「───ですので、水竜様の御心を広く民に伝えるため、私達一人一人が信徒として、常に模範であるべき存在にならなければなりません。」
静謐な空気の流れるここは、ラファイナ王国東部に位置する水竜神殿。そして200余名をも収容できるという、すり鉢状の作りを持つ第3講堂は、多くの人が押しかけ入口まで埋まるほどであった。それは高位な司祭により、水竜信仰の理解を深める講義が行われているからだ。
今日は、祭日という事もあり、その教えをこおうと、各地より人が集まっていた。
近隣の者から地方貴族、旅の巡礼者、そして他国の者まで、実に数多くの様々な人々がここを訪れ、司祭の講義に耳を傾けている。
ラファイナは魔法道具を精製する技術の高さで有名だが、それと同等に、水竜信仰が人気を博してもいた。
なにせ水竜様は約50年前にハデな戦いを演じている。当時の戦いの傷跡がまだ各地に残されており、なおかつ”虹の欠片”という宝珠も現存するのだから、伝承ではない真実だとして話題にもなりやすいのだ。
人間は印象に残り易い”ハデなものが好き”というのは、悲しい事に、いつの時代も変わらないものだ。
「───では、本日の講義はここまでにしましょう。」
司祭は静かに経典を閉じ、ゆっくりと礼をした。講義の終了である。
その司祭、…彼が頭を上げると、それが合図となって訪れた人々は一斉に席を立ち、それぞれが深くお辞儀をして退出していく。ありがたいお言葉とだと感謝しながら、各々の赴く先へと足を運んでいった。
ついで、壁面に立哨していた神官達が司祭に一礼をし、規則正しく退出する。そしてようやく全員が退出する。
彼はそれを確認すると、ようやく裏側の司祭用出口へと足を向けた。
……まだ24歳という若さで、神殿で6人しかなれないという”司祭”に就任した前代未聞の男。
その名をバスターク=ハンムリエと言う。
他に類を見ない、異質ともいうべき真白な長髪は、流れる絹のように滑らかで、長身の割りに程よい体躯、整った容姿もあって人気がある。とりわけ女性ファンも多い。
それに、このように講義での礼儀正しい立ち振る舞いも加われば、水竜神殿の看板的存在となってもおかしくないだろう。…つまりは人気者なのだ。
そんな彼が神殿を歩いていれば、世間と同じような反応が向けられるか、というと実はそうでもない。通路をすれ違う神官らに、羨望と畏敬……とはイマイチ無縁な、諸々の眼差しを当てられながらも、彼はなんとポケットに手を突っ込み、鼻歌を歌いながら平然と、そして余裕を持って歩いている。
司祭というと、周囲の者達の手本となるべく、威厳と礼節を身にまとい、話しかける事すら恐れ多いのが一般的なイメージだが、彼はそんなモノはどこ吹く風とばかりに、手にした経典をぶらぶらとさせ、ついで、近くを歩いていた少年神官へと投げて渡した。
「わりーな兄ちゃん。それ、片付けといてくんない?」
「え、はいっ???」
突然の事に目を白黒させている少年を尻目に、彼は懐から慣れた手つきで煙草を取り出し火をつけた。周囲の事などまったくを気にする事なく、ごくごく自然に煙草を吹かすと、大きく煙を吸い込んで満足したように吐き出す。
よもや司祭ともあろう者が、神聖なる神殿の通路で煙草を吹かすなどと誰が思うだろうか? 礼節を重んじる信徒にしてみれば、そんな破廉恥な事など考えもつかない事だろう。
目の前の少年も当然そうだった。しかも入信してまだ日が浅いのだろう。目上の、しかも司祭という立場の彼の振る舞いに、呆然とするばかりだ。
司祭、……つまりバスタークは、そんな少年の態度に気がつくと、ニンマリと笑って、”それ”を取り出した。
「兄ちゃんも一本吸うか?」
あろうことか、年端も行かぬ子供に煙草を勧めたのである。
「お、お待ち下さいっ! バスターク司祭! なんと不埒なっ!」
その司祭にあるまじきヨコシマな行いを大声で制する者がいた。バスタークは、その声の方へと面倒臭そうに振り向き、大声の主である女性神官に声を掛ける。
「よお、マリア。おめーは毎日元気なこったなぁ。でもよ、ちょっとばかし色気も足りねぇよ。そのローブ、もうちょい短くしねぇ? フトモモ見えるくらいによー。」
「ふしだらな発言はおやめください!! それより司祭こそ礼節を重んじてください! 私の容姿はともかく、そのような少年信徒に害物を勧めるとは! なんという悪戯ですか!」
憤然としながら通路の中央に立ち塞がるのは、司祭見習の女性マリアである。まだ17歳という若さでの司祭見習いとは、かなりの修練と信仰心がなければならない。いうなれば大型新人(スーパールーキー)というべき才女である。
(ちなみに、普通はここからが大変で10年〜20年かかって司祭となるケースが多い。それでも17歳での司祭見習は異例の出世といえる)
そんな志の高い彼女は、立派な司祭になるべく、司祭見習という役職として司祭の補佐をするべく配属されたのだが、その配属先がよろしくなかった。この不真面目全開の男、バスタークの配下になってしまったからだ。
そうして、彼の司祭にあるまじき破天荒な振る舞いに毎日苦労させられている。
「さ、そこの貴方、お行きなさい。仕事の途中なのでしょう?」
マリアは少年の手から経典を貰い受けた。少年は我を取り戻したようにして、逃げるようにその場を去っていく。…その後姿を目で追うバスタークは、玩具を取られた幼児であるかのように渋面を作り、さも残念そうにしている。
「あ〜、やだやだ。あの青少年もツマンネェ大人になるのかねぇ…。せっかく俺が色々教えてやろうってのによぅ。面白くねぇなぁ…。」
「バスターク司祭! どういうおつもりですかっ! 司祭たるもの信徒の模範となるべきと……、さきほどの講義では御自身でおっしゃった事ではありませんかっ!」
「あー……、あれね。あんなの社交事例でしょ。司祭なんて偉そうセリフを言ってりゃOKなんだよ。実際そんな堅苦しい事してたら疲れんだろ? 息抜きしねーとよー。」
バスタークはまた煙草を吸いこみ、リング型の煙を作って遊んでいる。
「なんという言動ですか、司祭! それにその無節操!! 信徒たるもの───」
マリアは爆発寸前だ。これから説教を始めんと声を張上げた時、バスタークは何気なく近寄り、マリアの藍色の髪に触れ、指で優しく梳いた。
「ちょ、ちょっ───、何を!?」
「お前さんの髪は今日もサラサラだな。…そんなに怒ると、綺麗な髪がだいなしだぜ? 美人さんは淑やかに笑ってるのが仕事だ。」
「え、え!? バスターク司祭、何を……。」
「それとな、俺は後ろ髪を束ねない方が好みなんだ。面倒かもしれないが、結わかないでくれねーか? その方が似合ってるしよ。」
「……あ、あの………その……。」
これはどう考えても話題のすり替えなのだが、バスタークの真剣な眼差しに、こういう事に慣れていないマリアには戸惑うばかりだ。なにせ、神殿育ちのお嬢様なわけだし。男性からこんな事をされたなど一度も無い。戸惑って当然である。
「悪りいな〜。俺ちょっと用事があるんだよ。ちょっくら出掛けてくるぜ!」
「あ───、ちょ、ちょっと!」
不意を突かれたような形で、バスタークが駆け出す。ここは追うべきなのだが、出遅れた事もあり、そのまま見送る形となってしまった。
こうして、マリアはほぼ毎日のように、バスタークの司祭にあるまじき行動を目にし、配下であるという使命を胸に秘めつつ、今日こそは、と説教をするつもりで挑むのだが、やっぱり逃げられてしまう。むしろ一度も引きとめられた事がない。無念である。
「はぁ……、また逃げられちゃった……。」
マリアの溜息。それには様々な念が篭っている。今日も説教できなかったとか、司祭なのにどうして邪なのだろうとか、今日もあまり話せなかったとか…。
司祭とはいえ人間失格。公の場では聖人然としているが、それは猫かぶってるだけで実際はああいう人間だ。だから尊敬などはないし、人間的に好きというわけでもない。むしろ嫌いなタイプである。いや、激しく嫌いである。
…ただ、マリアにも、あの型破りなバスタークという人物に対して、色々と思うところがあるようだった。
「……髪、どうしようかしら……。」
そう呟いて、後ろ髪を束ねている紐に触れてみた。別に彼の好みに合わせるつもりではないのだけれど、言われてしまえばそれを気にする年頃であるのも事実。
どちらにしろ、気になる事は気になるのだ。
あのバスタークという人が。
◆
上質の絹糸の様に滑らかな白髪の髪。碧色の目。均整の取れた体躯、それらをさらに際立たせる長身。
…そしてなにより、あのフザケた態度。
それがバスターク=ハンムリエという男である。
24歳という若さで全てが白髪というのは病気だからではない。それは遺伝によるもの。彼が特別の血筋であるという事の証である。ハンムリエ家でその能力を受け継ぐ者は、必ず白髪として生を受けるのだ。
そして白髪である彼は、同時に”魔眼”という特別の目を持っている。
遥か昔、古代文明より発祥したという”魔眼”を持つ一族である。
彼ら、ハンムリエ家の一握りの者は、その瞳から通常では視る事ができない”不可視の情報”を得る事ができた。それは受け継がれた者により何が視えるかの差異がある。
───例えば、
彼の父スラクロードは”野心を持つ者”を見極める力を持つ。
自身が仕えるラファイナ王家に仇為そうとする輩を察知する事ができるのだ。これにより、現女王イメルザは、即位よりの長きに渡り、敵と味方の選別に惑わされる事なく権威を維持する事ができた。
そして後継ぎであるその息子、バスタークには”他者の寿命とその死因”を見極める能力が宿っている。それはハンムリエ家の歴史上、一度も発現した事の無い”未来予知”であった。
他者の寿命、そして死因を視る。
確かにそれだけの能力であり、未来予知というには大げさだと、あまり使い道がないかと思われるが、そうではない。
その人物の死因や寿命を逆算する事で、起こり得る事態の対処をする事が出来るのだ。しかも彼はその予知を外す事がない。100%確実に的中するのだから、政を取りまとめる上で、確実性を持つ能力ほど、役に立つものはない。父親同様に女王の手足として貢献している。
……もっとも、彼が優れているのは、そういった能力だけではない。むしろ、その性格から来る、それ以外の部分によって成り立っているとも言える。
では、それを見るために、彼の出掛けた先へと視線を移してみよう。
◆
「邪魔するぜぇ、バフキーの旦那。」
茶色のカツラを被ったバスタークがやって来たのは、王都を裏で牛耳る闇組織、盗賊ギルドの本部である。
2階建ての、絢爛な作りの庭付き邸宅。成金貴族が住んでもおかしくないというその家から出てきたのは、腹の出た巨漢ともいえる中年男性だ。
「…ああ、バスか。ヒマなやつだな、お前もよ。」
この男の名はバフキー=ディンコース。この王都イスガルドの盗賊ギルドをまとめる団長である。
盗賊と聞くと、痩せた体で目付きのギラついた小物を連想する市民は多いが、盗賊だからとイメージだけで見分けられれば苦労は無い。このように温和な一般人らしき風体であるからこそ、怪しまれずに生活できているのである。
───王都の治安を守っているのは、警備兵の仕事だと思っている一般人は多いが、実際は、盗賊ギルドの采配により保たれている。警備兵は表向きの小事を取り締まっているにすぎない。
悪事の度合いや、その被害、闇商品の取り扱い、そして女王が表向きには禁じている奴隷売買ですらも、全て彼らの中にある”節度”によって仕切られているのだ。
悪党の締め出しは、王都などという巨大都市においては不可能であり、悪党がいるからこそ、経済が効率良く循環する事を女王イメルザも知っている。
盗賊ギルドが”やりすぎない”ならば、女王も彼らを排除しない。そういう約束事が、暗黙の了解として成り立っているのだ。それが取引というもの。彼らもそれを知っているからこそ、女王の許す範囲内での”商売”に精を出し暮らしていられるというわけだ。
もちろん、盗賊達は女王を侮ったりはしていない。むしろ、恐怖の対象である。あれに逆らった時点で、節度を越えた時点で、確実に、慈悲の一切もなく殲滅させられる事を知っている。だから絶対にやりすぎない。それが彼らの死守するべき節度というものなのだ。
「旦那は儲けてるみたいじゃねえの。売れてんだろ、奴隷がよ。」
「まあな。エンジェランド方面のルートが独占できたんでな。ボロ儲けよ。」
見た目は、ただ温和な笑みを浮かべる愛想のいいオヤジ然としているバスキーだが、とんでもない。王都屈指の残虐性を持つ悪魔のような男だ。ギルドに歯向かった者は、徹底した拷問の上に惨殺する。それが裏社会の秩序を守る上で当然のことである。
そういう部分で、女王イメルザと似た感覚を持っている人物だといえよう。…いや、組織のトップとは、得てしてそういうモノなのかもしれない。
「で、バスよ。今日は何の用だ? 通りすがりの挨拶にしては物騒なヤツラを連れてたそうじゃねぇか。」
「おやま、そうだったかね?」
不意の質問に、そ知らぬ顔で答えるバスタークではあるが、バフキーは彼がここまで来るのに、物騒な連中が尾行していると告げた。盗賊頭である彼に、知らぬ事などない。
「まさか、あのビリ女に恨みでも買ったか?」
「さ〜てね。そりゃあねぇと思うけどなぁ…。だけどよ、あれも怖い女だから。」
「違いねぇ、怖いという部分には、俺も同感だがな。クッククク…。」
バフキーは、バスタークを尾行している輩が女王イメルザの手の者で、行動を監視されているのではないか?と勘ぐっているのだ。バスタークがなんらかの不始末を起こし、信用を落したため、始末されるのではないかと直接的に聞いている。
そしてバスタークはそれを否定した。これはそういうやり取りである。
ちなみに、ビリ女、というのは、ビリビリ女の略。…つまり、「雷撃を使う女」という女王の渾名のようなものだ。かなり失敬な呼び名だが、これは盗賊としての隠語である。(もちろん定期的に変更する)
彼ら盗賊の世界では、どこで誰が聞き耳を立てているか、わかったものではない。だからこそ、会話のあちこちで隠語が用いられる。バスタークは、そういった世界にすっかり馴染んでいた。それは性格からくる柔軟な順応性というべきなのかもしれない。
「……まあいい。今日はなんだ? コウモリ役か?」
バフキーが笑顔のまま、そう問う。しかし目の奥に渦巻く泥のように薄汚れた闇は、バスタークの挙動を一瞬で見逃さないようにと狙いを定めていた。
しかし、バスタークは気の抜けたままで答える。
「いんや、平和のハトってトコロさ。……2匹の子豚が逃げ出した。無傷なら高値だとさ。」
「ほう。そりゃあ、ハトだな。」
これも隠語。コウモリ役ならば、女王から盗賊ギルドへの悪影響の知らせ。逆にハトならば、それは女王よりの依頼という事だ。2匹の子豚というのは、先日、女王が処刑した元貴族、ラザイ卿の子供達2名が逃げ出しているという意味。
女王イメルザは、彼らを無傷で捕らえて、親と同様に処刑するつもりなのだ。そうする事で、権威という名の恐怖支配はさらに磐石なものとなる。だからこそ、裏から盗賊ギルドに依頼しにきたのである。
もちろん、世間に公表して捜索する事は容易いが、それでは王家が2名を取り逃がしたと公言するようなもの。メンツが潰れるのである。…だから盗賊ギルドへの依頼をしたというわけだ。
イメルザはバスタークにその役目を負わせた。それはつまり、信頼されているという証である。バフキーからの疑惑は、この依頼により払拭されたのである。
「……承知した。機嫌を損ねないうちに
檻に入れてみせる。」
彼ははそう答えると、挨拶もせずに、さっさと家に入ろうとした。そしてバスタークも用は済んだとばかりに帰路につく。
すると、門を出ようとしたバスタークの背中越しに、バスキーの声が届いた。
「今日のお前さんの背中を狙ってるのは、ウチの管轄じゃねえ。お前さんが知らなきゃ、好きにすればいいさ。」
バスタークは振り向く事無く、手をひらひらと挙げて答えた。
彼は今日、何者かに監視されている事を承知している。その相手は、女王の手の者ではない。そして今、盗賊ギルド側でもないという確証を取った。
バスタークが気付く程度の尾行だったので、大した事のない小物なのだろうと思ってはいたが、もしもヤツらが盗賊ギルドの人間だったとすれば、後々に話がこじれる。
バフキーは自分の指示無く動いた馬鹿者だと言うだろうが、ギルド所属のメンバーはそう思わないだろう。もしも尾行者が盗賊ギルドの者だった場合、勝手に制裁を加えれば、彼らは女王側の人間に悪い感情を抱くかもしれない。
「面倒くせえなぁ…。」
彼のいう通り、いちいち確認が必要。本当に面倒な事なのだ。なんらかの組織の一員であるという事は、しがらみから逃れる事ができない。からまった紐を解きほぐすような、細かな処理しなければならないのである。これを面倒と言わず、なんと言うのか。
バスタークはわざわざ裏道を通り、スラム方面の路地を進んだ。気配は確かにあり、殺気となって距離を詰めてくる。尾行する者達の目的は実にシンプルだった。
───そして到着したのは、廃屋立ち並ぶ広場。貧民の住むスラムという場所である。
バスタークはポケットに手をつっこんだまま、振りかえった。
何者の姿はなく、周囲には廃屋と踏み荒らされた雑草のみ。遠くから耳に届くのは雑踏の活気。大通りでの活気がどこからか別世界の事のように、この隔離された空間を戦いに相応しい場であるかのように演出する。
唐突に、高速と化した石の礫が彼を襲った! それはスリングと呼ばれる盗賊の武器によるもの。投石用の原始的な武器だが、人間に当れば相応のダメージを与えられる! しかも狙いは頭だ。十分に致命傷を狙える場所。殺意を隠さない一撃である!
だが、バスタークは首を横にしただけで、それを避けてみせる。まったく慌てる事なく、頭をボリボリと掻いている。……そしてどこか楽しそうに、口の端を釣り上げた。
「おいおい、そんなんで俺を殺すつもり? ちょっとそれはないんじゃねーの? せっかく待ってやってんだからよ、出て来いって。」
彼がその視線を向けた先には、驚愕に目を見開いている者がいた。尾行がバレているどころか、位置まで的確に当てられていたのだ。しかも、投石で攻撃した仲間も当然ながら位置を特定されているだろう。
尾行者……暗殺者のリーダーは、今回のターゲットが自分達の見積もり通りの相手ではない事を知った。この司祭を名乗る男が、並みの盗賊ですら及ばない熟達した技の持ち主である事を思い知ったのだ。
暗殺者のリーダーは指示を出した。
もう隠れている事に意味は無い。今回の目的は、あの白髪の男を殺す事なのだから。
…出てきたのは、どこにでもいるような女であった。
安い布地の服に目立たない顔つき、頭の上まで結い上げた髪は、貧民街の主婦層で流行っている髪形だ。娼婦というより、極めて普通の主婦そのもの、という印象が強い。
そして逆方向、スリングを持って出てきた若い男は、なんと水竜神殿の信徒の服装である。同じ信仰を持つべき信徒が攻撃をしてきたのだ。
だが、バスタークはそれに動じる事もなく、欠伸をして待っていた。考えればすぐ分かる事だが、暗殺者が暗殺者らしい格好で獲物を狙っているわけがないのである。彼らの服装が主婦や信徒であるだけで、中身までそういう身分であるとは限らないのだ。服を着る事など誰にでもできる。
目の前にいるのは、主婦の服を着ただけの女と、信徒の服を着ただけの男でしかない。バフキーの見た目がただの中年オヤジであるのと同じことだ。
「尾行してたの、やっぱお前ら二人だったわけね。…で? あんたらドコから来たの?」
命を狙われていると知りながらも、彼はまったく気に掛ける事もなく問う。だが、相手はそうではないようだ。懐からナイフを取り出すと、問答無用で斬りかかってくる!
バスタークは身軽に避けて距離を置く、しかし敵は攻撃の手を休める事は無い! 猫のようなしなやかさと、鍛えられた跳躍力で獲物であるバスタークを強襲する! 彼らはナイフの使い方、戦い方を心得ていた。その動きは盗賊ではない。暗殺者のそれである!
「ああ、そういう事。質問に答えてくれないのね。そりゃあそうか。」
だというのに、悠長な口調で語るバスタークだが、彼は2人の猛攻に対して、なんと両手をポケットに突っ込んだそのままで、次々と避けているのだ!
「じゃあ、俺から一つ教えておいてやるよ。」
大ぶりされた短剣を、跳躍で避けたバスタークは、二人に向かって言った。
「あんた達の寿命、残り約17秒。死因は咽喉にナイフが刺さるから。」
その瞬間! 両手をポケットから抜き出し何かを投げた。果物ナイフである! それは吸いこまれるように二人の暗殺者の首へと刺さった! 逃げ回るだけの男から、予期せぬ反撃を受けた彼らは、その一瞬の攻撃に反応する事ができなかったのだ。
「ああ、悪い悪い。あんたら殺すの俺だったみたい。そりゃあ宣告通りに17秒で死ぬよな。その場にいるんだからよ。」
そして17秒後、暗殺者は何を語る事もなく絶命した。彼らが誰の差し金であったのか、永遠に判明する事はないだろう。
しかし、バスタークにはどうでもいい事であった。死体をそのままにして、何事も無かったかのように帰っていく……。彼の戦いはひとまず終りをみせた。何を解決す事もなく。
どうせ証拠など、次の日には欠片も残ってはいない。彼らの持ち物は全て乞食が奪っていくからだ。
そういう意味で、スラムというのは便利であり、同時に、ろくでもない街でもあるわけだ。
◆
「よう、シンシア。今日も可愛いな。今晩どお? ベッドの中で教義を説かねえか?」
「し、司祭様…。 私、困ります〜…。」
翌日、講義を終えたバスタークは、相変わらずの様子で、水竜神殿の廊下にて信徒の娘を口説いていた。
「バスターク司祭っ!! なんという不埒な事をっ!!」
そこへ現れたのはやっぱりマリアである。すでにその怒りは頂点に達し、このまま放置すれば説教3時間コースになるのは間違い無いだろう。しかしバスタークは、どこ吹く風とばかりに、平然とした顔をしている。
「おいおいマリアちゃんよ、お前さん教義をちゃんと勉強してるか? 水竜信仰では愛し合う事を禁じてねぇだろ? 子供ができりゃ信徒も増えてるんだから、バンバンザイじゃねーの?」
「こ、子供ができっ──?! ……ななな、なんという不潔なっ!」
バスタークの司祭にあるまじき言動に、頭に昇った血が渦を巻いているかのようだ。火山が噴火する直前というのは、まさにこんな感じなのだろう。
「それとも、お前が俺と寝てくれるか? 俺はいつでも待ってるんだぜ?」
「え? ………ええええ!? ちょっと……。」
いつのまにかバスタークに軽く抱きとめられているマリアは、怒りで頭に上った血が、こんどは頬に集中。頭の中が大混乱だ。
「じゃあ、俺はちょっと出掛けてくるからな。シンシア、マリアを頼むな。」
「はい。いってらっしゃいませ〜。」
マリアが混乱している間に、バスタークはいつものように、どこへともなく遊びに出掛けた。今日もまた、マリアは彼にしてやられたのである。シンシアに介抱されるマリアは、今日もまた敗北した事を知ったのである。
「………ねぇ、シンシア。バスターク司祭とその……。あの……本当に……。」
ふと、マリアは何を思ったのか、友人であるシンシアに聞いてみた。その問いに笑顔を崩さないシンシアは、さらりと答えてみせる。
「そうねぇ…。司祭様の地位と名誉は魅力よね〜。」
「そ、それじゃあ!!」
まるでOKしちゃうのか?とでも聞くような態度のマリアに、シンシアは変わらぬ笑顔のまま、言う。
「マリアちゃん次第かな〜。」
そんな友人の答えに、マリアは彼女が何を言いたかったのか、よくわからないままなのであった。
「そういえばマリアちゃん。後ろで髪結わくの、やめたんだねー。なんで?」
「……うん、えっと……ちょっと。き、気分転換……かな?」
そう答えるマリアの顔は、複雑そうで、しかし満更でもない表情をしていた。
バスターク=ハンムリエ。
他者の寿命と死因を視る事ができる魔眼を持つ男。
しかしそれは、彼の力の一端でしかない。
彼にとって危険と平穏は隣り合わせである。いつ何時、命を狙われるやもしれない。そして誰とも知らない相手に命を狙われ続けている…。盗賊ギルドだって、明日にはどう転ぶかわからない。
毎日が危険と死と平穏。
常人であれば、耐えられるはずもない精神的な圧迫感を伴うだろう。気が狂ってしまうやもしれない。
しかし、彼はそれをどこかで楽しんでしまう。
そういう豪胆さこそがバスタークの本当の力なのだろう。
彼が生きる以上、戦いの日々は続く───。
そして彼はその生き方を変える事をしない。
それこそが彼である証だからである。
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