水竜クーと虹のかけら

第一部・02−03 「その曙光、雷撃に消ゆ」
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 さらに1週間と少しが経過した。
 僕は平穏で何も変わらないけど、とても充実した日々の中にいる。

 今ではローテン師から多くを教わったおかげか、簡単な作業ならまかされるまでに至っていた。
 自分で苗を植え、土をいじって按配あんばいうかがう。土というものは、こちらが優しくせっすれば答えてくれる。花は想いを込めれば頑張がんばって美しい花弁を向けてくれる。

 庭師という仕事は、なんて素晴らしいのだろう?
 僕は心の底から、この仕事に喜びを感じていた。

 ……そして作業の合間に聞くのは、ローテン師の好きな魚釣りの話だ。 

 彼の様々な武勇はとても愉快ゆかいで楽しかった。多くの漁場で釣った魚の数々。そして一番の大物は5メールもの巨大魚だったとか、人食いカエルに追い駆けられたとか、時折、みょうな話もじっている。
 でも、その大げさな話にも興味きょうみかれた。本当ではないのかもしれないけど、外の世界を知らない僕には、どれも魅力的としか伝わらない。世界は広く、様々な土地があると認識にんしきさせられるばかりだ。

 師は自身の好きも手伝ってか、次々と新しい事を教えてくれた。いままで僕の回りには、こんなに興味深い話を聞かせてくれる人はいなかったのだから、面白くないわけがない。

 …そうそう。

 前に師に問われた「王城敷地内にある湖の場所」についてだけど、実はもう詳細を調べて目星をつけ、場所を把握はあくしている。毎日、就寝しゅうしん前の空き時間に、地図を片手に悪戦苦闘しているからだ。

 母上には算術を学べと言っていたけれど、どんな算術をやれとまでは指定しなかった。だから、地図を題材にした尺度しゃくど計算だって算術には違いない。多少は疲れていても、毎日の授業よりも集中できたし、湖そのものを探し当てるのは容易よういだった。いまではすっかり地図まで暗記できている。きっと方角さえ分れば、初めてでも歩いていけるだろう。
 あとは…どうやって1時間という短い休憩時間内に往復するのか?という問題がある。距離を考えれば、単純に往復しただけで時間が終ってしまうからだ。

 だけど、それは転移てんいの魔法「テレポート」によって解決できるかもしれない、と考えている。位置座標を把握はあくし、魔法に折りこむ事で、指定した場所へ瞬時しゅんじに移動できる高位魔法だ。地図だけは把握しているんだけど、まだ、成功した事がない。やっぱり努力どりょくかな…。
 …どちらにしろ、許可を得るという大問題もあるから、いますぐはは無理だ。だけど…、あきらめることなんかできそうにない。僕もいつかはその湖で魚を釣ってみたい。そのための努力どりょくなら、なんでも出来ると思う。


 ───そうした喜びをともなう日々は続き、
 次の日も、また次の日も彼と花を栽培さいばいしつつ、魚釣りの話で楽しむ。



「……魚にはリーダーというか、その釣り場ごとに”ヌシ”がおるんですわ。」

「ヌシ……ですか?」
「その釣り場で一番の古株とでも言いますかのう…、とにかく強い奴ですじゃ。ほとんどの場合は図体のデカイ大物なんですがね、釣り人はそいつを釣り上げれば一人前といえますな。」

「ヌシというのは、そんなに出遭であえるものでもないのでしょ?」
「そこは腕前ですじゃよ。こう見えてもワシはすでに5匹以上は釣り上げておりますぞ。」
 ローテン師が少しほこったように言うので、僕も嬉く思えて冗談じょうだんまじえる。

「ははは……じゃあ、5人前といったでしょうか?」
「そんなところですのう。ホッホホホホホ…。」

 ……こうして、今日も短い休憩時間が終る。
 楽しい一時は一瞬。そしてまた、無為な時間を過ごさなくてはならない。

 普段、学んでいる様々な学問。自分の未来のため…という母の言葉の意味はわかるけれど、それでも僕には、それら勉強というものを今のこの時間を過ごすための負荷としか見る事ができなくなっていた。

 だけど、いまの僕にはこうするしかないけれど、明日の1時間のためにと思えば辛くはなかった。彼と花を育て、釣りの話をする。そして、いつか釣りに出掛けたいという希望があるから、僕は前を向いていられた。

 この夢のような時間がずっと続けばいい。
 そう願わずにはいられない。



 しかし、その想いは唐突とうとつに裏切られる……。





 ───突然だった。

 昨日と変わらない晴天の日、短い休憩時間を庭園についやす僕の前に、彼らが現れた。腐葉土ふようどを運んでいたローテン師の元に、5人もの武装した近衛兵このえへいが押し寄せる。

「ローテン=ラドラス! 貴様を国家反逆罪の容疑ようぎ捕縛ほばくする!」
「な、なんじゃっ! …わ、ワシが何をっ!」

 問答無用。女王直属の近衛兵達は最高位を持つ有力貴族より選出せんしゅつされた者達だ。実用的ではない着飾られた軽鎧をカシャカシャと揺らし、ローテン師を強引に、力任せにとららえて地面へと押しつける! まるで重罪人であるかのように容赦ようしゃない。

 僕は一瞬だけ事態じたい把握はあくできず呆然ぼうぜんとしたものの、すぐに師を助け様と駆け寄る! だけど、その前に3人の兵士が立ちふさがった。彼らは僕が反抗するのを知っていたかのように、迅速じんそくな動きでかべとなる。

「やめてください! なんで…なんで彼がこんな仕打ちを受けるんですか! なんの証拠があって反逆だと言うんですかっ?!」
「恐れながら申し上げます! 今回の件は女王陛下よりの勅命ちょくめいであります。つきましては、王子にも御同行願うとの意。御支度ごしたくいただきますよう願います。」

 きびしい目をたたえた兵士……。部隊長らしき男が表情なく告げた。それは彼の口から出たものではあったが、間違い無く母が命じたものだ。母はなぜ、彼をとらえるというのだろうか?

「……分りました。用意します。……しかし、彼はまだ容疑ようぎけられただけです。手荒な真似まねはしないでください。」
「はっ! うけたまわりました。では、僭越せんえつながら御部屋まで護衛させていただきます。」

 本当は今すぐ彼を助けたい。
 こんな仕打ちはだんじて許す事ができない!

 ……だけど、ここで彼の解放をうったえても解決はしないというのも理解できた。指示を出したのは母。だから僕は、母へ直接その意思を問わねばならない。  それに事実として、師は何もやってはいないのだから、冤罪えんざいなのは明白だ。彼が反逆はんぎゃくなど考えてはいないのだと伝えられるのは僕しかいない。

 僕は、誤解ごかいだという事を証明しなくてはいけないんだ。
 何があろうとも!

 ローテンさんは僕にとって師だ。彼がどう思ってくれているのかはわからない。けれど、僕は彼を失いたくない。

 自分本意で身勝手な考えかもしれない。自分のためだけに動いている。
 そんなの分ってる。

 それでも僕は彼を助けたい!
 僕は彼にまだ教わりたい事が沢山あるんだ。


 彼が連行されるその姿を見ながら、心苦しい想いでいた僕は、師を救う事を強く誓うと、残った衛兵を連れて部屋へと歩きはじめた。公式の場へ出るための服装を整えなくてはいけない。

 ……そんな時、

 ふと…なにか光るモノが目に止る。通路のはしに、どろをかぶっていたのは落ちていたのは古い銀貨コインだった。すでに銀特有の輝きはなく、れて絵柄がけずれているけれど、これは確かに古い硬貨こうかである。現在使われているものではないように思う。

「…? ローテン師が落したのかな…。」
 こんな場所でお金を落すのは、出入する者を考えればローテン師しかいないはずだ。侍従じじゅうも滅多に入らない場所だし、ここ数日は僕と師しか足をみ入れてない。

 その硬貨をにぎり締め、想いを言葉にする。

「……待っていてください。きっと僕が貴方への容疑を晴らしてみせます。」

 僕は初めて、自分の意思で母上と対決する決意を固めた。

















 ───馬車に揺られる事、40分程……。
 どういうわけか、僕はイスガルド王城敷地を出て、その先の城下にある「闘技場コロセウム」へと連れていかれた。

 ここは闘技場という名の通り、常時は剣闘士ブレイド達が技を披露ひろうする場として庶民しょみんに開放されているのだけれど、主目的としては大規模なもよおし、祭事さいじを行うために建てられた場所である。女王である母が王位にいてから建造されたここは、この南ラファイナでは2番目に大きい施設しせつだ。(一番はもちろん水竜神殿)

 完成してからまだ2年と経っていないためか、全てが真新しく、管理が行き届いているようで、ゴミ一つさえ見当たらない。

 僕は過去に祭事で2度ほどおとずれただけでしかないけれど……、なぜ師の反逆罪の追求ついきゅうでこの闘技場へと連れて来られたのだろうか? その理由がわからない。

 ただ、一つだけ気になるうわさを聞いた事がある。
 前に侍従じじゅうの者達が話していたのを耳にした”あれ”だ。

 彼らが言う、その”恐ろしいうわさ”を今この時になって思い出すけれど、そんな恐ろしい事が現実にあるはずがない、ただの噂だと頭が否定ひていする。


 ちょうどそこへ、多くの護衛をともない、母が現れた。

「ユニス、大事はないですか?」
「……母上……。」
 貴賓きひん室へと続く通路を兵士に案内されていた僕に、いつもと変わらぬ感情を外に出さない母が声をけてきた。こころなしか、少しだけ安堵あんどの表情が見える。…しかし、僕には何がどうなっているのか、さっぱりわからない。

 だけど、ここで逃げるわけにはいかなかった。
 僕は母上の前に立ち、決意をめた瞳で見据みすえ、その真意を問う。

「母上! なぜ闘技場コロセウムに僕を呼んだのですか? それに僕は師の…、あの庭師ローテンに反逆罪の容疑ようぎが掛けられたという事で連行されたんです。それがなぜ闘技場コロセウムに…?!」
 めずらしく、感情的に声をあらげてしまった。母と向き合うには冷静にならなければいけない、と理解していたはずなのに、師への仕打ちがそれをゆるさない。

 そんな僕に、母は表情を変えることなく理由を述べた。

「ユニス、よくお聞きなさい。……あの庭師の男はクロービス家が差し向けた間者です。ラザイきょうを通じ、クロービスが指示していた事が確認できました。」

「…………え……?」
 思いもしなかった言葉に、僕はおどろき、戸惑とまどった。

「思い出しなさい。これまでせっしていて何か情報を聞き出すような素振りはありませんでしたか? 言いふくめるような言動はなかったですか?」

 間者? スパイという事?
 彼が……? あのローテン師がクロービス家の放った間諜かんちょう

 あの朗らかで気のいい老人が? 花を知り、魚釣りの事をとても楽しそうに話すあの老人が…、王家を探る間者だって…?
 僕が茫然ぼうぜん自失としている間にも、母は言葉を続けた。

「事実なのです。私はあの男が貴方に接触せっしょくしてより、ずっとうたがいを持っていました。前任者の急死という不自然に加え、ラザイ卿の手配の迅速じんそくさにも引っかかりを感じていたのです。」

「そして調査の結果、ローテンの身内の一人が2カ月前に何者かにより襲撃しゅうげきっていました。表向きには喧嘩けんかとされていますが、それで脅迫きょうはくされていたようですね。」

 僕は混乱したまま、たまらなくなってさけんだ。

「そ、それなら! それなら彼は被害者ひがいしゃではありませんかっ! おどされて…仕方なく間者となるしかなかったのでしょう? それに、僕と話している時にそんな話はありませんでした! 一度だってそんな話はっ!」
「……ユニス。貴方は彼を師を呼びましたね? そうやって知らず知らずのうちに心を掌握しょうあくされていたと気づきませんか? 間諜というのは時間をかけて他者を懐柔かいじゅうし、その後に情報源とするのが常套手段じょうとうしゅだん。そして1カ月にも満たない間に、貴方あなたは見事に懐柔かいじゅうされている。」

「貴方は彼の話術に乗せられ、そして利用されようとしていた。」
「彼はそんな人ではっ!!」

「違うと言いきれますか? 貴方の根拠こんきょとなっているその意見は、感情論によるもの。これまで接しての印象から生じた言動です。そんな不確かな理屈りくつで、どうやって他者を納得させるというのですか?」

 母の言う事はいつだって正しい。

「……私は今回、こういう事を学ばせるために彼を泳がせておきました。感情に任せて根拠こんきょ無く信頼を置けば裏切られる。それが命取りともなる。私達、王家の人間はそういう立場で生きているのです。」

「誰も信じるな、とは言いません。…しかし相手は選びなさい。晩餐会ばんさんかいで貴方に話しかけるいやしい貴族どもでもなく、あのような下働きの下男げなんでもいけません。相応の地位を持つ相談役というものを───」

 母の言う事はいつだって正しい。正しいのだ。
 それでも……。

「母上…、お願いします! 彼を釈放しゃくほうしてはくれませんか? 彼にも同情すべき点があります。脅迫きょうはくにあっていたというのなら彼に非はないはず! それに僕自身まだ何かをされたわけではありません!」

 僕はただ感情のまま、母の言葉を遮るようにうったえる。もう、思考などしていられない。
 感情以外が動いてくれなかった。

 僕はどうしても彼を救いたい。だって、彼がここへ連れてこられた理由を想像すれば、正常でなんかいられない。いられるわけがない!

 あのうわさを思い出せば、落ちついてなんかいられない!!

「それは出来ない相談です。荷担した全て者へ相応の罰を与えなければなりません。それも平等に。」
 僕の言葉を無視した母上は、結論だけを先に述べた。それが、あの恐ろしい噂が真実であるという現実味を浮き立たせていく。

 なぜ、罪状の審議しんぎもせずに闘技場へとさそわれたのか?
 僕の知っている限り、それは一つしか思い当たらない。あの噂しか思い当らない。

 本当にただの噂だと思っていた。
 恐ろしい事だとは思っていたけど、遠い場所での話だと思っていた。

「同情の余地があろうとも、王家に対して反逆の意思が存在したのなら、それは断じて許すわけにはいきません。安易な特例などで情状酌量じょうじょうしゃくりょうを与えれば、それは王家の畏敬いけい畏怖いふそこなうだけです。いい事など何もない。」

 母は僕に見せつける気なのだ。
 王家に仇為あだなす者の末路まつろを、女王イメルザに反逆した者がどうなるのかを!



「あの男をふくむ、ラザイ卿とそれに付きしたがう全ての者を、───この場で処刑しょけいします。」

 母がここを、闘技場へといざなった理由。
 それは公開処刑という、最悪のもよおしだった。噂は噂ではなく真実のものだった。


「ユニス。受け入れなさい。貴方は私の言う通りにしていればよいのです。」
「嫌です! こんなのおかしいっ!!」
 母が驚いた顔をした。言葉だけとはいえ、僕が初めて母に逆らったからだ。しかしその驚きの表情もすぐに消える。そして、いつものように冷静に…、正しい事を言うために口を開いた。

「聞きなさい、ユニス。……私は貴方に花を学ぶ事を承諾しょうだくしました。それはあの男を泳がせると共に、花の選別から王の責務せきむを学ばせたかったからです。」
「……え?」

「貴方が花を学んだ時、そのなえの全てを育てればいいわけではない、と知ったはずです。庭園に有害となるなえを選別し、取りのぞく事が大切。…この状況はそれと同じ事。国家という庭園に不要ななえは取り除く、それはその他のなえを生かすべき当然の手段なのです。」

「貴方はいづれ、遠くない未来にこの国を担う者。王たる者はその判断を下す時、時には非情にてっする必要があるのです。慣れなさい。」

 母は知っていた。僕がそれを身を持って知る事を。
 そして、ここで見せ付けるために、わざと放置していたのだ。

 僕はひと時の自由を得たつもりでいて、ただ無邪気に喜んでいただけの子供だった。  結局は母の手のひらの上でおどらされていたに過ぎない、ただの子供だったんだ!

 だけど、僕の感情はそれを承服しょうふくできないでいた。
 子供の心だろうと、王には必要な決断力だろうと、それを受け入れる事などできはしなかった。

「………慣れるわけない。慣れるわけないじゃないですかっ…。こんな……こんな事で人の命をうばうだなんて…。こんなのはおかしい…。絶対に間違っている!」
 いままで学んできた僕の知識の全てが、母の行動が正しい事だと告げている。王家の取るべき正しい行動だと正当性を語っている。無為な時間が作り上げた「王家の人間という僕」は、母の理屈を間違っていないのだと知っている。

 しかし、感情は……僕そのものという、いつわれない本当の自分がそれを許さない。

 僕は駆け出す。母の静止を振り切って走り出す。師の元へ、僕に本当の時間というモノを与えてくれた、かげがえのない師の元へ。失ってはならない僕の心の支えとなる彼の元へと。

 僕は必死に駆けていた。

















 多くの兵士に止められたような気がする。彼らをどうやって言いくるめたのかさえ覚えていない。だけど今、僕の前には彼がいた。手錠を掛けられ、兵士に両脇を抱えられて、いつもより小さく見える老人が…、ローテン師が歩かされていた。

「ローテンさん! ローテンさん!! 逃げましょう! 貴方は無実だ! こんな所にいちゃいけない!!」
 彼が気付く前に、僕は声をり上げていた。彼がそれに気付くと同時に、またも衛兵が僕が近寄る行く手をふさぎ、邪魔する。あれは罪人ざいにんだとか、王子様が近寄るような身分ではないとか、どうでもいい言葉が彼と僕を否定ひていする。

 それでも僕は必死であらがい、身をけずるように前へと進もうとするけど、きたえられた兵士達が僕の体を押しとどめ、解放する事はない。非力な僕はたださけぶだけしかできない。無力な僕は何もできない。

「───おいアンタら、水竜様にも慈悲じひはある。お通ししてやりな。」

 背中からする誰かの声、それにより衛兵達がひるんだ。誰かは知らないけれど、僕はそのすきにローテン師の元へと駆け寄った。

「おや、王子様…。こりゃあはずかしいところをお見せしまして…。」
 老人はなぜか落ちついた様子で、僕へと話しかけた。  どうしてだろう? なぜ彼はこんなに落ちついているというのだろう? これから、何が起こるのかを知らないのだろうか?

「ローテンさん! 帰りましょう! ここにいたら貴方は!!」
 僕はさけぶ。しかし目の前の老人はそれでも態度を変えることなく僕へと語りかける。

「ユニス様、お聞きになったと思いますが、ワシは間者なんですじゃ。誰かの指示なのかは知りませんがのう、王子に近づいて、そのうち色々と吹き込む予定だったんじゃ。だましていて、申し訳ないのう…。」
「そんな事ありませんっ!!」

「……だって…、だって貴方はそんな話をしなかったじゃないですか!? 僕は何も吹き込まれていないし、庭仕事を指導してもらって本当に楽しかった。貴方は何も悪い事などしていない!」
 彼さえ…、ローテン師さえ騙していないと言ってくれれば、まだ母に訴えられると思っていた。だけど、彼はそれをせず、自分を間者だと言う。そうだったとしても、何も悪い事などしていないというのに、なぜ、彼はそう言ってくれないのだろう?

 必死に説得を続ける僕とは対照的に、ローテン師は穏やかに言葉を続けた…。

「ワシは昔、若い頃……盗賊ギルド所属しておりましてなぁ。悪い事をたくさんやりましたわい。盗みもしたし、罪もない人を殺した事もある。…それから数年して妻に出会い、足を洗ったつもりじゃった。そんで40年以上…平穏に暮らしてこれた…。」

「しかしなぁ、今になって盗賊ギルドが接触せっしょくしてきたんじゃよ。その時にな、ワシは因果応報いんがおうほうじゃと思った。足を洗っても悪事が消える事はない。何年とうが罪は罪。いまとなっては、なんで盗賊なんぞに身をやつしたのかと後悔こうかいしておりますわい。」
 過去の後悔を語る師…。だけど、その顔はおだやかだった。これから処刑されるというのに、なぜこうもおだやかな顔でいられるのだろう? 僕はそれが理解できなくて、とにかく助けたくて説得せっとくを続ける。

「だからって…、脅迫きょうはくされていたんでしょう? ご家族が盗賊ギルドにおそわれて、貴方は仕事を受けるしかなかった。じゃあ、今の貴方が悪いわけじゃない! 罪をつぐなうというのなら、別の方法だってあるはずです!」
 ちょうどその時、僕がうったえかけるその後ろから、誰かの手が肩に乗せられた。

「王子、もうやめとけ。そのジイさんは覚悟を決めてる。お前さんが止めたって結末は変わんねーよ。…それによ、その爺さんはお前さんの前で命乞いなんぞしたくねえんだろ。」

 知った風な事を言う!
 僕は怒りを覚え、その知らない声の誰かへと振り向こうとした。

 しかしローテン師はそのすきに連れていかれようとしていた! 両脇をささえられ、何も言わずに前を向いて歩いて行く。声の言うように、覚悟かくごを決めたかのような落ち着きのままで……。

 僕は追い駆けようとするのだけれど、また衛兵に両脇を押さえつけられてしまい、身動きができない。叫ぶ事しか現実に立ち向かう事のできない。いくら声を荒げても、大人の世界にはそれは通用しない。

 そして強制的に通路を進まされ、やがてまた、母上と顔を合わせる事となる。
 だから僕はもう一度…、目の前の女王へと懇願こんがんする。

 理性が全てを理解していながら、感情が納得できずに、また叫ぶ!


「母上! やめてください! なんで彼を殺すのですか! あの人はただ、僕に話をしただけです! 殺す必要なんて───」
 僕は衛兵に両脇を押さつけられながら、公開死刑場と化した闘技場コロセウムおもむく母へと声を荒げた。しかし、母は……いや、この国、ラファイナにおいて最大の権力者、全てをべる女王イメルザは、僕の方を向くことなく結論をべる。

「私が間違っている事をした事がありますか? あの者達は罰を受けねばならないのです。罪状は貴方も知っているのでしょう?」
 まるで周囲の者にも聞かせるかのように、女王が答える。

「だからといって、なぜ殺す必要があるというのですかっ!」
 僕にはあの人が、あの温和で庭仕事を楽しむ老人が処刑される結果がわからない。あの人は何も悪くない。ただ僕と、話しただけなんだ。本当に話しただけだ。

 それなのに、なぜ殺されなくてはならないのか!?

 間者かどうかだなんて知らない。彼が僕にとってかけがえのない人物である事は何も変わらない!
 だからお願い、殺さないで……っ!

「ユニス…。あなたも王家の血を受け継ぐ責務せきむとして、この瞬間を見届けなさい。」
「母上! やめてください! お願いします! やめてくださいっ!!」

 僕が半狂乱はんきょうらんに叫ぶ先の闘技場に、女王イメルザが足を運ぶ。その先には、何人もの人々がくさりで柱にくくりつけられていた。
 そしてその中には、今まで生きていてたった一人だけ、僕に普通に話しかけてくれた人が、あの老人までもが含まれていた。含まれてしまっていた。
 それは最悪の悪夢でありつつも、夢なんかではない現実。変わらない確定された運命。

 僕が師と呼んだ人が、わかりやすく土をいじって教えてくれる彼が、楽しそうに釣りの話をする彼が、いままさに僕の目の前で命をうばわれようとしていた。

















 ───私はラファイナ王国を統べる者。

 女王イメルザを名乗る者。これより、その膨大ぼうだいな魔力を行使し、罪人を処刑する。それがこの国を統治とうちするという女王の仕事である。

 私は我が子の叫ぶ声を背にしながら、死刑囚の前に立つ……。

 ラファイナの歴史において最も強い魔力を持ち、最も法に順ずる者。イメルザ=クリム=ラファイナ。私の扱う雷の魔法は、いかなる者の反抗すら許さない。いかなる抵抗さえ許さない。

「さあ、この世との別れは終りましたか? このラファイナに仇為あだなす反逆者ども。我が名は女王イメルザ。天よりのさばきにより、己が罪をめながらめっしなさい。」
 くくられた中の一人、首謀者と言われる貴族、ラザイきょうが張り裂けんばかりに冤罪えんざいうったえていたが、私は微動だにしない。

 彼、ラザイ卿には死んでもらわなければならない。彼は確かにクロービス王家と通じていた裏切り者であったが、それと共に人身御供ひとみごくうでもあるからだ。
 我がクリム家が統治する今のこのラファイナ王国を裏切ればどうなるかを世に知らしめ、反抗の芽を抑制よくせいするための”見せしめプロパガンダ”に使わせてもらう。もう二度と、クロービスなどに王位を手渡しはしない!

 だから処刑しょけいは派手でなくてはならない。
 恐ろしくなくてはならない。それが力という権威けんいを示す道なのだ。

 ……私はただ魔力を集中させ、最大破壊力にて彼らを滅するのみ。その圧倒的な破壊を意味する雷撃を喰らえば、死体すら残らない。

 おおよそ1分ほどの、過度に編みこまれた魔法詠唱が終了する。あとは発動言語を唱える事で呪文は効果を生み出す……。その生死の分かれ目に、私はほんの少しだけ口元をニヤリとゆがませる。そして、誰にも聞こえぬほどの声で、彼らの中の一人、息子ユニスを陥穽かんせいに落とそうとした老人へと向きささやいた。

「……私のかわいいユニスに危害を及およぼすくずめ。愛する息子をまどわせるごみめ、俗物ぞくぶつどもと共に消滅するがいい。…安心なさい。貴方の血縁者すべて、すぐに後を追う事になるでしょう。さびしくはありませんからね…フフフ…。」

 この言葉の真意は女王のものではない。ただ一人、狂おしいほど息子に愛を注ぐ、ただの母親のものである。王の権威をそこなわせる者は許さない。だがそれ以上に、息子に危害きがいを加えようとする者達を、私はけして許さない。

 私にとって、今回の処刑しょけいにおいての首謀者など、ただのかざりのようなモノであった。この処刑は、世間に権威けんいしめす以上に、なによりも息子をだまそうとした老人を抹殺まっさつするためにととのえたのだから。

 息子を利用するという、絶対に許されないごうを犯した老躯ろうくを消し去るために、この舞台をあつらえたのだから!



 魔力が臨界を突破する。───そして放たれるのは、死を呼ぶ雷光!

「───雷の使者、光の墓標をって愚者ぐしゃを撃て──、ライトニング・サンダーボルトっ!」

 大地すら陥没かんぼつさせる雷撃による鉄槌てっつい。それが生身の人間に降り注いだ。異常な光量、圧倒的な熱量、耳朶じだを打つ轟音が死刑囚へと降り注ぐ。公開処刑場へと集まった野次馬どもが悲鳴を上げ、護衛をまかされた兵士すらも、その常軌じょうきいっする衝撃しょうげきに動く事ままならない。


 そしてその中で、我が最愛の息子ユニスは────



「うわあああああああああああああああああああああああああああ!!!」






 慟哭どうこくに暮れていた───。











 ユニス…、ああ、我が息子ユニス……。
 貴方をおびやかす者は私が許しません。何があろうと、全て如何いかなる者をも殲滅せんめつしましょう。

 だから安心して慣れなさい。
 これは貴方の未来に必要な事なのですよ。

 人の死に慣れることは、王位を受け継ぐための通過儀礼なのです。

 例え、死を宣告されようとも貴方はけして死ぬわけがない!
 成長し、王位を受け継ぐのです。栄光ある未来のために、こういった事にも慣れなければならない。

 だって、このラファイナ王国は貴方のためにあるのだから。
 だから貴方は、母の言う事だけを聞いていればよいのです。







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