水竜クーと虹のかけら |
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「母上! やめてください! なんで彼を殺すのですか! あの人はただ、僕に話をしただけです! 殺す必要なんて───」 僕は衛兵に両脇を押さつけられながら、公開死刑場と化した闘技場に 「私が間違っている事をした事がありますか? あの者達は罰を受けねばならないのです。 「だからといって、なぜ殺す必要があるというのですかっ!」 僕にはあの人が、あの温和で庭仕事を楽しむ老人が処刑される結果がわからない。あの人は何も悪くない。ただ僕と、話しただけなんだ。それなのに、なぜ殺されなくてはならないのか!? 「ユニス…。あなたも王家の血を受け継ぐ責務として、この瞬間を見届けなさい。」 「母上! やめてください! お願いします! やめてくださいっ!!」 僕が半狂乱に叫ぶ先の闘技場に、女王イメルザが足を運ぶ。その先には、何人もの人々が鎖で柱に 女王が死刑囚の前に立つ。ラファイナの歴史において最も強い魔力を持ち、最も法に 「さあ、この世との別れは終りましたか? このラファイナに おおよそ1分ほどの、過度に編みこまれた魔法詠唱が終了する。あとは発動言語を唱える事で呪文は効果を生み出す……。その生死の分かれ目に、女王イメルザはほんの少しだけ口元をニヤリと 「……私のかわいいユニスに そこに居たのは女王でありながら、女王ではない。ただ一人、狂おしいほど息子に愛を注ぐ、ただの母親であった。息子に危害を加えようとする者達を、彼女はけして許さない。 イメルザにとって、今回の処刑においての首謀者など、ただの飾りのようなモノであった。この処刑は、最初から息子を 魔力が 「─── 大地すら陥没させる雷撃による そしてその中で、少年───ユニスは なんで……、なんでこんな事に……。 何が悪かったのか分らない。なぜこうなったのかも理解できない。 ただ、目の前で大切な人が死ぬという光景を、惨殺される光景を、 …少年はただ見ていた。 ───事の始まりは、1カ月前に あの頃の僕は、ユニス=クリム=ラファイナは、ただ大人しいだけの子供だった。 ……僕は趣味の範囲で、よく古代史を勉強するのだけれど、おおよそ1000年以上前に栄えていたと言われる古代文明は、今とは比較にもならない程、 生活水準はあまりに高く、都市はその全てが白亜の宮殿のような その時代からすれば、今の水準はまったく大した事のない、極めて原始的な生活なのかもしれない。 想像や書物の そういう事実があったのだとすれば、未知に対する興味は尽きない。一度は古代文化に触れてみたいと思うのだけど…、それも無理なのだと理解している。 ……とはいえ近年の、少なくともここ10年ほどのラファイナ王国では、魔法による目覚しい技術が進んだ事もあり、魔導灯火により夜でも明かりに不自由しなくなったし、昼間と変わりない生活を送るだけの十分な光量を確保できている。油を一切使わず、しかも部屋も通路も灯りで満ちているだなんて、本当に凄い事だと思う。 僕も幼少の頃は、ランプの灯火しかなかったため、暗くなれば寝るという事が当たり前だった。今に一番嬉しく思うのは、夜でも本を読むことができる事かな。 …でもそういう環境はこの城の中だけで、地方にはあまり普及するほどではない、という話を耳にする。便利な力なだけに、普及すれば一般の暮らしも楽になるのではないかと思う。 多くの人々は日々の暮らしで精一杯で、ランプの灯りさえなく、いまの僕のように古代への思いを そういう意味では古代に コンコン…… 「ユニス、まだ起きているのですか?」 部屋をノックする音。耳に届くのは母の声だ。僕にとっては唯一の肉親であり、そしてこのラファイナ王国の女王。唯一無二の統治者でもある人。 その母がゆっくりと扉を開ける。いつものように。 僕と同じ茶色の髪と焦茶の瞳。即位の頃から変わらぬ美貌を 今日も、いや僕の知る限り一日も休まず、ずっと国の舵取りに 「母上、政務の多忙と聞き及んでおります。御疲れではありませんか?」 「大した事ではありません。それよりもユニス、課題は終ったのですか?」 「はい。本日の分は終ってます。いまは古代史の勉強をしておりました。」 母は笑みを浮かべる事無く 「…では、もう寝なさい。体調管理も為政者としての勤めです。貴方も次期国王としての座が約束されている身なのですから用心することです。」 「はい、母上。」 「それと、貴方は古代史の勉強に片寄る 「………はい…。」 「返答は 「はい。」 「ではもう寝なさい。明日は予定通り、朝食後にロギナ領カーレニン 「はい。」 それだけを言い残すと、母は表情一つ変えずに扉を閉めた。 ───母は 僕は他の家族というものの姿を目にした事がないけれど、それでも この世に生を受けてより15年間、来る日も来る日も変わる事のない だけどそれでも、時折とても息苦しく感じることがある。 僕は友人というものを持った事がない。気楽に話すという人物もいない。僕は友人を持つ事を母上に許されてはいないから。…母からすれば、雑談さえ無駄な時間と映るらしい。 けして機会がないわけじゃない。有力貴族を 彼らは話を聞いてくれて、一つ一つに そして、なによりも彼らの瞳を見るとわかってしまう。彼らは僕と話しながらも、瞳の奥では何一つ肯定してくれてはいない。…なぜか、そういう事が分ってしまう。母との会話に慣れているせいか、場に流れる空気から、僕はそれを察する事ができた。 御息女の方々はちょっと 子息の方々と同様に、彼女らにも親しげな態度の中に …きっと全ての原因は、僕が次期女王の婿に確定しているからなんだろう。王位が確定している僕と友好であれば、地位と この国では必ず「女王」がラファイナの全権を 彼らも彼女らも、そういう僕の立場を知っているからこそ、そのようにしか きっと…、僕が王子でなければ友人が出来ていたのだと思う。 悩みを打ち明け、楽しみや苦しみを共有できる相手がいたのかもしれない。 でも、今の僕にはそれを 母がその一切を 母は何をするにも僕の意思を そうやって積み重ねられてきたのが僕だ。 15年という歳月を ……母はこの国を支えている。それは理解している。 毎日、本当に毎日、朝晩問わず仕事をこなしている。 体調を 達成すべき目標があるからなのだろう。 僕も母のことを心配はしている。このままではいつか体を壊してしまうのではないか、と思う。 …だけど、それでも母は自身の目標に 僕には何も許されてはいないのに。 僕はこの城という世界に生きている。このラファイナの王城という場所だけが僕の生きる世界だ。 明日の食べ物を心配する事はない。 だけど、何も許されない。何も選ぶ事はできない。 そして僕には、それを打ち明ける友達さえもいない。 …これを孤独と言うのだと、僕は思う。 こう言っては それでも僕は思うんだ。 僕は、普通の人として生まれたかった────。 とある日の、午後の休憩時間…。 この1時間だけが僕に許された自由の時間だ。午前の とはいえ…、この時間を使って何かをしたいか?と問われると、さしあたって何もない。自分の時間というものに 情けない事だけど、したい事がなかった。 何かを始めても、母がそれを知ればやめさせられる事がほとんどだから。 昨晩の古代史のように……。 もちろん、散歩をするにしても、女王付きの衛兵、そして そして、僕が彼らに話しかけても、まともな会話にはならない。 女王の命により、不必要な会話はしないよう 「申し訳ありません。女王より王子との会話を許可されておりません。御許し下さい。」 それは何度聞いた言葉。僕がいくら求めても、救ってはくれない。 孤独を 「では、僕は庭園を散策します。貴方達は入口で待機してくれればいいです。」 従者達が やっと一人。……と言っても1Fの会議室からは母の視線がある。そして背の低い庭園は入口で待機する従者達にも丸見えだ。 だけど就寝前の部屋以外で一人になれるのはここしかない。僕は孤独ではあったけれど、それでもここに一人で居られる事は、数少ない自由なのだと思う。 夏の始め…。この季節で最も好まれるのは、深く これは母の趣味なのだけど、この花は僕も好きだ。それぞれが自由な命に満ちているように思えるから。 僕の自由時間は、毎日このように、ただ何をする事もなく流れていく。花のように自由に 「おんやまぁ、王子様でないかね?」 ……そんな事を考えていた時、横の 庭師らしき老人が、ほがらかな笑みを浮かべていた。 「いやぁ、これは始めまして。王子さんですかね? ワシは一昨日からここで働かせてもろうとるローテンという者ですわ。こんな格好で失礼しますだ。」 僕は目を見開く。僕に向けられたのは、 それは、なんでもない事のはずなのに、とても新鮮で、 「ワシみたいな田舎者が、王子さんと話すだなんてのう…、こりゃあ孫に自慢できそうじゃわい。」 「…あ、えっと……。」 何かを話してみたい。いまなら話してもいいはずだ。僕は強くそう思ったのだけれど、こういう場面に出くわした事がないから、何を話していいのかわからない。情けない事に、僕は普通の人と会話をした事がない。…だから、なんでもないはずの事に 「おんや、どうされましたかの? 具合でも悪いんですかね? あ、それともワシみたいな身分で話かけちゃまずかったべか?」 「…い、いえ、そうじゃないんですよ。何を聞こうかって考えてしまって……。」 これはチャンスだった。この人は僕と話す事に疑問を持っていない。それにここは母の庭園だ。僕が母の好きな花の知識を得るなら問題はないはず。なら、ここでこのご老人と雑談をしても構わないんじゃないか? 少しでもいい。僕は誰かと話したかった。他愛の無い話をしてみたかった。それはきっと、母の言うような時間の無駄じゃない。いまの僕にはきっと忘れられない思い出になる。だって僕は、会話に 「庭師さん、……いえ、ローテンさんでしたね。ぼ、僕に、この花の事を教えて欲しいのです…けど…。」 「おや、嬉しい事を聞いてくれるでねえかい。…ええですとも。なんでも聞いておくんなさい。花の事なら、ワシにもお教えできる事もあるでのぉ。」 ……それから僕は、夢中になって花の話を聞いた。一言一言が身に染みる。きっとなんでも良かったのだろう。僕には、ほんの少しの会話だけが必要だったのだから。 僕はきっと、初めて”人”と会話をしたんだと思う。 母の前、授業でも、侍従と話す時でも、僕は王子という仮面をつけていた。 だけど、その仮面を被らず話す事ができる。相手も気にせず話してくれる事が、こんなにも自然だなんて知らなかった。 こんなにも素晴らしい事だなんて、本当に知らなかったのだから。 ───それから4日後、落日。 いつも 不器用だけど、これは僕らなりの親子のコミュニケーションだ。母の体調も心配している僕にも母の様子を知る唯一の機会でもある。 「ユニス。ここ数日、庭園で何をしているのですか?」 当然のように僕の行動を 「はい。母上の好きなユファタの花についての勉強をしておりました。花の知識ともなれば無駄にはなりません。城を訪れる 用意しておいたのは正論。もちろん客人に対する雑談というのは表向きの社交事例で、僕が求めるものじゃない。だけど、貴族には必要な言葉遊びだと理解している。 そして花の知識であるなら、古代史よりも万人の興味を引くことができる。母を説得できる文句としては充分だろう。 「なるほど。一理あります。無駄とはいえ雑談は手札が多いに越した事はありませんからね。…しかし、あのような品格のない、ただの庭師になど学ぶ事があるとは思えません。庭を手入れする能力があるので雇い入れただけの者です。それに……それ以外の不必要な会話が耳に届くとすれば、貴方の品格にも影響が及ぶでしょう。必要とあらば相応に釣り合いの取れた人物をあてがいましょう。」 これは予想していた答えだった。母ならこう返してくるだろうという事はすでに計算済み。ここで反論できない答えを返す必要があった。もちろん、それも考えてある。 僕は極めて冷静に、母へとさらなる正論を返してみせる。 「…いいえ、母上。それには及びません。その庭の土を知らない者に、正確な花の気持ちは理解できないでしょう。どのような 僕はこうした言葉遊びも正論もまったく好きじゃない。だけど、母にはこうした物言いでなければ…、感情論だけでは納得してもらえないんだ。だからこれは仕方なく用意した反論だけど、……的を得てはいるはずだ。 僕としては、ただ普通の人と普通の会話をしたいだけなのだけど、母は僕のそうした意図を理解はしていないはず。…だとすれば、ここで慌てたりせず、大らかな態度で望めば会話は僕に優位になる。 ……はは、どうやら僕も、知らないうちに政務的な話し方を修得していたみたいだ。きっと、貴族の間ではずっとこんな会話が続くのだろう。腹の探り合い。 こんな人形のような会話は、やっぱり好きじゃない。きっと僕は社交界には向いていないのだと思う。出来る事と好きな事は違うはずだし、違うと思う。 僕の反論に対し、まったく考える素振りを見せずに、口へと食事を運ぶ母。きっとそういう動作の合間に、切り返す言葉をまとめているはずだ。ここから先の返答も何パターンか考えてあるけれど、母がどう ワインを口にした母は、少し微笑んで言葉を続けた。 「…いいでしょう。貴方の言う事ももっともです。なにより私の好きな花について勉強してくれているのですからね。自由になさい。」 「はい。ありがとうございます。」 意外にも、母はそれ以上の交戦を仕掛けては来なかった。驚きつつも、僕は何事もない様子で礼を述べる。もちろん心の中では、とても喜んでいるのだけれど、それをここで表現しては台無しになってしまうから、あくまで冷静に、他愛のない用事であるかのように振舞う。 僕は母の許しを得て、あの庭師のローテンさんと話す権利を得た。 こんなに嬉しいのは、いつ以来だっただろう? ……だけど、この時の僕は、まだ子供だという事をあとで思い知らされる。 母という名の女王が、どれだけの、どういう人物であるかを、僕は知る事となった。
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