ナイトメアがやってくる!

2章 『黒と白の世界』
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BGM:3rd「異界」(サントラ1・16)


 眼前には黒の世界在り、
 闇の地平は彼方まで、誰彼も存在せず留まらず。

 無限の漆黒は全てを支配している。
 無限の漆黒だけがこの場に在るからだ。……いや、無限の漆黒しかないからだ。

 永劫えいごうにて普遍ふへんの世界。様々な闇を内包する世界。ここは闇だけの世界……。


 しかし、現在いまこの時だけは、
 形を持つものが、たった一つだけが存在をして居る。

 ……それは人間というものであり、女という性別を持つ者。
 この暗き深き深淵の底、常闇とこやみにて唯一、


 光放つ者。




 いまだ大人ではない無垢むくかたどる少女。
 17年という歳月をて、様々な、一言では言い尽くせない体験を経た彼女という存在。出会う人々は皆、誰もが好ましく接し、彼女を好意的にとらえる。輝いてみえると言う。

 いつしか誰かが彼女の事をこう呼んだ………まるで太陽のような人………と。

 黒の地面に横たわり、静かな寝息を立てているその娘の名はエステル=ブライト。
 地平にただ一人、たった一つの存在として、───そこに居た。





「…………ん……。」
 ちょうどよく、彼女は眠りから開放されるところだった。
 いつものように、日常と変わらぬ朝のような何事もない目覚め。

 うつろな瞳はいまだ開ききらず、倦怠感けんたいかんともなう鈍い動きで身を起こす彼女は、脳の覚醒と共に周囲を取り巻く世界に目をらす。我が目の先に見えているのは真贋しんがんかを問うまでもない見知らぬ地。異常だと感じるままの世界。───しかしそれに似た感覚を、彼女は体験した事があった。

 ほんの少し前、知らないうちに招かれていた虚構世界”影の国”。あの時と同じ感覚であった。
 夢の中のような世界なのに、感覚がはっきりしていて、夢の中では有り得ないほどに自身の体を自由に動かせる。………まるで……同じだ。いや、あまりにも酷似こくじしている。

 ただ違うのは、自分と仲間達が拠点にしていた”庭園”のような建築物は一切無く、光さえも弱い平原がただ広く在るだけという事。そして、自分以外には誰もいない事だ。……見知らぬ地平、何も無い黒の空間……。

「…………………なに……ここ…………?」
 影の国ではない。似ているようでまったく違う世界。いったい何が起こって、こういう所へ入りこんだのか? それは彼女にはわからない。ただ、先日の体験したばかりの異世界の件もあるからこそ、これが異常だという事はわかる。そう認識する以外に選択はなかった。

 わずかながらの不安に駆られる彼女は、同時にこうも思った。
 なんて…さびしい場所なんだろう………と。



 そこで彼女は、ふと気がつく。

 ……そういえば自分は、土砂崩れに巻き込まれたイアソン一家を救出していたはずだった。男性の遺体を確認し、女性の死を目の当たりにした。しかしまだ女の子がいたはず。それはフルーレという名の女の子。レンと同じ年齢の女の子、……そしてレンの過去と交わっているという女の子……。

 自分はその子を救おうと必死になって……。

 ───そこまでの記憶だけが残っている。だけど、それ以後の全てが欠落していて思い出せない。もしかしたら気を失ったのだろうか? じゃあ、ヨシュアはどこに? 事故現場は?
 奇妙な事に……体に異変はなかった。ずぶ濡れて冷え切っていたはずの体は普段どうりで、爪がはげて血が出ていたはずの指先も元通り、そして荷物も武器さえも持ってない。……いまの自分には、確かに経験したはずの痕跡が何も残されていなかった。普段と違うはずの状況に置かれていたはずなのに、何も異変がなかったのだ。

 一体……、何がどうなっているの?
 何もわからない。本当に自分はどうなってしまったんだろう?

 でも、だからといって、ここで無為な時間を過ごしていても何も始らない。

 影の国のような世界が目の前にあるのなら、これが異常な状況だとわかる。きっとまた、よからぬ事に巻き込まれているのだ。ならば、ここから抜け出すと共に、早くヨシュアとも合流しなくてはならないだろう。きっとヨシュアなら、何かしらの行動を起しているはずだから。





「………思ったよりも…冷静なんですね。……エステル=ブライトさん?」

 ちょうどエステルが立ち上がったと同時に、背後から幼さを感じさせるさえずりが耳に届いた。まったく気配を感じさせずに響いたその声は、彼女の耳に聞き覚えがないものだ。反射的に振り向くエステルだが、そこには誰もおらず、真正面と同じ黒と闇とがただ広く遠くへ続いている。

「ヨシュアさんがいないから、もっと取り乱すかと思いました。」

 次は真横から耳元で。しかし振りかえれば誰もいない。誰とも知らぬ声は他者の姿も見えないというのに響いてくる。まるで、自分を観察しながら、うろたえる様を楽しんでいるかのように。

伊達だてに上級遊撃士を名乗ってない、という事でしょうか。」
 響いてくるのだ。楽しげに、よこしまな念を抱いた幼い声が。
 クスクス、クスクスと楽しげな、それでいてかわいた笑いが木霊こだまして反響し、四方八方から響き渡る。


「いいかげんに出てきなさいよ! 話をする気があるんじゃないの?!」
 声を張上げるエステルは、人を小馬鹿にしたその態度が気に食わなかった。用があるなら正面から出てくればいい。異常な状況に置かれている彼女ではあるが、自身を失ってはいない。影の国での体験があるからこそ、戸惑いはすれど、あせりはない。……それに彼女とて場数はそれなりに踏んでいる。この程度では平静を崩さない。

 すると、その声に呼応したのか……全ての笑い声が一斉に消えた。
 最初から一片の変わりない静寂であったとばかりに、とこしえの闇が支配する空間が戻っている。


 ───そして、

「こんにちわ、エステルさん。………はじめまして。」
 真正面。…気がつけば、目の前に居るのは一人の幼き少女。最初からそこに居たかのように、動きもせずに立っていた。見たことのない少女。だけど、どこかレンを思わせる愛らしさを持つ少女…。

 白のワンピースはサーキュラータイプのスカートで、飾り気はほとんどない。腰と腕、そして首には黒のリボンが巻かれてアクセントになっている程度……。
 そしてなにより印象的なのは、きらめき光りを帯びる真っ白な髪だ。長く腰まで伸ばされた白髪。純白の服よりも白く美しい絹のような髪。溜息が出るほど綺麗な髪である。こんな状況でなければ、その容姿の愛らしさも相俟あいまって、抱きしめていたかもしれない。

 こんな状況でなければ。

 それに、”違う”のだ。目の前の少女は、果てしない愛らしさを持ってはいるが、そういった対象にはなり得ない。感じる。明確な意思を、流されない強さを。
 レンのように愛らしい猫のような傲慢ごうまんさではなく、まるで自分の父や、多くの先輩遊撃士達、そして仕事に従事じゅうじする大人達が持つ、信念めいたものを彼女から感じる。それは意志ある瞳としてエステルに向いている。視線に込められた念は、何者にも触れること叶わない……そう語っている。

 深く深く、底の見えない邪気をはらんだ瞳、エメラルドに輝くその力持つ瞳───。
 それがまっすぐに、こちらを向いていたのだ。



「色々と……散漫に聞かれる前にお答えしておきましょうか。……私の名前はフルーレ=アーチェラル。貴方が必死で探していたイアソン家の養女です。……そして、《身食らう蛇》の使者でもあります。」
「フ、フルーレ!? じゃあ、あなたがイアソンさんの養女になったっていう……。」
「そういう事になっていますね。だから……?」
 少女、フルーレの言葉は説明であって説明ではない。会話を成立させる気もないようだ。これはあくまで彼女の立場を紹介しただけの結果である。それだけを言われようとも、なぜ、どうして、どのような経緯でこうなっているのかという過程がない。

 エステルはただ、唐突とうとつな自己紹介に口をぱくぱくとさせるだけで、何を聞けばよいのかが浮かんでこなかった。もちろん聞きたいことは色々ある。
 土砂崩れに巻きこまれたはずの彼女が、なんでこんな異常な世界にいるのか? どういう理由で彼女が自分の前に現れたのか? なぜ《身食らう蛇》を名乗るのか? そして、なぜそんなに邪悪な瞳を向けるのか……。

 目の前に静かにたたずむ少女は、様々な事が不明すぎた。

「混乱するのは当然ですね。先ほどまで捜索していた対象が《身食らう蛇》を名乗り目の前にいる。しかもこんな意味不明な場所で。………これを理解しろというのは無理でしょう。」
 フルーレは未だ整頓ができていないエステルに、そのように言う。しかし、理解できる様には話していない。会話は成立しないだろう。彼女はそれを承知で次の言葉を付け加えた。



「確実に言えるのは、私は貴方の敵だという事です。」

 その言葉でエステルは身構えた。………彼女の瞳を見てそんな気はしていた。それはレンが殺意を込めた時に見せた、異常なまでの残虐性を秘めた瞳とそっくりだったからだ。輝きの一つさえなく、相手を命在る人と認識していない……そんな空虚な瞳……。

 理由や事情はどうあれ、それだけで状況は把握はあくできる。いま目の前にいる少女は間違い無く敵対する意志を持っている。しかも、これまでの戦いでもまれにしか感じた事の無い、絶対的な拒絶きょぜつと殺意が威圧となって押し寄せる。その眼力だけを見ればレン以上かもしれない。
 そんな彼女を前にすれば、まずは話し合いをしたいと願うエステルでさえ、身構えずにはいられなかった。フルーレは武器どころか何も持ってはいなかったが、構えずにはいられない程の異常な悪意を向けていたからだ。それだけで、エステルの体は貫かれそうであった。

「ふふ……、ご理解いただけて何よりです。」
 エステルの心情を読み取ったかのように、余裕の笑みを浮かべて優美に在り続けるフルーレ。その仕草は見た目通りの少女が放つものではなく、完全に大人の女性だけが持つものだ。まるで子供と話しているような気がしない。エステルは改めて、彼女をこれまでの誰とも違う”普通ではない相手”と認識した。



「わかったわ。細かい事情はわからないけれど、今は貴方が友好じゃないって事だけは納得よ。………それで、フルーレ………だったわね。あたしをどうするつもり? ここに連れてきたのも理由があるんでしょ?」
 だが、それでもエステルは物怖じしない。相手がどうしたいのかを聞いてからでなければ判断はできないから、聞くことを恐れはしなかった。警戒したところで話さなければ何も進まないのだ。だから、恐れない。………こういうところが、実にエステルらしい。

 フルーレは、そんな彼女へと”話が早くて助かる”という意思を込めて、誠意の欠片も感じられない微笑を浮かべると、さっそくとばかりに本題に入った。そしてエステルも、まだまだ沢山ある様々な疑問を押し殺して、彼女の言葉を待つ。


「簡潔に言います。レンちゃんは《結社》へ連れ戻します。」
「レン……を……? レンに会ったって事!?」

「はい。すでに捕らえてありますので。」
「……レンはどこなの? 無事なんでしょうね!?」
 フルーレはエステルをじらすように言葉を止める。まるで、相手の行動を観察しているかのように、ただ、答えずに視線を向けている。一方でエステルも少女から視線を外さない。レンに何かあったというのなら、それを見過ごすわけにもいかないからだ。

「へぇ……、真剣なんですね。レンちゃんが心配ですか?」
「あたり前じゃない! レンになにかしたら許さないからっ!」
 エステルは強い視線を送るが、彼女のそれに敵意はない。瞳に込められているのは、レンのために全力を尽くすと誓う決意のあらわれである。
 しかしフルーレはそれを気にした様子もなく、あくまで穏やかに、邪気は残したままで話を続けた。


「レンちゃんは今、こことは違う世界に捕らえてあります。」
「……違う…世界?」

「そうです。違う世界です。分り易く言えば、貴方達が体験した”影の国”と似たような世界を、私は私だけで構築こうちくできるんです。方法論はまったくことなりますけどね…。あそこにも沢山の階層があったように、私もまた、いくつもの世界を構築できます。そして閉じ込める…。」

 影の国……。なんで彼女がそれを知っているのだろう? だってあの事件の事など、一部の関係者以外は話していないのだ。部外者が知っているわけがない。……なのに、目の前の彼女はなぜ知っているのか。

「部外者が知っているはずがない……ですか。……まあ、そう思うのが普通でしょうね。」
「えっ!?」
 考えが読まれている? まるで一字一句を正確に聞いているかのような少女の答え。それはこれまでに出会った事のない感覚だ。得体の知れない不気味さを持っている。

「そんなに驚かないでください。……私はこの世界を司る者、《支配者》なんです。摂理せつりを利用する者ではなく、決める者。……つまり、この世界全てが私の手のうちなのです。だから、ここに存在する貴方の考えを読み取るなど造作もない。」

「摂理を使うんじゃなくて……、決める…?? それってどういう……。」
 エステルには彼女の言う事がうまく理解できていない。そういえば、あの虚構世界”影の国”でも、そのような事は言っていた。
 敵であった”影の王”はルールに従って戦いを仕掛けてきていた。それは影の国でのことわりを敵が利用していたからだ。あの虚構世界には独自のルールがあった。だから、影の王はその理というルールを順守しなければならなかった。その上で利用していたのである。


 これを彼女の言葉に当てはめてみるとどうなる?
 王ではなく支配者、その違いは何? ……漠然ばくぜんとしていてよくわからない。


「つまりは、こういう事です。」
 いまいち理解できていないエステルにフルーレが微笑み、一言をらす。

 するとエステルの身に異変が起こった。自分では何もしていないのに、腕が勝手に動き出し、首を締め始めたのだ! 意思に反して両手が動き、しかも凄まじい力で息をふさぐ!!

「ぅぐ………ど、どうして…………。」
「………ふふふ…、どうしてでしょうね? こんな事もできますよ?」
 フルーレがそう言うと、今度はエステルの足が勝手に歩き出す。自分ではそんな事は考えてもいないのに、腕は首を締め、足は動いて周囲をぐるぐると歩き出す。それを操っているのは彼女、フルーレだ。まるで人形を操るように自由自在だと主張するかのごとく、彼女は微笑む……。

「私は《支配者》。この世界そのもの。……王のように決められた枠組みで頂点に在るわけではなく、ルールそのものを、法則そのものを支配するのが私なんです。貴方の思考を読む事も、貴方の四肢を動かす事も思いのまま。私の願った事だけが許される。」

「……もちろん、このまま貴方の首をねじり切る事もね!」

 その言葉と同時に、凄まじい力によってエステルの首がひねられた! まるで、首がひとりでに曲がり、捻じられるように!

「く……、ああ……あああ………。 か────…。」
 勝手に首を絞める腕だけでなく、今度は頭が勝手に捻り曲がっていく! 自分は逃れようとしているというのに、その意志に反して首が胴体より捻じれていく! エステルがどんなに抵抗しようと、それはまったく届かない。声を出すことすら叶わず、ただ押し寄せる苦痛にうめくのみ……。

「苦しいですか? 苦しいでしょうね? ……《支配者》とはそういう事です。視線を合わせた事のある相手を一方的に私の世界へ引きずり込む。そして、この世界で一方的になぶり殺す……。」


「ここではどんな達人であろうとも、どんな能力であろうとも、全てがまったくの無意味。『レクルスの方石』が導いたあの虚構世界のように不必要に巨大ではありませんが、少数であれば確実に引き込み、すべてを奪う事ができる。それが私の力、《支配者》です。……ご理解いただけたでしょうか?」
 その言葉と共に、エステルにかかっていた力が抜けた。フルーレが呪縛じゅばくを解いたのだろう。


 苦しげに咳き込み、ひざをつくエステルはようやくその意味を知った。そして同時に、このあまりにも危険な力で、レンが捕らえられている事の意味を理解した。彼女が念じるだけでレンは死ぬ。きっと今の自分と同じく、抵抗する事さえもできずに殺される。どんな力も、全ての努力も抵抗も、願いさえもまったく関係無く、生と死の全てが彼女に握られているのだ。

 こんなデタラメな力があるなんて、執行者どころの話じゃない。
 この世界の中でなら、彼女はまさしく完全無欠の《支配者》、いや……違う。

 ”神”だ。この世界をつかさどる神なのだ。
 王などという一定の支配力しか持たない者ではない。まさしく法則そのもの。

 この世界に居る限り、どんな抵抗をしようと彼女の手のひらの上でしかない。
 勝つとか負ける以前に、あらがう事さえ許されないのである。




「怖いですか? 私が。……今すぐに貴方の手足を引き裂く事だって簡単ですよ?」
 いたずらっぽく微笑むその顔には、弱者を相手にする事さえいとわしいという傲慢な態度が示されている。脅しであり威圧。フルーレはエステルの意思を刈り取らんと言い放った。……しかしそれでもなお、エステルは言う。

「……それでもレンは……あなたにも……結社にも渡さない! ……例え、あたしが殺されたって守ってみせる! 一緒に……暮らすんだからっ!」
 苦しみから逃れ、ようやく身を起こしたエステルが真剣に見つめ返し、正直に思う事を告げる。うそいつわりもなく、自信を持って言える事。決意の言葉。

 ここまでの力の差を見せつけられれば、誰だってひるむはずの脅し、いや、彼女フルーレにとっての決定事項を、彼女はよしとしない。首を縦には振らない。今のエステルにはフルーレに対抗する手段はなかったが、それでも、これだけはゆずるわけにはいかなかった。
 たとえ考えが読まれたとしても、体の自由を奪ったとしても、それがあきらめる理由にはならない。最後の最後まで諦めずに立ち向かうしかないのだ。レンを救うと決めたから、レンと家族になると決めたのだから。


「……理解に苦しみますね。何をたくらんでいるのですか? …それとも、家族というものに憧憬どうけいを描くレンちゃんをだまして、何かを画策しているとでも?」
「違うわ。企んでなんかいないし、レンをだましてもない。レンには……本当に幸せになって欲しいって想ってる。……だからあたしはあの子を探してるのよ。その言葉にうそなんかないわ。」

 エステルの否定。その正面からの言葉に、フルーレは何も喋らず微笑で応えた。それがなにを意味するものなのか、エステルにはわからない。……しかし同時に、今この場で自分を殺す気はないのだと悟った。殺すつもりなら、会話もせずに抹殺できるはずなのだから。
 では、彼女はどういう目論見もくろみがあって話しかけてくるのか? 彼女の真意を問いただす必要があるようだ。きっと目の前の少女も、この会話から何かを得ようとしているのだろう。

「ねぇ……教えてくれない? なんで、レンを《結社》に連れ戻すの? 命令だから? それに……あなたはレンとどういう関係があるの?」
 エステルがまず気になった事。それは彼女、フルーレがレンの事を”レンちゃん”と親しげに呼ぶ事だ。それはつまり、彼女とレンが知り合いだからではないのだろうか? 2人がどういう間柄であるのかエステルにはわからない。《結社》に戻す理由は彼女が執行者であるからなのだろうけれど…。それだけではない執着があるように思う。そこに糸口があるのではないか?

「私とレンちゃんの関係……ですか……。そうですね、友人というには一方的ですね。強いて言えば、同胞どうほうでしょうか。」
「どう……ほう……? 友達じゃ…ないの?」
「私が彼女を好いているだけで、彼女は私を友人として見ていないかもしれませんので。だから、過去に同じ道を辿たどった事をかんがみて、同胞と言うのが相応なのでしょう。」

 フルーレの言う事、それはどこか自嘲じちょうのようで、独白のような感覚があった。もちろんエステルにはその意味などわかるはずもないが、ただなんとなく、彼女がレンをいているなら、レンを傷つけるような事をしないのではないか、という漠然ばくぜんとした印象を得た。本当にかんのようなものだが、エステルのそれはよく当る。

「貴方のその勘が100%正しいというわけではありませんが……、その通りです。今は彼女を傷つけるつもりはありません。その点だけはご安心ください、エステルさん。」
 ドキリとする返答をするフルーレ。支配者を名乗り、相手の心を元よさえも見通すという言葉に偽りはないらしい。エステル自身も言葉を偽る気などなかったが、それでも、他者が心を監視しているという不気味さに抵抗はある。
 しかし、彼女が自分と話したがっていると分るから、恐れる事を捨てた。そうでなくては話など進まないのだから。……怯えていても状況は変わらないし、レンを救う事もできない。

「ふふふふ………なるほど。大抵の方は私の能力におびえて、他者よりも自らの保身に走るのですが……。その思い切りの良さは感嘆かんたんに値します。……初めてお会いましたが、第一印象は”よし”としましょうか。」
 みょうにひっかかる言い方…。彼女の物言いにエステルには妙な違和感が生まれている。これもまだ、なんとなくなのだが……彼女はレンを傷つけず、ただ連れ戻すだけでなく、何かそれ以外の目的があるような気がする。このフルーレという子は、何を狙っているのだろうか?


「勘ぐる必要などありませんよ。貴方を殺さない理由は簡単です。ただ、貴方にレンちゃんを諦めていただきたいのです。だって、もし私が貴方を殺しても、レンちゃん自身に反発心が残れば、《結社》へ戻る事に躊躇ためらいを生むでしょう? ……しかし、貴方があきらめたのなら彼女も納得するはず。」
 エステルはその答えにようやく合点がてんがいった。……なるほど。彼女は本心からレンを心配しているのだ。だからうれいを消しておきたい。そういう事なのだろう。自分がレンの事を心配しているように、彼女は彼女なりにレンの身を案じているという事らしい。
 自分と彼女の違い。互いがレンを案じている。救おうとしている。ただ違うのはその方法だけ。……これは、どちらがレンを大切にしているかという差による争いなのだろう。100%違和感がぬぐえたわけではないが、納得はした。

 最終的に、レン自身がどちらの道を進みたいのかはわからない。しかし、エステルは《身食らう蛇》という組織に、レンを戻すわけにはいかないと思っている。だったら諦めなければいいのだ。これまでのように何があっても諦めない。
 彼女、フルーレは確かに他者の行動を思うがままに操作できるかもしれない。しかし、心までは操れないらしい。だからこそ、彼女はこんな事までして私に納得させようとしているのだ。
 ……だとすれば、自分さえ諦めなければ光明はある。すでに囚われているというレンを救えるかもしれない。

 エステルはこの少女と対峙する事を決めた。正直言えば聞きたい事はたくさんある。本当に色々ある。……だけど、今はそれを考えずに、レンの事だけを考えようと決めた。

「いいでしょう。貴方が決心したというのなら、私は貴方に全てを問いましょう。貴方が諦めざるを得ない、そう確信すべき証を提示してね。」
 エステルの心を察知して、フルーレが勝負を挑んでくる。彼女もレンを大切に想う者として、エステルに挑むつもりなのだ。

 ただ、この勝負は対等ではない。フルーレは支配者として一方的な攻勢を強いるだろう。エステルはそれを承知で、全てを受け止めるしかない。それがこの世界の支配者たる彼女に対抗する唯一無二の策だ。

「いいわ。どんな勝負でも受けて見せる。あたしは絶対諦めない!」






◆ BGM:3rd「影の王」(サントラ1・25)






 気がつくと、周囲には誰もいなかった。
 そこに、エステルは一人、ぽつねんと立っている。

 いつのまにか、手には愛用している武器『リニアグリップ』が握られており、戦術オーブメントやその他、装備していた品も全部手元にあった。
 この装備を見れば、きっとこれから戦うのだろうと想像がつく。相手は……あのフルーレだろうか? どちらにしろ負ける事は許されない。どんな強敵にだって勝ってみせる。

 すると、前方から足音が聞こえてきた。何者かがこちらに向かって歩いて来ているようだ。きっとそれが戦う相手なのだとわかるから、エステルはリニアグリップを構え相手を待った。靴の音。それがゆっくりと近づいてくる…。

 そこへ、フルーレの声がした。それは直接、頭の中に響いてくる。

『エステルさん。後ろを見てください。』
 声に従い、後ろへと視線を向けた彼女は、その光景に固まった。
 胸元からおびただしい血を流し、幾重いくえにも巻かれた紅の鎖によって十字架に貼りつけられているのだ、ヨシュアが。

「ヨシュアっ!!」
 悲鳴にも似た叫びで手を伸ばすエステル。しかし、その手は空を切るだけで、彼の体に触れる事ができない。まるで幻影であるかのように、すり抜けてしまう。それに声さえ届いていないようだ。何度その名を呼ぼうと、彼は少しも反応しない。ただ静かに、弱々しい呼吸を繰り返すだけだ。


「………無駄やで、エステルちゃん。オレも何度も試した。そういうルールみたいやね。」

「────っ!」
 聞きなれた声。知っている声。この特徴的な声の主を、エステルは当然知っている。先日まで共に戦った仲間の声だ……。しかもその独特の口調。顔を見るまでも無く彼しかいない!

「ケビン……神父っ!?」
「すまん、エステルちゃん。まさかここまで力を持っとる相手に取り込まれるとは……、気がついた時には遅かった。オレとした事が為す術もなかったわ。」
 聞こえてきた足音の主はケビンだ。逆立つ緑色の短髪と、白い改造神父服の男。七耀教会の巡回神父にして聖杯騎士。そしてその正体は、組織の中核を担う【守護騎士ドミニオン】でもある実力者、ケビン=グラハム……。

 彼はいつものような笑顔ではなく、苦々しく、やるせない顔でエステルの前に現れた。妙な世界の中であっても、彼が幻影ではなく、現実の者だという気配がそこにある。とても信じられるものではないが、それでも目の前のケビンが偽者というにはあまりにリアルすぎた。

「夢…じゃないみたいね…。まさか…戦う相手がケビンさんだなんて……。」
 ここに現れたのが彼なら、フルーレが自分と戦わせたい相手が彼なのだとわかる。これはまるであの時と同じだ。”影の国”で顔見知りの強豪達と戦ったあの時、次々と現れた達人との戦いと同じなのだ。
 あの時、自分達は敵のルールだから、という事を納得して彼らと刃を交え、倒した。それと同じ状況がいま定められたというのか? フルーレの思惑によって。

「あのフルーレって嬢ちゃんが何を企んでるのかはオレにもわからんへんけどな、……ただ、ルールは了解済みや。しかも、リベールの強豪と戦った時にプラスして条件がついとる。それはな…。」
 エステルの後ろにヨシュアが縛られているように、ケビンの後ろにも人が、まったく同じ様相で、十字架にくくり付けられていた。それは桃色の髪の、シスター衣装を身にまとった女性……。

「───っ! リースさん!」
 そう、同じく共に戦った七耀教会のシスター、あの愛らしい女性である。
 彼女は傷ついてこそいないものの、ヨシュアと同じように意識が無いままで、十字架に縛られ、こうべれて眠っている…。互いの後ろには大切な者がとらわれている……。この意味を……エステルがその最悪の答えを導き出す前に、ケビンはその条件を言った。


「負けた方は、パートナーごと死ぬっちゅうこっちゃ。」
「──────っ!!」
 エステルはあまりの衝撃に絶句する。負けたら……死ぬ? パートナーごと死ぬ??
 戦いに負けた方が命を落とす。それが………この戦いのルール?


「冗談じゃないわっ!! なんでケビンさんやリースさん、それにヨシュアの命を賭ける必要あるのよ!! フルーレ! あたしとアンタが戦えばそれで済む事じゃない!」
 そうだ。なぜ、他人を巻き込む必要があるのか。他者を殺してまで勝利を得る事にどのような意味があるというのだろう? しかも相手は仲間だ。苦難を共にした仲間なのだ。こんな勝負、受けられるはずがない!


「エステルさん、まだ分っていないようですね。」
 その声と共に、フルーレが、あの白の少女が二人の前に姿を現した。まるで、最初からそこに居て、姿だけが見えていなかったかのように。ごく自然に出現する。

 同時に! ケビンがフルーレへとボウガンを発射した!!
 ───が、その先制攻撃は彼女の体をすり抜けて、いづこかへと飛んで消えていく。

「くっ───。やっぱり効かんか……。厄介やっかいやな……。」
 フルーレへの攻撃は無駄だ。エステルも、そしてケビンもそれを承知していた。影の国での強豪との戦いが避けられなかったように、この戦いも避けられないであろう事は分っていたのだ。
 ……今の一撃はケビンの最後の抵抗であり、反攻の意志を現す証明でもあった。

 そして、そんなものにはお構いなく、フルーレはエステルの前まで歩み寄る。そしてたたえていた笑顔を消し、いままでになく真剣な顔で彼女に問う。気迫まで感じるその表情に、エステルは今までの敵意とはまた違った念を感じ、視線を外すことができない。

「エステルさん。一つ問わせていただきます。……もしも現実の世界で、そこの聖杯騎士さんがレンちゃんをターゲットにしたら、貴方はどうします?」


「ケビンさんが………レン………を…? そんな事があるわけ…………。」
 ……いいや、違う。あってもおかしくない。
 ケビン神父は《星杯騎士団》、そしてレンは離反しているとはいえ《身食らう蛇》の一員である。影の国では共闘したとしても、それは状況打破のための一時的なものでしかなかった。あくまで個人的な理由でしかない。所属する組織そのものには何のつながりもない事だ。
 元々は敵対する組織同士であるという事実が違っているわけではない。だからこそ、そういう事態が起こる可能性を否定しきれないのだ。少なくとも、彼がワイスマン教授をほうむったという事実がある以上、まったく有り得ない話ではないのである。

 それがわかるから、フルーレの問いにエステルは口篭くちごももる。可能性がゼロではない以上、それも起こりうる事実だと認めてしまうのが怖い。そしてその時、自分がどうするのかを応えられずにもくする事しかできなかった。

「…あら、エステルさんは肯定こうていしたくないようですね。…では、騎士さんに問いましょう。もしも……《身食らう蛇》の執行者、殲滅天使レンを抹殺まっさつするよう指令を与えられた場合。貴方はそれを実行しますか?」
 ケビンへと向けられた問い。……彼はそれを、さも言いにくそう頭をかきながらも、迷わず、はっきりと答えた。

「そうやな。命じられれば……殺すやろな。」

 そう。彼は冷徹にそれを実行するだろう。指令を受ければ、実行せざるを得ないのだ。
 どんな対象であれ、星杯騎士団自体がそれを危険だと判断した相手ならば、ケビンはそのボウガンをレンにさえ向ける。
 レンとケビンが共闘した仲間であるという過去があろうとも、仕事そのものとは無関係だ。そしてケビンは殺したくはないという感情だけに囚われて、実行しないという事はない。仲間意識、憐憫れんびん、そういった感情による”ほんの少しの躊躇ためらい”が、さらなる多くの犠牲を生むことを知っているからだ。
 だからこそ個人的関わりのないワイスマンも殺したのだ。それと同じ事をレンにもするだけである。

 それに、レンを処分するに値する理由も存在する。……彼女は執行者として何人もの命を奪っている。《身喰らう蛇》の《殲滅天使》として幾人も始末しているのだ。すでに数え切れない程に殺人を犯している。……そしてその中には星杯騎士の一員も含まれている……。そうであれば、いくらケビンが彼女への温情を願っても、反論の余地はないだろう。

 命令が下される可能性はある。それを知っているから、彼は答えた。
 偽ったところで何のなぐさめにもならないから、……だから殺すと、彼は言ったのだ。



「ふふふふ……そういう事なんですよ、エステルさん。あなたの決意に関わらず、レンちゃんはいつ何時であろうと命を狙われる可能性がある。だって、彼女はすでに救いがたい程に多くの者を手にかけているのですから。……忘れたとは言いませんよね? 彼女の罪を。」

「それが幼いからなんて理由で見逃してくれると思いますか? 始末されて当然の立場にいるのですよ、彼女は。」
「……………それは………。」
 エステルも忘れていたわけではない。レンが咎人とがびとだという事実に目を背けていた面がなかったわけでもなかった。でも、彼女を好ましく思う感情が優先され、なによりもまず、あの子を救いたいという願っていたのも事実。彼女の罪を問う意識よりもまず救い出さなければという意識が強かった。だから、レンが殺されてもおかしくない、というフルーレの的確な、現実的な言葉を受けて、またも反論できないでいる。


「そして、いくら彼女が天才という優れた者であっても、星杯騎士団そのものが全力をあげれば個人なんてちっぽけな存在。簡単ではなくとも、間違いなく始末される。……だから、結社という大きな庇護ひごのある組織に戻った方がその身は安全なんです。」
 絶対に容認などできないが、それでも彼女の言う事は一つの正論でもあった。罪を犯し、そして現在、何の後ろ盾もない彼女を守る事を考えれば、大きな組織の下にいるべきかもしれない。

 でも、だからといって諦められるのか、といえばやはりNOだ。

「だからって! ……レンを諦める事が最良とは思わない。あたし達だってけして無力じゃない! 遊撃士協会から庇護を求める事だって考えられるわ! 他にもきっと、方法があるはずだもの!」
 だが、その決意はフルーレの失笑を買っただけだった。

「……何を甘い事を言っているのです? いまこの場には守ってくれる人などいないではありませんか? そんな都合のいい協力者がどこに居るというのです? 今は貴方しか居ないではないですか。」

 さらにフルーレは、エステルの後ろを指差した。

「しかも今、貴方の後ろにはヨシュアさんがいる。彼は、貴方がここで負ければ共に死ぬのです。それとどう違うというのです? この状況を解決せずに貴方が死ねば、ヨシュアさんも死ぬ。それは今後、レンちゃんに起こりうるであろう事態と違うと言えるのですか? 同じ事ではないのですか?」
「これはっ! アンタが仕組んだからっ───!」
「私でない誰かがいつかこれと同じ状況を仕組んだとしても、貴方はそう言い訳するんですか? 庇護はまだないから待ってくれ、というのですか? 殺さないでと許しをうのですか?」

「……………。」

「他者を犠牲にしなければ大切な人を守れない今この時、それでもあなたの決意が揺らがない事を示していただきましょう。……自分の大切な人を諦めないために、相手を殺してください。」




「…………だからこそ、私はこういう場を用意したのですよ。貴方の覚悟を見せていただくために。……貴方と戦う相手が私では意味がないという根拠は、お分かりいただけたでしょうか?」
 フルーレは簡潔にそう述べたのだ。




「そん……な……。」
 今のエステルには……選択権がなかった。いや、目の前のケビンにも選べないのだろう。彼も理解している。この状況でフルーレに逆らう事ができないのだと。エステルにも、戦わなければならないという強制力が自身を取り巻いていると感じる。逃れる事はできないという力が働いている。

 もう、戦うしかないのだ。《支配者》の望むままに、大切な人を賭けて戦わなければならない。ヨシュアとレンという大切な人を守るために、他人を殺すのだ。仲間を殺せというのだ。
 影の国で戦った知人達も同じだったに違いない。影の王が操るルールという名の強制力からは逃れられないからこそ、全力で戦ったのだ。だけど、まさかそれが自分の身に降りかかるとは……思いもしなかった。


「……………なるほどな…。お嬢ちゃんの考えてる事が読めたで。確かに……エステルちゃんと戦う相手で、一番最悪なのはオレやろうな。……そういう…事なんやろ?」
 ケビンはいつか見た薄ら寒い微笑を浮かべてフルーレに問う。それはエステルも見たことがある、敵に向ける視線だ。見たことはあるが……やはり、いつもとは違う彼のその雰囲気は未だに慣れない。まるで、暗闇を熟知しているかのような目をしているからだ。

「ご明察です。エステルさんと戦う相手に、貴方以上はいないでしょう。カシウス=ブライトでもなく、レオンハルトでもなく、それ以外の誰でもない。貴方だからこそ、呼んだのです。」
「どういう……事?」
 エステルの不安げな、そして理解できないという意志を込めた瞳がケビンに向く。すると彼は、人なつっこいいつもの表情で、苦笑いをしながら答えた。

「……なあ、エステルちゃん。オレは謝っておかないかんと思ってた事があるんや。オレな、前にエステルちゃんの事が好きやって、言っとったやろ? ……あれ、ウソや。」
「………………うん………。」
 こんな時になぜその話を切り出すのかがわからないが、……それについてはなんとなくだけど分っていた。あの時はヨシュアの事で頭がいっぱいで、彼の優しさに甘える事がなかったのだけれど……。それでも、彼は自分を好きといいつつ、どこか一線を引いた感じがあって、ケビン神父という名前以外で呼ぶことができなかった。
 エステルがその答えのすべてに辿りついたのはリベル=アーク事件の後だったけれど、それでも当時は、あの優しさに救われたのも事実だった。感謝こそすれ、恨むつもりなんてない。

 ───でも、なぜ今ここでそれを?





BGM:3rd「Till the Night of Glory」(サントラ2・21)






 ケビンがゆっくりとボウガンを構えた。狙いは間違いなくエステル……。

「オレな、エステルちゃんの事は好きでもなんでもなかった。好きどころか、オレにとってキミは駒としてしか見てへんかったんや。……仲間なんてのも嘘。誰も信用なんかしてへんかった。……全てはゲルオグ=ワイスマンをほうむるため。」

「だから、いいように付き合って仲間のふりしとった。あのメンバーに加わるには一番手っ取り早い手やろ? つまり、テキトウな事ぬかしてキミを利用しとったわけや。」
 すかさず発射される矢!! それは敵に向けられるもの、攻撃の意志。ケビンはとうとうエステルに牙をいた! 咄嗟とっさの事で回避が遅れたが、それでもエステルは無理な体勢からそれをはじいてみせる。


「だから、どうかオレを憎んでくれんか? いや、嫌ってくれるだけでもええわ。……でないと、こっちも安心して殺せへんから。」
 まだ戦う気構えが整っていないエステルへ、ケビンは正面から突っ込んでくる! そのまま彼の左腕が、なんと顔面めがけて殴りつけようとする!
 エステルは驚愕きょうがくする! 魔獣や見境の無い敵ならばともかく、顔見知りの、しかも男の人がいきなり顔を殴ってくるだなんて考えた事もなかった。いや、意識した事さえなかった。顔を殴られるのが怖いとか、そんな陳腐ちんぷな感情じゃない。かけがえのない仲間であり、知り合いという近しい人間が突然そのような行動に出て、どうして驚かずにいられようか?

 だから反応が鈍る! それでもなんとかエステルは体をひねり、ギリギリで避ける。

 そして、
 腕の力だけで棒を操り、自身の体を宙へと舞わせた。不利な体制から無理矢理に脱出して距離をとる。いまだ混乱している自分をケビンは狙ってきている。彼も強制力にはあらがえず、戦わなければならないと理解しているのだ。全ては愛すべき者を守るために。
 しかし、エステルにとって、ケビンが自分を利用していたとか、そんなことはどうでも良かった。だって、ワイスマンを相手にした時はそうだったかもしれないけど、影の国では違ったはずだ。

「あたしは戦いたくない! どう思われてたって…、そんな事は関係なく本当の仲間だもの! 苦しい事も、辛い事も、みんなで頑張って乗り越えた。一緒に困難を乗り越えたからこそ───」
 だが、ケビンはその言葉を聴かずに次の行動を起している。次の瞬間、エステルのいくつもの周囲は金属のような柱でふさがれた! それが四方を取り囲んでいる! これは見たことがある! これは───っ!

「───空に気高き、集約される力、あまねは銀の意志……駆動魔法【シルバーソーン】っ!」


「きゃあああああああっ!!」
 剣帝レーヴェの得意としたアーツが、強力な電撃の渦となってエステルを襲う! だが攻撃はそれでも終わらない。さらにケビンはその最中にもボウガンを連射する! 彼の攻撃には、仲間であるという躊躇ためらいが一切ない。倒すべき相手が誰であろうと手加減をしなかった。
 しかも電撃によりエステルは混乱する。激しい放電を受けたために方向を見失い、地面の位置が確認できなくなったからだ。さらに、そこにケビンの放ったボウガンの矢が迫る!

 ───だが、エステルもただでやられているわけではない! アーツを受けながらも、自身でアーツを詠唱えいしょうしている! おそい来るボウガンを絶対に避けるためには、もうこれしかない!

「───吹き荒れよ大気、速やかなる風舞ロンド、渦と為せ烈風が刃……駆動魔法【エアリアル】!」

 エステルを中心に発現した竜巻。普段は攻撃に使われるはずの力強い風の障壁を利用し、彼女はそれを守りに使った! 確かにエアリアルはアーツの中でも威力は弱いが、矢の狙いを逸らすには十分だ。飛んでくる全ての矢を逆巻く迅風でなぎ払う。
 まるで、意志を持つ風に守られるように、エステルはその中心に立っていた。先に収束した【シルバーソーン】により混乱したものの、すでに立ち直り棒を構えている。いまなら虚を突いて反撃できるタイミングではあった。
 しかし、エステルはそれをしない。戦えという強制力が信号となって脳へと流れ込んでくるが、彼女はそれを必死で押さえ込みながらも言葉を投げる。

「……け………………ケビン…さん! あたし達が戦わなくて済む…方法がまだある…はず。ヨシュアも…、リースさんも……救える道がきっとあるはずよ。…だから、もう…………。」
 フルーレの作り上げたルールは絶対である。それは証明されているのだ。だから、それを知っているからこそ、エステルは強く言い放つ事ができない。……否定以外を選べない。だって、かけがえのない仲間ではないか? どのような強制力が働こうとも、これが破滅へ向かうことだと分るから、抗う以外を選べない。エステルには悪あがきだと分っていてもなお、諦めたくなかった。

 そんな彼女の願いなど関係なく、ケビンは無言でボウガンをエステルに向ける。彼は戦いを放棄しようとはしない。戦いたくないのは当然だが、それ以上に、彼の強靭な精神をも屈服させる絶対的な強制力が働いているのだ。それはエステルに働く力の万倍にも値する。フルーレはなぜかエステルにはかろうじて抗える程度の力を掛け、ケビンには絶対的な支配力を乗せている。
 ケビンも選ばれし聖なる力を使い必死で抵抗しているのだが、まったく引く事ができなかった。かけがえのない仲間を傷つけ、その命を奪う事になろうとも戦う事を拒否できなかったのだ。

「(くそっ! なんてパワーや。オレの聖痕を全開にしてもあらがえんとは。……いくらなんでも、おかしいすぎや。人間がこれほどのパワーを持続させてたら自滅するだけやってのに…。何かいとるんか? いや、悪魔の類なら聖痕には敵わんはずや。だとすると……。)」

 戦いを強制されているケビンは、かつてない支配力に反抗しながらも、冷静に状況を把握しようと努めた。だが、考えをまとめようとしたとき、この戦いを仕組んだ張本人、フルーレの声がケビンにだけ聞こえてくる。エステルの時と同じように、頭の中に直接……だ。

『星杯騎士さん。貴方には申し訳ありませんが、エステルさんの弱点を突くために尽力していただきます。貴方がエステルさんに対し、心の奥底で少なからず考えていた事を暴露していただきます。』
「(なんやて!?)」
『貴方はさきほどそれを当てたでしょう? それをそのまま言えばいいだけの事です。』


「………………まったく悪趣味な嬢ちゃんやな…。これをオレに言わすか。」
 さらに強く働く異常な強制力。フルーレは個人の意志を操る事は出来ないが、元々考えていた事を言わせる事はできる。だから、ケビンはそれを言わざるを得なかった。ケビンは、小さくため息をつくと、………ボウガンは構えて下ろさず、エステルに真剣な瞳を向けて言い放った。

「なあ、エステルちゃん。あのフルーレってお嬢ちゃんが、なんでオレをキミの戦う相手に選んだと思う?」
 突然の問い。しかし、今のエステルにはその理由を考える余裕はなかった。改めて問われるとその意味がわからない。なぜフルーレはケビンを相手に選んだのか? 彼より上の強さであれば、父カシウスの方が上のはずだ。だったら、父さんを出せば勝てなかったはず。…なのに、なぜケビンを選んだのか?

「……エステルちゃんにはまだわからんやろな…。正反対だからや。」
「……………………正反対……?」

「そう。まったくの逆なんや。……オレが黒ならキミは白。そういう世界で生きてきた。」
 生きてきた…世界? エステルはその言葉に心が揺れた。自分が生きてきた道が”白”で、ケビンが生きてきた道が”黒”。その言葉の意味が漠然でエステルには分らない。ただ、彼女が把握しているケビンの過去はけして平坦なものではなかったという事だけは知っている。

 彼が生きてきたという世界。いま自分の背中で囚われているヨシュアのように、黒く塗りつぶされた辛い道か、それ以上に痛みを伴うものだったのか。……結局、それを話として聞こうとも、実際に体験したわけではない以上、他者にはそれを真に理解し得ない。当事者には成り得ない。聞いただけでそれを知っているとのたまうのは余りにも愚かしい事だからだ。

「リベールという守られた国で生まれて育ったキミは、この世界に存在する黒い部分をまったく知らへん。知っとる言うても、ヨシュア君の過去とか、そんな程度だけ。でもそれはな、ほんの入り口くらいなんや。───世界はキミが思うほど……優しくなんかないんやで。」
 ケビンの瞳がだんだんと暗く深い闇に埋もれていく。まるで、いままで表面を覆って隠していた真実であるように、黒の部分を語りだす。

「金さえ積まれれば、なんでもする輩がいる。殺人、人さらい、詐欺さぎ、身売り、その他多くの犯罪……それどころか、金に困って我が子を売る者もおれば、それを食い物にする奴さえいる。」
 ケビンは次の瞬間、アーツ魔法【アクアブリード】を放った。当然のように回避するエステルだが、その魔法による水泡が突然弾け、水が飛び散る!!
「───えっ!!」
 が、それは注意を引くためのフェイントだ。本命の攻撃はエステルの背中から、真後ろから迫る金属の刃【アースランス】の強襲である! 串刺しの一歩手前、エステルはなんとか転がってそれを避けるが、そこにさらなる追い討ちでボウガンが飛んでくる!

「宗教という理念に盲目となり倫理をて、他者を生贄に捧げる教団もある。何も知らぬまま生贄にされ、何も知らぬまま人を殺した子供もいる。力にとらわれ他者の命さえも利用する権力者がいる。そして……我が子を殺そうとする親がいる。親を殺して平気な顔で生きている奴も居る!!」
 リニアグリップを回転させ矢を弾くエステル。だが、逃げ回るだけだ。彼の重い言葉を身に受けて顔が苦しげに歪む。しかし、苦悩する間さえも与えられず、ケビンの攻撃は烈火のごとく続いている。

「キミや周囲の人々、そしてリベール王国は優しいのかもしれん。でも、世界という現実は違う! 少なくとも、オレはその断片を知っとる。そして、キミが生きてきた白の世界とオレが生きてきた黒の世界。それは2つの違う場所なんかじゃない。すべて同じ世界の問題なんや!
 ついに、エステルの左肩をボウガンがとらえた! 深々と突き刺さるそれがエステルに激痛を与える。だが、それでもケビンは攻撃を止めない。心と体の痛みに絶えながら、エステルは懸命に攻撃を避ける。


「それに対してキミは何を知っとる? 世界の何を知っている? いや、何も知らんやろ?!」
「………くぅ………っ!」
 そして二発目、今度はわき腹に刺さった! さらに三発目が右足にも突き刺さる! 熱を帯びた更なる激痛が同時に襲い、その傷口からは真赤の血がにじみ始めた…。それでもケビンは攻撃する。エステルを痛めつけるかのように、手加減無くボウガンを放っていく。
 無理矢理に体を動かし、飛んで避けるエステルだが、避け切れなかった一撃が、彼女の「髪飾り」の一つを、右の一つを吹き飛ばす! 闇に舞い広がる茶色の髪を気にする間もなく、エステルは呼吸を置かずさらに飛びのいた。

「あのレンって執行者のお嬢ちゃんは、間違いなくオレと同じ、黒の世界の住人や。そのお嬢ちゃんの闇を、エステルちゃんはどれくらい救えるんや? ヨシュア君みたいに、一緒に暮らせば平気だとか考えてへんか?」

 そして、再度の【シルバーソーン】は放たれた! かつて無いほどの鮮血に塗れたエステルは、さらに電撃という痛みにもだえ苦しむ。その最中、ちらりと、張り付けられたヨシュアを見た。それは救いの声か、それとも、かつて闇に在った少年を想っての事なのか?


「ヨシュア君以上の地獄を見たあのお嬢ちゃんを、何も知らんキミが何をどう救うんや?

 エステルの脳裏にレンの顔が浮かぶ。
 寂しい顔なんか滅多にみせず、いつも強気で構えている少女。
 独りで居たくはないのに独りで旅をし、心は強くなんかないのに強がる少女。

 あたしは、あの子の何を理解してあげられるの?
 優しく包むだけで、ヨシュアのように接すれは大丈夫だと、心のどこかで考えてはいなかった?


 あの子の背負った罪と痛みの全てを抱きかかえ、それでもなお一緒にいられるという資格があるの?!





 とうとう攻撃が止んだ。
 しかし、そこに残されたのは、力尽き倒れた………エステルだけだ。


 体から血を流し、心に杭を打たれて苦痛の表情を浮かべる彼女。右側の髪飾りが外れた事で、黒い地面には血のついた髪が広がったままになっている。……そして瞳は戸惑いを浮かべ、自身の無知を問うようにささやく。
「……………本当……あたしは…、何も知らない。何も知らないんだ……。」

 体を引きずるように、それでもなんとか立ちあがろうとするエステル。
 信念という確固たる意志がまだくじけていないと示すかのように、最後の力を振りしぼって、立ちあがろうとする。刺さったボウガンを引き抜き投げ捨てる。痛みをこらえて必死に立ち上がろうとする。

「……あたしは、半年前にやっとリベールから外へ、世界に出て、色々な事を見たし、経験した。」


「……それは、本当に分らない事だらけで……、上級遊撃士という肩書きを持ってしまった事を後悔するくらい、沢山、学ばなきゃいけない事があった…。」
 ケビンは何も言わずに彼女が立ち上がるのを待つ。もちろんボウガンを下ろさない。だが、彼女の言葉を聞き届けんがため、その瞳を外さなかった。

「確かにあたしは……未熟だと思う。新米もいいところ。世界なんて知らない、本当に子供なんだと思う。」

「だけどね、違うの。ケビンさん、違うのよ! それでもあたしはレンと一緒に居たいの。未熟だけど、何も知らないけど、だからこそ、なんでも一緒に知っていきたいと思うの! 一緒に支えあって生きたいと思うの! ……これ以上、レンを一人になんて出来ない。レンは待ってる! 必要なのは今だもの! あの子は、あたしが成長するまで待ってはくれないのよ!」





「だから今! レンのために全力を尽くすの!」

「あたしにはそれしかできない。エゴかもしれない。だけど、一緒に頑張りたい。」
 エステルは血に塗れた自身の体を抑える事無く、ケビンに向き合う。絶対に、絶対に、絶対に諦めないという決意を示し、彼の前に立つ。それが甘いことなんだと分っていても、自身の生き方を変えるつもりはない。だって今の自分には、これしか出来ないのだから。

「でも問題は解決してへんで。決意はそうであっても、オレを殺さんかったら、ここからは出られへん。先にも進めんのや。それが、あのフルーレって嬢ちゃんの決めたルールやからな……。」

「なら、キミはオレを殺せるんか? 大切な人を諦めないために、仲間を殺す覚悟ができたというんやな?」
「そんなの出来ない! あたしが尽くそうとする全力はそうじゃないっ!」

 決意をするだけでは意味が無い。行動で示さなければ、それは妄言もうげんでしかない。エステルにもそれは分っていた。レンを救い、そしてヨシュアを救い、ケビンとリースをも救う。そんな事が自分に出来るのかなんて分らない。だけど、エステルは立ち向かうと決めた。

「だから、誰も死なせない! あたしも死なない! きっとここから出てみせる!!」

 とうとう、エステルが真に武器を構えた。自分が取ることが出来る唯一の方法は、殺さずに勝つ事。そのために棒術を今日まで学び、血のにじむような鍛錬を積んできたのだ。武器に心を乗せるのは破壊の力だけではない。抑止するための象徴、それが自分の学んできた棒術なのだから。
 フルーレを納得させるほどの完膚かんぷなき一撃で勝つ。そこに勝機を見出す以外、道はない。

 ならば、が非でも、それを成しげなければならない!!


「……それでこそエステルちゃんや。……でもな、オレもリースのために負けられへん。キミがどれ程の決心をしたのかわからんけどな、ここでオレを止められるかは別問題や。…もし、キミに本当の覚悟があるというのなら、これを何とかしてみい。」
 その瞬間、ケビンの背から黒い炎が立ち登る。彼に宿る聖痕が描き出すのは黒の紋章。かつてケビンが宿していた邪悪なる意志。それがいまここに、よみがえろうとしていた。

「オレの中に巣食う闇は、きれいさっぱり全部が消えたわけやない。一生消えへんのやろな。……だから、この戦技ももちろんそのまま使える、というわけや…。今のオレにはぴったりやろ?」
 ケビンの周囲に、幾本もの槍があらわれた。それは”魔槍ロア”というアーティファクト。精神の力が作用し、それを数十……いや、百を超える数を具現化させ、敵を串刺しにする絶対破砕の陣をく。


 ─── 千のとげをもって、その身に絶望を刻み ────




 ─── ちりとなって無明の闇に消えるがいい ────


 それはケビンの最大戦技であり、ただの人間には手の届かない凄まじき破壊戦技、Sブレイク【魔槍ロア】である。人知を超えるその威力を身に受ければ、エステルは間違いなく絶命するだろう。だが、ケビンは手加減をするつもりなどない。強制力が働いているというだけではなく、彼女の全力に答えなければならないからだ。

「そんなのっ、発射させる前に!」
 エステルは駆けた。ケビンのSブレイク【魔槍ロア】は、自身のボウガンの引き金を引く事をトリガーとして魔槍を打ち出す技だ。……ならば、引く前に仕掛けなければ勝機はない。喰うわけにはいかないのだ。このままでは間合いを詰める前に発射されるだろう。
 エステルがケビンに決定的な一撃を与えるには、接近戦に持ち込まねばならないが、今この場では距離を保っているケビンが断然優位だ。

「すまんなぁ……。でも、オレも命に代えて守らなあかん奴がおる。これが例え真の煉獄に堕ちる行いであってもな、それでもリースだけは救わなきゃいかんのや!」
「それもっ! あたしが救ってみせる!!」
 エステルは間に合わないと踏んで、戦技『捻糸棍』を繰り出した! それは光弾となってケビンを襲う! エステルが持つ技で唯一、中距離の敵に攻撃できる技。闘志を込めた念を光弾と化して放つ技だ。鍛錬と実践を経て、極みを得たその攻撃を先んじて与えれば、Sブレイク【時の魔槍】を放つ事を阻止できるかもしれない。いや、怯ませるだけでも時間は稼げる!

「無駄や。」
 ───が、捻糸の光弾はケビンの目の前で不思議な壁に遮られ、弾かれる! これは───っ!

「グラールスフィアっ?!」
 ケビンのもう一つのSブレイク【グラールスフィア】は、すべての攻撃を無効化する効果を持つ、空の女神の力を借りた障壁だ。本来なら戦闘が開始されてからの防御手段として用いられる特殊技ではあるが……、彼はエステルと再会する前から、最初からこれを使っていたのだ。
 この世界に導かれた時点でルールを知った彼は、相手が誰かはわからないが、それでも、これから何者かと戦うであろう事を考慮し、戦闘中に使わないことで相手の油断を誘っていた。

「ご名答……けどな、これで終いや。────砕け、時の魔槍──っ!」

 ケビンのボウガンから発射されたそれと共に、彼の周囲に出現した無数の槍がエステル目掛けて飛ぶ。その威力はこれまでの冒険で目にした通り強力無比。その槍一本でさえ、体を貫かれれば絶命するであろう異常なまでの威力を有している。……そして広範囲に渡るそれを、今のエステルには避ける術がない!

 空間さえも引き裂く弾丸と化した魔槍、総数200を超える魔槍群の強襲が彼女へ迫る! そしてそれは轟音と共に、次々と容赦なく地面へと突き刺さっていく───。

 そこには確かに、体を貫かれる細身の体があった。

 しかし、ケビンは技の全てが着弾し、標的を貫いたにも関わらず次の行動を起している。
 ポケットから一つのアンプルを取り出し、すかさず腕に注射した。それは「ゼラムカプセル」という疲労により磨り減った全ての体力、気力を全快させる古代の秘薬だ。自身の技が完璧にエステルを捉えたと確認したはずなのに、彼はまだ戦いが終わっていないと判断した。

 その瞬間、闇の中から、なんとエステルがおどり出る! まぎれもなく本物の、そして戦う意志を宿した正真正銘の彼女であった。確かに貫かれたはずの彼女が、無傷でそこから脱し反撃を開始する!

「やっぱり、身代わりマペット……か!」
 そう、エステルはケビンの【時の魔槍】が発動する瞬間、身に着けていた小さな人形「身代わりマペット」という道具を投げた。ふざけた名前ではあるが、それ自体の有効性は遊撃士であれば誰もが認識している。
 発動と共にそれは一瞬で使用者と同じ姿を形どる。敵が狙う自分への意識を人形へと移すとともに、使用者を数秒間だけ闇に紛れさせるのだ。ケビンの意識は身代わりとなった人形へと向き、エステルはなんとか効果範囲から逃れる事ができた。
 決定的な場面で一撃を防ぐ効果があるとして重宝されるものだが、あまりにかさ張り、また、荷物になるために持ち歩かない者が多い。また、他の有用な装備も数多くあるため、便利でありながら使用されにくい道具でもあった。……熟練者であればなおの事、使用しない者は多い。
 エステルは自身が未熟である事を承知していたから、あえてそういう品を身に着けていたのである。

「だけどな! そんな姑息こそくな手を使ったところで、グラールスフィアの効果はもう一撃分残っとるで! どんな攻撃であろうとも防ぐんや! だからキミには発射を阻止できへん!」

 グラールスフィアはどんな強力な攻撃でさえ完全に防ぐ。剣帝レーヴェの必殺【鬼炎斬】であろうと、影の国で戦ったアニマ=ムンディの超破壊Sブレイク【聖痕砲メギデルス】であろうとも、その全てを完璧に防御する技であるのだ。しかもケビンが使うそれは二撃分を耐え抜く効果を発揮する。

 実際、一分一秒を競り合うこの死闘において、一撃を無効にするという事は圧倒的な優位を得る事に等しい。ケビンへ攻撃を与えるためには、エステルは二度も攻撃し、そらにもう一度攻撃を与えなくてはならない。それがどれだけの試練であるかは、戦う本人がよく心得ている。
 だが、加護を受けているケビンは違う。一方的に攻撃をするだけでいいのだ。もう一度、同じ攻撃を繰り返せばそれでいいのである。だとすれば、どちらに勝機があるかは考えるまでもない。まさしく、生死を分ける力を有している技、それが【グラールスフィア】なのだ。




 ─── 千の棘をもって、その身に絶望を刻み ────


 ─── 塵となって無明の闇に消えるがいい ────




 容赦のない二発目。……もう一度放たれてしまえば、エステルには避ける術はない!


 しかし、エステルはグラールスフィアの特性を逆手にとった。
 残っていた左側の「髪飾り」を外すと、ケビンへと投げつけたのだ!

「どんな攻撃でも一回は一回よっ! とおりゃあぁっ!」
 全力で投げられた髪飾りがケビンの前で弾かれる! 同時に、彼を守っていた聖なる力の障壁は消失した。どんなに攻撃力があろうとも一度は一度。その法則は変わらない。エステルはその弱点を上手く突いたのだ。

「なんや、これくらいっ! 突っ込んでくればさっきと同じ事や!! 砕けっ! 時の────」
 ここでエステルが駆け込んで来たなら、ケビンはそのまま時の魔槍を叩き込むだけで今度こそ彼女自身を串刺しにできていただろう。相手から効果範囲に入ってくれるのだから発射するだけでよい。

 しかし、彼女はそうしなかった。
 そのままその場で、リニアグリップを振り回したのだ!

 走りこむでもなく、攻撃するでもなく、エステルは武器を振り回した。大振りに回すだけ。その不可思議な行動には、百戦錬磨のケビンでさえも何を意味するものなのか理解できない。
 だが、彼女が何かしようとしているのは確かなのだ。しかし、この絶体絶命という状況で、接近戦闘主体の彼女が距離も詰めずに何をしているというのか?! それがまったく予想できない。だからこそ、撃つ事ができなかった。ほんの少しの躊躇ためらいを生んだ。

「一体───、何を仕掛け────…、なっ!!」
 その瞬間! 構えていた彼のボウガンがはじかれた! いや、何かに引っかかって飛ばされたかのように手からはじかれたのだ!! これは───、


「つ、釣り針?!」
 なんと釣り針によってボウガンがすくわれ、弾かれた! エステルは「釣り師の紋章」を使ったのである!
 ボウガンに針を引っ掛け、釣りあげたのだ!

 ケビンのSブレイク【魔槍ロア】には弱点がないうように思える。しかし、唯一の盲点があった。それは、彼がボウガンを撃つ事で技を発動させている事だ。ボウガン発射というイメージに乗せて【魔槍ロア】を繰り出している以上、その発動体というべきそれを弾き飛ばされては、いつものように発射する事が出来ない。発射するにしても、明らかな間が生じてしまう。
 まさかこんな手で、しかも自分でさえ意識していなかった盲点を突くなど、エステルの行動は、ケビンのそれを想像を遥かに超えたものだった!

 呆気に取られたまま、ケビンはつい飛ばされるボウガンへと目をやり、そこで気づく。

「……はっ! ────し、しもうたっ!」
 だが、もう遅い!

 エステルはすでに自身の間合いへと駆け込み、接近戦にまで持ち込んでいた。
 そしてあの技を繰り出す───。



「はぁぁぁぁぁっ!」
「くっ、─────グラール…スフィ───!」



「遅いっ! 桜華無双撃っ!!」
 ケビンの懐にまで接近した状態で、放つべき技はこれしかない!
 エステルは持てる力の全てをつぎ込み、最大の連打をケビンの胸板へと叩き込む!

 それは棒術の特性を最大限に生かした連打の嵐だ! 棒という武器が持つ突進力、伸縮力、弾力性を100%引き出し、経験と錬度により極みを得たエステルの奥義、Sブレイク【桜華無双撃】。
 だが、破壊力はそれだけではない。さらにこの一撃には彼女の意志と想いさえも込められている。正真正銘、最大の連撃となってケビンを穿うがった!


「─── がはっ」
 これまで受けたどの攻撃でさえも感じた事のない強烈な攻撃。いかにケビンが熟達した戦士であったとしても、これほど完璧なタイミングでの全力攻撃では防御すらできない! 完全にエステルが間合いを支配しているからだ。
 ケビンはまるで、体から活力が吸われていくかのように、激痛と共に強い脱力感を受けていた。

「まだまだっ!」
 さらに、エステルはそこから次なるSブレイクへとつなげた。ケビンの周囲を稲妻のごとく旋回し、死角から攻撃を叩き込む! 乱打、乱撃の嵐は稲妻がごとく旋風を呼ぶ。エステルが駆け抜けた後に残る気流により、彼女はさらに加速する……。

 これこそ、彼女の最大奥義─────、




「────絶招っ! 太極輪───っ!!」
 10、20、30……次々とケビンに食い込む打撃、打撃、打撃…。エステルの駆け抜けた後には実に、40回を超える打撃跡が残されていく。
 右から攻撃したと思えば次は左から、左から攻撃したと思えば、今度は足を狙われる。彼の周囲を旋回するエステルの一撃は、それら全てがウィークポイントに絞られる。高速の攻撃により判断させる間も与えず、人の注意力が向くまったくの逆を攻める事で、防御さえもさせない。

 それが、彼女が最大奥義と呼ぶSブレイク【太極輪】だ。その激烈なる旋風に巻き込まれた者は、いかなる達人であろうとも、防ぐこと叶わない。まるで舞い踊る人形のように、攻撃を喰らう事しか許されないのである。

 いくらケビンが歴戦だとはいえ、ここまでの破壊力をその身に受けてはどうしようもない。体力の全てが、闘志のすべてさえもが潰えていくのがわかる。

 彼も長い戦いを経てかなりの強さを得たが、彼の予想を遥かに超えて、エステルの実力はさらに増していた。成長したのはケビンだけではない!
 そして驚くべきことに、エステルは全ての攻撃で急所をわずかに外していた。これだけの死闘だというのに、そこまでの芸当をこなしてみせる。これではグゥの音も出ない。

「はは………まったく……完敗や……な…。」
 攻撃を受けつつある中で、彼は………苦痛よりも安堵感の方が強く感じられていた。完全な敗北だというのに、共に在ろうと誓ったリースを救えなかったというのに、彼は今、確かに……安心していたのだ。

 そして、技の終息と共に………ゆっくりと崩れて落ちた。



「はぁ…はぁ……はぁ…はぁ……。」
 これまで一度もやった事のないSブレイクの連鎖。それはあまりにも無茶な行動だ。渾身の一撃であると同時に、技を放ったエステル自身も疲れきって動けなくなってしまう。イチかバチかの攻撃。……だが、それは成功した。確かに倒したという手応えを感じ取った。すでに立つ事もままならず、地面へとへたり込む。

 彼女は勝った。
 相手を殺さず、最大限の一撃で、完膚なきまでの一撃でケビンを倒してみせた───。


  「…はぁ…はぁはぁ…勝った……! ……ケビンさんに勝った!」








「これで文句はないでしょう!? フルーレっ!」


 何処ともなしに勝ち名乗りを上げるエステル。彼女は敵を無力化してみせた。殺さずに、戦闘能力だけを奪ってみせた。くつがえす事のできないはずの状況を、信念の目指すまま貫いたのである。

 自身の背中へと視線を向ければ、さきほどから変わらないまま負傷したままのヨシュアがいる。そして倒れたケビンの後方には、何も知らぬままで意識を失っているリースがいる。ちゃんと二人とも無事でいられたのだ。フルーレが与えたルールを守り、それでも救えたのだ。








 ──── 常闇は返答することなく、ただ静かに黒い世界だけを映し出していた。








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