嗚呼、ジョセフィーヌはいまいずこ

L Fight with Assailant
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BGM:FC「奪還」(FCサントラ2・13)





 午後18:12 エルベ周遊道───

 かげりゆく日差しは萌える草花を赤く染め上げ、太陽はその身の大半を大地のかごに沈めようとしていた。
 黄金の光が赤へ…。18:00を過ぎ、暮れていくだけとなったリベールは、これより暗黒たる闇の世界へと変わっていく。

 まだ微かに残る夕日が周遊道の4人へと降り注ぐ。その紅は、メルツ、ナイアル、ドロシー、…そしてクローゼのほおを均一に照らし、それぞれに切迫した事態だという事を突きつけ、責め立てる。遠目に見えるのは100を越える人形兵器オーバーマペットの群れ。それがグランセルへと向き、ゆっくりと、しかし着実に歩みを進めている。このまま放置すれば、間違いなくグランセル駐在部隊ははさみ撃ちを受ける事になるだろう。

 今、あの大いなる巨神、トロイメライ=カプトゲイエンとの戦いに全精力を注いでいるリベールの戦士達にとって、あれらを撃退できる余力があるとは、とても思えなかった。



「それじゃあ、ボクは行ってくるっす!」
 誰もが判断力を鈍らせている中で、彼、メルツはそう告げた。まるで隣の家にでもお使いに行くかのように。
 右手を腰にたずさえた剣の柄に、左手に握られていた七耀石セプチウムをズボンにしまい、胸元の戦術オーブメントを確認し、握り締めると、彼は迷う事無く走り出した。


「───ま、待ちやがれっ! お前、何する気だ!?」
 声を荒立てて吠えるナイアルは、メルツへ向かって”待った”をかけた。
 それも当然だろう。どう見ても人形兵器部隊に突撃しようとしているようにしか見えない。この状況で剣を握り敵へ向かうという事は、それ以外に考えられない事だ。
 メルツはその呼び声に振り向くと、いかにも不思議そうな顔をした。


「何って……、あれをやっつけないと、グランセルが大変じゃないっすか。」
 メルツはまたも、なんでもない事のように答える。それの何が違うのか、と逆に聞きたそうに顔をかしげて戸惑っている。そんな態度の青年に、ナイアルはさらに口調を強めて迫った。


「んなこたぁ見ればわかる! お前一人で行ってどうするんだってんだよ! あんなにいるんだぞ? 誰が勝てるってんだ! しかもそんなボロボロになってるくせに、他の心配する余裕なんかねぇだろうが! ……死ぬぞ、お前!!」
 メルツは自分の服装を改めて眺める。確かに、ワニシャークと戦いで、どこもかしこもボロボロだった。剣は刃こぼれし、鎧の大部分は噛み砕かれている。服だってそこらじゅう切れているし、寝ていたとはいえ、体力だって完全ではないだろう。そんな状態で、見渡す限りの人形兵器部隊と戦えばどうなるか? そんな事は考えなくたって分かる。討ち死にするのが関の山だ。


「いやぁ…、死ぬ気はないっすけど〜……、でもやっぱり行かないとマズイと思うし…。たぶん、そのうち誰かが気がついて、応援に来てくれそうだから、なんとかなるかな〜と思うし…。」

 そもそも、今のメルツには理屈など存在しなかった。勝利への根拠や、戦いの行く末など考えてもいない。ただ、あれは阻止しなくちゃいけない。それだけしか頭にはなかったのだ。危険かもしれないけど、いまこの場であれに気がついて、阻止できるのは自分だけだから…、だったら行くしかない。彼にとって、それは考える必要もない事。理屈なんか必要がなかったのだ。

 若い遊撃士である彼は努力する事しか頭にない。打算というものが少しもなかった。人に言わせれば無鉄砲もいいところだろうし、現実を知らない甘ちゃんの考え方ではあるのだが……、それゆえに純粋に正しい。


「無茶な気もしますけど、だけどボクは遊撃士っす。誰かが危ないって思ったら、頑張らないといけないっす! ……でしょ?」
 ナイアル、ドロシー、そしてクローゼに向けられたのはさわやかな笑顔。迷いも恐れもない笑顔。ただ、自身がしなければならない事を分かっている。もっと着実なやり方はあるのかもしれない。…けれど、今はこれが最善だと思っている。
 普通であれば、こんな状況下を目の前にしてしまえば、様々な理由や理屈が次々と浮かんで来て、戸惑い、躊躇ちゅうちょし、なかなか言い出せない事だろう。しかし彼は引かなかった。それが当然の事だと飛び込んでいくのだ。


「そういうわけで、エルベ離宮の方に応援を頼んでおいて欲しいっす〜〜!」
「お、おいっ!」
 ナイアルの静止も聞かず元気に駆けていくメルツ。純粋を抱いたまま走るその背中は、あまりにも無謀で、愚かで、頼りない。どう考えても馬鹿のする事である。勝てるわけがないのだ。あれらはワニシャークよりもずっと凶悪で、途方もない力を持っている。
 よしんば、体力が全快であったとしても勝てる見込みはゼロ。彼はまだ準遊撃士の実力しか持ち合わせていない。あのワニシャークを2匹相手にして一人で勝てただけでも十分に頑張ったといえるくらいだ。

 もちろん、メルツだって討ち死にする程、愚かではないのだろう。きっと、ギリギリまで頑張って逃げよう、と頭では考えているのかもしれない。でも、逃げる事にも相応の実力が必要だ、とか、そういった細かい事も絶対にあるはずなのに深く考えてない。彼にとってみれば、全て気合でカバーなのだ。


 ナイアルがそう判断したように、人は危機を感じれば、理屈を考える事で動けなくなる。……しかし、それは当然の事なのだ。命の危機がある場所へ、自ら飛び込める人間はそう多くない。一般的にそういった行為を無謀と呼ぶ。
 だが、その無謀な戦いを強いなければ、グランセルは救えないのも事実なのである。



「くそっ! あいつ…馬鹿か?! なんて馬鹿だ! くそっ、くそ!!」
 ナイアルは鉄砲弾のように飛び出していくメルツをののしるように、自身のひざを何度となく拳で叩いた。いくら無謀であっても、メルツのとった行動が他に選択肢のない事だったのだとわかる。そういう理屈も理解している。今あの敵部隊をグランセルに入れるわけにはいかないからだ。だからこそ、理屈にまみれて突撃する彼を止められなかった自分が悔しい。



「仕方ねえ、仕方ねぇなっ! ちくしょう!───おい、ドロシー!!」
「へ? ふ、ふぁい!」
 メルツの行動に呆気あっけに取られていた彼女は、いきなり呼ばれて裏返った声で答えた。いつも見ている気の抜けた先輩の顔を見て心臓が跳ね上がる。今の彼は、いつものように事件を追う真剣な顔と違うすごみを持っていた。

「お前、エルベ離宮への道はわかるな? じゃあよく聞け、姫さんを連れてエルベ離宮へ走れ。他にも人形兵器が居たら、走ってやりすごすんだ。とにかく逃げて捕まるな! 出来るな?」
「え──…。」
 それってどういう事だろう? いまこの目の前の先輩は、何をしようと言うのだろうか?


「俺は、あいつを助けに行く。」
 いままでのどれよりも真剣な顔、決意を固めたような顔。でも、怯えている顔…。ドロシーはその言葉を耳にして、その意味が理解できずにいた。あまりにも簡単なその意味を反芻はんすうする事で、やっとその身を震わせる。


「そ、そんなの…嫌ですよぅ〜、ナイアル先輩も一緒に逃げましょうよ〜。」
 先輩がいなくなる。いつも一緒にいる、一番身近な人がいなくなる。なんだかんだとコンビを組んで共に事件を追っていた彼が危険な事をしようとしている。とてもタバコ臭いし、頼りない事もあるけど、もっと頼りない自分を記者として指導してくれた人。


 その彼がいなくなる。一番”日常”を感じさせてくれた人がいなくなる。
 それが彼女にとって、どんなに心細い事か……。

 好きだとか、嫌いだとか、そういう感情ではないとは思うのだけど、それでも今は、頼るべき人が居なくなるという不安がドロシーに降りかかっていた。


「くそっ! 俺だって怖ええよ! 白状すりゃあ足が震えて止まんねえよ! だけどな、あの兄ちゃんを一人にしたら死んじまうだろ! 逃げる前に殺されちまうだろ!? 誰か助けてやらなくちゃいけないだろがっ!」
 ナイアルだって死にたくはない。怖くてたまらない。しかし、このまま見過ごすわけにもいかなかった。そこまで臆病おくびょう者になって逃げてしまう事などできなかった。卑怯ひきょう者にはなりたくなかった。


 なによりも、見殺しになど、できるはずもなかったのだ。


 しかし、それで納得できるドロシーではない。自分への不安、そして彼が無茶をする不安がどうしようもなく心を襲い、いつものように軽口で答える事もできない。


「でも、でもですね、先輩が男だからとか助けに行かなくちゃならないとか、私が女だからとか、そういうのは……だ、男女差別ですよー。だから……。」
 だから行かないで。そう言い出そうとするドロシー。それが苦し紛れの一言だというのはわかっていた。咄嗟とっさに出た言葉だけど、もしかしたら思いとどまってくれればという、少しだけの期待が込められている。
 こんなに不安そうにしている彼女を見たことが無いナイアルは、これをどう扱っていいのかと悩んだが、少しだけ困ったような顔をして、ボリボリと頭をくと、彼女の頭を撫でるように手を置いた。



「いいかドロシー、勘違いすんなよ。俺達はコンビを組んでるよな?」
「はい…。」

「なら、これは役割分担だ。俺があの兄ちゃんを助ける。お前は姫さんをエルベ離宮まで送り届けるんだ。適材適所、……そして取材は迅速かつ冷静に行うべし。教えただろ? だから俺達はそれぞれの役割を全力で果たすんだ。迅速に動け、わかったな?」
 普段と同じように少しだけ口の端を上げ、笑みを浮かべたナイアル。……それを見れば、いかにドロシーといえども従わざるを得なかった。彼は、自分の甘えなんかよりもずっと強い覚悟をしていると判るからだ。


 そして彼は、くわえていた火の点いていないタバコを携帯灰皿に押し込むと、一人、何かを想い悩んでいるような瞳を向けるクローゼへと言葉を送った。


「……なあ、姫さんよ。あんたは確かに戦う力を持ってる。でも、今回休んでろよ。戦えなんて無理強いしねぇよ。今は自分の身の安全だけを考えてりゃいい。」
「ナイアルさん! わ、たし…は……っ!」
 彼女はその自身の悩みの正体を知っている。その明確な答えが出ていないだけで、彼女の心は急き立てられるように何かを望んでいた。このままでいいわけはないから、このままではいけないと思うから。



「俺はな、取材で王家の事を知るうちに……思ったんだよ。この人達なら俺達のリベールを任せていい。どんな時も……例え、リベールに何かがあっても、女王陛下やあんたが居てくれれば安心だ。」
 真っ直ぐに向けられた彼の視線は優しく、少しもクローゼを責める様なものではなかった。心から伝えたいその言葉。思ったそのままを口にしていた。

「あんたには”これからのリベール”を任せたいと思う。……だがよ、俺達も、リベールに住む奴らも、任せっぱなしじゃいけないと思うんだ。…女王だって一人の人間だ。疲れを知らない神でもなけりゃ、特別な存在でもねぇ。どうしたって無理な時ぐらいあるだろうよ。そこまで無理させてまで頑張れなんて、俺は出来ないからよ。他人にもやれとは言えねえさ。」


「だから今回は、他の奴らに任せておけ。王女だからって一人で全部を背負い込むな。あんたはただのリーダーだ。仲間達がフォローするのは当然だろ? あの遊撃士の……アネラスだったな。あいつの言ってたようにな、無理なら休めばいいのさ。」
 クローゼの頬に、また涙が流れた。悲しみでない、また別の熱い涙が。


 ……みんなが同じように言ってくれる。休んでくれ、と自分を助けてくれる。誰もが自分の事を大切にしてくれているのだと知れば、それがどれだけ幸せな事であるかを感じずにはいられない。そして、そんな言葉に甘んじているだけの自分が、どうしようもなく惨めで、みっともないと思えた。


「よし、行くか! ドロシー、あとは頼んだぞ! 姫さんとその犬っころを無事に届けろよ!」
「あ…、ナイアル先輩! 待っ───」
 ドロシーの消え入りそうな声を残して…、ナイアルはメルツを追って全速力で駆けて行く。
 絶対に後ろは振りかえらない。振り返っちゃいけない。……振りかえれば、ドロシーがまた止めるし、自分も逃げたくなるかもしれない。


 彼は走りながら、自身の役割を思い描く。


 自分が戦力にならないのは十分に承知している。でも、もしかしたら倒れたメルツを逃がす事ができるかもしれない。それだけ出来れば上等だ。自分は英雄のような凄い人物ではないし、それどころか何も出来ない小市民だ。
 怖いに決まっている。死にに行くようなものだと震えが止らない。……でも、これでリベルアークの時のような、惨めな思いはしなくてもいい。薄っぺらい罪悪感にさいなまれる事もない。俺は───今、かなり馬鹿野郎だが……、それでもこの足を止めたりはしない。

 命を投げ出すのではない。命を救うために走る彼は……、先に駆けるメルツの背をその目にとらえた。





◆ BGM:SC「Fight with Assailant」(SCサントラ1・04)






 暗闇を照らし、輝きを放つのは赤の剣。───その名を”おいしいカレー剣”という。


 それは、とてつもなく変な名前ではあったが、今、実際にそれを振るっているアネラスにとっては、想像以上の強さをもたらす最高のパートナーと言えた。どれだけ全力で打ち込んでも折れず、曲がらず、砕けないその硬度は有り難い事この上ない。まるで、この戦いにこの剣が参加し、この手に握られているのは、定められた運命だったとでもいうような……なんとも不思議なえにしである。

 刃を持たないそれは、振るうごとに剣閃がおびとなって夕闇を裂き、巨体に衝撃を与えていく。



 退しりぞけるべき敵、トロイメライ=カプトゲイエンは、中空を自在に飛び回る2本の腕、金属のかたまりを別個の生物のように操り、眼前の彼女へと迫り来る。
 その先端に、土をき出しすくう事に適した掘削くっさく用パワーショベルを装備した右の腕、それが地面すれすれを高速で向かってくる! そして左腕である掘削用ドリルが装備されたもう一本は真上から、人体など一瞬で砕いてしまう程、極悪な凶器と化したドリルを高速回転させて狙ってくる。

 さらに───、本体から伸びるのは機械的な4本の指を持つ二対の腕。あまりに無骨な金属の指が左右を封じるために襲い来る!!


 四方を囲まれる形で攻撃を向けられたアネラスは、攻撃を中断し、咄嗟とっさの判断で後ろへ! 能力強化された力で大きくバックステップで避けるが、ただ一つ、ショベルを宿した腕だけは避けきれない事をさとった。



「避けきれないっ! でも──っ!」
 しかしアネラスはそれを恐れない、それどころかその場に踏みとどまり、覚悟を決めて腕へと走りこんだ!

 激突。岩盤をも砕く掘削に適したショベルは、今、人を傷つける恐るべき凶器となって彼女の細い体へと吸い込まれるように大打撃を与える! ……が、接触の直前、彼女の目の前で一瞬だけ光が輝いた。猛烈な勢いで当ったはずの破壊の一撃は、その光に威力を殺されていたのだ。

 駆動魔法アースガード。

 全ての外部的攻撃を一瞬だけ相殺そうさいし、無力化する魔法。不可視の壁に守られている事を知っている彼女は、攻撃を受けない事を承知で、逆に渾身こんしんの力を込めたカウンター攻撃を与えた!
 さらに、腕の攻撃が彼女へ集中した事で、本体がガラ空きとなった今がチャンスである。攻撃を避けたその一瞬を逃さず、カプトゲイエンへと走る。


「まだまだ! こんなんじゃ甘口カレーもいいところだよっ!」
 その大半を闇に染めつつあるグランセルに激突による火花が散る。その一撃により、巨体はまた大きく揺さぶられた。疲れることも知らず、生き生きとした動きで縦横無尽に駆けるその身体は、彼女の持つ天性のしなやかさにより、敵の攻撃を気に止める事すらない。

 駆動魔法による能力の強化を受けた彼女ではあるが、実際は本当にただの補佐でしかない。戦いのセンスを引き出すための土台として機能しているに過ぎないものだ。何者をも恐れず、怯えず、心に余裕を持って挑む彼女は、笑みすら浮かべて戦っている。


 何にも縛られない自由なる戦い、それこそが彼女の力を全開へと導く瞬間。
 ───本領発揮の時であった。


 皆が作戦に全力を尽くしている最中、それに見惚れている余裕などない。しかし、たった一人だけ、彼女の後ろで魔法を使い続けるカノーネが驚いているに留まっている。これほどに自然で、自由な動きはそうそうお目にかかるものではなかったからだ。
 まるで──全力を尽くしたリシャール様を見ているよう。いや、戦い方が全然違うのだけれど、あの鬼神のごとき強さを、今また、見せ付けられているように錯覚した。

「さすがに…、注目される遊撃士とでもいうトコロかしらね。だったら私も負けていられませんわ! ───あまねく水流にいだかれし生命の鼓動こどう、命の灯火に絶えぬ活力をあわつどたまえ、身体に溜まりしおもりというかせの解放を願わん!───駆動魔法! ティア・オル!」

 り減っていく体力を全回復させる魔法ティア・オル。俗に言う回復魔法に分類されるその魔法は、疲労を感じつつあるアネラスの体に染み渡り、重くなっていく体を正常へと戻していく。


「さんきゅーです! 頑張ります!」
「感謝は勝ってからよ! 今は気にせず懸命に叩きなさい!」
「イエス・マム!」
「その呼び方、やめてちょうだい…」
 元気を取り戻したアネラスは、緊張の糸を持続させたまま、活力の限りにカプトゲイエンへと向かっていく。


 回復魔法と呼ばれる【ティア】。その系統の最高位である【ティア・オル】……。

 これらはあくまで失われた体力を上限まで回復させるため魔法で、流血を止めるものではないし、裂傷を負った体を修復するわけでも、塞ぐものでもない。どんな傷でも瞬時に癒してしまうような、言葉通りの”魔法のようなもの”など世の中には存在しない。そんな都合のいい力などあるわけがなかった。

 もし、どんな傷も瞬時に治せたとしたら、戦争で人は死なないだろうし、いまこの場で傷ついている兵士達も、包帯や薬で治療する必要などないだろう。今、広く人々に使われている駆動魔法はけっして”魔法のように便利なもの”ではない。駆動魔法とは呼ばれているが、それは導力を応用した「技術」によるものだ。万能どころか、まだまだ一部の者しか扱えないほど複雑で、欠点にまみれた未完成なものなのだった。


 それでも、戦闘という短時間に様々な結果を導く激突においては、【即時に体力を回復させる】という効果だけでも十分である。全力で動き回っているアネラスも、これをアテにしているからこそ、体力配分を気にせずに戦えるのだ。人間はどれだけ鍛えても全力で動けば疲れるし、酷使すれば大きな疲労を伴う。攻撃というものそれだけで、人は疲労していくのである。
 それを即座にいやすというだけで、このティア・オルという回復魔法がどれだけ強い魔法であるかは想像に容易たやすい。常に全力を発揮できる事の強さは、戦いを生業なりわいとする者にはあまりにも魅力的だといえよう。



 さらに渾身の一撃! その強力な打撃に、後ろへと引かれていくカプトゲイエンは大きく体勢を崩した。そして、今度こそ”傷”という明確な形で痕跡こんせきが残り、その身にきざまれる。ダメージ自体は少なくはあるが、着実に痛手を与えている。
 暮れ往く夕日が輝きのほとんどを失っていく中、不思議な事に、アネラスの体は薄く赤い光を帯びて輝いていた。サポート魔法をその身に受けている事で、発現した力がまたたいているのだ。
 もっと不思議なのは、固いだけが取得のはずの”おいしいカレー剣”もが光を放っている事。剣閃による火花が散るごとに、その輝きを増していくように強く激しくなっていく。

 まるでその輝きは、互いに呼応し合っているかのような同色の赤で、彼女の意志の強さをそのまま表しているかのようにも見える。



【 ─── 前方の攻撃対象に標準、ツインレーザーカノン充填開始します ───】



 カプトゲイエンの胸部に装備された隔壁破砕用大口径集束型レーザーカノン。その左右2門が同時に光を溜め始めた。常にエネルギーが満タンという異常な状態を保つこの機体にとって、砲撃にはは数秒の収束しゅうそく時間だけを必要とするのみ。グランセル城を貫通させる程の一撃が充填じゅうてんされていく!


「来たっ!」
 攻撃を掻い潜ったアネラスに浮かぶ余裕の表情が消え、強く引き締められた。強力なエネルギーの活性化、破壊の躍動やくどうを感じ取り、来るべき攻撃が来た事を知る。
 レーザーカノン発射の絶対阻止! そのために、これまでの激突で溜めていた闘志という力を剣に秘める。



「…じゃあこっちは、さらにスパイス追加! 大人しくしてもらうからね!」

 爆発的な光量と共に繰り出されるのは、本日3度目の奥義・光波斬。
 彼女の闘志を200%オーバーにまで溜め込んだ、正真正銘の最大破砕力。これまでで一番の威力が至近距離から──、いや、ぜろ距離から叩き込まれる!! 



 【 ─── 胸部に衝撃、砲撃による安全確認がされるまで、発射を停止します。 ───】



 いくら鉄壁の防御を誇っていても、彼女が奥義と名付けるその技を一点集中な上に、しかも零距離から受ければ、全体に被害はなくとも、砲門自体がタダでは済まない。アネラスの予想通り、敵はエネルギーの収束がうまくいかずに沈黙する。敵が機械である事を利用し、衝撃を加えて砲撃を阻止して見せたのだ!


 そしてさらに後ろへと引かれていくトロイメライ=カプトゲイエン。アネラスは自分だけでなく、みんながそれぞれの役割をこなしていく事で、本当の勝利へと向かっていると実感した。


「だからっ! 私が抑えてみせる!」
 全力の一撃、そしてまた全力の一撃! アースガードでの防御、ティアラルでの援護、カノーネから受ける様々なサポートにより、彼女は自由な戦いを魅せていく……。



 そしてその一方で、アルセイユを指揮するユリアもまた全力を尽くしていた。
 ただ巨体を牽引するだけ、という役目は言うに易しいが、人が考える以上に至難の業。そしてあまりに危険な行為だった。

「ルクス! 左に逸れないよう方向蛇をから目を離すな! 計器観測の補佐は私が努める。エコー、風速予測はどうなっている?」
「このまま南南東に微弱、2sです。誤差0.003%。予測範囲内、方向修正可能です。」
 ユリアの問いに…、観測士エコーは淡々たんたんと現状の報告した。飛行艇を操縦する者なら、その程度の風速は進路には大した影響がない事を知っている。それにより方向がずれる事も予測できるし、修正も容易たやすい。
 ……空という空間で、何か一つをあなどる者は愚か者以外の何物でもないが、実情、この程度ならば問題がない事も航空に携わる者には判る事だ。

 その中には、たかが少しの風が流れたくらいで慌てる必要はない、と思う輩もいるかもしれないが……、今のこの場においては、それが命取りとなる。たった少しの事で墜落する可能性があった。



 想像して欲しい。絶対動かない柱に、ひもをつけて全力で引っ張るとどうなるだろう?

 当然、前には進まない。いくら一方向に力を加えても、固定されているのだから進むわけがない。……だがその分、左右に振られてしまわないだろうか? 紐の範囲で左右に流されてしまわないだろうか?
 一方向への力には、それ以上の行き場がないから、左右へ逃げる事が容易くなっている。しかも、全力という”強い力”を一方向に加える事で、傾く時は急激に流れてしまうのだ。

 手で紐を引くような実験ならばすぐ正位置へと戻せるだろう。

 だが、引く側の質量が大きく、容易に戻せないとしたらどうする?
 全長42アージュの巨体、それだけの質量を持つアルセイユが急に片方に流れたらどうなる?

 しかも地表すれすれで飛んでいるともなれば、それだけで恐ろしいほどの危険が伴っているのである。墜落は作戦の失敗を意味し、搭乗者の死へと直結する問題でもある。
 だから、絶対に振られるわけにはいかないのだ。たかが微弱な風量であっても、それを完全に捕らえられなければ、墜落は免れないのである!


「くそっ! 最大出力じゃこれほど揺れるのかっ! ユリア隊長! 角度をもう少し上に揚げさせてください! このままじゃ船体を一気に持っていかれちまう!」
 操舵士のルクスが悲鳴のような叫びをあげる。実際に操っている彼にとって、これほど異常なフライトは初めてだった。推力全開で荷物の牽引けんいんなど、そんなでたらめは飛空艇のやる事ではない!
 しかも船内は大地震でも起っているかのような揺れをともなっている。それでいて、操舵を失敗するなという無茶な条件まで加えられているのだ。


 だから彼は、機体の角度を上へと向ける事で、多少の前進する力を犠牲にしてでも、安定を取るべきだと判断した。そうでもしなければ、彼の卓越した操舵技術をってしても、いつ墜落するか保障できなかったのである。



「いいや、ダメだ! 船体を上げればワイヤーの結合部に負荷を与える。このまま持たせろルクス! 泣き言は終ってからだ。」
 ユリアの容赦ようしゃない叱咤しったは、ほんの少しでも期待していた彼の希望を一刀両断にした。彼も無理だとわかっていたが、さすがにユリア隊長に泣き言は通用しない。


「通信士リオンより、操舵士ルクスへ連絡。このミッションが終ったらカレーでもおごってやる。」
 計器類のチェックに余念のない通信士のリオンは、意識を集中させたまま、そんな事をつぶやいた。そのセリフにルクスはニヤリと口元を歪める。

「…観測士エコーより、操舵士ルクスへ連絡。私はコーヒーを奢ってあげるわ。」
 続いて、エコーも横にいる彼へとつぶやく。ルクスは、どうせ彼女はそう言って、俺にはカレーを奢らせる気なんだろう、といつものように嘆息する。一筋の流れる汗を拭う事もせず、計器に目を貼り付けたまま、彼はユリアへと矛先を向けた。

「隊長、いや大尉。こういう場合、上司が部下におごりますよね? 俺達、かなり期待していますよ。なんせ大尉になりましたからね。まさかカレーはないですよね?」
 その会話を耳にしていたユリアは、少しだけ胸をなでおろした。この凄まじい状況下で、心に余裕を失わない。それは彼らの心がけして折れない、という事を意味している。彼らはそういう会話を通して、それを個々へと確認しているのだ。
 だから、自分も負けじと答えた。


「……フッ…仕方がない奴らだ。奮発して大盛りを許そう。」
 ほんの少しの笑顔がまた心に余裕を生む。例え危険にさらされていようとも、張り詰めすぎた心では何も成し遂げる事などできない。プロたる者である彼らは、それを知っている。

「よし! この速度であれば勝負はあと10分だ。我々の熟練度が、たかが10分程度に敗れてなるものか! ルクス! エコー! リオン! いくぞ!」
「「「了解!!」」」
 心の清涼剤を得た一同は、さらに集中力を増して計器を見入る。グランセルを守る一翼をになう彼らは絶対にくじける事なく、最大の力を注ぎ込んでいく。

 アルセイユの最大出力は確かに効いていた。オルグイユと共に引く推力は、あの巨体さえも動かさずにはいられない。時速4セルジュ。人が歩くのと同じか、それよりも遅いその速度で、じりじりと後退をさせていく。



 ユリアは思う。……確かに、アルセイユでの飛行訓練に惜しみなく時間を費やした。執行者カンパネルラに玩具おもちゃ遊びと言われたのは、あながち間違ってもいない事実である。しかし、玩具といわれる程に使い込み、この機体の隅々までを知る事ができた。だから今、こうして無茶なミッションにもなんとか耐えていられるのだ。

 機械とは、その能力を完全に理解する知識と、操る者の心が伴わなければ、その力を真に発揮することなど出来はしない。双方が力を合わせる事で、さらに大きな力を得る事ができるのだ。

 だから勝てる。機械だけが振るうあのカプトゲイエンよりも、人と機械が心を通じ合わせる事で力を発揮するアルセイユと自分達なら、間違いなく勝てると、ユリアは、そして彼らは確信していた。





◆ BGM:SC「荒野に潜む影」(SCサントラ1・13)






「モルガン将軍! これ以上は無茶です!」
 オルグイユの操縦士がモルガン将軍へと告げた内容は、これ以上のパワーが望めない、という悲鳴に似た報告だった。彼は戦車内部から飛び出し、その上におどり出る。


 見下ろす眼下に映る人形兵器の巨大な背中と、ワイヤーを引く多くの導力車、そして兵士達を目にする。その誰もが苦しげな顔で、全力を尽くしているのがわかる。市内巡回をする兵士達、城門前で立正する兵士、カノーネの部下である黒装束も、誰一人として例外なく、全力を込めているのがわかった。


「耐えろ! 落とし穴までもう少しだ!」
 モルガンは自らが引く事を許されなかった。指示を与える者がいなければ、兵はその力を十分に発揮できない。どこかが崩れれば、それを補う事もできない。
 本来なら自分も手伝いたい。老いてじつを得なかった自分が手伝えるのはこんな事ぐらいだと思っている。そんな事ぐらいしか、自分にはできるはずもない、そう思っている。



「愚かなるこの老体が、若き彼らの力になるのであれば…。」
 消えるような声でつぶやく声が、彼の耳元にだけ届いた。それはこのグランセルで戦う兵士の中で、最も覇気のない言葉である。
 ……未だ心を閉ざし、暗闇の底に残しているのはクローゼだけではない。
 彼もまた、その答えを見出してはいなかった。


 誰の足を引っ張る事なく作戦を遂行するため、モルガンは士気を高める言葉を投げる事しかできないでいる。将軍という責務を背負っているから仕事をこなしているのだ。望まれるから指揮を執っている。もちろん、リベールを守りたいという気持ちにもいつわりなどない。

 だが、まだわからない。
 自分がこれまで歩んできた道は、間違いであったのかもしれない、だから【百日戦役】で多くの者を犠牲にしたのではないのか?
 いくら悔いても戻らない命。散っていった、散らずに済んだかもしれない命が彼の心を締め付けている。


「それでも私は……勝たなくてはいけないのだ…。」
 また、一言を呟く。繰り返してはいけない悲劇を回避するために、いまは全力を尽くさなくてはならない。…そんな事を脳裏に一瞬だけよぎらせたその時、


 その声は、頭上から響いた。



「おやおや…、ご老体がまだ頑張ってるんだね。本当は役に立たないのに動いてるフリをしてさ。」


 モルガン達が進む道、その先に浮かぶのはあの少年。道化師カンパネルラである。
 先ほどまでグランセル城にいた彼が、とうとう兵士達の前に姿を現した。大胆にもポケットに両手を突っ込み、戦場とは思えないリラックスした態度で、モルガンへと冷えた笑いを突きつける。


「くっ、キサマは……。」
 モルガンが苦々しくうめくのを耳にした少年は、挨拶あいさつとばかりに、大きく身振りをしてこうべれる。道化が観客に一礼をし、これから舞台の開演だといわんばかりの滑らかな動き。…もちろん、誰もがわかっていた。彼がこちらを馬鹿にしているからこそ、そういう態度でいるのだ、と。


「ただいま、というべきかな。…頑張っているみたいで安心したよ。面白い事をしているじゃないか。」
 先ほどと少しも変わりなく、楽しげな表情を浮かべるカンパネルラは空に浮いたままモルガン達を見下ろす。  必死に牽引する多くの兵士達は、彼の存在に気がつき、言葉を耳に入れつつも、それを見る余裕はなく、引く事をやめはしない。彼に気をかけている余裕は少しもないからだ。
 それを知っているモルガンは、オルグイユの搭乗席に立掛けてあった大振りな愛剣を手に取り、機体から飛び降りた。そのまま鞘を捨てて切り込んでいく!



「…邪魔はさせん! 貴様の相手は私がする。」
 一番最初にギルバートが発射した低出力のレーザーカノン。グランセル駐留部隊を壊滅させる威力があった一撃。それによるダメージがまだ残ってはいたが、このまま敵を放置することなど出来ない。いまここで作戦を邪魔されてしまえば、全てが水泡と化す。それだけは絶対にさせてはならなかった。

 モルガンの愛剣は両手で構える大型のものだ。実はモルガンは、剣よりも斧の扱いに長けているのだが、軍の指令という立場で斧を持ち歩くのははばかられるために常時は剣を持ち歩いている。熟練度では斧には劣るものの、長年付き合っている武器であるため、自在に使いこなす自信もあった。

 そう───彼は強い。その強さは、得物に頼らない根本的な力量からくるものである。若き頃はその名を他国に知らしめ、また、今なお武人としても多くの者から尊敬を受けている。
 事実、過去に行われたカシウスとの練習試合でも互角であったし、前々回の武術大会ではユリアと決勝を争う程の実力を秘めている。自他共に認める強者であるという自負を持っているのだ。

 しかしながら…、どれほどの達人であっても、波打ち迫る老いの前では無力なもの。今のモルガンにとっては、得意な斧も、この大きな剣も100%の力で扱う事が難しくなってきていた。
 だが、目の前には倒すべき敵がいる。戦うしかない。選択肢は一つしかないのだ。

 カンパネルラを真正面に見据え、駆け込む腕に握られた長剣。全身の傷はこの場では忘れたものとして痛覚を押さえ込み、眼前の敵にのみ意識を集中させる。


「へぇ、それで戦うんだ? この僕と? 一対一で?」
「そうだ! お前を抑えて、作戦は成功させる! ───おおおおぉぉぉ!!」
 裂帛れっぱくの気合、腹の底からしぼり出す咆哮ほうこうと共にモルガンが仕掛けた。それに合わせて地上へと降りたカンパネルラは、不敵な笑みを浮かべて、両手をポケットに入れたままでそれを待つ。


「せいっ!!」
 全身全霊を掛けた一撃! かつての戦いでユリアすら引かせた渾身こんしんの一撃を少年の頭を目掛けて振り下ろす。並の相手であれば、剣で防いだとしても、剣ごと頭蓋骨を叩き割る程の威力がカンパネルラにそそがれた!


「はは、それは無理だね。」
 その刹那せつな───、少年の姿が消失したかと思うと、次の瞬間には腹部にとてつもなく重い衝撃を受けた。モルガンは何が起ったのかも理解できぬまま、その体を大きく跳ね飛ばされて宙を舞う。
 地面に激突! 一度、二度、と大きくバウンドし、体を地面へと打ち付けた老いたる体。あまりの激痛で声も出せず、ううめくことにさえ力を要した。それでも、古くつちかった戦士としての本能が揺れる視界を無理やりに引き起こし、焦点を合わせる。


「あーあ、だから言ったのに、無理だってさぁ。…まったく、これだから古いだけの頑固者はダメなんだよね。人のいう事なんて聞きゃあしないんだからさ。」
 油断すれば遠のきそうになる意識を保ち、モルガンは敵である少年の姿を探した。そして声がする方を探して向くと、自分が信じられない程遠くに蹴り飛ばされたのだという事を知った。

 トロイメライを引くオルグイユから大きく離されていた。兵士達の姿が少しだけ小さく見える。巨体と落とし穴まだかなりの距離があるが、そのちょうど中間点にいるらしい事を悟る。


「な、なんだ……と? …ぅぐっ、がはっ…ごほっ……」
 それと共に咳き込むモルガン。その咳に血が混じっている。相当の距離を蹴飛ばされたと共に、手ひどいダメージを受けたと改めて認識する。ある程度の実力を持っているつもりでいたのに、少しも反応できなかった。かつて名をせた自分が、これほどにも叩きのめされるものなのか、とその事実に愕然がくぜんとする。

「モルガン将軍!!」
 兵士達から起る悲鳴にも似た叫び。彼が凄まじい実力者だと知っている兵士達から見た今の光景は、ありえないものに写っていた。尊敬し、敬うべき武人モルガン将軍が執行者に太刀打ちできない、という事実に身を裂かれるような気持ちになる。
 中には、ワイヤーを手放して助けに入ろうとする者達までいる。



「来るな!! お前達は使命を果たせ!!」
 やるべき事を手放してしまう事こそ本末転倒。モルガンは兵士達を一喝し、あくまで自分が敵をおさえる事を知らしめた。彼は激痛にさいなまれる全身を奮い立たせ、闘志のみで大地を踏みしめて、剣を構える。
 カンパネルラは、ゆっくりと歩み寄ってくる。蹴ったボールを追いかける少年であるかのように、変わらぬ余裕を持っている。…それがモルガンに対する威圧であるかのように、まだまだこの程度で終らない、という意味を秘めているかのように、うっすらと微笑む。


「まあ、覚悟は立派だけどね。実際は見苦しいにも程があるよ、この老人、……いや、老躯ろうくというべきかな。まだ自分が何かの役に立てるつもりでいる。」
 ポケットに手を入れたまま、悠然と歩み寄ってくる少年が、やっと彼の前まで辿りついた。モルガンはなんとか足に力を入れ、片足だけ大地を踏みしめ構えてはいるものの、すでに戦える状態ではない。意識を保っているだけでも立派な精神力といえる。驚嘆きょうたんするべき事だ。

 だが、カンパネルラは容赦しない。その姿がまたも掻き消えたかと思うと──、次の瞬間には、さらに強烈な蹴りがモルガンを吹き飛ばし、体を宙に浮かせた。彼の体はまたも地面でバウンドして止まる。……例えようもない激痛により、また肺の空気が搾り取られるように息が詰った。そしてまた、落とし穴の方角へと蹴り飛ばされたと知った。


「くっ……、邪魔は…させ……ん…。」
 それでもモルガンは立ち上がろうとした。口元に流れる血の筋。全身をむしばむ痛み。……彼はそれでも耐えてみせた。たとえ、自分の命が尽きたとしても、目の前の敵だけは自分が引き受けるべきだと知っている。使命を果たすために、今だけは心だけは折れるわけにはいかなかったのだ。

 カンパネルラは、その様を見て、これまでよりもさらに口の端を吊り上げた。邪悪な事を考えていると知れた。


「百日戦役……。」
 カンパネルラがささやいたその言葉に、モルガンが目を見開く。

「とても多くの兵士が倒れたよね? そして多くの民間人までもが犠牲になった。覚えているよね? …ラヴェンヌ村の大惨事、それにロレントでの灯台倒壊。…あれだよ、英雄アガット=クロスナーの妹や多くの村人が爆死した理由と、剣聖カシウスの妻レナ=ブライトが瓦礫がれきに挟まれて潰れて死んじゃった理由さ。……思えば、すべてはそこが始まったわけだ。」

 モルガンの脳裏にあの頃の光景が浮かぶ。その言葉だけで全ての意志が吹き飛び、あの惨禍さんか克明こくめいに思い出していく。レナさんが死んだ時のカシウスやその娘エステルの表情。ラヴェンヌで妹を失った青年の慟哭どうこくが……悔やんでも取り返せないあの焼け野原が……目に焼きついている。


「わからないかなぁ。彼らは……君が殺したんだよ? エレボニアの襲撃なんか問題じゃない。戦争が起きた原因は他にあった。起きた事は仕方がないさ。しかしね、彼らをなす術もなく殺したのは、君が至らないだけだったんだよ。君の指揮が無様だっただけの話。……最初から、無力な君が全ての原因だったのさ。」
 また、数時間前と同じようなカンパネルラの演説が始まる。それが悪意に満ちた、人をおとしめるだけの言葉だという事を知っていてもなお、モルガンはそれを聞かずには居られなかった。


「毎年、ラヴェンヌ村の慰霊碑いれいひに花を添えているんだって? 泣かせるじゃないか。見た目だけはね…。立派だよ、世間体としてはね。」
 カンパネルラはポケットから右腕を出すと、またも姿が消えた。すると今度は、モルガンの襟首を掴んでいた。無理矢理に引き寄せる。抵抗も出来ずに為すがままとなるモルガン。片腕一本だというのに、ありえないほどの力が彼の喉元を締めていく。重心を失った彼の巨体がまるで宙に浮いているようにも見えた。


「でもさぁ、慰霊碑にいくら花を添えようと、そんなものは自分の理屈だよ。死んだ人間なんて喜ぶわけがない。本当は自分が楽になりたいから鎮魂ちんこんを願っているんじゃないのかい? 事実から逃れたいから、花を手向け続けて、それで許されると勘違いしているんじゃないのかい?」

 これは敵の姦計かんけいだと頭では理解している。しかし、だからといって言葉から身を背ける事もできない。
 体の苦痛などよりも、逃れがたい苦痛がモルガンを襲う。喉元を絞められ、また心を締め付けられて彼は闇の中でのたうち回る。それはまぎれも無くそれはモルガンが恐れていた言葉だった。作戦の失敗よりも、もっと、もっと深い部分に根ざす後悔だった。

 いくら悔やんでも取り返せない事実。もしかしたら自分は、自分のために慰霊を続けているのではないだろうか? 罪から逃れるために花を手向けて鎮魂を願う。慰霊というものを盾として、自分が許されようとしているのではないかと、浅ましい心に深く傷が付けられていく。


「もうやめてしまえばいい。抵抗などやめて楽になればいい。……仕方ないんだよ。君では無理なんだから。」
 カンパネルラはそのままモルガンをさらに投げ飛ばした。片腕で軽く投げたように見えるのは、90kgにも及ぶ巨漢の体である。それを無造作に投げたのだ。

 そして彼はまた地面へと叩きつけられた。そこは、2本の幅広い鉄板が穴を覆い隠すように敷かれている、ふたとなっている場所。爆薬を敷き詰めた【落とし穴】のすぐ近くである。
 落とし穴に蓋がつけられているのは、もちろんだがだますつもりではない。引く側のオルグイユや導力車、それに人々がその上を通過し、穴の先へと進むための橋である。カプトゲイエンを落すためには、どうしても穴の上を通らなければならなかったからだ。
 この蓋は、オルグイユを含む引く側の重量がし掛かっても耐えられる程度の強度を持っている。しかし、それ以上の重さのカプトゲイエンが乗れば、容易に折れるようにされているのだ。また、無為な攻撃が飛び火した時、引火しないためのカバーという役割も果たしている。

 モルガンはその穴を見やると、まるで痛覚を忘れたかのように一気に立ち上がった。ここを突破されれば全てが水の泡だ。何があろうとここだけは死守しなくてはならない。
 カノーネが言ったではないか、自分が何を言われようと、それが戦わない理由になりはしないのだ、と。

 そんなモルガンの決意を気にした様子もなく、投げ飛ばした側の少年カンパネルラは黒い微笑を湛えたまま、その場で立ち止まっていた。何もしていないというのに、まるで竜でも相手にしているかのような威圧感を放っている。


「ご老体、一つ教えてあげるよ。」
 その瞳は闇の迫るこの地を心待ちにする、邪悪な獣のようである。爛々らんらんと輝くその目が、何かを期待して銀に発光しているような気持ち悪さを感じずにはいられない。

「今、リベール各地が人形兵器部隊に襲われている事を知っているかい? ロレント、ボース、ルーアン、ツァイス…。そしてマノリア村、エルモ村、それに君が大好きなラヴェンヌ村も残さずにね。」
「───なっ! なん……だと……?」
 人形兵器の部隊が…、ラヴェンヌを…それにロレントを襲っている…だと?


「君のために百日戦役の再現をしようと思ってね。今度は防げるのかなぁって期待してるんだ。あははははははははは! ……気に入ってくれたかな? 挽回のチャンスをあげようって言ってるんだよ。」
 状況が似ていた。あの時のように、目の前の敵を防ぐ事に集中しなければならない状況で、各地へ戦力をく余裕がない部分が、あまりにも酷似こくじしていた。この執行者がために、そういう状況を作り出されてしまった。


「ああ、それとジェニス王立学園だけは狙わないであげたよ。」
「……っ! なぜだ…。なぜそうする必要がある?」
 理由がわからない。なぜ、そこだけを狙わないのか?


「これは、僕が約束した事さ。少し前に、僕の部下がおイタをしたんだ。狙う事が本位ではなかったからね。非礼をびるつもりで約束したのさ。襲わないって。」
 モルガンは報告だけを聞いていた。《身喰らう蛇》がクローディア姫を人質にしようとジェニス学園を襲った事件の事だ。彼が言う約束とは、その時のことだろう。


「まあ、そこだけ無事でも、残りは全部ダメだけどね。あはははははははははは!!」
「き……貴様ぁ……どこまで……」

 遊んでいるとわかった。リベールそのものを玩具として、彼の言う人形劇を演じているのだとわかった。だから許せない。先日、リベールを恐怖に陥れた敵ワイスマンという男には敵意は持っていたが、個人的に憎みをはらんでいたか、というとそこまでではなかった。
 しかし、この目の前の少年カンパネルラだけは許せない。絶対に許せないと心が煮えたぎる。


「まあ、少しは同情してあげるよ。百日戦役の時も、今と同じように手が離せなかったんだよね? だから見殺しでいいやって、思っちゃったんでしょ? うんうん、10年前の君は努力した。ダメはダメなりにね。あ〜あ、残念だなぁ。」
 カンパネルラはおどけたように肩をすくめて見せた。そして───あまりにも冷めた目でモルガンを見た…。

「さて、そろそろ日も暮れたし。僕の物語も幕を閉じるとしようかな。”リベールの全滅”が最終的な結末なのに、グランセルだけが勝利したらブチ壊しだからね。……だからさ、やらせてもらうよ。きっちりとね。」



「そういうわけだから、茶番はこれで終り。……楽しかったよ、無力なご老体。」
 カンパネルラは後ろを振り返ると、まだ小さく見える兵士達を見て微かに笑い。そしてこう言った。


「カプトゲイエン、防壁破砕ミサイル16発を同時砲撃準備。標準は───牽引を頑張っている兵士達全員…だ。」
 モルガンの心臓は大きくねた。まるで予想していなかった攻撃を宣言されて息が止まる。

「ミ、ミサイル!? そんな武器がまだあったというのか?! 今、そんなものを使われては───」
 少年はまたモルガンへと振り向いて、静かに述べる。



「物語の結末は揺るがない。これで僕の物語はハッピーエンドというわけだ。さあ、カプトゲイエン、砲撃だ。……グランセルの兵士諸君、無駄な努力をありがとう。」

「くっ! やらせん!!」
 傷ついたモルガンが獣のように反応した! かつてない程の咆哮ほうこうとどろき、カンパネルラへと立ち向かおうとした! しかし───。

「ふふふ…、麻痺毒の効果が抜群ばつぐんみたいでなにより。それは足だけ動かなくなるやつでね、面白いから使ってみたよ。……そこで大人しく見ているといい。」
「や……めろ……、やめてくれ……。」

「これが、百日戦役の再現。特等席でご覧あれ。」
 カプトゲイエンから発射される16発の大型ミサイルの飛翔音と共に、カンパネルラの口元が邪悪にゆがんでいた……。モルガンはただ、それを見ているしかできなかった…。

















◆ BGM:FC「呪縛からの解放、そして」(FCサントラ2・19)














 全ての音が消えたように───、爆撃が広がった。

 古代文明の技術のすいを結集して作られた防壁。完全なる防御力を誇っていたはずの壁さえも破壊する、16にも及ぶ大型ミサイル。それが無防備な兵士達へと降り注いでいく。着弾と共に放たれる目を焼く程の閃光により、グランセルそのものが輝いた。


 刻同じくして、夕闇が最後の瞬間を迎える。曙光しょこうとしてとどまっていたはずの太陽は、最後にどろどろとした朱に大地を染め、消えていく。……それは昼間という希望の光注がれる時間が完全に終った事を意味していた。
 そんな神々しい光景が、まるで物語の結末の光景であるかのように、荘厳そうごんたる光景となって、モルガンの瞳に映る。心には何も写さず、網膜もうまくの表面だけに惨事を写して、ただ流れていく。

 直撃を受け、装甲を削り取られたようにオルグイユが停止し、着弾した爆風で吹き飛ばされた兵士は、周囲の家や壁、地面に叩きつけられて身動き一つしなかった。
 無理な体勢から、かろうじて砲撃一つを回避したアルセイユも、それが致命傷となり大きくバランスを崩して地表に激突。眼下の家や木々を押しつぶす形での墜落となり、燃え上がりこそしなかったが、……もう…、ほんの少しの導力も感じられなかった。



 そして───。


 巨体の正面、モルガンのいるこの場からでは向こう側になるが……、その先でカノーネが倒れていた。直撃は受けなかったようだが、予期しないミサイル攻撃で吹き飛ばされたのだ。その身は他の兵士達と同様、ピクリとも動かない。
 さらに最悪な事に……遊撃士が…、アネラスが、巨神のハンドアームに捕まり気を失っている……。


 さきほどまで決死で抵抗していた者の全てが屈していた。無常なる爆撃に、全てが強引な終幕を余儀なくされた。
 明らかな敗北。明確なる敗北の絵図だけが……、現実として目の前に在った。





 すべてが終っていたのだ……。



「───そ……ん…な………。」
 声を失くしたモルガンが、力を失ったように両膝を地面へとつけた。まるで、あの時のような光景。百日戦役と同じような、何も残らない燦々さんさんたる状況が彼の眼前に再び突きつけられた。
 二度と見ないよう努力していた。二度と見たくなかったその有様が、またも彼の目の前に広がっている。先ほどのレーザーカノンは人的被害がなかったから実感に薄かったが、これは違う。死屍累々ししるいるい……その言葉があまりにもまる悲しい光景だった。



「防壁破砕ミサイルかなり強力な兵器でね。レーザーカノン程ではないけど、なかなかの威力を持っているんだよ。…それがねぇ、残念ながら1回分しかなくてね。16発同時に撃てるけど、それで終りなんだ。なんせアレは元々が掘削機械だからね〜。」
 カンパネルラが、無邪気に喜び、装備の解説を続けている。実際、モルガンの耳にはそんな言葉は届いていないのだが…、彼は自己満足を満たすかのように話を続けた。

「ギルバート君が怖がって使わなかったからね、面白い見せ場で使おうと思ってたんだよ。そしたらさぁ、どうだいこれ? この惨状? 素晴らしいでしょ?」

 モルガンは両手を地面につけ、絶望を感じ取っていた。
 ……自分達は負けたのだ、と。



 声にならなかった。なんの意志も沸いてこなかった。
 先ほどまで感じていた絶望。それ以上の悲しみが自身を襲うなど考えもしなかった。全ての終りを2度も体験する事がいかに苦痛であるかを、身を持って知る事となった。


「僕もね、鬼じゃないからさ。……ご老体、君は殺さないであげる。ああ、でも市民は殺すんだけどね、君だけは殺さないであげる。
 そしたらさ、君の大好きな慰霊碑でも立てて拝むといいよ。……きっと今度はおがみ甲斐がいがあると思うよ?」




「だってさぁ……全滅だよ?! 全滅だもんね! ふふふふふ、あははははははははははははは!!」

 もう、何も感じ取れず、何も耳に入らず……モルガンは涙を流した。
 どうしようも……なかった。


「おや、気がつけば、いつの間にか真っ暗だね。日が暮れちゃったか。……ちょうどいいじゃないか。物語の結末らしくてさ。」
 邪悪な少年は、両手を月もない闇夜に向けて広げた。




「いつか、この物語は語り継がれていくんだ。語り口は……こうかな。」









 …昔、リベールという国がありました。


 その国は様々な問題や事件を人々の努力によって回避し、ささやかにも繁栄はんえいしていました。
 でも、それは全部、英雄と呼ばれる一部の優れた人々による活躍のおかげでした。
 英雄達の力のみで救われ、成り立っている国だったのです。


 ある時、巨大な神様が現れました。神はその国を滅ぼそうと暴れました。
 さあ大変です!


 …でも、その国の人々は安心いました。
 どうせ今回も英雄達がなんとかしてくれる、そう考えていたからです。


 しかし困った事に、英雄は国を留守にしていました。
 本来なら、その国を守るはずの英雄は、たまたま居なかったのです。


 戦いを余儀なくされた人々はもちろん必死に抵抗しました。
 だけど、簡単に負けてしまいました。


 でも、それも仕方がない事。


 なぜなら、その国は「愚か者の国」だったからです。
 英雄が居なければなにもできない、何も解決できない、愚か者だけが住む国だったのです。


 だからこそ、神様はそこに住む愚か者達を滅ぼしたのです。




 しかし、慈悲じひ深い神様は一人だけ生き残る事を許し、その者に罰を与えました。

 これから、お前は死ぬまで慰霊碑に懺悔ざんげするのだ。
 それくらいしか、愚か者のお前にする事はない。


 ……英雄にしか頼れない国、リベール王国はこの世界から消えました。
 たった一人の老人だけを遺して、きれいさっぱり消えてしまいました。



 その国は長く長く言い伝えられるでしょう。愚者王国の物語として───。




 めでたし、めでたし。






















 ……ねえ、君。 君はもしかして、この話がハッピーエンドで終るって思ってた?


 主人公が活躍して、最後には逆転してくれるって思ってなかった?
 それが物語だから当然だって、考えてたでしょ?




 全滅で終るなんてありえない。実はやられてなくて、もう一度立ち上がってくれるって。
 何か起って助けが来たり、不思議な事が起って勝利する。



 それが当然だって思い込んでいたんじゃないかな?







 でも、よく考えてみてよ。







 そんな都合のいい事、あるわけないじゃない。





 主要人物は死なないから平気?
 主役が逃げない? もしくは戻ってくるって思ってたんじゃない?



 ……でもね、




 人間は簡単に死ぬんだ。怯えれば逃げるんだよ。都合よく誰かが助けてもくれないし、ありえない夢のような魔法が登場するわけがない。努力をおこたったこの国は、ここで終るんだ。



 英雄がいないこの国は、結局何もできない愚か者の国だったって事なのさ。











 それに君は、とても勘違いしてるよ。


 そもそもの主役は、僕とカプトゲイエンなんだ。だから主役が勝って当然じゃないか
 これはそういう物語なんだから。






 ───まあ、そういう事で。この物語はここでお終いさ。













「さようなら、とうとき女王と、英雄にしか頼れない国リベール。」

 カンパネルラは大きく息を吸い込むと、腹の底から笑いを漏らす。これ以上ないだろう、異常に笑い、顔を歪ませる。いまここで、夜の闇という暗黒が全てを支配し、彼の物語は幕を閉じる。


「あ〜あ、面白かった。…次は何で遊ぼうかなぁ…。」
 漆黒の空に届くその声は、機嫌の良い彼の心を映し出しているかのようであった。















BAD END

















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