ナイトメアがやってくる!
BGM:「Banquet of frenzy」 (3rd サントラ2・14)
今、一つの世界が終わろうとしている。
支配者はその力の全てを使い、問いかける。
だがもう時間がなかった。彼女が朽ち果てるまでには時間がない。
彼女はすでに限界を迎えていた。引き返す事の出来ない運命を選択せざるをえなかった。
……しかしそれでも、見届けなければならなかったのだ。
強き魂の輝きを、
運命さえも乗り越えるその魂の力を、
どんな闇をも照らし続ける光ある絆が生み出す力を、
─────彼女は見届けたかった。
渦をなし激しく揺らぐ闇の世界において、戦う意志を宿す二つの輝く魂。
その一つは片手を使えず、しかも彼がもっとも不得意とする敵を相手にする。
そしてもう一つは、かけがえのない大切な者を守るため、自身の闇と向き合う。
希望を求め、対峙するその二人……。ヨシュアとレンは眼前の敵へと戦いを挑む。
ヨシュアの敵はその全ての能力を開放したパテル=マテル……。絶対的パワーと防御力を有し、破壊の拳を振り上げる巨大人形兵器。世界最強を許された破壊兵器である。ヨシュアの習得した”隠行”という技能にとって最も不利を強いられる敵。相性としては最悪の組み合わせだ。
しかも、フルーレの仕掛けにより、元来の光線主体の機体であるという部分を変異させられ、運動能力に特化されている。ヨシュアはこれを、たった一人で倒さなければならない! 無茶や無謀を通り越した圧倒的に不利な戦いだった。
そしてレンの相手は、自分自身の闇……。
彼女が本当の自分というモノを守るがために生み出した別人格、《執行者のレン》というものだ。それは本来のレンが受けるはずだった悪意を受け止めた。彼女の変わりに悪意を受け持った人格である。
大切な、本当の自分を守るために、悪意の全てを彼女が背負わせたのだ。現実から目を逸らすためにレン自身が作り出した人格、それが《執行者のレン》なのである。
「お姫様、まさか戦う気? ……いつも逃げてたくせに。いつもいつも逃げ回って、別の人格を作っては逃げ込んでたくせに、なんで今になって戦うの?」
もはや、そこに居たのはフルーレではなかった。一片の光さえ宿さぬ邪悪な瞳を持つ殲滅天使、《執行者のレン》という人格を持つ自分自身。彼女の言葉はレンの言葉、レンの言葉は彼女の言葉。同一無二の魂である。
「エステルを助けるの! レンはエステルを助けたい! だから、貴方に……自分に勝つわ!」
「うふふ……、お姫様は大人しく引っ込んでればいいのに。今更出てきて何をするっていうの? あなたみたいなお邪魔虫さんは必要ないの。」
同人格であるにも関わらず意見は対立する。愛する者のために戦う本心、お姫様と呼ばれるレン。そして自分の思い通りにする事だけを望む執行者たるレン。
それはすでに同じ魂ではなく、目指すものが違っている。
レンは自分を超えなければ、エステルを救えない。《執行者のレン》は負ければそのまま消えうせてしまうかもしれない。……なら、戦うしかない。自分の主張こそが正しいと言うのならば、その力で屈服させるしかないのだ。
己が己であるために、二律背反する白と黒の魂は、もはや戦う以外に道はない────。
何かが崩れ去るような轟音、それに伴い、揺らぐ世界が崩壊の兆しをみせる。
どこまでも広く、果てしなく先があるはずの闇の世界に亀裂が走る!
それが戦いの合図となった。
「──── 我、趨勢を決す、うつろわざる煌きを擁す夢幻なり 駆動魔法【セイント】ッ!」
「──── 我、趨勢を決す、うつろわざる煌きを擁す夢幻なり 駆動魔法【セイント】ッ!」
二つの同じ声が同時に発せられる! それは自身の能力を上昇させる幻に属する駆動魔法だ。まったく同じタイミングで放たれたそれは、その効果もまったく同一のもの。レンが本気で戦う時に使う常套手段である。
彼女が執行者として戦った時は、自分よりも格下の場合が多かったために、必殺のSブレイク【レ・ラナンデス】による一撃殲滅を行う事も多かったが、今回ばかりはその手も通用しない。相手は自分なのだ。間違いなく最悪の相手である。執行者としてのレンは、まさしく天才なのだから。
体に纏う蒼白い光、その能力を増幅させる力が固着していく。───だが、《執行者のレン》はその駆動魔法の完成を待たない! そのままで突撃してくる!!
「うふふふ……、そんなにゆっくりしてていいのかしら?!」
「くっ───!」
大胆にも大振りでの斬戟! 普通ならやるはずもない大きく隙を作るその攻撃を、《執行者のレン》は当然のように繰り出す。レンはそれを受け止めず、バックステップで避けてみせる。
「甘いわ!───、そんなので避け切ったつもり?!」
その瞬間、攻撃が変異する! なんと、攻撃が外れた大鎌をそのまま地面へと突き立て、それを軸として遠心力を利用し、強力な蹴りを繰り出したのだ! それは見事に命中し、レンは小さなうめきと共に体制を崩して、慌てて飛び退き距離をとる。
「お姫様ったら、引きこもってるうちに運動不足になっちゃった? ─── 時の波動、断裂を成し放たれよ! 駆動魔法【ソウルブラー】っ!」
さらに追い討ちの魔法が、黒い円盤のような鋭い刃を向けてレンに迫る。体制を崩したところを、最悪のタイミングで次々と襲ってくる《執行者のレン》。
なぜ、ソウルブラーなどという最弱種の魔法を使うというのか? それは初歩的な基礎魔法であり、普通ならもっと強力な魔法を使った方がいいと考えるだろう。しかし、そう考えるのはただの素人である。
場面に応じた効果を考え、発動速度、タイミングの全てを把握しなければ、命を左右する戦いに勝ち抜くことなどできはしない。
いまは一対一の攻めぎ合いなのだ。いかに連続して攻撃を行えるかが鍵となる。いくら強力な魔法だろうと、単発な上に発動に時間がかかり、避けられる可能性のある魔法など、なんの意味が無い。
刹那のタイミングを逃さず、確実に攻撃を重ねていく。それは連携攻撃にもっとも重視される事。
《執行者のレン》はソウルブラーを連携のつなぎに使っている。基礎魔法だからこその圧倒的な発動の速さを考慮し、最速で連続的に放つ。……つまり、攻撃を中断する事無く連撃を叩き込める手段としているのである。
「遅い遅い遅い遅いっ! それで戦ってるつもりなのっ!? お姫様っ!!」
そしてそこに《執行者のレン》自身が繰り出すナインライブズの斬撃が加わる! 連射されるソウルブラーに加え、隙のない斬撃が一閃! それは怒涛の連携攻撃となってレンを襲う!
しかもその動きはまったくの無駄がなく洗礼されたもの。戦いを熟知した者の動きだ。全てを計算通りに行動するその姿は華麗にして優美。余裕があるように振舞うその態度すら、戦術の一部なのである。
まさしく戦いの天才を名乗るべき者として、変幻自在に戦いを繰り広げている!
───それに対し、レン自身の反応は全てがわずかに遅れていた。無数に襲い来るソウルブラーを加速して避け、斬撃を弾き飛ばす! だが、避けきっているようでいて、服が傷ついていく。スカートが、上着が、リボンが、次々と裂かれていく!
自身でありながら他人事のように振るまい、否定しながらも事実を受け止めていたレンの本心。目をそむけていたようで、全てを知っているレンは、《執行者のレン》という人格が仕掛けている戦術も判っているはずだった。
なのに、実際は防戦一方。《執行者のレン》は間違いなく戦闘において完璧を保っている。その攻撃精度はレンの予測を大きく上回っていたのだ。
「あらあら、頑張るのね。……でも、わたしには敵わないわ。だって、このわたし、《執行者のレン》はいつだって前線で戦ってきたもの。いつも殻に閉じこもって逃げてる貴方じゃ、勝てるわけない!」
「……くっ、……こ…、こんな……程度ならっ!」
巨大な刃物と刃物が激突する! 火花を散らせ、衝撃が腕に伝わってくる。二人は同時に飛びのいて距離を取り、互いの隙を見定めていた。
「いつもお姫様気取りで守られて、いつも他人任せで逃げ回ってる。貴方の事をなんて言うと思う? お姫様なんかじゃないわ。それにお邪魔虫でもないわね。ただの弱虫かしら。うふふ……ぴったりじゃない?」
「レンは! ……わたしは……逃げてない……。辛かったから、本当に辛かったから! …そう思ったら、クロスやみんなが守ってくれて……、だからっ……。」
「ほーら、逃げてるじゃない。いつも逃げ回ってて、自分が不利になったらまた逃げて……。だから、アクシスピラーでエステル達が”レン”を倒した時も、逃げたんでしょう?」
さらに《執行者のレン》が仕掛ける! この世界の闇に紛れる様に、黒い闇の欠片たるソウルブラーを連射する。対するレンはそれを見切り、自らもソウルブラーを撃ち出し迎撃! 堕としきれない分はナインライブズでまとめて切り払う!
だが、その全てを払った時、レンは《執行者のレン》の姿が消えている事に気付いた!
「えっ───! どこっ?!」
「遅いのよ! お姫様っ!」
真上っ! レンは瞬時の反応でナインライブズを真上へと振るう! 同時に、凄まじい威力の斬撃が頭上より急襲! 圧し掛かるのは異常なパワー!
だが、レンとて負けてはいない。全力で振り払い、その程度では倒されない事を見せ付ける。ギリギリで防いで見せた。
……防いでみせたものの、レンは今の攻撃で理解してしまった。《執行者のレン>》とは違い、レン自身は今のは敵の動きを計算していたわけではない。咄嗟の判断で切り返して避ただけだ。…もし、あとほんの少しでも反応が遅れていれば、間違いなく首を落とされていただろう。
ごくわずかであるはずの差、しかしその差が、実力者同士の勝敗を分ける事をレンは知っている。焦燥が汗となって背中を伝う。敵となった自分の強さを改めて思い知った。
「………へぇ。甘えん坊のお姫様のくせにちゃんと戦えるんだ。
それとも虚勢かしら? そういえばレンは人の前ではいっつもマセた振りをしてる。……影の国でもそうだったわよね?」
「影の国で久しぶりにエステルに会った時だって、逃げ場がないから戦ってみせようとした。精一杯の虚勢を張って小さなプライドを保とうとした。」
《執行者のレン》は一度距離を置いて、レンへと言葉を叩きこむ。
「あの後、従騎士のお姉さんと戦いを起こそうとした時だって、虚勢を張ったまま引き下がれなくてどうしようかと悩んでた。ティータに止められて助かったと思ってた。弱虫のくせに見栄を張るから失敗するんだわ。」
「自分はなんでもお見通しよって顔しながら、実際にはいつも虚勢を張っているだけくせに……、いざ自分の事になると答えられないまま。…なんてみっともないのかしら?」
「こっ……、このぉぉぉぉーーーーーっ!!」
その言葉を否定するかのように、今度はレンが仕掛けた! 体に纏う黒焔は、まるでそれ自体が蝙蝠の羽ばたきであるかのように舞い飛んでいく。その闘気が疾走と共に爆発的に威力を向上、殲滅すべき敵へと降り注ぐ!
それは彼女のSブレイク【レ・ラナンデス】。レン個人が持つ最大必殺技である。命中したその対象がいかなる防御能力を持っていたとしても、全ての装甲を無視して切り刻む業。人形兵器であれば、動力を断ち切り、人であれば魂そのものを切り裂いてみせる最強の業だ。まさしく”必殺”と呼ぶに相応しい。
「そんなの無駄よ。───ふふ…、逃げられないんだから……。」
一呼吸遅れて、《執行者のレン》もその必殺のSブレイクを発動させる。その酷薄な笑みは稚気を伴うもの、まるで子供が玩具をもらって喜んでいるかのような高揚を見せる!
亀裂の走り、崩壊していく闇の舞台を、二人のレンが最大の力でぶつかり合う!
「たぁぁぁぁーー!」
「やぁっ!」
黒き焔を宿した刃、ナインライブズとナインライブズが交差する!
この世に2つとないはずのその死を招く大鎌が、まったく同じタイミングで激突する!
それは純粋な闘気と邪気の衝突であった。
凄まじい衝撃と共に響き渡る金属音。その中心でレンは必死に耐える──────
「うっ……くっ……、なんで……なんでレンよりも……っ!」
「さあ、どうしてかしらね? お姫様。……あなたが弱いんじゃないの? 色々と!」
邪悪を宿す《執行者のレン》が放つ魔に属する力が、さらに黒の力を増大させる。同じ角度、同じ威力のはずなのに、完全にレンがパワー負けしていた! どれだけ力を込めようとも、目の前の《執行者》は余裕の表情でそれを防いでみせる。
しかし、それも当然の事だったのだ。そもそも【レ・ラナンデス】は邪心によってその力を増すSブレイクだ。だが、お姫様を名指しされる今のレンには邪悪な意志がない。エステルを救いたいという純粋な願いによってのみ繰り出した業である。だから、本来の威力が出せないのも当然なのだ。
鍔迫り合いになる形で、レンとレンがその闘う意志を込めて睨み合う。
白と黒との魂が、己のためにぶつかり合う!
「エステル達から半年も逃げ回ってて、一体いつ答えを出すのかしら? いつもそうよね? 今度会った時に、今度会った時にって……ぜんぶ先送り…。そして心のどこかでは、彼女達が都合よく見つけてくれる事を願ってる。……それで待ってたら半年も過ぎちゃったんじゃないの?」
「素直になれない? 迎えてもらえるか判らない? なにそれ? それって結局、逃げてるだけじゃない。……ねぇ、教えてくれないかしら? どうやったら、お姫様のお気に召すようなハッピーエンドになるのかしらね?」
「……あんたなんかに……何がわかるのっ!」
「わかるわ。だって私もレンだもの。」
「────っ!」
レンがSブレイクを中断、そのまま距離をとって大鎌を投げる! それはただの投擲ではない、【カラミティスロウ】という業だ。対象を切り刻み、円を描いて戻ってくる、ブーメランのような攻撃。
だが、《執行者のレン》は余裕まで見せ付けて軽やかにそれを避けてみせる。
「残念ね、そんな攻撃じゃ掠りもしないわ。わたしって、あんまりそれ使わないでしょ? 隙が大きいから雑魚を殲滅するのにしか使えないんだもの。……見てるだけで実戦をしないお姫様はそんな事もわからないの?」
「 ──── 圧壊せしむは流水、渦巻く柱となりて疾駆せよ! 駆動魔法【ブルーインパクト】ッ!」
《執行者のレン》が唱えた魔法は、真下から水流を噴き上げるブルーインパクトだ。レンはあわてて回避してからやっと気づく! 【カラミティスロウ】が戻った時に、受け取るべき位置にいなければそのまま武器を失くしてしまう。誰でもわかる当たり前の事、本来なら有り得ない筈の失態! 敵の気迫に惑わされたとはいえ、天才と呼ばれたレンが犯すはずのないミスだ。……やはり、《執行者》ではないレンはその程度なのか?
だが、《執行者のレン》はレンが立て直す隙など、リカバリなど許さない。これを好機として動く! 受け取る算段すらとらせないよう、今度こそ完全にSブレイクを決めようとしている。
「しまっ────」
全てにおいて遅れているレンには、《執行者のレン》の流れるような無駄のない動きについていけない。レンと敵であるレンには完全な差があった。それは悪に徹した者の放つ力と、そうでない者の力。
邪悪を捨て去ろうとしているレンには、もう同様の力はなかったのだ。しかも敵対する自分は、”強さ”に縛られた者。強さのみを追求した人格だ。いまの迷えるレンでは勝ち目が薄い。
「さあ、お姫様! お遊びはこれで終わりよ!!」
凶刃振りかざす《執行者のレン》が、最大必殺技と共に襲い来る!
《執行者のレン》が放つのは最凶のSブレイク【レ・ラナンデス】!
絶対的破壊力が込められし悪魔の刃がレン目掛けて迫り来る! 魂そのものを狩り取る死神の刃が、レンの喉笛を斯き切らんと振り下ろされた────!
◆
「────秘技───、幻影奇襲────っ!」
ヨシュアは自身の全てを込めてその技を放つ。最大戦速を誇るその技、幻影奇襲と名づけられた攻撃は、3対もの残像までも出現させるかのような高速を以って敵を穿つ!
間違いなくこれまでで最も速い、最大威力を擁する攻撃! 双剣は片方しかなく、腕は1本しか動かない。だけど、1体を相手に使うなら、それでも十分に対処できた。剣閃は赤の巨体、パテル=マテルの全身を網目のように切り刻んでいく!
「なっ───っ!」
だが、絶句したのはヨシュアのほうだ。なんと、パテル=マテルには一切の傷さえついていない! 防御などせずとも、異常なほどの防御能力を持っているのだった。並みの敵ならば、完璧に致命傷を与えるはずのそれを、巨人は無傷で聳えるままでいる。
ヨシュアの戸惑いなど気に留める事もなく、戦慄の巨人が全身を駆動し攻撃を開始する!
四肢を唸らせ襲い来るパテル=マテル、それはまるで暴風のごとく、脅威のスピードを以って、高速戦闘を得意とするヨシュアにさえも迫り来る! かろうじて勝るヨシュアではあるが、巨体が振るう腕は普通の回避では避けられない。いつも以上に大きく避ける必要があった。
「くっ───! 迅い!」
負傷していたとはいえ、エステルではまったく歯が立たず防戦に回るしかなかったのは、この速さによるものだ。巨大な体躯を持つ者はスピード面において一歩を譲る性質があるのは理である。しかし、このパテル=マテルにはそれがない。
拳が炸裂する! それは大気を奮わせ、耳朶を打つ轟音と共に繰り出される脅威の一撃! だが、ヨシュアは怯まず、その動きを予測していたかのように余裕をもって避け、攻撃へと転じる!
「はあああああっ!」
今度は一点集中! スピードを最大限に生かした斬撃だ! 攻撃のタイミングは完璧、そして防御が薄いと予想される足関節部への攻撃。いくら防御が固くとも、関節にまでその守備力が及んでいるわけではないはずだ。
だが、それは誤りだった。支配者たるフルーレはそんな弱点など作らなかったのだ。ヨシュアのスピードだけでは対抗できない敵としてこのパテル=マテルを生み出したのである。関節はある、しかし防御能力は変わらない。それがこの世界での理であるのだ。現世の常識など通用しない!
巨人が体制を立て直す。小さく穿たれた傷などお構いなしにヨシュアを殲滅せんがために動く。常人なら耐え切れないほどの脅威というプレッシャー。それをヨシュアは目を逸らさずに耐えている。
「迅いけど……予測すれば避けられる。だけど、攻撃が効かない……。」
彼が習得したスピードを生かした戦いを得意とする隠行。本来の目的は集団戦闘に対する有効性である。対人であれば、執行者レベルの実力者であっても、そのスピードだけで翻弄する事ができる。
…しかし、ヨシュア自身は筋力があるほうではない。戦士として差し支えない程度ならあるが、仲間の遊撃士であるアガットのように重剣を振るうような力はなく、素手と体躯であらゆる敵を破砕するジンのような剛力でもなかった。
彼らであれば、このパテル=マテルの防御力を超えてダメージを与えられるかもしれないが、ヨシュア程度の力ではそれができない。圧倒的に筋力が足りていないのだ。これではいくら翻弄しようと意味が無い!
ヨシュアはこれまで、集団戦闘に適した対人技に重点を置いて鍛えてきた。その結果、【幻影奇襲】という自身の残像さえも生み出すほどの、超高速技を習得した……。スピードに特化した事で、多少の防御能力を持つ敵なら対処できるようになっていた。
ヨシュアは強かった。
そのスピードで、いかなる敵をも攻略できてしまう程に強かった。
しかし、その強さが彼の弱点を覆い隠してしまったのだ。
彼は前に、もう一つのSブレイクを活用していた。それは【断骨剣】という技。上空から隙をついての襲撃を行うという技だが、筋力と体重をかけた一撃で、敵の骨すら断つという威力があるものだ。彼が持つ数少ない力技のひとつである。
しかし、彼はその技をほとんど成長させる事はなかった。スピードを生かした攻撃に恵まれすぎていたために、力押しによる破壊というものを捨てていたのである。
「くっ……、スピードに頼りすぎたのは僕のミスか……断骨剣の鍛錬をもっと積んでいれば……。」
もちろんだが後悔しても状況を打破する事はできない。強気に出たところで、これを覆す技をヨシュアは持っていないのだ。
まったくダメージを与える事ができない。だが、回避するだけではいづれ体力が切れて捕まってしまう。どうしたらいいというのか?
そんなヨシュアの苦悩など無視し、パテル=マテルが容赦なく動く!
そのスピードは巨大人形兵器が出せるようなものではない。あり得ないものだ。振り下ろす拳撃を避けても、その衝撃波が風圧となって襲う。避けても避けても襲い来る事をやめない。そしてパテル=マテルは疲れさえも知らないのだ。……まさしく、ナイトメアと呼ぶべき敵である。
「でも、僕は諦めない! 二人を救う責任をがある!!」
拳撃による爆裂が生み出す衝撃を堪えながらも、ヨシュアは考える。どうしたら勝てるか? どうしたら敵を退ける事ができるのか?
考えろ、考えるんだ!
僕は知っているはずだ。アガットさんほどの体格もないのに剛力無双の力を持つ人を。
たった一人で、凄まじい攻撃能力を持っていたその人を!
「──────…レーヴェ────っ!!」
◆
「レ・ラナンデス───!」
《執行者のレン》は目の前の魂を埋葬せんがため、昏き深き常闇の底へと突き落とすためにその業を振るう。悪魔の一撃、邪心を持つ彼女という存在を宿した一撃をっ!!
「 ──── 圧壊せしむは流水、渦巻く柱となりて疾駆せよ! 駆動魔法【ブルーインパクト】ッ!」
かわせない! そう悟ったレンは、刹那の判断で魔法を放った。さきほど《執行者のレン》が使ったのと同じブルーインパクトを。しかし、それは敵に対してではない。自分の足元に発動させたのだ!
爆発的に上昇する水流泉により、真上へと押し上げられたレンは、その加速によって直撃寸前で必殺を避ける。そのままブルーインパクトから飛び、自らのナインライブスへと手を伸ばした。受け取るはずだったレンがおらずに、失速し、落ちたその大鎌をレンはようやく自身の手に戻す。
「へぇ……面白い使い方ね。さすがはわたし。普通に避けても無理だって理解はできたみたいね。」
《執行者のレン》の言う通り、普通に避けるだけでは回避などできなかった。相手の技量はよく知っている。もし自分が逆の立場でも、多少逃げたところで関係なく炸裂させられると確信している。このような奇策でなければ、敵の意表をつく事はできなかった。
……なんとか武器は手にした。だからとて、状況は好転していない。
レンはこの戦いに、明確な差が、優劣が生じている事を承知している。明らかに《執行者のレン》の方に分がある。どちらもレンであるはずなのに、黒き執行者たる彼女は自身を全てを凌駕しているのだ。
エステルを救いたいと思う気持ち、家族を持ちたいという気持ちは、邪心に届かないのか? 強い想いを抱いても、これまで自分を偽ってきた気持ちは、超えられないというのか?
……そんな葛藤を抱くレンに、《執行者のレン》は攻撃を一時中断し、問う。
「ねえ、お姫様。聞かせてくれない? レンという個にとって、家族は本当に必要なのかしら? …だって、そんな”しがらみ”がなければ、自分の思い通りに出来るじゃない。なんでも出来るのよ? 《身喰らう蛇》という庇護を受けてさえいれば、大抵の事は許される。……それって、自由って事じゃないの?」
「自由なのよ! 《楽園》で虐げられた事なんて嘘みたいな自由! だって、誰にも邪魔されないまま何でも出来るんだもの! こんなに楽しい事はないわ。」
「作戦の名の下に達人と殺し合う事ができる。ギルバートみたいな部下を好きなようにこき使ったり、好きなだけのヌイグルミも手に入る、おいしいものだって食べ放題! 悪い事なんてなんにもないじゃない?」
「それのどこが不満なの? それのどこがイケナイ事なの? 何にも束縛されもしない、何に悩む事もない。心が惑わされる事もないわ。………どんな不安だってないじゃない?」
「……………………………違う………。」
「何が違うっていうの!? 何も違わない! 自由ってそういう事なのよ!」
レンは、もう一人の自分の言葉に気が付いた。それはいままで、考えもしなかった事。全ての真相。自分が彼女という人格を生み出した最大の理由を、いま知った。……だから、その想いを口にする。
「……そう…なんだ…。あなたはそうやって、わたしの寂しさを隠してくれてたんだ………。《執行者のレン》って人格は、強さを求めたものだと思うけど、それ以上に、迷わないためのものだったのね……。」
「自分がひとりぼっちで寂しいのを隠すように、わたしは強く在れば心動かされる事もなく、迷わないと思った……、だから、天才という人格まで生み出した……。でも、それじゃあいつまでも解決しない。いくら誰かが助けてくれても、レンは自分から一人になってる。」
「あなたの言うような自由を得たとしても、心は寂しいまま。どこかで納得できないまま……。だからレンはいままでずっと、知らないうちに自分から孤独を貫いていた。近しい存在だったレーヴェにもヨシュアにも、本当の意味で親しく接してはいなかった。……もしかしたら、フルーレに対してもそうだったのかもしれない…。」
「……でも、思い出して? 影の国での冒険には、いろんな人が集まったよね? それぞれの悩みを持ち、それぞれの苦悩を抱えている人がいた。……でも、後悔をしても逃げたりはしなかったわ。困難にも立ち向かって行った……。辛い事から逃げないで、厳しい現実から逃げないで……それでも諦めなかった…。だから仲間が出来て、支えあって乗り越えた!」
「あなたの言う通り、レンは……いつも現実から逃げてた。それは虚勢を張って孤独を貫いて、寂しさや迷いを恐れていたから!」
「…………だから、親しい人じゃなく、余計にあなたという人格に頼ってしまった………。」
「……ごめんね、もう大丈夫だから。あなたにずっと頼ってて……ごめんなさい……。」
「もうレンは平気……。ありがとう、もう一人のわたし………。」
◆
ヨシュアはこの敵に打ち勝つ方法に気が付いた。これを使えば、勝つ事が出来る。
だが、それを使う事をためらってもいた。
「……僕は、レーヴェから受け継いだ力を使わずに勝たなければならない。自分の力を示す事で、フルーレにも納得して欲しい。あの技を使えば勝てる。だけど………。」
兄とも言える人、今は亡き剣帝レーヴェが得意としたSブレイク【鬼炎斬】の威力は想像を絶する。ヨシュアはそれを使えば勝つ事ができた。あの防御を上回る威力を得る事ができた。ここでは…、この世界では使う事ができるのだ。想念が力や形を成すこの世界でなら。
しかし、だとしてもそれは受け継いだ力なのだ。自分の力での解決ではなく、レーヴェに頼った解決になるのではないだろうか? だからこそ、姉さんから差し出されたあのレーヴェの剣も受け取らなかった。
───激震と共にパテル=マテルは攻めてくる! 葛藤する心の全てを無視して、拳を叩きつけ、体当たりを仕掛けてくる。エステルが自身のSブレイクによってようやく相殺した攻撃、一撃一撃が必殺となるその攻撃を、赤の巨人が仕掛けてくる!
爆裂を生み出すその拳、大地を揺るがす巨躯なる突進、風裂き全てを破壊する一蹴、そのどれもが必殺の一撃。次第に息を切らし、回避力が落ちてきたヨシュアには、そのどれもが死線を味あわせるものだ。
それでもヨシュアは何度となく攻める! 攻めて! 攻めて! 攻め続けるっ!! しかしどうしてもダメージには至らない。どのような攻撃も、繰り出したもの全てが弾かれてしまう!
「くっ! ───しまったっ!」
パテル=マテルの突撃を避けたつもりだった、だが! 突撃から不意に攻撃へと切り替えた巨人の攻撃にヨシュアは捕まった! あの僅かな温かみさえない鋼鉄の手に握り締められていくっ!!
「うあああぁぁぁぁ……、ぐうぅ………っ!」
金属による絶望的な圧迫が体を砕こうとしている! 人間の体を成す骨など、人形兵器の圧倒的パワーからすれば紙も同然だ。このままでは、握りつぶされてしまう!
ぎりぎりと締め付けられる体、それに伴う尋常ではない激痛! ヨシュアはそれでも戦いを諦めたりしない。何があろうとも、この命が燃え尽きようとも、守らなくてはならないのだ。
「…………僕は……、二人を救いたい……! 自分のためじゃなく、エステルを、レンを救いたい!!」
けして偽る事のない心の力、想念は力となり、ヨシュアへと降り注ぐ。
この世界では想念が具現化するのだ。カリンが現れたように、エステルがレンを守ったように。
強く求める想いは、───大いなる力となる!
BGM:「幻影城《Phantasmagoria》」 (3rd サントラ2・11)
「───これは……っ!」
突然のその輝きに眼を細める。いつのまにかヨシュアの手に握られていた剣は、黄金に輝くものへと変化していた。一度は拒否し、自らの力で戦い抜く事を決めて受け取る事のなかった剣、……レーヴェの剣だ。
「お前のような未熟者が、その程度の事で悩むなど詮無き事。責任を果たしたいのではないのか?」
「レーヴェ!」
彼の隣には…、足場すらないはずの中空には彼が居た。自分を貫き、ヨシュアを見守った兄、獅子の果敢を意味するレオンハルトの名を持つ人。……レーヴェが居た。
「守ると決めた者がいるのなら矜持など捨てろ。みっともなくとも構わない。お前の決意など、目的の前には些細な事だ。それが自身のうちに眠る力だというのなら、迷うな! それも自らの力だという事を示せ!」
ヨシュアは自身の力で戦う事を決意し、それをフルーレに示すべきだと思った。だけど、守るべき者を最後まで守り通さなければならない時、それは自分自身のこだわりでしかないのだとレーヴェは言う。
「頼ってばかりだとか、救われてばかりだなどと思うな? 兄や姉が弟を想うのは当たり前だ。お前はそんな事を気にする必要はない。……家族なら、助け合って当然だろう?」
「……どうしても納得がいかないというのなら、お前はその分をいま在る家族に尽くせばいい。それが俺やカリンを安心させる一番の想いだ。」
「…家族……。」
僕はいつも、レーヴェを心配させてきた。僕はいつもレーヴェに迷惑を掛けていると思った。でも違ったんだ……。レーヴェも、僕の心に在るカリン姉さんもそんな事なんか気にしていない。家族だから助け合うのは当然。力を貸しあうのは当然。……気に病む必要は……なかったんだ。
「剣帝の刃、己の力で跳ね飛ばした事を忘れるな。……その心、ここに示してみせろ!」
そしてヨシュアはとうとう真実を得た。だから、それを使う事を迷わなかった。
握られた自身の体を締め付けるその金属の腕に、黄金の剣を突き刺し、力を込める!
「────燃え盛る業火であろうと、砕き散らすのみ……。」
ヨシュアがSブレイクを発現する! それはレーヴェの得意とするSブレイクの一つ。突き刺した剣を中心として凍結させ広範囲を破砕する技! 剣が突き刺さった部分から凍結を広げ、パテル=マテルの両腕そのものが氷結していく!
「滅─────っ!」
Sブレイク【絶技・冥皇剣】……技の発動と共にパテル=マテルの腕が砕け、ヨシュアは束縛から開放された。……そして地面へと着地する。腕そのものを砕いたのは技の威力かもしれない。しかし、ヨシュア自身の想いの力でもあるのだ。家族を思い、尊び、絆を大切にしたいという、失いたくないというその想いが力となった。
それはどんな強靭な敵であろうとも、凄まじい防御能力を持っていたとしても、勝るものなど在り得ない!
「使わせてもらうよ、レーヴェ! 剣帝の一撃をっ!」
ヨシュアはそれを使うために全ての力を溜めていく。あの技…Sブレイク【鬼炎斬】を使うため、全ての想いをこの一撃に乗せるために……。だが、その型は自らの技、【断骨剣】の形を成している。
「鬼炎斬は確かに強い。きっとあのパテル=マテルにも効果があるはず……。だけど、僕自身にはあと一撃を全力で放つしか体力が残されていない。」
「だから───っ!」
ヨシュアが駆ける! まるで空間を裂き、何もかもを置き去りにするかのように、ただまっすぐにパテル=マテルへと跳躍する! 巨人の体を駆け上がり、真上を目指して飛翔! 高く、誰よりも強く跳ぶ!
空へ、 天へ向って、金色の光が軌跡を描く!
「集団を敵にした戦いでの鬼炎斬は異常な力を発揮する。……だけど、敵が1体の場合、螺旋を描き横の方向に拡散する分、無駄が生じるんだ!」
周囲全てに影響を及ぼす螺旋の動き、円を描くそれは周囲へと威力を分散させる。
しかし、その威力を一点に集約させたとしたら────
「───荒ぶる炎の螺旋─────」
巨人の真上へと跳び、天空より飛来する型は断骨剣のもの、しかし放つ技はそうではない、まぎれもなくあのSブレイク!
しかしそこからさらに進化する!
なんと、ヨシュアは中空で自身を前へと回転させた。
横の回転で拡散してしまうはずの破壊力を、縦への回転にする事で一点に集約するのだ!!
「鬼炎斬──っ!」
全てを受け止め、悟り、至ったその力は進化を遂げ、パテル=マテルへと炸裂する! 強大な力を帯びたそのSブレイクは巨人の頭部へ、そして防御能力を無視するかのように、金属の体躯を引き裂いていく!
「パテル=マテル……ずっとレンを守ってくれて……ありがとう…。もしキミに何かがあったとしても、僕に……僕達に任せて欲しい…。」
ヨシュアの呟きと共に、この世界に創られたパテル=マテルは、その姿を消していく。どこかで安心したように……、ヨシュアの言葉に安堵したかのように………。
そしてまた、レーヴェの姿もすでになく、剣も元に戻っていた。しかしヨシュアにはわかっている。兄も姉も消えたわけじゃない。ちゃんと一緒にいる。家族として、いつも自分の心の中に生きているのだから……。
◆
「勝手に生み出しておいてっ! それで消えろだなんて、わたしは許さないわ!」
いままで以上の速度で《執行者のレン》が仕掛ける。同時に、闇に蠢く影を突き破り、形なき無数のソウルブラーがレンを襲う!
武器とアーツによる同時攻撃、しかも魔法は発動速度を調節し、時間差により無限のバリエーションを為し飛来する! レン以外の誰も出来ないであろうその攻撃のままに、命狩り取る大鎌が迫り来る!
だが、レンはそれを冷静に避ける。ひとつひとつを丁寧に、攻撃に必ず生じる隙を見極め、捌いていく。
それでも攻撃は終わらない。斬撃、斬撃、そして降り注ぐ魔法の連弾! それは烈火のごとく続いている!
「逃げ回るだけのお姫様! 貴方がこれまで自分を保って来られたのは、わたしという人格があったからでしょう? 利用するだけ利用しておいて、どうして消えろというのよ!」
重量があるはずのナインライブズを軽々と扱い、死角を狙って猛攻を仕掛ける《執行者のレン》、証明される実力の差。前線で戦い続けた彼女と、見ているだけだったレンの差。闇を抱いて戦った彼女と、自分の差だ。
レンはその技量において《執行者のレン》に及ばないのかもしれない。
しかし、負けるつもりはなかった。
「わたしは……ずっとクロスやカトル、そして様々な人格を、みんなを犠牲にしてきた。現実から逃げて、自分じゃないって逃げてきた! だけどね、道は歩けばいつか終わってしまうように、いつまでも同じままじゃいられない。答えを出さなければならない時がくるの!」
「お姫様の妄言なんて聞き飽きたわ! あなたはいつも思い描くだけ、憧憬だけ! 今回こそ平気だとどうして思えるの!? レンというわたしが、また別人格を作りだし、逃げ込まないって保障がどこにあるのよ!」
「エステル達の下で、《家族を演じるレン》が生まれない保証がどこにあるの!?」
その刹那、《執行者のレン》は一瞬消えたかと思うほどの爆発的な加速で跳躍する! 標的を見失ったレンは、瞬時に迫る高速の凶撃を、軌道を読んで体の軸をずらすし、なんとか避けてみせる。
そのまま、距離をとったレンは《執行者のレン》へと……いや、自分自身へと語りかけた。
「そんなのない! ……だけど、これだけは言えるの……。」
「…頑張ってみよう? だって、レンはもう一人じゃないもの。手を貸してくれる人がいる。支えてくれる人がいる。一緒に笑いあってくれる人、一緒に泣いてくれる人、一緒に生きてくれる……家族がいるもの。」
「……それは貴方にもわかっているはずよ? わたしと貴方は……ひとつなんだから……。」
「だから、一緒に………幸せになろうよ? 」
「………………………………………。」
《執行者のレン》は、攻撃をやめた。そして俯いたまま……動かない。いつの間にか、レン自身、涙を流しているのに気づいて、そしてまた、もう一人の自分も泣いている事に気が付いた。だって彼女も自分なのだから。
……しかし、邪気が生まれていた。《執行者のレン》を名乗る彼女から、莫大な邪気が増大していた!
「…………なら…、お姫様……。証明してみせて。あなた自身が強く在るというのなら、それを証明してみせてよ! もうどんな困難にも負けないんだって証明してみせてよ!」
これまでに感じた事もない威圧感。この空間を多い尽くす程の思念が目の前の《執行者》たる自分に集約されていた。彼女の想いが力と化したのだ。……これこそが、本来の自分が《執行者》たる自分が持っている深淵の底に眠る憎悪。何者をも寄せ付けず、ただ強者であれと願った自分が持つ、真なる邪念。
「わたしは納得したい! いつも隠れてたお姫様が本当に守る必要がないのかって。全ての人格が消えたあと、これまでの現実を受け止めていけるのかって!」
「いい? お姫様……いえ、本当のわたし! これから全力で攻撃するわ。それに貴方が耐え、《執行者》たる闇の力に勝ってみせたなら、信じてあげる。」
天才という名を二つ名を持つレン。しかしそれは《執行者のレン》という人格が持ち得たものだ。その彼女が最大の一撃を繰り出そうとしている。さすがのレンも、息を呑んだ。
しかし、レンは何かを悟ったように、微笑みで返す。
「うん、大丈夫。レンは一人じゃないから、負けないわ。」
素直に出た心から言葉。確信を持ったその強い言葉こそが、いまのレンの”想い”だ。
再びまみえる闘志を宿す瞳。しかしレンの瞳には希望が宿っていた。どんな苦難にも負けず、どんな敵にも負けない。何よりも大切な家族のために、戦う事ができる。
「じゃあ……いくわ!」
《執行者のレン》は駆けた! これまでのスピードがお遊びだと示すがごとく、神速を有し突撃してくる! でも、レンは逃げない!! 真正面からそれを弾き返そうと全神経を注ぐ。
だが、《執行者のレン》はそのまま大きく振りかぶると、なんと、【カラミティスロウ】へと繋げた! 全力攻撃を受け止めるはずでいたレンは虚を突かれ、さらなる加速を得た敵の刃を全力での回避を試みる! しかし《執行者のレン》はそこからさらに駆動魔法を唱え、そのまま空へと跳躍した!!
レンは全ての集中力を注ぎ込み、なんとか上体を逸らして避けたものの、カラミティスロウは腹部の布地を大きく切り裂いていく! しかし、それを受け取るべき《執行者のレン》は宙へと飛び、戻ったときに受け取るべき位置にいない! これではさっきレンが犯した失敗を再現しているようなもの、だが、そんなわけはない。何かを狙っているはずだ、一体何を狙っているというのか?!
そこで、《執行者のレン》は詠唱していた魔法を駆動させた!
「 ──── 其の力天を衝き、大地より出でよ、敵穿つ魔刃槍! 駆動魔法【アースランス】!」
【カラミティスロウ】を避けたレンは魔法の発動を注視する! なんと、それは地面より巨大な刃を突き出し、敵を串刺しにする魔法アースランスだった。しかし、その狙いはレンではない!
いままさにレンが避け切った【カラミティスロウ】を、真下からアースランスが突き上げ弾き、上へとかち上げたのだ!
直線のまま飛翔する大鎌が、下からの衝撃により、上へと跳ね上げられる!
そして、その上空で待ち構えているのは《執行者のレン》だ!! なんと中空でナインライブズを受け止め、そのまま攻撃へと転じる!
「これがっ! 全力攻撃───っ!」
敵を翻弄し、虚を突いた事で回避行動を取らせない! しかも自身は脅威の加速に加え、上空から飛翔という重力さえも味方につける! 襲い来るのは超高速の牙、獲物を狙う猛禽類のごとき魔獣の顎! それは間違いなく最大威力で敵を切り裂かんとする!
「避けられないっ! ───だけどっ!!」
予想もしない攻撃に、レンには避ける事もできずにそれを受け止めざるをえない! でも、防いでみせる!
衝撃──────!
異常ともいえる破壊力が自身のナインライブズへと圧し掛かり、レンは限界を超えて防御に専念する。
「滅しなさい! 本当のレン!」
「負けない───っ! 負けないんだからぁーーー!!」
力と力のぶつかり合い、白と黒との鬩ぎ合い! レンはそれに耐えねばならなかった。本当の自分を貫くために、家族のために、自分の弱い心に負けるわけにはいかなかったのだ!
そしてレンは、ついにその最大攻撃を防いでみせた!
だが───っ!
「……ナ、……ナインライブズが……砕けた…!?」
限界を超えた破砕力をその身に受けたナインライブズは、ついに耐久力を失ってしまった。レンの手の中で、それはボロボロと崩れていく……。レンが手にして戦ってきたその武器は、最大攻撃という悪意の前に敗れ去ったのだ。
「さあっ! 黒の世界に屈しなさい! レンっ!」
レンが体制を整える事さえ許さず、《執行者のレン》が着地と同時に至近距離から、再びSブレイク【レ・ラナンデス】を仕掛けてくる! まさかの二段攻撃!! しかも今度は、それを防ぐべき武器がレンにはない!
命断つ刃───。 魂さえも切り裂く悪意の斬撃。
それがこの身を切り裂けば、もはや敗北は免れない。自分が自分である事も、家族を救うこともできない。
”全て”が終わってしまう。
なのに、この刹那の時において、………レンは心穏やかにその攻撃を見定めていた。
「………きっと、ナインライブズじゃ……ダメだったんだ…。刃が相手を切り裂いて、殺してしまうから…。」
「そうよね? エステルッ!」
心強く叫ぶレンの手に新たな武器が握られていた。それは想いが力となし、光が集束するかのように形を為す。今のレンが自分自身へと向けるために必要なもの。……それはエステルと共にある武器、リニアグリップ!
命を奪わず、勝利するためのその武器こそ、いまのレンになくてはならない心構えだったのだ。
エステルのSブレイク! きっと今なら、この想いが力となるこの世界でなら使えるはず! 相手を傷つけずに勝つことが出来るはずだ!
「そんな武器でっ! この《執行者》たる自身の悪意には勝てないわっ!!」
凄まじい気迫と共に強襲するのはSブレイク【レ・ラナンデス】、それは彼女の内包する悪意、そして様々な怨念という不の感情が宿るもの。
いま再び最後の全力として、レン自身が辿ってきた、悪夢と呪われた運命に嘆く念の全てを一撃に込めて放たれるっ!
悪意と邪念と嘆きを込めた一撃が───、悪夢がやってくる!
「大丈夫。私には、家族がいるから……………はぁぁぁぁぁぁっ!」
エステルのそれよりも、さらに身を低く構え、敵を迎え撃つようにレンが駆ける! その速さは旋風がごとく、全ての希望を力に変えて解き放つ!
その瞳に宿す戦う意志は、けして挫けず、自身をみつめた強い心───。
「 ──────桜花、───無双撃っ!!」
◆ BGM:「御心のままに」 (3rd サントラ2・12)
レンの放った一撃は、《執行者のレン》へと叩き込まれた。なぜか、リニアグリップと激突したはずのレ・ラナンデスには少しの威力さえもなく、また、邪念を宿していたはずの《執行者のレン》もその表情は穏やかだった。
「………完敗…ね。これからは…お姫様なんて呼ばれる事もないのかしら? だって、貴方をそう呼ぶ人格は生まれそうにないもの。もう貴方は自分自身なんだから、エステルにもヨシュアにも、…守られてばかりはダメなんだから。」
「…うん、もう平気。」
《執行者のレン》たる悪意の自分は、そう、レンへと告げた。その表情はとても穏やかで、乗り越えた自分を嬉しく思う気持ちが込められているようだった…。
レンは勝った。自身の弱い心に、自らが課してしまった闇の心に。いつも逃げ回っていたその一番の弱点に、彼女は正面から挑み勝利を手にする事ができた。乗り越えたのだ。
きっと……、すぐには行動に移せないかもしれない。エステル達の前に出たら、また怖気てしまうかもしれない。だけど、その想いは前へと向いている。時間はかかるのかもしれないけど、きっとレンは……進んでいけるのだろうと思った……。
「それとね、もう一つだけ。」
「……ねえ、もう一人のわたし。フルーレの事だけど……パテル=マテルで襲ってきた時の事を思い出してみて。彼女が言っていた事を。わたしはわかったけれど、いづれ貴方も理解しなくちゃいけないから…。」
「え…………?」
《執行者のレン》は最後に微笑みを残して消えていく……。そして、それと共に世界の全てが崩れていくのが感じ取れた。それは終わりの時、フルーレが構築した支配する世界が壊れゆく事の証明……。
「………え、あっ! せ、世界が崩れてる! こんな事してられないわ! ヨシュアはどこ!? エステルはっ?! もう! フルーレはどこへ行ったのよ!」
自身を乗り越えたレンではあったが、《執行者のレン》が残した言葉が気になる。
だけど、それどころではなかった。この崩壊を前にどうすれば元に戻れるのかを考えてはいなかったからだ。…もちろんそんな事をしている余裕などなかったからなのだが、無論、出口などないのだから、閉じ込められた状態で混乱するのは当然である。
『 ───レン! 僕だ! 返事をして!』
どこからか、耳元に届くヨシュアの声が届いてきた。きっと、あのパテル=マテルと戦った場所から戻れないままに呼びかけているのだろう。
その声を聞いてひとまず安心するレン。……ほんとに無事でよかった。それがとても嬉しい。しかし、それを喜んでいる時間はなさそうだ。全ての事情をヨシュア程に把握していないレンにとっては、ヨシュアに頼る以外方法はない。もちろん誰よりも頼りにしている。
「ヨシュア! 聞こえるわ! レンどうすればいい?」
安心できるから、もう微塵の怯えもない。いつものように冷静に対処するレン。だけど、そこに温かさをもった問いかけに、ヨシュアからの返答が返る。
『 勝利を祝福したいところだけど、いまは時間が無い。よく聞いて! キミは最初からその場所を動いてないはずだ、なら周囲にはエステルが必ずいる。探して、脱出して欲しい! 僕は、フルーレを探してから戻る。』
「脱出って……、どこから出れば……っ!」
その瞬間、遥か高い場所に小さな光を見つけた。それは闇に照らされし白色に輝く一直線に上へと伸びた階段。そしてあの影の国より現世へと戻った時に見た、天上門そのままの巨大な門が、天へと伸びる階段の先に、遥か先に顕れている。
「あれは……、ううん。あれが出口…。元に戻れる!」
『 レン、エステルを頼む! もう時間がないんだ! エステルはキミが救って欲────……』
「どうしたの?! ヨシュア!」
それきり、もう彼の声は聞こえてこない。きっともう、この世界はだめなのだ。ヨシュアの声を届けるべき空間は繋がりを失くし、絶えようとしているのだろう。
この状況下でエステルを救えるのは自分しかいない。だけど、そのエステルが見当たらない。さきほど、執行者の自分と戦う前には、フルーレが宙に浮かぶ透明の球体にその身を寝かせていた事だけはわかる。この近くにいる事だけはわかる。……だけど、戦いのうちに距離を置いたのか? 闇に閉ざされた世界では遠くを見通す事ができないのだ。
「エステル! どこ!?」
もし、この世界の力がまだ残されているのなら、想いが力となるのなら、呼び寄せるしかない。魂の力が、この想いが本当のものなら、きっと呼び寄せる事ができるはず。いまそれが出来るのは自分だけなのだから。
「お願いだから、どこにいるのか教えて! 一緒に……帰ろうよ。」
その時、レンが持っていたリニアグリップが光を放つ。レンがそれに気づくと、リニアグリップは勝手に浮き上がり、何処へともなく飛んでいく……。まるで、それ自身が意思を持つかのように、目指す先にあるべき魂へと戻っていく。
「そっち! エステル、いま行くから、待ってて───。」
◆
世界が終わっていく。
ボロボロと崩れて、彼女の世界が消えていく────。
闇の空間、その天より落ちるのは彼女の世界。彼女の記憶そのもの。いままで生きてきた証の全てが、砕けて消えていく……。その終焉は来たるべくして訪れたものだった。
「フルーレ…っ! いったい何処にいるんだっ!」
ヨシュアは駆けていた。失われようとしている彼女を求め、魂そのものを燃やし、力尽きようとしている彼女の姿を探し、ただひたすらに駆けていた。
自分達が不甲斐ない態度をみせなければ、彼女を苦しめる事もなかった。
それぞれの弱さを……命を賭けて教えてくれた……。
どうしても、何があっても助けなければならない。
過去への罪への思いがある。だが、それ以上に、一人の人間として彼女を救いたいのだ。
一心不乱に闇の中を進んでいると、いつのまにか、彼の駆ける足元には道だけがあった。
それは長い長い、田舎道……。
その道をヨシュアは覚えている。忘れるはずがなかった。
───その道とは、フルーレが住んでいた村へと続く一本道だったからだ。
少女の記憶が、彼が過去に歩いた道を再現しているかのように、まっすぐに続いていた。
そして、目も眩むような光へと包まれていく………。
燃え盛る村の一角で、息絶えた幼き妹を抱える一人の少女が居た。彼女が抱えている幼子は全身が血に塗れ、一撃の刀傷が胸を裂いていた。
吹き上がる炎、激しい熱気、倒壊する家屋……。その中でたった一人、嘆くだけの少女が居た。
白い髪の幼い少女、いまよりも更に幼いフルーレ。……翠玉の色を持つ美しい瞳は、枯れても尽きぬ涙を流す事しかできなかった。息絶えた妹を抱いて、ただ慟哭する。
『 ───ルーナ! 死んじゃだめ! 目を覚まして、目を覚ましてよっ! お姉ちゃんって呼んで! お願いだから、お願いだから! お姉ちゃんって呼んでっ!! お姉ちゃんはここにいるよ? ここにいるから……』
『お姉ちゃんって……呼んでよ─────……っ!! 』
その映像がヨシュアの前に流れて、消えていく。
彼はそれが過去に自分自身の手によって行われた凶行だと理解し、胸を裂かれる程の後悔の念を抱いている。……しかしいまは駆けることをやめるわけにはいかない。
ヨシュアはひたすらに駆ける中、次の光へと包まれていた。
次に瞳へと映し出されたのは、あの《楽園》を名乗る忌まわしき娼館だった……。
……荷物もなく、真新しく高価な服を着せられた彼女が居た。いつのまにか人買いに奴隷として売られていたらしい。美しかったはずのエメラルドの瞳にはどんな感情もなく、希望もなく、喜びもなく、悲しみさえも忘れているかのような……そんな彼女が一人、部屋に居た。
なんで自分はこんなところに居るのだろう? なんで自分は生きているのだろう? 妹は死んでしまった。優しかったおじさんも、孤児になった私たち姉妹に優しくしてくれた村の人々も、みんなみんな、殺されてしまった……。
なのに、なぜ、自分は生きているの?
どうして私だけが、生き残ってしまったの?
自身が汚される事など、どうでも良かった。
どんなに嘆いても、もう妹はいない。あの頃の平穏は戻らない……。
もう生きる事に希望はなく、執着もないのだから、何がどうあろうと……構わなかったのだ。
いつしか食事を取らなくなり、みるみるうちに痩せていく体。このまま飢えて死んだ方が煩わしくなくていい。諦念が自分を支配しはじめていた頃……。
彼女と出会った。
「おい、bP4、まだ飯を食わないつもりか? まったく……稼ぎ頭がこれじゃあ、商売あがったりだ。ちゃんと食え。俺が叱られちまう。………まあ、いい。それよりもこいつは新入りのbP5だ。色々と教えてやれよ。」
世話役である柄の悪い男が、いつものように煩くしながら入ってきた。……それと共に部屋へと入ってきたのは、自分よりも幾分か幼く見える、紫の髪の少女だった。自分と同じような高価な服を着たその子は、胸に黒い兎のヌイグルミを強く抱きしめ、ただ涙を流していた───。
……全ての事に心が麻痺していたはずの自分が、そんな彼女を目にして、
なんだか……、懐かしい感じがした。
その子を見ていると、泣いている妹を思い出した。私とそんなに歳は変わらないのに泣き虫だった妹。……転んでは泣いて、友達にからかわれては泣いて、寂しいと泣いていた妹、ルーナの姿が重なった。
全てを諦め、死んでも構わないと思っていた心に、少しだけ……優しさの心が顔を出す。
だけど、その幼き少女は、自分以外の何者とも関わりなく、ただ孤独となり、全てを閉ざしていた。どれだけ呼びかけても、廃人になったように答えてはくれなかった……。
自分は幼いわりに賢しい考え方をするらしい。それは子供でありながら、大人のような合理的な思考を持っていたと気づいたからだ。……だから、それを彼女のために使おうと思った。自分はもう諦めたのだから、彼女を……妹を思わせる彼女に手を差し伸べたいと思った。
彼女は孤独に逃げ込み、私の声すら届かなかったけれど、……私は、それでも彼女の世話を焼く事をやめなかった。そうしている事が、唯一の安らぎだったからだ。
でも、それは建前だったのかもしれない。
……私はただ、最後にもう一度だけ笑顔が見たかった。
いつか、彼女が笑ってくれる時が来るのではないか? きっと本当の彼女は、妹のように明るく優しい子なのではないかと思った。だから私は、彼女のために生きてみる事にした。いつか、偽りではない本当の笑顔を見るために。
───その襲撃は突然だった。
この施設を何者かが強襲していた。激しい喧騒と怒号、爆音、そして銃器の漏らす死の旋律が入り混じっていた。
どういう状況なのかはわからないけれど、慌しく駆けていく《楽園》のスタッフ達は恐々としながら逃げ惑う。……何か、絶望的な状況である事だけはわかった。
そして、逃げ出していく客に置き去りにされた私は、なによりもまず、いつの間にか大切に思っていた彼女の元へと走り出す。服など着ている暇はない。下着姿であろうと関係がない。私は彼女を、妹を思わせるあの子を救いたかったのだから。
通路を駆ける自分の前に、村で見たのと同じ、死の光景が再び舞い込んできた。壁面は血に汚れ、抵抗したらしき警護の猟兵が死に絶えている。
そして、すぐ目の前にはあの男、世話役だったあの煩い男が死んでいた。それどころか、流れ弾にさらされ息絶えたbO7の少年、落下物に頭を潰されたbP2の少女までもが死んでいる。きっと襲撃者は、この館の人命の重視などしていないのだろう。そうでなければ、こんな突入などするわけがない。
もしかすれば、この《楽園》というもの自体の殲滅が目的なのかもしれない。……だとしたら急がなければならない。彼女が仕事をしている部屋へ全速力で駆けていく。
とうとう辿りついた先……目の前には二人の男が居た。一人はアッシュブロンドの髪に長身の男。そしてもう一人は黒い髪と琥珀の瞳を持つ少年……。しかし、長身の男が抱えていたのは、レンという……私が大切に思う子。
彼らがなぜ彼女を抱えていたかはわからない。しかし、犠牲を厭わない襲撃者が彼女を無事に解放するとは思えなかった。それに、彼女にこれ以上の苦しみを与える者を赦せなかった。
だから、足元にあった割れて落ちたガラス片を手にし、彼らに吼えた。
「その子を放して! 放さないのなら、あなた方を殺します!」
足が震えた。体も震えていた。手にしたガラス片を握り締める手から血が流れていた。……だけど、大切に想う彼女が目の前にいたから、気にしなかった。
襲撃者が人殺しであるのは、血まみれの彼らを見ればわかる。きっと自分は殺されてしまうのだろう。しかし、そんな事よりも、私はレンを守りたかったのだ。妹でないのはわかっている。
……だけど、もうこれ以上、人が死ぬのは嫌だった。もう一度、妹の死を見つめるのはたくさんだったのだ! 私は無力かもしれない、だけど救ってあげたかった!
それと同時に、声も無く、音さえも立てずに、黒髪の少年が立ち塞がった。
両手それぞれに剣を持ち、容赦なく切りかかろうと身構える。その瞳には感情の欠片すらない。
あまりにも悲しい瞳をしていた。まるで、レンようであり、レンに出会う前の自分でもあるかのようだった。
ああ、この子には感情がない…、きっと全てが麻痺している……。
そう感じ取った時、レンを抱く長身の青年が少年を制し、なぜか……私に問いかけてきた。
「お前はこの娘のなんだ? なぜ無力な手を振り上げ、それでも守ろうとする?」
彼の真意はわからない。しかし、向けられた瞳は、少年と同じように悲しみに満ちた者だった。何も映し出さないけれど、真摯なものに見えた。私は、その瞳を見てどんな偽りも隠せない思った。
……だから、自分の思うままを口にする。
「その子は、私の妹です。血は繋がってません。だけど、私はその子が不幸になる事を望まない。自分がどんなに汚れ、傷つこうとも、その子には生きていて欲しい。一方的かもしれない。その子はそれを望んでないのかもしれない。だけどっ! ……それでも私は、その子の笑顔が見たい! 幸せを願いたい!」
彼女はルーナじゃない。だけどそれがなんだというのだ?
大切に想う気持ちが届かなかったとしても、それがなんだというのか?
自分より大切にしたいと思う気持ちは変わらない。私は、その子が幸せそうに笑う姿をみたい。
その気持ちに偽りはないのだから、私は恥じる事なく、そう告げた。
程なく、青年は私へ向けたその瞳を伏せ、呟く。
「………なるほど、兄や姉の考える事というのは似るものらしい。」
「え?」
「どちらにせよ、俺達は男二人。幼いとはいえ、娘の細かな世話までをしてやるわけにはいくまい。お前が望むのなら共に来るがいい。……しかしその道は過酷だがな。」
───殲滅されゆく《楽園》での事。光を失っていたヨシュア自身もそれを覚えている。
今ならわかる。あの時、レーヴェはフルーレに自分と同じ覚悟を見たんだ。だから、連れていった。ついて来る事で待ち受ける過酷は生きていく以上に厳しい事なのかもしれない。だけど、それでも見たかったんだ。彼女というものを。
僕がレンの生き抜く力を見たかったように、レーヴェもまた、彼女を見たかった……。
次々とフルーレの思い出が流れては消えていく。
まるで走馬灯のように……。
そして、最後の………ヨシュアが見る事の叶わなかった思い出が流れ始めた。
「レンは強いの! なんでも出来る天才なんだからっ。あの人形兵器を動かす事だって大した事じゃないわ。今までだって何体も動かしてるもの。そんなのフルーレだって見てたじゃない。」
「違う、小さなものとは別よ。あれは普通じゃない。レンちゃん、……あれは違うのよ。」
N810010−06という型式で呼ばれている巨大人形兵器。これまでのゴルディアス級戦略兵器の最新機であるそれは、動きを円滑に、反応を高速に、より人間に近い能動的な動きを再現するために開発された。
しかし、操縦者の脳に直結するという新たな試みに対するデータは皆無に等しく、その負荷は和らげられる事も無く直接脳へと送られる。そんなものに耐えられる者など、いるはずもなかった。
私とレンは、その才能の開花により執行者候補生の中でも抜きん出た実力者として成長しつつあった。しかし、矮小な者はどこにでもいる。どう考えても無謀だとわかる実験に私達は推薦された。
そして誰も、それにNoと言える者はいなかった。ヨシュアさんはかなり前に遊撃士暗殺の任務へと旅立ち、レオンハルトさんでさえも、その場に居合わせる事ができないよう、任務を与えられていたのだ。今頃は星杯騎士団を相手にしているのだろう。
レンは前に比べれば自分を表現するようになっていた。しかし、それは彼女自身ではなく、彼女の中に別の人格が生まれてきたからだ。”強さ”というものに囚われ、それをこなす事で評価される事を知った彼女は、それだけを目指すようになっていた。
そして私は、瞳を通して人の精神世界に介入する力を習得していた。……しかし、壊れた心を左右するような力までには届かなかった。レンのためにそういう力を手にしたというのに、結局私は、何もできないままで彼女を見守る事しか出来ないでいたのだ……。
「レンは強いのが当然なの。ヨシュアが言ってたもの、レンは強いって。だからこれを操作できればレンはもっと強くなれるわ。……うふふ…、ヨシュアもレーヴェも、帰って来たら驚いてくれるわ。褒めてもらえるかも。」
レンの人格……、それを止める力は自分にはなかった。彼女は確かに笑顔を浮かべている。でも、それは私が望んでいたのとはまったく異質なもの。……私は側にいながら……邪悪を抱いていく彼女に何一つできなかった。なんにも出来ずにいた。
だから、私はそれを決意する。
最初から、自分の事は諦めていたのだから。彼女のために尽くそうと思っていたのだから。
このままここで、彼女を無駄死にさせるつもりなどなかった。いや、させてなるものか。
かなり前に、ヨシュアさんに会いに来た蛇の使徒の一柱、ワイスマンという男の瞳から過去を盗み見た時にみた、あれを使ってみる。
何者かの恣意が働いている以上、私達はこの実験から逃れる事はできないだろう。
使いたくはなかったけれど、もうこうなっては……使うしかない。
彼女の心を溶かす力はなくとも、守る事はできる。私にはそれで充分だった。
「もう…、しょうのない子ね。……わかった。実験を承諾してもいいけど、その代わり私が先に実験を受けるわね。それと………」
「何?」
私は大きく深呼吸して………それを実行した。
彼女の瞳をしっかりと見つめ、その力を発動させた……。
「きっと私はこの実験で壊れてしまうから、私の事はもう忘れてくれていいわ。その方が……、レンは迷わなくてすむもの。悩む事もなく、後を引く事もない。きっと、あとはレオンハルトさんが何とかしてくれるはず……。」
この機体が彼女と共にあれば、もう彼女を策略で貶めようとする者はいなくなるだろう。
今回のようにレオンハルトさんのような保護者が居なくとも、この機体が力の象徴として、保護者として、父と母の代わりを務めてくれる。だから、私は安心できる。安心して、この身を賭す事が出来る……。
ワイスマンがヨシュアさんに使っているのと同じ暗示、うまく出来たかしら?
ごめんね、レン…………。お願いだから、貴方は生きて。
いつか……、
本当の意味で、貴方を支えてくれる人に出会えるといいね……。
もし、叶うのなら、
心からの笑顔を────見たかった─────────
◆
「着いた! エステル、着いたよ!」
天上門、その出口にレンは辿りついた。あの暗闇からエステルを探し出し、背に乗せて階段を駆け上がってきたのだ。ヨシュア達が先ならここで待っているはず、しかしまだ居ないという事は、向ってくる途中なのだろう。
レンの背中にはエステルがいた。だけど、その姿は傷ついたままではなく、10歳頃の自分とそう変わらない姿になっていた。
エステルを見つけたレンは、彼女を背中に背負おうとしたのだが、いくら女性とはいえ、力を抜いた人間一人を背負うのは至難の業だ。いくらレンが才能にあふれていようと、背負った時の重量自体はかわらない。しかも、自分よりも年上なのだから、体だって大きい。
なんとか背負ったものの、うまく走れないレンは願ったのだ。足を怪我しているエステルを引きずったら可哀想だ、と。もっと小さくなってくれれば、と。
想いは届き、エステルは姿を変えた。ヨシュアと初めて会った頃の、幼い彼女へと姿を変えたのだった。この壊れゆく世界においても、想う気持ちはちゃんと届いたのだ───。
「もう! ヨシュアったら! フルーレはまだ見つからないの!? 帰ったら……フルーレを問い詰めなきゃ……なにか大切な事……忘れてるように思うから……。」
フルーレがレンに掛けた暗示。それは今なお、強く働いていた。…しかし、彼女が力尽きようとする中で、その呪縛も効果を弱めてきていたのだ。もう少しで、フルーレの事を思い出せる。あと少しだというのに、思い出せない。それが歯痒い。
その時、さらに大きな轟音が響き始めた。世界が本格的に砕け始めたのである!
世界を覆っていた闇の全てに亀裂が走り、白く輝く光芒が隙間から刺し込む。天より落ちるのはフルーレ自身をかたどる欠片。それが壊れて落下していく。レンでさえも、それが世界の終わりを示すものだと理解できた。
「ヨシュアっ! フルーレ! 二人とも早くして!!」
不安を叫びへと変えて、レンは祈る。みんな無事に帰れますように、と………。
「フルーレ! しっかり! 出口はもうすぐだ。」
白の少女は彼の背中の上で気が付いた。どうやら私は見つけられてしまったらしい。
もう足場さえもほとんどなく、自身の力が終わりを迎えている事だけはわかる。……土砂の下にいる自分自身の方が果てるのが早いか、それと精神が朽ちるのが早いのか、それはわからない。
……でも時間はほとんどない事も知っていた。
「……ヨシュアさん……、どちらにしろ…私はもう…だめなんです。いま貴方がやっている……事は……無駄になり…ます。だから、ここで……置いていって…くださ……い。」
「だめだ! 諦めなければ助かるかもしれないじゃないか! そんな弱音を───!」
「ふふ……貴方は、知って……ますよ。物理的に…無理なのだ、と。…あの……土砂崩れを人の手で退かす事は……できない……って。」
それでもヨシュアは出口への階段を全力で駆け上がる。確かにあの土砂を撤去する事を考えれば間に合わないかもしれない。でも、置いて行く事なんて出来るはずがない!
だって彼女は何も悪い事をしていないではないか? ずっとずっとレンの事を考えて生きてきたではないか?
助からないのが運命だというなら、空の女神はそんなにも人の願いを無視するものなのか?
確かにこれまで、様々な苦痛があった。戦争や、それに翻弄される者達が不幸となり、そして人という者達自身が、他人を不幸に陥れる世界でもある。……だけど、だからこそ、純粋に人を救う事を願ってはいけないのか?
生きていて欲しい。
そんな────ほんの小さな願いさえも……許されないものなのか?
「ヨシュアさん……聞いて……くれますか? 私の事……。」
「………………………大丈夫。聞いてるよ。」
「力の全て……を使って…パテル=マテルからの波長を……レンに調整して、脳機能を損傷させた私は……全身麻痺となりながら…も、かろうじて……生き残りました…。」
「結社に……レオンハルトさんが……戻ってきて……手配してくれた……先が、……あのイアソンさんの……家……でした。」
「私は………もう…、レンのため……に………、尽力できたから、……あとはどうなっても………良かったって…いうのに……。」
「イアソンさん…ご夫婦は………、私を娘として…………迎えて…くれて……。わたしは………体も動かない……のに……、それでも………娘になって……くれないかって……。」
「この…6年間……本当に………私を……娘のように…………。」
「私は………、幸せを…感じていました……。イアソンさんご夫妻や………、村の人達……、バンドル先生にも……優しく………接してもらって……。」
「…………………体が麻痺……したから…でしょう…。それを……補うように、……私の力が……異常に増大しました……。それで、感覚も……鋭敏になって……、離れているはずのレンや、……貴方の気配を感じる……事が……できて…。」
「レンが幸せになって欲しいって思っていたのに……、そしたら……あの子、迷っていて…………、私の方が………先に………幸せになってしまった……。私は……あの子に依存していただけだというのに……、あの子はまだ……迷っていたから………。」
「あつかましい……けど………お願いします……。どうか………レンを……幸せに………。」
フルーレの体が薄くなり始めた。まるで背負っているヨシュアの背が透けて見えるように、どんどんと薄くなっていく。……ヨシュアはただ、急ぐ事だけしか出来ない。全力で駆ける事しかできないでいた。
「き、来たっ! ヨシュアここ!」
天上門で待つレン、そして背中にはエステルが居る。レンは喜びの声を上げて出迎えた! ヨシュアはレン達の無事な姿に安堵しつつも、速度を緩めずに門へと駆ける。
だが、足元の白き階段が崩れ始めていた。脱出に至る道へと続く唯一の階段。それが、ヨシュアの駆ける後方から徐々に崩れていく。
出口まで残り15セルジュ。ヨシュアの速度を考慮したとしても、時間にして約1分以上の距離がある。しかし崩壊していく階段はそれ以上の速さで迫り来る!
「早く! ヨシュア! 後ろから階段がっ!」
レンの叫びが示すとおり、もうヨシュアのすぐ後ろまで階段が崩れ落ちていた。残り5セルジュ! 目と鼻の先の距離だというのに、出口まで届かないっ!!
「くっ───! 駄目かっ! あと少し……なのにっ!」
ついにヨシュアの足元までもが崩れしまう!
その下は深淵の世界。遥かに続く、深き昏き闇の世界。
もう、ここまでなのかっ───!?
「………ヨシュアさん……。私は、貴方の犯した罪を憎んではいません。レンを大切にしてくれるなら、本当の笑顔を戻してくれるのなら………それで………。」
「……フルー…レ……?」
その言葉と共に、フルーレはヨシュアの背中から飛び降りる!
そしてその背中を、力の限り突き飛ばした───────
◆BGM:「空を見上げて Ending version」 (3rd サントラ2・17)
「フルーレ!! どうして────っ!!」
ヨシュアは出口へと、天上門へと飛ばされていく…。そしてレンも強制的に閉じられていく扉に締め出されるようにして、その身を光の先へと消していく。
3人は現世へと戻るのだ。今まで暮らしていた穏やかな世界へと戻っていくのである。
ごめんなさい………。ヨシュアさん………。
わたしは、もうダメなんです。助からないから………。
でももう、……やるべき事はやった。
ただ朽ちるのを待つはずだったこの命を使って、三人が家族としてやっていける事に納得した。
なら、もういいんです。………あなた達が幸せにさえなってくれるのなら……。
闇の底に落ちゆく体。薄くなり、存在さえも消えゆくフルーレという自分。
しかし彼女の心は、満ち足りていた。
きっと、あの三人なら…様々な苦難を乗り越えてくれる。
私が心配しなくとも、いつかレンに笑顔を取り戻してくれる……。
だったら、もうそれだけで……。
「…………お養父さん…、お養母さん………、
どうして、私を置いて先に逝ってしまったの?
あなた達の娘になるって、ずっと一緒にいるって約束したのに……。
ルーナ、遅くなっちゃったけど……、いま、お姉ちゃんもそっちに逝くから………。
もう、心残りは………なにも………ないから……。
これからはずっと、みんな一緒に………………………いようね………。
レンは……柔らかい草の上で目を覚ました。
遠くの空が明るくなりかける、あと数刻もしないうちに夜が明けるのだろう。
雪が降っていた。薄暗い空からは小さな雪。
「────っ! エステル! ヨシュアっ!!」
慌てて飛び起きて気がつく。……そこは昨晩、休んだ場所だった。そして見上げて……驚く。
「パテル=マテル!?」
そう、あの悪夢の中で襲ってきた彼が、いつものように……レンを守るように屈んでいる。雨を防ぎ、そして今、雪に変わった寒空から彼女を守っていた。何ひとつ変わらないままで、いつものように巨体の足元から暖気が届く。それにより、雪が降っているというのにレンは温かいままでいられた。
「………そう……、夢から……醒めたのね……。」
全てが元に戻っていた。レンは現実の世界へと帰還を果たしたのだ。
ここはもう、何もかもが元通りの世界。執行者のレンという人格もいないし、パテル=マテルも襲っては来ない。もちろん、エステルも怪我をしていないし、ヨシュアも無事なはずだ。
「……よかった…………。」
しかし、一つだけ違っている事があった。……忘れていたはずの事を、思い出したのである。
「……………あ………、そういえばフルーレが………。」
その名前を口にした瞬間、様々な思い出が呼び起こされていった。
《楽園》で塞ぎこんでいた自分に声を掛けてくれてた。
仕事でボロボロになった自分にいつも世話をして励ましてくれた。
楽園が無くなったとき、自分を心配してついて来てくれた。
パテル=マテルを自分に与えてくれた……。
ずっと一緒だった。ずっとずっと、笑顔をくれた。
「…あ…………あああ………………。」
思い出したのだ、全てを。ずっと自分を見ていてくれて、支えてくれていたはずの人……、大切にしてくれてた人……。フルーレは、ずっと見守っていてくれたのだ。
彼女の、支配力が消えたから…………レンは、思い出したのだ……………。
「なんで…………そういう事…するのよ! レンに黙って、いつもいつも、そういう事ばっかり考えて!!」
わたしはいつか、エステル達と一緒にいる事ができるのかもしれない。だけど、……だけど身近で祝ってくれる…お姉さんがいなくちゃ……嬉しくないじゃない……。
涙が溢れてくる。
ずっと……自分のために生きてくれた人を想い、レンはただ涙を流すしかなかった……。
────雪は降る。
この世界がどんなに黒く、汚れていようとも、この雪は大地を白く染め上げる。
厳しい寒さと共に、どこかでほっとする、温かい心を残してくれる。
レンの心に残る黒い世界に、雪は降ったのだろうか?
彼女の黒き閉ざされた心を、白の名を持つ少女は、厳しいくも優しい心で白に塗る事ができたのだろうか?
きっと大丈夫。
だって、レンはもう一人ではないのだから─────。
ナイトメアがやってくる!
End
黒き世界は雪に埋もれ、そして白き雪が世界を覆う……。
その想いは時に厳しく、そして優しく降り積もる───。
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