私、魔神ランバルトの全てはいま、この暗闇にあった。
ここは闇に沈む霧世界であり、現世と冥界の狭間に位置する特殊領域『那由他の果て』。
全ての理から隔絶されたそこに生命の息吹はなく、無限に等しい広さと高さを保ち、未来永劫普遍ともいうべき刻を重ねる果てなき世界である。
その内に僅かに光る3つの魂が在る。認識しうる距離を遥かに超越した、広大という言葉さえも生ぬるい空間で、たった3つ。砂漠で塵の一つを探すような中に私達はいた。
四肢の自由を奪われ眠るだけの魂。皆、何一つ変わらぬまま、けして出会い交わる事もなく、ただ夢現の中を漂いながら刻を過ごしている。私達は『咎人』と呼ばれていたからだ。
……遥かな昔、人の文明が神の手に届くほど時代に生まれ、
それを崩壊させたという名目により『咎』を受け、ここへと封じられる事となった。
それを行ったのは”奴”だ。
奴の傲慢極まる解釈と卑劣な行いにより、我々はここで時間を刻む事を強いられた。そしてさらなる責め苦を与えられる。動けず、意識も定まらないなかで、奴はある記憶を我らに見せたのだ。
繰り返されし記憶……、それは文明が崩壊する一部始終を余さず写した映像である。
我ら3人と、地上に蔓延る異形の獣、そして”あれ”とが争った事で破壊していく人間の世界。神に届くかと思われた人類の英知は一瞬にして消し飛び、なす術もなく潰れる人間、壊れる人間、食われる人間達…。普通の人間ならば目をそむけたくなるような光景が、繰り返し、繰り返し、現実のように脳裏に浮かぶ。
強制的に見せ付けるのだ。罪を認識させるのが目的らしい。
ふん…、くだらない。人間などがどう朽ちようと瑣末な事だ。
惰弱で愚かな人間どもがいくら死のうと、私には関係がない。私には興味すらない。崩壊の記憶を何度も見せる事で罪の意識を養おうとでもいうのか? 情を喚起させようとでもいうのか? 姑息な”奴”の考えそうな事だ。実にくだらない。
しかしその記憶には、私がたった一部分だけ気に病むシーンがあった。
何よりも苦痛だったのは、尊敬すべき姉が苦しむ姿、愛しき妹の泣く姿だ。封印される瞬間の、我が姉妹の痛ましい姿が繰る返される度に私は心を痛める。
そして、繰り返される度に憎むのだ。
我らをここへと封じた”奴”を、……あの『神』を名乗るあの男を!
だが、どれだけの怨念を抱いても、復讐を果たす事は叶わない。肉体は霧散してしまったかのように感覚を失い、動く事さえままならないのである。幾日、幾年を拘束されたまま過ごし、繰り返される記憶を見る。その分だけ恨みを増す事しかできなかったのだ。耐える事しか選択できなかったのである。
……賢き姉ならばきっとこの屈辱さえ乗り切れるだろう。しかし妹は違う。あの子は儚く、淋しがりやで、そしてまだ幼い。このような仕打ちを同じように受けているかと思うだけで、悲愴の念を感じずにはいられない。
神め! なぜ姉や私だけでなく、妹までも同様の責めを問うのか? あの子が一体なにをしたというのだ?
…だが、その叫びさえも闇に飲まれて消えうせる。けして動かぬ身体は枷となり続ける。
今はただ、耐える事しかできない事が、あまりにも口惜しい。
───そんな無為な時間がどれだけ流れたのだろうか。
もはや数える事さえ忘れた年月のうちに、私は意識の奥で小さな声を聞いた。
なにか懐かしいようではあるが、聞き覚えのない声。
……ただなんとなく、自分は呼ばれているのではないか、という気がする。半ば眠りのような状態にあった混濁する意識の中、それを頼りに意志を一つに重ね合わせていく。
すると、その声はより一層、耳に届いてくるようだった。
誰かが願っている。私を必要としている。
そう認識すると、今度は四肢の感覚が戻ってきた。呼び声が封印を退けようとしている? たかが呼び声に神の封印が破られようとしているとでもいうのか?
しかし、私への封印が弱まり、解け掛かっているのも確かだ。ならば、私はこの声に感謝し、縋りつかなければならない。元の在るべき”外”へと出るためならば。
封印された身体は自由が利かないが、意識さえ戻ればこちらのものだ。まだ完全復活するには時間がかかるだろうが力は蓄えられる。隔絶された人の世に戻るためには、力を使わなければならないだろう。
しかし問題があった。その呼び声が細ければ、私は力を維持できないようなのだ。声が弱まり届かなくなると共に、結集しつつある力さえも再び失われていく。私には、それが命の綱であり頼りであった。
嗚呼、声が届きさえすれば、力を元に戻せるというのに!
私の”境界を司る力”で、こんな程度の空間など切り裂いてしまえるというのに!
声が聞こえると共に力を戻し、遠のいては消えるという奇妙な日々が何年も続いた。
しかし、ここ数年はそれは次第に大きく、強くなっているようにも思う。私はその度に力を蓄え、この忌まわしき封印より脱するべく時を待つ。
そして、とうとうその日はやって来た───。
解放の日。
姉と、そして妹を、このような目に遭せた敵、神を滅ぼすための復讐が開始される日が。
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