水竜クーと虹のかけら

第一部・01−8 「太陽は虹へ」
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 ─── クーが目覚めたのは、見知らぬ場所だった。

 様々な色とりどりの光を放つ金属のような装置。見たこともない機械にあふれた場所。にぶい銀色をした機械には、なにかの図面や数字が光の羅列られつとなってしるされている。意味はわからないけれど、立体的に見えるそれは、本とは違う何かであると思った。

 そして……、今の自分は、身じろきができる程度のせまい場所で椅子いすに座らされており、正面には外が見える透明の…一点のくもりさえないガラスのような壁があるようだった。少しは動く事はできたから、それをたたいてみるのだけど、手が痛いだけで出ることはできなかった。
 ただ一つ言えるのは、ここがあの施設なのではないか、という漠然ばくぜんとした印象のみ。クーはこういう未知の文明をあそこでしか見た事がないが、どことなく雰囲気が似ていたからだった。


「やあ、クーちゃん。目が覚めたかい?」
 下から見上げるように、クーへと話しかけているのは、あの老人…リックだ。その顔には、先ほど外していた口元だけの黒い奇妙なマスクでおおわれており、瞳にはさきほどまでのような親しげな光が微塵みじんもない。

「リ、リック! クーはどうしてここにいるですか?! 出すですよ! どうしてこんな事をするですか!」
 クーは一生懸命に透明の壁へと拳を打ち付ける。だが、鈍い音が出るだけで出られなかったし、リックも反応しなかった。それどころか黒マスクごしに、小さな笑いが耳に届く。

「……実に長かったよ…。この50年という間は。私はキミを待っていたんだよ、クーちゃん。再会するより先に寿命じゅみょうが尽きてしなうんじゃないかと恐れていたが…、天は私に味方したらしい。」
「出すですっ! ロイに会わせてくれるって言ったですよ! 怪我けがをしたけど、元気にしてるって───」


「はぁ? ロイだって? あんな小僧、生きているわけないじゃないか。あの小僧は死んだまま放置さ。」


「───ほ…ほうち……?」
 クーが言葉を失っていた。目の前の男の言葉は、いままで聞いた事もないほどに悪意に満ちていて、クーはそんなものを感じた事はなかった。竜になって怒った時の父とは違う、悪意というものをクーは今初めて感じていた。
「…いや、実際には不便で仕方がないんだよ。汚らしい死体がある部屋だなんて、不潔ふけつで使えないんだからねぇ。……今も骨くらいは残っているんじゃないかい? イッヒヒヒヒヒ!」
 いまだに信じられない。リックが…あの小さくて可愛い子供が、本当に目の前にいる男と同じものなのか? クーはいまでも、悪い夢を見ているだけではないのか、と精神を揺らす。

「それと、教えてあげよう。……あの後…、私は古代文明に興味きょうみを持ってね、この施設の研究を始めたんだが…、ラファイナ王国がこの施設を調査しようという動きがあってたんだ。しかし無粋なやからにお宝を触れられるのは嫌だった。…だからさ、毒ガスを使って村人を殺して見せたんだよ。」

「……そうしたら、調査隊とやらを追い払う事ができた。毒ガス発生のために村ひとつが全滅したんだからね。もちろん森ごと立ち入り禁止にされたよ。…おかげで私は誰にも邪魔される事なく、研究に没頭ぼっとうできたというわけだ。」


「その時、まとめて殺した村というのは、実は私の住んでいた村でね。その中には両親やルイサ姉さんもいたっけ。…まあ、どうせ流行り病とかで死にそうだったからね。逆に苦しまずに死ねて楽だったんじゃないかい? ヒヒヒヒヒッ!」


「………………何を………何を言ってるですか? ……リックは、そんな事言わなかったですよ。そんなひどい事、言わなかったです。自然を見るのが好きで、動物を見るのが好きで、ちょっと食いしん坊で…………。」
 苦しげにクーがうつむき涙を落とす。あまりに異常な言動に耐え切れない。なんでそんな事を言うのか? そういう事を言うようになってしまったのか? 年月というものが、そんなにも人間を変えてしまうものなのか。


「本当に……本当に……、リックは……そんな事を……。」
 そんな事を言うわけがない。クーの心はまだ幼いままで、何も変わっていない。だからこそ、目の前の現実にはついていく事ができなかった。次々と襲う絶望で気が狂いそうだ。もうクーには何をする事も、何を考える事もできなくなっていた…。

「さて、そんな無益な話はここまでにしよう。……クーちゃん。いや、水竜クー。私はお前を待っていたんだ。長い間、本当に長い間、お前が再び顔を出す事だけを願っていた。準備をしながらね…。」

「それは、”剣”を動かすための動力が欲しかったからだ。」



「……そこでだ、この話を知っているかい?」








「───それは遥か昔、気の遠くなるような昔の話です。


 この世界には、とてもとても悪い3人の魔神がいました。

 天空と無限を支配する魔神トリニトラ
 海原と境界を支配する魔神ランバルト
 大地と生命を支配する魔神グロリア

 その魔神達はそれぞれが恐ろしい力を持ち、破壊の限りを尽くして、人々を困らせました。

 見兼みかねた神様は、一人の勇気あふれる人間、「勇者」と呼ばれる者に力を与えました。
 無限の力を宿やどす”太陽の力”を与えたのです。

 勇者はその力を使い、魔神と戦いました。
 そして、7日7晩の後にその全てを倒す事ができたのです。」





「…………これはラファイナ王国問わず、世界に伝わる御伽話おとぎばなしの冒頭さ。勇者が悪い魔神を倒しました……。では、勇者というのは何だと思う? 凶悪な魔神を倒せてしまえる勇者とは、一体なんだったと思う?」


「神は勇者に”太陽の力”を与えました。………では、それはどんなものだと思う?」





「私の研究から導き出された答えは、勇者も魔神だったという事さ。そして神が与えた太陽の力、とはキミの一族が守っている星の素という力の結晶、水竜だけが扱う事のできる”太陽の宝珠”なんだよ!」

「勇者と呼ばれた魔神”A”には素晴らしい力が備わっていたそうだ。それに加えてサポートする武器も持っていた。だから3体の魔神が相手でも勝負する事ができた。まあ、戦いの結末など知らんがね…。今となってはどうでもいい事さ。」





「そこでだ、その勇者の使った武器というのがある。勇者に多大な力を与えた武器。……それが今、キミが乗っている巨大兵器さ。」







「文明崩壊の直前、人間は魔人プロジェクトという大研究計画を行った。それはA〜Zまでの26種にカテゴライズされ、それぞれが独自の研究をしていく。
 そして魔人”B”の名を持つシリーズは破壊兵器を主とする研究だった。…その最高峰、魔神の名を与えられたのが、勇者が操ったというのが剣、盾、鎧という3体の魔神……。」



「───そしていまキミが乗っているのが、その一つ、”勇者の剣”なんだよ。」




















「おい、魔神! ランバルト!! クーはどうした!?」
 その声によって私は意識を取り戻した。かたわらでひざいているのはバオスクーレだ。何かしらの異常を感じ取って駆けつけて来たようだった。

 私はなんとか腕を伸ばし、近くに落ちている小型の装置を指した。下級魔人の機能停止装置である。それがあるだけで、私は動く事はおろか、しゃべる事すらできない。
 バオスクーレがすぐにそれを破壊。その瞬間、私に掛けられていた呪縛が消えた。それと同時にすぐさま立ち上がり、バオスクーレを怒鳴りつける!

「遅いぞ! 何をやっていた! キサマが愚鈍ぐどんなせいでクーが連れていかれた!」
「申し開きはしない。だが、クーはどこへ行ったのだ!? お前を置き去りにして何処どこへ行った?」

「クーの元友達を名乗る男が連れて行った! 行き先は……あの施設だ。」
「っ! あそこか───」
 苦々しい顔をしたバオスクーレが、駆け出そうとした時、大きな地響きが始まった。大地そのものが地の底より震え始める。振動は大気を伝い、水面に波紋を広げ、水をね上げる。ただの地震とは明らかに違うそれは、何かとてつもないモノの脈動みゃくどうを感じさせた。



 ランバルトの知覚に突き刺さるような感覚があった。
 それは旧世界で戦った脅威きょうい、悪夢の再来を告げるもの───。



「こ、この反応はっ!!」
 ランバルトは驚愕きょうがくする! 彼女が持つ、魔神やその眷属けんぞく察知さっちする能力が出現する何かに反応した。そして彼女はこれを知っている!

 その刹那せつな苛烈かれつきわまりない振動がピタリと消えた。
 張り詰めた緊張きんちょうの中で、不確かな、それでいて不気味な静寂せいじゃくが周囲をつつんでいた───。







「ピギイイイイイイイイイイイイイ!!」

 突然の、周囲一帯に鳴り響く甲高い咆哮ほうこう! 何かが大地より飛び出し飛翔ひしょうする!
 上空を、天空そのものをおおい隠すかのような巨大な影、それまはまるで翼を広げた怪鳥そのもの! 巨大なそれが悠然ゆうぜんと空を舞っていた!

 全長30メールはあろうかという巨躯きょくは太陽の光を受けて銀色にかがやく! その装甲は金属だというのになめらかで、生物であるかのように波打つ。旧世界の技術が生み出した生体特殊金属によってつつまれているのだ。……そして、広げられた翼、羽根の一枚一枚は、まされた刀身であるかのような剣のようである。

「なんてことだ……、あれは……ブレイブソードかっ!」
 ランバルトにとって、その名は戦慄せんりつの記憶として残されている。勇者である魔神Aのサポートをするために生み出された魔神Bシリーズ。それは剣、盾、鎧という3体が勇者と連携れんけいして戦う巨大破壊兵器の1体であった。あれらにはランバルトも大いに苦しめられた。

 勇者に従属じゅうぞくする巨大兵器、その剣たる”魔神ブレイブソード”は、確かに姉トリニトラが倒したはずであったが……、それがなぜ、ここに復活しているというのか?



「イヒヒヒヒヒヒ……。ギャハハハハハハハハハハハハッ!! 素晴らしいパワーだ! これが勇者の剣を名乗る魔神か! これが私の力だというのかっ! 長年の研究がいよいよ実ったのだ!」

 魔神ブレイブソードに乗り込み、操縦そうじゅうするリックが哄笑こうしょうをあげる。天空から見下ろす世界はなんと小さい事か。空の王者として君臨くんりんするのは自分だ。この強大な力も自分の物、これで彼はその悲願ひがんを達成する事ができる。


「まったく……50年は長かった。長い長い間、私は施設で研究を続けていた。そして、眠っていたこの魔神を見つけたのだ!」




「だが───、後にも先にもないであろう大発見だというのに! 研究者どもは誰も取り合わなかった! 妄言もうげんだと一蹴いっしゅうするだけで、理解をしようとはしなかった! 資料を投げ捨て踏みつけた!!」


「それどころか! ヤツらは私が貧村の出身だというだけで汚らしいとのたまった! 奴隷どれいどもを見るような目で私を見下したのだ!! 許せるものか…、許せるはずがない!!」

 魔神ブレイブソードはその巨体を中空で完全に停止させ、翼をさらに大きく広げた!


「だから証明してやる! これが私の研究だと! この勇者の代行者たる魔神ブレイブソードで、私の力、その正当性を証明してやる!!」

 翼より発射されるのはエネルギーのかたまりだった。羽の一枚一枚、総数4千枚以上のよりの魔光弾が、一斉に発射する! しかもそれは毎秒ごとに発射、たった10秒で4万発以上ものエネルギー光弾が途切れる事なく発射されていた!!
 その破壊の雨は次々と降り注ぎ、大地をめるように穿うがち、全てを蹂躙じゅうりんしていく!!

 一撃一撃が巨石をも消し去る破壊力を持つ豪雨により、平原が、森が、川が、そして、ここからでは遥かに遠い街にまで及び、生き賭し生けるモノ全てを焼き尽くす……。
 これが魔神の力……、あの量産タイプのD兵士とは明らかに違う、神の名を持つ魔神の戦闘能力、これが勇者が操る剣、最大の物理破壊能力を誇る”魔神ブレイブソード”の正体である!



「なぜだ! なぜブレイブソ−ドが動くというのだ?! あれは太陽の宝珠の力がなければ───」
 ランバルトは、自分の言葉でその理由を思い出した。



 クーだ。
 右足のもも顕現けんげんした、水竜の紋様、あそこから力が噴出ふんしゅつしているのだ。クーはそれを利用するためのエネルギー源として使われている!







「や、やめるですよっ!! こんな事をしちゃいけないんです! なんで壊すんですか!? あんなに綺麗きれいな森を! あんなにんだ川を! なんでこわすですか! リックっ!!」

 しかし、クーの言葉は届かない。その答えとばかりに、無差別な破壊は続く! 眼下に破壊されていく全てのものが、クーの叫びをかき消すかのように、その答えとなって消失していく!!

「クククク……、道具ごときが何を言うのかと思えば…。」
 閉じ込められたせまき空間に、いづこからかリックの声が響く。そこには優しさの欠片もない、ただ純粋に力におぼれる者の声だけが届いてくる。

「クーよ! 水竜クー!! キサマと出会えた事は幸運だった! 幼き日の関わりによって、この成果せいかが得られた。…だが、意見など許さない。たかが便利なだけの道具なのだよ、お前は。……太陽の宝珠より力を供給きょうきゅうするだけの道具が、私に意見などするな!!」
 巨体をうならせ、魔神ブレイブソードが天空をおおい、目にも止らぬ速度で飛翔ひしょうする。ラファイナ王国全土を焦土しょうどと化す為に、何もかもを殲滅せんめつするために、ここより北に位置する王都へと向っている。

 灰燼かいじんすのだ! 自分を認めないおろかな研究者どもを! 研究を嘲笑あざわらった奴らを国ごと滅ぼしてやる! そうすれば、他の全ての国が私を無視できなくなるのだから!



「水竜クー! …もちろんお前は殺しはしないさ! 大事なエネルギー源だからな。……これが終った後、手足を切り落とし、栄養だけを与えて飼ってやる! 永遠に道具として飼ってやるのさ! イヒヒヒヒヒヒ!!」

「……ああ……やだ……わあああ……、わあああああああ!!」
 50年という時間、それだけの時間は、人をこうも変えるものなのか? 優しかったあの子供が、いまこの時、ラファイナという自国を潰し、そして世界をも巻き込もうとしている。
 しかし、クーにはどうする事もできない。絶えず流出し続ける水竜の紋様よりの力。クーが”太陽ちゃん”と呼んでいたあの宝珠からの絶大なる力が、クーから流れ、この魔神へと吸収されていく!


 紋様からだけでなく、自身の魔力をも吸収されていくクーは、次第に意識がうすらいでいく。…だが、それでも紋様からの力は意思と関わりなく勝手にれ出していく。もう自分の意志ではどうする事もできなかった。

 リックの言う通り、彼にとってはクーなど道具でしかないのだ。昔、共に楽しく遊んだ友達であったという記憶など、忘却ぼうきゃく彼方かなたに消え去っている。共に遊んだ記憶、それはクーがなにより大切にしている気持ちだ。しかし、それはリックにとっては利用する対象でしかない。


 クーは薄らぐ最後の意識の中で、あの言葉を思い出していた……。
 それは、外に出たいと言っていたあの時、父が漏らした一言だった。











 クー、それだけじゃないんだ。人間は悪い生物なんだ。
 人間は嘘をつくし、人間はすぐ裏切るし、見捨てる。


 人間は───最低の生物なんだよ。
























 翼から発せられた圧倒的なエネルギー、そして毎秒数千発という尋常じんじょうならざる光弾の数に、バオスクーレも、そしてランバルトも立ちすくんでいた。地面がえぐれる程の熱量、山の形が変わるほどの衝撃、それは生物が行える攻撃の範疇はんちゅうを大きく越えたものである。
 その猛攻は、星の形そのものを変えてしまうのではないか、とさえ思える。やはり魔神は違う。魔人とはまったく次元の違う、圧倒的な戦闘能力を持っている!

 もし、ランバルトが元の力を取り戻していたとすれば倒せていただろう。純粋な戦闘能力において最強を名乗る魔神であるランバルトならば倒せていた。完全防御を司る魔神ブレイブシールドが居ない今、このブレイブソード単体であるならば、奴の体そのものを一気に切り裂いてバラバラにする事も容易たやすい事だった。

 しかし今の彼女は下等魔人程度の力しかないのだ。現状、あれを食い止めるのは不可能である!

 ……もちろん、彼女にはそんな事をする義理はない。この世界に未練などないのだ。




 人間はくだらない生き物だ。その意志は変わらない。ならば世界が再び朽ちようとも構わないはずだ。
 しかし────、


 しかし、だからといって、このまま魔神ブレイブソードの、リックの好き勝手にやらせてよいのか?
 もくしたままで、ヤツの望む破滅の荒野が生まれるのを待っていろ、というのか?







 いや違う! そんな事じゃない!













 クーをこのままにしておいて、いいのか?





 妹のように一人とらわれ、孤独にあるあの子を、私は再び見捨てるというのか?









「魔神ランバルト、離れていろ。……私は竜と化す。」
 出口の見えない葛藤かっとうをしていた彼女に、バオスクーレの声がとどいた。はっとして見上げたその横顔には、強い決意の色が浮かんでいる。彼は戦うつもりなのだ。あれと。圧倒的な破壊力を持つ魔神ブレイブソードと……。

「馬鹿か! キサマのような竜ごときが、魔神に勝てるわけがないだろうがっ!!」
 変化するために最適な広場へと歩いていくバオスクーレの背中に、ランバルトは事実を叩き込んでいく。


「いいか?! あのブレイブソードはお前が退しりぞけた魔人兵士とは違うのだ! 勇者であるA、そして私達三姉妹に次ぐ強力な”魔神”だ。その力は神を超えている。…どうひっくり返っても、たかが竜一匹のかなう相手ではない!! 瞬殺しゅんさつされるのが関の山だ!」



 だが、それでもバオスクーレは歩みを止めない。

 バオスーレの体から魔力が発せられた。その力が体を包み込み、瞬時にその身を変化させる。蒼の巨体には鋼鉄よりもなお固い強固なうろこが体を守り、研ぎ澄まされた牙は岩をも砕く。そして10メールをも越えるその体躯たいくは、爬虫類はちゅうるいを思わせるもの。そしてそこに内包ないほうされた能力は、この地上において間違いなく最強の力を持っている。生物の頂点に立つ無双の力…。

 ただし、魔神以外で、だ。


 魔神という”神”に対しては、その強靭きょうじんな肉体も無力なものでしかない。
 遥かなる過去……、神の側として魔神と戦った竜達は、魔神の前にそのほとんどが命を落とした。

 ちょうど100騎いた水竜の一族も、魔神という圧倒的な力の前に次々と倒れ、バオスクーレしか残らなかった。それでも倒す事さえできなかったのだ。それをたった一人で、……それも上級の魔神に勝てるわけがない!


 一瞬で蒼き竜の姿と化したバオスクーレは、振り向く事なく、言葉を発した。



『力は及ばないだろう。だが、クーの気配があの中にある。……だとすれば、救いだす事に何を迷う?』





『私の愛する者を苦しめる敵がいる。…ならば、私はただ全力を尽くしてクーを救うだけだ。かなわないからあきらめるなど出来るはずがない。』





『……フフ…、お前にはしてやられたがな…。』














『だが…、お前は違うのか? 今の私とお前の立場が逆だったとしたら、お前は戦いをいどまないのか?』









「……………………。」
 バオスクーレはそれだけを言い残すと、返答も待たずに翼を広げ、大空へと飛び立った。敵がどれだけ強大であろうとも、奴は戦いへとおもむく。その先に待ち受ける結果が死だという事が分っていても、それでも奴は行くのだ。親として、子供を救うために。






「イッヒヒヒヒヒ! 素晴らしい! 我が魔神ブレイブソードよ! 薄汚れた人間を全て消し去るのだ!!」
 嘲笑ちょうしょうを浮かべるリックの眼下には、現女王の統治とうちする王都イスガルドが広がっていた。そして発展した都のあらゆる場所で爆裂が起っている。空を支配する魔神の脅威きょういに対し、地をうものは余りに無力だ。人々はどこを目指すわけでもなく逃げまどう。

 絶望が支配する阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄。数千、数万にも及ぶ光弾群があまさず大地をめ尽くす! 逃げ切れる者など一人もいない。人も、家畜かちくも、小さな虫でさえも、その全てが一瞬で蒸発じょうはつ! 何もかもが消えていく……。



 ピピピピッ! ピピピピッ!



 突然の警戒音が彼の座る操縦席にひびいた。それは明らかに敵対するモノが現れた事を意味する。そして向ってくる相手とは、たった一人しかいない。


「ンン?? なんだあれは? ……竜か? ヒヒヒ……そうか! 水竜クーの親だな! 娘を助けに来たのか! アッハハハハハハハハハハハハハッ!」
 自身よりもさらに20メール以上も巨大な魔神ブレイブソードを前に、おくする事なく突撃してくるバオスクーレ。竜化した彼には、地上において何者も太刀打たちうちすることのかなわない圧倒的な戦闘能力がそなわっている……が、しかし敵は魔神である。ランバルトが言った通り、その力の差は歴然れきぜんとしている。だから、敵が油断しているうちにたたくしかない。それを承知しているからこそ、一切の躊躇ためらいもなく全力攻撃を仕掛ける!

『クーは………返してもらうっ!!』
 バオスクーレは飛行速度を殺す事無く、あぎとより冷凍弾を吐き出した! それはどんな生物さえも凍結し、破砕する恐るべき威力を持ったもの。

 だが、リックはあわてない。地上へと向けていた攻撃を水竜へと向ける! 毎秒数千発にも及ぶ魔導弾のすべてがバオスクーレへと撃ち出した冷凍弾へと命中し、それは到達前に粉々に破壊される! ブレイブソードにしてみれば、まるで風船を撃ち落とす程度になんでもない事だ。

 バオスクーレはすきを突くために高速旋回、そのまま冷凍弾を放つ! ───しかし、放った時点でもうブレイブソードの姿はそこにない! 敵の姿を見失ったバオスクーレ。

 次の瞬間、彼の上空より太陽の輝きが消えた!



「ヒヒッ! 滑空かっくうするだけしか出来ない生物には、その程度の速度が限界だろうよ。」

 真上! ブレイブソードは怪鳥の翼を動かす事なく、バオスクーレの真上へと移動していた。どんな生物さえも到達し得ない竜の速度を簡単に上回っていたのだ!
 鳥の姿をしてはいても、生物ではないブレイブソードにとっては、空を飛んでいるという行為は風に乗るという滑空ではない。反重力発生により浮力と速度を得ているからだ。そういう意味では飛ぶ、ではなく、浮いている、という方がまとを得ているだろう。よって、巨体であろうとも、その質量はまったく影響を及ぼさない。エネルギーさえあれば、いくらでも速度はあがっていく!


 ───だから、はやい!



『グアアアアッ!』
 まばたきよりもなお速いその一瞬の間に、バオスクーレのわきをすり抜けたブレイブソードは、その鋭利えいりな翼で竜の体を切り裂いていった!
 翼に装備されている羽根の一枚一枚が魔導砲であると共に、するどい剣である。魔導力により力をびた状態であるため、少しでも触れれば、鋼鉄をも容易たやすく切り裂く凶器となる。竜という生物がいかに強靭きょうじんうろこに守られていようと、ブレイブソードにとっては紙も同然であった。

「ヒヒヒッ! このトカゲめが……、この偉大なる私の邪魔をするな!」
 バオスクーレが苦痛の声を上げた次の瞬間には、すでにブレイブソードは右後方へと移動しており、翼より魔導弾を発射していた。秒間4000発もの光弾が水竜1匹に集中砲火を浴びせる! 風を利用して飛行するしかないバオスクーレには、とてもじゃないが避けられる状態ではない! 咄嗟とっさに腕でガードしたにも関わらず、弾き飛ばされ、全身でその砲撃を味わう事となった……。

『ウガアアアアアッ!!』
 バオスクーレは絶叫を上げながら地面へと落ちていった。戦闘開始よりわずか数十秒……たったそれだけで彼は敗北したのだ。
 腹は切り裂かれ、腕は焼け、翼には無数の穴が開き、左目はつぶされていた。そして体全体から吹き出すように血をき散らし、無残な姿で墜落ついらくしていく……。



 まったく勝負にすらならない戦力差。これが竜と魔神との差である。



「くっ……あの阿呆が……、だから言ったではないか………。」
 空間断絶によるワープで、なんとか見失う事なく王都まで追いついたランバルトではあったが、その光景に歯噛はがみするしかなかった。いくら強い思いがあったとしても、強大な力にはかなわないのだ。私達姉妹が、神の封印を敗れず長い時をしばられなければならなかったように。絶対的な現実の壁というものがある。

 そして、どのように強大な力があったとしても、命を賭したとしても、それ以上の力には逆らえない時がある。



 クーを救うと言っておきながら、バオスクーレはわずか数十秒で倒された。超える事のできない、現実の壁というものにはばまれた。ヤツは知っていて、それでもいどんだのだ。

 そして私と同じように、それにくっした………。









「……全て…終ったのか………。」
 私は無力で、姉達もいない。もう抵抗しようにも、どうする事もできない。


 私の視線の遥か先、家屋らしき残骸ざんがいの周囲には……、運良く生き残った人間達がいた。街を焼かれ、城を破壊されて呆然ぼうぜんとする者達。ただ恐れ、ただ涙を流し、天をあおいで魔神ブレイブソードに絶望していた。


 あの時───、旧世界が崩壊した時、
 私は目の前の敵と戦う事で精一杯だったが、あの時も地上の者達はこうして天を見上げていたのだろうか? 勇者と私達の戦いをただ呆然と見ることしかできず、いつ死ぬかもわからない状態で、ただ恐れている事しかできなかったのだろうか?


 いまの私が無力であるように、運命を他者に握られているように、こいつらもまた、同じく無力な者として、ただ空を見上げる事しか出来ない者だというのか?





 過去において、人間は……、少なくとも私達の周囲に居た人間は最低だった。他者を押しのけ、裏切り、奪い、殺し、それでもまだ欲望を連ねているだけの下衆げすだった。だから私は、人間に興味などなかった。

 だが、この今の世界でもそうなのだろうか? クーと遊んだ子供達は悪には見えなかった。リックは年老いて変わったのかもしれない。だが、ロイやルイサが生きていたら、ああも変わっていただろうか?


 そして、クーがいまこの場にいたら、彼らを守りはしなかっただろうか?
 ただ全力に、ただがむしゃらに、ひたすらに……彼らを守るために戦うのではないだろうか?


 自身が無力になって初めて分る事、そしてクーに出会って初めて知った感情。
 それが私の中に渦巻いていた。








 その時───、
 王都の瓦礫がれきの中から、それは立ち上がった。


 巨大な、10メールもの巨体から血を流し、左目はつぶれ、それでも空にるその敵をにらみつけて立ち上がる。



 水竜バオスクーレだ。

 人間達の全てが彼を見ていた。あの天空の悪魔と戦ったその竜を見つめていた。このラファイナ王国は水竜が建国したという伝説の残る国。だからだろうか、彼らには、蒼き竜が危害を加える対象ではなく、守り神と見えていたらしい。
 そんな中で、バオスクーレは人間などに興味さえない対象であった。彼らの事などおかまいなく、ただ敵を見上げていた。娘を、クーを利用するその敵に、最大の敵意をぶつけていた。

 そして、誰に聞こえるでもなく、一人つぶやいた。







『───神よ、私は貴方にうそをついていました。』






『私は、貴方を尊敬そんけいなどしていなかった。うやまってさえいなかった。』













『私は、貴方よりも何よりも、クーの事だけにしか興味がなかった。貴方への信仰という言葉をかくみのにしていただけで、クーという私の娘の事しかあんじていなかった……。』








『だから私は、クーのためにこの力を使います。誰のためでもなく、いつわりもない心のまま、我が愛する者のために、この太陽の力を使わせていただきます!』

 竜と化したバオスクーレの体に、数々の紋様が浮かび上がった! それは太陽の宝珠よりの力を顕現けんげんするために必要なもの。クーが魔神ブレイブソードを動かすための力をそこから供給きぃうきゅうしているように、バオスクーレは自身の紋様により、力を発現したのだ。

 その数は7つ! 頭、右腕、左腕、胴体、背中、右足、左足、全部で7つの紋様がその体に浮かび上がる。だが、右足の紋様からだけ光は弱く、ほとんど輝いていないようであった。

 私は、その理由に気付く。


「そうか! クーの右足の紋様から力が流出しているため、バオスクーレはその部分だけ使えない、という事か!」

 だが、それでも6つの紋様が体を黄金色に光輝かせている。あの魔神ブレイブソード以上の力が、今まさにバオスクーレへと集約されているという事か。

『───力の全てを回復についやす! 竜の紋様よ、我に再生の力を!』
 バオスクーレがそう宣言すると、6つの紋様全てがみどり色に輝き、一瞬で体の傷がいやされた。こげげた腕も、切り裂かれた腹も、つぶれた左目さえも瞬間的に再生されていた。凄まじいまでの回復力、それはあの勇者との戦いを思い起こさせる。


『速度で追いつかないのであれば、奴以上の速度を出すだけだ。───竜の紋様よ、何者をも凌駕りょうがする速度を我に!』
 宣言と共に、全ての紋様が今度は蒼く輝く。そして翼を広げたその刹那せつな、バオスクーレが消え去った! 人間達は目を丸くしていたが、私だけはかろうじて捕らえていた。奴は空へと舞ったのだ!

 蒼き流星のごとき光の筋が魔神ブレイブソードを取り巻いた! それは超高速を得たバオスクーレである。そして目にも止らぬ一撃を、その金属の体に叩き込む!!

「ぬっ! なんだ? どこからの攻撃だ!?」
 魔神の巨体が轟音ごうおんと共に揺らぎ、リックは突然の事にあわてる。しかも何かが攻撃してきているようなのだが、残光しか見えないのだ。何らかの衝撃しょうげきを感知はする、だが、次の攻撃への対処たいしょが間に合わない。いや、何処どこから来るのかもわからない! 攻撃されたと思えば、別の箇所から衝撃が来る!

 いままさに光となったバオスクーレのり出す怒涛どとうの連続攻撃! それは人間の認識力を大きく越えるほどの圧倒的速度で繰り出される、しかもその全てが必殺の一撃であった。
 右から、左から、頭上、背中、翼……ありとあらゆる箇所へ、ほぼ同時に攻撃! 秒間数千発の魔光弾さえも余裕ですり抜ける超加速! …いや、まさしく光速の瞬きが、暴風となって浴びせられ続ける!

 私でさえ動きを一瞬だけとらえる事が精一杯で、知覚も認識もまったく追いつかない! 私の力が戻っていたとしても、あの紋様を使ったバオスクーレに太刀打ちする事は不可能だ。それが、ブレイブソードに乗るリックにはなおさらであろう。攻撃された事にすら衝撃でしか気付かないのだから。





 異常と称する事さえ生ぬるい超スピード。想像を絶するその加速を得たバオスクーレの攻撃はとどまる事を知らなかった。誰がみてもバオスクーレの勝ちは明らかだと思えただろう。





 しかしそうではない。その連続攻撃はそれほど効果を得ていなかった。
 それどころか、傷ついていたのはバオスクーレの方だったのだ!


『くそっ! なんという固さだ!』
 そうなのだ。いかにバオスクーレが鋼鉄をも引き裂く爪を有していたとしても、それでもブレイブソードの体はそれ以上に固く、しかも衝撃を受け流すような構造になっている。いかに竜であろうとも、…いや竜ごときの攻撃では、ビクともしなかった。
 しかも、あの鋭い羽根にかするだけで、自身の腕が血にれていく。竜の体という生物最高の強度ですら、この魔神には通用しないのである!!



『ならば、竜の紋様の力を破壊の力に変換するしかない! ───竜の紋様よ! 我に究極なる破壊の力を!!』
 またも紋様が輝き、今度はその力が破壊の力に変換される。ランバルトですら異常と思える灼赤しゃくせきの烈光、それがバオスクーレの体に集約された。



「あの阿呆がっ!」
 ランバルトが叫ぶ! バオスクーレはそのまま敵へと突撃していくが、今度は簡単に回避されてしまう! 攻撃そのものが、まったく当たらない!
 …彼は力を攻撃力に変換した。それは速度を通常に戻す事が条件。つまり、それでは先ほどと同じようにブレイブソードの機動性には付いていけてないのである。
 あの一撃は簡単に敵の体を引き裂くだろう。しかし、攻撃は当てられなければ意味がない!


「ヒヒヒヒッ! 貴様か水竜! 邪魔をするなと言っているだろう!!」
 すぐさまリックに発見され、一瞬で後ろに回りこまれる! スピードの加護がなければ、竜本来のままの速度しか出せない。これではまた狙い打ちに合う!
 ブレイブソードの翼から数千もの光弾が発射され、またも集中砲火を浴びせられようとしていた!


『───も、紋様よ! 我に全てをね返す強靭きょうじんな肉体を!』
 直撃の寸前で力の方向性を切り換えたバオスクーレ。その豪雨のような光弾を全身に浴びながら、それを全て弾き返す! 無傷どころか、体に触れた光弾が勝手に弾かれていく! まるで火花が散るかのように、なんのダメージも受けてはいなかった。

「ヒヒヒヒヒ!! これで邪魔者は…………なっ!? なんだと!? どっ……どうなっている!? あの竜、今度は攻撃が効かなくなりやがった…。くそ、私のブレイブソードは無敵のはずだというのに…!」

 異常な速度で動くかと思えば、急に遅くなり、遅くなったかと思えば異常な防御力で光弾を弾き返す。リックが知る限り、竜がここまで妙な力を出すなど想定外であった。過去の資料からすれば、魔神はと比べるまでもない、ただの雑魚でしかなかったのである。


「たかが竜ごときが、ここまで食い下がるとは……。」
 だが、目の前の水竜には様々な変化がある。一瞬とはいえこの魔神ブレイブソードを凌駕りょうがする力。リックはこの予想外の抵抗にうろたえていた。



 戦いは膠着こうちゃく状態となり、互いがどうすれば撃退できるのかを模索もさくする。

 しかし、状況はバオスクーレの圧倒的不利に変わらない。紋様の力を切り換えて対処はしているが、それでは明かに遅い。一つの能力ならばあの魔神を大きく越える事ができるが、総合力は魔神の方が上なのだ。一つ一つを別々に切り替えるだけでは勝つ事ができない。


「あの阿呆…、どうするつもり───」





「なにっ!?」
 バオスクーレを注視していたランバルトは、突然のそれに驚いた。バオスクーレの足から光の粉が散っていた。それは雪のように散り、なんと足先を消していたのだ!
 怪我をしたのでもない、ダメージを負ったわけでもない。だが確かに、体の一部が消えていたのである。


代償だいしょうとは、こういう事か……。』
 バオスクーレも同時に気付いていた。自身の足先が消えているという事に。その理由は一つしかない。この竜の紋様から力を引き出せば、その代償として自身の存在が消えるのだ。
 神が使ってはいけないと念を押した理由。それは、過度に使えば使用者自身が消えてしまう。そういう事であった。身に余る力を無理矢理に使えば、体そのものがついていけないのだ。

 しかもバオスクーレは6つの紋様を全開にして戦っている。だからこそ、その代償も大きかったという事なのだろう。



『私が消えるというのなら、それは構わない。……だが、クーを救う前に消えるわけにはいかない!』
 いまの彼には、自身が消えるという事実など問題ではなかった。ただ、娘を救う。そのためにはどうするべきなのかを考えるだけだ。一つ一つの能力を究極にまで高める事で敵に打ち勝つ事はできる。しかし切り換えが必要……。


『だとすれば答えは一つ。紋様一つ一つに、能力を分ける!
 いま使う事のできる紋様は6つ。それぞれに能力を分け、そして全ての力を使いこなす。それがバオスクーレの到達した答えだ。



『竜の紋様よ! その力に方向性を与える! 具現化せよ!』

 右腕に宿るのは究極なる破壊の力。灼熱となりて業火を生み出す紅蓮ぐれん

 左腕には再生なるいやしの力。生命司る命の色、成長を示す森の緑。

 左足の紋様は超越ちょうえつした速度を示す。時間さえも突き破る蒼き流星がごとき空の色。

 胴体は何にも勝る鉄壁の力。べてを受け流す大海よりも深き深き濃紺。

 背に輝くは後光なり、極大まで力を高め、悪しき影さえも打ち消す烈光!


 ───そして頭部の紋様には意識の高みを! 紫苑しおんの海にたゆたう識力を!




 バオスクーレが示したのは、クーの持つ右足の紋様をのぞいた6色。紋様それぞれに力の方向性を与えた。今までの様に6つ全てを同じ力に向けるのではなく、分散する。それにより一つ一つの力は多少なりともおとるやもしれないが、全ての能力を魔神に近づけるには、これしかなかった。

 体から光が、黄金に輝く力在るきらめきが放たれる。それはまさに太陽のごとく、悪意持つ敵をつんざく陽光となってしめされる。バオスクーレは何者をも凌駕りょうがする力を得た。ランバルト達、三姉妹が戦った勇者であるかのように莫大ばくだいなる星の力を全身から吹き出していた。



「ヒ、ヒヒッ! た、たかが竜ごときが何をしようと……私のブレイブソードの敵ではない! その身が砕ける散るまで、神罰を与えてくれる!!」
 状況が読めないリックは、ブレイブソードが突如打ち鳴らした警告音におびえていた。あれは危険だ、敵は強大だ、逃げろ、逃げろ、…戦力差がありすぎる、この機体では勝利することはできない、…その事実を示し続けていた。

 だが、リックはそれを無視する。いままで破壊した世界のように、さきほど一度は水竜を倒したように、今度も戦えるはずだ。自分の研究の成果がこんな程度で終るわけはない! すでに狂気を抱いていた彼にとっては、機械音からなる静止など、耳には届かなかったのだ。


 そこで目を覚ました者がいた。意識を失っていた……クーだ。

「………クーは………、───あ……、とーちゃん……?」
 クーの目の先には、神々しい光に包まれた父が、あの巨大な竜と化した父がいた。そしてバオスクーレも、その強化された知覚によりクーの位置を正確に確認する事ができた。
 予断許さぬ緊迫きんぱくした空気の流れるなかでもたくましく安心させるように語りかける。



『クー、無事でよかった…。いまパパが助けるからな。そこで待っているのだぞ。』
「…………父ちゃ………」
 あれは怖い竜だ。恐ろしい声と、殺意を向けた本当に怖い竜だ。…だけど、いまの何もないクーにとって、父の声はやはり安心できるものだった。姿は違うかもしれない。怖いのは同じかもしれない。だけど、あれが自分の知っている父であるなら、もしかしたら本当は怖くないのかもしれない。

 幼い心のクーはそれがなんであるかを理解できない。ただ、漠然ばくぜんと何かを感じ取っていた。そして再び意識を闇に落とす…。
 しかし、まどろむその心には、どこか安心感があった。本当は怖くないのだという事実に、ずっとなやんでいた心が晴れようとしていたから…。



 ───ついにリックが動いた! 水竜を最大の敵と認め、滅ぼすべく戦闘を再開した!

 自身のほこりを示すため、矜持プライドを確固たるものにするため、魔神ブレイブソードを操るリックは、たった一匹の水竜に対して攻撃を開始する。それはこれまでの散漫さんまんなものではない、翼から放たれる数千もの光弾を全て一点に集中させたものだ!

 バオスクーレも同時に動く。太陽の光に包まれた全身を光の筋として、紋様の力を得た肉体が天空を駆ける! 確かに6つの力を一つの方向に向けた先ほどよりも効果は低いようである。しかし、魔神ブレイブソードの速度にも十分対応できる。そして攻撃を加えれば敵を切り裂く事ができた。体に光弾を受けても弾き返す事はできないが、最小限のダメージに押さえる事ができた。そしてダメージは瞬時に回復する!

 戦える! これならばあの魔神からクーを救う事ができる!
 バオスクーレはようやく、魔神に匹敵する力を得たのだ!

 ───だが、その代償だいしょうは確実に体をむしばんでいく。足の先までが消えていた体。それがもう、膝下ひざしたまで上がっていた。光の粉となってほころび、体が消えていく。存在そのものが消えていくのだ。



 魔神ブレイブソードより発射される光弾、数万にも及ぶ光弾群の破壊からかろうじて逃れたバオスクーレが攻撃に転じる。一瞬で側面に回りこみ翼を破壊! まずはその翼をどうにかしなくては、クーを救う前に迎撃されてしまうと判断したのだ。
 だから、速度を全開まで上げ、一瞬でブレイブソードの側面へと回り込む!

 旧世界においての最高水準に達した装甲、強度と共に柔軟性じゅうなんせいを持った超特殊金属を、バオスクーレは力の限り切り裂く! 速度だけを上げた時のように、こちらが傷付いたりはしない。まるで草をるかのように怪鳥の翼がごっそりと落ちて散った!

 それと同時に光弾を食らうが、ほとんどを上昇させた防御能力ではじいた。だが、それでも傷を負わないわけではない。紋様一つを全開にしたとしても、魔神の全ての攻撃を防御し切るのは無理なのである。
 だから再生させる! 左腕の紋様パワーを全開に! それはさらに強く輝き、全ての傷を瞬時に再生する。そしてまた攻撃!!

 それでもブレイブソードは動きを止めない! 翼だけではなく、口からも強力な砲弾を吐き出し、バオスクーレを倒さんと狙う。それは通常の光弾以上の破壊力である事はすぐにわかった。だから、バオスクーレも自身の口から氷弾を極大化して発射、それを相殺そうさいする!

 だが、そうした無茶をする事で、バオスクーレの体もどんどん消えていく。力を行使した事で、その代償を支払っているからだ。もうすでに光の粉はひざを消し去ろうとしていた。

 黄金に輝く竜、そして銀色の怪鳥の戦う様は、まさしく天の神々の戦い。生き残った人間達、そしてランバルトはそれを注視する。声を発することさえ忘れて魅入みいっていた。



 ───死闘。この戦いを一言であらわすなら、それが正しい呼び方だろう。


 互いがそれぞれの目的のために全力を尽くしていた。
 目の前の敵を倒さんとしていた。

 ……だが、バオスクーレの気迫はリックを大きく上回っていた。自身の矜持プライドを満たすためにしか戦っていない彼には想像もできない意思の強さを水竜バオスクーレは持っていたのだ。


 その想いをぶつけるかのように、バオスクーレが突撃する!




『魔神がなんだ! 体が消えようが、それが何だというのだ!』
 体が消えかかっている。このままではももの部分にある紋様さえも消えてしまうため、まだ力があるうちに、最後の一撃を加える他に道はない! 裂帛れっぱくの気合と共にバオスクーレが強襲する!

 ブレイブソードの右翼は完全に破壊され、頭部がひしゃげる! だが、黄金に輝く竜も同時に光弾をもろに食らう! それでもひるまない!


『キサマなどにっ!』
 無茶をしての攻撃で、絶え間なく傷つく体。いくら紋様の力を全開にしても再生が間に合わない! それでも動きを止める事なく、バオスクーレは距離をとろうとするブレイブソードをさらに追撃する! 魔神より発射される光弾を身に受け、どれでも突撃を止めずに向かってくる! いくら傷つこうとも、体が消え様とも、強靭きょうじんな精神がそれを無視する。つらぬかねばならない目的があるのだ!





『キサマなどにっ! 私の娘を利用されてたまるものかぁぁっ!!』
 自身が傷を負う事さえいとわない、正真証明、最大の一撃! その大地をも揺るがす破壊の力が魔神の胸元へと炸裂さくれつする! そこはブレイブソードの中心、心臓部にあたいする場所だ。いかに魔神の魂が永久不滅であっても、体の中枢が破壊されれば動けないはずだ。

 しかし同時に、再生が間に合わないほどの傷を受けてバオスクーレも落下する。だが、このチャンスを逃すわけにはいかない。クーがとらわれている場所へ腕を伸ばし、その装甲そうこうを突き破ってクーを優しくつかみ出す!



『クー! 無事か? 無事なんだな!?』
「…………………。」
 まだ気を失っているクー。しかし体に異常は見られず、右足の紋様からの力の流出もおさまっていた。どうやら、クーは代償を受けずに済んだようである。とにかく無事でよかった。バオスクーレはただただ安堵あんどする。



 一方で、リックは何が起こったのかを把握はあくできないでいた。この魔神ブレイブソードは自身の人生をついやした研究の成果。それがやぶれるなどという事があるわけがないと思ったからだ。これは悪い夢で、きっと目覚めれば全てが自分の思い通りになっている。……そうとしか考えられないと思いこんだ。


「は……はははは! ヒヒヒヒ……ヒハハハハハハ!! そうだっ! これで終るわけがない! 私の研究はまだ成果を見ていないのだ。この世に私の存在を示すため、私がここで……こんなところで死ぬわけが───!」
 だが、その言葉を言い切る前に、ブレイブソードは王都に隣接りんせつした海へと落ちた。体長30メールもの巨体が持つ質量、そのすさまじいまでの激突げきとつ盛大せいだい水飛沫みずしぶきとなって王都に降り注ぐ。

 ……それが、リックという男の最後だった…。























 バオスクーレは自身の運命を理解していた。クーを救うために紋様を全開で使った事で、その代償を支払う。その覚悟はあったのだから。そしてもう、残された時間はないと感じていた。すでに足さえも消え去ろうとしていたからだ。
 彼はいまだ眠るクーを抱いたまま、ランバルトの元へと降り立った。他の人間より距離を置いた林の中に居る彼女を見つけ、竜の魔力で自身の姿を消す事で、人々よりの視線をける。

「……………………………………。」
 足だけではなく、すでに体中から光の粉を吹き出し、消えかけているバオスクーレを見て、ランバルトは何も言う事ができなかった。…いや、何を言うべきなのかさえ、見つからなかった。

 着地したバオスクーレは、クーだけを優しく守るようにして、ランバルトの前に降ろし、自身はもう消えかかっている足をそのままに、いつくばるようにして両手、両足で体を支える。

「魔神ランバルト、お前に頼みがある。」
 そして顔を上げたバオスクーレは、人の姿に戻って………なんと、……土下座どげざをした。



「……クーを殺さないでくれないか? お前が敵である事は承知している。しかし、クーは見逃してくれないだろうか? 生かしておいてくれるなら、私はどうなろうと構わないのだ。」




「もし、少しでも慈悲じひがあるのならクーは見逃してほしい。太陽の宝珠をお前が好きにしてもいい。私には何もいらない。ただ、クーが無事であって欲しいのだ。これは私の我侭わがままだ。情けないと思ってくれていい。……だから、頼むっ!!」

 なんの躊躇ためらいいもなく地に頭をこすり付け、バオスクーレが目の前で土下座していた。私は敵だというのに、今はなんの力もないというのに、それでも目の前の男は、私にクーを見逃せと平伏へいふくしていた…。





「…………………………………………。」
 ランバルトはそれに答えるべき言葉を持たなかった。神の側の敵、その水竜がほこりも矜持プライドもなく、全てを捨てて……、自分の前で懇願こんがんしている。
 その戦いを、その決意を見た彼女にとって、彼のたった一つの願いを、いや、遺言を───、ただ聞いているだけしかできなかったのだ。だから、目を合わせる事さえできず、……うつむく。



「その沈黙ちんもくを、了承りょうしょうと見ていいと私は思う事にする。……あとは最後の役目をしなければ……。」

「お、おいっ!」
 バオスクーレは再び竜と化すと、私の声に留まる事なく空へと舞った。果てしなく、広い空へと舞い上がった。
 そして、眼下に広がる崩壊した王都を俯瞰ふかん、生き残ったわずかな人間達へと視線を注ぐ。




「(私の妻を死に追いやった人間ども……、お前達を利用させてもらうぞ。)」
 彼の心には古きよき想い出がよぎっていた。れすさぶ海と嵐をめるための人身御供ひとみごくうとされた不憫ふびんな娘、クーデリアとの出会い。その太陽のように明るい彼女に、一人で生きる事のさびしさを気付かされた事、いつしか愛をはぐくみ、そしてクーを生まれた時の事……。まるで夢のような幸せの光景があった。

 妻の名を取って名付けた我が娘、クーは、いつか人間達の世界へと戻り、歩く事になるだろう。あの子の心のままに世界を感じていくのだろう。しかし、クーには太陽の宝珠から力を引き出す能力がある。いまの幼いままでは、世界を知る前にまた利用されるやもしれないという事も考えなければならない。

 ……不思議と、あの魔神ランバルトが悪用するという考えは浮かばなかった。姉妹の事だけを想うあの女が、クーを利用してそれを使うという光景が思い浮かばなかったのだ。

「(まったく……あれは敵だというのにな……。)」
 あの魔神ランバルトとクーがどうなるのかはわからない。しかし、どこか安心すらしている自分がいる。それがなぜか可笑おかしい。確証などどこにもないというのに、その心は晴れ渡っていた。



 だから彼は気にすることなく、クーのためのそれを実行した。竜の紋様の力をまた一つにまとめ、その力でこの国全てに生きる者達へと語りかける。
 背に光輝く竜の紋様、極大化の力に全てを注ぎ込み、その声を国全体へと響き渡らせた───。







『ラファイナに住む人間達よ! 私はこの国を守る水竜である!』

 空に現れた巨大な影。それは今まさに国を救った竜であった。人々は歓声を上げて喜び、涙を流して歓迎した。……バオスクーレの考えた通り、この演説が絶大な効果を生み出す事だろう。
 そう確信した彼は、言葉を慎重に選びながら演説を続ける……。


『この国を襲った悪意は消失した。しかし、私は力を使い果たしてしまった。消滅しなければならない。』


『だが、あんずるな。……これより55年ののち、成人した私の娘がこの地に現れる。蒼い髪とみどり色の目をした娘だ。その者が新たな守護者となるだろう。』



『これよりお前達に竜の宝たる、太陽の宝珠……、虹の欠片かけらを貸し与える。我が娘が現れるまで、これを命をして守護せよ。さすればこの国の災いは取りのぞかれる。』


 バオスクーレは水竜神殿より、太陽の宝珠を呼び寄せた。そしてそれ自体を、7つの紋様と同じく7つに分ける。こうすれば、全部の力が利用される事はないだろう。再びあのような魔神の動力源となろうとも、1つでは動かす事ができないはずだ。
 もちろんクーが扱わなければ本来の力が出せない。また、クーも、それを持たない限り、さきほどのように直接の力を引き出せないようにする。そうすればクー自身が直接の危害を受ける事もない。

 ……先ほど、力の方向性を分けた6つの力、そしてクーが示す方向性を加えた全部で7つ。
 それをそのままの輝きとして宝石化して封じ込める。太陽から生まれた虹色の輝きとして留めるのだ。

 人間は愚かである事は承知している。だから言葉だけでは信憑性しんぴょうせいに欠けるやもしれない。人間は形るものに心酔しんすいするからだ。そのための宝石化であり、守りやすくするための処置しょちでもある。



 そして国を救った建国の竜が演説した事で、人間の信仰心はかき立てられている。そうであるならば、クーが55年後、成人を迎えたとしても粗雑そざつに扱われる事はないだろう。

 ───バオスクーレのこのたくらみは、まったくもってクーの事しか考えていないものだ。人間の都合など少しも考えてはいない。
 しかし、その思惑おもわくを知る者は自分しかいない。クーを救う事のオマケではあっても、結果として国を救ったのは事実であるし、太陽の宝珠……いや、虹の欠片が重要である事も変わらない。
 彼にしてみれば、自分の居ない未来において、クーがいかに大切にされるか、という事だけが問題なのである。彼は大嫌いな人間を利用しただけなのだ。








 ───やるべき事はやった。


 バオスクーレは、いま出来る最善の手を打った。あとはクーが元気で居てくれればそれでいい。

 彼は親だった。……本当にたったそれだけの事が心配でしかなかったのだ。だから、自分の体が消え去る時を迎えても、恐怖など何もなかった。









『クー………。』

 娘の名をつぶやく。そのわずかな言葉に、様々な念と想い出が込められている。



 その声が届いたのか…、失神していたクーが目を覚ました。空で、竜の姿のまま光の粉に包まれていた父を見つけて言葉を無くした…。しかし、その瞳は父より外す事は無く、いつのまにか涙がこぼれていた。
 本能が告げていた。水竜として紋様を受け継ぐクーだからこそ、わかっていた。あの光の粉はよくないものだ、と。父をどこかへ連れていく、とても嫌なものだと……。

「やだ……やだよ……父ちゃん………、どこ行くです? ……どこに行っちゃうですか?」

 立ち上がり、足元さえも気にする事なく、たった一人……、消え行く父を見上げて走り出す。追い駆けても辿たどり着く事などできないというのに、ただひたすらに、駆けて行く……。


 あの怖い場所から助け出してくれたのは父。あの時の父は必死に自分を助けようとしていた。
 一生懸命だった。




「父ちゃん! もう怖くない! 怖くないよ! だから行っちゃやだ……。」

 どんどん体の線が曖昧あいまいになっていく父。もう消えそうだというのがわかった。自分を助けるために父は消えるのだ。


 気付いていた。幼い心のままでも、ちゃんと父は自分を大切にしてくれて、大事にしてくれていたという事を。いつだってクーの事を一生懸命に考えてくれていた。
 外に出れない事を不満に思ってはいたけれど、それでもずっと、父は遊んできれたではないか。もっともっと小さい頃から、父はずっと相手をしてくれたではないか。父はいつだって、優しかったではないか?

 確かに、一度は怖いと思った。だけど、姿は変わっても優しさは変わらなかった……。
 やっぱり、父ちゃんは父ちゃんだった!


 クーが足元の石につまづいて転んだ。体ごとべしゃりと前のめりに倒れる。どろだらけ。…それでもクーは立ち上がった。父のいる空を見上げた。しかし、もうバオスクーレは何もかもが曖昧あいまいになっていた。


 そんな娘を見続ける彼は微笑ほほえみ、……最後に、たった一言だけ、のこす……。









『───元気でな。』









 体をおおっていた光の粉が、空に四散しさんする。

 水竜バオスクーレはいま、この時をって世界から消滅した。











 以後の歴史において、彼が再び現れる事はない。彼の生命はここで終りを告げたのだ。





















 ランバルトは身動きせずに見ていた。
 必死に空を追いかけるクーと、消えていくその父親を。


 そして、心を無心にして考えていた。












 時が来たのだ。
 全ての邪魔者が消えるという、───この時が。






 最大の邪魔者であるバオスクーレは消え去った。予期せぬ敵であった魔神ブレイブソードも倒れた。リックは死に、残されたのは無防備な水竜の娘ひとり。あとは……あいつを、クーを殺せば自由になれる。

 もしかしたら、封じられた力も戻るかもしれない。このヌイグルミの体から解放されるかもしれない。


 そしてなによりも、いまここでクーを殺さなければ、それは姉や妹への裏切りである。神側の敵が目の前に居るというのに、それを見逃す事はできない。私達のきずなを守るためにも殺すべきなのだ。いいや、殺さなければならない。











 殺せ! クーを殺すのだ!
 こいつを殺すのは簡単だ。境界の力をほんの使い、首の間に空間を空ける。それだけで首が落ちる。



 簡単な事だ。たった少し手を動かせばいい。
 それだけで全てが終る。



 殺さない理由などない。











 ……だったら、何を迷うのか?











 ランバルトはクーの後ろに立った。
 周囲には誰もおらず、父を失った悲しみで泣きわめく娘だけがいる。

 何も憂いる事などない。見られる心配もない。ほんの少し力を使うだけでいいのだ。



 どうした? 腕を振り下ろすだけでいい。
 たったそれだけに何を手間取っている?














「父ちゃん……、父ちゃん……、やだよう……クーを一人にしないでぇ………。一人はやだよぉ…。」








 その………しぼり出すようなクーの言葉に……、私は……猛烈もうれつ眩暈めまいに見舞われた。それと共にあの光景が思い起こされる。あの幾度いくどとなく見た、あの過去の光景が私の心によみがる。





 トー姉さん! ラン姉さん! やだよ! わたしを一人にしないで! 一人はやだよ! 戻ってきてよ!!





 …なんで………、


 なんでこいつは、こんなにもズルイのか? なぜここで、妹と同じような言葉を言うのか…? 私は…、お前を殺さなければならないというのに、なぜ、そんな狙ったような言葉を出すのか?





 封印される前、妹グロリアが叫んでいた言葉……。
 それをここで使うなどと、なんて汚い奴なのだ………。

 私はお前を殺さなければならないというのに!



 水竜バオスクーレ、これがキサマの仕組んだわななのか? キサマも神と同じように情を喚起かんきさせ、私をしばるつもりなのか? とんでもない悪党だな、キサマは。絶対に地獄へ落ちるぞ。いや、落ちろ! このクズめが!













 私は、意を決して空へと飛び上がった。
 そしてそのまま、クーを───────りつける!!







「このバカ者があああ! いいかげんに泣くのをやめんか!」
 魔力をともなわない、へろへろとした蹴りに背中を押されたクーは、後ろを振り返る。そこには、自分のヌイグルミが、ペンコが腕を組んでいかっていた。

「ぺ……ペンコ……さん?」

「ちがーう! 私はペンコなどという名前ではない。我が名はランバルト! ランバルト様と呼ばれるのが相応そうおうだが、しかしここは百歩ゆずってランバルト様、いいや、二百歩ゆずってランさん、だが、今日は大サービスの日という事で三百歩ゆずってランちゃんという事にしよう!」



「いいかよく聞け? 私はお前の父に頼まれてな、今日からお前と一緒に住む事にしたのだ。今日は大サービスの日だからな! 仕方ないんだからな! ありがたく思え!」
 目の前のクーに反応が無い。言葉を失ったように、身動きひとつしない。さすがにこまった私は、もう少しだけ態度を軟化なんかしてみる事にする。



「ああ、いや困ったな。……ほら、まあアレだ。お前、友達が欲しいって言ってただろう? だからな、一応……その友達という事で手を打とうじゃないか。」


「とも……だち?」
「そうだ! そういう事でOKだ! だからもう、泣くのは───」


 その途端とたん、クーが私に抱きついて来た。今まででも涙で顔がグチャグチャだったにも関わらず、さらに火がついたように泣き叫ぶ。…
 …これは困った。妹をあやすのは、いつも姉の仕事だった。私はこういうのが苦手……というかやった事がない。


「いやその……、なんだ………。まあ、今日くらい……いいか。」
 それから、クーは何時間も泣き続けた。私にはそれを無言で受け入れるしかできずにいた。いまは……泣く事が必要なのかもしれない。泣かなければ次にかえないのかもしれない。


 いまは存分に泣けばいいのだろう。いつかきっと、それが笑顔に変わるのだろうから。











 ごめんな…、クー。
 私はどうやら、お前を好ましく思っていたらしい。妹と同じ年頃のお前と、姿すがたかさねていたのだと思う。きっと私は最初から、クーが好きだったのだ。それを自身の状況と言葉でしばり、いまここになって初めて気付いた。

 ……私がそれを早くに打ち明けていれば、お前の父は死なずに済んだのかもしれない。もちろん状況がそれをゆるさなかったというのはある。後悔こうかいしても仕方の無い事ではあるが、それでも、あやまらずにはいられなかった。






 姉さん…、姉さんなら、クーを見捨てておけたでしょうか?







 …………私には無理でした。
 駄目な妹だと笑ってください。裏切り者だとののしってくれてもかまわない…。









 しかし、見極める時間が必要なのではないでしょうか?

 あの旧世界での事、神や勇者の事、過去に起こった様々な問題を、もう少し考えてみる時間が必要なんじゃないかと思います。神側の者が必ずしも敵ではないように、私もそれを見極めなければならないと思うのです。


 私はこれから、学んで行こうと思います。
 クーと共に、この世界や人間達が、再び滅ぼすべき必然があるのかどうかを。





















 ───こうして、クーの願いはかなう事となった。



 たった一人の友達を得た。
 彼女が最初に願った通り、いつまでも共にいる絶対の友達。



 そしてランバルトは、
 これからの長い長い歴史において、つねにクーとその一族の友人として、そばる事となる。














皇樹暦すめらぎのきれき747年  アーウェイン海───

それから52年の時が流れる………。









「おのれバカクーめが……、キサマぁ〜〜〜、歯を食いしばれぇぇ!!」
「やーですよー! クーはむのに一生懸命で、歯を食いしばれないですー。」

 エプロン姿のペンコ……いや、ランバルトこと私は目の前で知らん顔しているクーに激怒げきどしていた。それもそのはず、今朝のおかずを先にほとんど食われては怒りもする。それはつまみ食いではなく、全部食いである。

「噛むどころか関係なくしゃべっとるだろうがキサマはーー!」
「ぎゃー! クーのおさかな〜!」
 私のするどりで、クーが手つかみしていた魚が床に落ちた。大好物の損失そんしつに、クーは発狂するほどの思いであった。そして、滂沱ぼうだの涙を流して抗議ゆずする!

「クーは…、クーはランちゃんをそんな大人にしつけた覚えはないですよ!」
「それはコッチのセリフだ! 私もクーをつまみ食いする大王に育てた覚えはないぞ!」



「なんだとー!」
「やるかー!!」

 そして今日も、朝からりずに喧嘩けんかが始る……。
 他人がみればおどろくだろうこの取っ組み合いは、別に気にする事もない日課である。


 1週間ごとの当番制にした食事の番も、私が当番の時でなければ機能しない。クーは自分の時はまるでやらずにゴロゴロしているからだ。…だから結局は私があれこれと世話を焼くしかないのだが、納得できない上に、全部食いまでされては怒りもする。
 しかしながら毎回そうでは教育上よくない。いいかげん、クーもあと3年で成人たる16歳になるのだから、いつまでも遊んでいては困る。長年、面倒を見ている私も、このようにだらしないクーを見ているとかなり心配である。



 そして5分後───。
 おたがいにつかれて、ぱたりとやむ。これもいつも通り。
 何を話すわけでもなく、ただ当り前のように席につくクーと私。



「ふむ、ところでクーよ。今日は外へ行く日ではなかったか?」
 目の前の席に座るクーは、全部食いしていたというのに、それでもまだ食事を続けるクーに私は問う。

 外に行く日、というのは、クーが昔遊んだ場所を大切にするために、草を刈ったり、木の手入れをしたりする日の事だ。
 ちょうど20年ほど前には、ちゃんとロイの遺骨を集めてお墓も作ってある。クーにとってはとても大切な場所だ。


「んー、そりゃあ行くですよ〜。昨日もそれで準備してたです。そろそろ、あれから50年ちょいは経つし、あと3年で太陽ちゃんが戻ってくるですからね。人間の街にも慣れておこうと思ったですよ。」
 クーはあれから、あまり頻繁ひんぱんに外に出るという事はしなくなっていた。私が居るのだから、自由に行き来はできたのだが、外にはいい思い出と悪い思い出がある。クーはクーなりに、人間という者が分らなくなっていたのかもしれない。

 しかし、残り3年で、こいつの父バオスクーレが定めた水竜クーのお御披露目おひろめの期日だ。いつまでも出ないわけにもいかないだろう。そういう私自身も、人間を嫌っているだけに、強く押すのも躊躇ためらわれている。


「しかしランちゃん! これを見るですよ!」
 と、まあ色々考えていた私をよそに、やたら元気なクーは足元に置いた袋から、金属の筒のようなものを取り出した。それは筒の上部には赤いスイッチのようなものが付いていて、筒の側面には、古代文字で”殺虫スプレイ”と書かれている。私も古代語を読める事は読めるのだが、”漢字”とかいう文字が入るとその内容までは把握しきれない。

「ほほう。旧世界の遺産というヤツだな。それをどうするというのだ?」
「えへへへ…、これの…ここを押すと、スプレイとかいうのが出るですよ。」

 クーはそのまま、上部にある赤いスイッチを押すと圧縮されたガスが、私目掛けてプシューっと振りかかった……。

「ぎゃあああああああ! 目が! 目がああああ!!!」
「おおー、すごいキキメですよ〜。これはすさまじい古代兵器。これはキケンなので封印しなければならないですよ。」
 ヌイグルミのくせになぜか効果バツグンの殺虫スプレイに、私は転げまわって悶絶もんぜつする。クーはクーでその古代兵器の威力に凄まじい恐怖を感じている。(といいつつ、半分以上はよろこんでいやがる)

「キサマ〜〜〜! 殺す! 殺してやる!」
「ひゃああ! じゃあ封印する前に、もう一撃食らうですよ〜。」

「うぎゃあああああああああ!!」
 ……その後、私はクーをこっぴどく怒った。スプレイを人に向けてはいけません!とか、もうすぐ成人なのに何をやっているのか!…などなど徹底的にしかりまくった。これには、さすがのクーも反省する事となり、1時間の正座をさせられる。いかに竜だとて正座はこたえるらしい。ざまあみろ。




 ……と、まあこのように、二人は毎日の生活を送っているのである。


 この約50年という時間はクーをいやし、そしてまた私を考えさせるのには十分じゅうぶんな時間であった。二人は友に生きていく事で互いのさびしさをおぎない、その上で今の自分を見つめ、考える事ができた。

「ランちゃん、ヌイグルミのくせになんで目が痛いですかねー?」
「スプレイはいいから、とっとと支度しろ!」
 クーは大きく成長し、やっと歳相応の考え方をするまでに追い付いたようではあるのだが、こういうイタズラ精神は相変わらずである。きっとこの奔放ほんぽうさがクーなのだろう。

 …しかし、あと3年で成人か……。本当に大丈夫なのか? こいつは…。





「それじゃあ、行くですよ。」
 結局…、何も持たずに行こう、という事になったクー。少しくらい危険があろうとも、クーは元々が水竜であるし、私も力は弱いとはいえ、魔神の力を行使できる。あんなスプレイ一つでどうにかなる事態なら、きっと腕力で片が付いているだろう。

「ふふ〜ん、だってクーは昔、モグラを一撃で倒した位ですからね! クーは強いですからね!」
「………いや、頭は弱いがな。」
「なんだとー!」
 いつもなら私の力によりワープで外に出る事ができるのだが、クーは今回は泳いで行くと言い出した。考えてみれば、クーは水竜のくせに泳いだ事がない。昔、ルイサ達と水遊びをしたくらいだ。


「まあ、そういうわけだから、クーも泳がないとイカンと思うんですよ。水竜が泳げないじゃあ沽券こけんに関わるです。」
「なにがそういうワケなのか、すこぶる不明だが、さすがに泳げないのもイカンな。水竜だしな。」
 私はみょうに納得しながら、クーと共に水竜神殿の玄関へと向かった。通常は周囲に水がめぐらされているこの神殿だが、それは神がほどこした技術による魔力に守られているからだ。しかし、玄関からなら、自由に出入りする事が出来る。…もちろん、その先すぐに泳ぐ事になるのだが。

「しかしだな、クーよ。考えてみれば…、お前、練習もなしに……───。」
 玄関から飛び出し、水の中へと潜っていくクー。なんだか順調に泳いでいるので、まあ、いいか…、と思いながらも私も後に続く……。


 飛びこんだ先…、そこは中からではあるが見慣れた海の世界。濃紺にいろどられた海水の中で、赤や青や黄色、色彩あざやかな珊瑚礁さんご、そしてそれに負けない位の多彩な色と形の魚が自在に泳いでいる。

「ふむ。さすがに中から見るのと泳ぐのでは違うな。」
 私のヌイグルミの体に水が染みこむわけでもなく、勝手に浮いてくれるので、短い手足をバタつかせて泳いでいた。思ったとおりに動くし進むので、なかなか快調である。もちろん呼吸も必要ない。……これはやはりペンギンだからなのだろうか?

 ちょっと上機嫌になった私は、ふと、クーの方に目をやると………。





 ほおを真っ赤にして、手足をバタバタと動かし、苦しそうにしていた……。











「ぎゃあああああああ!! クーがおぼれてるーーーーーー!!」
 どびっくりして無我夢中むがむちゅうのまま取りみだしつつも、クーの元まで泳ぐと、クーはおぼれた仕草をやめて、大笑いし始めた。



「わーい! だまされたですよー! ランちゃんいい気味です〜!」
 水中を自在どころか、縦横無尽に泳ぎ回り、無邪気に喜ぶクー。やはり半分は人間でも、半分は水竜なのだ。魚が生まれつき泳ぐ事を知っているように、クーも泳ぐ練習などをしていなくとも溺れるわけがなかった。
 毎度の事ながら、私はかつがれたのである。もうこうなるとパターンで、彼女の言うセリフは決まっている。



「キサマ〜〜〜! 殺す! 殺してやる! 歯を食いしばれええーー!」
「にへへ、捕まえられるものなら、捕まえてみるですよーだ!」



 そうして私達二人は、遥かに深い海の底から陸へと向かって行った。これから先、何があるかはわからない。きっと楽しい事があるだろう。そして辛い事も悲しい事もあるかもしれない。

 だけど、友達が一緒だから怖くはなかった。ずっとずっと共にいる大切な友達が側にいるから、私も、クーも強くいられると思った。だからこそ、希望をもって前に進む事ができた。



 海の中から見上げる空は、太陽の光を受けて煌く水面。
 手を伸ばせばすぐそこにある。











「お、そうえいばクーよ。」
「なんです?」

「すっかり聞くのを忘れていた。そういえば、なぜクーは父の事を”父ちゃん”と呼んでいたのだ? 奴は…、バオスクーレは自分の事をパパと言っていたじゃあないか?」
 いまになって思い出す事。昔、バオスクーレは自分の事をパパと呼んでいたのに、クーは父ちゃんと呼んでいた。ずっとずっと聞こうと思っていたのに、長い間すっかり忘れていて、今になってようやく思い出した。



「あー、あれですかー。そりゃあ簡単ですよ。古代の本に書いてあったです。」
「なんてだ?」







「パパって呼ぶより、父ちゃんと呼んだ方が仲がいいって。……たしか、”江戸っ子、七人衆”とかいう本ですよー。」
「わははははは! なんだそれは。」











「書いてあったですよー!」
「あー、わかったわかった。わかったよ。」










 おい、水竜バオスクーレ。
 見ているか?







 クーは元気だぞ。心配するな。

















 水竜クーは、こうして、冒険の第一歩を踏み出したのだった───。












 水竜クー・過去編 完






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