レン・ブライトの一日

その4 『カシウス』
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「うおおおおおお! 外だ! 外に出られるぞーー!」
「やったよリーダー! 俺達すげー頑張ったよ!」
「ひゃっほう! やっと明るい場所に出られるよ〜!」
「お、おい! 俺がリーダーだぞ?! 置いていくなっ!」

 とうとう屋上へと続く最後の階段へとたどり着いた。
 …結局、内部調査とトラップを用意、そしてシャムシール団の相手など、まごまごしていたせいで屋上に到着するのに30分も掛かってしまった。そろそろカシウスが塔へと到着するだろう。もうゆっくりとはしていられない。

 レンがそのような焦燥しょうそうを抱いているというのに、シャムシール団の面々ときたら酒も入っていないのにハイテンション続きで、相変わらずさわぎっぱなしである。やっと外に出れると大喜びで、屋上へと続く登り階段を我先にと駆け上がっていく…。さっきまでヘタれていたくせに、なんて現金な連中なのだろうか?

 まあいい。いまはそれどころではないのだ。

 そんな嬌声きょうせいを耳にしながらも、心を落ち着けて気には留めず、ゆっくりした歩調で、これから開始する行動や指示を頭の中で反芻はんすうし、細かに確認していく…。あわてず、落ち着いて、残されたわずかな時間を使い、これからの作戦に対する行動をシミュレートしていた。

 シャムシール団のそれぞれだれをどこに向かわせるのが効率的か? 仕掛けたトラップをどのタイミングで爆発させるか、そして自分がロレントに到着後、どこにかくれるのがいいか…、それらを綿密めんみつり上げている。
 常人じょうじんでは想像すらできない程の速度で全ての作戦を同時に、正確な計算の上で最善を導き出す。そうする事で作戦の密度みつどを増していくのだ。それがより確実な勝利へとつながる最大の手段だからだ。

 カシウスに勝つ、そのためには生半可なまはんかな戦術では太刀打たちうちできないのは、先ほどの戦闘でも証明しょうめいされている。凡庸ぼんような知略家であれば、あの英雄相手では負けても仕方がないとあきらめてしまうだろう。

 だが、レンはあきらめない。この1時間という短い時間をフルに使い、少ない選択肢の中で、勝てる見込みのある手段を打ち出している。それはけして自己満足からくる無謀むぼうでも無茶ではなく、冷静な判断の元に下された”彼に勝てるさく”であった。
 ここまで出来るのはレンを置いて他にはいないだろう。遊撃士として実力をつけたエステルはおろか、ヨシュアにさえおよばない全体を俯瞰ふかんして見る力、つまり”戦術論”というものを組み立てているからだ。

 その場限りの戦闘ではなく、その場の会話でもなく、その「作戦そのものを一つの事象じしょう」として考える。作戦そのものの始めから終わりまでを、一つの流れとして考えた場合、ひとつの行動が後でどう影響えいきょうするかを考えられる能力…。

 例えば、チェスのようにこまの動かし方で勝敗が変わるのと同じ事だ。物事を俯瞰ふかん視点してん、つまり上から見下ろした場合、こまをどう動かせば勝利できるかを見抜く事、全体としてどう動けばいいのか?…そういう見方で物事を見てレンは作戦を構築こうちくする事ができる。

 その場限りの感情論で行動する事の多いエステルや、数歩先は見ているが全体としての流れは見えていないヨシュア。その両名が絶対にレンに及ばない能力。それこそが「戦術論」なのだ。これだけは頭脳明晰なヨシュアであろうとも、その知識の幅においては、天才たるレンに及ぶはずもない。

 博識はくしきであり、多様多彩な戦術を知る天才、レンだからこそ生み出す事が出来る戦術は、世界に名だたる戦略家らを唖然あぜんとさせるだろう。そしてその洗礼せんれいされた布陣にまずおどろき、あざやかな手並みにしたを巻き、一部のすきもない峻烈しゅんれつな効率と精度に目を見開く事だろう。この技術でなら、レンはカシウスにも引けを取らない絶対の自身があった。

 そして、そのレンが打ち立てた今回の作戦を実行した場合を想定し、幾度いくどかのシミュレーションをたその結果では、カシウスが勝利する可能性は完全にゼロである。

 逃亡ルートの選別やシャムシール団の意外性、そしてタイムラグなどの誤差を考慮こうりょし、様々な角度を検証。いくつもの不慮ふりょの問題が起こる可能性を加えて追求してみても、それでも彼が勝利する事はない。

 …今回のかくれんぼのために生み出した戦術は、まさに”会心の策”と言えた。
 自分でもこわほど悪辣あくらつなものだ。


 この階段を上りきれば、後はそれを実行するのみ。
 カシウスには存分に苦しんでもらったのち、レンは余裕の笑みを浮かべて、勝利に酔いしれるだけでいい…。



「ふふふ…、カシウス・ブライトにも一度くらいは大敗をしてもらわないと納得いかないものね。」
「…ふむ、それで勝てそうだったか?」
「当然よ。レンは天才だもの。計算に誤りなんてないわ。」
「なるほどな、俺はこういう結果が見えているとは思っていたんだが…。」



BGM:英伝 空の軌跡FC「リベールの誇り」(サントラDisk:1・33)



「………は?」

 まさかと思って顔を上げたレン。見上げると、そこにはなんとカシウス・ブライトがいた! 見間違いなどではない。さっき別れたまま、服装も態度もまったくそのままの彼がレン達よりも先に屋上にいたのだ!

「な───っ!」
「すまんな。手加減してやれなかった。」
 悪戯いたずら好きな少年がそのまま大人になったようなさわやかな笑みを浮かべるカシウス。さすがのレンも目をうたがった。なぜここにいる!? スタートした時間や距離を考慮こうりょすれば先に着けるハズがない! もし時間を守らずスタートするにしたって追い越す必要がある。だとすれば、レン達に接触せっしょくするリスクはあるだろう。それでレンが気づかないハズがない。

「ど、どうし…て………、あっ!」
 レンの視線の先にあったのは飛空艇であった。屋上の中央に黒く輝く真新しい機体、それはレンが調べていたリベール軍に配備されているどれとも違う、まったく新しいフォルムをした新型だった。これまでの機種よりもやや小さく、このさして広くない屋上にもスッポリ入る程度のサイズのもの…。

 そう、つまりカシウスは、飛空艇を使って塔に直接乗り付けたのだ!

 レン達が屋上に到着とうちゃくする前に飛空艇で先回りしたのである。
 そしてまんまと一網打尽いちもうだじんにした。

 飛空艇を使うことで、カシウスがうはずの移動時間そのものが大幅に短縮たんしゅくされ、しかも目指すべき翡翠ひすいの塔に直接到着する事ができる。レン達が歩いて塔内部を進んできたというのに、彼は全てをすっとばして先回りしたのだ。
 そしてレン達がバラける作戦や、その前に一旦、屋上に出る事をも予測して動いた。カシウスは後発という不利な条件下にありながら、”せん”をうばったのである。これは過去の百日戦役にて彼が行った電撃作戦にも通じる戦術だった。

 いかにレンの陰険いんけんな手段を講じた難解かくれんぼを仕掛けようとも、隠れる前につかまっては形無しである。レンの作戦はまったくの無意味とててしまった。

「き、汚いわよ! 誰が飛空艇なんて使っていいって……っ!」
「言ってたか?」
「…まあ、条件には入れてなかったけど…。」

「いや、逆に言うとな、これしか手がなかった。バラけられては不利だったからな。」
 そんな事をしれっと言うカシウス。しかも”バラけられては不利だ”とは言うものの、”負ける”とは言わない辺りが余計に腹立たしい。

「だいたい、こんな飛空艇をどうやって用意したっていうの!? ロレントにこんなモノあるわけがないわ! それくらい調べてあるもの!」
「その通りだ。だからな、リベール王国軍総司令としての権限をフル活用した。ロレントにて事件発生の一報を伝え、レイストン要塞から全速力で持ってこさせたんだ。スタートまで1時間の余裕があったわけだしな。それにルールでは他人の手を借りてはいけないという事だから俺自身で運転した。…これなら問題ないだろう?」

 確かに、レンもこういう手段がある可能性は考えた。しかし、彼がまさか私事わたくしごとで軍を動かす人物だとは思いもしなかったので、早々に可能性を排除はいじょしてしまったのだ。

 なぜなら、これが国家的な問題に発展する可能性があったからだ。

 いくら国内だろうと、このような兵器を出動させるというこの行為は、規模きぼが小さかろうと軍事的行動にあたいする。事前に各所へ了承りょうしょうを取っておかなければ無用な混乱をまねくだろう。緊急出動であろうとも、このような戦闘飛空艇が許可なく都市上空を飛べば、新聞などのメディアが黙っていない。そうなれば国内の問題だけでは済まなくなってくる。1年前に起こった【リベルアーク事件】に伴う”エレボニア帝国侵攻未遂しんこうみすい”も記憶に新しい時期だけに、帝国側にも何かしらの魂胆こんたんを抱かせるだろう。

 そういう理由から、このようなリベールに不穏をもたらすリスクをを負ってまで、レンとのかくれんぼ、つまり、「たかが遊び」に勝利しにくるわけがない、と考えたのだ。そんな馬鹿げたリスクを負うほど、カシウスは愚か者ではない、とんでの判断である。だから可能性を真っ先に排除はいじょしていた。


 だが、彼はそれを承知しょうちで軍を動かしてしまった。
 そういう問題を考慮せずに”私事わたくしごと”で軍を動かす、…このやり方は、あまりにおろかな選択と言えよう。

 これではまるでリベール王国軍はカシウスの私設軍隊ではないか。権力を掌握しょうあくしての軍部私物化など、悪趣味なだけで何も生みはしない。国家にとっての弊害へいがい以外の何物でもない。カシウスがそんな程度の愚物ぐぶつだとは思っても見なかった。

 …だからレンは、きわめて冷めた目で見ながら告げた。

「ふん、あきれたものね…。いい大人が取る対応じゃあないわ。リベール王国軍を私物化しているなんて、とんだ英雄 もいたものね。見損みそこなったわ。」
「ふむ、どうも勘違かんちがいされているようだが…、俺はこの休暇中きゅうかちゅう、抜き打ちでの軍事演習をやると最初から軍部はもちろん、各都市の代表にもつたえてあるぞ? 確か通達は2カ月前だったか…。」
「え…?」
 レンの素っ頓狂すっとんきょうな声も気にせず、カシウスは私物化など心外だ、とばかりに答えてみせた。

「総司令が不在が理由で作戦行動が遅延ちえんしたでは軍として役に立たんからな。モルガン将軍との協議で、今回の演習を事前に予定していたんだ。こういう事もあるやもしれんと思ったしな。一石二鳥というやつだ。」

「今頃はちょうど、ロレント襲撃訓練に、レイストン要塞ははちの巣をつついたような騒ぎになっているだろうな。」


「……………。」
 まさか、そこまで把握はあくして行動していたとは…、さすがのレンも唖然あぜんとするしかなかった。そして同時に、カシウスの言葉に違和感を感じてもいた。彼はまるで、こう言っているようにも聞こえたからだ。

 ”レンがかくれんぼ勝負を仕掛けてくる事は読めていた”…と。
 だから、あらかじめ軍事演習の予定を通達しておき、レンの行動に合わせて作戦開始したようにも聞こえる。

 確かに、レンがブライト家に居て、部屋を作るための掃除そうじをする日はある程度の予想がつくだろう。それに合わせてカシウスが休暇きゅうかを取ったのだから、日時の特定は出来たはずだ。

 …だが、こんな事態まで予測が出来るものなのか?

 今回のかくれんぼだって、シャムシール団が現れたからという偶然ぐうぜん一致いっちにより起こった事ではないか。それを、未来でも視てきたかのように先んじて行動されていた。もはや戦術眼などというレベルを超えている。これは尋常じんじょうではない。
 まさか、これがカシウスの持つ特殊能力なのだろうか? 本当に未来が見えるという異能だというのか?

「そんなに、いぶかしんだ目で見られてもな。…そもそも今回のこれは偶然の一致みたいなものだ。俺の不在中の軍事演習は最初から行う予定があったし、それが今回の休暇日を利用したものでもあった。そこにレンちゃんのかくれんぼが重なっただけの話。つまり、たまたま、なんだ。」

 …たまたま、と言うには出来すぎているが、シャムシール団が現れたからこそ始まった偶然からのかくれんぼである。疑う余地などなく、カシウスが用意周到だったという事に他ならない。きっと、事態が何であろうとも、同様の迅速な対応をしてみせたのだろう。今回はそれが、ただのかくれんぼだった、というだけなのだ。

 しかしそれでも、この事態を予測していたかのような行動には驚きを隠せない。カシウス・ブライトとは、本当にこれほどの人物だというのか? まさか、自分がこうも簡単に敗北するなど…。

 いや、待て。…もう一つ、彼がかくれんぼを予測できたという可能性がある。


 もしや、【カシウスとシャムシール団がグルだった】のではないだろうか?

 そうであれば、事前に街でさわぎを起こして注意を引く事も出来るし、馬鹿な態度で作戦だと察知さっちさせない演技も出来る。確かにレンがかくれんぼをする可能性は分からないだろうが、鬱屈うっくつとしていたレンが、彼らに注意を引かれる事は予測よそくは出来る。
 …もしかすれば、レンは彼らの結託けったくにハメられたのかもしれない! カシウスと彼らが共謀きょうぼうし、レンをおとしいれたのだ。実はシャムシール団というのは仮の姿で、本当はリベールの諜報部所属ちょうほうぶしょぞくのエリートらが、あの阿呆あほキャラを演じ続けていた、そしてこの天才たるレンすらだまして通したのではないだろうか!?

 そう気がついたレンは、ありったけの殺気を込めた視線をシャムシール団へと向ける!
 めた真似を! あいつらのバケの皮をがしてやる!!


「こりゃスゲェな! 俺っち飛空艇なんて初めて見たよ!」
「うおおおお…、なんか俺も興奮こうふんしてきたよ!」
「あ〜あ、リーダーいけないんだ! 勝手にさわっちゃってるよ! もう逮捕決定だー!」
「うわああああ! 俺は逮捕なのか!? 逮捕という事なのかぁぁ!」

「……………………。」
 とにらみつけようとして呆気あっけに取られてしまった。間違いない。間違いなく彼らは本物の○○だ。
 確実に言える事は、彼らはどうひっくり返っても諜報部ちょうほうぶなんかではない、という事。それだけは間違いない。

「(な、なにやってるのかしら、レンてっば〜!)」
 などと口には出さずに頭をかかえ込んでしまうレン。いつものように整然と、冷静冷徹に考えればすぐに分かりそうなものだが…、今日はどうも調子が悪い。一人で勝手におこり出し、勝手にはずして困惑こんわくしているレンは、今になってそれがはずずかしい行動だったと思いいたり、勝手に赤くなって苦虫にがむしつぶしたような顔になってうなれた…。


 そうだ! レンが悪いのではなく、ロレントが変だからいけないのだ!!


 …などと考えても、それが明らかに、こじつけだという事を頭が理解しており、ただただ猛省もうせいするばかりである。
 どうにも、このロレントでは調子がくるいっぱなしだ。

 とってもめずらしい自爆で表情がくるくる変わる、なんとも可愛らしいレンであった。


「よし、じゃあ帰るとするか。空港にこれに乗ってきた兵士が待ちぼうけなんでな、早く戻るとしよう。そのまま今日の夕食はロレントの食堂だ。予約はさっき取ったし、エステルとヨシュアにも連絡しておいたぞ。」

 すでに勝負などなかったかのように、カシウスはレンの背をぽん、とたたいて飛空艇へとうながす。レンはこうもあっさり負けた事が不満ではあったが、いまさらジタバタしても仕方がないと、何もかもあきらめたように、ふぅ…と溜息ためいきをついて大人しく飛空艇へと乗り込む。さんざんり上げたあんもまったく無意味で終了という結果に、最早もはや、言い返す気力もなくなってしまった。
 しかも、彼は待機していた1時間の間に、勝負後の食事の予約まで済ませているのだ。しかもエステルだけでなく、出掛けているヨシュアにまで連絡をしている。この分だと、きっと予備のほうきも買いそろえてあるに違いない。

 …まったく、この男はどうなっているのか? これはもう完膚かんぷなきまでに完敗である。グゥのも出ない。


「そうだ、お前達も一緒にどうだ? 腹が減っているんだろう? 今日は俺がおごらせてもらうぞ。」
 そんなカシウスのひと言に、シャムシール団は大喜びである。今まで誘拐まがいの犯罪をしていた事もすっかり忘れ、我先にとばかりにせまい飛空艇へと乗り込んでいく…。


「本当に…、レンは何をやっているのかしら…。」
 ロレントへと戻る機内で、レンはそんな小さなつぶやきをらす。
 しかしそれは彼女以外の誰にも聞こえる事はなかった。











BGM:英伝 空の軌跡FC「商業都市ボース」(サントラDisk:1・14)










────17:30 ロレント市内・居酒屋アーベント


 ロレントに戻ったカシウスは、飛空艇で空港に降り立つと、そこで待機させていた兵士にいくつかを短く話して後を任せた。そしてレン達を連れたまま、その足で市内の居酒屋「アーベント」へと向かう。道中で聞かされた話によると、そこにはエステル、ヨシュアらが先に到着しているとの事だった。

 あれからちょうど3時間、この時期は日が短いのか、周囲は夕日から夜へと変わる時間帯となっていた。完全に日が落ちるのも、もうすぐだろう。

「もうっ! 父さんはいきなり相談もなく───」
「まあそう言うな。せっかく家族もそろった事だしな、少し早いが今夜は盛大にやるとしよう。」
 結局、大掃除を終える事なく今日という日を終了してしまったためか、エステルの剣幕は物凄い。そりゃあ、ほうきを買いに出掛けて、戻って来たのは夕刻ゆうこく。しかもいきなり外食だと呼び出されては、その怒りも当然だろう。

「で、アンタ達は?」
 そんなエステルは見知らぬシャムシール団が一緒だというのを見つけ、不思議そうな顔をしながら問う。

「あ、お邪魔します。」
「俺達もお呼ばれしました。」
「ね、ねえリーダー、こういう時、敬語でなんて言えばいいんすか?」
「おい待て! 俺に敬語とか聞くんじゃねぇ!」
 そんな相変わらずなシャムシール団。レンは横から彼らを見ながら、もう今更どんな突拍子のない行動を取ろうとも、驚きはしない、と達観していた。しかも彼らは日中の騒ぎを起こした事すら完全に忘れているようだ。

 あまりにも知識や知恵ある行動とかけ離れた直情的な行動は、レンがこれまで生きてきた中で初めて目にするものだった。…本当にもうどうにでもして欲しい。とりあえず彼らに怪我けがもなく無事で何よりだ。あんな勝負で怪我でもさせていたら、こっちがなさけなくなってくる。

 それに、カシウスに勝つため、かくれんぼに勝てる手を用意はしていたが、…実際に彼らにペナルティをす事がなくて良かったと思っている。そう思うと負けたのはくやしいが、反面、負けて良かったんだろう、と思わないでもない…。


 そう思ってから、はっと気がついた。



 …どうして今、自分は彼らの事を心配したのだろう?

 確かに怪我をされても馬鹿馬鹿しいとは考えたが、…そもそも、どうしてそんな事を考えたのだろう? 昔の自分は、もっと残忍ではなかっただろうか?
 昔の自分であれば、こんな事すら考えなかっただろう。ただのごまのような連中の安否あんぴなど、塵芥ちりあくたほども気にかけなかったはずだ。人を殺す事だって躊躇ちゅうちょなくやれた。むしろ楽しんでさえいた。

 だけど、今の自分はまるで善人のような考えをしていた。
 だとしたら、いまの自分は何が変わっているというのだろう? 何が変わってしまったというのだろう?




 いいや、それよりも重要な事がある。






 …いまの自分は、人を殺せるだろうか………?





 何者からの敵意を向けられた時、それが足枷あしかせとなって満足に戦えないなんて事があるのだろうか?
 それは、弱くなったという事にはならないのだろうか?





「きゃああ〜、可愛い〜! この子がエステルの言ってた子なのね。初めまして、レンちゃん。私はエステルの幼馴染みで、この居酒屋アーベントの看板娘、エリッサっていうのよ。よろしくね。」

 ぼんやりと考え事をしていたレンが店に入ると、小走りで駆け寄ってきたのが、このエリッサという女性だった。茶色い髪をこしまでばしており、黄色系の明るい服がよく似合う。この居酒屋アーベントの看板娘を自称するだけあり、明るく人当たりもよい。エステルとはまた違う陽気さを持つ女性で、なにより可憐かれんな印象がある。そして酒場を切りりする彼女が仕事をテキパキとこなしていく姿は、エステルのそれとは似ても似つかない。

 エステルに可憐さをプラスして、ガサツさをのぞくと、こういった女性になるのかもしれない。

「ええ、うん。どうも…。」
 いつもならそれを口に出し、今思ったような少しとげのあるにくまれ口をたたくはずなのだが、塔での勝負に負けた後からずっと、レンはいまいち元気がない。それこそ、借りてきた猫であるかのように大人しい。それをさっしたエステルは、いつもと少し違うレンを不思議そうに思いながら声を掛ける。

「ん? どうしたの? レン。憎まれ口を叩かないなんて、らしくないじゃない。」
「別に! …なんでもないわ。残念だけどレンはエステルみたいに四六時中、大声でしゃべるほどガサツじゃあないの。淑女しゅくじょとして上品に食事を待つくらいするわ。テーブルマナーも分からないような庶民しょみんとは違うもの。」

「あんですってー! …と言いたいところだけど…。ふふん、このエステルさんがテーブルマナーを学習してないって言いたいならお生憎様あいにくさまよ。今日はレン以上の熟練の技を見せてあげるわ!」


「おや、エステルちゃん! 久しぶりだねぇ! 今日は俺の自慢の料理をたっぷり味わってくれよな!」
「デッセルおじさんも元気そうで何よりね! エリッサに聞いたわよ。また腰を痛めたんですって?」
「いやぁ、それがさぁ────」
 テーブルマナーはどこ吹く風か、顔の広いエステルは、話が終われば次の人から声を掛けられ、絶え間なくしゃべっていた。彼女と話す誰もが、どの顔もが笑顔で、ロレントのみんなから好かれているというのが見られた。

 夕食時という事もあって、居酒屋に多くの人が集まっている。そんな中で、レンは街の人に紹介されながらも曖昧あいまいな返事で答えては愛想笑あいそいで返していた。いつもの強気な態度はどこかへと消え失せて、まるで上品な人形のようにすわっている事で精一杯せいいっぱいだった。

 なぜ、いつものようなとげのある台詞せりふの一つも言えないのだろうか。
 どうして、こんなどうでもいいやつらを適当てきとうにあしらう事ができないのだろうか?

 こんなのは違う、いつもの自分じゃない。
 自分自身に対して戸惑とまどいをおぼえるレンは、理由も分からないまま、ただ紹介されるのを受け入れていた。


「どうしたの? レン。」
「あ、ヨシュア…。」
 そんな時、声を掛けてくれたのはヨシュアであった。午前中は遊撃士の仕事で王都支部へと出掛けていた彼は、予定がずれ込んで、先程ようやくロレントへと到着した。そして、カシウスよりの連絡を受けていたため、家には戻らず、直接このアーベントへと寄ったのである。

「この空気に圧倒された?」
「別に、そういうんじゃないわ。」
 どうにも元気のないレンはそう強がってみせるが、それでもいつものように可愛げのない態度を取るような事はない。エステルが戻ってきての話になれば、そういう態度を取ることもあるが、エステルがまた誰かと話していればそれも長続きせず、なんとなく取り残されて静かにしている。…そんな繰り返しであった。

「僕も最初はレンと同じだったよ。ロレントの人は皆、顔見知りみたいな所があってさ。昔の…、当時の無愛想な僕にも、まったく物怖ものおじせず話しかけてきてくれるんだ。それが少し重くてね。耐え切れずに退席した事もあったかな。」
 そんな風になつかしそうに語るヨシュアは、苦笑するように微笑ほほえんでみせた。
 しかし、レンはあっさり否定ひていする。

「ふん、レンが物怖じ? 有り得ないわ。どんな時でも完璧よ。レンがレンである事には変わりがないもの。ヨシュアとは違うわ。」
「それならいいんだ。僕はそういう空気に慣れるのに時間が掛かったし、住み慣れた今だってエステルみたいには振舞えないから。」

 そう言うと、ヨシュアとレンは未だに誰かと話しているエステルへと視線を送る。今度の話し相手はロレントの市長、クラウスさんとの釣り話のようだ。あの盛り上がり様を見ればわかる。どうせクロスベルでの釣り武勇伝でも語っているのだろう。釣り馬鹿同士で意気投合しているのだ。…そう思うと、自分をほっぽり出して楽しんでいるエステルが恨めしく思えてもくる。
 しかし同時に、様々な人とへだてなく話すことが出来るエステルを、すごいとも思えた。

「やっぱりエステルは凄いよね。僕には同じようには振舞えないから。」
「同感だわ。あそこまで口が回るのはエステルだからこそよね。」

 ほんの少しの笑顔。…そんな他愛のない会話も、ヨシュアが他の誰かと話した事で終わってしまう。また、レンの周囲は騒がしいだけで、話の輪の中にいるのに、彼女自身は孤立している。知らない誰かに話しかけられても気の利いた答えも返せず、ただ愛想笑いを繰り返す。

 そんな孤立こりつを感じる事をなんと呼ぶのだったろう?






 そうだ、これがきっと…疎外感そがいかんというものではないのだろうか?






 ……今更いまさらながら、それに気づいた。



 そうしているうちに、どんどんと料理が運ばれてくる。

 いつのまにかとなりの席に戻っていたエステルを見て、正直ほっとするレン。知っている人がいる。エステルが隣に居てくれる事がレンがいだ疎外感そがいかんを取りのぞいてくれる。

「さあ、レン。どんどん食べなさいよ。ここの料理は絶品なんだから! クロスベルの食事処《龍老飯店》にだって負けはしないわよ。」
「ふん、どうかしらね。したえたレンにとっては、どこあろうとも庶民しょみんレベルよ。どうせここだって気品の欠片かけらもない田舎いなか料理なんでしょ?」
 はこばれてきたのは、豪勢ごうせいに盛り付けられてはいるが、ただの”肉じゃが”であった。高級レストランではまず出ないであろう庶民食である。いろどりのためにえられた乱切りのニンジンや、青々しいインゲンがこれまた貧乏びんぼうの度合いを主張しているようだ。高級志向のレンには滅多めったにお目に掛かれない赤貧メニューである。

「まあ、食べてみなさいって。」
「期待はしないでおくわ。」
 エステルが小皿へと切り分けた肉じゃがを、レンは仕方がないという様子でフォークを手にし、口へと運ぶ。どうせ貧乏臭い味がするんだろう、と────。

 そこでレンの動きが止まった。小生意気な反論する事もなく、口だけを一生懸命に動かし、もくもくと口を動かしている。そうせずには居られなかった。

「ほら、だから言ったでしょ。絶品だって。」
 エステルはそう自慢じまんげに言うと、自身も肉じゃがを皿へと取り分けて大口を開けて容赦ようしゃなく食べる。うら若き乙女おとめともあろうものが、なんともはしたない食べ方で、エレガントさの欠片かけらもない。…でも、ここでの食事は、それでいいような気もしないでもない。
 だが、それを口にする事はしなかった。それよりも、次々と運ばれてくる料理に手を出すほうがいそがしかったからだ。あまりにも意外だったのだが、ここの料理はとても美味しいのだ。

 これまで食べてきたどの高級料理とは似ても似つかない貧相な調理品なのは間違いないのだが、それでも、ここの料理は美味しかった。それはきっと素材の鮮度が違うからだろう。

 特に都会であったクロスベルと比べるとその差は大きい。あそこは都会であるが故に、カルバードやリベールよりの輸入で食をまかなっている。資金力は豊富である事から食材は豊富であったが、輸送してくるため、どうしても鮮度せんどが落ちるのだ。
 次から次へと運ばれてくる料理は、全てこのロレントで収穫された素材を使ったものばかり。そして今日収穫された食材を調理している。いや、今日どころか1〜2時間前のものかもしれない。そして、その素材の味を生かした調理方法でのメニューなのだ。味付けに頼る事無く、素材そのものの味を大切にする。それがこの料理の美味しさの秘密なのだろう。

「…まあ、及第点きゅうだいてんってところね。貧乏じみた店の割りに悪くないわ。」
「おっと、聞いたわよ。レンがそこまでめるって事は、かなり美味しかったって事よね。」

「及第点だもの、100点じゃないわ。それなりという事よ。」
「ふふん、そう言っていられるのも今のうちよ。ロレントの料理はこの程度じゃあないのよね。今度は大物を釣って、それを調理してもらうから、そうしたら200点は固いわ。楽しみにしてらっしゃいよ。」

 エステルとのそんな会話に少々の余裕を持てたレンは、少しだけ調子を戻していた。だが、やはりそれも長くは続かない。エステルもヨシュアも、集まった人達の誰かと話す機会が多々あり、レンだけを中心にしてはくれない。ちゃんと見てくれてはいる、だけど特別扱いはしてくれなかった。

 そうであれば、レンは食べる以外にやる事がなく、そして食べてさえいれば誰かと話さなくて済むという事もあり、何も考えないようにして、ただ、食べる事に集中した。味はいい。温かみのある料理だと思う。だけど、それを美味しいとは感じられない。そんな曖昧あいまいな感じ…。

 みんなにとっては久しぶりの楽しい夜、
 だけど、たった一人だけには、重い疎外感を感じた夜。


 そうして、夜は更けていく……。











BGM:英伝 空の軌跡FC「月明かりの下で」(サントラDisk:1・09)









 いつの間にか…、レンは居酒屋アーベントを抜け出していた。
 店内の温かさに比べて夜気は少し肌寒い。

 宵闇よいやみが過ぎた空を見上げると、そこは星々が美しくまたたく満天の輝きが無限に広がっている。そしてそれは手が届きそうな程に大きく近い。クロスベルよりも星が身近みじかに感じられるのは、きっと明かりが少ないからだろう。

 クロスベルのような都会は夜間でも街の明かりが絶える事がないが、このロレントではまだよいの口だというのに明かりがとぼしく、明度も低い。クロスベルに比べれば人口が少ない事もあるのだろうが、過度かどに導力灯を使用していないというのも大きい。
 だから夜が夜らしく、星の輝きを存分に与えてくれるのだ。

 その中心に浮かぶ主人公は銀に輝く満月。どの星よりも壮麗そうれいなそれは、夜の主役でありながら、他の星々とは明らかに違うものだった。どの星よりも美しいのに、どの星とも似ていない異質な存在。それはまるで、このロレントに取り残されたレン自身であるかのような気持ちを抱かせる。

「別に…、逃げたわけじゃないんだから。」
 レンはなんとなく強気になってつぶやいた。自分は逃げたわけじゃない。場の空気が重かったわけじゃない。自分は昔のヨシュアとは違うのだ。誰よりもすぐれていて、才能に満ちあふれ、どんな追随ついずいも及ばない。自分は物語の主人公で、道行く雑多ざった脇役わきやくとは違うのだ。だって、お姫様だから。

「………違った。…そうじゃなかったわね。」
 少し前ならそう考えていたかもしれない。自分は物語の主人公でお姫様、かしずく従者が楽しく舞いおどる世界で自由自在に空をあおげばいい。自分が世界の中心なのだから、と。…そう思っていたかもしれない。

 でも、いまは認めなくてはならない。

 自分はその雑多な脇役の一人で、それぞれが主人公であると。レンはたった一人のお姫様ではないのだ。
 けして世界は、自分のためになど回ってはくれない。それは様々な出来事が自分に教えてくれた。



 ……じゃあ、

 今の、主役でも何でもない自分は、これから、どう生きていけばいいのだろうか?
 何をほこって心のり所にすれば、あの居酒屋での談笑だんしょうに付き合っていけるというのだろうか?


 自分の内にある類稀たぐいまれなる才能を盾にし、自信を持つことで、他人より優位に立とうとする。
 それは天才であるレンが、これまで辿たどってきた生き方だった。

 しかし、このロレントでは、知恵や知識はあまり必要がなく、それで優位に立つ事に意味がない。戦闘で実力を持っていたとして、それがこのロレントでどれだけ役立つというのか?
 そしてなにより、カシウスという絶対的に揺るがない頂点がいる。武力でも知力でも彼には及ばない。それは今日挑んだ勝負で思い知らされた。

 戦闘でも、知略でも、カシウスという自分以上の天才に完膚なきまでに叩きのめされた。
 それも、足元にさえ到達できない圧倒的な差。

 それにより自分は一番優れているわけじゃないという、小さなプライドさえも簡単にねじ伏せられた。
 天才であるかもしれない、けれど、誰よりも優れているという心の拠り所は、その絶対的な根拠を失ってしまったのだ。


 ロレント。…ここは、これまで歩んできた生き方が通用しない場所。そう再認識してしまえば、不安を抱いて震えてしまう。いくら強気な態度を取っていたとしても、それは見せ掛けの強さでしかないと気づかれてしまいそうだから…。
 そして、唯一の拠り所を失ってしまった自分は、これから…どう暮らしていけばいいのかわからない。

 他人を見下すのではなく、あやつり、支配するのでもない。人と自分が同じ目線でせっし、暮らしていく最善の手段が分からない。強気に出ていいのか? 弱気に出ればいいのか、どう演じていいのかの分からないのだ。距離感が分からない。何を拠り所として生きればいいのか、それが分からないのだ。


 …だから、レンはエステルに助けを求めようと思った。
 エステルならレンをずっと見てくれる。脇目も振らず、レンだけをお姫様として見守ってくれる。そう思っていた。

 だけどそれは甘い考えだった。

 もちろん大切にはしてくれる。ちゃんと見てくれている。だけど、甘えさせてはくれない。レンを一人にして他の人と話したりするのも、特別扱いせずに”普通”として接する事なのだと理解はしていた。きっとそれが正しい事なのだと自分でもわかる。過保護のままでは、レン自身が未だにどこかで追い求める”お姫様”という幻想から抜け出せないままになってしまうからだ。

 このままではいけないのだ、と自分でも理解はしている。
 変わらなければならない、と自覚している。

「………だけど…。」
 心の拠り所がないという事が心細い事には変わりがない。
 いまの自分には、この普通であるはずの生活が、とてつもなく重荷である事は変わりがないのだ。





「ここだったか。」
 そんな感情を鬱積うっせきしつつあるレンの元に届いたのはカシウスの声だった。ここなら見つからないと思ったのに、どうして、こうもあっさり発見されるのか、と不満の一つもらしたいところだったが、どうせ自分はこの男にかなわないのだ、と考えると、どうでも良くなってしまった。

「意外な盲点もうてんだったな。時計塔の屋根の上、とは。」
 レンがいまいる場所は、ロレントの中心にあり、そしてここに住む人々に最も愛される平和のシンボル、時計塔である。…確か11年前のエレボニアが起した侵略戦争である”百日戦役”にて倒壊した経緯があるが、その後、市民により建て直されたという話は耳にしていた。
 それまでは特に気にとどめるような話でもなかったが、ロレントに来る前、少しだけ調べておいた過去の出来事、そしてここがブライト家に深く関わる場所だという事も知ってはいた。

 だからここを選んだ、というわけではない。たまたま、この場所から見える月が綺麗きれいだったから。
 それだけだ。


「何をしに来たの? 招待はしていないわ。」
「エステル達が探し出すと大騒ぎになるからな。今日、連れまわした責任もあって、俺が探してくる事にした。」
 その言葉を耳にして、レンはまた溜息ためいきをついた。どうせこの男はレンの事など何でもお見通しなのだろう。…と。

 そして何もかもがレンより優れている事を知っていて、上から見下しているんだ、と…そんな邪推じゃすいまでしてしまう。卑屈ひくつに考えてしまう。けしてそうではないと頭では分かっているのに、そんな風に考えてしまう。

「せっかくの月見酒だ、もしひまなら、俺の弱点話でも聞いていかないか?」
「…いきなりね。昼間の話じゃないけれど、ご高説こうせつなら間に合ってるわ。」

 すると、カシウスはレンと背中合わせに腰を下ろし、どこから取り出したのか酒瓶さかびんとグラスを手にして飲み始めた。座っていいなど了承りょうしょうしていないというのに、図々ずうずうしいものである。
 もちろん彼がこの場で攻撃してこないだろう事は分かっている。仕掛けてくるなら昼間の激突げきとつでやっていただろうし、わざわざ敵の目の前にあらわれる意味もない…。いや、もしかしたらすきが出来るのを待っているのでは…?

 そんな事を考えたレンは、首を振ってその思考を打ち切った。どうしても、実力者が近くにいると警戒するくせが抜けきらない。警戒を忘れたわけでもないし、油断しているわけでもない。だが、警戒すべき人物であるかどうかを考慮こうりょするべきだ。彼は敵じゃない。それは分かっているつもりだというのに。


「ふむ、いい月だ。最近は仕事で満足に酒も飲めなかったからな。レンちゃんも一杯どうだ?」
「子供に飲酒をすすめるなんて、とんだ不良中年ね。」
「ははははは…、久しぶりに聞いたな、その不良中年というのは。エステルの口癖くちぐせだ。あいつから聞いてたのか?」
「初耳よ。どちらにしろめ言葉ではないわ。」
 少しだけ視線を送り答えるレンは、月夜にえるカシウスの横顔が笑顔であるのを知った。

 カシウスはグラスをかたむけ一気に酒をあおる。とても美味そうに飲み干すその表情からは、レンが仕掛けてくるとは微塵みじんも考えてはないようで、警戒けいかいする様子もない。背中合わせでいつ攻撃されるかも分からないのに、まるでそんな事はないとでも言うかのように、カシウスは2杯目をグラスに注いでいた。

「どうだ、少しはロレントが気に入ったか?」
「最悪…ではないけれど、大した場所でもないわね。ひまを持てあますのは確実そうよ。」
「気に入ってもらえてなによりだ。」
「聴覚検査を受ける事を勧めるわ。」

 そんな会話はすぐに途切れて、ただカシウスが酒をたしなむ時間がゆっくりと流れる。
 すると、またもカシウスが話し始めた。

「さて、前置きはともかくだ。俺の弱点なんだがな、…それにはまず俺の現状を話さなくちゃならない。」
「人の話を聞いていなかったようね。聞くなんて承諾しょうだくしたつもりはないわ。…それに加えて嘘吐うそつきな大人ね。ありもしない弱点を語るなんて、何が狙いか理解しねるわ。」
 そんな棘々とげとげしいレンの言葉を耳にし、実に楽しそうに微笑ほほえむカシウスは語り始めた…。レンはただ何をするでもなくだまっていた。反論するように答える自分がうらめしいと思いながらも、彼の話に興味があるのも事実である。

「まあ、そう言わずに、不良中年の世迷言よまいごとを聞いてくれ。」
「返答はしないわ。聞くだけよ。」
「ははは…、それで十分だ。」
 …そして語られていくそれは、カシウスの今と、昔の話であった。

「俺はいま、リベール王国軍の総司令をやっているから、普段から生真面目な顔でいなくちゃならん。立場を重んじれば当然だ。」

「軍に復帰する前は遊撃士としてS級なんて大層な称号を得たりもしたが、それも一つの俺という名の顔だな。」
「なによそれ、自慢話? うっとおしい男ね。」
 そう切り返すレンではあったが、本気でそう思っているわけではない。ただ、彼がこれから何を話していくのかを聞いてみたい、と耳を傾ける。

「…それにな、今日の俺も同じカシウス・ブライトだ。掃除の時の俺もそうだし、かくれんぼに付き合ったり、いまこうして未成年に酒を勧める不良中年という愛称もまんざらじゃないと思っている。」

 レンの我侭わがままに付き合い、完膚なきまでに敗北させて楽しげだったカシウス。そして今、レンに冗談とはいえ酒をすすめたカシウスもまた、カシウス自身だ、と彼は言う。

「総司令である顔、S級遊撃士である顔、そして不良中年でもある顔…、色々な顔があるが、どれも本当で間違いじゃない。だが、それ以外の顔もある。」
「それ以外の顔?」

「ああ、妻殺しの顔だ。」
 カシウスは特に表情を変える事なく、ただ月夜に浮かぶ星々を見上げて、そうつぶやいた。…レンもその話は知っている。11年前のエレボニア帝国によるリベール侵攻しんこうぞく…に言う”百日戦役”においてこのロレントが強襲された際、カシウスの妻であり、エステルの母でもあるレナ・ブライトが死亡している事は周知しゅうちだ。

 だが、当時の彼は軍部において作戦行動中であり、彼の活躍がなければリベール王国は消滅し、エレボニアの属国と化していたに違いない。レナ・ブライトの死は、戦争という不幸がもたらした災禍さいかであり、彼自身が悪いわけではないはずだ。

「俺はいまでも後悔こうかいしているし、一生それが消える事はない。…もしかしたら、あの惨事さんじが起こる前にリベールを捨て、家族を連れて逃げていれば、妻が死ぬことはなかったんだろう…と何度となく考えた。」

「ロレントが攻撃される可能性を見落とし、…いや、分かっていながら気づこうとせずに、リベールが勝利する事を選んだんだ。結果としてリベールは救われた。だが、彼女は命を落とした。」


「俺は妻を、レナを見殺しにした。彼女は俺をうらんで死んだのかもしれないんだ。」


「そんな事────」
 ない…とは言えなかった。聞いただけの他人である自分が、それを否定ひていする立場にはない。

 レンにも分かっている。彼がリベールの英雄と呼ばれる功績こうせきを残したとしても、死したレナがそれを受け入れていたかは別問題なのだ。戦争の恐怖がおそい来る中で、彼女一人、子供を抱えておびえていた事は確かだろう。カシウスがいない事を心細く思っていた事も想像に容易たやすい。

 レナ・ブライトがその死の瞬間、何を思って死んだのか? それを知るのは本人だけだ。我が子であるエステルを助けられた事に満足はしていただろうが、カシウスが英雄的活躍をしたからといって、彼女がそれを誇りに思い、納得して死んだのかなど誰も分かるはずがないのである。



 お前はリベールを守ったんだ。だからそんなに気にむ事はない。
 誰もがそう言うだろう。実際、みながそう口にした。



 カシウスの行動はめられる事だった。戦争を終わらせた功績こうせきは多大である。だから奥さんも許してくれる。偉大な活躍をしたのだ、胸を張るべきだ。…皆がそう口にした。



 でも、そんな言葉は勝手な妄想もうそうに過ぎない。





 彼女しか出せない答えを、なぜ他人が大丈夫だと無責任に言えるのか?
 許してくれるなどと適当な事を言うのか?





 戦争で死んだ人間は、戦争で勝てば皆、納得してくれるのか?












 死とは結末であり、過程かてい肯定こうていする手段ではない。
 彼女がカシウスをうらんでいなかったなどと、確信を持って言える者などいないのだ。







 そして、
 彼女の命が絶えてしまった今、それを確認する手段はどこにもない…。

 だから彼は悩み続けている。今も、ずっと…。







「…失意の底にいた俺はな、死ぬことも考えたんだ。彼女を見殺しにした代償として、苦しみながら生きていく事はあまりにこくだった。俺は英雄と呼ばれたかったわけじゃない。そんな呼び名は望んでなんかない。ただ、家族を守りたかっただけだからだ。」

「だからそれを果たせない俺は、死ぬべきだと考えた。」

「…だが俺にはエステルがいた。そしてヨシュアもいてくれた。だから、生きるしかなかった。子供達に支えられて、いままでなんとかやって来れた。レナが残した家庭を守るために、子供に誇れる親を演じるため、がむしゃらに前へ進んだ。」



「でもな、それでも…、俺はいまだに悩むんだ。俺は結局、レナが望む生き方が出来ているんだろうか? 自分の生き方は正しいかったのだろうか?とな。それが何度も何度も浮かんでは消えて、…答えはいつも闇の中だ。」






 ……流れる沈黙にレンは何を答えるわけでもなく、ただ考えていた。

 この自分の上を行く天才が、ことわりを手にした英雄が、たった一人の人間の死を悲しみ、なやんでいる事実を聞き、そしてその言葉がうそではないという意気をさっして、さげすむでもなく、同情するでもなく、ただ考える。

 なぜこうも淡々たんたんと語れるのだろう、と。

 レンは自分にこんな弱みがあったら、他人にそれを話す事なんて出来ない。こんな弱点を他者にさらすような事は、怖くてできるわけがない。

 きっとカシウスの持つ真の強さとは、表面的な戦闘技術や知略なのではなく、自身の弱さに向き合い、それを納得して生きていける事なのだ。レンのように立ち止まり、一歩も前に進めずにいる事ではなく、恐れを胸に秘めたまま、それでも前へ進んでいける強さなのだ。乗り越えていける心の有様ありようなのだ。

「…俺には確かに、戦闘、戦術などにおいて他者より優れた才能があるのだろう。だがな、だからといって全ての問題が解決できているわけじゃあない。この歳になっても罪を抱いて苦しんでいる。そんな男だ。英雄などと呼ばれていいような大層な人間じゃあない。」

 彼は一旦そこで一息つくと、またグラスの酒を一気にあおり飲み干した。芳醇ほうじゅんな香りがレンの元まで届くが、生憎あいにくとレンは酒の良し悪しに頓着とんちゃくがない。当然だが、幼女が酒の味を熟知しているわけがないわけだし。

 だが、背中越しに伝わる気配で察した。いまカシウスが飲み下したものは、酒であり、悲壮ひそうな想いなのだ、と。

 でも、彼はそれを納得している。それはエステルの持つ、ひたむきに前へと進む強さではなく、全てを包括ほうかつして、それでもなお、進んでいく事ができる強さ。それが彼とレンとの大きな差なのだろう。



 きっと彼はこう言いたいのだ。

 英雄と呼ばれるような自分でも、誰よりなさけなく、いつまでもやみ続けている事がある。だから、レンが何かを悩み続けていても、何も気負けおう事はないのだ、と。
 …つまり、彼はレンが何かをなやんでいる事をさっして声を掛けてくれたのである。しかも人には言わないような自身の苦悩まで打ち明け、前に進む事を躊躇ためらう自分にアドバイスを送ってくれている。

 …まいった。これはかなわない。勝てないはずだ。
 少なくとも、今の自分さえも理解できないレンが太刀打たちうちできる相手ではない事が十二分に理解できていた。



 しかし、理解できても、納得できない事はある。

「大人は…ずるいわ。」
「ん?」
 めずらしい事に、カシウスにもその言葉の意味が理解できず、視線をレンへと送る。しかし肩越かたごしに見えるのは、背を向けてすわったまま、身じろぎもせずにいるレンであった。

 それからすぐ、レンはその想いと意味を声としてしぼり出す。

「だってそうじゃない。大人っていうのはお酒という道具を使って悩みから逃げられる。酔ってやり過ごせる便利で都合のいい道具があるじゃない。」


「…レンは子供で、お酒なんて飲めないもの、不公平にもほどがあるわ。だからずるいのよ。」

「……………そうか、ずるい、か。」
 大人というものは、アルコールという道具を使って様々なものをくだす。かなしみを忘れる手助けとして役立やくだてている。いまカシウスがそうしているように。
 しかし子供であるレンには、そんな道具はないのだ。でも、レンにもレンなりの悩みがある。ずっとずっと悩んでいる。では、それを飲み下すには、一体どうしたらいいというのか?

 悲しみを自身の足跡そくせきとして受け入れるためには、どんなモノで納得すればいいのだろう?
 どんな手助けが必要だというのだろう?



 その必要であるものは分かっていた。
 だから、レンは決意する。自分自身が持つ悩みと葛藤かっとうを、次なる期待へと昇華しょうかするために。

 そしてそれを実行するためにくちびるみ締めるようにして、告げた。

「もし貴方が私の家族だというのなら、お酒の代わりに最後の勝負に付き合ってもらうわ。…もちろん憶えてるわね? カシウス・ブライト。まだ昼間の戦いには勝敗が決していないわ。まだレンは全てにおいて貴方に負けたわけじゃない。」
 昼間の戦い。それはほうきでチャンバラをしたあの戦闘の事だ。ただの遊びの一環いっかんではあったが、真剣な勝負ではないとだんじていいものでもない。だが、実質的に勝負はついていた。あのまま戦っていても負けていたであろう事は、レン自身が一番分かっている。

「これからレンは貴方を全力で攻撃するわ。私は武器【ナインライブス】も、エニグマも使って、正真正銘の全力で、殺す気でやらせてもらう。でも、今度はさっきとは違う。貴方はレンよりも長く生きているという…つまりは経験値の差がある。その分のハンデはもらわなくちゃいけないわ。」

「なるほど、ハンデか。了承した。…それで、どうすればいい?」
「武器はさっきのままほうきよ、もちろん導力器も一切なし。」

「そりゃまた、とんでもないハンデだな。」
「ええ、そうよ。それで勝ってもらわなくちゃ困るの。」

 二人は背を向けたまま、たがいにどこでもないはる彼方かなたを見ながら会話を続けている。そしてレンにも、カシウスにも、この勝負がどうしても必要なものだと分かっていた。

 これはレンが、”何処どこへ行くべきかも分からない自分”を払拭ふっしょくするための戦いだ。

 そして過去の自分を捨て去り、これからの自分を見つける戦いだからだ。
 いま固執こしつしている”自身への強さ”という執着しゅうちゃくを、捨て去るために必要な儀式と言ってもいい。


 ロレントで生きるために必要なものは、力でも知恵でもない。だから過去は必要ないのだ。


 カシウスと戦い、今度こそ完膚かんぷなきまでに負ける事で、天才のレンという今の自分自身に決着をつけるための、自身のからを破るために必要な段階であり、順序である。

 だが、執着を捨て去るためには全力でなければならない。それで負けなくては、次へは進むことはできないのだ。だから、とんでもない条件をつける事にした。普通なら絶対勝つ事ができない状況で、それでもカシウスが勝利し、力だけで前へ進もうとするレンを納得させてくれなければならない。

 甘えている事は重々承知している。
 だけど、カシウスなら、”天才のレン”を演じ続ける傲慢ごうまんなままの自分を倒してくれると信じている。



「悪いとは思ってるわ。…ただ、レンは本気で戦ってみたいの。どうしていいか、わからないから…。」
「それで倒されれば納得できるのか?」

「…それもわからないわ。でも、今のままじゃ変われない…。そう思うの。」
「そうか。」






 自分というものが、どうるべきなのか? どんな自分であれば、ここで暮らしていけるのだろうか?

 エステルが前に進み続けるようにすればいいのか、
 ヨシュアが着実に進んでいくようにすればいいのか、
 カシウスのように悲しみを抱いてもなお、雄々しく生きればいいのか、

 レンにはどうしたらいいのか分からない。


 だけど、

 いまだにレンの中には誰よりも優れたる者、天才であるという”おごり”が存在し、それがロレントをこばんでいるようにも思えた。変わりつつある自分を感じているからこそ、区切りをつけなければならない。



 きっとそれが、”新しいレン”になるために必要な事なのだから。









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