水竜クーと虹のかけら

第一部・01−2 「クーと父ちゃんとお友達」
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皇樹暦すめらぎのきれき645年  アーウェイン海───


 あおの色彩に惜しみなく光を採り込む海はおだやかで、たゆたう水面みなもは太陽の輝きを秘めて輝きを放つ。それはまるで宝石のようで、深く深くき込まれるようなあざやかさ。周囲には島の一つさえも無く、空と海とその境界だけが見渡す限りに続いている。
 夏という季節が近い事もあり、空を行く鳥達は忙しそうに行き交い、舞い踊る海風を涼しげに身に受けて満足そうだ。無限の広がりを持つ天空へと響き渡るのは、波と風と嬉しさの含まれる鳴声である。さんざめく風の詩が命の息吹を強く感じさせてくれている……。

 この海はいつもそうだ。穏やかで温かく、そして活気に満ち溢れている。自然がもたらす恵みと生命が、螺旋らせんのように長く長く続いている。


 そんな海原の下の下、ずっとずっと底の方には、いまだ人の目に触れた事の無い神殿があった。き通る海水からし込む陽光が、そこだけを特に明るく照らしている。

 全てが簡素な飾りの石で組まれたそれは、取り立てて装飾そうしょくが美しいというわけではなかったが、海底をいろど珊瑚さんごの林、色とりどりの海藻類の繁茂はんもによって、まるで花壇に囲まれたようにはなやかである。自然との調和による美というものだろう。

 神殿を形成する白乳色の石材は、生命の鼓動こどうを感じさせるかのように、それそれがあわい光を放ち、建物自体を温かくおおっている。
 …おどろくべきことに、それらは人が作るそれよりもはるかに大きく、その正面の入口だけでも雄に20メールはあろう高さである。もちろん柱の一本一本さえも想像を絶する大きさで、それ一本だけで、断崖絶壁だんがいぜっぺき一つをくずして削り出してきたか、のような見上げる程の巨石である。そして、部屋も、祭壇さいだんも、床石でさえも、その全てが大きい。
 それもそのはずだ。ここに住んでいるのは矮小わいしょうたる人間ではない。太古の時代から生き抜く水を司る竜、神の使いとして生きる神聖な獣なのだから。



 竜───、それは計り知れない膨大ぼうだいな知識と、無限を誇る戦闘能力をあわせ持つ至上の生物。その巨体は山に届く程と言われる伝説の獣である。
 人間達に”ドラゴン”としょうされる彼らは、脅威と畏怖いふと信仰の対象にされる神のごとき存在。この世の何者よりも鋭い獣牙じゅうがと、絶対的な破壊力をたずさえた膂力りょりょく、そして背に持つ翼を広げれば、その巨大さに天空さえもおおい隠すとまで言われる生物の頂点に君臨くんりんする覇者はしゃ。神の使い……。
 それ程の神獣がこの数千年もの長き間、何事も無くここを住処すみかとして暮らしているのである。

 そして面白い事に、神殿の内部は全て空気に満ちていた。まるで巨大な気泡が神殿自体に溜め込まれているかのようである。人が到達すること叶わない深海だというのに、その神殿の全てに空気の満ちた空間で、しかも明るい。まさに、竜という神秘の生物だけが持つ奇跡の御技と言えよう。


 そんな、不可思議であり、とてつもないスケールの存在が住まうその神殿には、
 いま、たった二人の”人の姿”が在った……。

 人間でいうところの”村”一つ分ほどもある広間。彼らにとってのリビングには、低く響く男の声だけが響いている。身の丈2メールを越えるかという筋骨隆々きんこつりゅうりゅう体躯たいくを持つ巨漢きょかん。そして、腕や足、背中や顔など、体の各所に幾何学的模様きかがくてきもようを刻んだが大男である。

 彼は胡坐あぐらをかいて座りこみ、指でつまむのも精一杯、という程に小さな本……絵本を、目の前の床にぺったりと足を伸ばして座る幼子おさなへと読み聞かせていた。

 それは、彼からすればあまりにも小さい、ごく普通の人間の姿の幼子。
 見た目通りならば、まだ5〜6歳といったところだろうか…。彼はその子に向かい、絵本を読み続ける。





「───それは遥か昔、気の遠くなるような昔の話です。


 この世界には、とてもとても悪い3人の魔神がいました。

 天空と無限を支配する魔神トリニトラ
 海原と境界を支配する魔神ランバルト
 大地と生命を支配する魔神グロリア

 その魔神達はそれぞれが恐ろしい力を持ち、破壊の限りを尽くして、人々を困らせました。

 見兼みかねた神様は、一人の勇気あふれる人間、「勇者」と呼ばれる者に力を与えました。
 無限の力を宿やどす”太陽の力”を与えたのです。

 勇者はその力を使い、魔神と戦いました。
 そして、7日7晩の後にその全てを倒す事ができたのです。

 そして神様は────」


 バシッ…!

 そこまでを読んだ巨漢の男は、急に朗読ろうどくしていた絵本がはたかれたのを感じた。
 かわいた音と共に叩かれた絵本。彼のその大きな指先から飛ばされ床をすべっていく。

 それを目で追う男……父親は、一瞬だけ呆気あっけにとられたものの、それが話を聞いていた目の前の幼子、我が娘がやったのだとわかると、なんとも悲しそうな顔を向けた。

「これ、クーよ。パパがご本を読んでいるんだから───」
 困ったような声を向ける竜の父親だったが、娘は顔をそむけてむくれている。

きたです。もう、ご本なんかやーですっ。」
 機嫌悪そうにしている幼子はそっぽ向いてしまい、父親はそんな我が子にすべも無い。……これまで、機嫌が悪い事は何度かあったが、元来が明るく素直な子であったので、このように手を出した事など一度もなかった。
 なのに、まさかこの父の手を叩くなど……何を言っていいものか、と困惑こんわくするしかなかった。いくら父だとて、その理由を知っているだけに怒る事もできないし、自分が原因を作っているだけに怒る立場にさえない。

 人間の年齢にしてまだ5歳ほど。今は亡き妻の面影おもかげを色濃く残すその幼子は、ほおふくらませて不機嫌をたもっている。お気に入りのヌイグルミ(ペンギンをかたどったもの)を力いっぱい抱きしめている様をみると、かなり不満であるようだ。いや……かなり程度で済むはずがない。さすがにもう限界まで怒っているのだろう。

 この娘の名は『クー』。竜の血族にして我が娘、人間と水竜の血を半分づつ持っている。その眼差しは亡き妻とうり二つだが、蒼の髪と緑の瞳は我が身から受け継いだ水竜のあかしである。
 光輝く蒼い髪は海底にありてなお美しく、しおに流れし陽光を受けた帯のようになめらか。大き目のひとみいろどり深い緑色のエメラルドのよう…。
 竜でありながら人、人でありながら竜である我が娘クーは、彼、『水竜バオスクーレ』にとっては何よりもとうとく、愛らしく、目に入れても痛くない存在だ。痛くないどころか、娘こそ彼の全てといっても間違いないだろう。

 しかし、その愛娘まなむすめはこの父の手をけ、不機嫌なまま目も合わせてくれない。
 親としてこれほど悲しい事があるだろうか?

 バオスクーレは太古より生き抜く神の使い、神獣たる竜だ。生物の頂点たる力を持っているというのに、……たった一人の愛娘にはまったく対処できない。それどころか、その瞳には涙を浮かべて弱りきっていた。どんな強敵にも負ける事のない彼でも、クーを相手にすればただの父親。娘の不機嫌にうろたえ、なす術もない父親という悲しい生物なのである。

 彼はその巨体をのそっそりと動かし、緩慢かんまんな動きのままで絵本を拾う。その間、クーの方をみても、わざと視線をらして顔を背けてしまう……。もう…、パパはもう泣そうだった。


「なあ、クーよ…。もう機嫌を直しておくれ。パパが遊んであげるからいいじゃないか…。」
 ここまで反抗するのは年頃のせいというわけじゃない。理由は簡単なのだ。しかし彼はそれを許すわけにはいかなかった。クーにそれを許してやる事ができなかったのだ。

「ちっとも良くないです! クーもお友達欲しーですっ! お外に出たいです!」
 これで本日5度目のセリフに、パパは頭を悩ませる。クーの言う事はもっともなのだ。もう人間の年齢で5歳になる。人間ならば同年代の子供達と遊んでいてもおかしくない年頃だ。

「しかしなクーよ。お友達なら、そのヌイグルミのペンコがいるだろう?」
「やーだーーーー!! ペンコさんはしゃべらないもん! お友達だけど、お友達じゃないです!」
 抱きしめているヌイグルミ。それは彼女の一番のお気に入りではあるのだが、ペンコは所詮しょせんヌイグルミである。多感に成長する子供にとって、話さず遊べもしないヌイグルミなどにどれ程の価値かちがあるのだろう? 子供は子供同士、同年代で遊ぶのがのぞましい。それはバオスクーレもわかっている。分かっているのだが……。

「でもなぁ、クー。普通の生物は……いや、人間だってそうなんだよ。何度も言うが、彼らは寿命じゅみょうが短いんだ。すぐに年老いて死んでしまう。それに外は危険がいっぱいだ。怪我けがなどしたら大変だろう? いい事なんかなんにもないんだよ。」
「やぁ〜〜〜〜〜〜だあ〜〜〜!!」
 ペンコの腕を持って振り回すクーに、そんな理屈は通じない。どうあってもお友達が欲しいし、遊びたいのだ。それを駄目だと言うのだから、非は当然彼のほうにある。クーの怒りも当然だろう。


 だが、バオスクーレは知っている。人間は寿命が短いだけの生物ではない事を。


「クー、それだけじゃないんだ。人間は悪い生物なんだ。人間は嘘をつくし、人間はすぐ裏切るし、見捨てる。人間は───最低の生物なんだよ。」
「父ちゃんの言う事の方が嘘ばっかりですっ! クーはまだ誰とも遊んでないのに、そんなのどうだかわからないじゃないですか! クーはお友達と遊びたいですよー! 人間のお友達が欲しーですっ!」

 水竜バオスクーレは人間が嫌いだった。
 彼の言葉通り、人間はおのれの欲にしか興味きょうみがない。他人がどうなろうと構わない。足にしてでも、相手を殺害しようとも自身の欲をかなえようとする。
 人間の欲は際限がなく、どこまでも終らない。自ら進んで、いくらでもごうを背負う生物。自然界において最も有害な生物。そういう節度のない生物、それが人間なのだ。
 だから、人間という悪慾あくよく純粋無垢じゅんすいむくなクーに近づけたくなかった。


 確かに、最初は人間とも仲良く遊べるのかもしれない。しかし、もし人間がクーを人ではないと知れば、迫害はくがいするのではないか? 人間は自分と違うモノを認めない狭量きょうりょうな生物なのだ。
 ……いや、中にはそれを知りつつも利用するやからもいるかもしれない。人間は欲のためならどんな汚い事もさないからだ。
 もしそのどちらでもないにしても、彼らはすぐ老いる。クーと同年代であるなど、刹那せつなの時しか持たない生物なのだ。そういった要因よういんを持つ人間などを近づける。それはただ、クーを悲しませるだけではないのか?

 それでクーが悲しい思いをするくらいならば、最初から人間と接触せずに、水竜としての役目を果たしてもらいたかった。その命続く限り、『太陽の宝珠』を守るという水竜の存在意義たる役割に従事じゅうじして欲しかった。……それが神より与えられた使命であり、結局、娘の幸せにつながる道なのだと強く想っている。


「クーはお友達ほしいのっ! たくさんお友達ほしー! 父ちゃんの馬鹿馬鹿大馬鹿!!」
 ついには床に寝転んで手足をジタバタとさせるクー。膨大な知識を持つはずの彼も、こんな時どうしたらいいのかわからない。
「……まったく、博学はくがくと言われた竜の知識など、アテにならんものだなぁ…。」
 バオスクーレはあばれる娘に触れる事さえできず、おたおたと見守るだけでなぐさめる事さえできない。妻が生きてさえ居れば、こうなる事もなかったのかもしれない。

 いや、もし生きていたとしても、人として生まれた彼女は我々とは寿命が違いすぎる。いま生きていたとしても、きっと老衰ろうすいしていた事だろう。10年で1歳分の成長をする竜の一族が、人間と子を成せばどういう結果になるかわかっていたというのに。


「もういいです! クーは父ちゃん嫌い! 大大大嫌いです! もう知らないっ!!」
 クーは勢いよく立ち上がると、ペンコを抱きしめて走り去る。遺されたのは乱暴に叩かれて開いたままの絵本と、広すぎる神殿を包む静寂せいじゃくのみ……。バオスクーレは走り去った娘が消えた通路の先へと視線を送ったままで、深く肩を落とした。その瞳に浮かぶのは、これまでの困った顔とは違う、純粋な悲しみであった。

「なぁ、クーよ……。人間はな、だめなんだよ……。」












 水竜神殿2F・『太陽の間』───。

 神殿の中心部に位置するそこには、水竜バオスクーレが、神より預かり守る事を命じられた『太陽の宝珠』が祭られている。
 神よりたまわった御言葉によると、これは【星の】とも呼ばれ、この星や月、太陽までも生み出すもととなる程に膨大な力を秘めた宝珠なのだとか。神界でも極々わずかしか存在し得ない生命の源、星の卵であるという事らしい。
 神はあの絵本に書かれていた通り、この力を『勇者』に貸し与えた事で、魔神達を封印したのである。

 バオスクーレはその全ての詳細しょうさいを知っているわけではなかったが、神より生み出されたしもべとして、これを確実に守る義務ぎむがあった。それは彼にとっての誇りであり、存在意義でもある。
 だからこそ、あの戦いより一千と余年も、こうして大切に守ってきたのだ。

 この太陽の間は神の奇跡と宝珠の力を利用した多重結界により守られている。水竜以外は触れることはおろか、神殿にすら浸入しんにゅうすること叶わない。だからこそ、『太陽の宝珠』は、長い間、この広間の中心に鎮座ちんざし続けている。
 その絶対無比の強固な結界と、宝珠を察知さっちする水竜の能力によって危害きがいを加えられる心配はなかったため、バオスクーレ自身もここへ立ち入る事はほとんどなかった。それゆえに、今は……主にクーの秘密の隠れ家にもなっていた。

 彼もクーがここに入っているのは知っていたが、今後、クーが後を継ぐ事を考えれば、接しておく事もよいと考えたため、見てみぬふりをしている。クーはいつも元気で暴れる事もあるが、大事なものがある場所では暴れたりしない。だからこそ、である。


 ……さて、父に大嫌いをげて駆け出したクーは、今日もやっぱりここへとやって来ていた。
 唯一ゆいいつのお友達、ヌイグルミのペンコはゆかの上にテキトーにほっぽり投げてあり、肝心のクーはといえば、中心に置かれた宝珠の台座に向かい合っている。



「ねー、太陽ちゃん、聞いて欲しいですよ。父ちゃんってばヒドイですよ。クーがお外に出て遊びたいっていうのを許してくれないですよー。」
 幼くして母もなく、話を聞いてくれる者などいないクーにとって、唯一話せるのは父だけだが、それでも父と話したくない時もある。そんな時はいつもこうして、特別な存在である『太陽の宝珠』の元へとやってきて、愚痴ぐちを洩らしていた。ようするに文句の”はけ口”になっているわけだ。

「クーもお友達が欲しいのにー。父ちゃんはなんで許してくれないですかねー。」
 台座に両手をのせて組み、その上にあごを乗せて、ぶちぶちと愚痴を吐くクーだが、宝珠は答えてくれるわけでもない。そんな事はクーだってわかっている。でも、生命のみなもととかいうスゴイ力を持っているらしい玉っころなのだから、自分の願いの一つや二つ、かなえてくれてもいいんじゃないか。
 幼子がそう考えるのも、自然といえば自然なのかもしれない。星のなんたら〜と難しい話をされるよりも、彼女にとってはその方がわかりやすいし、夢がある。

「ね〜、太陽ちゃん。クーにお友達ちょうだい? えーっとね、え〜っと……いっぱい遊べて、いっぱいおしゃべりできるお友達がいいです! たくさん、すっごくたくさんいたらうれしいけど、いきなりいっぱいだとクーもこまるから、今は一人でいいですよ。」
 見る角度や時間によって七色の虹のように色合いを変えて輝くその美しい宝珠。いつ見てもキレイだけど……、相変わらず無愛想ぶあいそうだ。幼いながらもクーは太陽の宝珠にそういう印象を持っていた。どうせ、クー達がこれ守るのがお仕事なら、喋ってくれたらどんなに楽しいだろう、とよく思う。無愛想は面白くない。



 当然のように宝珠は返事をするわけでもなく、クーの願いは広間に消えた。
 再び静寂せいじゃくが戻り、神殿の外側で泳ぐ魚達さえも、しらん顔して通り過ぎていく…。



 願いを言ったとて、何が変わるわけでもない。
 でも、願う事くらいかまわないはずだ。夢を持つ事くらいいいじゃないか。

 しかしクーはこうも思うのだ。
 せっかく太陽ちゃんを守ってあげているのだから、少しくらいこちらに恩返ししてくれてもいいのに……と。

「は〜、クーはあわれですよ。」
 そのまんま、台座から離れて背中から床に寝転ぶ。大の字のように手足を伸ばし、遥かに高い天井を見上げると、いまじかに見た事のない本物の太陽の光が揺らいだ水面みなもから、手のひら位の大きさの丸が、まあるく見えている。そこはゆらゆらと揺らぐ水の先にある、けしてとどかない空……。

 クーはこの神殿からも出たことがない。本で読んだりしただけで、本物の空や、本物の木、草、動物も、人間さえも見た事がない。
 成長していくごとに強く夢見るのは、空と海と大地があり、様々な生物達、そしてお友達と楽しく暮らすという光景。目を閉ざせば浮かぶ見た事のない光景。クーはあこがれていたのだ。外の世界に。



 でも、父は許してくれない。ずっとここに居ろという。
 そんなのいやに決まってる。

 でも、神殿から外に出ようにも、水の壁が邪魔をして外へ泳ぎだす事ができない。父の張っている結界のおかげで神殿に水が入ってこないのだけど、クーが出る事もできない。だから、クーは水竜だというのに泳いだ事さえなかった。

 結局、外に出るのは夢でしかなかった。
 夢は寝てから見るだけのもの。足掻あがいても、願っても、いまのクーには叶わない夢なのだ。

 わずか5歳ではあるが、かんの利くクーは理屈抜きで無理だと知っている。
 だから、いまはつぶやくしか思いを外に出せない。



「……お友達一人……。一人でいいから…欲しいなぁ…。」



 これも、数年前から何度となく繰り返してきた事だった。
 いつもいつも、そう願っては何事もなく時間は過ぎていく。きっと自分は、このままお友達一人も出来ずに、お婆ちゃんになっちゃうんだ。…なんて想像さえもしてしまう。



 でも、今回だけは違った。───太陽の宝珠が、突然、輝きを放ったのだ!


「えっ───わ、わああぁ!! 太陽ちゃんが、ひ、光った!??」
 クーの目の前で光度を増していく太陽の宝珠。これまで光もしなかったそれが激しく輝き出したとなれば、おどろくのも無理はない。突然の輝きに目がくらんだクーは、びっくりして飛び起きてしまう。
「あややや! な、なんだか光がどんどん強くなるですよ! クー何にもしてないのに! 父ちゃんに怒られるです!」
 そんなクーにお構いなく、輝きはさらに強さを増していく。こんな事は初めてだし、こんな事が起るなんて思ってもいなかった。それが自分の願いを聞き届けた証だなんて、気付くはずもなかった。

 しかし、その輝きはどんどんと増していき、ついには目も開けられない程にふくれ上がる! クーは光に耐えつつも、不思議な感覚に包まれていた。
 自分の中へと何かが通っていくような奇妙な感じ。気のせいかと思ったけどそうじゃない。これまで感じた事もないような大きな力、すさまじい力が自分に流れ込んでくるような───。

「あ、熱い………足が…熱いよっ!」
 急に右足に燃えるような熱を感じた。流れ込んだそれが、自分の右足へと力が集約しゅうやくされていくようだ。輝きは形となり、円と画を持つ紋様もんようへと姿を変えていく。まるでそれ自体が力をあやつる印であるかのように、クーの身体を熱していく。
 燃えるような高熱。しかし、炎が噴出しているわけでもない。だけど、どうしようもなく熱いっ!! ……一体、自分はどうしたというのだろう? 何が起っているかもわからずに、クーはそれに耐えるしかなかった。

「クー!! どうした! 何があった!?」
 そこへ駆け込んできたのは父、バオスクーレだ。宝珠が異常を発したのを感知し駆けつけたのだ。そして、太陽の宝珠より放たれた力がクーに注がれているのを見ると、その事実に驚く! 自分の持つべき紋様”がクーの足にも現れていたからである!

 自身が体の各所に宿すこの”紋様”は、太陽の宝珠から力を引き出すために必要な鍵、秘められし無限の力を現世に流すための蛇口のようなものだ。それがクーにも現れた。我が娘は、まだ5歳だというのに、7つの紋様のうちの1つを宿した事になる。

 太陽の宝珠を守ることこそ水竜の役目。力を悪用されないため、その力の一部を扱う事が出来るようにするための印がこの紋様だ。いつかは自分のように、7つの紋様が身体に浮き出るとは思っていたが、まさかこれほど早く現れるとは思わなかった。
 これはクーにとっても、自分にとっても喜ぶべき事だ。クーは竜と人との間に生まれた子ではあったが、紋様を宿した事で水竜としての使命を真っ当する事を許されたのだ。親としてこれほど喜ばしい事はない。

「クー、我慢がまんするのだ。お前は水竜の力を得ているんだぞ? 今は苦しいかもしれんが大丈夫。お前はワシの子だ。人間の姿をしていても、強靭きょうじんな肉体を持っている。すぐに良くなるだろう。」
 すでに輝きは収まり、クーの右足、ももの部分には幾何学的きかがくてきな紋様が浮かび上がっている。激しい熱に耐えた事による脱力感のせいか、いつの間にか気を失っている愛娘まなむすめへと優しい言葉をかけたバオスクーレは、そのまま抱き上げてクーの部屋へと運んでいく。



「ああ、神よ…。我が主よ、娘に力をさずけてくださった事に感謝します…。」
 バオスクーレはいつになく上機嫌だった。
 娘の成長を感じ、また将来の姿を描く事がうれしくて仕方がなかった。

 水竜の役目をとう出来ること。それが彼女にとっての幸せであると確信していたからだ。



 ───だから、
 宝珠が発動した原因が何かまでを考えなかった。水竜の力の覚醒かくせいにより、クーの願いが半端はんぱな形で叶えられた事にも気がつかなかった。
 まさか、紋様一つで願いを叶えられるとは思っていなかったのだ。本来ならば7つそろって初めて力を扱えるのだから、たった1つで、力を引き出せるなど考えもしなかった。

 その結果として、”あれ”が現世へと復活してしまった事にも気がつく事はなかったのだ。


 それは神とそのしもべたる竜の怨敵おんてき『魔神』。
 自身で読み聞かせていた絵本にも登場していた文明をほろぼした魔の神。

 そのうちの一人、『海原うなばらと境界の魔神』がすぐそこに舞い降りていた事にさえ、気付く事はなかった。
 もし気がついていたら……この親子の運命は、また違った方向に流れていたのかもしれない…。


















 五半刻後……。(あれから5時間半)
 すでに外の世界では太陽も沈み、夜の時間を迎えていた頃だった。バオスクーレが立ち去り、戻る気配がない事を確認した、”それ”はゆっくりと身を起す。

 そして、覚束おぼつかない足取りで、よろける身体をたもちつつ、どうにか立ち上がった……。

「フ…フフフフ……、現世か。とうとう…戻ってきた…。戻ってきたぞ! あれから何年経ったのだろうか?」
 『海原と境界の魔神ランバルト』。まさしくその本人であるそれは、”彼女”であった。

 魔神である3人は元々が姉妹としてこの世に生を受けた。女神のごとき美しさと神以上の力をそなえた存在。その中において、彼女ランバルトは自身の美しさというものに興味がなく、ずば抜けた戦闘能力により強敵と戦う事を愛する戦神いくさがみである。
 疾風しっぷうのごとき動きと、しなやかな肢体したいで”空間”を切り裂いて駆ける。宙空ちゅうくうと空間を自在に飛び越え、敵を殲滅せんめつする無敵にも等しい存在であった。三姉妹の中で、もっとも戦闘能力があるのは誰かと聞かれれば、間違いなく彼女だったであろう。それはつまり、この星において、どのような戦闘においても勝利する戦闘能力を持つ、抽象的ちゅうしょうてきではない確実なる絶対的優位、「最強」を意味するものである。

 そんな彼女は今、身体に違和感いわかんおぼえていた。

「ぬぅ、なにか……みょうだ。体が軽い…な…。長い間食べなかった事でせたのか?」
 よろよろと、みょうに軽い身体で歩きながら、なんとか歩き出すランバルトではあったが、人と同様の肉体を持っているにしては、あまりにも感覚が違いすぎる。なにより、視点が低すぎるのだ。まるで、地べたを匍匐前進ほふくぜんしんしているかのような高さである。

「体の感覚が狂っているのか…? どうしたというのだ? 復活直後の異変のようなものか?」

 封印されて復活などこれまで経験がないため、どんな問題が起るか予測もできない。もちろんフルパワーでの復活はないだろうが、それにしても視点が低すぎるのは気に掛かる。いかに力が万全でなくとも、人の身体である以上、視点の高さは変わらないはずだ。
 しかし、自身の身体を確認にも、部屋が暗く、目も慣れていないせいかよく見えない。

 だが、落ち着いて回復を待っている場合でもなかった。今のこの頼りない状態であの水竜に見つかってしまえば、簡単に滅ぼされてしまうだろう。だから、ランバルトは身体を確認するよりも、まず必死で広い部屋から歩み出で、安全を確保する事に専念した。



「ふぅ…ふぅ……。なんとか、部屋から出れたようだ…。しかし、なんと広い部屋だ。まだ廊下では隠れる場所もないではないか。このままではあの水竜に見つかっ…………………。」
 廊下の壁はみがかれた鏡のようになっていて、自分の姿がよく映っている。暗がりの中、少しだけ慣れてきた目をらすと、壁の中に妙なモノがうつし出されていた。






「…………………なんだ? ……このブサイクな鳥は……。」



 身体は紺色。口から腹にかけて体は白く、口には黄色いクチバシがついている。そして何よりも、やたら目つきが悪い。そして極め付けが、あってないような短い手足。まるで、丸いクッションに申し訳なく付いている短い手足がデブな鳥を思わせる。

「なぜこのようなブサイクな鳥が映し出されているのだ??」
 自分は海原と境界を支配する魔神。人の身を持ち、至宝の美しさを持つはずの戦神。しかし、目の前には妙ちくりんなデブ鳥。一応はペンギンという生物……なのだろうか?? しかしこれは……いったい……。

 ランバルトは右手を上げてみた。すると、壁の中のデブ鳥も鏡のごとく右手を上げる。
 次はそのまま、左足を上げてみた。すると、同じく右手を上げたまま、左足を上げるデブ鳥……。

「ぬ、キサマ……私の真似をするなどと…、殺されたいのか?」
 ランバルトは目つきの悪いデブ鳥をにらみつけてやったが、そいつも同様に目つきが悪かった。自分がこれほど殺意を込めた眼光を放っているというのに、ピクリともしないで同様の殺意でにらみ返してくる。……この魔神ランバルト様をナメているのか? ナメているのだろう?

 いきなり敵のきょを突く渾身こんしんのパンチ! しかし壁の中のデブ鳥も同じタイミングでパンチをり出す!
 しかし当然のように、壁に繰り出されたパンチは軽い音と共に跳ね返り、体勢を崩したランバルトは床にころり、と転がった。……そして、ふつふつと怒りの炎がき上がる! しかも殴った手が痛い!

「……ぬぅぅぅぅぅぅ!! どういう事だ! 一体ぜんたい、どういう事なのだっ!!」

 気がついていないわけではなかった。まさか自分が、このような姿で復活するとは思ってもなかったのである。この姿は間違いなくクーのお気に入りのヌイグルミ、ペンコだった。魔神というすさまじい力を持つ存在である彼女は、ペンコの身体を拝借はいしゃくして暫定的ざんていてきに復活していたのだ!

「か、神め! 許さん! 許さんぞぉ!」
 起きる事も忘れて、やるせない怒りを大声にして叫ぶランバルトだが、その怒りは中断せざるを得なくなった。それというのも、このヌイグルミの持ち主、クーが戻ってきたからだ。



「ペンコー、ペンコさーん、どこです〜?」
 さっきの痛みは何処どこへやら。ここに来る前とまったく変わらない元気なクーがやってくる。一つだけ違うのは、右足の紋様もんよう。それが自己主張するようにえがかれていた。
 お気に入りであり、遊び相手でもあるペンコは、クーの大切な友達だ。そんな相手なのだから、力が発現はつげんしたクーにとって、ヌイグルミとはいえ唯一の友達であるペンコに流れても仕方がないところだろう。
 ランバルトが復活したのはクーが未熟みじゅくで力を使いこなせていないからだったし、復活が珍妙ちんみょうだったのも、クーが半人前だったからに他ならない。だからヌイグルミなんぞに精神だけがよみがえったのだ。

 これでは復活しても全力など出せるわけがない。復活そのものは有難いというのは確かだが、これはこれで非常に困る。しかし、それを考えているひまはなさそうだ。クーはペンコを探しにこちらへ向かっているからだ。

「こ、困ったぞ……。あの小娘はともかく、親の竜に見つかるわけにはいかん。ど、どうする……?」
 力が完全であれば、親竜だろうが竜の1匹ごとき恐るるに足らない相手だが、いまのこの姿で、しかも力の欠片かけらもない状態となれば、復活した事を知られてはならない。あの小娘に知られれば親にも伝わる。つまりそれは死を意味するのだ。あのにくき神を殺すまで、そして我が尊敬そんけいすべき姉と、最愛の妹に再び出会うまで、何があろうとも死ぬわけにはいかない!!



「な、ならばここはっ!」
 ヌイグルミにてっするのみ。知らん顔してヌイグルミのままで過ごすしかない。
 あまりにも屈辱くつじょくだが……、この状況では仕方がない。

「あー、いたいた。いたですよ! ペンコさんここに居たですよ。」
 先ほど倒れたとは思えない程に元気さを取り戻している水竜の小娘クーは、嬉しそうにペンコを拾い上げた。ひとしきり喜んでから、急に頭をかしげた。



「あれー? そういえば、クーはペンコさんをあっちに置いといたはずですけど……。」
「(…ウソつけ小娘。キサマは”置いた”のではなく、床にほっぽっておいただけではないか)」
 広すぎる太陽の間を苦労して歩いたランバルトは、文句を言いたいが口を聞くわけにもいかない。まったく…我が愛しき妹ならば、このようにヌイグルミを粗末そまつあつかったりしないものを…。

「ん、まあいいですよ。どういう風の吹き回しか、父ちゃんがケーキ作ってくれるっていうから、ペンコさんも一緒に来るです。」
 にっこりと笑顔になったクー。ケーキを食べれるのが嬉しいらしく、先ほどの愚痴ぐちは消えている。今は無力なランバルトにとって、自分に疑惑ぎわくを持たれないだけでも有難ありがたい事だ。

「あー!! そういえば忘れてたですっ! 太陽ちゃんに言っておくですよ!」
 再び何かを思い出したらしいクーは、抱きしめたばかりのペンコ(ランバルト)を放り投げ、自分は太陽の宝珠へと走っていく。宙に舞うヌイグルミであるランバルト…───しかし、彼女はここで受身を取るわけにはいかなかった!

 もし受身を取るところを見られれば───(以下略



ゴッツーーーーン!!
「(ぐふっ! お、おおお、おお……。)」
 受身を取れず、激しく頭をぶつけるランバルト。今の体はやわららかいはずのヌイグルミだというのに……、この床の固いことといったら…。
「(く、くそっ! なんたる屈辱か! 今にみてろ小娘、キサマなど力が戻れば瞬殺できるのだぞ!)」
 そう叫びたいが、今は我慢するしかない。文句さえも言うわけにはいかない立場だ。なんともやるせない。

 しかし、なんというガサツな娘だろうか? 物は大切に扱うものだ。世界を崩壊させた自分が言うのもナンだが、この娘はおおざっぱすぎる。あの親竜め、しつけがなっておらんぞ! 我が姉の前でこんな事などしようものなら、タダではまんどころか半殺し確定だというのに…。

「太陽ちゃんにまた来るって言っておいたですよ。さあ、ペンコさんも行くですー。」
 クーは上機嫌で、ペンコの足を持つと、そのままずるずると引きずって走り出す。
「(ま、ま、ま、待て小娘! ヌイグルミは足を持って運んではいかん! そこに段差が──、ぐはぁ!!)」

 段差という名の凶器が、引きづられて行くペンコの後頭部を直撃する。ランバルトは屈辱と痛みを我慢するのに必死であり、文句を言いたくとも言えない状況にただ耐えるしかなかった。
 そして、今後の苦労を思うと、封印されたままの方が良かったのではないかと、うっすらと弱気になってみたりもした。

 



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