水竜クーと虹のかけら

第一部・03−05 「水竜クーさん、街へゆく」
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「なんじゃこりゃー!!」
 水竜クーの目玉は飛び出しそうなほど、ビックリしながら喜んでいた。

「これが街ですか! これ街ですかー!? すげーですよ〜!」
   森や平原の続くイスガルド城の広大な敷地から城壁をえ、一歩を踏み出せば、そこはもう城下街「ファルド」である。昨今さっこんの調査では、定住者だけでも10万人を超えており、旅人や商人などの一時滞在者たいざいしゃふくめれば16〜17万届くとか…。

 イメルザの即位により17年。小規模な街なみだったここは、ラファイナ北部の旧王都キュラウエルにも引けを取らない大都市へと成長している。長年の権力集中により、無計画に肥大化ひだいかしすぎた北部の混沌とした街の有様ありさまから学び、当初から計画的に整備されてきたファルドは、国内のみならず他国からも賞賛しょうさんの声が届くほどの美しさを持つにいたった。

 そして今日は、クー達がその城下街を見学する日。
 休息していたランバルトの帰還と共に、約束していた”街巡り”をする日となった。

 そしていつもの3人に加え、もう1人が加わっている。それはもちろん……バスタークだ。

「おいおい、水竜の嬢ちゃん、気持ちは分からんでもないが…、あんまし騒がねーでくんねーかなぁ?」
「すっげ〜〜! すっげーすっげーですよ〜〜!」

「聞いてないのね…。ハァ…、最初から疲れんな。こりゃあ。」
 まさしくおどるようにび歩くクーを先頭に、ランバルト、ユニス、そして嘆息たんそくするバスタークの4人は、城壁の西側、城下でもっとも治安の良いとされる裕福層が住むとされるオヴィッドという名の区域へと出た。ここは迎賓館げいひんかんや国家施設や、軍関係施設も在る王都のかなめとも言える場所だ。

 ファルドの中でも特に整頓されたこの区画はどこも歩き易く、路上は全て石畳で整地されている。そしてすれ違う者達はどこか品があり、まずしさなど微塵みじんも感じさせない。女王イメルザが(嫌々ながら)許可を出したのは、この区画のみではあったが、それでもクーにとって、そしてユニスにとっても初めての住宅街というのは新鮮しんせんであった。

「すっげーですよ! すげーですよ! あれもスゲーですよ!」
「これ、クー! 少しは落ち着くがよい。水竜たる者、威厳いげんを持ってだな───。」

「ランちゃんっ! あれなんですか? あそこで丸まって寝てる4本足で猫みたいなヤツ!」
「…いや、だから普通に猫だろ?」

「ひゃあ! 本物だぁーーー!」
 おおはしゃぎの水竜クー。本などでの知識はあったのだろうが、やはり見ると聞くではまったく違う。空想は現実には敵わないものだ。おおよそ150年生きていて初めて街を見たのだから、はしゃぐのも無理はない。

「おい、そこの猫! クーのパンチを喰らうですよ! えい。」
「ギニャアアア!」
「こらー! 攻撃してはいかーん!!」

「わっはっはっは! 逃げるですよー!」
「バカモノ! 待たんかバカクーよ!」
 喜んでいるのはクー達だけではない。もちろん同行するユニスも、馬車から何度か見た以外に人々の生活圏をのぞいた事などなかったので、素直に情景を楽しんでいた。騒ぎ方が違うとはいえ、ユニスだって心おどらずにはいられない。

 しかし、同時に何かの違和感も覚えていた。言い表す事のできない、空気とでも言うべきか。

「あん? なんだよ、ユニスちゃん。母親抜きで街のご視察だなんて、気持ちいいだろが。もっとはしゃげよ。」
 護衛、兼保護者という立場のバスタークは、ガキの子守など御免だ、とばかりに(嫌々)同行してはいるものの、だからと言って気乗りしてないユニスを見るのも気にかかってはいた。

「バスターク司祭は何か知っていますか?」
「何をだ?」
「この地区の住民にどんなお触れを出したかという事です。……どうも反応が妙です。」
「…………お前さ、いくつだっけ?」

「14ですが。」
「ああ、そうかい…。オメーはどんな14だよ。」
「は??」
 ユニスは幼少からの生活から、他者を見て、その態度から何かを感じ取る事に優れている。つまり空気を読む事に人一倍敏感なのだ。そんな彼がここで感じた違和感があった。それは住人達のみょうな視線だった。

 自分達とすれ違う人達は何食わぬ顔で歩いているのだけれど、そのあと、不思議そうな目でクー達を見ているように感じるからだ。

「……あ、そうか、それもそうかな…。」
「一人で納得してんなよ王子様。俺の立場がねぇだろーが。」
 ユニスはあっさりと理解していた。いや、よくよく考えてみれば当然である。

   そもそも、クーの格好は水着みたいなものだし、蒼色の髪の人間などこの世にはいない。気を取られない人などいるわけがないのだ。それを、わざわざ素知らぬ振りして通り過ぎ、遠目で見ているのだから、きっと母イメルザより、素知らぬふりをするように、などのお触れが出されているのだろう。
 だけど、周囲の人達はきっとランバルトが動いている事の方が衝撃だと思う。ヌイグルミが自由に動く時点でもうおかしい。ユニスはもう慣れてしまったため、ランバルトが動く事をなんとも思わないが、世間から見れば驚いて当然なのだ。それをユニスが忘れていただけの話。

 …それに加えて…、

 ユニスは何気なく周囲へと目を配った。彼の目に留まる者は一般人の視線だけではない。よく観察すれば、至る所に普通とは違う目つきの者達がいる。これはユニスも知っている。城内でいつも、自分が一人で行動する時、姿を見せずに付添っていた監視にも似た視線を向ける者だ。その視線の質が同じであれば、同業かそれに類する者であるはず。

 この王都でのそういう視線ならば、誰がその命令を下しているのかは明白だ。
 外へ出ても母には監視し続けられている。その事実がよくわかる。

「まったく…、オレんとこの神殿にもよー、14そこらのガキはいるんだけどな、オメーみたいな気配を読むガキなんて居ねえぞ?」
「何の話です?」
 バスタークは頭を掻きながらユニスの洞察力に舌を巻いた。自分もかなり優秀な人間だと自負しているが、この王子はさらに上を行く。大人ならばともかく、こいつはまだ14歳のガキなのだ。自分が14の頃に、こんな筋道立てた思考を持っていたかは怪しい。

「なんせ、女の尻ばっかり追いかけてたからなぁ…。」
 バスタークは昔から変わらない性格であったのだ。自然な流れで懐からタバコを取り出し吸う動作も、なんだかぎこちない。
 若き日の手痛いイタズラを思い出してしまった、…そんなところだろう。

「ところで王子さんよ、あのお嬢ちゃんの服はどうにかなんねーのか? まあ、今更言って聞くタイプじゃあないけどな。」
「え? ああ、あの格好ですか。…あれは仕方ないんですよ。」
 いかに梅雨つゆの時期とはいえ、街中を水着姿のような服装…、つまり半裸で歩くのは常識からすると外れている。バスターク的にはもっと年上の色気のある女の半裸なら大歓迎だが、売女ばいたでもない乙女があれではマズイだろう。そうでなくとも蒼い髪で目立つというのに。自分の白髪など、あの嬢ちゃんの前では消し飛んでしまうほどだ。

「僕も前に聞いたんですけど、クーが言うには、竜の一族はあまり服を着るのが好きじゃないんだそうですよ。美しいはだを隠すような真似をするのは竜のはじなんだとか。」
「は〜ん…。」
「クーの亡くなったお父さんも、人の姿の時は服を着込むのは好きではなく、腰布程度だったとかいう話です。…ほら、伝説の水竜ですよ。国を救ったという…。」
「そんなもんなのかねぇ…。」

 何を言おうと、そう言われてしまえば”そういうものか”と納得するしかない。人と変わらぬ姿をしているとはいえ、クーは竜の一族なのだ。実際、ユニスはもう慣れたので気にしてない。人間というのは慣れる動物である。きっとそのうち誰も気にしなくなるだろう。慣れてしまえば大した事ではないのだ。バスタークもそう思う事にした。

 …ちなみにこれは余談だが、今後に歴史上で登場する竜の一族達も、それは全て共通している。
 彼らは人の姿であろうと、服を着込むのがあまり好きではないのだ。


「おおおおー! なんデスカあれはー!? でっかい丸ですよー! 穴が開いてるですよー!」
 ちょっとした広場のわきに井戸があった。日中の明るい時間だというのに人はおらず、釣瓶つるべが風にられている。

「ランちゃん見るですよ! こんなプール初めて見たですよ!」
「ぬ、私も過去の写真でしか見た事がないが、こんな炉辺ろばた行水場ぎょうずいばなどと…。この時代の人間は変わっているな。」

「でもクーは意義をとなえるですよ! こんな小さくて狭いし、穴が深いし、まったく! 利用者の事をまったく考慮こうりょしていないですよ!」
「…ふむ。きっと周囲に見られては困るとプライベートを重視したのだろう。もしくは飛び込み専用なのか?」

「おいおい、飛び込んだら戻れねーだろ! 誰が飛び込むんだよ! どこまで落ちるんだよ! 井戸だろ! 水汲み場だろ!?」
 思い切りツッコミを入れるバスタークだが、クーもランバルトもさっぱり聞いていない。

「お! あそこに人が一杯いるですよ! おおーーーーい!!」
「バ、バカモノ! 迂闊うかつに近寄るんではない! どこにぞくが隠れているかわからんのだぞ!」
「聞けよっ!」
 大騒ぎのクーにいちいちツッコミを入れてしまうバスタークは、隣で笑っているユニスをみて正気を取り戻す。いつの間にか、水竜のお嬢ちゃんのペースに乗せられていたからだ。いい大人が小娘に乗せられて……なんとも恥ずかしい。しかしバスタークは果てしなく前向きである。そんな自分が好きだと思うことにした。

「バスターク司祭……、そういえばお礼を言ってませんでしたね。…あの時はありがとうございました。師の死刑執行の時です。」
「お前も律儀りちぎだねぇ。俺は覚えちゃいねーし。大した事なんざしてねーよ。」
 いつの間にか後ろを歩いていたユニスが、バスタークに礼を言う。それはあの処刑の日の事だ。ユニスがローテン師に近寄る事を許可してくれたのは、彼なのだと気づいていたからだ。

「それに母上からは僕らの護衛を任されたんですよね? すいません、迷惑かけてます。」
「…まったくあの親にしてこの子あり、ってやつだなぁ。」
 ユニスにとって間違いなく人生最大の苦痛であるはずのあの件を、まだ数カ月そこそこで克服こくふくするなどというのは、並の意思ではできない事だ。人によっては一生を苦悩くのうする奴もいる。もちろん、あの事件は心の中で大きな傷跡として消えることはないのだろう。しかしこの少年はそれをえて前を向いている。少なくとも、過去だけを見てはいない。

 …そういう意味では、あの母親であるイメルザ同様に前向きである。性格はまったく違うが、やはりユニスも為政者いせいしゃの血が流れている、という事なのだろう。ユニスの瞳には、クーという守るべき友人のため、悲しむよりも今を重視しようという強い意志が見てとれるのだ。

「…あの…、司祭から見て母はどうですか? 僕には気を張りすぎているように見えて……。」
「お母ちゃんが心配か?」
 うなづくユニスの表情にはうれいの感情が見てとれた。あれだけひどい事をされても、自分の意思で従順じゅうじゅんである事をやめても、それでもユニスにとっては、たった一人の母親であり肉親である事に変わりはない。父親はすでに他界したと聞いている。だからこそ、その身を案じてもいるのだ。

「まあ、心配しなさんな。」
 バスタークはタバコの煙を大きく吐き出し、その視線をユニスへと下ろして言った。

「お前の母親はあれで長生きなんだぜ? なんせ寿命は68歳だ。しかも死因しいん老衰ろうすい───……あ、…やべっ!」
「え…、寿命?? 死因??」
「いやいやいや、なんでもねぇ! そんな気がしただけ! やっべえなぁ、昨日の酒がまだ残ってんのかねー。」

 バスタークの一族、ハンムリエ家が持つ魔眼については極秘事項だ。こんな能力があると世間に知れたら、どんな災厄が降りかかるか分からない。当然、それを悪用しようとするやからが出てくるだろう。まだ王位継承前のユニスにさえ明かされてはならない秘匿ひとく事項なのである。

 彼の魔眼で女王イメルザを見ると、その寿命は68歳、死因は老衰。彼女は本当に驚くほど長生きなのだ。平穏無事に天寿を真っ当するようである。…あんなに悪党のくせに、どうしてそこまで長生きなのか? てっきり早死にするものだと思っていたが、運命とは実に容赦ようしゃがないものだ。

 彼の魔眼が外れる事はない。
 イメルザの寿命は間違いなく68歳だろうし、ユニスの命もまた、残り4年というのも事実だろう。

「はは…、そんな事よりもそろそろ飯でも食うか。女王陛下が食事どころを手配してくれてんだぜ。」
 冷や汗を流しながら、そんな提案をしたバスタークであったが、食事など夢物語だという事を知る。

「ちょ、ちょっとクー! そっちはダメだって! ランバルトさーん! 止めてくださいー!!」
「あれ、王子。どうした? 水竜の嬢ちゃんとペンギン様は?」
 急にユニスが駆け出し、必死に走っていく。いきなり現実に引き戻されたバスタークがそちらを見上げると……。

「バカモノ! これ、クーよ!! そこは走る場所ではないぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ、クー!」

「うひゃあぁ! あっちはもっとスゲエですよ! 人がいっぱーーーい居るですよ!!」
 あまりに面白すぎて、二人の制止など耳に届いていないクーは、その身体能力をフル活用し、軽々と建物の屋根に飛び上がっていた。女王が行動を許可した区画の先には、ラファイナ王都が誇る大商店街が広がっている。

 様々な容姿の、様々な人種が一同に介し、見るも鮮やかな品々に囲まれて、笑いあい、話し合い、時には怒りや沈黙を抱いて歩いている。一人として同じ人間などいない。これこそがまさに人がそこに住んでいるという現実である。これが人の住む世界というものなのだ。

 そしたらもう堪らなくなって、クーの身体は自然と動いていた。
 並び立つ屋根を飛び越え、このオヴィット区画の先へと飛び跳ねていく!

「あのバカクーめがっ! 追うぞユニス!」
「はい!」 
 目の前の喜びに夢中のクーは、楽しさのあまり王都中心部へと向かったのである。…しかも一人で…。

 それと同時に、周囲の家の影から何人もの男があわてて飛び出していく。女王がやとっているバフキー率いる盗賊ギルドの面々であった。表向きはバスタークの護衛補佐だが、真の目的はクーをこの区画から出さないための人員であった。クーが他の区画へいけば騒ぎが起きる。それを嫌っての事であったが……。

「おーおー、頑張ってるねぇ、バフキーの旦那だんなは。お仕事ご苦労なこって…。」
 そんな中で少しもあわてていないバスターク。彼には分かっていたのだ。ユニスやペンギンの手に負えない娘が、盗賊ギルドなんぞの手に負えるわけがない、と。…なにしろ常識が通用しないのだから、イメルザの思惑おもわく通りになどいくはずがない。

「しかたねぇーな。じゃあ俺は……、飲みにでもいくかねぇ。」
 そう言うと、バスタークは皆が向かった方向とは別の方へと歩いていく。どこぞで休憩するつもりなのだ。どうせ捕まえるのは無理なのだから、あとで探したフリをして戻った方が楽だと思ったからだ。
















 世界は広い。とてつもなく広い。

 それはクーが昔、森の木に登って見た世界以上で、想像の遥か上をゆくものであった。

「おい、なんだあれ?」
「……人がいるぞ! 誰だ?」
「あんなところに人が! ……あれ、なんで髪が青いんだ??」

「どうしたんだ?! 自殺志願者か? 早く衛兵を───」
「きゃあ! 落ちるわよ! 誰か早く助けを!!」
 金属と岩で作られた尖塔せんとうガルパデ。それは商業を司る南地区ハサーズのシンボルである。
 そこに、屋根から屋根にサルのように飛び移って、塔へと抱きついたクーが居た。とてつもなく楽しそうに下界を見下ろしている。

 3年後の水竜の祭典に合せて建設が進められており、今年になって20メールほど、約70%まで完成している塔であった。魔法による強化が施されているため、強風や嵐による自然災害で倒れる心配は皆無だが、先日、投身自殺が出たという事で、工事は中断で、周囲は立ち入り禁止にされていた。

「おーい! おーい! いっぱい人がいるですよー! おーい!」
 そんな事とはつゆ知らず、元気いっぱいに手を振るクーは当然のように注目を集めていた。まさか自分が自殺志願者だと思われているなど微塵みじんも考えてない。ただただ、嬉しくて嬉しくて、一生懸命に手を振っているだけであった。

「降りろー! 降りるんだー!」
「思いとどまれー! 自殺なんてしちゃいかんぞー!」
 下からする声が答えてくれているものだと勘違いしているクーは、何を思ったか、ここはアピールが必要ですよ!とばかりに、さらに上へと登り、か細い鉄のさくに登り、……そのまま逆立ちしてみる事にした。

「てやー!」
 しかも腕一本での荒技あらわざである。

「うおおおおー! やめろー! 死ぬぞー!」
「きゃあああ! 誰かぁー! 早く救助をー!!」
「衛兵は何やってんだ! 誰でもいいから助けてやれよ!」

 当然のように下界は大騒ぎとなっていた。そして時間が経過するごとに騒ぎは大きくなり、話を聞きつけた人々が集まってくる。 

「えーとえーと、じゃあ次はバク転するですよー!」
 見たこともない人の山。その勢いに酔うかのように、大はしゃぎのクーのパフォーマンスは激化していく。まさか鉄の柵が折れ曲がっているなどとも知らずに…。

「…ぬ! なんだこの人の山は!」
「ランバルトさん、あそこです! クーがいました!」
 クーを見失って30分…、ようやく見つけ出した二人ではあったが、人垣ひとがきに埋もれて先に進める状態ではなかった。ランバルトの力がいかに強大であろうとも、その体はヌイグルミのままである。しかも、いまは完全にパワーがゼロだった。2週間眠り続けてもなお、ようやく身体が動くだけという程度の回復状態なのだ。
 それにユニスも今はただの子供である。大人がひしめく人の波はどうにもならない。

「すいません、通してくれませんか、ごめんなさい───」
 ちょうどその時だ。群集の中から、周囲に響く、よく通る声が届いた。
 人の波を裂くように出てきたのは、16〜7歳ほどの娘である。水竜神殿の信徒の証となる服を身にまとった娘であった。

「おお、マリア様!」
「司祭様だ! ちょうどよい所へおいでくださった!」
「いや、良かった。これで安心だぞ!」
 多くの者がその女性の登場に歓声を上げた。彼女の名はマリア。水竜神殿において、司祭見習いとしてバスタークに従い、そしてこの度、彼の転属により司祭へと臨時昇格した話題の信徒である。偶然が重なったとはいえ、10代での司祭昇格は異例中の異例である。派手さはないが、それなりの容姿に、話題性も加われば知名度が高いのもうなづける。

 しかし彼女の人気はそれだけのものでない。彼女がこれまで行ってきた献身的な行動が、この南地区ハサーズのみならず、各地区でも人々の信頼となっているからだ。見かけだけで人気を博すバスタークとは、その質は違うのである。

 彼女はまったく気づいていないが、彼女が思うよりもその支持は大きくなりつつあった。

「やっぱり…、あんなところへ登るなんて……。どなたか彼女の身内を知りませんか?」
 マリアが登っている水着少女について聞くが、それを知る者は当然いない。そして先日の投身自殺を知っているからこそ、慌てている。いや、自殺者が出たような塔に登る輩が、遊びで登るわけがないと考えるのは、当然の事だろう。

「そこの方、早まってはいけません! お願いですから、動かないで!!」
 マリアのよく通る声はクーの耳にも届いた。いや、クーだからこそ聞こえたというべきか。…それを聞いたクーは、顔を不満げにほおふくらませる。

「むぅ! せっかく登ったのに降りるですか? クーはヤですよー。せっかく沢山集まったっていうのにー。」
 遥か15メール上のいるクーは、すっかり邪魔されたと思い、とっても不機嫌である。非常に見当違いの怒りなのだが、登っては危険だとは知らないクーには、無理もない事だ。

「皆さん、とにかく布団やクッションになるものを! 下で受けとめられるように! お願いします!」
「おお、任せておけ! マリアちゃん!」
「マリア様のいう事に従うのじゃ! 何をしとるか!」
 彼女の指示は烏合うごうしゅうを動かす。人は危機に直面した時、冷静に判断する思考をうしないがちである。普段ならすぐ考えられる事でも、的確な指示を受ければ動けるものなのだ。マリアがバスタークの後任で司祭になったのは、ただのかざりではない。水竜神殿の司祭という役職は飾りでなれるものではなく、彼女にはそれ相応の人を導く才能があったからだ。

「マリア様…、私達はどのように…?」
 そう問うのはマリアに従っている配下の信徒で、彼女より少し年下の娘達だ。同行してきた彼女らも慌てるだけで指示がなければ動けないようであった。

「貴方達は神殿支部へ走り、魔法を使える人を呼んできて。それに衛兵もお願いね。慌てずに急ぐのよ? 転ばないように。」
「は、はい!」
 指示を受けた娘達は慎重しんちょうな足取りで走っていく。ほんの少しの間で、マリアは多くの者を動かした。まさか塔に登っているのが、水竜の娘だなどとは知るよしもないが、それでも非常時の対応としてはこれ以上はない。

「おやま、マリアじゃねーか。あいつも頑張ってんなぁ。」
 そんな姿を見ていたのは、カツラをかぶって変装したバスタークである。彼はさっそく酒瓶を片手に一杯ひっかけていたが、面白い騒ぎが起こっているので様子を見に来た。クーが当事者というのは予想していたが、慌てても仕方が無いのであきらめている。

 そこで2週間ぶりにマリアの姿を見つけたというわけだ。司祭へ昇進したのは聞いていたが、相変わらず真面目なようである。バスタークは人垣をするりと抜けて、マリアがよく見える少し高い位置に座った。弟子の成長を見てやろう、……という口実で酒のさかなにしているわけだ。

「ま、どうせあの嬢ちゃんは死ななねーだろうし。」
 彼の余裕、それは自身の魔眼がクーの死を告げてはいない事にある。どういうわけかクーの寿命は見えないのだが、もし死ぬのなら今の時点で何かしら見えているハズだ。だから見えない理由は他にあるはず。そう考えればいま死ぬわけがない。…そう考えるのがバスタークがこれまで見てきた多くの死から学んだ勘というものであった。何人もの死を見てきた彼だからこその直感は、外れる事のない確証じみた感覚を持つ。

「ん?」
 ちょうどその時、目の端で捕えた人影に覚えがあった。ボロの衣をまとった乞食こじきのような格好をしてはいたが、間違いなく盗賊ギルドの熟練者の一人である。先日、クーの暗殺に出向いた一人だ。いまは女王の命令でユニスを影から護衛する役目を負っているらしい。それが近くにいるという事は、ユニスも近くにいるという事だ。

「ふ〜ん、みんな仕事熱心だよなぁ。…で、うちの王子様はどう動くのかね。」
 バスタークはすでに他人事となった状況を全て察した上で観客となっている。そして、ガキのくせに末恐ろしいユニス王子はどうやって竜の姫様を救うのか、と楽しみにしていた。

「おおおおお、クーよぉぉぉ! た、大変だ! クーが死んでしまう! クーが落ちたらケガしてしまう! ああああああああああああああ…、どうするのだ? どうすればいいのだ?!」
「落ち着いてください、ランバルトさん。とにかく落ち着いてください。」
「そ、そうだなっ! 落ち着け私! と、とにかく…落ち、落ち、落ち着けるかああああああああ!!」

 塔の騒ぎを聞きつけて到着したユニス達ではあったが、さっそくランバルトが錯乱を始めてしまい、いきなり困ってしまった。ユニスとしては彼女に知恵を貸してもらおうと期待していただけに、いきなりつまづいてしまう。

「…僕がなんとかしなくちゃ。ランバルトさん、とにかく今はここに入っていてください!」
 ひとまず、ランバルトを近くの商店で買った背負い袋へと入れる。問題はこの野次馬で埋め尽くされた人垣だ。子供の体格では通り抜ける事ができるかもわからないし、時間を食うだけだけでなく、ちゃんとたどり着けるかさえもわからない。

「でも、やってみなくちゃ!」
 ユニスは自分自身へと魔法を使う事にした。それはあの日と同じ瞬間移動の魔法。高位魔法であり、場所の指定には座標を熟知している必要がある。上級者でも成功は100%ではない、という難易度だ。…だが今は、難易度など気にしてはいられない。この人垣を越えて、クーの元へと行くには、瞬間移動の魔法が最速であり、最適なのだ。

「お願いだ、僕の魔力よ…。僕をクーの元へ、あの場所へと移動させてくれ!」
 あの時のように身体の中で魔力がはじけようとしていた。しかし今回はあの時とは違い、無意識下での使用ではない。自らの意思でクーの元へ行き、そして助けたいと願っての事だ。最悪、失敗は死なのかもしれない。…だが、ユニスにはそれよりも大切な想いがある。

「光の道の先へ、疾風のごとく我が身を運べ─── 魔法発動・テレポート!」
 確率は著しく低い、しかしユニスはそんな障害をものともせず、目に見える範囲というだけの無茶な挑戦を試みる。
 満ちた魔力は彼の言葉に応じて詠唱えいしょうを理解し、クーを想う心のままに、目指す場所へと光と化して転移させる!

 魔力が弾けた瞬間、突然の突風を感じたユニス…。
 ───目を開けば、もうそこは違う場所、それは塔の天辺、クーのいる場所だ。

 瞬間移動は成功した! 彼は一瞬にして、あの地面から15メールもの高さの場所へと転移しただけでなく、正確な着地点への着地を成功させたのである。

「や、やった! 成功した…! も、もう、クー! なにやってんの。みんな心配してるんだから、早く降りようよ、ね?」
「ありゃ! ユニスも来たですか! すげーですよ! 下を見てみるですよ! 人があんなに居るですよ〜!」
「下を?」
 眼下に広がるのは、心の底から震え上がる高所。わずか14歳の恐怖心をあおり立てるには十分な威力である。

「うわああああああ!! た、た、た、高い……。」
「高いですよ〜!」
 せまい足場になんとかへたり込んだユニス。魔法が成功したまでは良かったが、自分が高い場所で平気かどうかまでは考えていなかった。こんな高所で、しかも不安定な場所になど立った事のないユニスにしてみれば仕方が無い事だ。むしろ、まったく気にすらしていないクーの余裕の方がトンチキなのだ。

「おおおおお! クゥ〜〜〜〜よーー!!」
 その声と共に背負い袋から飛び出してきたのは、言わずと知れたランバルトである。彼女にとって、クーが無事であるのを確認すれば、もう怖いものなどありはしない。

「ふふん、喜べクーよ。私が来たからにはもう安心だぞ! …ん? ユニスよ、何をへたっているのだ? だらしの無い。」
「そ、そんな事を言っても…。」
 可哀想なユニスである。きっとイメルザがいまのユニスの置かれた苦境を見たら卒倒するだろう。

 それよりも問題なのは下界の方だ。
 いきなり人数が増えた事に誰もが驚き、さらに混乱している。

「と、とにかく、もう少し頑張ってくださいー! いま神殿から救助が来ますー!」
 その耳慣れない声を耳にしたランバルトは、下で声を張り上げている娘を目にする。さきほどから、司祭のマリアがはげましの言葉を送っていたのだ。それに合わせて周囲の人々も声援を送っている。

「ふむ、うるさい奴らだな。クーがこの程度で危機なわけなかろう!」
「ですよ!」

「……ラ、ランバルトさん…、さっき錯乱さくらん…してませんでしたっけ?」
「知らん! そんな臆病者おくびょうものは見たことも聞いた事もない!」
「ですよ〜。」
 さんざんなユニスである。

 …とはいえ、高所におびえながらも、ユニスは状況を分析していた。

 ランバルトさんはともかく、クーや自分はこの高さから落ちたら、ひとたまりもない。下界では布団などが集められており、落ちたときの衝撃をやわらげようとしてくれているけれど、この高さでは無意味に近い。10や20程度の寝具では衝撃を吸収し切れないだろう。
 最良なのは、もう一度テレポートの魔法を使って戻る事なのだけど、足が震えて立つ事もできない自分が、もう一度それを成功させられるかは怪しい。それに失敗して着地点を見誤れば、即死しかねない。来るのは楽でも、帰るのは容易ではないのだ。

「くっ…、僕は…何をやってるんだ…。もっとしっかりしなくちゃ…。」
 クーが心配で、とにかく助けに来る事だけを考えすぎ、その後の事を考えていなかった。その辺りはユニスもまだまだ浅はかである。そして彼自身も、自分の愚かさが身に染みていた。


「さてとー、そろそろ降りるですよ。」
「ふむ! もう降りるのか。物足りないな!」
 余裕綽々しゃくしゃくで語る笑顔のクーだが、この顔はまさか…”一番てっとり早い方法で降りる”つもりではないだろうか? まさか、いくらクーでもそこまで単純ではないだろう…とユニスは願ってみた。

 しかし…、

「さて、ユニスも行くですよー。」
「うむ、さあ行くぞ。」
「ちょっ、ちょっと待って───!」
 そう言うが早いか、クーはそのままユニスの手を引き、頭にランバルトを乗せて、なんの躊躇ちゅうちょもなく飛び降りた!! 同時に、彼女らの体重を支えきれずに崩落ほうらくした足元の鉄柵が、音を立ててくずれてゆく!

「うわああ! 落ちたぁーー!」
「きゃあああああああ!」
「ダメだぁぁぁー!」
 野次馬達の悲鳴や絶叫が響く中、クーは嬉しそうに笑いつつ、その言葉をつむぐ!

「輝け! 願いの紋様っ! クー達が落ちるのを遅くするですよ!」
 その言葉に反応し、クーの右腿みぎももきざまれた幾何学的きかがくてきな印、紋様もんようあたたかな灯火ともしびのような輝きを放つ! 

 するとどうだろう? 急にクー達、それに破損はそんした鉄棒の落下速度がゆるやかになった! クーが自らの持つ”願いの紋様”に願いをたくした事でその力は発生したのである。ユニスもクーの紋様が力を持っている事は知っていたが、まさかこんな使い方ができるとは思ってもいなかった。
 ふわりふわりと綿毛のように、橙色オレンジの光に包まれながら、ゆっくりと地上へと降りてゆくクー達。もう完全に駄目だと悲鳴を上げた全ての野次馬達は、その不思議な光景に魅入られ、思考する事さえも忘れていた。

 …この都市の者達は、それなりに魔法の力というものの恩恵おんけいがあり、それゆえに知識は持っていたが、全員がそれを熟知しているわけではない。浮力をコントロールする魔法など、実際に目にした事がある者はけして多くはないのだ。

 しかしそれ以上に、もっと驚いていたのは、魔法を知っている者達である。

 確かに落下速度をコントロールする魔法はあるにはあるが、長い詠唱と集中に時間を掛け、ようやく行使できるものなのだ。…それを詠唱時間もなく、何かを叫んだだけで使えるなど常識では考えられないものである。


「はー、面白かったー。…あれ、みんなどうしたですか? 変な顔ですよー。」
 灯火の輝きが消え、地面へと着地したクーは、そこでようやく人々の顔がほうけているのに気づく。魔法を知る者、魔法を知らない者、一人残らず、その場の全ての者が言葉を失っており、クーの問いに答えられる者は一人もいない。

「あ、あの……、あの…貴方、大丈夫…ですか? 怪我けがは…?」
 目の前に着地したクーへと、なんとか言葉をしぼり出したマリアであったが、彼女もまだ目の前で起きた現象を理解できておらず、混乱したままで声を出した。声を出せただけでも大したものである。

「おー! ピンピンしてるですよ! …あ、そうかー。」
 人々が混乱したまま状況を見守る中、クーは、ぽん、と手のひらにこぶしを打ちつけ、何かを了解したようである。


「こんちわーー! 水竜のクーでーす! よろしくですよ〜!」
 元気に両手を広ろげて、でっかい声で自己紹介。

「やるな、クー! では私も自己紹介だ! 心して聞け、その辺の愚民ぐみんども。…私の名はランちゃん! 現在の私は世界最強のヌイグルミだ。」
 ランバルトがクーに続いて自己紹介。えらそうに胸を張った。

「……すいません、お騒がせします。この国の王子でユニスです。本当にご迷惑をおかけしました…。」
 そして、高所でヘトヘトになったユニスが、申し訳なさそうに頭を下げた。

 マリアを始め、その場の全ての人々がさらに困惑こんわくしたのは言うまでもない。
 そしてこの話題は、この後1年にも渡り、ラファイナどころか、近隣諸国までもを騒がせた珍事ちんじとなった。







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