水竜クーと虹のかけら

第一部・02−04 「幸福のコイン」
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「よぉ、目がめたか? ユニス王子殿下。」

 僕は見知ら声を耳にしながら、意識を取り戻した。
 どうやら、知らないうちに気を失っていたらしい。固めの寝台しんだいに寝そべっているようで、体にはうすい布が布団の代わりにけられていた。目を開けると、天井から差し込む光がみょうまぶしくて、手でひさしを作り、かたわらから届くその声に答えた。

「………ここは…?」
「ああ、貴賓室きひんしつの西側ひかえ室だ。お前さんが倒れてからまだ10分程度だぜ。」
 今だ混濁こんだくする意識で、寝台のとなりすわる誰かに問う。そして、なんとなくだけど…、さきほど聞いた声だと思った。さっき僕がさけんでも結末は変わらないと言った男の声…。

 ゆっくりと視線を向けてみると、そこには白を基調とした服装に、金糸でまれた法衣をまとった男がいた。自分よりも随分ずいぶんと年上で、大人だろうと思える。そして何よりも目についたのは、その見事な白髪はくはつだった。
 老人の持つ白髪という感じではなく、絹糸きぬいとのようななめらかさを持つ白髪だった。その彼は足を組んでリラックスした様子で煙草たばこを吹かしている……。

「まだ意識がはっきりしてねーのか。まあいいさ。俺はご覧の通り水竜神殿の神官でな、女王陛下から倒れたお前さんの面倒を見てろと言われた。まあ、おもりってやつだ。」

「そう…ですか……。」
 僕は返事するだけで精一杯で、彼がどういう人であるかなど気にならなかった。どんな者だろうと、今の僕にはどうでもいい事だ。それに、侍従じじゅうかしずかれるのは慣れている。そして彼も彼らと同様に、何かをもたらす事もないとも知っている。だからかんがえても意味はない。

「それでなぁ、お前さんのふところから、これが落ちたんでひろっておいたぜ。」
 神官を名乗る白髪の男は、煙草を口にくわえたまま、ポケットから何か取り出した。それは僕がここに来る前、王城の庭園で拾った銀貨コイン。きっとローテン師の持ち物だと思われる、古くて凹凸おうとつのない銀貨コインだった。

「あ………。ありがとう…ございます………。」
 かすれた声で礼をべ、手にする。…しかし受け取って、あらためて思ってしまう。これを返すべき人はもういないのだ…と。たった1時間前には話していた彼は、もう跡形あとかたも無く消えてしまった。遺体をすら残さず、破壊の雷撃という光の中に消えてしまった。

 これを返すべき人は、もう居ないのだ。

「…………う………ううう………。」
 涙にこぼれてきた。唯一、心を寄せていた彼がもう居ないのだと思うと、悲しみだけが僕をめつける。ほんの些細ささいあやまちが、彼を永遠の向こうへ追いやってしまった。

「ごめんなさい……、ごめん……なさい……。」
 次々と流れる涙をぬぐうことさえできずに、ただ声を殺して泣く。

 救えなかった。助けられなかった。あんなに優しくしてもらったのに、あんなに沢山の喜びをくれたのに、僕は何もできなかった。ただ母上に叫びをぶつけただけで、何も変える事が出来なかった。

 間者だろうと、そうでなかろうと構わなかった。事実なんてどうでもよかった。僕は師と共に居たかっただけ。たったそれだけの事を望んでいたんだ…。



 なぜ僕は、王子なんだ?
 なんで僕は、王家に生まれてしまったのか?

 この先、僕はまた一人で、また無為むいな日々を送って、そして何を得るというのか? 

 ……そうやって、彼の死をいたむ事を、僕自身のことでしかかなしんでいない事を何よりもあやまりたかった。まず、彼自身にあやまらなければならないし、彼の家族にも謝るべきだというのに、僕は僕自身のことで頭が一杯だった。それを考える事しかできなかった。

 僕にはもう、何もない。
 誰に頼る事もできず、誰かと楽しみや喜びを共有する事もない。

 前はそれをさびしいとは思ったけれど、深く考える事はなかった。



 ……でも、
 優しさを与えられてしまったから、忘れる事のできない喜びを感じてしまったから、
 僕にはもう一人は絶えられない。絶えられるはずがない。



 一人はいやだ。もう一人はいやだ。僕はまた一人になってしまう。

 それが、とてつもなくこわくて、とてつもなくおそろしかった。




「王子さんよ。ちょっと泣いてるトコで悪いがな、あの爺さんから伝言をもらっておいたんだよ。お前さんに。」
「…………………伝言……?」
 神官の声に、うつむいていた顔を上げた。そこには何に動じる様子も無く、煙草たばこを吸う彼の顔があった。

「まあ、神官らしい仕事をしなきゃならなかったんでな。一応は伝えておくぜ。……あの爺さん、庭園で銀貨コインを落したんだとよ。なんでも…親の形見とかで、持ってると幸運がおとずれる…んだとか。で、もし見つかったらもらってやってくれ、だとさ。」
 彼はそう言って、煙草たばこの灰を床に落とした。

銀貨コイン………。」
 僕はその言葉をすぐに理解していた。だってそれは、ここに来る前に僕がひろったものだったから。そして僕が、彼を救うという決意をした象徴しょうちょうだったから。

「ああ、なんだ。やっぱりそれの事かい。」
 白髪の神官が煙草たばこの煙を吐き出し、安穏あんのんと言う。

「……まあ、神官の俺が言うのも問題だけどな、幸運付きの品だなんてのは、ただの思い込みだろうけどよ……とりあえず、形見くらいにはなるんじゃねえの?」
 それは無神経な言葉。…だけど、いまの僕には、そんな声すらも届かない。ただ悲しくて、悲しくて、その遺言ゆいごんとなった言葉を反芻はんすうするだけだった。

「…………そう…ですね………。」
「だよなぁ? そんな小汚い銀貨コインで幸運なんて来るわきゃねぇしな。そんなんじゃ煙草たばこ一本買えねーし。……大金ならギャンブルでもして遊ぶけどよ。」
 神官としては致命的ちめいてきな発言だったんだろうけれど、生憎あいにくと僕の耳にはとどいていなかった。僕はただ、幸運の銀貨コインを見つめて、いまはもう思い出となった彼とのやりとりが浮かんでは消える…。

 自然と……知らないうちに、体が熱く、気持ちが強くなっていく。僕の心の中にある想いが、瞳から涙となって流れていく。そしてローテン師ののこした言葉を否定ひていしていく……。

「そうだよ…、幸運だなんて…そんなのは…うそだ………。」
 銀貨を強くにぎめ、否定ひていする。強く否定する。
 幸運がおとずれるわけない。今、彼が言ったように、そんなのは思い込みだ。幸運なんかあるわけない。

 体がさらに熱くなる。気持ちがもっと強くなる。

 幸運があるなら、なんでローテン師は殺されたのか?
 そんな力があるというのなら、彼は死ななかったはずじゃないか!

「お、おい! 王子さんよ! どうしたんだお前?!」
 神官の声が部屋にひびくのがわかるけど、それとは関係無く、僕の中で何かがはじけようとしていた。分らない何かが、強い何かが僕の体に取り巻いていた。

「ま、待て王子! お前、そんな魔法で…何す────」


「そんなの嘘だぁぁぁぁっ!!!!」
 様々なねんが複雑にからみ合い、絶叫ぜっきょうとなって、僕の中で大きな何かがはじけた。だけど、それが何であろうと、今の僕にそれを考える余裕もない。ただ大きな、あまりにも大きな絶望が僕をつつんでいた。


















 ───気がつくと……、




 僕は見知らぬ場所にいた。初めて見る場所。
 それは木々のしげる森にかこまれたみずうみだった。

 天よりの陽光に包まれた水面は、風がいでさざなみを立てる。光のかがやきが湖面こめんに揺らぎを生んで、森の木々がざわめく。そこに恐ろしさはない。ただ自然の息吹いぶきが感じられる優しさだけがあった。


「……………。」
 声も出ない。ただ無心のまま、美しいとだけ思った。
 周囲にある森と、目の前にある湖を、うつろな瞳で見つめていた。

 なぜ僕は、ここにいるのだろう?

 それを思考する頭は動かず、ただ絶望にとらわれ、何もかもが失われた瞳で、僕はその景色をながめていた。初めてこういった場所に来たからだろうか? 彼の死に心が麻痺まひしていると思ったのに、美しいと思ってしまった。

 よく見れば、右前方の……かなり離れた場所に、イスガルド王城が見えた。
 外から見た事はあまりないけれど、間違いない。はためく国旗と外観からさっするにそうとしか思えない。

 すると…、ここは………。

 考えられるのは一つだけ。ここは、ローテン師と来ようと考えていた湖だ。穴が空くほど地図を見て、必至に覚え、隅々まで暗記したくらいだ。その地図からすれば、湖から見える王城の位置も合っている。間違いない。ここは釣りをしようとしていた湖だった。

「……転移魔法テレポート………、か。」
 何日も練習していた高位の転移魔法。どうやら銀貨を握り締めていた僕は、ずっと望んでいた場所へと転移してしまっていたようだ。訓練では一度も成功した事がなかったというのに、今日この時に限って、成功した……という事か。魔法を使うつもりなんてなかったというのに…。



 だけどむなしい。とても……とても空虚くうきょだ────。


 今更、ここへ辿たどり着いたとて、何の意味があるのだろう?
 もうここへ来る意味なんてない。



 もうすでに…、ローテン師は粉々こなごなに消え去って、そして二度と戻らない。
 あの笑顔も、楽しい一時ひとときも、永遠にもう戻らない。

 僕はなぜ、全てを失ったというのに、ここへ来たのか?
 何もかもが遅いというのに、なぜここへ来てしまったのか?


 何かが起こる前に来なくちゃいけなかった!


 そう思えば、もうこれ以上、美しい景色などうつらない。
 ただただ、後悔だけが押し寄せ、僕を心を容赦ようしゃなく押しつぶす。


「この世界に、幸運なんてない。」
 僕は手に握る銀貨コインを見た。師がのこしたモノ。でまかせの品。
 大人が生きる現実という世界には、都合のいい偶然ぐうぜんなどない。モノは結局、モノでしかないんだ。


「僕にはもう、希望なんてない。」
 きっと母が全てを握っている。把握はあくしている。僕はそこから逃げ出せず、とらわれたまま、希望など持つ事もゆるされない。それが当り前。それが僕の未来…。


 きっと、この銀貨コインを持っていれば、僕は期待してしまう。
 いつかは幸運がおとずれるのではないか、と心の何処どこかで望んでしまう。すがってしまう。

 そして……そう願うだけで、想いはかなう事はない。
 わずかな希望を抱いても待つのは絶望だけだ。願いなど叶わない。


「ローテン師…。こんなモノを僕にのこさないで…。」
 最初から期待しなければ、苦しまなくてむ。これさえなければ、僕はもう二度と夢という現実逃避とうひをしなくて済む。ただの人形となって、何も考えずにいる事ができる。





「僕には………これは…いらない………。」

 消えてしまう希望なら、最初からないほうがいい。





 ───だから僕は、湖に向って思いっきり銀貨コインを投げた。





 もう何にもすがらないために、もう夢など持たないために。
 僕は希望を捨て去らなきゃならない。…この涙と共に。





 ローテン師ののこしたそれが、えがいて湖に落ちる─────。

























ってーー!」



「いっつ〜〜…、なんか鼻に当たったですよ〜。」
「どうした、クーよ。……む、なんだこの小汚い銀貨コインは??」



 湖から声がする。



「ちょうどビミョーな場所に当たったですよ〜。痛てぇですよ。」
「ギャーーーー! ク、ク、ク…クーよ! お前、鼻血が出てるぞ! おのれ…、我々の浮上と同時に攻撃するとは何ヤツ!? ぞくか!? ぞくなのか?」 


 こういう時、なんと言うのだろう? 目が点になるとは、こういう事なのだろうか?
 余りにも唐突とうとつな事で、思考が停止する。


 ……ほどなく、固まっていた僕を見つけたその蒼い髪をしたは、憤怒ふんぬの表情で僕を指差した。


「やい! そこの小童こわっぱ! アンタですか! クーに向ってモノを投げるとは何事ですかー!」
「ぎゃああ! バ、バカクーめがっ! 私の背中で鼻血をくんじゃない!! 落ちんだろうがっ!」

 湖から顔を出す、鼻血が出っぱなしの蒼髪の女の子と、ヌイグルミらしきペンギン。なにがどうなったのか、状況がまったくわからない。彼女の鼻に……投げた銀貨コインが…当たった…??

「おのれ…犯人! クーは許さんですよ! 問答無用ですよ!!」
 その途端とたん激怒げきどした女の子が何かを投げてきた! それは僕が投げ捨てた銀貨コイン物凄ものすごい速さで投げ返され、すさまじい衝撃しょうげきと共に僕のひたいに当たった……。

 あまりの痛みで、目から火花でも散るかのよう。そのまま目の前が暗くなり、気を失いそうになる。
 とてつもなく痛い。たまらず、ぶち当てられたオデコをおさえてうずくまる……。


「わっはっはっー! それみた事かですよ。江戸っ子七人集も言ってるですよ。”つみにくんで人をにくまず!”」
「いや待て、クーよ。……こう言ってはナンだが、お前、思いっきり反撃しとらんか? 罪だけでなく人も容赦ようしゃなく憎んでいるように思えんでもないが…。」

「ランちゃんは細かい事、気にしすぎですよ〜。」
「う〜む…、江戸っ子は難しいな……。」





 ───僕の全てと共に捨てたはずの銀貨コイン……。
 それはてた瞬間、すさまじいいきおいで僕の手に戻ってきた。

 まるで、ローテン師が僕をしかり付けるかのように…。





 僕はこうして、水竜クーに出会ったんだ。

 彼女がラファイナで信仰しんこうされる水竜だと知ったのは、この後すぐの話……。
 そして正座させられ、さんざん謝罪しゃざいさせられた後、強引に友達にならされたのは、この1時間後の事。


 あとで考えてみれば、僕とクーの運命はここからまじわったんだと確信できる。
 絶望のふちとらわれていた僕を、彼女が強引に連れ出した…。











 そして同時に、

 僕の人生での最高のかがやきを放つ、”最後の時間”はここから時をきざみ始めたんだ。









 命がきるまで、残り4年6カ月。
 僕はこの瞬間から、全力で生きる事となる───。












 孤独な少年王子・過去編 完







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