●ナイトメアがやってくる！

　心のどこかで、微かすかに願う気持ちがあった。

　私はもうダメだと解っているのに、全てを諦め、納得したというのに……。
　何を願ったのだろう？

　どうして手を────、伸ばしてしまったのだろう？

　声が聞こえたのだ。
　温かくも優しい、歌うような心地よい声が。

　おぼろげに、そんな事を思う私の体を、仄ほのかに光る手が、ゆっくりと抱き上げた。
　不思議な感覚だった。たったそれだけの事なのに、手を差し伸べてくれた事が嬉うれしかった。

　見上げてみる…………。

　その視線の先には、体全体が仄かに煌きらめく、白い光に身を包んだ女性が居た。
　青紫の髪を持った美しい女性が……慈いつくしむような優しさで、微笑んでいた。

「…誰………ですか？」

「ようこそ、フルーレさん。……私はこのファンタズマ、《影の国》の番人。セレストという者です。」
　幽霊のように向こう側が透けて見えるその女性、セレストの名を聞き、フルーレは驚く。

「……瀕死の状態でしたので、ほとんど強制的にここに招かせていただきました。ケビン殿や皆さんへの罪滅ぼしというわけではないのですけど……ね。精神崩壊はこちらで治療しておきましたので心配はありません。」

「──────えっ？」

　フルーレは耳を疑う。
　そして気が付いた。その女性の言葉通り、力尽きたと感じた意識がハッキリしていた。力を取り戻していたのだ。
　そんなはずはない。確かに自分は全ての力を使い、間違いなく死の淵ふちに居たはず。影の国だって今はもう存在しないはず、……なのに、どうして！

BGM：「Cry for your Eternity」　（3rd ｻﾝﾄﾗ2・№13）

『なんつう我侭ワガママ娘や！　ホンマに腹立ってきたで！』

『　まったく……、オレを巻き込んでおいて、それで用が済んだら勝手に戻して……、すいませんの一言もないんじゃ腹も立つわ。ええか？　あとでたっぷり説教や。オレの説教は半端ないからな。』

　女性に抱かれたままのフルーレの耳に、あの緑髪の星杯騎士、ケビンの声が届いてくる。しかも……。

『　えっと…聞こえるかしら？　フルーレさんね。はじめまして。星杯騎士ケビン・グラハムの従騎士でリースといいます。この度はヘタレのケビンがまた何かしたみたいで…。』

『　いや、待ってくれリース…、オレが何かしたわけやないで。いま話してるお嬢ちゃんの精神世界にやなぁ…』

『　うるさい、このスケベッ！　いきなり人に抱きついておいて、涙流して良かった良かった騒いでたのは誰？　どうせまた、ケビンが何かヘタレた事をしたせいで────　』

「ちょっと待ってくださいっ！　影の国は、あのレクルスの方石は機能を停止したはずではなかったのですか！？　だって、ヨシュアさん達の記憶ではそうなっていて……っ！」

「そうですね。確かにそのつもりでした。」

　……セレストはその言葉が間違っていない事を肯定する。確かに、番人たる彼女は方石は悪用されないために自らの意思で活動を停止する事を宣言した。
　しかしそれは表面上での事、セレスト自身はあの事件からまだ４日経ってもまだ、深層で停止処理を行っていたのである。

「この方石の虚構空間に広がっている世界は、広さだけならばゼムリア大陸と同等の空間を許容しています。それらが再度悪用されないためのプロテクトを掛けながら切り離していくには、相応の時間が必要でした。」

　セレストはそう述べると共に、フルーレを静かに椅子の上にふわりと下ろす。そして彼女へ視線を留めたまま、言葉を続けた。

「作業としては単純だったのですが、世界が広すぎましたからね……。でも、現世での４日に値する時間を経て、残っているのはこの庭園の中心のみなんです。」

「本当はもう、停止できていたのですが……、最後にここへ来た皆さんに、この《影の国》での影響が残っていないかを確認しようと気配を辿ったら、瀕死の貴方を見つけましたので、差し出がましいかとは思いましたが、招かせていただきました。」

「ふふ…。貴方はこの影の国での最後のお客様になったようですね。」

　偶然の産物なのかもしれない。たまたま見つけただけなのかもしれない。しかし、セレストにとっては、人のために尽くせる事が嬉しかった。遥かな過去、空中都市リベル＝アークの人々を堕落させ、そして再びケビンの心を宿主として災いを招いた。
　レクルスの方石は本来、人に幸せを与えるものとして存在したはずなのに、負の遺産として働き続けてしまった……。

　だから今、この最後の時に、人の命を救うために役立てるという事が嬉しかったのだ。

『　いま、オレらも飛空艇で……戦車メルカバでそっちに向っとる！　絶対助けたるからな！　覚悟しとくんやな。』
　そのケビンの覇気ある言葉に、フルーレはうなだれながら……か細く答えた。

「………いえ、もういいんです。私は、………死にたいのです。父も母も妹も死んでしまった。もう私は一人だから、死なせて欲しいんです…。生きていたって思えないんです。……だって、私の想う人はもう居ないのだから……、こんな悲しい想いをするのなら……もう、死なせて…ください。」

　死は全ての苦しみから解放してくれる。フルーレは常に苦しんできた。愛すべき妹を失い、そして絶望の淵から、再び愛を与えてくれる両親を失ってしまった。心残りであったレンが幸せになれるというなら、もう生きていく事に執着はない。……だからもう、生きる必要はないのだ……。

　しかしセレストは、涙を流すフルーレの手を握り、穏やかに言い聞かせる。

「でも、フルーレさん。貴方は心の奥底に、彼女の笑顔をみたいという願いを秘めているのでしょう？　だから貴方は手を伸ばした。……私は貴方の心に残る声を聞き届けたからこそ、こうして力になっているのですよ？　きっと貴方は……見届けたいのです。」

「でもっ！　私はもう諦めているんです。もう助かりません！　いまここで精神が救われたとしても、体はもう限界です。あの土砂や岩石を退ける事なんてできないんです！」

『　……あのなぁ、それが矛盾だって言っとるんや。レンの嬢ちゃんには負けるなって言っておいて、自分が逃げてたんじゃ、本末転倒やろ。』

『　それにな、もうそっちに向っとるで。それら全部を退けられる力を持つ、────その嬢ちゃんがな…。』

◆

「パテル＝マテル！　ブースター出力全開っ！！」

　白じむ空を切り裂いて、レンはパテル＝マテルを駆り、全速で飛翔する！　これまでで一番、一度も試した事がなかった最高速度。この機体が持つポテンシャルを最大限に引き出す事に、心のどこかでストッパーがかかっていた。

　だけど、いまは迷ってはいられない。
　想いの力を半身たる巨人へと伝え、雪の降り注ぐ空を行く！

「なによ！　フルーレのバカ！　いるならいるって、言えばいいじゃない！」

　空を翔る巨躯なる者、それはいま、破壊を生む兵器としてではなく、人の命を救うために力を使っていた。そして彼ならば、人では不可能な巨大な岩だろうと取り除く事ができるのだ。

　星杯騎士のケビンから、レクルスの方石を通して声が届いた。オルサ村より南南東１４７セルジュの位置、ここで起きた土砂崩れの中に死に瀕したフルーレがいる！　だとすれば時間がない！　
　レンはいまクロスベルに近い位置にいる。もう目と鼻の先の場所。このスピードでなら半刻せずに目的地へとたどり着く事ができる。

　セレストよりの情報を聞いた限り、ケビン達だけでは無理なはず。レンが行かなければフルーレは救えないのだ。だって、パテル＝マテルは強大な力を持っているのだから。どんなものでも破壊する力を携えている。そうであるからこそ、土砂に埋もれたフルーレを救うこともできるのだ。

　大きな力は、時に人への脅威となって立ち塞がる。しかし、それは使い方次第なのだ。数々の悲劇を生んだレクルスの方石が今、フルーレを救おうとしているように、そのフルーレがけして人を殺さなかったように、このパテル＝マテルだって、人のために役立つ事ができるのである。

「いま行くわ！　きっと……ううん、違う。───絶対に助ける！　待っててっ！」
　そしてレンもそうなのだ。今まさに、その卓越した能力を人を救うために費ついやしているのだから。

「ヨシュアっ！　起きて、ヨシュアったら！」
　オルサ村の宿……、部屋に寝かされていたエステル、ヨシュア。先に目を醒ましたエステルは、隣のベッドで寝かされていたヨシュアの体を揺さぶり、起している。

　エステルの元にもセレストの声は届いていた。もちろん、フルーレを助ける事に迷いなんかない。救える命があるのなら救う！　そんなの当たり前だ。

「………あ……、エス……テル……。僕は───っ！」
　布団から飛び起きたヨシュアは、目の前に微笑むエステルを目にして驚く。まさか、自分が宿の布団で寝ているとは思っていなかった。どうやらフルーレは、ヨシュアが村長の家に土砂崩れを報告する前に、ここへと誘いざなったらしい。

「いくわよヨシュア！　今度こそあの我侭フルーレをギッタギタに助けてやるんだからっ！」
「エステル……なにその、ギッタギタに助けるって……。」

　二人には同時に頷うなづき、宿の外へと駆けていく。目指す先は土砂崩れの現場だ。レンもケビン達も向っているはず。それだけの人数がいれば、あの巨石を退しりぞけ、フルーレを救えるかもしれない！

「どうして……？　わたし……は………。」
　影の国の庭園。その周囲に浮かぶ星々と共に映し出されるのはケビンやリース、レン、エステル、ヨシュアの映像。それらを注視するフルーレは小さく呟いた。
　何もかも諦めていたというのに、あんな事をしたというのに、それでも自分を救おうとしているのだ。

　もう死ぬ事は怖くないし、家族の下へいけるから構わないと思っていた。だけど、なぜ、こんなにも心が温かくなるのだろう？　こんなにも涙が溢れてくるのだろう？

　セレストは、とても小さく見えるその幼い少女へと……話しかける。

「皆さんが貴方を救いたいと努力している。生きていて欲しいと願っています。もう少し、生きてみませんか？　きっと彼らなら、絶望した貴方の心に希望を見出してくれると思います。」

「だって、貴方が信じた人達なんですもの。………信じて、頼ってみてもいいじゃないですか。」

「…………………。」

「……お父さん…お母さん………、わたし………。」

　彼女の周りには頼れる者はいなかった。だから自分がやらなければと常に努力してきた。身を粉にして前を向き続けた。……そうやっているうちに、フルーレはいつしか、一人で頑張る事が当たり前になっていた。

　誰にも頼らず、たった一人で、生きてきたのだ。
　たった一人で、現実という過酷な運命に立ち向かってきたのだ。

　でも、今は違った。信じられる人達がいる。助けてくれる人がいる。

　……それはまるで、父と母がそうしてくれたのと同じ事だった。何を望まなくとも、自分のために一生懸命になってくれる。両親が注いでくれた愛情と同じものだったから……。

　フルーレは、その運命を彼らに託たくしてみようと思った。

◆

　空を駆ける飛空艇、星杯騎士団の守護騎士１２名だけが使う事を許された高速機・メルカバ。それは天駆ける戦車を意味するものだ。
　ケビンとリースはすでに、それをクロスベル自治州、オルサ村へと飛ばしていた。

　……その中でただ一人、当事者のはずでありながら、まったく事情を理解しないまま、その場にいる者がいた。桃色の髪にフルーレと同じエメラルドの瞳、黒のシスター服を身に着けた娘、リースは次々と変わりゆく事態に戸惑うばかりだった。

「そう……、そのフルーレって子が仕組んだお芝居に登場させられた、という事なのね。」
　そうならそうと言ってくれれば、ビンタなど食らわさなかったというのに……。ケビンの右の頬ほおにくっきりと残った手のひらの後。それが妙に滑稽こっけいさを醸かもし出す。

　でも、リースは謝るつもりなんてなかった。さっきまでのケビンは死んだように寝ていて目を醒まさなかったのだ。リースは起きないケビンを、ずっと心配していたのだから…。

　フルーレは最初から問題提起のためだけにケビン達を利用した。だから、リース本人までを呼び寄せる事には意味がなかったのである。虚像を使ったのだ。……もちろん脳への負担を考えての事だろうが、それ以上に、関係のない人を極力巻き込みたくはなかったのだろう。

「なあ、リース。……オレらがいま向っとる先には、ルフィナ姉さんみたいに体張って、レンの嬢ちゃんの心を救おうとした子がいるんや。オレは───。」

「……わかってる。どうしてもその子を救いたいんでしょ？　私の……【ホーリーブレス】で体を癒してみせる。大丈夫、だからケビンは精一杯、その子を救出する事だけ考えて。」

　いくらセレストが虚構世界で力を奮ふるっても、現世での体を完全な状態にまでは戻せない。濡ぬれた体は体温を奪い、時間は命を削けずっていく。いかにレクルスの方石の持つ治癒作用で内面から補佐しても、それには限界はあるのだ。
　しかし、間に合いさえすれば、リースは自身が持つクラフト、力を失った者に女神の力を注ぎ回復させる【ホーリーブレス】を使う事ができる。

「重症患者に試した事はないけれど……、姉様ならきっとやり遂げたはず。なら……私も、必ず成功させてみせる。……私を登場させなかったその子に、会ってみたいしね。」

　───事故現場、上空へ到着！　

　悪夢に巻き込まれた時、すでにこの戦車に乗り飛行していたケビン達。悪夢の中で殺された時点で開放された彼は、セレストの呼びかけによりメルカバをオルサ村へと向けた。そして６時間、開放された時間が早かっただけに、一番に到着したのはレンではなく、彼らであった。

　この艦はリベールの持つ高速巡洋艦《アルセイユ》程ではないが、それに次ぐスピードを持っている。エンジンが焼け付くまでの加速を続けたおかげで間に合ってくれた！　爆発もせず、よくもってくれたものだ。

　メルカバはそのまま上空で待機、道幅が狭い事に加え、崩落の危険がある以上、着陸は困難だ。

『　ケビン殿、セレストです。…彼女は今、現場の北側、位置にして北北東部分に居ます。その北東に養母の亡骸、そして南西の外れた部分に養父の亡骸ががあります。そして、それを封じている巨大岩は約３トリム、２つの岩が折り重なった状態の、微妙な位置関係にあり、微妙な振動で傾く危険があります。』

　荷物搬送用収納口より地面へと降り立ったケビン達は、セレストの状況説明に舌打ちする。ケビンのＳブレイク【空の聖槍】で一気に吹き飛ばそうと考えていたが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。

「オレのＳブレイクじゃ無理っちゅうことか。……レンのお嬢ちゃんはまだかいな。」
　いくらケビンのＳブレイクが多大な攻撃力を持っていたとしても、岩を砕き吹き飛ばす、という点においては役不足だ。そして、攻撃用クラフトでそれに変わる技を持たない。レンのパテル＝マテル以外には救うことができないのだ。

「来た！　レンさんとパテル＝マテル！」
　リースが声を上げたとき、明るみを帯びた空に赤の筋が見えた。それは紛れもなく、レンだ。着陸態勢に入った赤の機体、レンは高い位置から飛び降りると、ケビン達の元へと駆け寄る！

「状況はっ！？」
　まだ４日しか経っていないというのに妙に懐かしい。しかし、挨拶あいさつなど交わしている時間はないようだ。セレストの報告によると、彼女のフォローでさえも、完全に朝を迎むかえるまでの時間しか持たせる事ができないという事だったからだ。

　つまり、朝になってしまえば、フルーレは救えないのである。

「わかった！　レンがパテル＝マテルのダブルバスターキャノンで岩を吹き飛ばすわ！　そしたらハラペコお姉さんが回復、騎士さんがあの防御のＳブレイク、それでいいわね？！」
「ハ、ハラペコお姉さんとはどういう侮辱なの？　このナマイキお嬢様は！」
「あら、ハラペコじゃなければ、大食い女王でも結構よ？」

「……い、いや、あのなぁ、二人とも。いまはワガママお嬢ちゃんを救うのが先で、そないな、みみっちい喧嘩をしとる時とちゃうで？」
　こんな時だというのに、仲がいいのか悪いのか、レンとリースが口喧嘩を始める。時間もないというのに。

　だが、彼女達は知っている。あの二人が間もなく到着するという事を────

「こらっ！　アンタ達！　とっとと救出するわよ！」
　いつもの元気な彼女、なんの憂いもなく、人に力を与える輝きを持つ彼女、エステルが駆けて来る。そして、その後ろからヨシュアが荷物を背負って後に続いていた。

「すまない、遅くなった！」
　彼は背中にくくった荷物、毛布を濡れないように岩陰に投げると、そのまま駆けて来る。

「エステルっ！　ヨシュアっ！」
　嬉しさと申し訳なさと共に、レンは二人の名を呼ぶ。そして救出作戦を実行せんがため、再びパテル＝マテルへと飛び乗った！

「４日ぶりですね、お二人共。お変わりなさそうで。」
　リースは思いがけない再会に喜びつつも、救出準備にため集中できそうな位置まで後退、距離を置く。

「よし、やったろうやないか！」
　そしてケビンがＳブレイク、グラールスフィアを準備する。これは落ちてくる瓦礫がれきからフルーレらを守るものではない。パテル＝マテルの最大攻撃たる一撃に耐えるためのものだ。その効果をフルーレ、そして亡骸なきがらとなった彼女の養父母へと広げるためにある。

BGM：「Overdosing Heavenly Bliss」　（3rd ｻﾝﾄﾗ2・№09）

「みんな、行くわよ！」

「「「「応っ！」」」」

　エステルの掛け声と共に、皆が一斉に行動を開始した。
　まず、レンがパテル＝マテルへと指示を出す！

「パテル＝マテル、ダブルバスターキャノン充填！　────フルパワーよっ！」

　その瞬間、エステルが、ヨシュアが動き、さらにケビンがＳブレイクを発動させた。

「　───我が右手に在りし星の杯よ、天より授かりし輝きを以って、彼の者の楯となれ───」

「グラールスフィア！」
　通常は自分自身、そして味方を覆うべきその聖なる力を、いまは瓦礫に眠るフルーレへ、そして彼女の両親へと向ける。これでパテル＝マテルの大口径ビーム砲の効果だけは弾く事ができるはずだ。

「───さあ、薙なぎ払いなさい！その忌まわしき岩の牢獄をっ！」
　レンの意志を汲くみ取り、パテル＝マテルのエネルギーが最大まで充填される。先ほどと同様に今度こそ全開で、今度こそなんの躊躇ためらいもなく、全ての力で解き放つ！

　圧縮されたエネルギーはこれまでで見た事もない膨大な力を集束させ、極大の閃光となって瓦礫の山へと突き刺さった！　レンの想い、エステルの想い、ヨシュアの想い、そして、ケビンとリースの想いを乗せて、大いなる力となって岩の牢獄を砕いていく！　もちろん、グラールスフィアが彼女らを完璧に守っている。

　その衝撃と共に、両脇に聳そびえる岩壁が崩れだした。ヨシュアが予想していた通り、元々弱くなっていた地盤が雨で揺るぎ、崩落ほうらくしやすくなっていたからだ。そしてグラールスフィアでは無数に降り注ぐ岩々の衝撃から守りきる事はできない。

　だが、ヨシュア、エステルはそれを心得ている。すでに全力で疾走しているのはこのためだ！　目指す先はそれぞれ、彼女の養父、そして養母の元。いくら遺体とはいえ、このままでは彼らを放置する事になる。だから、崩落の前に彼らを安全な場所へと運ばなければならなかったのだ。

　─────　そしてっ！

「フルーレっ！　いま、助けるから！」
　パテル＝マテルから飛び降りたレンが疾駆する！　これまでの事、助けてもらったり、力を貸してもらったりした様々な想いを胸に、レンが彼女を救うために、走る！

　取り除かれた岩の奥に姿が見えた！　そこに居るのは紛まぎれもなくフルーレ本人！

「レンちゃんっ！　───レンっ！！」
　グラールスフィアに守られた彼女はそこに居た。セレストに癒された体が反応していた。動かなかったはずの体が、ほんの少しだけ動かす事ができた。なんとか手を伸ばす事ができた。

　だから、手を伸ばす。彼女の笑顔がみたかったから、最後まで……最後の最後まで生きてみようと思ったから！　全てに諦めないで、生きてみようと思ったから！

　緩ゆるんだ斜面よりこれまで以上の大崩落が始った！　岩肌から次々と巨岩が落下を始める！

　エステル、ヨシュアは彼女の両親を救出していたために助けに行く事が出来ない。ケビンは届かず、リースはホーリーブレス詠唱のため集中している。

　だけど、心配はいらない。彼らにはもう一人仲間がいる。
　かけがえのない仲間。頼もしい仲間が！

「「　パテル＝マテル！　お願いっ！！　」」

　レンとフルーレの声が重なり、響き渡る。

　───もちろんだ。

　そう語るように、蒼の双眸そうぼうが強く輝き、彼は矢のように動いた。

　全ての害意から愛しき娘を守るように、全ての仇あだ為なす猛威から娘達を守るように、彼は最大の力で岩々を破砕する！　どれだけの敵が娘らを狙おうとも、彼は守るのだ。全力で。

「レンさん、そのまま迂回うかいしてこちらへ！　ホーリーブレスを最大効果で発動させます！」

　フルーレを抱きかかえたレンの元へ届くリースの声！
　彼女は自らの力を光と変えて、念じて溜める。

　人を癒す力、人を救う力……。彼女の姉、ルフィナが幾度となく行ってきた人を救うという行動。それを体現するため、受け継ぐため、リースはその輝きを発する！！

「　───　女神よ……、神のご加護を────っ。」

「ホーリーブレス───っ！」

　女神への祈りの輝きは天へと届き、癒しの光はフルーレへと流れ込む。
　冷たく冷え切った体、そして大きな意思を背負い続けてきた彼女の小さな体に、命の力が呼び起こされる。
　
　鼓動は力強く、生きるために脈動していく。

　……彼女という命の光が、再び生きる事を選んだ瞬間だった。

◆　BGM：「またいつか会うために」　（3rd ｻﾝﾄﾗ2・№16）

「もう！　心配させるんだから！　本当に……バカなんだからっ！」
　フルーレの冷え切った体をしっかりと抱きとめ、レンはただ泣いていた。フルーレの体に感じるのは、レンの体を通して伝わる焼けるように熱いぬくもりという熱。それはただ温かいだけでなく、心の底から癒してくれるような、そんな力……。

「ごめんね……。ごめん…なさい……。」

　先ほど手を伸ばしたのが奇跡であったかのように、いまの彼女は動く事ができなくなっていた。でも、体は言う事を聞かなくとも、心はとても温かかったから、別に構わないと思った。

『　私の施ほどこしたのは応急処置ですので、フルーレさんには本格的な治療が必要です。どこか、それなりの施設しせつで治療を受けるべきでしょう。……それと、”きっかけ”は与えましたので、体自体が回復すれば、麻痺まひしていた体も良くなるはずです。時間はかかると思いますけど、必ず、ね。』

「ああ、それならオレらに任せてくれんか。七耀教会が責任を持って治したる。それに体が癒えたらリハビリもせなアカンのやろ？　設備も揃ってるし、きっちりやらせてもらうわ。」
　ケビンは自信を持って胸を叩くものの。レンは少々不安に思っていた。フルーレは元々、《身喰らう蛇》に所属していた者だ。そんな所へ彼女を行かせていいのかと思う。

　しかし、それを払拭ふっしょくさせてくれたのは、リースだった。

「レンさん、そんなに心配しなくとも大丈夫です。……昔はどうであろうと彼女は病人。もし何かあっても、ケビンと私が守ります。それとも、私達はまだ信用できませんか？」

「ま、まあ、一応は…………その……仲間…………だから、それなりに信頼してはいるけど…。」

　レンがいかにも照れくさそうな顔で、リースから顔を背ける。今までが今までだけに、さすがのレンも、そういうセリフをさらっというのは厳しいらしい。
　その彼女らしからぬ珍しい言葉に皆からの注目を浴び、さらに顔を赤くしていくレン。

「で、でも、ハラペコシスターがどうしても頼むというのなら、考えなくもないわ。フルーレの分まで食べないで欲しいものね。」
「し、失礼ですね！　私はそんなに食い意地は張ってません。」

「フルーレ、持ち上げるよ？」
「……はい、どうぞ。」
　レンからフルーレを預かったヨシュアは、持ってきていた毛布でフルーレを包んで、静かに抱き上げた。安心した表情を浮かべるヨシュア、そして疲労してはいるものの、どこか安堵した顔でいるフルーレ。

　そんな彼女の顔を、エステルが覗き込む。

「こら、我侭フルーレ。あんたよくもやってくれたわねぇ……。」
「エステルさん……。ごめんなさい。……痛めつけた事は、弁解のしよふほへ……。はひをふふんへふは？　いはいへふ……。」
　エステルはフルーレのほっぺたを両方引っ張り、仕返しをしていた。

「ふっふっふっ、これくらいじゃ許さないわよ。体を治したら、今度は釣りにでも付き合ってもらおうかな。……それくらいは、してもらわなきゃね。」

「エステルさん……。」

「あんたには色々教わったわ。自分の事や世界の事、これから見つめなおして行こうと思う。きっと、レンにも心からの笑顔を取り戻させてみるから……。安心して体を治しなさいよ？」

「………はい…。」

　そして、エステルがレンへと向いた。そしてレンもそんなエステルに気づく。

　二人の間には、これまでの出会いや思い出が浮かんでいる。初めて会ったエア＝レッテンでの事、エルベ離宮でかくれんぼした事、執行者を名乗った時の事、アクシスピラーで戦った事、影の国で話した事……。

　そんな中で、二人は再び出会った。
　共に暮らすことを願い、家族になる事を願い、いま二人は、向き合っている。

「レン、一緒に……行こう？　約束したものね。」

「…………エステル……………。」
　エステルの瞳に写るレン、そしてレンの中に写るエステル。その心は強い絆によって結ばれている。それはお互いが理解していた。
　これ以上の言葉を交わさなくとも、彼女達はもう家族だったから……。

　だけど…………。

「ごめん、エステル……。レンは行けないの……、まだ、ダメなの……。」

　レンが後ずさりしながら、ゆっくりと…ゆっくりと離れていく。エステルは行かせまいと、抱きとめようとするが……、レンはそれより早く、飛びのいてしまう。

「…なんで…レン………、あたしは……。」

「わかってる！　レンはエステルの事、わかってる。大好きだってわかってるの！　…だけど、だけどまだダメ。だってレンには………もう一人の…捨てる事のできない家族がいるもの……。」

　レンの後ろには彼がいた。赤い体を持った、巨躯を持つ彼、パテル＝マテルが。
　エステルにとってレンが家族であるように、レンにとっても彼は家族なのだ。温かみはないかもしれない。だけど、いつも一緒に居た、一緒に居てくれた家族だった。

　フルーレが言ったように彼がただの人形兵器であったとしても、心などないものだとしても、それでも彼が長い間、レンを支えていた事も事実なのだ。

　………その彼を置いて、エステルの元へ走る事が、レンにはまだ出来なかったのだ。

「行かせてあげてくれませんか？」
　そんな二人を見て、フルーレが声を掛ける。
　彼女はあの悪夢の中で、レンとパテル＝マテルを強引に引き離そうとした。しかし、それは無理だった。これはレン自身が昇華しなければならない問題だったからだ。

　でも、もう平気だと思ったから言った。行かせてあげて、と。……だってもうすでに、レンとエステルは絆で結ばれている。だから、互いが互いを、家族を信じてあげてほしい。もうレンは前を向いて歩いているのだから、きっとどこかで気持ちを整頓できる。それを信じて、待ってあげて欲しい…。

　フルーレが想うように、エステルもまた、それを感じ取った。
　……だから、彼女も納得せざるを得ない……。

「そっか………。じゃあ、レン。……鬼ごっこ再会……ね。」
「うん……。」

　レンがパテル＝マテルへと駆ける姿を追いそうになるエステル。すぐにでも追いかけて、背中から抱きしめたくなる衝動を抑え、彼女は笑顔を作り出した。自分で言った事だから、辛い気持ちを押し込めて、とっておきの笑顔で、彼女を見送る。

「レン、次こそは絶対、離さないわよ！　……だから、またね！　体に気をつけるのよ！」

「………うん、エステル！　ヨシュア、フルーレ、ネギさんにハラペコお姉さん、またね！」

　パテル＝マテルが空へと舞い上がる。レンを乗せて、空へと舞い上がる。
　ささやかだけど、本当の笑顔を残して。

　出会いと別れを繰り返し、そしてまた出会うためにレンは何処かと飛び立っていく。
　だけど、その瞳には怯おびえなんかない。必ず、また会えるという確信がある。

　夜が明ける。地平の向こうに輝かしい光が見えた。
　それは彼女の心の輝きを顕あらわすかのように、新たな気持ちを迎え入れるように、
　希望の力を与えてくれた。

　止まっていたレンの時間が、いま再び、回り始める─────。

『ナイトメアがやってくる！』

Ｗｈｉｔｅ・Ｅｎｄ

───厳しき冬は終り、いつしか暖かな春がやってくる。
　　　　　　　　　　　　　　芽吹く季節を迎える種籾たちは、きっと健やかに、雄々しく育つのだろう。