランセル東区からのエルベ周遊道へと抜ける道無き抜け道である。
 誰も知らないこの道は、以前、情報部クーデターにおいて、ナイアルがエルベ離宮へと取材に出かける際に用意しておいた、とっておきだった。
 道というにはあまりにも雑で、繁茂はんもする木々が衣服にすれるくらいは当然。獣すら遠慮するような小道である。

 クローゼを連れている以上、グランセルの正面からは目立ち過ぎて出られない。そう思ったナイアルが、得意顔で彼女らを引き連れて入ったのだが……。

「せんぱ〜い、これ、道じゃないですよぅ〜。」
「うるせえ! いいから黙ってキリキリ歩け。あっちじゃ目立つ、ここしか通れねえんだから。」
「ふ〜え〜。」


 先頭から大口を叩いたナイアルではあったが、正直、彼自身もあまりの酷さに閉口していた。前回来た時は秋口だったせいか、これほど木々が活気ついておらずに楽できた。まさか、春先というだけで、これほど歩きにくくなっていようとは……。
 今更、泣き言を言うのはプライドが許さない。…そんなどうでもいい誓いを胸に秘めて、木屑、クモの巣を一身に受けて進むナイアル。そして少しだけ楽をしてドロシーが続く。

 最後尾にはジョセフィーヌを抱いたクローゼが続いていた。前の二人が道を開いて歩き易くしてくれたおかげで、彼女は何も気にする事無く歩けてはいたのだが、それゆえに、うつむき、影を落とすおびえた表情を取り戻す事もなかった。

 ナイアルも、ドロシーも彼女の事は気にかけてはいたのだが、それを口に出す勇気が無い。何か言う事で解決できるようなものであれば、きっと先ほど、アネラスと話していた時に解決していただろう。でも、それでも無理だったのだから、自分達が口を挟めるわけはない。
 二人共、彼女の力になれない事が悔しかった。励ましさえ重荷になるのではないかと思うと、何かを言う事もはばかられた。ただ、安全を確保するために歩くしかなかったのだ。

 やがて、道の終りが見えた。
 その先は周遊道の一角、行き止まりであり、休憩所にもなっている「翠耀石すいきせきの石碑」が建てられた場所へと辿たどりつく。


「はぁ、やっと抜けたぜ。ったく…、一張羅いっちょうらが台無しだ。」
 これが取材となれば、とことん元気なナイアルではあるが、こういった純然たる肉体労働になると途端に気力が下がる。自分で案内しておいてナンだが、通るんじゃなかったと激しく後悔していた。

 少し高い段差になっているため、一度降りると戻れない、という道でもあるのだが、結果的に誰にも見つかる事無くクローゼをエルベ離宮まで届けられそうだという事実だけが、ナイアルのくじけそうな心を保っていた。 きっと、そうでもなければ、今ごろ自己嫌悪で立ち直れなかっただろう。
 身軽に段差を降りたナイアルは、続いてくるドロシー、クローゼへと手を貸し、全員を無事に周遊道へと降り立たせた。

「ここならもう、誰も見てやしないだろうぜ。姫さんよ、もうすぐだから頑張ってくれな。」
「……はい…。」
 もう、心には何も残っていないクローゼが、糸の切れた人形のように立っていた。少ない言葉で返事をしただけで、そこに意志が含まれているとは思えない返答。ナイアルもドロシーも、何かを期待していたわけではなかったのだが、あまりにも違う彼女を見ている事が辛かった。




 ───その瞬間、大気が震えた。


 地響きと共に伝わる轟音、巨大なモノがかなでる駆動音が離れたこの場所にも届いてくる。全員がグランセルの方へと視線を向けた。見えるはずもない離れたあの街並みをうれい、ただ、視線を送る。


「ナイアルせんぱい…。」
 ドロシーが珍しく元気なく、情けない顔でこちらを見ていた。何も言わなくとも言いたい事はわかる。グランセル市街で奮戦する人々や、この先に待つリベールの運命など、大きな不安感が彼女を苦しめているのである。
 クローゼだけではない。ドロシーだけでもない。誰だって不安なのだ。自分だって足が震えているのがわかる。しかし、今の自分はそれを表に出す事なんて出来ない。不安を抱えた2人のお姫様、それに子犬をエルベ離宮に送り届けなければならないからだ。


「心配すんなって。必ず勝ってくれるだろうぜ。それより俺達も急ぐとするか。取材できないのは悔しいが、…まあ、後で独占させてもらうさ。」
 ……そういう強がりを口にしたものの、火の点いていないタバコをくわえた口元には、震えと共に悔しさが同居していた。
 今回の戦いは、軍は軍だけの力でなく、市民の力を借りて敵を倒そうとしていた。自分は記者だから取材はしたいとは思う。しかし、記者である前に同じリベールに住む者として、力を貸したかった。


 これはリベルアーク事件の時にも感じていた事だ。近くにいながら手を貸すこともできず、ただ取材だけをしている自分が、やるせない気持ちになる事もあった。でも、あいつらに力を貸すにしてもその差は歴然。何もやれる事もなく、墜落したアルセイユの修理をほんの少しだけ地道に手伝うだけに留まった。きっとアイツらがなんとかしてくれるから、…そう……思えて、手を貸す事が躊躇ためらわれた。


 でも、今回はそうじゃない。心強いアイツらはここにいないのだ。
 どんな小さな事でも出来る事があって、誰一人の例外なく、皆が力をあわせている。一人でも多くの力が必要だった。


 送り届けたら……俺はどうすればいい? 送り届ける事が今の俺の役割だ。だけど、それが済んだら…。
 思い悩むナイアル、そして残りの2人。それぞれが何も話すことはなく、己の葛藤かっとうさいなまれる中、誰一人として口を開く事なくエルベ離宮への道を進んでいく……。




 その道すがら、奇妙なモノを見つけた。


 人が倒れている。
 年恰好からして青年らしいが、遠目で見てもわかるほど、体の隅々までボロボロになって倒れていた。


「あ…、あれ…は………。」
 人影に気がついたクローゼはいち早くその正体を知った。駆け出す彼女に続く形でナイアル、ドロシーが後についてくる。まだ距離があるため誰かはわからないが……ナイアルには、そこに倒れる彼が遊撃士の格好をしている事に気がついた。

「あれ、こいつ……確か……。」
 近寄って顔を覗きこんでみると、遊撃士であるのは間違いない。確かルーアン市で働いていた……名前が……。
「メルツさん! メルツさん! しっかりしてください!!」
 クローゼの声でようやく思い出した。ルーアンで準遊撃士をしていた青年、メルツだ。ルーアンに居るはずのこいつが…、なんでまた、こんな所でボロボロになって倒れているのだろう?


 服装や装備はよく目にするもので、多くの遊撃士が装備している要所を守るアーマーである。しかし無残にもその肩の部分は何か鋭利な歯型のようなもので砕かれており、手にも足にも歯型がある。そして細かい傷が全身に刻まれていた。

「すか〜〜……ふしゅるるる……すか〜……ふしゅるるるる……。」
 しかし、見た目はボロボロになっているようだが、致命傷のようなものは見られない。それにこの幸せそうな寝顔を見れば、敵と戦って疲れ果てたから寝た、という状況だと思えた。……周遊道警備隊が魔獣駆除をしているとはいえ、まだまだ多くが徘徊はいかいするここで、しかも道の真ん中で寝るなど…、いい度胸である。


「メルツさんっ!」
「んにゃ? ……わぁぁ! カ、カルナさん、ごめんなさいっす!」
 クローゼの何度かの呼びかけでようやく目を覚ましたメルツは、いきなり飛び起きると、正座した上で三つ指そろえた完璧な土下座をする。仕事中に熟睡してごめんなさいっ!…というまなこをクローゼへと向け……ようやく気がついた。

「あれ?! なんだー、ジェニス学園のクローゼさんじゃないっすか! こんな所で何してるっすか?」
 起き立てに地元の顔なじみに出会ったメルツは、いつもの調子でクローゼに声を掛けた。全員からの気の抜けたような溜息が、安堵となって吐き出される。


「良かった…。ご無事でしたね。それよりも、どうされたんですか? 何かと戦ったように見えますけど。」
 メルツはその問いかけに思い出した様に全身を見た。鎧も剣もボロボロで、激戦を終えた後という事を思い出す。そして、そもそもナゼ、あれと戦ったのかを全部思い出した。

「ああ! そうっす! 子犬がワニシャークに襲われそうだったから戦ったっすよ! ……そしたらなぜか、犬にお尻を噛まれて……、悲しみに暮れていたらワニシャークがさらにもう1匹増えて……。ん〜、このボクが本当にあんな獰猛どうもうなのを倒したんだっけ??」

 メルツは思い出したように、ずっと握りしめていた左手を開いた。そして、そこにある七耀石セプチウムを眺める。まだ信じられない、という顔ではあるが、それはじわじわと笑顔になっていく。その輝きはワニシャークを倒した事が夢ではないという、勝利の証であったのだ。
 こんな時だというのに、その何の憂いもない笑顔に皆が少しだけ心を軽くする。ただ、クローゼはその犬というのに心当たりがあった。心当たりも何も……いままだ胸で怯えたままのジョセフィーヌなのではないか、と視線を下げる。

「───あっ! その犬!!」
 メルツはクローゼが抱いているそれを見て驚いた。丸いだんごのようになってはいるが、見間違えるわけもない。ワニシャークに襲われていたあの子犬である。
「ああ〜、良かったっす〜。無事だったんですねー。」
 心底嬉しそうに脱力するメルツ。どうやらジョセフィーヌがお世話になったおかげで、メルツは戦ったのだと推測がついた。同時に、メルツがこの子の為に戦ってくれた事が嬉しかった。


「あの…メルツさん。うちの子がお世話になったみたいで…。本当にありがとうございました。」
 いつものような覇気は何処にもなかったけれど、それでも素直に礼を述べるクローゼ。ルーアンでも何度か顔を合わせた事があるクローゼを知るメルツは、いつもと違う表情の彼女に少しだけ戸惑ったものの、それでもやっぱり照れたように答えた。

「いやぁ、ボクはただ無我夢中だっただけっす。……だってほら、目の前で誰かが危険な目に遭ってたら、飛び込んじゃうじゃないですか。」

「…………───え?」

 なぜか、意表を突かれたように、クローゼは動きを止めてその言葉を聞いた。


 今何を言われたのかを一瞬忘れてしまい、もう一度思い出してみる。なんだろう? 何が自分を戸惑わせたのだろう? 特別な事を……言われただろうか? 彼女はなぜか言葉を出せず、そのまま放心していた。
 メルツも別に普段どおりで、思っていた事を言っただけだから、クローゼの反応が妙だったので思わず聞き返してみる。


「あれ? なんかおかしかったっすか? だってボクは遊撃士だし…、剣が使えて、アーツも使えるし……。普通の、力がない一般の人よりも戦えるんだから、目の前で困っている人がいたら飛び込んじゃうでしょ。」
「……そう………ですよね……。」
「まあ、ワニシャーク2匹はめちゃめちゃキツかったんすけどね、頑張ったっす。」
 クローゼは、ほんの少しだけ、何か大切な事を聞いたような気がした。……何か忘れていた事があったように思った。だけど、それは言葉にならなくて、どこかで言葉にする事が怖くて、さらにメルツに答えを求めた。


「あの……メルツさん…。ひとつ…、聞いていいですか?」
「え、ああ、いいっす……。なんでもいいっすよ??」
 怯えた表情のままのクローゼを真正面で捕らえ、メルツはやはり彼女が普段のものではないと感じた。彼はまだ準遊撃士ではあるが、それでもいくつもの依頼をこなしている。
 アネラスと同様であったように、遊撃士はそういった相手への配慮が何よりも必要な仕事である。それにもちろん、見知った相手の様子がおかしいともなれば、心配にもなる。彼女はきっと、今何かを悩んでいるのだと思った。
 だから、それで彼女が何かを得られるなら、なんでも答えてあげよう、と思った。


「怖くは……なかったですか? 敵に向かっていく時、勝てないかもしれない相手だって思いませんでしたか?」

 押し殺した声で、怯えたままで、どうしても聞きたい事を素直に聞いてみる。だって負けてしまったら何も救えないから。全てが終ってしまうから。自分が至らないばかりに誰も救えない事になるから。……だから、その答えを、本当は知っているはずの答えを、聞きたかった。

 そう問われたメルツは、逆に自分が呆けてしまった。そして……そんな質問か、と拍子抜けして笑いを漏らす。どんなに難しい質問かと思ったら、それは彼にとってはなんでもない、当たり前の事だった。


「いやぁ、飛び込んだ時って言われても……考えてないっす。だって、飛び込まなかったら助けられないから、考えたって仕方ないんじゃないかなーって思うんすけどねー。」
「自分の…自分の力が足りなくて、助けられないかもしれないじゃないですか? それが怖くないんですか?」
「へ? ああ、はぁ…、まあ…。」
 いつの間にか必死の表情で訴えてくるクローゼの勢いに少々驚いたものの……。正座していたのを思い出し、疲れた体を剣で支えながら立ち上がり、ほこりを払いながら答えた。


「う〜ん……考えるっていうか〜…。まあ、負けなきゃいいっす。やばいと思ったら気合でカバー! 負けたらどうとか考える前にありったけの気合で頑張るっす! ……そしたら、ほらっ!」
 メルツが左手の七耀石セプチウムを見せた。その勝利の証は答えを持っていた。頑張ったから勝てた、子犬のために無心で挑んだからこそ、いま彼の手の中で輝いている。


 そんな事を疑いもなく、まじめな顔をして答える彼の顔はとても爽やかだった。それに間違いない、と確信を抱いている彼の瞳は穏やかで、それでいて絶対に負けないという気持ちが……大きな自信となっている支えているようにも見える。

 クローゼの心は闇に沈み、一筋の光も射さぬ奥底に飲まれている。
 でも、そんな彼女でも心に響く言葉があった。それは……。




「あぁ! ナイアル先輩! クローゼちゃん! あれ見てください! あれあれっ!」
 突然、ドロシーが悲鳴にも似た声を上げた。その指差す先へと一斉に視線を巡らせる一行。そこは周遊道の分岐点ともなる街道の中心である。


「なんだ…ありゃあっ?! ……人形兵器か!」

 ナイアルが驚愕の表情でその正体を示した。そう、人形兵器だ。しかも群れを成した大部隊である。そして様々な形状のそれは全て見た事がある機種だった。

 ヴァレリア湖畔こはんの基地に徘徊はいかいしていたもの、グロリアス内部に配備されていたもの、学園襲撃でのもの、グランセルを襲撃したもの、執行者に付き従っていたもの……。
 ワイスマン教授が絡んだ事件において使われた、全ての機種が場所を問わず、無造作な編成のままで進軍している。ざっと見ただけでも100機以上が集結しているようだ。
 人間兵の姿は見えないものの、人形兵器がそれだけの群れを成せば、十分以上の脅威である事は間違いない。しかも、その進軍する方向は間違いなくグランセルへと向いている!



「お…おい! やべえぞ! 奴ら、グランセルを襲撃するつもりだ! 今の王都はあいつらを相手にしている余裕がねぇ!」
 この場の者達は知りえない事であったが、カンパネルラが準備していたのは大量の人形兵器部隊であった。しかもそれはグランセルの襲撃だけではない。


 リベール全ての都市への同時攻撃である!






◆ BGM:FC「虚ろなる光の封士」(FCサントラ・15)






 午後18:11 レイストン要塞───


「報告します! リベール各地に機械人形部隊出現っ! 各関所にも同様の襲撃が行われています!!」


同時刻 商業都市ボース───。
 人形兵器部隊襲来。……遊撃士スティング、グラッツによる迎撃を開始!

同時刻 海港都市ルーアン───。
 人形兵器部隊襲来。……遊撃士カルナ、他青年3名の有志による迎撃を開始!

同時刻 工房都市ツァイス───。
 人形兵器部隊襲来。遊撃士グンドルフ、ウォン、他技術者達の有志による迎撃を開始!

同時刻 地方都市ロレント───。
 人形兵器部隊襲来。遊撃士リッジのみで迎撃を開始。しかし彼は負傷している模様!

同時刻 王都グランセル───。
 巨大人形兵器、及び人形兵器部隊襲来!! 王都駐在軍による迎撃を再開!



 リベール各地に機械人形部隊出現する! しかも各関所からの応援は望めず、手薄な場所へも容赦なく攻撃が開始された。
 しかし、各地への支援が出せない理由があった。攻撃の拠点であり、リベール最大の戦力を保有するレイストン要塞は、かつてない程の規模での戦闘を仕掛けられていたのである!


 正面ゲートに押し寄せる人形兵器の大群、その数およそ500体! それらは自己の体が壊れる事などまったく気にもせず、中には爆薬を抱えて体当たりしてくる機種までいる。しかもそれらが爆発を起しても尚、関係なしに侵攻の手を加えてくるのだ。

 一人の人間兵も使われず、しかも疲れを知らない特攻に、防衛する兵士達は戸惑いを隠せないでいる。これまでの戦術がまるで通用しない事に焦りを覚えている。
 各都市の現状報告が終る寸前、他の兵士が飛び込んできた! 全力疾走で報告に来たのだろう、兵士は血相を変えて報告する。



「シード中佐!! こ、今度は敵人形兵器部隊が空から進入! 迎撃が追いつかず、なおも降下中です! その数300体を越えています!!」
 レイストン要塞の司令室へと飛び込んできた兵士は、混乱しかけた思考をなんとか保って報告する。それを受けるのはこの要塞の指揮官、シードである。彼は渋面でそれに応じる。


「落ち着け、まだ襲撃より1時間も経過していない! それにたかが壁面に500、上空に300だ。その程度でこのレイストンが陥落する事はない!」
「そ、それがっ! 敵の中にあの【トロイメライ=ドラギオン】が紛れています! 目視により10体の飛来を確認! 飛空挺がすでに4機落とされました! 他機種との戦力が圧倒的に違うため対処しきれない状況です!」

 シードは目を見開いてその事実を受け入れる。それは《身喰らう蛇》の現時点最新鋭機であり、リベルアーク中心塔のアクシスピラーを守護したという強力な機体である。資料でしか目にした事はないが、その能力は他の機種と段違いの性能を持っている。恐るべき戦力といえるだろう。

 それが10機も紛れているという事になると話が違ってくる。容易に破壊できるものではない、かなりの苦戦を強いられるだろう。しかし時間は掛かるだろうが、打ち払えない戦力ではない。
 だが、今はその時間が惜しかった。1分、1秒を争い、各地へと戦力を送りこまなければならない時である。

「───各都市との定時連絡はどうなっている!?」
「はっ! 各地とも苦戦している模様です! 特にロレントは敵40機以上の戦力規模に対して、戦力がわずかに一人!! 最新の報告では負傷したとの連絡が───」

「ロレントか……わかった。とにかく今はトロイメライの各個迎撃! 攻撃を集中して確実に1機づつ仕留めるんだ。怯える事はない。勝てる相手だ!」


 1時間前、17:00過ぎより開始された敵の襲撃により、音信不通となったグランセルへの増援を出す事もままならなかった。
「くっ…。まずいぞ……。このままでは各都市が…。」
 焦燥を掻き立てられるシード中佐。しかしこの状況で増援を出せるものではない。今はただ、最速の撃退と、各都市の奮戦を期待するしかなかった。

 そこへさらにもう一人の兵士が飛び込んでくる!
 彼はこれまでの誰よりも混乱した様子で、勢いで止まれず、入り口に激しく体をぶつけてもなお、それを気にかける様子もない程に凄まじい形相でシードの元へと走り込んできた。


「ほ、報告します! マノリア村がっ! マノリア村が攻撃を受けています!! 同様にラヴェンヌ村、エルモ村にも人形兵器が襲来! 駐留ちゅうりゅうする部隊も戦力もなく、防衛の手段がありません!!」

「なんだとっ!! まさか……、まさか奴らは……無抵抗な村までも…焼き尽くそうというの…かっ! 《身喰らう蛇》め……!」


 このレイストン要塞と各地の連絡網は様々な襲撃を教訓としてこれまで以上に強化されている。非常事態に直面すれば、ここを拠点として各地に部隊を派遣できる手はずになっていた。もちろんそのための訓練にも余念がなかった。
 しかし、敵はまずここを抑える事で、各地への増援を断ったのだ。しかも、各地への同時攻撃を行う事で、都市間での連携さえも分断した。ここまでされては手の打ちようがない! 各都市、各村に部隊を駐留させる制度を設けていないリベールでは、どうしようもなく避けられない事態だったのである。

 誰が、リベール全土への同時攻撃を考えるというのだろうか? 1000以上にも及ぶ人形兵器を投入して攻撃を行うなど考えるというのか?


 守れない。どうやっても間に合わない事は、明々白々の事実である。


 それでも、それでもシードは、この事態を、これほど大規模な攻撃を仕掛けてくるという事を予測できなかった自分への憤りと、敵に対する容赦ない怒りに震えていた。


「こんな時に……カシウスさんが居ない時に……」
 英雄がいないリベール。それだけのもろさを抱えたこの国が、無差別攻撃を受けている。もはや救いの手はなく、誰かが救ってくれる奇跡もない。




 時間だけが無常にも流れていく。
 全ての危機に止まる事なく、空に浮かぶ太陽が沈むと共に、絶望の闇がこの地を覆い尽くす。

 執行者カンパネルラによって引き起こされた一連の事象は、”英雄のいない物語”として終わりを迎えつつある。守り手のいないリベールは、引き返す事の許されない終極への道を歩き初めてしまったのだ。



 願わくば───空の女神エイドスの加護、あらんことを───。









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