その8 「ガラリと変わるキッカケ」
そろそろ立ち退き騒動開始より7カ月目に入ろうかという頃、懲りもせず物件を持ってくる立ち退き屋の社長…、通称「起き上がりこぼし」は、すでに風景の一部と化している状況でした。
ええ、それはもう華麗なまでに空気と化しておりました。
まあ、確かに週に1〜2度やってくるのは、うっとおしい事この上ないのですが、冬馬は徹夜勤務が基本なので丸一日居ない事が多く顔を合わせる機会も少ないせいか、たいして会わない空気な奴らだと割り切れば前の穏やかな生活に戻っていたのであります。
近頃ともなると、引越し屋の出してくる物件書類をダイレクトメールのごとくゴミ箱に捨てて終わりです。
へ? 物件は見てないのかって?
申し訳程度にパラパラは見ますが、すぐ捨てちゃいます。
だって、自分に置き換えて考えてみ? どうでもいいチラシがポストに入ってたらそのまんま捨てるでしょ? それと同じですよ。引っ越す気がないのは変わらないし、持って来る物件リストがいつまで経ってもクズばかりだもんで、一つ一つを注意深く見る事に意味がないんだもの。
例の立ち退き屋こと、起き上がりこぼしが何か言ってきたら、こちらが納得するような物件を持参すればいいだけじゃないの?と正論を吐いて叩いてやれば事足りるわけで、現状大勝利な冬馬にとって、彼らはもう無意味な存在だったのです。これ以上の進展はありえない。
せっかくだから見てあげれば?…な〜んて思っているならそれは他人事だから言えるセリフ。
自分が出て行かされる身であり、しかもさんざん馬鹿にされているのに、憐れみの情なんて沸くわけない。
悪党は間違いなく彼らであって、これは相応の処置であり報い。
そういうわけで、このように出口の見えない交渉という皮をかぶった、えげつない仕返しは着々と進行中で、相手の焦りを見ながらほくそ笑む冬馬も溜飲を下げつつあります。比喩でも嘲弄でもなく、ヤツらはもう相手にする価値すらない空気と成り下がっていたのですから、どうでもいいわけです。
まあ〜、普通ならここで大勝利だった!と話が終わるのでしょうが、実質的にはここがターニングポイントでした。
そんな折…、変化があったのです。
相変わらず無能な彼らにではなく、冬馬の方に。
いや、どうにもねぇ…、気力がスッカラカン状態だったのですよ。
ちょうどその頃、かなり意気込んでいた、とある試験に大失敗しまして…、その反動で気力活力を根こそぎ失っていたのです。
本気で失敗はないと確信していた試験にまさかの大失敗。それで気落ちしたままの無気力状態となり、せっかくの休みの日も何かをするでなく、ただネットを見てダラダラと過ごす日々が続いておりました。
いつも見るサイトを何度も見ては更新されてないか期待したり、ニコ動やらYoutubeを見て、のらりくらりと計画性もなく無駄に時間を浪費する休日が続いていたのです。
本気で気力のカケラも沸かないのです。
かったるくて、何もしたくない気分でした。全てが面倒くさい。
職場では次の休みこそ行動しよう! 次の休みこそ頑張ろう!と意気込むのですが、いざ休みになると何もしない。マジかったるい。ごろごろごろごろだらだらだらだら…、そういうダメな状態が続いていたのです。まさに抜け殻状態。
そりゃあ失敗は誰にでもあるものだし、時間が経てば少しづつ気力も取り戻せるでしょ、…最初はそう考えていたのです。しかし、試験があった年明けごろからずっと、気力はさっぱり沸かず無気力で無意味な日々を送るだけでした。
何かしなくちゃいけないのは分かってるのに、具体的に行動もせずに時間を潰すだけ。
自分でも情けないと思っていながら、それでも行動できない。
まあ、ようするに、
いい大人が、少し失敗しただけで数ヶ月も気力が出せずにネットで時間を潰すような、発展性のない事をずるずるとしていたわけです。
…いや、ネットをだらだら見る生活を批判してるんじゃないですよ? それはそれで幸せですよ? そうじゃなくて、やるべき事が目の前にあって、それを実行すべきだと分かっているのに怠惰でありつづけた。試験に失敗したならもう一度やればいいのに、そのまま気力を取り戻せない自分が嫌だったのですよ。
月日が流れるのはあっという間で、少しくらいいいだろう、と思っているうちにすぐ年末だったりするものです。
このままじゃ堕落するばかり。
それが分かっていても行動に至らない。
だから、キッカケが欲しかった。
何かのキッカケで気力を取り戻せるなら、迷う事はない。
周囲をガラリと変える事で向上心を取り戻せるなら、やるべきだと考えました。
そしてちょうどよく、そのキッカケになりそうなものが目の前にぶら下がっていました。
引越しです。
これを機会に復活したかった。
平たく言えば、ダメ人間すぎるのはやめたかったんですな。
だってさぁ、情けないじゃない?
ずいぶん昔に、計2年くらいニートやってましたが、その時とまったく同じなんだもの。
いつかいつかって、いつまでも行動できない。
もう嫌なんよ、ああいうのは。生きてるだけで情けない。
その原動力として、環境を変える必要性を感じたのです。
だからこその引越しなのです。
…まあ、所詮は環境のせいしている時点で”逃げ”ですけどね。できる人なら環境なんて問題にしないはず。でも、そういう手を使わないとダメな人だという事なんですよ。そんな事は分かってるわけよ。
そういうわけだから、別に立ち退き屋に屈したわけじゃあなく、たまたまその手段として引越しがあっただけの話なのよね。起き上がりこぼしがまったく邪魔でなかったか、と言えば嘘になるけど、期限の1年前だったから移転する意味なかったのは承知済みだったし。
ともかく、
そういうわけで、冬馬は引越しを決断したのです。
なんだよ! 抵抗してたくせに結局は引っ越すのかよ。口ばっかりじゃん!
…とか言われても、目的があるのに行動しないのは、それこそ愚の骨頂じゃないかな。そこで意地はってもなんの意味もないでしょ? 残り1年を立ち退き屋で遊ぶのが有意義だとは思えないし。
思い立ったら即決断。
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